使徒行傳(文語訳)

<文語訳新約聖書

w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:大正改訳聖書

使徒行傳

第1章

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テオピロよ、我さきに前の書をつくりて、凡そイエスの行ひはじめ教へはじめ給ひしより、

その選び給へる使徒たちに、聖靈によりて命じたるのち、擧げられ給ひし日に至るまでの事を記せり。

イエスは苦難をうけしのち、多くの慥なる證をもて、己の活きたることを使徒たちに示し、四十日の間、しばしば彼らに現れて、神の國のことを語り、

また彼等とともに集りゐて命じたまふ『エルサレムを離れずして、我より聞きし父の約束を待て。

ヨハネは水にてバプテスマを施ししが、汝らは日ならずして聖靈にてバプテスマを施されん』

弟子たち集れるとき問ひて言ふ『主よ、イスラエルの國を囘復し給ふは此の時なるか』

イエス言ひたまふ『時また期は父おのれの權威のうちに置き給へば、汝らの知るべきにあらず。

然れど聖靈なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力をうけん、而してエルサレム、ユダヤ全國、サマリヤ、及び地の極にまで我が證人とならん』

此等のことを言ひ終りて、彼らの見るがうちに擧げられ給ふ。雲これを受けて見えざらしめたり。

その昇りゆき給ふとき、彼ら天に目を注ぎゐたりしに、視よ、白き衣を著たる二人の人かたはらに立ちて言ふ、

『ガリラヤの人々よ、何ゆゑ天を仰ぎて立つか、汝らを離れて天に擧げられ給ひし此のイエスは、汝らが天に昇りゆくを見たるその如く復きたり給はん』

ここに彼等オリブといふ山よりエルサレムに歸る。この山はエルサレムに近く、安息日の道程なり。

既に入りてその留りをる高樓に登る。ペテロ、ヨハネ、ヤコブ及びアンデレ、ピリポ及びトマス、バルトロマイ及びマタイ、アルパヨの子ヤコブ、熱心黨のシモン及びヤコブの子ユダなり。

この人々はみな女たち及びイエスの母マリヤ、イエスの兄弟たちと共に、心を一つにして只管いのりを務めゐたり。

その頃ペテロ、百二十名ばかり共に集りて群をなせる兄弟たちの中に立ちて言ふ、

『兄弟たちよ、イエスを捕ふる者どもの手引となりしユダにつきて、聖靈ダビデの口によりて預じめ言ひ給ひし聖書は、かならず成就せざるを得ざりしなり。

彼は我らの中に數へられ、此の務に與りたればなり。

(この人は、かの不義の價をもて地所を得、また俯伏に墜ちて直中より裂けて臓腑みな流れ出でたり。

この事エルサレムに住む凡ての人に知られて、その地所は國語にてアケルダマと稱へらる、血の地所との義なり)

それは詩篇に録して

「彼の住處は荒れ果てよ、
人その中に住はざれ」と云ひ、

又「その職はほかの人に得させよ」と云ひたり。

然れば主イエス我等のうちに往來し給ひし間、

即ちヨハネのバプテスマより始り、我らを離れて擧げられ給ひし日に至るまで、常に我らと偕に在りし此の人々のうち一人、われらと共に主の復活の證人となるべきなり』

ここにバルサバと稱へられ、またの名をユストと呼ばるるヨセフ及びマツテヤの二人をあげ、

祈りて言ふ『凡ての人の心を知りたまふ主よ、ユダ己が所に往かんとて此の務と使徒の職とより墮ちたれば、その後を繼がするに、此の二人のうち孰を選び給ふか示したまへ』

かくて鬮せしに、鬮はマツテヤに當りたれば、彼は十一の使徒に加へられたり。

第2章

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五旬節の日となり、彼らみな一處に集ひ居りしに、

烈しき風の吹ききたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に滿ち、

また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人の上にとどまる。

彼らみな聖靈にて滿され、御靈の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。

時に敬虔なるユダヤ人ら、天下の國々より來りてエルサレムに住み居りしが、

この音おこりたれば群衆あつまり來り、おのおの己が國語にて使徒たちの語るを聞きて騷ぎ合ひ、

かつ驚き怪しみて言ふ『視よ、この語る者は皆ガリラヤ人ならずや、

如何にして我等おのおのの生れし國の言をきくか。

我等はパルテヤ人、メヂヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポント、アジヤ、

フルギヤ、パンフリヤ、エジプト、リビヤのクレネに近き地方などに住む者、ロマよりの旅人――ユダヤ人および改宗者――

クレテ人およびアラビヤ人なるに、我が國語にて彼らが神の大なる御業をかたるを聞かんとは』

みな驚き惑ひて互に言ふ『これ何事ぞ』

或者どもは嘲りて言ふ『かれらは甘き葡萄酒にて滿されたり』

ここにペテロ十一の使徒とともに立ち、聲を揚げ宣べて言ふ『ユダヤの人々および凡てエルサレムに住める者よ、汝等わが言に耳を傾けて、この事を知れ。

今は朝の九時なれば、汝らの思ふごとく彼らは醉ひたるに非ず、

これは預言者ヨエルによりて言はれたる所なり。

「神いひ給はく、末の世に至りて、

我が靈を凡ての人に注がん。:汝らの子女は預言し、
汝らの若者は幻影を見、
なんぢらの老人は夢を見るべし。

その世に至りて、わが僕・婢女に

わが靈を注がん、彼らは預言すべし。

われ上は天に不思議を、

下は地に徴をあらはさん、
即ち血と火と煙の氣とあるべし。

主の大なる顯著しき日のきたる前に、

日は闇に月は血に變らん。

すべて主の御名を呼び頼む者は救はれん」

イスラエルの人々よ、これらの言を聽け。ナザレのイエスは、汝らの知るごとく、神かれに由りて汝らの中に行ひ給ひし能力ある業と不思議と徴とをもて、汝らに證し給へる人なり。

この人は神の定め給ひし御旨と、預じめ知り給ふ所とによりて付されしが、汝ら不法の人の手をもて釘磔にして殺せり。

然れど神は死の苦難を解きて之を甦へらせ給へり。彼は死に繋がれをるべき者ならざりしなり。

ダビデ彼につきて言ふ

「われ常に我が前に主を見たり、
我が動かされぬ爲に我が右に在せばなり。

この故に我が心は樂しみ、我が舌は喜べり、

かつ我が肉體もまた望の中に宿らん。

汝わが靈魂を黄泉に棄て置かず、

汝の聖者の朽果つることを許し給はざればなり。

汝は生命の道を我に示し給へり、

御顏の前にて我に勸喜を滿し給はん」

兄弟たちよ、先祖ダビデに就きて、われ憚らず汝らに言ふを得べし、彼は死にて葬られ、その墓は今日に至るまで我らの中にあり。

即ち彼は預言者にして、己の身より出づる者をおのれの座位に坐せしむることを、誓をもて神の約し給ひしを知り、

先見して、キリストの復活に就きて語り、その黄泉に棄て置かれず、その肉體の朽果てぬことを言へるなり。

神はこのイエスを甦へらせ給へり、我らは皆その證人なり。

イエスは神の右に擧げられ、約束の聖靈を父より受けて、汝らの見聞する此のものを注ぎ給ひしなり。

それダビデは天に昇りしことなし、然れど自ら言ふ

「主わが主に言ひ給ふ、

我なんぢの敵を汝の足臺となすまでは、

わが右に坐せよ」と。

然ればイスラエルの全家は確と知るべきなり。汝らが十字架に釘けし此のイエスを、神は立てて主となし、キリストとなし給へり』

人々これを聞きて心を刺され、ペテロと他の使徒たちとに言ふ『兄弟たちよ、我ら何をなすべきか』

ペテロ答ふ『なんぢら悔改めて、おのおの罪の赦を得んために、イエス・キリストの名によりてバプテスマを受けよ、然らば聖靈の賜物を受けん。

この約束は汝らと汝らの子らと、凡ての遠き者すなはち主なる我らの神の召し給ふ者とに屬くなり』

この他なほ多くの言をもて證し、かつ勸めて『この曲れる代より救ひ出されよ』と言へり。

かくてペテロの言を聽納れし者はバプテスマを受く。この日、弟子に加はりたる者、おほよそ三千人なり。

彼らは使徒たちの教を受け、交際をなし、パンを擘き、祈祷をなすことを只管つとむ。

ここに人みな敬畏を生じ、多くの不思議と徴とは使徒たちに由りて行はれたり。

信じたる者はみな偕に居りて諸般の物を共にし、

資産と所有とを賣り、各人の用に從ひて分け與へ、

日々、心を一つにして弛みなく宮に居り、家にてパンをさき、勸喜と眞心とをもて食事をなし、

神を讃美して一般の民に悦ばる。かくて主は救はるる者を日々かれらの中に加へ給へり。

第3章

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晝の三時いのりの時に、ペテロとヨハネと宮に上りしが、

ここに生れながらの跛者かかれて來る。宮に入る人より施濟を乞ふために、日々宮の美麗といふ門に置かるるなり。

ペテロとヨハネとの宮に入らんとするを見て施濟を乞ひたれば、

ペテロ、ヨハネと共に目を注めて『我らを見よ』と言ふ。

かれ何をか受くるならんと、彼らを見つめたるに、

ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』

乃ち右の手を執りて起ししに、足の甲と踝骨とたちどころに強くなりて、

躍り立ち歩み出して、且あゆみ且をどり、神を讃美しつつ彼らと共に宮に入れり。

民みな其の歩み、また神を讃美するを見て、

彼が前に乞食にて宮の美麗門に坐しゐたるを知れば、この起りし事に就きて驚駭と奇異とに充ちたり。

かくて彼がペテロとヨハネとに取りすがり居るほどに、民みな甚だしく驚きてソロモンの廊と稱ふる廊に馳せつどふ。

ペテロこれを見て民に答ふ『イスラエルの人々よ、何ぞ此の事を怪しむか、何ぞ我らが己の能力と敬虔とによりて此の人を歩ませしごとく、我らを見つむるか。

アブラハム、イサク、ヤコブの神、われらの先祖の神は、その僕イエスに榮光あらしめ給へり。汝等このイエスを付し、ピラトの之を釋さんと定めしを、其の前にて否みたり。

汝らは、この聖者・義人を否みて、殺人者を釋さんことを求め、

生命の君を殺したれど、神はこれを死人の中より甦へらせ給へり、我らは其の證人なり。

斯くてその御名を信ずるに因りてその御名は、汝らの見るところ識るところの此の人を健くしたり。イエスによる信仰は、汝等もろもろの前にて斯かる全癒を得させたり。

兄弟よ、われ知る、汝らが、かの事を爲ししは知らぬに因りてなり。汝らの司たちも亦然り。

然れど神は凡ての預言者の口をもて、キリストの苦難を受くべきことを預じめ告げ給ひしを、斯くは成就し給ひしなり。

然れば汝ら罪を消されん爲に、悔改めて心を轉ぜよ。

これ主の御前より慰安の時きたり、汝らの爲に預じめ定め給へるキリスト・イエスを遣し給はんとてなり。

古へより神が、その聖なる預言者の口によりて語り給ひし、萬物の革まる時まで、天は必ずイエスを受けおくべし。

モーセ云へらく「主なる神は汝らの兄弟の中より我がごとき預言者を起し給はん。その語る所のことは汝等ことごとく聽くべし。

凡てこの預言者に聽かぬ者は民の中より滅し盡さるべし」

又サムエル以來かたりし預言者も、皆この時につきて宣傳へたり。

汝らは預言者たちの子孫なり、又なんぢらの先祖たちに神の立て給ひし契約の子孫なり、即ち神アブラハムに告げ給はく「なんぢの裔によりて地の諸族はみな祝福せらるべし」

神はその僕を甦へらせ、まづ汝らに遣し給へり、これ汝ら各人を、その罪より呼びかへして祝福せん爲なり』

第4章

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かれら民に語り居るとき、祭司ら・宮守頭およびサドカイ人ら近づき來りて、

その民を教へ、又イエスの事を引きて死人の中よりの復活を宣ぶるを憂ひ、

手をかけて之を捕へしに、はや夕になりたれば、明くる日まで留置場に入れたり。

然れど、その言を聽きたる人々の中にも信ぜし者おほくありて、男の數おほよそ五千人となりたり。

明くる日、司・長老・學者らエルサレムに會し、

大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル及び大祭司の一族みな集ひて、

その中にかの二人を立てて問ふ『如何なる能力いかなる名によりて此の事を行ひしぞ』

この時ペテロ聖靈にて滿され、彼らに言ふ『民の司たち及び長老たちよ、

我らが病める者になしし善き業に就き、その如何にして救はれしかを今日もし訊さるるならば、

汝ら一同およびイスラエルの民みな知れ、この人の健かになりて汝らの前に立つは、ナザレのイエス・キリスト、即ち汝らが十字架に釘け、神が死人の中より甦へらせ給ひし者の名に頼ることを。

このイエスは汝ら造家者に輕しめられし石にして、隅の首石となりたるなり。

他の者によりては救を得ることなし、天の下には我らの頼りて救はるべき他の名を、人に賜ひし事なければなり』

彼らはペテロとヨハネとの臆することなきを見、その無學の凡人なるを知りたれば、之を怪しみ、且そのイエスと偕にありし事を認む。

また醫されたる人の之とともに立つを見るによりて、更に言ひ消す辭なし。

ここに、命じて彼らを衆議所より退け、相共に議りて言ふ、

『この人々を如何にすべきぞ。彼等によりて顯著しき徴の行はれし事は、凡てエルサレムに住む者に知られ、我ら之を否むこと能はねばなり。

然れど愈々ひろく民の中に言ひ弘らぬやうに、彼らを脅かして、今より後かの名によりて誰にも語る事なからしめん』

乃ち彼らを呼び、一切イエスの名によりて語り、また教へざらんことを命じたり。

ペテロとヨハネと答へていふ『神に聽くよりも汝らに聽くは、神の御前に正しきか、汝ら之を審け。

我らは見しこと聽きしことを語らざるを得ず』

民みな此の有りし事に就きて神を崇めたれば、彼らを罰するに由なく、更にまた脅かして釋せり。

かの徴によりて醫されし人は四十歳餘なりしなり。

彼ら釋されて、その友の許にゆき、祭司長・長老らの言ひし凡てのことを告げたれば、

之を聞きて皆心を一つにし、神に對ひ、聲を揚げて言ふ『主よ、汝は天と地と海と、其の中のあらゆる物とを造り給へり。

曾て聖靈によりて、汝の僕われらの先祖ダビデでの口をもて

「何ゆゑ異邦人は騷ぎ立ち、
民らは空しき事を謀るぞ。

世の王たちは共に立ち、

司らは一つにあつまりて、
主および其のキリストに逆ふ」と宣給へり。

果してヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人およびイスラエルの民等とともに、汝の油そそぎ給ひし聖なる僕イエスに逆ひて、此の都にあつまり、

御手と御旨とにて、斯く成るべしと預じめ定め給ひし事をなせり。

主よ、今かれらの脅喝を御覽し、僕らに御言を聊かも臆することなく語らせ、

御手をのべて醫を施させ、汝の聖なる僕イエスの名によりて、徴と不思議とを行はせ給へ』

祈り終へしとき、其の集りをる處ふるひ動き、みな聖靈にて滿され、臆することなく神の御言を語れり。

信じたる者の群は、おなじ心おなじ思となり、誰一人その所有を己が者と謂はず、凡ての物を共にせり。

かくて使徒たちは大なる能力をもて、主イエスの復活の證をなし、みな大なる恩惠を蒙りたり。

彼らの中には一人の乏しき者もなかりき。これ地所あるいは家屋を有てる者、これを賣り、その賣りたる物の價を持ち來りて、

使徒たちの足下に置きしを、各人その用に隨ひて分け與へられたればなり。

ここにクプロに生れたるレビ人にて、使徒たちにバルナバ(釋けば慰籍の子)と稱へらるるヨセフ、

畑ありしを賣りて其の金を持ちきたり、使徒たちの足下に置けり。

第5章

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然るにアナニヤと云ふ人、その妻サツピラと共に資産を賣り、

その價の幾分を匿しおき、殘る幾分を持ちきたりて使徒たちの足下に置きしが、妻も之を與れり。

ここにペテロ言ふ『アナニヤよ、何故なんぢの心サタンに滿ち、聖靈に對し詐りて、地所の價の幾分を匿したるぞ。

有りし時は汝の物なり、賣りて後も汝の權の内にあるに非ずや、何とて斯ることを心に企てし。なんぢ人に對してにあらず、神に對して詐りしなり』

アナニヤこの言をきき、倒れて息絶ゆ。これを聞く者みな大なる懼を懷く。

若者ども立ちて彼を包み、舁き出して葬れり。

凡そ三時間を經て、その妻この有りし事を知らずして入り來りしに、

ペテロ之に向ひて言ふ『なんぢら此程の價にてかの地所を賣りしか、我に告げよ』女いふ『然り、此程なり』

ペテロ言ふ『なんぢら何ぞ心を合せて主の御靈を試みんとせしか、視よ、なんぢの夫を葬りし者の足は門口にあり、汝をもまた舁き出すべし』

をんな立刻にペテロの足下に倒れて息絶ゆ。若者ども入り來りて、その死にたるを見、これを舁き出して夫の傍らに葬れり。

ここに全教會および此等のことを聞く者みな大なる懼を懷けり。

使徒たちの手によりて多くの徴と不思議と民の中に行はれたり。彼等はみな心を一つにして、ソロモンの廊にあり。

他の者どもは敢へて近づかず、民は彼らを崇めたり。

信ずるもの男女とも増々おほく主に屬けり。

終には人々、病める者を大路に舁ききたり、寢臺または床の上におく。此等のうち誰にもせよ、ペテロの過ぎん時、その影になりと庇はれんとてなり。

又エルサレムの周圍の町々より多くの人々、病める者・穢れし靈に惱されたる者を携へきたりて集ひたりしが、みな醫されたり。

ここに大祭司および之と偕なる者、即ちサドカイ派の人々、みな嫉に滿されて立ち、

使徒たちに手をかけて之を留置場に入る。

然るに主の使、夜、獄の戸をひらき、彼らを連れ出して言ふ、

『往きて宮に立ち、この生命の言をことごとく民に語れ』

かれら之を聞き、夜明がた宮に入りて教ふ。大祭司および之と偕なる者ども集ひきたりて、議會とイスラエル人の元老とを呼びあつめ、使徒たちを曳き來らせんとて人を牢舍に遣したり。

下役ども往きしに、獄のうちに彼らの居らぬを見て、歸りきたり告げて言ふ、

『われら牢舍の堅く閉ぢられて、戸の前に牢番の立ちたるを見しに、開きて見れば、内には誰も居らざりき』

宮守頭および祭司長らこの言を聞きて、如何になりゆくべきかと惑ひいたるに、

或人きたり告げて言ふ『視よ、汝らの獄に入れし人は、宮に立ちて民を教へ居るなり』

ここに宮守頭、下役を伴ひて出でゆき、彼らを曳き來る。されど手暴きことをせざりき、これ民より石にて打たれんことを恐れたるなり。

彼らを連れ來りて議會の中に立てたれば、大祭司問ひて言ふ、

『我等かの名によりて教ふることを堅く禁ぜしに、視よ、汝らは其の教をエルサレムに滿し、かの人の血を我らに負はせんとす』

ペテロ及び他の使徒たち答へて言ふ『人に從はんよりは神に從ふべきなり。

我らの先祖の神はイエスを起し給ひしに、汝らは之を木に懸けて殺したり。

神は彼を君とし救主として己が右にあげ、悔改と罪の赦とをイスラエルに與へしめ給ふ。

我らは此の事の證人なり。神のおのれに從ふ者に賜ふ聖靈もまた然り』

かれら之をききて怒に滿ち、使徒たちを殺さんと思へり。

然るにパリサイ人にて凡ての民に尊ばるる教法學者ガマリエルと云ふもの、議會の中に立ち、命じて使徒たちを暫く外に出さしめ、議員らに向ひて言ふ、

『イスラエルの人よ、汝らが此の人々に爲さんとする事につきて心せよ。

前にチウダ起りて、自ら大なりと稱し、之に附隨ふ者の數おほよそ四百人なりしが、彼は殺され、從へる者はみな散されて跡なきに至れり。

そののち戸籍登録のときガリラヤのユダ起りて、多くの民を誘ひおのれに從はしめしが、彼も亡び從へる者もことごとく散されたり。

然れば今なんぢらに言ふ、この人々より離れて、その爲すに任せよ。若しその企圖その所作、人より出でたらんにはおのづから壞れん。

もし神より出でたらんには彼らを壞ること能はず、恐らくは汝ら神に敵する者とならん』

彼等その勸告にしたがひ、遂に使徒たちを呼び出して之を鞭うち、イエスの名によりて語ることを堅く禁じて釋せり。

使徒たちは御名のために辱しめらるるに相應しき者とせられたるを喜びつつ、議員らの前を出で去れり。

かくて日毎に宮また家にて教をなし、イエスのキリストなる事を宣傳へて止まざりき。

第6章

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そのころ弟子のかず増加はり、ギリシヤ語のユダヤ人、その寡婦らが日々の施濟に漏されたれば、ヘブル語のユダヤ人に對して呟く事あり。

ここに十二使徒すべての弟子を呼び集めて言ふ『われら神の言を差措きて、食卓に事ふるは宣しからず。

然れば兄弟よ、汝らの中より御靈と智慧とにて滿ちたる令聞ある者七人を見出せ、それに此の事を掌どらせん。

我らは專ら祈をなすことと、御言に事ふることとを務めん』

集れる凡ての者この言を善しとし、信仰と聖靈とにて滿ちたるステパノ及びピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、またアンテオケの改宗者ニコラオを選びて、

使徒たちの前に立てたれば、使徒たち祈りて手をその上に按けり。

かくて神の言ますます弘り、弟子の數エルサレムにて甚だ多くなり、祭司の中にも信仰の道に從へるもの多かりき。

さてステパノは恩惠と能力とにて滿ち、民の中に大なる不思議と徴とを行へり。

ここに世に稱ふるリベルテンの會堂およびクレネ人、アレキサンデリヤ人、またキリキヤとアジヤとの人の諸會堂より、人々起ちてステパノと論ぜしが、

その語るところの智慧と御靈とに敵すること能はず。

乃ち或者どもを唆かして『我らはステパノが、モーセと神とを瀆す言をいふを聞けり』と言はしめ、

民および長老・學者らを煽動し、俄に來りてステパノを捕へ、議會に曳きゆき、

僞證者を立てて言はしむ『この人はこの聖なる所と律法とに逆ふ言を語りて止まず、

即ち、かのナザレのイエスは此の所を毀ち、かつモーセの傳へし例を變ふべしと、彼が云へるを聞けり』と。

ここに議會に坐したる者みな目を注ぎてステパノを見しに、その顏は御使の顏の如くなりき。

第7章

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かくて大祭司いふ『此等のこと果してかくの如きか』

ステパノ言ふ

『兄弟たち親たちよ、聽け、我らの先祖アブラハム未だカランに住まずして尚メソポタミヤに居りしとき、榮光の神あらはれて、

「なんぢの土地、なんぢの親族を離れて、我が示さんとする地に往け」と言ひ給へり。

ここにカルデヤの地に出でてカランに住みたりしが、その父の死にしのち、神は彼を彼處より汝らの今住める此の地に移らしめ、

此處にて足、蹈立つる程の地をも嗣業に與へ給はざりき。然るに、その地を未だ子なかりし彼と彼の裔とに所有として與へんと約し給へり。

神また其の裔は他の國に寄寓人となり、その國人は之を四百年のあひだ奴隷となして苦しめん事を告げ給へり。

神いひ給ふ「われは彼らを奴隷とする國人を審かん、然るのち彼等その國を出で、この處にて我に事へん」

神また割禮の契約をアブラハムに與へ給ひたれば、イサクを生みて八日めに之に割禮を行へり。イサクはヤコブを、ヤコブは十二の先祖を生めり。

先祖たちヨセフを嫉みてエジプトに賣りしに、神は彼と偕に在して、

凡ての患難より之を救ひ出し、エジプトの王パロの前にて寵愛を得させ、また智慧を與へ給ひたれば、パロ之を立ててエジプトと己が全家との宰となせり。

時にエジプトとカナンの全地とに飢饉ありて大なる患難おこり、我らの先祖たち糧を求め得ざりしが、

ヤコブ、エジプトに穀物あるを聞きて、先づ我らの先祖たちを遣す。

二度めの時ヨセフその兄弟たちに知られ、ヨセフの氏族パロに明かになれり。

ヨセフ言ひ遣して己が父ヤコブと凡ての親族と七十五人を招きたれば、

ヤコブ、エジプトに下り、彼處にて己も我らの先祖たちも死にたり。

彼等シケムに送られ、曾てアブラハムがシケムにてハモルの子等より銀をもて買ひ置きし墓に葬られたり。

かくて神のアブラハムに語り給ひし約束の時近づくに隨ひて、民はエジプトに蕃えひろがり、

ヨセフを知らぬ他の王、エジプトに起るに及べり。

王は惡計をもて我らの同族にあたり、我らの先祖たちを苦しめて、其の嬰兒の生存ふる事なからんやう、之を棄つるに至らしめたり。

その頃モーセ生れて甚うるはしくして三月のあいだ父の家に育てられ、

遂に棄てられしを、パロの娘ひき上げて己が子として育てたり。

かくてモーセはエジプト人の凡ての學術を教へられ、言と業とに能力あり。

年齡四十になりたる時、おのが兄弟たるイスラエルの子孫を顧みる心おこり、

一人の害はるるを見て之を護り、エジプト人を撃ちて、虐げらるる者の仇を復せり。

彼は己の手によりて神が救を與へんとし給ふことを、兄弟たち悟りしならんと思ひたるに、悟らざりき。

翌日かれらの相爭ふところに現れて和睦を勸めて言ふ「人々よ、汝らは兄弟なるに、何ぞ互に害ふか」

隣を害ふ者モーセを押退けて言ふ「誰が汝を立てて我らの司また審判人とせしぞ、

昨日エジプト人を殺したる如く、我をも殺さんとするか」

この言により、モーセ遁れてミデアンの地の寄寓人となり、彼處にて二人の子を儲けたり。

四十年を歴て後シナイ山の荒野にて、御使、柴の焔のなかに現れたれば、

モーセ之を見て視るところを怪しみ、認めんとして近づきしとき、主の聲あり。曰く、

「我は汝の先祖たちの神、即ちアブラハム、イサク、ヤコブの神なり」モーセ戰慄き敢へて認むることを爲ず。

主いひ給ふ「なんぢの足の鞋を脱げ、なんぢの立つところは聖なる地なり。

我エジプトに居る我が民の苦難を見、その歎息をききて之を救はん爲に降れり。いで我なんぢをエジプトに遣さん」

斯く彼らが「誰が汝を立てて司また審判人とせしぞ」と言ひて拒みし此のモーセを、神は柴のなかに現れたる御使の手により、司また救人として遣し給へり。

この人かれらを導き出し、エジプトの地にても、また紅海および四十年のあひだ荒野にても、不思議と徴とを行ひたり。

イスラエルの子らに「神は汝らの兄弟の中より、我がごとき預言者を起し給はん」と云ひしは此のモーセなり。

彼はシナイ山にて語りし御使および我らの先祖たちと偕に荒野なる集會に在りて汝らに與へん爲に生ける御言を授りし人なり。

然るに我らの先祖たちは此の人に從ふことを好まず、反つて之を押退け、その心エジプトに還りて、

アロンに言ふ「我らに先だち往くべき神々を造れ、我らをエジプトの地より導き出しし、かのモーセの如何になりしかを知らざればなり」

その頃かれら犢を造り、その偶像に犧牲をささげて己が手の所作を喜べり。

爰に神は彼らを離れ、その天の軍勢に事ふるに任せ給へり。これは預言者たちの書に

「イスラエルの家よ、なんぢら
荒野にて四十年の間、
屠りし畜と犧牲とを我に献げしや。

汝らは拜せんとして造れる像、

すなはちモロクの幕屋と
神ロンパの星とを舁きたり。:われ汝らをバビロンの彼方に移さん」と録されたるが如し。

我らの先祖たちは荒野にて證の幕屋を有てり、モーセに語り給ひし者の、彼が見し式に循ひて造れと命じ給ひしままなり。

我らの先祖たちは之を承け繼ぎ、先祖たちの前より神の逐ひいだし給ひし異邦人の領地を收めし時、ヨシユアとともに携へ來りてダビデの日に及べり。

ダビデ神の前に恩惠を得て、ヤコブの神のために住處を設けんと求めたり。

而して、その家を建てたるはソロモンなりき。

されど至高者は手にて造れる所に住み給はず、即ち預言者の

「主のたまはく、天は我が座位、
地は我が足臺なり。:汝等わが爲に如何なる家をか建てん、
わが休息のところは何處なるぞ。

わが手は凡て此等の物を造りしにあらずや」と云へるが如し。

項強くして心と耳とに割禮なき者よ、汝らは常に聖靈に逆ふ、その先祖たちの如く汝らも然り。

汝らの先祖たちは預言者のうちの誰をか迫害せざりし。彼らは義人の來るを預じめ告げし者を殺し、汝らは今この義人を賣り、かつ殺す者となれり。

なんぢら、御使たちの傳へし律法を受けて、尚これを守らざりき』

人々これらの言を聞きて、心いかりに滿ち切齒しつつステパノに向ふ。

ステパノは聖靈にて滿ち、天に目を注ぎ、神の榮光およびイエスの神の右に立ちたまふを見て言ふ、

『視よ、われ天開けて人の子の神の右に立ち給ふを見る』

ここに彼ら大聲に叫びつつ、耳を掩ひ心を一つにして驅け寄り、

ステパノを町より逐ひいだし、石にて撃てり。證人らその衣をサウロといふ若者の足下に置けり。

かくて彼等がステパノを石にて撃てるとき、ステパノ呼びて言ふ『主イエスよ、我が靈を受けたまへ』

また跪づきて大聲に『主よ、この罪を彼らの負はせ給ふな』と呼はる。斯く言ひて眠に就けり。

第8章

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サウロは彼の殺さるるを可しとせり。その日エルサレムに在る教會に對ひて大なる迫害おこり、使徒たちの他は皆ユダヤ及びサマリヤの地方に散さる。

敬虔なる人々ステパノを葬り、彼のために大に胸打てり。

サウロは教會をあらし、家々に入り男女を引出して獄に付せり。

ここに散されたる者ども歴巡りて御言を宣べしが、

ピリポはサマリヤの町に下りてキリストの事を傳ふ。

群衆ピリポの行ふ徴を見聞して、心を一つにし、謹みて其の語る事どもを聽けり。

これ多くの人より、之に憑きたる穢れし靈、大聲に叫びて出で、また中風の者と跛者と多く醫されたるに因る。

この故にその町に大なる勸喜おこれり。

ここにシモンといふ人あり、前にその町にて魔術を行ひ、サマリヤ人を驚かして自ら大なる者と稱へたり。

小より大に至る凡ての人つつしみて之に聽き『この人は、いわゆる神の大能なり』といふ。

かく謹みて聽けるは、久しき間その魔術に驚かされし故なり。

然るにピリポが、神の國とイエス・キリストの御名とに就きて宣傳ふるを人々信じたれば、男女ともにバプテスマを受く。

シモンも亦みづから信じ、バプテスマを受けて、常にピリポと偕に居り、その行ふ徴と、大なる能力とを見て驚けり。

エルサレムに居る使徒たちは、サマリヤ人、神の御言を受けたりと聞きて、ペテロとヨハネとを遣したれば、

彼ら下りて人々の聖靈を受けんことを祈れり。

これ主イエスの名によりてバプテスマを受けしのみにて、聖靈いまだ其の一人にだに降らざりしなり。

ここに二人のもの彼らの上に手を按きたれば、みな聖靈を受けたり。

使徒たちの按手によりて其の御靈を與へられしを見て、シモン金を持ち來りて言ふ、

『わが手を按くすべての人の聖靈を受くるやうに、此の權威を我にも與へよ』

ペテロ彼に言ふ『なんぢの銀は汝とともに亡ぶべし、なんぢ金をもて神の賜物を得んと思へばなり。

なんぢは此の事に關係なく干與なし、なんぢの心、神の前に正しからず。

然ればこの惡を悔改めて主に祈れ、なんぢが心の念あるひは赦されん。

我なんぢが苦き膽汁と不義の繋とに居るを見るなり』

シモン答へて言ふ『なんぢらの言ふ所のこと一つも我に來らぬやう、汝ら我がために主に祈れ』

かくて使徒たちは證をなし、主の御言を語りて後、サマリヤ人の多くの村に福音を宣傳へつつエルサレムに歸れり。

然るに主の使ピリポに語りて言ふ『なんぢ起ちて南に向ひエルサレムよりガザに下る道に往け。そこは荒野なり』

ピリポ起ちて往きたれば、視よ、エテオピヤの女王カンダケの權官にして、凡ての寳物を掌どる閹人エテオピヤ人あり、禮拜の爲にエルサレムに上りしが、

歸る途すがら馬車に坐して預言者イザヤの書を讀みゐたり。

御靈ピリポに言ひ給ふ『ゆきて此の馬車に近寄れ』

ピリポ走り寄りて、その預言者イザヤの書を讀むを聽きて言ふ『なんぢ其の讀むところを悟るか』

閹人いふ『導く者なくば、いかで悟り得ん』而してピリポに、乘りて共に坐せんことを請ふ。

その讀むところの聖書の文は是なり

『彼は羊の屠場に就くが如く曳かれ、
羔羊のその毛を剪る者のまへに默すがごとく
口を開かず。
卑しめられて審判を奪はれたり、
誰かその代の状を述べ得んや。:その生命地上より取られたればなり』

閹人こたへてピリポに言ふ『預言者は誰に就きて斯く云へるぞ、己に就きてか、人に就きてか、請ふ示せ』

ピリポ口を開き、この聖句を始としてイエスの福音を宣傳ふ。

途を進むる程に水ある所に來りたれば、閹人いふ『視よ、水あり、我がバプテスマを受くるに何の障りかある』

[なし]

乃ち命じて馬車を止め、ピリポと閹人と二人ともに水に下りて、ピリポ閹人にバプテスマを授く。

彼ら水より上りしとき、主の靈ピリポを取去りたれば、閹人ふたたび彼を見ざりしが、喜びつつ其の途に進み往けり。

かくてピリポはアゾトに現れ、町々を經て福音を宣傳へつつカイザリヤに到れり。

第9章

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サウロは主の弟子たちに對して、なほ恐喝と殺害との氣を充し、大祭司にいたりて、

ダマスコにある諸教會への添書を請ふ。この道の者を見出さば、男女にかかはらず縛りてエルサレムに曳かん爲なり。

往きてダマスコに近づきたるとき、忽ち天より光いでて、彼を環り照したれば、

かれ地に倒れて『サウロ、サウロ、何ぞ我を迫害するか』といふ聲をきく。

彼いふ『主よ、なんぢは誰ぞ』答へたまふ『われは汝が迫害するイエスなり。

起きて町に入れ、さらば汝なすべき事を告げらるべし』

同行の人々、物言ふこと能はずして立ちたりしが、聲は聞けども誰をも見ざりき。

サウロ地より起きて目をあけたれど何も見えざれば、人その手をひきてダマスコに導きゆきしに、

三日のあひだ見えず、また飮食せざりき。

さてダマスコにアナニヤといふ一人の弟子あり、幻影のうちに主いひ給ふ『アナニヤよ』答ふ『主よ、我ここに在り』

主いひ給ふ『起きて直といふ街にゆき、ユダの家にてサウロといふタルソ人を尋ねよ。視よ、彼は祈りをるなり。

又アナニアといふ人の入り來りて、再び見ゆることを得しめんために、手を己がうへに按くを見たり』

アナニヤ答ふ『主よ、われ多くの人より此の人に就きて聞きしに、彼がエルサレムにて汝の聖徒に害を加へしこと如何ばかりぞや。

また此處にても、凡て汝の御名をよぶ者を縛る權を祭司長らより受けをるなり』

主いひ給ふ『往け、この人は異邦人・王たち・イスラエルの子孫のまへに、我が名を持ちゆく我が選の器なり。

我かれに我が名のために如何に多くの苦難を受くるかを示さん』

ここにアナニヤ往きて其の家にいり、彼の上に手をおきて言ふ『兄弟サウロよ、主すなはち汝が來る途にて現れ給ひしイエス、われを遣し給へり。なんぢが再び見ることを得、かつ聖靈にて滿されん爲なり』

直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得、すなはち起きてバプテスマを受け、

かつ食事して力づきたり。サウロは數日の間ダマスコの弟子たちと偕にをり、

直ちに諸會堂にて、イエスの神の子なることを宣べたり。

聞く者みな驚きて言ふ『こはエルサレムにて此の名をよぶ者を害ひし人ならずや、又ここに來りしも、之を縛りて祭司長らの許に曳きゆかんが爲ならずや』

サウロますます能力くははり、イエスのキリストなることを論證して、ダマスコに住むユダヤ人を言ひ伏せたり。

日を經ること久しくして後、ユダヤ人かれを殺さんと相謀りたれど、

その計畧サウロに知らる。かくて彼らはサウロを殺さんとて、晝も夜も町の門を守りしに、

その弟子ら夜中かれを籃にて石垣より縋り下せり。

ここにサウロ、エルサレムに到りて弟子たちの中に列らんとすれど、皆かれが弟子たるを信ぜずして懼れたり。

然るにバルナバ彼を迎へて、使徒たちの許に伴ひゆき、その途にて主を見しこと、主の之に物言ひ給ひしこと、又ダマスコにてイエスの名のために臆せず語りし事などを具に告ぐ。

ここにサウロはエルサレムにて弟子たちと共に出入し、

主の御名のために臆せず語り、又ギリシヤ語のユダヤ人と、かつ語りかつ論じたれば、彼等これを殺さんと謀りしに、

兄弟たち知りて彼をカイザリヤに伴ひ下り、タルソに往かしめたり。

かくてユダヤ、ガリラヤ及びサマリヤを通じて、教會は平安を得、ややに堅立し、主を畏れて歩み、聖靈の祐助によりて人數いや増せり。

ペテロは徧く四方をめぐりてルダに住む聖徒の許にいたり、

彼處にてアイネヤといふ人の中風を患ひて八年のあひだ牀に臥し居るに遇ふ。

かくてペテロ之に『アイネヤよ、イエス・キリスト汝を醫したまふ、起きて牀を收めよ』と言ひたれば、直ちに起きたり。

ここにルダ及びサロンに住む者みな之を見て主に歸依せり。

ヨツパにタビタと云ふ女の弟子あり、その名を譯すればドルカスなり。此の女は、ひたすら善き業と施濟とをなせり。

彼そのころ病みて死にたれば、之を洗ひて高樓に置く。

ルダはヨツパに近ければ、弟子たちペテロの彼處に居るを聞きて、二人の者を遣し『ためらはで我らに來れ』と請はしむ。

ペテロ起ちてともに往き、遂に到れば、彼を高樓に伴れてのぼりしに、寡婦らみな之をかこみて泣きつつ、ドルカスが偕に居りしほどに製りし下衣・上衣を見せたり。

ペテロ彼等をみな外に出し、跪づきて祈りし後、ふりかへり屍體に向ひて『タビタ、起きよ』と言ひたれば、かれ目を開き、ペテロを見て起反れり。

ペテロ手をあたへ、起して聖徒と寡婦とを呼び、タビタを活きたるままにて見す。

この事ヨツパ中に知られたれば、多くの人、主を信じたり。

ペテロ皮工シモンの家にありて日久しくヨツパに留れり。

第10章

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ここにカイザリヤにコルネリオといふ人あり、イタリヤ隊と稱ふる軍隊の百卒長なるが、

敬虔にして全家族とともに神を畏れ、かつ民に多くの施濟をなし、常に神に祈れり。

或日の午後三時ごろ幻影のうちに神の使きたりて『コルネリオよ』と言ふを明かに見たれば、

之に目をそそぎ怖れて言ふ『主よ、何事ぞ』御使いふ『なんぢの祈と施濟とは、神の前に上りて記念とせらる。

今ヨツパに人を遣してペテロと稱ふるシモンを招け、

彼は皮工シモンの家に宿る。その家は海邊にあり』

斯く語れる御使の去りし後、コルネリオ己が僕二人と從卒中の敬虔なる者一人とを呼び、

凡ての事を告げてヨツパに遣せり。

明くる日かれらなほ途中にあり、既に町に近づかんとする頃ほひ、ペテロ祈らんとて屋の上に登る、時は晝の十二時ごろなりき。

飢ゑて物欲しくなり、人の食を調ふるほどに我を忘れし心地して、

天開け、器のくだるを見る、大なる布のごとき物にして、四隅もて地に縋り下されたり。

その中には諸種の四足のもの、地を匐ふもの、空の鳥あり。

また聲ありて言ふ『ペテロ、立て、屠りて食せよ』

ペテロ言ふ『主よ、可からじ、我いまだ潔からぬもの穢れたる物を食せし事なし』

聲再びありて言ふ『神の潔め給ひし物を、なんぢ潔からずとすな』

かくの如きこと三度にして、器は直ちに天に上げられたり。

ペテロその見し幻影の何の意なるか、心に惑ふほどに、視よ、コルネリオより遣されたる人、シモンの家を尋ねて門の前に立ち、

訪ひて、ペテロと稱ふるシモンの此處に宿るかを問ふ。

ペテロなほ幻影に就きて打案じゐたるに、御靈いひ給ふ『視よ、三人なんぢを尋ぬ。

起ちて下り疑はずして共に往け、彼らを遣したるは我なり』

ペテロ下りて、かの人たちに言ふ『視よ、我は汝らの尋ぬる者なり、何の故ありて來るか』

かれら言ふ『義人にして神を畏れ、ユダヤの國人の中に令聞ある百卒長コルネリオ、聖なる御使より、汝を家に招きて、その語ることを聽けとの告を受けたり』

ここにペテロ彼らを迎へ入れて宿らす。明くる日たちて彼らと共に出でゆきしが、ヨツパの兄弟も數人ともに往けり。

明くる日カイザリヤに入りし時、コルネリオは親族および親しき朋友を呼び集めて彼らを待ちゐたり。

ペテロ入り來れば、コルネリオ之を迎へ、その足下に伏して拜す。

ペテロ彼を起して言ふ『立て、我も人なり』

かくて相語りつつ内に入り、多くの人の集れるを見て、ペテロ之に言ふ、

『なんぢらの知る如く、ユダヤ人たる者の外の國人と交りまた近づくことは、律法に適はぬ所なり、然れど神は、何人をも穢れたるもの潔からぬ者と言ふまじきことを我に示したまへり。

この故に、われ招かるるや躊躇はずして來れり。然れば問ふ、汝らは何の故に我をまねきしか』

コルネリオ言ふ『われ四日前に我が家にて午後三時の祈をなし、此の時刻に至りしに、視よ、輝く衣を著たる人、わが前に立ちて、

「コルネリオよ、汝の祈は聽かれ、なんぢの施濟は神の前に憶えられたり。

人をヨツパに送りてペテロと稱ふるシモンを招け、かれは海邊なる皮工シモンの家に宿るなり」と云へり。

われ速かに人を汝に遣したるに、汝の來れるは忝けなし。いま我等はみな、主の汝に命じ給ひし凡てのことを聽かんとて、神の前に在り』

ペテロ口を開きて言ふ、 『われ今まことに知る、神は偏ることをせず、

何れの國の人にても神を敬ひて義をおこなふ者を容れ給ふことを。

神はイエス・キリスト(これ萬民の主)によりて平和の福音をのべ、イスラエルの子孫に言をおくり給へり。

即ちヨハネの傳へしバプテスマの後、ガリラヤより始り、ユダヤ全國に弘りし言なるは汝らの知る所なり。

これは神が聖靈と能力とを注ぎ給ひしナザレのイエスの事にして、彼は徧くめぐりて善き事をおこなひ、凡て惡魔に制せらるる者を醫せり、神これと偕に在したればなり。

我等はユダヤの地およびエルサレムにて、イエスの行ひ給ひし諸般のことの證人なり、人々は彼を木にかけて殺せり。

神は之を三日めに甦へらせ、かつ明かに現したまへり。

然れど凡ての民にはあらで、神の預じめ選び給へる證人、即ちイエスの死人の中より甦へり給ひし後、これと共に飮食せし我らに現し給ひしなり。

イエスは己の生ける者と死にたる者との審判主に、神より定められしを證することと、民どもに宣傳ふる事とを我らに命じ給ふ。

彼につきては預言者たちも皆、おほよそ彼を信ずる者の、その名によりて罪の赦を得べきことを證す』

ペテロ尚これらの言を語りをる間に、聖靈、御言をきく凡ての者に降りたまふ。

ペテロと共に來りし割禮ある信者は、異邦人にも聖靈の賜物のそそがれしに驚けり。

そは彼らが異言をかたり、神を崇むるを聞きたるに因る。

ここにペテロ答へて言ふ『この人々われらの如く聖靈をうけたれば、誰か水を禁じて其のバプテスマを受くることを拒み得んや』

遂にイエス・キリストの御名によりてバプテスマを授けられんことを命じたり。ここに彼らペテロに數日とどまらんことを請へり。

第11章

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使徒たち及びユダヤに居る兄弟たちは、異邦人も神の言を受けたりと聞く。

かくてペテロのエルサレムに上りしとき、割禮ある者ども彼を詰りて言ふ、

『なんぢ割禮なき者の内に入りて之と共に食せり』

ペテロ有りし事を序正しく説き出して言ふ、

『われヨツパの町にて祈り居るとき、我を忘れし心地し、幻影にて器のくだるを見る、大なる布のごとき物にして、四隅もて天より縋り下され我が許にきたる。

われ目を注めて之を視るに、地の四足のもの、野の獸、匐ふもの、空の鳥を見たり。

また「ペテロ、立て、屠りて食せよ」といふ聲を聞けり。

我いふ「主よ、可からじ、潔からぬもの穢れたる物は、曾て我が口に入りしことなし」

再び天より聲ありて答ふ「神の潔め給ひし物を、なんぢ潔からずと爲な」

かくの如きこと三度にして、終にはみな天に引上げられたり。

視よ、三人の者カイザリヤより我に遣されて、はや我らの居る家の前に立てり。

御靈われに、疑はずして彼らと共に往くことを告げ給ひたれば、此の六人の兄弟も我とともに往きて、かの人の家に入れり。

彼はおのが家に御使の立ちて「人をヨツパに遣し、ペテロと稱ふるシモンを招け、

その人、なんぢと汝の全家族との救はるべき言を語らん」と言ふを、見しことを我らに告げたり。

ここに、われ語り出づるや、聖靈かれらの上に降りたまふ、初め我らの上に降りし如し。

われ主の曾て「ヨハネは水にてバプテスマを施ししが、汝らは聖靈にてバプテスマを施されん」と宣給ひし御言を思ひ出せり。

神われらが主イエス・キリストを信ぜしときに賜ひしと同じ賜物を彼らにも賜ひたるに、われ何者なれば神を阻み得ん』

人々これを聞きて默然たりしが、頓て神を崇めて言ふ『されば神は異邦人にも生命を得さする悔改を與へ給ひしなり』

かくてステパノによりて起りし迫害のために散されたる者ども、ピニケ、クブロ、アンテオケまで到り、ただユダヤ人にのみ御言を語りたるに、

その中にクブロ及びクレネの人、數人ありて、アンテオケに來りし時、ギリシヤ人にも語りて主イエスの福音を宣傳ふ。

主の手かれらと偕にありたれば、數多の人、信じて主に歸依せり。

この事エルサレムに在る教會に聞えたれば、バルナバをアンテオケに遣す。

かれ來りて、神の恩惠を見てよろこび、彼等に、みな心を堅くして主にをらんことを勸む。

彼は聖靈と信仰とにて滿ちたる善き人なればなり。ここに多くの人々、主に加はりたり。

かくてバルナバはサウロを尋ねんとてタルソに往き、

彼に逢ひてアンテオケに伴ひきたり、二人ともに一年の間かしこの教會の集會に出でて多くの人を教ふ。弟子たちのキリステアンと稱へらるる事はアンテオケより始れり。

その頃エルサレムより預言者たちアンテオケに下る。

その中の一人アガボと云ふもの起ちて、大なる飢饉の全世界にあるべきことを御靈によりて示せるが、果してクラウデオの時に起れり。

ここに弟子たち各々の力に應じてユダヤに住む兄弟たちに扶助をおくらん事をさだめ、

遂に之をおこなひ、バルナバ及びサウロの手に托して長老たちに贈れり。

第12章

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その頃ヘロデ王、教會のうちの或人どもを苦しめんとて手を下し、

劍をもてヨハネの兄弟ヤコブを殺せり。

この事ユダヤ人の心に適ひたるを見て、またペテロをも捕ふ、頃は除酵祭の時なりき。

すでに執りて獄に入れ、過越の後に民のまへに曳き出さんとの心構にて、四人一組なる四組の兵卒に付して之を守らせたり。

かくてペテロは獄のなかに因はれ、教會は熱心に彼のために神に祈をなせり。

ヘロデこれを曳き出さんとする其の前の夜、ペテロは二つの鏈にて繋がれ、二人の兵卒のあひだに睡り、番兵らは門口にゐて獄を守りたるに、

視よ、主の使ペテロの傍らに立ちて、光明室内にかがやく。御使かれの脇をたたき、覺していふ『疾く起きよ』かくて鏈その手より落ちたり。

御使いふ『帶をしめ、鞋をはけ』彼その如く爲たれば、又いふ『上衣をまとひて我に從へ』

ペテロ出でて隨ひしが、御使のする事の眞なるを知らず、幻影を見るならんと思ふ。

かくて第一・第二の警固を過ぎて町に入るところの鐵の門に到れば、門おのづから彼等のために開け、相共にいでて一つの街を過ぎしとき、直ちに御使はなれたり。

ペテロ我に反りて言ふ『われ今まことに知る、主その使を遣して、ヘロデの手およびユダヤの民の凡て思ひ設けし事より、我を救ひ出し給ひしを』

斯く悟りてマルコと稱ふるヨハネの母マリヤの家に往きしが、其處には數多のもの集りて祈りゐたり。

ペテロ門の戸を叩きたれば、ロダといふ婢女ききに出できたり、

ペテロの聲なるを知りて、勸喜のあまりに門を開けずして走り入り、ペテロの門の前に立てることを告げたれば、

彼ら『なんぢは氣狂へり』と言ふ。然れどロダは夫なりと言張る。かれら言ふ『それはペテロの御使ならん』

然るにペテロなほ叩きて止まざれば、かれら門をひらき之を見て驚けり。

かれ手を搖かして人々を鎭め、主の己を獄より導きいだし給ひしことを具に語り『これをヤコブと兄弟たちとに告げよ』と言ひて他の處に出で往けり。

夜明になりて、ペテロは如何にせしとて兵卒の中の騷一方ならず。

ヘロデ之を索むれど見出さず、遂に守卒を訊して死罪を命じ、而してユダヤよりカイザリヤに下りて留れり。

偖ヘロデ、ツロとシドンとの人々を甚く怒りたれば、其の民ども心を一つにして彼の許にいたり、王の内侍の臣ブラストに取入りて和諧を求む。かれらの地方は王の國より食品を得るに因りてなり。

ヘロデ定めたる日に及びて王の服を著け高座に坐して言を宣べたれば、


集民よばはりて『これ神の聲なり、人の聲にあらず』と言ふ。

ヘロデ神に榮光を歸せぬに因りて、主の使たちどころに彼を撃ちたれば、蟲に噛まれて息絶えたり。

かくて主の御言いよいよ増々ひろまる。

バルナバ、サウロはその職務を果し、マルコと稱ふるヨハネを伴ひてエルサレムより歸れり。

第13章

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アンテオケの教會にバルナバ、ニゲルと稱ふるシメオン、クレネ人ルキオ、國守ヘロデの乳兄弟マナエン及びサウロなどいふ預言者と教師とあり。

彼らが主に事へ斷食したるとき、聖靈いひ給ふ『わが召して行はせんとする業の爲に、バルナバとサウロとを選び、別て』

ここに彼ら斷食し、祈りて二人の上に手を按きて往かしむ。

この二人、聖靈に遣されてセルキヤに下り、彼處より船にてクプロに渡り、

サラミスに著きてユダヤ人の諸會堂にて神の言を宣傳へ、またヨハネを助人として伴ふ。

徧くこの島を經行きてパポスに到り、バルイエスといふユダヤ人にて僞預言者たる魔術者に遇ふ。

彼は地方總督なる慧き人セルギオ・パウロと偕にありき。總督はバルナバとサウロとを招き神の言を聽かんとしたるに、

かの魔術者エルマ(この名を釋けば魔術者)二人に敵對して總督を信仰の道より離れしめんとせり。

サウロ又の名はパウロ、聖靈に滿され、彼に目を注めて言ふ、

『ああ有らゆる詭計と奸惡とにて滿ちたる者、惡魔の子、すべての義の敵よ、なんぢ主の直き道を曲げて止まぬか。

視よ、いま主の御手なんぢの上にあり、なんぢ盲目となりて暫く日を見ざるべし』かくて立刻に朦と闇とその目を掩ひたれば、探り囘りて導きくるる者を求む。

ここに總督この有りし事を見て、主の教に驚きて信じたり。

さてパウロ及び之に伴ふ人々、パポスより船出してパンフリヤのペルガに到り、ヨハネは離れてエルサレムに歸れり。

彼らはペルガより進み往きてピシデヤのアンテオケに到り、安息日に會堂に入りて坐せり。

律法および預言者の書の朗讀ありしのち、會堂司たち人を彼らに遣し『兄弟たちよ、もし民に勸の言あらば言へ』と言はしめたれば、


パウロ起ちて手を搖かして言ふ、 『イスラエルの人々および神を畏るる者よ、聽け。

このイスラエルの民の神は、我らの先祖を選び、そのエジプトの地に寄寓せし時、わが民をおこし、強き御腕にて之を導きいだし、

おほよそ四十年のあひだ、荒野にて彼らの所作を忍び、

カナンの地にて七つの民族をほろぼし、その地を彼らに嗣がしめて、

凡そ四百五十年を經たり。此ののち預言者サムエルの時代まで審判人を賜ひしを、

後に至りて彼ら王を求めたれば、神は之にキスの子サウロと云ふベニヤミンの族の人を四十年のあひだ賜ひ、

之を退けて後、ダビデを擧げて王となし、且これを證して「我エッサイの子ダビデといふ我が心に適ふ者を見出せり、彼わが意をことごとく行はん」と宣給へり。

神は約束に隨ひて此の人の裔より、イスラエルの爲に救主イエスを興し給ひしが、

その來る前にヨハネ預じめイスラエルの凡ての民に悔改のバプテスマを宣傳へたり。

かくてヨハネ己が走るべき道程を終へんとする時「なんぢら我を誰と思ふか、我はかの人にあらず、視よ、我に後れて來る者あり、我はその鞋の紐を解くにも足らず」と云へり。

兄弟たち、アブラハムの血統の子ら及び汝等のうち神を畏るる者よ、この救の言は我らに贈られたり。

それエルサレムに住める者および其の司らは、彼をも安息日ごとに讀むところの預言者たちの言をも知らず、彼を刑ひて預言を成就せしめたり。

その死に當るべき故を得ざりしかど、ピラトに殺さんことを求め、

彼につきて記されたる事をことごとく成しをへ、彼を木より下して墓に納めたり。

されど神は彼を死人の中より甦へらせ給へり。

かくてイエスは己と偕にガリラヤよりエルサレムに上りし者に多くの日のあひだ現れ給へり。その人々は今、民の前にイエスの證人たるなり。

我らも先祖たちが與へられし約束につきて喜ばしき音信を汝らに告ぐ、

神はイエスを甦へらせて、その約束を我らの子孫に成就したまへり。即ち詩の第二篇に「なんぢは我が子なり、われ今日なんぢを生めり」と録されたるが如し。

また朽腐に歸せざる状に彼を死人の中より甦へらせ給ひし事に就きては、斯く宣給へり。曰く「われダビデに約せし確き聖なる恩惠を汝らに與へん」

そは他の篇に「なんぢは汝の聖者を朽腐に歸せざらしむべし」と云へり。

それダビデは、その代にて神の御旨を行ひ、終に眠りて先祖たちと共に置かれ、かつ朽腐に歸したり。

然れど神の甦へらせ給ひし者は朽腐に歸せざりき。

この故に兄弟たちよ、汝ら知れ。この人によりて罪の赦のなんぢらに傳へらるることを。

汝らモーセの律法によりて義とせられ得ざりし凡ての事も、信ずる者は皆この人によりて義とせらるる事を。

然れば汝ら心せよ、恐らくは預言者たちの書に云ひたること來らん、

曰く 「あなどる者よ、なんぢら視よ、

おどろけ、亡びよ、
われ汝らの日に一つの事を行はん。:これを汝らに具に告ぐる者ありとも
信ぜざる程の事なり」』

彼らが會堂を出づるとき、人々これらの言を次の安息日にも語らんことを請ふ。

集會の散ぜし後、ユダヤ人および敬虔なる改宗者おほくパウロとバルナバとに從ひ往きたれば、彼らに語りて神の恩惠に止らんことを勸めたり。

次の安息日には、神の言を聽かんとて殆ど町擧りて集りたり。

されどユダヤ人はその群衆を見て嫉に滿され、パウロの語ることに言ひ逆ひて罵れり。

パウロとバルナバとは臆せずして言ふ『神の言を先づ汝らに語るべかりしを、汝等これを斥けて己を永遠の生命に相應しからぬ者と自ら定むるによりて、視よ、我ら轉じて異邦人に向はん。

それ主は斯く我らに命じ給へり。曰く 「われ汝を立てて異邦人の光とせり。:地の極にまで救とならしめん爲なり」』

異邦人は之を聽きて喜び、主の言をあがめ、又とこしへの生命に定められたる者はみな信じ、

主の言この地に徧く弘りたり。

然るにユダヤ人ら、敬虔なる貴女たち及び町の重立ちたる人々を唆かして、パウロとバルナバとに迫害をくはへ、遂に彼らを其の境より逐ひ出せり。

二人は彼らに對ひて足の塵をはらひ、イコニオムに往く。

弟子たちは喜悦と聖靈とにて滿され居たり。

第14章

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二人はイコニオムにて相共にユダヤ人の會堂に入りて語りたれば、之に由りてユダヤ人およびギリシヤ人あまた信じたり。

然るに從はぬユダヤ人ら異邦人を唆かし、兄弟たちに對して惡意を懷かしむ。

二人は久しく留り、主によりて臆せずして語り、主は彼らの手により、徴と不思議とを行ひて惠の御言を證したまふ。

ここに町の人々相分れて、或者はユダヤ人に黨し、或者は使徒たちに黨せり。

異邦人ユダヤ人および其の司ら相共に使徒たちを辱しめ、石にて撃たんと企てしに、

彼ら悟りてルカオニヤの町なるルステラ、デルベ及びその邊の地にのがれ、

彼處にて福音を宣傳ふ。

ルステラに足弱き人ありて坐しゐたり、生れながらの跛者にて曾て歩みたる事なし。

この人パウロの語るを聽きゐたるが、パウロ之に目をとめ、救はるべき信仰あるを見て、

大聲に『なんぢの足にて眞直に起て』と言ひたれば、かれ躍り上りて歩めり。

群衆、パウロの爲ししことを見て聲を揚げ、ルカオニヤの國語にて『神たち人の形をかりて我らに降り給へり』と言ひ、

バルナバをゼウスと稱へ、パウロを宗と語る人なる故にヘルメスと稱ふ。

而して町の外なるゼウスの宮の祭司、數匹の牛と花飾とを門の前に携へきたりて、群衆とともに犧牲を献げんとせり。

使徒たち、即ちバルナバとパウロと之を聞きて、己が衣をさき群衆のなかに馳せ入り、

呼はりて言ふ『人々よ、なんぞ斯かる事をなすか、我らも汝らと同じ情を有てる人なり、汝らに福音を宣べて斯かる虚しき者より離れ、天と地と海とその中にある有らゆる物とを造り給ひし活ける神に歸らしめんとするなり。

過ぎし時代には神、すべての國人の己が道々を歩むに任せ給ひしかど、

また自己を證し給はざりし事なし。即ち善き事をなし、天より雨を賜ひ、豐穰の時をあたへ、食物と勸喜とをもて汝らの心を滿ち足らはせ給ひしなり』

斯く言ひて辛うじて群衆の己らに犧牲を献げんとするを止めたり。

然るに數人のユダヤ人、アンテオケ及びイコニオムより來り、群衆を勸め、而してパウロを石にて撃ち、既に死にたりと思ひて町の外に曳き出せり。

弟子たち之を立圍みゐたるに、パウロ起きて町に入る。明くる日バルナバと共にデルベに出で往き、

その町に福音を宣傳へ、多くの人を弟子として後、ルステラ、イコニオム、アンテオケに還り、

弟子たちの心を堅うし信仰に止らんことを勸め、また我らが多くの艱難を歴て神の國に入るべきことを教ふ。

また教會毎に長老をえらび、斷食して祈り、弟子たちを其の信ずる所の主に委ぬ。

かくてピシデヤを經てパンフリヤに到り、

ペルガにて御言を語りて後アタリヤに下り、

彼處より船出して、その成し果てたる務のために神の惠みに委ねられし處なるアンテオケに往けり。

既に到りて教會の人々を集めたれば、神が己らと偕に在して成し給ひし凡てのこと、竝(ならび)に信仰の門を異邦人にひらき給ひしことを述ぶ。

かくて久しく留りて弟子たちと偕にゐたり。

第15章

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或人々ユダヤより下りて、兄弟たちに『なんぢらモーセの例に遵ひて割禮を受けずば救はるるを得ず』と教ふ。

ここに彼らとパウロ及びバルナバとの間に、大なる紛爭と議論と起りたれば、兄弟たちはパウロ、バルナバ及びその中の數人をエルサレムに上らせ、此の問題につきて使徒・長老たちに問はしめんと定む。

かれら教會の人々に見送られて、ピニケ及びサマリヤを經、異邦人の改宗せしことを具に告げて、凡ての兄弟に大なる喜悦を得させたり。

エルサレムに到り、教會と使徒と長老とに迎へられ、神が己らと偕に在して爲し給ひし凡ての事を述べたるに、

信者となりたるパリサイ派の或人々立ちて『異邦人にも割禮を施し、モーセの律法を守ることを命ぜざる可からず』と言ふ。

ここに使徒・長老たち此の事につきて協議せんとて集る。

多くの議論ありし後、ペテロ起ちて言ふ 『兄弟たちよ、汝らの知るごとく、久しき前に神は、なんぢらの中より我を選び、わが口より異邦人に福音の言を聞かせ、之を信ぜしめんとし給へり。

人の心を知りたまふ神は、我らと同じく、彼等にも聖靈を與へて證をなし、

かつ信仰によりて彼らの心をきよめ、我らと彼らとの間に隔を置き給はざりき。

然るに何ぞ神を試みて、弟子たちの頸に我らの先祖も我らも負ひ能はざりし軛をかけんとするか。

然らず、我らの救はるるも彼らと均しく主イエスの恩惠に由ることを我らは信ず』

ここに會衆みな默して、バルナバとパウロとの、己等によりて神が異邦人のうちに爲し給ひし多くの徴と不思議とを述ぶるを聽く。

彼らの語り終へし後、ヤコブ答へて言ふ 『兄弟たちよ、我に聽け、

シメオン既に神の初めて異邦人を顧み、その中より御名を負ふべき民を取り給ひしことを述べしが、

預言者たちの言もこれと合へり。

録して 「こののち我かへりて、

倒れたるダビデの幕屋を再び造り、
その頽れし所をふたたび造り、
而して之を立てん。

これ殘餘の人々、主を尋ね求め、

凡て我が名をもて稱へらるる異邦人も
また然せん爲なり。

古へより此等のことを知らしめ給ふ主、

これを言ひ給ふ」とあるが如し。

之によりて我は判斷す、異邦人の中より神に歸依する人を煩はすべきにあらず。

ただ書き贈りて、偶像に穢されたる物と、淫行と、絞殺したる物と、血とを避けしむべし。

昔より、いづれの町にもモーセを宣ぶる者ありて、安息日毎に諸會堂にてその書を讀めばなり』

ここに使徒・長老たち及び全教會は、その中より人を選びてパウロ、バルナバと共にアンテオケに送ることを可しとせり。選ばれたるは、バルサバと稱ふるユダとシラスとにて、兄弟たちの中の重立ちたる者なり。

之に托したる書にいふ『使徒および長老たる兄弟ら、アンテオケ、シリヤ、キリキヤに在る異邦人の兄弟たちの平安を祈る。

我等のうちの或人々われらが命じもせぬに、言をもて汝らを煩はし、汝らの心を亂したりと聞きたれば、

我ら心を一つにして人を選びて、

我らの主イエス・キリストの名のために生命を惜まざりし者なる、我らの愛するバルナバ、パウロと共に汝らに遣すことを可しとせり。

之によりて我らユダとシラスとを遣す、かれらも口づから此等のことを述べん。

聖靈と我らとは左の肝要なるものの他に何をも汝らに負はせぬを可しとするなり。

即ち偶像に献げたる物と、血と、絞殺したる物と、淫行とを避くべき事なり、汝等これを愼まば善し。なんぢら健かなれ』

かれら別を告げてアンテオケに下り、人々を集めて書を付す。

人々これを讀み慰安を得て喜べり。

ユダもシラスもまた預言者なれば、多くの言をもて兄弟たちを勸めて彼らを堅うし、

暫く留りてのち、兄弟たちに平安を祝せられ、別を告げて、己らを遣しし者に歸れり。

[なし]

斯てパウロとバルナバとは尚アンテオケに留りて多くの人とともに主の御言を教へ、かつ宣傳へたり。

數日の後パウロはバルナバに言ふ『いざ、我ら曩に主の御言を傳へし凡ての町にまた往きて、兄弟たちを訪ひ、その安否を尋ねん』

バルナバはマルコと稱ふるヨハネを伴はんと望み、

パウロは彼が曾てパンフリヤより離れ去りて、勤勞のために共に往かざりしをもて、伴ふは宣しからずと思ひ、

激しき爭論となりて遂に二人相別れ、バルナバはマルコを伴ひ、舟にてクプロに渡り、

パウロはシラスを選び、兄弟たちより主の恩惠に委ねられて出で立ち、

シリヤ、キリキヤを經て諸教會を堅うせり。

第16章

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かくてパウロ、デルベとルステラとに到りたるに、視よ、彼處にテモテと云ふ弟子あり、その母は信者なるユダヤ人にて、父はギリシヤ人なり。

彼はルステラ、イコニオムの兄弟たちの中に令聞ある者なり。

パウロかれの共に出で立つことを欲したれば、その邊に居るユダヤ人のために之に割禮を行へり、その父のギリシヤ人たるを凡ての人の知る故なり。

かくて町々を經ゆきて、エルサレムに居る使徒・長老たちの定めし規を守らせんとて、之を人々に授けたり。

ここに諸教會はその信仰を堅うせられ、人員日毎にいや増せり。

彼らアジヤにて御言を語ることを聖靈に禁ぜられたれば、フルギヤ及びガラテヤの地を經ゆきて、

ムシヤに近づき、ビテニヤに往かんと試みたれど、イエスの御靈ゆるし給はず、

遂にムシヤを過ぎてトロアスに下れり。

パウロ夜、幻影を見たるに、一人のマケドニヤ人あり、立ちて己を招き『マケドニヤに渡りて我らを助けよ』と言ふ。

パウロこの幻影を見たれば、我らは神のマケドニヤ人に福音を宣傳へしむる爲に、我らを召し給ふことと思ひ定めて、直ちにマケドニヤに赴かんとせり。

さてトロアスより船出して、眞直にはせてサモトラケにいたり、次の日ネアポリスにつき、

彼處よりピリピにゆく。ここはマケドニヤの中にて、この邊の第一の町にして殖民地なり、われら數日の間この町に留る。

安息日に町の門を出でて、祈場あらんと思はるる河のほとりに往き、其處に坐して、集れる女たちに語りたれば、

テアテラの町の紫布の商人にして、神を敬ふルデヤと云ふ女きき居りしが、主その心をひらき、謹みてパウロの語る言をきかしめ給ふ。

彼は己も家族もバプテスマを受けてのち、我らに勸めて言ふ『なんぢら我を主の信者なりとせば、我が家に來りて留れ』斯く強ひて我らを留めたり。

われら祈場に往く途中、卜筮の靈に憑れて卜筮をなし、其の主人らに多くの利を得さする婢女、われらに遇ふ。

彼はパウロ及び我らの後に從ひつつ叫びて言ふ『この人たちは至高き神の僕にて、汝らに救の道を教ふる者なり』

幾日も斯くするをパウロ憂ひて、振反りその靈に言ふ『イエス・キリストの名によりて、汝にこの女より出でん事を命ず』靈ただちに出でたり。

然るにこの女の主人ら利を得る望のなくなりたるをみて、パウロとシラスとを捕へ、市場に曳きて司たちに往き、

之を上役らに出して言ふ『この人々はユダヤ人にて、我らの町を甚く騷がし、

我らロマ人たる者の受くまじく行ふまじき習慣を傳ふるなり』

群衆も齊しく起り立ちたれば、上役ら命じて其の衣を褫ぎ、かつ笞にて打たしむ。

多く打ちてのち獄に入れ、獄守に固く守るべきことを命ず。

獄守この命令を受けて二人を奧の獄に入れ、桎にてその足を締め置きたり。

夜半ごろパウロとシラスと祈りて神を讃美する囚人ら聞きゐたるに、

俄に大なる地震おこりて牢舍の基ふるひ動き、その戸たちどころに皆ひらけ、凡ての囚人の縲絏とけたり。

獄守、目さめ獄の戸の開けたるを見て、囚人にげ去れりと思ひ、刀を拔きて自殺せんとしたるに、


パウロ大聲に呼はりて言ふ『みづから害ふな、我ら皆ここに在り』

獄守、燈火を求め、駈け入りて戰きつつパウロとシラスとの前に平伏し、

之を連れ出して言ふ『君たちよ、われ救はれん爲に何をなすべきか』

二人は言ふ『主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん』

かくて神の言を獄守とその家に居る凡ての人々に語れり。

この夜、即時に獄守かれらを引取りて、その打傷を洗ひ、遂に己も己に屬する者もみな直ちにバプテスマを受け、

かつ二人を自宅に伴ひて食事をそなへ、全家とともに神を信じて喜べり。

夜明になりて上役らは警吏どもを遣して『かの人々を釋せ』と言はせたれば、

獄守これらの言をパウロに告げて言ふ『上役、人を遣して汝らを釋さんとす。然れば今いでて安らかに往け』

ここにパウロ警吏に言ふ『我らはロマ人たるに罪を定めずして公然に鞭うち、獄に投げ入れたり。然るに今ひそかに我らを出さんと爲るか。然るべからず、彼等みづから來りて我らを連れ出すべし』

警吏これらの言を上役に告げたれば、其のロマ人たるを聞きて懼れ、

來り宥めて、二人を連れ出し、かつ町を去らんことを請ふ。

二人は獄を出でてルデヤの家に入り、兄弟たちに逢ひ、勸をなして出で往けり。

第17章

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かくてアムピポリス及びアポロニヤを經てテサロニケに到る。此處にユダヤ人の會堂ありたれば、

パウロは例のごとく彼らの中に入り、三つの安息日にわたり、聖書に基きて論じ、かつ解き明して、

キリストの必ず苦難をうけ、死人の中より甦へるべきことを述べ『わが汝らに傳ふる此のイエスはキリストなり』と證せり。

その中のある人々および敬虔なる數多のギリシヤ人、また多くの重立ちたる女も信じてパウロとシラスとに從へり。

ここにユダヤ人ら嫉を起して市の無頼者をかたらひ、群衆を集めて町を騷がし、又ふたりを集民の前に曳き出さんとしてヤソンの家を圍みしが、

見出さざれば、ヤソンと數人の兄弟とを町司たちの前に曳ききたり、呼はりて言ふ『天下を顛覆したる彼の者ども此處にまで來れるを、


ヤソン迎へ入れたり。この曹輩は皆カイザルの詔勅にそむき、他にイエスと云ふ王ありと言ふ』

之をききて群衆と町司たちと心をさわがし、

保證を取りてヤソンと他の人々とを釋せり。

兄弟たち直ちに夜の間にパウロとシラスとをベレヤに送りいだす。二人は彼處につきてユダヤ人の會堂にいたる。

此處の人々はテサロニケに居る人よりも善良にして、心より御言をうけ、この事正しく然るか然らぬか、日々聖書をしらぶ。

この故にその中の多くのもの信じたり、又ギリシヤの貴女、男子にして信じたる者も少からざりき。

然るにテサロニケのユダヤ人ら、パウロがベレヤにも神の言を傳ふることを聞きたれば、此處にも來りて群衆を動かし、かつ騷がしたり。

ここに兄弟たち直ちにパウロを送り出して海邊に往かしめ、シラスとテモテとは尚ベレヤに留れり。

パウロを導ける人々はアテネまで伴ひ往き、パウロよりシラスとテモテとに、疾く我に來れとの命を受けて立ち去れり。

パウロ、アテネにて彼らを待ちをる間に、町に偶像の滿ちたるを見て、その心に憤慨を懷く。

されば會堂にてはユダヤ人および敬虔なる人々と論じ、市場にては日々逢ふところの者と論じたり。

斯てエピクロス派ならびにストア派の哲學者數人これと論じあひ、或者らは言ふ『この囀る者なにを言はんとするか』或者らは言ふ『かれは異なる神々を傳ふる者の如し』是はパウロがイエスと復活とを宣べたる故なり。

遂にパウロをアレオパゴスに連れ往きて言ふ『なんぢが語るこの新しき教の如何なるものなるを、我ら知り得べきか。

なんぢ異なる事を我らの耳に入るるが故に、我らその何事たるを知らんと思ふなり』

アテネ人も、彼處に住む旅人も、皆ただ新しき事を或は語り、或は聞きてのみ日を送りゐたり。

パウロ、アレオパゴスの中に立ちて言ふ 『アテネ人よ、我すべての事に就きて汝らが神々を敬ふ心の篤きを見る。

われ汝らが拜むものを見つつ道を過ぐるほどに「知らざる神に」と記したる一つの祭壇を見出したり。然れば我なんぢらが知らずして拜む所のものを汝らに示さん。

世界とその中のあらゆる物とを造り給ひし神は、天地の主にましませば、手にて造れる宮に住み給はず。

みづから凡ての人に生命と息と萬の物とを與へ給へば、物に乏しき所あるが如く、人の手にて事ふることを要し給はず。

一人よりして諸種の國人を造りいだし、之を地の全面に住ましめ、時期の限と住居の界とを定め給へり。

これ人をして神を尋ねしめ、或は探りて見出す事あらしめん爲なり。されど神は我等おのおのを離れ給ふこと遠からず、

我らは神の中に生き、動きまた在るなり。汝らの詩人の中の或者どもも「我らは又その裔なり」と云へる如し。

かく神の裔なれば、神を金・銀・石など人の工と思考とにて刻める物と等しく思ふべきにあらず。

神はかかる無知の時代を見過しにし給ひしが、今は何處にても凡ての人に悔改むべきことを告げたまふ。

曩に立て給ひし一人によりて、義をもて世界を審かんために日をさだめ、彼を死人の中より甦へらせて保證を萬人に與へ給へり』

人々、死人の復活をききて、或者は嘲笑ひしが、或者は『われら復この事を汝に聞かん』と言へり。

ここにパウロ人々のなかを出で去る。

されど彼に附隨ひて信じたるもの數人あり。其の中にアレオパゴスの裁判人デオヌシオ及びダマリスと名づくる女あり、尚その他にもありき。

第18章

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この後パウロ、アテネを離れてコリントに到り、

アクラと云ふポントに生れたるユダヤ人に遇ふ。クラウデオ、ユダヤ人にことごとくロマを退くべき命を下したるによりて、近頃その妻プリスキラと共にイタリヤより來りし者なり。

パウロ其の許に到りしに、同業なりしかば偕に居りて工をなせり。彼らの業は幕屋製造なり。

かくて安息日毎に會堂にて論じ、ユダヤ人とギリシヤ人とを勸む。

シラスとテモテとマケドニヤより來りて後は、パウロ專ら御言を宣ぶることに力め、イエスのキリストたることをユダヤ人に證せり。

然るに、彼ら之に逆ひかつ罵りたれば、パウロ衣を拂ひて言ふ『なんぢらの血は汝らの首に歸すべし、我はいさぎよし、今より異邦人に往かん』

遂に此處を去りて、神を敬ふテテオ・ユストと云ふ人の家に到る。この家は會堂に隣れり。

會堂司クリスポその家族一同と共に主を信じ、また多くのコリント人も聽きて信じ、かつバプテスマを受けたり。

主は夜まぼろしの中にパウロに言ひ給ふ『おそるな、語れ、默すな、

我なんぢと偕にあり、誰も汝を攻めて害ふ者なからん。此の町には多くの我が民あり』

かくてパウロ一年六个月ここに留りて神の言を教へたり。

ガリオ、アカヤの總督たる時、ユダヤ人、心を一つにしてパウロを攻め、審判の座に曳きゆき、

『この人は律法にかなはぬ仕方にて神を拜むことを人に勸む』と言ひたれば、

パウロ口を開かんとせしに、ガリオ、ユダヤ人に言ふ『ユダヤ人よ、不正または奸惡の事ならば、我が汝らに聽くは道理なれど、

もし言・名あるいは汝らの律法にかかはる問題ならば、汝等みづから理むべし。我かかる事の審判人となるを好まず』

かくて彼らを審判の座より逐ひいだす。

ここに人々みな會堂司ソステネを執へ、審判の座の前にて打ち抃きたり。ガリオは凡て此らの事を意とせざりき。

パウロなほ久しく留りてのち、兄弟たちに別を告げ、プリスキラとアクラとを伴ひ、シリヤに向ひて船出す。早くより誓願ありたれば、ケンクレヤにて髮を剃れり。

かくてエペソに著き、其處にこの二人を留めおき、自らは會堂に入りてユダヤ人と論ず。

人々かれに今しばらく居らんことを請ひたれど、肯んぜずして、

別を告げ『神の御意ならば復なんぢらに返らん』と言ひてエペソより船出し、

カイザリヤにつき、而してエルサレムに上り、教會の安否を問ひてアンテオケに下り、

此處に暫く留りて後、また去りてガラテヤ、フルギヤの地を次々に經て凡ての弟子を堅うせり。

時にアレキサンデリヤ生れのユダヤ人にて、聖書に通達したるアポロと云ふ能辯なる者エペソに下る。

この人は曩に主の道を教へられ、ただヨハネのバプテスマを知るのみなれど、熱心にして詳細にイエスの事を語り、かつ教へたり。

かれ會堂にて臆せずして語り始めしを、プリスキラとアクラと聞きゐて之を迎へ入れ、なほも詳細に神の道を解き明せり。

アポロ遂にアカヤに渡らんとしたれば、兄弟たち之を勵まし、かつ弟子たちに彼を受け容るるやうに書き贈れり。彼かしこに往き、既に恩惠によりて信じたる者に多くの益を與ふ。

即ち聖書に基き、イエスのキリストたる事を示して、激甚くかつ公然にユダヤ人を言ひ伏せたるなり。

第19章

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かくてアポロ、コリントに居りし時、パウロ東の地方を經てエペソに到り、或弟子たちに逢ひて、

『なんぢら信者となりしとき聖靈を受けしか』と言ひたれば、彼等いふ『いな、我らは聖靈の有ることすら聞かず』

パウロ言ふ『されば何によりてバプテスマを受けしか』彼等いふ『ヨハネのバプテスマなり』

パウロ言ふ『ヨハネは悔改のバプテスマを授けて、己に後れて來るもの(即ちイエス)を信ずべきことを民に云へるなり』

彼等これを聞きて主イエスの名によりてバプテスマを受く。

パウロ手を彼らの上に按きしとき、聖靈その上に望みたれば、彼ら異言を語り、かつ預言せり。

この人々は凡て十二人ほどなり。

ここにパウロ會堂に入りて、三个月のあひだ臆せずして神の國に就きて論じ、かつ勸めたり。

然るに或者ども頑固になりて從はず、會衆の前に神の道を譏りたれば、パウロ彼らを離れ、弟子たちをも退かしめ、日毎にツラノの會堂にて論ず。

斯くすること二年の間なりしかば、アジヤに住む者は、ユダヤ人もギリシヤ人もみな主の言を聞けり。

而して神はパウロの手によりて尋常ならぬ能力ある業を行ひたまふ。

即ち人々かれの身より或は手拭あるひは前垂をとりて病める者に著くれば、病は去り惡靈は出でたり。

ここに諸國遍歴の咒文師なるユダヤ人數人あり、試みに惡靈に憑かれたる者に對して、主イエスの名を呼び『われパウロの宣ぶるイエスによりて、汝らに命ず』と言へり。

斯くなせる者の中に、ユダヤの祭司長スケワの七人の子もありき。

惡靈こたへて言ふ『われイエスを知り、又パウロを知る。然れど汝らは誰ぞ』

かくて惡靈の入りたる人、かれらに跳びかかりて二人に勝ち、これを打拉ぎたれば、彼ら裸體になり傷を受けてその家を逃げ出でたり。

此の事エペソに住む凡てのユダヤ人とギリシヤ人とに知れたれば、懼かれら一同のあひだに生じ、主イエスの名崇めらる。

信者となりし者おほく來り、懴悔して自らの行爲を告ぐ。

また魔術を行ひし多くの者ども、その書物を持ちきたり、衆人の前にて焚きたるが、其の價を算ふれば銀五萬ほどなりき。

主の言、大に弘りて權力を得しこと斯くの如し。

此等の事のありし後、パウロ、マケドニヤ、アカヤを經てエルサレムに往かんと心を決めて言ふ『われ彼處に到りてのち必ずロマをも見るべし』

かくて己に事ふる者の中にてテモテとエラストとの二人をマケドニヤに遣し、自己はアジヤに暫く留る。

その頃この道に就きて一方ならぬ騷擾おこれり。

デメテリオと云ふ銀細工人ありしが、アルテミスの銀の小宮を造りて細工人らに多くの業を得させたり。

それらの者および同じ類の職業者を集めて言ふ『人々よ、われらが此の業に頼りて利益を得ることは、汝らの知る所なり。

然るに、かのパウロは手にて造れる物は神にあらずと云ひて、唯にエペソのみならず、殆ど全アジヤにわたり、多くの人々を説き勸めて惑したり、これ亦なんぢらの見聞する所なり。

かくては啻に我らの職業の輕しめらるる恐あるのみならず、また大女神アルテミスの宮も蔑せられ、全アジヤ全世界のをがむ大女神の稜威も滅ぶるに至らん』

彼等これを聞きて憤恚に滿され、叫びて言ふ『大なる哉、エペソ人のアルテミス』

かくて町擧りて騷ぎ立ち、人々パウロの同行者なるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコとを捕へ、心を一つにして劇場に押入りたり。

パウロ集民のなかに入らんとしたれど、弟子たち許さず。

又アジヤの祭の司のうちの或者どもも彼と親しかりしかば、人を遣して劇場に入らぬやうにと勸めたり。

ここに會衆おほいに亂れ、大方はその何のために集りたるかを知らずして、或者はこの事を、或者はかの事を叫びたり。

遂に群衆の或者ども、ユダヤ人の推し出したるアレキサンデルに勸めたれば、かれ手を搖かして集民に辯明をなさんとすれど、

其のユダヤ人たるを知り、みな同音に『おほいなる哉、エペソ人のアルテミス』と呼はりて二時間ばかりに及ぶ。

時に書記役、群衆を鎭めおきて言ふ『さてエペソ人よ、誰かエペソの町が大女神アルテミス及び天より降りし像の宮守なることを知らざる者あらんや。

これは言ひ消し難きことなれば、なんぢら靜なるべし、妄なる事を爲すべからず。

この人々は宮の物を盜む者にあらず、我らの女神を謗る者にもあらず、然るに汝ら之を曳き來れり。

もしデメテリオ及び偕にをる細工人ら、人に就きて訴ふべき事あらば、裁判の日あり、かつ司あり、彼等おのおの訴ふべし。

もし又ほかの事につきて議する所あらば、正式の議會にて決すべし。

我ら今日の騷擾につきては、何の理由もなきにより咎を受くる恐あり。この會合につきて言ひひらくこと能はねばなり』

斯く言ひて集會を散じたり。

第20章

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騷亂のやみし後、パウロ弟子たちを招きて勸をなし、之に別を告げ、マケドニヤに往かんとて出で立つ。

而して、かの地方を巡り多くの言をもて弟子たちを勸めし後、ギリシヤに到る。

そこに留ること三个月にして、シリヤに向ひて船出せんとする時、おのれを害はんとするユダヤ人らの計略に遭ひたれば、マケドニヤを經て歸らんと心を決む。

之に伴へる人々はベレア人にしてプロの子なるソパテロ、テサロニケ人アリスタルコ及びセクンド、デルベ人ガイオ及びテモテ、アジヤ人テキコ及びトロピモなり。

彼らは先だちゆき、トロアスにて我らを待てり。

我らは除酵祭の後ピリピより船出し、五日にしてトロアスに著き、彼らの許に到りて七日のあひだ留れり。

一週の首の日われらパンを擘かんとて集りしが、パウロ明日いで立たんとて彼等とかたり、夜半まで語り續けたり。

集りたる高樓には多くの燈火ありき。

ここにユテコといふ若者窓に倚りて坐しゐたるが、甚く眠氣ざすほどに、パウロの語ること愈々久しくなりたれば、遂に熟睡して三階より落つ。これを扶け起したるに、はや死にたり。

パウロ降りて其の上に伏し、かき抱きて言ふ『なんぢら騷ぐな、生命はなほ内にあり』

乃ち復のぼりてパンを擘き、食してのち久しく語りあひ、夜明に至り遂に出でたてり。

人々かの若者の活きたるを連れきたり、甚く慰藉を得たり。

かくて我らは先だちて船に乘り、アソスにてパウロを載せんとして彼處に船出せり。彼は徒歩にて往かんとて斯くは定めたるなり。

我らアソスにてパウロを待ち迎へ、これを載せてミテレネに渡り、

また彼處より船出して翌日キヨスの彼方にいたり、次の日サモスに立ち寄り、その次の日ミレトに著く。

パウロ、アジヤにて時を費さぬ爲に、エペソには船を寄せずして過ぐることに定めしなり。これは成るべく五旬節の日エルサレムに在ることを得んとて急ぎしに因る。

而してパウロ、ミレトより人をエペソに遣し、教會の長老たちを呼びて、

その來りし時かれらに言ふ 『わがアジヤに來りし初の日より、如何なる状にて常に汝らと偕に居りしかは、汝らの知る所なり。

即ち謙遜の限をつくし、涙を流し、ユダヤ人の計略によりて迫り來し艱難に耐へて主につかへ、

益となる事は何くれとなく憚らずして告げ、公然にても家々にても汝らを教へ、

ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に對して悔改め、われらの主イエスに對して信仰すべきことを證せり。

視よ、今われは心搦められてエルサレムに往く。彼處にて如何なる事の我に及ぶかを知らず。

ただ聖靈いづれの町にても我に證して、縲絏と患難と我を待てりと告げたまふ。

然れど我わが走るべき道程と、主イエスより承けし職、すなわち神の惠の福音を證する事とを果さん爲には、固より生命をも重んぜざるなり。

視よ、今われは知る、前に汝らの中を歴巡りて御國を宣傳へし我が顏を、汝ら皆ふたたび見ざるべきを。

この故に、われ今日なんぢらに證す、われは凡ての人の血につきていさぎよし。

我は憚らずして神の御旨をことごとく汝らに告げしなり。

汝等みづから心せよ、又すべての群に心せよ、聖靈は汝等を群のなかに立てて監督となし、神の己の血をもて買ひ給ひし教會を牧せしめ給ふ。

われ知る、わが出で去るのち、暴き豺狼なんぢらの中に入りきたりて、群を惜まず、

又なんぢらの中よりも、弟子たちを己が方に引き入れんとて、曲れることを語るもの起らん。

されば汝ら目を覺しをれ。三年の間わが夜も晝も休まず、涙をもて汝等おのおのを訓戒せしことを憶えよ。

われ今なんぢらを、主および其の惠の御言に委ぬ。御言は汝らの徳を建て、すべての潔められたる者とともに嗣業を受けしめ得るなり。

我は人の金銀・衣服を貪りし事なし。

この手は我が必要に供へ、また我と偕なる者に供へしことを汝等みづから知る。

我すべての事に於て例を示せり、即ち汝らも斯く働きて、弱き者を助け、また主イエスの自ら言ひ給ひし「與ふるは受くるよりも幸福なり」との御言を記憶すべきなり』

斯く言ひて後、パウロ跪づきて一同とともに祈れり。

みな大に歎きパウロの頸を抱きて接吻し、

そのふたたび我が顏を見ざるべしと云ひし言によりて特に憂ひ、遂に彼を船まで送りゆけり。

第21章

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ここに我ら人々と別れて船出をなし、眞直にはせてコスに到り、次の日ロドスにつき、彼處よりパタラにわたる。

此の處にてピニケにゆく船に遇ひ、これに乘りて船出す。

クプロを望み、之を左にして過ぎ、シリヤに向ひて進み、ツロに著きたり、此處にて船荷を卸さんとすればなり。

かくて弟子たちに尋ね逢ひて七日留れり。かれら御靈によりてパウロに、エルサレムに上るまじき事を云へり。

然るに我ら七日終りて後、いでて旅立ちたれば、彼等みな妻子とともに町の外まで送りきたり、諸共に濱邊に跪づきて祈り、

相互に別を告げて我らは船に乘り、彼らは家に歸れり。

ツロをいでトレマイに到りて船路つきたり。此處にて兄弟たちの安否を訪ひ、かれらの許に一日留り、

明くる日ここを去りてカイザリヤにいたり、傳道者ピリポの家に入りて留る、彼はかの七人の一人なり。

この人に預言する四人の娘ありて、處女なりき。

我ら數日留り居るうちに、アガボと云ふ預言者ユダヤより下り、

我らの許に來りてパウロの帶をとり、己が足と手とを縛りて言ふ『聖靈かく言ひ給ふ「エルサレムにて、ユダヤ人この帶の主を斯くの如く縛りて異邦人の手に付さん」と』

われら之を聞きて此の地の人々とともにパウロに、エルサレムに上らざらんことを勸む。

その時パウロ答ふ『なんぢら何ぞ歎きて我が心を挫くか、我エルサレムにて、主イエスの名のために、唯に縛らるるのみかは、死ぬることをも覺悟せり』

斯く我らの勸告を納れるによりて『主の御意の如くなれかし』と言ひて止む。

この後われら行李を整へてエルサレムに上る。

カイザリヤに居る弟子も數人ともに往き、我らの宿らんとするクプロ人マナソンといふ舊き弟子のもとに案内したり。

エルサレムに到りたれば、兄弟たち歡びて我らを迎へたり。

翌日パウロ我らと共にヤコブの許に往きしに、長老たちみなあつまり居たり。

パウロその安否を問ひて後、おのが勤勞によりて異邦人のうちに神の行ひ給ひしことを、一々告げたれば、

彼ら聞きて神を崇め、またパウロに言ふ『兄弟よ、なんぢの見るごとく、ユダヤ人のうち、信者となりたるもの數萬人あり、みな律法に對して熱心なる者なり。

彼らは、汝が異邦人のうちに居る凡てのユダヤ人に對ひて、その兒らに割禮を施すな、習慣に從ふなと云ひて、モーセに遠ざかることを教ふと聞けり。

如何にすべきか、彼らは必ず汝の來りたるを聞かん。

されば汝われらの言ふ如くせよ、我らの中に誓願あるもの四人あり、

汝かれらと組みて之とともに潔をなし、彼等のために費を出して髮を剃らしめよ。さらば人々みな汝につきて聞きたることの虚僞にして、汝も律法を守りて正しく歩み居ることを知らん。

異邦人の信者となりたる者につきては、我ら既に書き贈りて、偶像に献げたる物と、血と、絞殺したる物と、淫行とに遠ざかるべき事を定めたり』

ここにパウロその人々と組みて、次の日ともどもに潔をなして宮に入り、潔の期滿ちて各人のために献物をささぐべき日を告げたり。

かくて七日の終らんとする時、アジヤより來りしユダヤ人ら、宮の内にパウロの居るを見て、群衆を騷がし、かれに手をかけ叫びて言ふ、

『イスラエルの人々助けよ、この人はいたる處にて民と律法と此の所とに悖れることを人々に教ふる者なり、然のみならず、ギリシヤ人を宮に率き入れて、此の聖なる所をも汚したり』

からら曩にエペソ人トロピモがパウロとともに市中にゐたるを見て、パウロ之を宮に率き入れしと思ひしなり。

ここに市中みな騷ぎたち、民ども馳せ集り、パウロを捕へて宮の外に曳き出せり、かくて門は直ちに鎖されたり。

彼らパウロを殺さんとせしとき、軍隊の千卒長に、エルサレム中さわぎ立てりとの事きこえたれば、


かれ速かに兵卒および百卒長らを率ゐて馳せ下る。かれら千卒長と兵卒とを見て、パウロを打つことを止む。

千卒長、近よりてパウロを執へ、命じて二つの鏈にて繋がせ、その何人なるか、何事をなしたるかを尋ぬるに、

群衆の中にて或者はこの事を、或者はかの事を呼はり、騷亂のために確なる事を知るに由なく、命じて陣營に曳き來らしめたり。

階段に至れるに、群衆の手暴きによりて、兵卒パウロを負ひたり。

これ群れる民ども『彼を除け』と叫びつつ隨ひ迫れる故なり。

パウロ陣營に曳き入れられんとするとき、千卒長に言ふ『われ汝に語りて可きか』かれ言ふ『なんぢギリシヤ語を知るか。

汝はかのエジプト人にして、曩に亂を起して四千人の刺客を荒野に率ゐ出でし者ならずや』

パウロ言ふ『我はキリキヤなるタルソのユダヤ人、鄙しからぬ市の市民なり。請ふ民に語るを許せ』

之を許したれば、パウロ階段の上に立ち、民に對ひて手を搖かし、大に靜まれる時、ヘブルの語にて語りて言ふ、

第22章

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『兄弟たち親たちよ、今なんぢらに對する辯明を聽け』

人々そのヘブルの語を語るを聞きてますます靜になりたれば、又いふ、

『我はユダヤ人にてキリキヤのタルソに生れしが、此の都にて育てられ、ガマリエルの足下にて先祖たちの律法の嚴しき方に遵ひて教へられ、今日の汝らのごとく神に對して熱心なる者なりき。

我この道を迫害し、男女を縛りて獄に入れ、死にまで至らしめしことは、

大祭司も凡ての長老も我に就きて證するなり。我は彼等より兄弟たちへの書を受けて、ダマスコに寓り居る者どもを縛り、エルサレムに曳き來りて罰を受けしめんとて彼處にゆけり。

往きてダマスコに近づきたるに、正午ごろ忽ち大なる光、天より出でて我を環り照せり。

その時われ地に倒れ、かつ我に語りて「サウロ、サウロ、何ぞ我を迫害するか」といふ聲を聞き、

「主よ、なんぢは誰ぞ」と答へしに「われは汝が迫害するナザレのイエスなり」と言ひ給へり。

偕に居る者ども光は見しが、我に語る者の聲は聞かざりき。

われ復いふ「主よ、我なにを爲すべきか」主いひ給ふ「起ちてダマスコに往け、なんぢの爲すべき定りたる事は彼處にて悉とく告げらるべし」

我は、かの光の晃耀にて目見えずなりたれば、偕にをる者に手を引かれてダマスコに入りたり。

ここに律法に據れる敬虔の人にして、其の町に住む凡てのユダヤ人に令聞あるアナニヤという者あり。

彼われに來り傍らに立ちて「兄弟サウロよ、見ることを得よ」と言ひたれば、その時、仰ぎて彼を見たり。

かれ又いふ「我らの先祖の神は、なんぢを選びて御意を知らしめ、又かの義人を見、その御口の聲を聞かしめんとし給へり。

これは汝の見聞したる事につきて、凡ての人に對し彼の證人とならん爲なり。

今なんぞ躊躇ふか、起て、その御名を呼び、バプテスマを受けて汝の罪を洗ひ去れ」

かくて我エルサレムに歸り、宮にて祈りをるとき、我を忘れし心地して主を見奉るに、我に斯く言ひ給ふ、

「なんぢ急げ、早くエルサレムを去れ、人々われに係る汝の證を受けぬ故なり」

我いふ「主よ、我さきに汝を信ずる者を獄に入れ、諸會堂にて之を扑ち、

又なんぢの證人ステパノの血の流されしとき、我もその傍らに立ちて之を可しとし、殺す者どもの衣を守りしことは、彼らの知る所なり」

われに言ひ給ふ「往け、我なんぢを遠く異邦人に遣すなり」と』

人々きき居たりしが、此の言に及び、聲を揚げて言ふ『斯くのごとき者をば地より除け、生かしおくべき者ならず』

斯く叫びつつ其の衣を脱ぎすて、塵を空中に撒きたれば、

千卒長、人々が何故パウロにむかひて斯く叫び呼はるかを知らんとし、鞭うちて訊ぶることを命じて、彼を陣營に曳き入れしむ。

革鞭をあてんとてパウロを引き張りし時、かれ傍らに立つ百卒長に言ふ『ロマ人たる者を罪も定めずして鞭うつは可きか』

百卒長これを聞きて千卒長に往き、告げて言ふ『なんぢ何をなさんとするか、此の人はロマ人なり』

千卒長きたりて言ふ『なんぢはロマ人なるか、我に告げよ』かれ言ふ『然り』

千卒長こたふ『我は多くの金をもて此の民籍を得たり』パウロ言ふ『我は生れながらなり』

ここに訊べんとせし者どもは直ちに去り、千卒長はそのロマ人なるを知り、之を縛りしことを懼れたり。

明くる日、千卒長かれが何故ユダヤ人に訴へられしか、確なる事を知らんと欲して、彼の縛を解き、命じて祭司長らと全議會とを呼び集め、パウロを曳き出して其の前に立たしめたり。

第23章

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パウロ議會に目を注ぎて言ふ『兄弟たちよ、我は今日に至るまで事毎に良心に從ひて神に事へたり』

大祭司アナニヤ傍らに立つ者どもに、彼の口を撃つことを命ず。

ここにパウロ言ふ『白く塗りたる壁よ、神なんぢを撃ち給はん、なんぢ律法によりて我を審くために坐しながら、律法に悖りて我を撃つことを命ずるか』

傍らに立つ者いふ『なんぢ神の大祭司を罵るか』

パウロ言ふ『兄弟たちよ、我その大祭司たることを知らざりき。録して「なんぢの民の司をそしる可からず」とあればなり』

かくてパウロ、その一部はサドカイ人、その一部はパリサイ人たるを知りて、議會のうちに呼はりて言ふ『兄弟たちよ、我はパリサイ人にしてパリサイ人の子なり、我は死人の甦へることの希望につきて審かるるなり』

斯く言ひしに因りて、パリサイ人とサドカイ人との間に紛爭おこりて、會衆相分れたり。

サドカイ人は復活もなく御使も靈もなしと言ひ、パリサイ人は兩ながらありと云ふ。

遂に大なる喧噪となりて、パリサイ人の中の學者數人たちて爭ひて言ふ『われら此の人に惡しき事あるを見ず、もし靈または御使かれに語りたるならば如何』

紛爭いよいよ激しくなりたれば、千卒長、パウロの彼らに引裂かれんことを恐れ、兵卒どもに命じて下りゆかしめ、彼らの中より引取りて陣營に連れ來らしめたり。

その夜、主パウロの傍らに立ちて言ひ給ふ『雄々しかれ、汝エルサレムにて我につきて證をなしたる如く、ロマにても證をなすべし』

夜明になりてユダヤ人、徒黨を組み盟約を立てて、パウロを殺すまでは飮食せじと言ふ。

この徒黨を結びたる者は四十人餘なり。

彼らは祭司長・長老らに往きて言ふ『われらパウロを殺すまでは何をも味ふまじと堅く盟約を立てたり。

されば汝等なほ詳細に訊べんとする状して、彼を汝らの許に連れ下らすることを、議會とともに千卒長に訴へよ。我等その近くならぬ間に殺す準備をなせり』


パウロの姉妹の子この待伏の事をきき、往きて陣營に入りパウロに告げたれば、

パウロ百卒長の一人を呼びて言ふ『この若者を千卒長につれ往け、告ぐる事あり』

百卒長これを携へ、千卒長に至りて言ふ『囚人パウロ我を呼びて、この若者なんぢに言ふべき事ありとて、汝に連れ往くことを請へり』

千卒長その手を執り退きて、私に問ふ『われに告ぐる事とは何ぞ』

若者いふ『ユダヤ人は、汝がパウロの事をなほ詳細に訊ぶる爲にとて、明日かれを議會に連れ下ることを汝に請はんと申合せたり。

汝その請に從ふな、彼らの中にて四十人餘の者、パウロを待伏せ、之を殺すまでは飮食せじと盟約を立て、今その準備をなして汝の許諾を待てり』

ここに千卒長、若者に『これらの事を我に訴へたりと誰にも語るな』と命じて歸せり。

さて百卒長を兩三人よびて言ふ『今夜九時ごろカイザリヤに向けて往くために、兵卒二百、騎兵七十、槍をとる者二百を整へよ』

また畜を備へ、パウロを乘せて安全に總督ペリクスの許に護送することを命じ、

かつ左のごとき書をかき贈る。

『クラウデオ・ルシヤ謹みて總督ペリクス閣下の平安を祈る。

この人はユダヤ人に捕へられて殺されんとせしを、我そのロマ人なるを聞き、兵卒どもを率ゐ往きて救へり。

ユダヤ人の彼を訴ふる理由を知らんと欲して、その議會に引き往きたるに、

彼らの律法の問題につき訴へられたるにて、死もしくは縛に當る罪の訴訟にあらざるを知りたり。

又この人を害せんとする謀計ありと我に聞えたれば、われ俄にこれを汝のもとに送り、これを訴ふる者に、なんぢの前にて彼を訴へんことを命じたり』

ここに兵卒ども命ぜられたる如くパウロを受けとりて、夜中アンテパトリスまで連れてゆき、

翌日これを騎兵に委ね、ともに往かしめて陣營に歸れり。

騎兵はカイザリヤに入り、總督に書をわたし、パウロを其の前に立たしむ。

總督、書を讀みて、パウロのいづこの國の者なるかを問ひ、そのキリキヤ人なるを知りて、

『汝を訴ふる者の來らんとき、尚つまびらかに汝のことを聽かん』と言ひ、かつ命じて、ヘロデでの官邸に之を守らしめたり。

第24章

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五日ののち、大祭司アナニヤ數人の長老およびテルトロと云ふ辯護士とともに下りて、パウロを總督に訴ふ。

パウロ呼び出されたれば、テルトロ訴へ出でて言ふ『ペリクス閣下よ、われらは汝によりて太平を樂しみ、

なんぢの先見によりて、此の國人のために時に隨ひ處に隨ひて、惡しき事の改められたるを感謝して罷まず。

ここに喃々しく陳べて汝を妨ぐまじ、願はくは寛容をもて我が少しの言を聽け。

我等この人を見るに、恰も疫病のごとくにて、全世界のユダヤ人のあひだに騷擾をおこし、且ナザレ人の異端の首にして、

宮をさへ瀆さんとしたれば、之を捕へたり。

[なし]

汝この人に就きて訊さば、我らの訴ふる所をことごとく知り得べし』

ユダヤ人も之に加へて、誠にその如くなりと主張す。

總督、首にて示しパウロに言はしめたれば、答ふ

『なんぢが年久しくこの國人の審判人たることを我は知るゆゑに、喜びて我が辯明をなさん。

なんぢ知り得べし、我が禮拜のためにエルサレムに上りてより僅か十二日に過ぎず、

また彼らは、我が宮にても會堂にても市中にても、人と爭ひ群衆を騷がしたるを見ず、

いま訴へたる我が事につきても證明すること能はざるなり。

我ただ此の一事を汝に言ひあらはさん、即ち我は彼らが異端と稱ふる道に循ひて、我が先祖たちの神につかへ、律法と預言者の書とに録したる事をことごとく信じ、

かれら自らも待てるごとく、義者と不義者との復活あるべしと、神を仰ぎて望を懷くなり。

この故に、われ常に神と人とに對して良心の責なからんことを勉む。

我は多くの年を經てのち歸りきたり、我が民に施濟をなし、また献物をささげゐたりしが、

その時かれらは我が潔をなして宮にをるを見たるのみにて、群衆もなく騷擾もなかりしなり。

然るにアジアより來れる數人のユダヤ人ありて――もし我に咎むべき事あらば、彼らが汝の前に出でて訴ふることを爲べきなり。

或はまた此處なる人々、わが先に議會に立ちしとき、我に何の不義を認めしか言へ。

唯われ彼らの中に立ちて「死人の甦へる事につきて我けふ汝らの前にて審かる」と呼はりし一言の他には何もなかるべし』


ペリクスこの道のことを詳しく知りたれば、審判を延して言ふ『千卒長ルシヤの下るを待ちて汝らの事を定むべし』

かくて百卒長に命じパウロを守らせ、寛かならしめ、かつ友の之に事ふるをも禁ぜざらしむ。

數日の後ペリクス、その妻なるユダヤ人の女ドルシラとともに來り、パウロを呼びよせてキリスト・イエスに對する信仰のことを聽き、

パウロが正義と節制と來らんとする審判とにつきて論じたる時、ペリクス懼れて答ふ『今は去れ、よき機を得てまた招かん』

かくてパウロより金を與へられんことを望みて、尚しばしば彼を呼びよせては語れり。

二年を經てポルシオ・フェスト、ペリクスの任に代りしが、ペリクス、ユダヤ人の意を迎へんとして、パウロを繋ぎたるままに差措けり。

第25章

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フェスト任國にいたりて三日の後、カイザリヤよりエルサレムに上りたれば、

祭司長ら及びユダヤ人の重立ちたる者ども、パウロを訴へ之を害はんとして、

フェストの好意にて彼をエルサレムに召し出されんことを願ふ。斯くして道に待伏し、之を殺さんと思へるなり。

然るにフェスト答へて、パウロのカイザリヤに囚はれ在ることと、己が程なく歸るべき事とを告げ、

『もし彼に不善あらんには、汝等のうち然るべき者ども我とともに下りて訴ふべし』と言ふ。

かくて彼處に八日十日ばかり居りてカイザリヤに下り、明くる日、審判の座に坐し、命じてパウロを引出さしむ。

その出で來りし時、エルサレムより下りしユダヤ人ら、これを取圍みて樣々の重き罪を言ひ立てて訴ふれども、證すること能はず。

パウロは辯明して言ふ『我はユダヤ人の律法に對しても、宮に對しても、カイザルに對しても、罪を犯したる事なし』

フェスト、ユダヤ人の意を迎へんとしてパウロに答へて言ふ『なんぢエルサレムに上り、彼處にて我が前に審かるることを諾ふか』

パウロ言ふ『我はわが審かるべきカイザルの審判の座の前に立ちをるなり。汝の能く知るごとく、我はユダヤ人を害ひしことなし。

若しも罪を犯して死に當るべき事をなしたらんには、死ぬるを厭はじ。然れど此の人々の訴ふること實ならずば、誰も我を彼らに付すことを得じ、我はカイザルに上訴せん』

ここにフェスト陪席の者と相議りて答ふ『なんぢカイザルに上訴せんとす、カイザルの許に往くべし』

數日を經て後、アグリッパ王とベルニケとカイザリヤに到りてフェストの安否を問ふ。

多くの日留りゐたれば、フェスト、パウロのことを王に告げて言ふ『ここにペリクスが囚人として遺しおきたる一人の人あり、

我エルサレムに居りしとき、ユダヤ人の祭司長・長老ら之を訴へて罪に定めんことを願ひしが、

我は答へて、訴へらるる者の未だ訴ふる者の面前にて辯明する機を與へられぬ前に付すは、ロマ人の慣例にあらぬ事を告げたり。

この故に彼等ここに集りたれば、時を延さず次の日審判の座に坐し、命じてかの者を引出さしむ。

訴ふる者かれを圍みて立ちしが、思ひしごとき惡しき事は一つも陳ぶる所なし。

ただ己らの宗教、またはイエスと云ふ者の死にたるを活きたりと、パウロが主張するなどに關する問題のみなれば、

かかる審理には我も當惑せし故、かの人に「なんぢエルサレムに往き彼處にて審かるる事を好むか」と問ひしに、

パウロは上訴して皇帝の判決を受けん爲に守られんことを願ひしにより、命じて之をカイザルに送るまで守らせ置けり』

アグリッパ、フェストに言ふ『我もその人に聽かんと欲す』フェスト言ふ『なんぢ明日かれに聽くべし』

明くる日アグリッパとベルニケと大に威儀を整へてきたり、千卒長ら及び市の重立ちたる者どもと共に訊問所に入りたれば、フェストの命によりてパウロ引出さる。

フェスト言ふ『アグリッパ王、竝びに此處に居る凡ての者よ、汝らの見るこの人は、ユダヤの民衆が擧りて生かしおくべきにあらずと呼はりて、エルサレムにても此處にても我に訴へし者なり。

然るに我はその死に當るべき惡しき事を一つだに犯したるを認めねば、彼の自ら皇帝に上訴せんとする隨にその許に送らんと決めたり。

而して彼につきて我が主に上書すべき實情を得ず。この故に汝等のまへ、特にアグリッパ王よ、なんぢの前に引出し、訊問をなしてのち、上書すべき箇條を得んと思へり。

囚人を送るに訴訟の次第を陳べざるは道理ならずと思ふ故なり』


第26章

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アグリッパ、パウロに言ふ『なんぢは自己のために陳ぶることを許されたり』ここにパウロ手を伸べ、辯明して言ふ、

『アグリッパ王よ、我ユダヤ人より訴へられし凡ての事につきて、今日なんぢらの前に辯明するを我が幸福とす。

汝がユダヤ人の凡ての習慣と問題とを知るによりて殊に然りとす。されば請ふ、忍びて我に聽け。

わが始より國人のうちに又エルサレムに於ける幼き時よりの生活の状は、ユダヤ人のみな知る所なり。

彼等もし證せんと思はば、わが我らの宗教の最も嚴しき派に從ひて、パリサイ人の生活をなしし事を始より知れり。

今わが立ちて審かるるは、神が我らの先祖たちに約束し給ひしことの希望に因りてなり。

之を得んことを望みて、我が十二の族は夜も晝も熱心に神に事ふるなり。王よ、この希望につきて、我はユダヤ人に訴へられたり。

神は死人を甦へらせ給ふとも、汝等なんぞ信じ難しとするか。

我も曩にはナザレ人イエスの名に逆ひて樣々の事をなすを宜きことと自ら思へり。

我エルサレムにて之をおこなひ、祭司長らより權威を受けて多くの聖徒を獄にいれ、彼らの殺されし時これに同意し、

諸教會堂にてしばしば彼らを罰し、強ひて瀆言を言はしめんとし、甚だしく狂ひ、迫害して外國の町にまで至れり。

此のとき祭司長らより權威と委任とを受けてダマスコに赴きしが、

王よ、その途にて正午ごろ天よりの光を見たり、日にも勝りて輝き、我と伴侶とを圍み照せり。

我等みな地に倒れたるに、ヘブルの語にて「サウロ、サウロ、何ぞ我を迫害するか、刺ある策を蹴るは難し」といふ聲を我きけり。

われ言ふ「主よ、なんぢは誰ぞ」主いひ給ふ「われは汝が迫害するイエスなり。

起きて汝の足にて立て、わが汝に現れしは、汝をたてて其の見しことと我が汝に現れて示さんとする事との役者また證人たらしめん爲なり。

我なんぢを此の民および異邦人より救はん、又なんぢを彼らに遣し、

その目をひらきて暗より光に、サタンの權威より神に立ち歸らせ、我に對する信仰によりて罪の赦と潔められたる者のうちの嗣業とを得しめん」と。

この故にアグリッパ王よ、われは天よりの顯示に背かずして、

先づダマスコに居るもの、次にエルサレム及びユダヤ全國、また異邦人にまで、悔改めて神に立ちかへり、其の悔改にかなふ業をなすべきことを宣傅へたり。

之がためにユダヤ人われを宮にて捕へ、かつ殺さんとせり。

然るに神の祐によりて今日に至るまで尚存へて、小なる人にも大なる人にも證をなし、言ふところは預言者およびモーセが必ず來るべしと語りしことの外ならず。

即ちキリストの苦難を受くべきこと、最先に死人の中より甦へる事によりて、民と異邦人とに光を傳ふべきこと是なり』

パウロ斯く辯明しつつある時、フェスト大聲に言ふ『パウロよ、なんぢ狂氣せり、博學なんぢを狂氣せしめたり』

パウロ言ふ『フェスト閣下よ、我は狂氣せず、宣ぶる所は眞にして慥なる言なり。

王は此等のことを知るゆゑに、我その前に憚らずして語る。これらの事は片隅に行はれたるにあらねば、一つとして王の眼に隱れたるはなしと信ずるに因る。

アグリッパ王よ、なんぢ預言者の書を信ずるか、我なんぢの信ずることを知る』

アグリッパ、パウロに言ふ『なんぢ説くこと僅にして我をキリステアンたらしめんとするか』

パウロ言ふ『説くことの僅なるにもせよ、多きにもせよ、神に願ふは、啻に汝のみならず、凡て今日われに聽ける者の、この縲絏なくして我がごとき者とならんことなり』

ここに王も總督もベルニケも、列座の者どもも皆ともに立つ、

退きてのち相語りて言ふ『この人は死罪または縲絏に當るべき事をなさず』

アグリッパ、フェストに言ふ『この人カイザルに上訴せざりしならば釋さるべかりしなり』

第27章

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すでに我等をイタリヤに渡らしむること決りたれば、パウロ及びその他數人の囚人を、近衞隊の百卒長ユリアスと云ふ人に付せり。

ここに我らアジヤの海邊なる各處に寄せゆくアドラミテオの船の出帆せんとするに乘りて出づ。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも我らと共にありき。

次の日シドンに著きたれば、ユリアス懇切にパウロを遇ひ、その友らの許にゆきて歡待を受くることを許せり。

かくて此處より船出せしが、風の逆ふによりてクプロの風下の方をはせ、

キリキヤ及びパンフリヤの沖を過ぎてルキヤのミラに著く。

彼處にてイタリヤにゆくアレキサンデリヤの船に遇ひたれば、百卒長われらを之に乘らしむ。

多くの日のあひだ船の進み遲く、辛うじてクニドに對へる處に到りしが、風に阻へられてサルモネの沖を過ぎ、クレテの風下の方をはせ、

陸に沿ひ辛うじて良き港といふ處につく。その近き處にラサヤの町あり。

船路久しきを歴て、斷食の期節も既に過ぎたれば、航海危きにより、パウロ人々に勸めて言ふ、

『人々よ、我この航海の害あり損多くして、ただ積荷と船とのみならず、我らの生命にも及ぶべきを認む』

されど百卒長は、パウロの言ふ所よりも船長と船主との言を重んじたり。

且この港は冬を過すに不便なるより、多數の者も、なし得んにはピニクスに到り、彼處にて冬を過さんとて、此處を船出するを可しとせり。ピニクスはクレテの港にて東北と東南とに向ふ。

南風おもむろに吹きたれば、彼ら志望を得たりとして錨をあげ、クレテの岸邊に沿ひて進みたり。

幾程もなくユーラクロンといふ疾風その島より吹きおろし、

之がために船は吹き流され、風に向ひて進むこと能はねば、船は風の追ふに任す。

クラウダといふ小島の風下の方にいたり、辛うじて小艇を收め、

これを船に引上げてのち、備綱にて船體を卷き縛り、またスルテスの洲に乘りかけんことを恐れ、帆を下して流る。

いたく暴風に惱され、次の日、船の者ども積荷を投げすて、

三日めに手づから船具を棄てたり。

數日のあひだ日も星も見えず、暴風はげしく吹き荒びて、我らの救はるべき望ついに絶え果てたり。

人々の食せぬこと久しくなりたる時、パウロその中に立ちて言ふ『人々よ、なんぢら前に我が勸をきき、クレテより船出せずして、この害と損とを受けずあるべき筈なりき。

いま我なんぢらに勸む、心安かれ、汝等のうち一人だに生命をうしなふ者なし、ただ船を失はん。

わが屬するところ我が事ふる所の神の使、昨夜わが傍らに立ちて、

「パウロよ、懼るな、なんぢ必ずカイザルの前に立たん、視よ、神は汝と同船する者をことごとく汝に賜へり」と云ひたればなり。

この故に人々よ、心安かれ、我はその我に語り給ひしごとく必ず成るべしと神を信ず。

而して我らは或島に推上げらるべし』

かくて十四日めの夜に至りて、アドリヤの海を漂ひゆきたるに、夜半ごろ水夫ら陸に近づきたりと思ひて、

水を測りたれば、二十尋なるを知り、少しく進みてまた測りたれば、十五尋なるを知り、

岩に乘り上げんことを恐れて、艫より錨を四つ投して夜明を待ちわぶ。

然るに水夫ら船より逃れ去らんと欲し、舳より錨を曳きゆくに言寄せて小艇を海に下したれば、

パウロ、百卒長と兵卒らとに言ふ『この者ども若し船に留らずば、汝ら救はるること能はず』

ここに兵卒ら小艇の綱を斷切りて、その流れゆくに任す。

夜の明けんとする頃、パウロ凡ての人に食せんことを勸めて言ふ『なんぢら待ち待ちて食事せぬこと今日にて十四日なり。

されば汝らに食せんことを勸む、これ汝らが救のためなり、汝らの頭髮一筋だに首より落つる事なし』

斯く言ひて後みづからパンを取り、一同の前にて神に謝し、擘きて食し始めたれば、

人々もみな心を安んじて食したり。

船に居る我らは凡て二百七十六人なりき。

人々食し飽きてのち、穀物を海に投げ棄てて船を輕くせり。

夜明になりて、孰の土地かは知らねど、砂濱の入江を見出し、なし得べくば此處に船を寄せんと相議り、

錨を斷ちて海に棄つるとともに、舵纜をゆるめ舳の帆を揚げて、風にまかせつつ砂濱さして進む。

然るに潮の流れあふ處にいたりて船を淺瀬に乘り上げたれば、舳膠著きて動かず、艫は浪の激しきに破れたり。

兵卒らは囚人の泳ぎて逃れ去らんことを恐れ、これを殺さんと議りしに、

百卒長パウロを救はんと欲して、その議るところを阻み、泳ぎうる者に命じ、海に跳び入りてまず上陸せしめ、

その他の者をば或は板あるひは船の碎片に乘らしむ。斯くしてみな上陸して救はるるを得たり。

第28章

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われら救はれて後、この島のマルタと稱ふるを知れり。

土人ら一方ならぬ情を我らに表し、降りしきる雨と寒氣とのために、火を焚きて我ら一同を待遇せり。

パウロ柴を束ねて火にくべたれば、熱によりて蝮いでて其の手につく。

蛇のその手に懸りたるを土人ら見て互に言ふ『この人は必ず殺人者なるべし、海より救はれしも、天道はその生くるを容さぬなり』

パウロ蛇を火のなかに振り落して何の害をも受けざりき。

人々は彼が腫れ出づるか、または忽ち倒れ死ぬるならんと候ふ。久しく窺ひたれど、聊かも害を受けぬを見て、思を變へて、此は神なりと言ふ。

この處の邊に島司のもてる土地あり、島司の名はポプリオといふ。此の人われらを迎へて懇切に三日の間もてなせり。

ポプリオの父、熱と痢病とに罹りて臥し居たれば、パウロその許にいたり、祈りかつ手を按きて醫せり。

この事ありてより、島の病める人々みな來りて醫されたれば、

禮を厚くして我らを敬ひ、また船出の時には必要なる品々を贈りたり。

三月の後、われらはこの島に冬籠せしデオスクリの號あるアレキサンデリヤの船にて出で、

シラクサにつきて三日とまり、

此處より繞りてレギオンにいたり、一日を過ぎて南風ふき起りたれば、我ら二日めにポテオリに著き、

此處にて兄弟たちに逢ひ、その勸によりて七日のあひだ留り、而して遂にロマに往く。

かしこの兄弟たち我らの事をききて、アピオポロおよびトレスタベルネまで來りて我らを迎ふ。パウロこれを見て神に感謝し、その心勇みたり。

我らロマに入りて後、パウロは己を守る一人の兵卒とともに別に住むことを許さる。

三日すぎてパウロ、ユダヤ人の重立ちたる者を呼び集む。その集りたる時これに言ふ『兄弟たちよ、我はわが民わが先祖たちの慣例に悖ることを一つも爲さざりしに、エルサレムより囚人となりて、ロマ人の手に付されたり。

かれら我を審きて死に當ることなき故に、我を釋さんと思ひしに、

ユダヤ人さからひたれば、餘義なくカイザルに上訴せり。然れど我が國人を訴へんとせしにあらず。

この故に我なんぢらに會ひ、かつ共に語らんことを願へり、我はイスラエルの懷く希望の爲にこの鎖に繋がれたり』

かれら言ふ『われら汝につきてユダヤより書を受けず、また兄弟たちの中より來りて、汝の善からぬ事を告げたる者も、語りたる者もなし。

ただ我らは汝の思ふところを聞かんと欲するなり。それは此の宗旨の到る處にて非難せらるるを知ればなり』

ここに日を定めて多くの人パウロの宿に來りたれば、パウロ朝より夕まで神の國のことを説明して證をなし、かつモーセの律法と預言者の書とを引きてイエスのことを勸めたり。

パウロのいふ言を或者は信じ、或者は信ぜず。

互に相合はずして退かんとしたるに、パウロ一言を述べて言ふ『宜なるかな、聖靈は預言者イザヤによりて汝らの先祖たちに語り給へり。曰く、

「なんぢらこの民に往きて言へ、
なんぢら聞きて聞けども悟らず、
見て見れども認めず、
この民の心はにぶく、
耳は聞くにものうく、
目は閉ぢたればなり。:これ目にて見、耳にて聞き、
心にてさとり、ひるがへりて
我に醫さるることなからん爲なり」

然れば汝ら知れ、神のこの救は異邦人に遣されたり、彼らは之を聽くべし』

[なし]

パウロは滿二年のあひだ、己が借り受けたる家に留り、その許にきたる凡ての者を迎へて、

更に臆せずまた妨げられずして、神の國をのべ、主イエス・キリストの事を教へたり。