新約聖書譬喩略解/第六 眞珠を尋るの譬

第六 眞珠しんじゅたづぬるのたとへ 編集

馬太十三章四十六節

また天國てんこくよき眞珠しんじゅもとめんとする商人あきうどごとし ひとつあたひたかき眞珠しんじゅいださばその所有もちものことごとうりこれかふなり


〔註〕このたとへまへたとへとはよくたれどもその意味いみおなじからず まへたとへこころなく偶然ふとたからいだせるなり このたとへもとむるこころあるによりてわざわざたづねてこれをるなり こころなくたからあふこれるはサマリアおんないどほとりにありてみづたりしに偶然ふとイエスあふことをてこれこそまこと基督きりすとたるをしんずるがごとし〔約翰よはね四章もとむるにこころありてゆきたづぬるはポーロわかとき邪説じゃせつひらただしきみちたっとぶことをきふとなせしがのち救主すくひぬしてはじめてまことかみたるをさとるがごときなり またこのたとへまへたとへとはユダヤほうとのごとし ほうひと救主すくひぬしあることをらざりしがのちいたりてイエス弟子でし諸国しょこく分散ぶんさんして四方よも傳道でんだうせしによりておほくははからずそのおしへきくことをたり ユダヤひとごと救主すくひぬしのぞみたまふをまっのちやうやイエスいひたまふことおこなひたまふことを信仰しんかうするものもあれど大半たいはん律法おきてるのいさをすつることあたはずして一心いっしんこれれるなり ゆへポーロいは追求おひもとめざる邦人ほうじんたり信仰しんかうによるところなり されどおきて追求おひもとめしイスラエルおきて追求おひおよばざりきこれおこなひによりて追求おひもとめんとせしゆへなりと〔羅馬ろうま九章三十節三十一節〕これまへたとへとこのたとへとのわかちあることをるべし ここにいふ(商人あきうど)はいへいでとほ生意あきなひいとなこく交易かうえきする估人あきうどす いへぎやうまもるのたぐひにおなじからず このみだうろんひと交遊まじはりむすぶものに比喩たくらべもくしてやすんずるのともがらにあらず(よき眞珠しんじゅたづぬ)とはまことみちもとむるをせり 商人あきうどはすでに美珠よきたまもとめんとするときはそのこころもっぱらこれにぞくしてこのほかさまざまの錦繍きんしふ玉帛ぎょくはくありともみな望所のぞむところにあらずただ其珠そのたまのよきうへにもなほよきものもとたづねけつしてかりそめにもれりとせずまことみちもとむるものはうへかはきした念々ねんねんこれをわすれず世上よのなか名利ひやうばん紛華にぎわひをばとふいとまなく日々にちにちすすみてすこしなるにやすんぜざることにたとへり イエスのなくてかなふまじきものはすなわちひとつなりと〔路加るか十章末節いひたまへることあり さればまことみちもとめんに世上よのなかのさまざまのおしへまなこそそぐべからず のさまざまのおしへみる其中そのなかにはよきこともなきにしもあらざれどもあるひしんたがあるひまったからず ただイエスみちまことにしてかつまったみちなり このひとつればたれることなり このほか諸教すべてのおしへはみなふかきはめざるべし かのたまたづぬるもののすでにひとつよき眞珠しんじゅれば其餘そのほかたまはみなかろんじてのぞまざるがごときなり ひとりイエスみちはよくわが霊魂れいこんなぐさ今生このよ心中こころのうちやすきを来世のちのよ天国てんごくさいわひせしめたまへり ひとこのよきたからたまなるをれどもことごとその所有もちものすてかならこれんことをねがはざるはまことおしむべきにあらずや ユダヤのとしわかのものきたりてイエス永生かぎりなきいのちもとめんことをねがへども産業しんだいをすてて救主すくひぬしつきしたがふことあたはざるがごときなり〔馬太十九章十六節〕 ○このたとへわれおしへたまふむねふたつありひとつ商人あきんど所有もちものをすててよき眞珠しんじゅることをまなぶべきをしめせり イエスいひたまひけることにひともし全地せかいるともその生命いのちうしなはばなにえきあらんやひとまさになにその生命せいめいへんやと〔馬太十六章二十六節〕しからばわれポーロ念慮ねんりょをすててしゅいさををなすをまなぶべし ユダヤのとしわかのものをまなぶべからずおそらくはわれつとめはなるることあたはずしてついしゅまへはなるることあらんひとつ商人あきんど所有もちものすつることのすみやかなるをまなぶべきことをしめせり イエスもとよりまれなるたからにしてときもまたがたきのたからなり 緩々ゆるゆるとして異時あるときまつしんぜんとせばその生命いのちおほからずするのときちかよらんとす この機会ときうしなはばくゆるもおよびがたし 聖書せいしょいますなわち恩恵めぐみときなりいますなわちすくひなりとありし〔哥林多こりんと後書六章二節〕このことばはまことしんずべきにあらずや