新約聖書譬喩略解
- 米国牧師 紀好弼 撰
- 日本国 安川亨 和解
七譬の大旨
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イエスこの七の譬を設たまふに珠を連接たるが如く其意味上下つづきてたへざれば大約一日の内に於て語たまふことなり イエス世に始めて教を垂たまふに先この譬を以て語たまへり 七の譬は二に分ちて見るべし 前の四の譬は船の中に居まして諸人に聞せたまひ 後の三の譬は人家に入りて弟子たるものにのみ解きたまへり いづれも天國の奥義を暁し給るなり ここにイエス教を説たまふ地はガリラヤの湖の濱にてこの湖は長さ五里餘幅二里餘にして水殊に清く岸のほとりには砂まことに潔く四方に小山とりまきて山下は平坦にして地肥たり嘉き五穀菓木その村落に多満ちまた人家稠密て景色の至て勝絶なり 此の日教を聞んとあまたの人々イエスを囲繞て迫近によりイエスこれを避て舟に乗移て講じたまひ衆は皆岸の砂の上に立圍てその宣道を聞居たるなり 七の譬は人の初て教を受るの時より起て世末審判の日にいたりて終れり 其説たまふ道理は聖書に天國の奥義と称り また詩篇七十八首の言を験て曰く我まさに譬を以て口を啓き創世以来隠るゝ所のものを述んとすといへり〔本章三十五節〔ママ〕〕この奥義といひ隠るといふはいかにとなれば旧約にはいまだ顕にこれを説ず其理まことに深しとなせり 福音の道よく人の心を化し後来かならず萬國に流傳すること又人々心を専にして道を求めよく福を得ることおよび世末審判には善悪あきらかに分ること迄各等の要義みなこの中に蘊れるを以てこれを奥義といひ隠るゝとはいへるなり 教を聞の人にいたりては其性質各異なりてイエスの有と称たまふ所のものはすべて神の道を聞て心に甘じて之を受け力を盡て守るものをいへるなり かくの如き者にはかならず多きを加へて有餘あらしめ この心なき者は其有るものをも奪れんとせり 其有りとする所直に有るにあらざればなり 故に路加傳にその自有とおもふは彼れ心の眞理に向はざる人にて学びて得る所ありともまた遺れ易く天父より之を視たまふときは一も有ることなきが如きなりといへり
- 新約聖書譬喩略解 国立国会図書館 デジタルコレクション
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原文:
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この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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翻訳文:
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