新約聖書譬喩略解/第九 園の主雇銭を給ふの譬
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第九 園 の主 雇 銭 を給 ふの譬
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- 馬太二十章一節より十六節
- 〔註〕この
譬 には数 の解 あれどもその眞 の意 を得 んとするに上 の文 を詳 に見 ればこの譬 を説 たまひし故 を知 るべし此 譬 と上 の譬 とはペテロに答 たまふ言 より起 れり ペテロ富人 は天国 に入 り難 しと言 たまひしを聞 て我 儕 一切 を舎 て爾 に従 へば何 を得 んとすと問 へり ペテロの此 言 は自 誇 るに渉 れり己 れかくの如 き善行 あれば本 より福 を得 べしと自 ら思 ひしなり故 に救主 この譬 を設 て人々 に説 きたまふは天国 の福 を得 るは神 の恩 にして己 れの善 功 によりて其 福 を得 るにあらざれば自 ら誇 るに足 らずと此 譬 の旨 は羅馬 四 章 一節 より四 節 までの意 と同 じ上 の章 にイエス我 に従 ものは必 ず大 なる賞 を得 んといへり しかるに眞 の神 の恩 は先 なるもの後 となり後 なるもの先 となることありて功 を論 じて賞 を行 たまふにあらざるなり イエス常 に眼前 看 習 しものを以 て譬 を設 たまへり故 にここに又 葡萄 園 を以 て譬 となせり ユダヤの地 には多 く葡萄 を産 せり故 に土人 葡萄 を種 を以 て生業 となし毎日 その工人 の価 を調 べたり故 にイエス是 を借 て譬 としたまふなり其 心 は家主 を天 父 に比 べり凡 そ教 に入 るものはみな天 父 の詔 を蒙 るものなれば園 の主 人 を招 きて工作 をなさしむるに似 たり約翰 の福音 に我 を遣 せし父 もし引 ざれば人 よく我 に就 るなしとあり また彼 みな教 を神 に受 んといへり〔約翰 六章四十四節四十五節〕神 は眞 理 を以 て人 を招 きたまへども人 しばしば是 を拒 ぎて従 はざれども其招 きに従 ふものには神 より聖霊 を賜 はりて其 心 を開 きたまへり されども是 を己 の力 にて茅塞 をひらき善 に向 ふとおもふべからず イエスの弟子 となりし故 なりと知 るべきなり園主 の招 きし人 は分 て二 となす初 に招 く所 のものは雇銭 をとりきめて工作 をなせり後 に招 く所 のものは心 に主 の公平 なるを信 ずれば主 の給 の多 少 に任 せて多 分 の望 みなし半 の価 を得 れば足 れりとせり しかるに園主 之 に多 分 の雇銭 を與 て終日 作 きし者 と同 じふせり(市 )とは世 の中 を指 せり天 父 の人 を世 に造 りたまふは原 各 人 をして神 の作工 をなし主 に代 りて其力 を致 さしめんためなり人 もし肉身 の事 を顧 みて眞 の道 のために力 を出 さざれば天 父 の恩 を得 ことあたはず これ市 に徒 く立 ものと異 なることなし この雇夫 徒 く立 て作工 をせざるは人 の雇 ふものなきゆへなり わざと申 の時 の末 までも徒 く立 にあらざるなり是 れ世 の人 福音 を聞 くの機會 なくして遂 に晩年 に至 りて信仰 するが如 し これを借 て吾 れ早 より悔改 るに及 ばず世 をさるに近 づきて信仰 するもいまだ遅 からずといふべからず さてこの場 合 は二 に分 て見 るべし一 は招 きを受 て作工 の時 にして今 の世 を指 せり一 は値 を給 の時 にして後 の世 を指 せり人 は此 世 にありて幼 より福音 を聞 ものあり老 に至 て初 て福音 を聞 くものあり また早 に教會 に入 る者 あり遅 く教會 に入 るものあり されども天 父 より恩 を施 したまふは彼 此 を分 なし天 父 の人 を視 たまふは唯 その人品 の善悪 を観 たまひその働 きの多 少 を計 りたまふにあらず故 に賜 ふ所 の賞 はいづれも銘々 同 じきに似 たり もし作工 の時 を以 て言 ば其 賞 各 異 なることあるべし しかるに晨 より作工 もの返 て其 賞 寡 して申 の時 より作工 もの其 賞 大 なり天国 の賜 もまた此 の如 し信者 はおのおの天国 の賜 をうるより外 なしと雖 も天国 の福 はまた差等 あることなり(家宰 )とはイエス自 ら己 を指 たまへり聖書 に父 は誰 をも審判 かずすべて子 に委 りといへり〔約翰 福音五章二十二節〕(怨 みつぶやく人 )は疑 くは救 を得 ざるものを指 すといへり細 にその意 を察 するにしからずイエス世 の人々 みな己 を人 と較 るの心 あるを憂 たまひかくはなすべからずと警醒 たまへるなり人々 天 父 のために作工 をなさばかならず其 賜 をば失 はざれども工銭 を計較 ものは其 賜 すくなく唯 心 に天 父 の慈悲 を頼 ものは其 賜 大 なり(先 なるもの後 となる)とは教會 の牧 師 教 士 或 は理 に達 する者 或 は富 もの是 等 の人 は天 父 に代 て力 を出 せども天国 にありては必 ず大 なる賞 を得 るとはなしがたし(後 なるもの先 となる)とは教會 の幼 もの寡婦 或 は性質 愚 なるもの或 は最 も貧賤 ものを指 せり是 等 の人 はみなその心 卑下 て天 父 に頼 り時 としては返 て天国 の大 なる榮 に處 ことあり我 等 常 に主 のために力 を出 し事 を勤 め心 に天国 を望 みて勇進 て主 に事 まつる辛労 を以 て天上 の冠冕 をかがやかさんとするときは天国 におひて下 等 のものとなさるるなり唯 我 等 の作工 は天 父 の鴻恩 に答 へ日々 其 扶 助 に倚 りて心 を盡 し力 を竭 し天 父 より命 ぜらるる程度 を行 ひ賜 の多 少 に至 りては天 父 の酌奪 に聽 せなば天国 に於 て必 ず高挙 るることを得 べきなり天 父 吾 等 の作工 の多 少 を察 たまひて之 を論 じたまふにあらず唯 その心 の何 の故 に主 のためにかく勤労 や鑒 みたまへり己 の功 を恃 みに思 ふは衆人 の犯 し易 きことなれば我 等 必 ず之 を慎 み戒 むべし一度 この幣 に陥 るときは畢生 労 とも其 賞 は誠 に微 にして返 て後 のもの己 の上 に居 ることあらん惜 むべきことならずや