通俗正教教話/聖傳と聖書の事
(三)聖傳 と聖書の事
編集
問
- 答
其 には二 の方法 が有 るので御座 います、一 は聖傳 で一 は聖書 で御座 います。
問
- 答
聖傳 とは教会の内 で聖人 と尊 まれ、義 人 と崇 めらるる人方 が、神様 の誡 や教 や、教会の儀 式 の事 などに就 いて色々 謂 はれましたことや自 ら行 はれました事 の口 傳 又 は其 を記録 たもので御座 いまして、神様 のお啓示 は其 等 の物 の内 に随分 有 るので御座 います。
問 では
- 答
別 に其様 な蔵 などと申 します者 は御座 いませんが、其 聖傳 は教会の会員の心 から心 に傳 はるもので、丁 度 桃 太 郎 のお話 が別 に本 を読 まなくっても親 から子 に、子 から孫 に傳 はる様 に、教会の聖傳 も、信者 から他 の信者 に傳 はって行 くので御座 います。
問
- 答
聖書 とは聖人 とか義 人 とか又 は預 言者 とかハリストスのお弟子 とかが神様 のお告 げを受 けて書 いた書物 で御座 います。
問
- 答
其 は聖傳 が前 で御座 います、何故 かと申 しますれば大 昔 には未 だ字 と謂 ふものが御座 いませんので凡 ての事 は皆 な口 傳 へにしたもので御座 います、聖書 の初 て出来 たのはモイセイの時 の事 で、其迄 の教会は聖傳 許 りに頼 って居 ましたので聖書 と申 すものは無 かったので有 ります。 私 共 の主 なるイイスス ハリストスが其 お弟子 をお教 になったのも言 と行 で決 して書物 の上 からでは無 かったので、今日 の聖書 と申 しまする物 はお弟子等 が後 になって主 のお言 葉 を書 き綴 ったもので御座 います、一体 聖書 は字 を知 らなければ些 しも解 りませんが、聖傳 は口傳 へで御座 いますから字 を知 らぬ人 でも聞 けば解 るので御座 います。
問
- 答
否 入 りますので御座 います聖傳 は口 傳 ですから時 には間 違 が起 らんとも限 りませぬ、其 ですから聖書 と謂 ふ何 百 年 経 ても易 らぬ記 録 が有 ってこそ教会の教 は何時 迄 も正 しく誤 りなく人 に傳 へて行 くことが出来 るので御座 います。
問
- 答
否 、聖書 と聖傳 は丁 度 車 の両 輪 のやうなもので両 方 相 俟 って初 めて教 が完 全 になるので御座 います、聖書 の解 り難 い所 を正 しく誤 のない様 に釈 き明 しまするには聖傳 に拠 らなければなりませぬので、若 し其 文 句 を聖傳 に拠 らずに解釈 しませうものならば人毎 に別 な解釈 をして聖書 の本当 の意味 を全 く壊 して了 まうので御座 います、で御座 いますから聖 使徒 パエルも聖傳 の尊 いことをヘサロニカの人 に送 った手 紙 の内 に述 べて謂 はれましたには『兄弟 よ爾 等 堅 く立 ちて、我 等 の言 或 は書 を以 て教 られし所 の傳 を守 れ』(ヘサロニカ後書二の十五)。
問
- 答
否 、左様 では有 りません、未 だ未 だ外 に沢山 必要 なことが有 るので御座 います、例令 て見 ますれば、正教会で祈 祷 の時 に十 字 架 を画 きますことや、東 の方 に向 って祈 祷 を致 しますことや、洗礼 の時 に三 度 水 に身体 を沈 めます事 など、凡 て此 等 の儀 式 及 び教会の規 則 は皆 聖傳 に拠 って今日 教会に傳 って居 ますことで有 りまして、決 して聖書 の中 に書 いて有 る訳 では御座 いません、其 れで御座 いまするから若 し教会から聖傳 を取 って了 いましたならば、祈 祷 や機 密 などは全 く無 くなって了 まうので御座 います、此 に由 りて見 ましても聖傳 の尊 むべきことは明 かに解 るので御座 います。
問
- 答
種々 の時代 に出来 たもので御座 いますが之 を大別 しますればハリストスのお誕生 前 に出来 たものと、其 お誕生 の後 に出来 たものとの二 に成 ります。そして、ハリストスのお誕生 前 に出来 た聖書 は旧約 聖書 と謂 ひ、お誕生 の後 に出来 た聖書 は新約 聖書 と申 して居 りまするので御座 います。
問
- 答
何故 と申 しまして、旧約聖書の内 には神様 が昔 の人々 にお授 けになった色々 のお約束 が書 いてありますし、新約聖書の中 には神様 が昔 のお約束 をお改 めになって新 しく人間 にお授 けになった新 規 なお約束 が記 して有 るからで御座 います。
問 旧約聖書の
- 答
其 は人々 の為 に救 主 を世 に降 すとのお約束 で、畢竟 旧約聖書は人 が其 救 主 を受 けるには何 うしたならば可 いかと謂 ふ事 が書 いたもので御座 います。
問
- 答
其 は神 の一人 子 なるイイスス ハリストスが、人々 にお授 けになったお約束 で、例令 て申 しますれば、如何 なる大罪人 でも、心 から其罪 を悔 ゆるならば神様 は其罪 をお赦 になるとか、御自 分 が世 の終 迄 常 に目 に見 えなくても教会の信者 の心 の中 に共 に居 るとか、世 の末 の日 に再 び此 世 に顕 れて来 るとか申 すお約束 で御座 います。
問
- 答
只今 では一冊 に纏 つて居 りますが、元 と此書 は種々 な書 を集 めた物 で其 巻 数 を廿二 巻 に数 へるので御座 います、此 数 へ方 はエルサリムの聖 キリルや大 アハナシイ等 の皆 採 つた数 へ方 で御座 いまして、元 はエウレイ人(ヘブライ人)が自 分 の国 の『いろは』順 に従 つて旧約聖書に区 別 して居 ました其 方法 を其儘 に取 って来 ましたので、一番便利 な数 へ方 で御座 います。
問
- 答
宜 しう御座 います、先 づ- 第一 『
創世 記 』 第二は『エギペトを出 る記 』 第三は『利未 記 』 - 第四は『
民数 記 略 』 第五は『申命 記 』 第六は『約書亜 記 』- ▲
約書亜 記 は又 『イイスス ナビンの記』とも申 します
- ▲
- 第七は『
士師記 』及 び『路得 記 』 第八は『撒母耳 前書 』及 び『後書 』- ▲『
撒母耳 前後書 』は又 『列王記第一、第二書』とも申 します
- ▲『
- 第九は『
列王 記 上 下 』- ▲『
列王 記 上 下 』は又 『列王記第三、第四書』とも申 します
- ▲『
- 第十は『
歴代 志 略 第一 』、『第 二 書 』 第十一は『以士喇 書 』及 び『尼希米亜 記 』- ▲『
尼希米亜 記 』は又 『以士喇 後書 』とも申 します
- ▲『
- 第十二は『
以士帖 書 』 第十三は『約百 記 』 第十四は『詩 篇 』(聖詠 ) - 第十五は『
箴言 』 第十六は『傳道書 』 第十七は『雅歌 』 - 第十八は『
以賽亜 書 』 第十九は『耶利米亜 記 』 第二十は『以西結 書 』 - 第廿一は『
但以理 書 』 第廿二は残余 の十二預 言書 (即 ち『何西亜 』、『約耳 』、『亜摩士 』、『阿巴底亜 』、『約拿 』、『米迦 』、『拿翁 』、『哈巴谷 』、『西番雅 』、『哈基 』、『撤加利亜 』、『馬拉基 』)
- 第一 『
問 旧約聖書の
- 答
此 等 は不 入 典書 と申 しまして教会で聖書 の内 に加 えないので御座 います。
問
- 答
否 、読 んだって少 しも差 支 は御座 いません許 りでなく大 に利益 になる書 で御座 います、只 だ其書方 が少 し偏 って居 ますので余 り教 の解 らぬ方 がお読 みになると色々 な惑 を起 す様 なことになりますので、正教会では其書物 を聖書 の内 に加 へないので御座 います、けれども決 して読 んで悪 い書物 では無 いので御座 います。
問 『旧約聖書』は
- 答
出来 ますとも、通例 は法律書 、歴 史 書 、教訓 書 、預 言書 の四つに区 分 致 すので御座 います。
問
- 答
其 はモイセイが著 しました五 の書 で、『創世 記 』と『エギペトを出 る記 』と『利未 記 』と『民数 記 』と『申命 記 』が其 で御座 います。
問
- 答
創世 記 の中 には此 私 共 の住 っている世 界 は何 う謂 ふ塩梅 に出来 たもので有 りますか、人間 は一体 誰 の作 った者 で有 りますか。一番 初 の人間 は何処 に居 て、何 う謂 ふ事 をしましたか、其 う謂 ふ事 が詳 しく書 かれて有 ります書物 で其書物 を読 みますれば、人間 が猿 や何 かの変 化 した者 でなく、神様 のお手 になった立派 な物 で有 ると謂 ふ事 が明瞭 と解 るので御座 います。
問
- 答
其 の四 の書物 の内 にはモイセイの時 代 の色々 な立派 な利益 になるやうなお話 と、神様 がモイセイにお授 けになった尊 い法律 が書 いて有 るので御座 います。
問 旧約聖書の
- 答 『
約書亜 記 』と『士師記 』と『路得 記 』と『列王 記 』と『歴代 志 略 』と『以士喇 書 』と『尼希米亜 記 』と『以士帖 書 』で御座 います。
問
- 答 『
約百 記 』と『詩 篇 』と『箴言 』と『傳道書 』と『雅歌 』とで御座 います。
問
- 答
左 様 で御座 います、詩 篇 は又 聖詠 とも申 しましてダビト王が神様 を讃 め揚 げ、自 分 の罪 を神 の前 に訴 へて神様 のお赦 を得 るが為 に作 った歌 で御座 いますので、其内 には預 言 も御座 いますれば、或 歴 史 も含 んで居 ります。兎 に角 、今日 も教会で祈 祷 の歌 に其 を用 いて居 る程 大切 な書物 で御座 います。
問
- 答
其 は『以賽亜 の書 』に『耶利米亜 の書 』に『以西結 の書 』に『但以理 の書 』に残 の十二預 言者 の書 で御座 います。
問 新約聖書は
- 答
皆 で廿七 巻 御座 います。
問
- 答
其 は馬太 、馬可 、路加 、約翰 の四 の書 で此 四 書 を福音書 と申 して居 るので御座 います。
問
- 答
福音 とは『喜 しい便 』と申 しまする意味 で、畢竟 私 共 人間 の尤 も喜 ぶべき神 の子 イイスス ハリストスの地 上 にお降 りになった事 から、其 地 上 のお住 ひの有様 、其 御 教 、十 字架 の上 のお苦 のこと、復活 及 び天 にお昇 りになったまでの事 が記 して有 りまするので、是 は福音書 と申 すので御座 います。
問 新約聖書の
- 答
御座 いますとも、『聖 使徒 行 実 』が其 で御座 います。
問
- 答 ハリストスのお
弟子 等 のなされた事 を書 いたもので、聖神 のお惠 が、お弟子等 に降 った事 からハリストスの教 が何 う謂 ふ塩梅 にして世 界 に弘 がったか、其事柄 が書 いて有 るので御座 います。
問 新約聖書の
御座 いますとも、七 の公 書 即 ちヤコフの書 一冊、ペトルの書 二冊、イオアンの書 三冊、イウダの書 一冊、使徒パエルの書 十四冊 が其 れで御座 います。
問
有 りますとも、イオアンの『黙 示 録 』と謂 ふのが其 で御座 います。
問 『
問
- 答
否 、御座 います、先 づ第一番には聖書 と申 すものは神様 のお言 葉 を書 いたもので御座 いまするから其 を読 みまする時 には、謹 みの心 を以 て読 まねばなりませぬ、第二番には聖書 を読 む人 は無我夢 中 に世 の中 の小 説 本 でも読 むやうな気 で其書 を読 んではなりませぬ、必 ず聖書 を読 みまする時 には聖書 の中 から自 分 の利益 になるやうな事 を見 出 して自 分 の徳 を高 めやうと謂 ふ心 を以 て読 まねばなりませぬ、第三番目には聖書 の文 句 を解釈 しまする心 得 で御座 いまするは、聖書 の文 句 を解釈 しまするには必 ず、正教会に於 て尊 ぶ所 の聖人 又 は義 人 の解釈 したる所 と今 の正教会が教 ふる所 の解釈 に従 って聖書 の文 句 の意味 を釈 き明 さねばなりませぬ、何故 かと申 しますれば、若 し聖書 を解釈 しまするに其様 な人方 の教 に従 はず自分 勝手 に其 文 句 を釈 き明 しまするなれば、其 解釈 あかしは全 く人毎 に異 って、自分 勝手 な解釈 になって誠 の意味 を失 って了 まうので御座 います。
問
- 答
有 りますとも其 第一の証 拠 は教会の教 が人 の考 へることの到底 も出来 ない尤 も気 高 い教 で有 りますることです。第二は其 教 の内 に預 言 の有 ることで御座 います。第三は教会に奇 跡 の有 ることで御座 います。第四は教会の教 が非 常 に人 の心 に感動 を與 へますることで有 りまして此 の如 き感動 は到底 も人 の作 った教 には無 いことなので御座 います。
問
- 答
其 には例 を挙 げて申 しますれば能 く解 りますが、預 言者 の一人 で有 りまするイサイヤはハリストスの此 世 にお生 れになる殆 ど千年前 にハリストスが夫 なき処女 より生 るると謂 ふことを聖書 の内 に明 かに預 言 して居 ります、斯 様 なことは到底 も人間 が幾 ら考 へたって解 るものでは有 りません、此 は確 かに神様 のお告 で、其 預 言者 の言 葉 が又 全 く事 実 になったのも神様 の御 心 で有 ります、此 一 の事 でも私 共 の聖書 及 び教 の誠 に神様 のお告 で有 ると謂 ふことは明 かで御座 います。
問
- 答
奇 跡 と申 しますることは人 が如何 に為 やうと思 っても出来 ないことで、唯 神様 のお力 ばかりで出来 る事 を申 すので御座 います、例令 へて申 しますれば、死 んだ人 を復生 する事 とか病 人 が直 に壮健 な人 になるとか謂 ふ様 なことで御座 います。
問
- 答
前 にも申 しました通 り、奇 跡 と申 しまするものは神様 の力 ばかりで出来 ますもので、人 の力 では出来 ないもので御座 いまするから若 し茲 に奇 跡 を行 ふ人 が有 ったとしまするならば其人 は必 ず神様 のお力 を藉 りて行 ったに違 ひないので御座 います、若 し其人 が神様 のお力 を藉 りて奇 跡 を行 ふなれば其人 は必 ず神様 に悦 れて居 る人 でなければなりませぬし、其人 が神様 に悦 れて居 る人 ならば、其人 は正 しい人 で、其人 の言 った事 の正 しいのは当 り前 の事 で御座 います。我 等 の主 なるイイスス ハリストスも、御 自 分 の行 はれし奇 跡 を以 て己 の教 の正 しい証 拠 で有 ると謂 はれました事 が御座 います『父 の我 に與 へて為 さしむる事 (奇 跡 )は………父 の我 を遣 はしし事 を證 す』(イオアン五の三十六)と、此 お言 葉 によりましても奇 跡 が教会の教 の正 しい証 拠 となりますることは明 かで御座 います。
問 正教会の
- 答
其 勢力 は歴 史 を見 ますれば明 に解 ります、初 めて教会の教 をハリストスから聞 いて其 を人 に傳 へた者 はガレリヤの湖 辺 の漁 師 で御座 いました、然 るに此 漁 師 のやうな賤 しい人 の口 によって傳 へられた此 教 が、忽 ちの内 に世 界 に弘 り今日 では世 界 の大学者 も、世 界 の大 富 豪 も、皇 帝 も又 下 っては百 姓 も商 人 も皆 其 教 を真面目 に信 じて居 る所 を見 ますれば、此 教 が何 の位 人 に勢力 を持 て居 ると謂 ふことは自 ら明 かでは御座 いませんか。
通俗正教教話上巻(入門)終