新約聖書譬喩略解/第十 二子の譬
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第十 二子 の譬
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- 馬太二十一章二十八節より三十三節
- 〔註〕イエス
此 三 の譬 を設 て書士 長老 などにその悔改 を肯 ず眞 理 を信 ぜざる罪 を説 て聴 しめり三 の譬 の内 初 の譬 はまづ罪 の軽 ものを挙 て説 きたまへり書士 法利 賽 の輩 は言 のみにして行 はざれば〔馬太二十三章三節〕之 を責 めらるるなり その意味 は世 の人 を両等 に分 ち一 は自 ら己 の善 を恃 もの一 は顕 に悪 事 をなすものなり前 の一 は学者 などの外貌 には礼 儀 を飾 り国 の法 または郷里 の例 をば干 さざれども其悪 みな心 の内 に藏 れて常 に暗 に罪 を犯 し人 に之 を知 らしめざれば世 に尊 れ自己 もまた罪 なしとせり後 の一 は税吏 兵卒 郷里 の無頼 など博奕 をなし酒 を好 み耳 目 の慾 を縦 にし勇 を好 て闘很 さまざまの悪 事 をなして世 に憎 まれたれば自 ら其 悪 しきことを知 れり この両等 の人 は外 より視 れば一 は善 一 は悪 といふに似 たれども其実 はみな悪人 なり其 悪 事 の外 に顕 れたるものは挽回 こと却 てやすけれども悪 の心 に隠 れたるものは救正 こと最 も難 し そは悪 の跡 彰 はざれば己 もその悪 を覚 へず人 もまた責 むべきなければなり故 に偽 善 の幣 は顕 に悪 事 をなすものに較 れば尤 甚 だし たとへば病 あるものの如 し其 病毒 すでに發 るればその病 癒 がたきことなし毒 の内 に潜 たるは必 ず臓 腑 を壊 り性命 も保全 がたし この故 に人 も己 の過 を知 らざるは大 なる過 なり己 の悪 を忘 るるは是 れ眞 の悪 なり ここに譬 たまふ二人 の子 は一人 は父 の命 に忤 ふと雖 も後 には悔 る心 あり一人 は父 の言 に順 ども卒 にその事 を行 はず之 を推 によく父 の旨 に順 ふは孝 に似 たれども當面 の事 を以 て孝 とは定 めがたし吾 儕 イエスの弟子 なれば衆人 の前 に悔改 め天 父 に服 事 するにあらず固 より天国 の良民 なれば必 ず神 の旨 に遵 ひ天 父 の喜悦 を得 べきなり神 の旨 は我 等 に十誡 を恪守 り基督 に頼 しむることなれば我 等 その教 に切 に従 ふべし徜 その約束 を踏 ざればこの次子 に異 なることなし イエス書士 の輩 に我 まことに爾 に告 ぐ税吏 と娼妓 と爾 に先立 て神 の国 に進 まんといひたまへり税吏 と娼妓 とは多 く自己 の悪 を知 りたればその過 を改 め易 し是 長子 は先 に父 の命 に逆 ども後 にはその過 を悔 ると同 じ書士 の輩 は自 ら義 となせども名目 のみにしてその実 は行 なし ヨハネは義路 を以 て人 に教 へしかども彼 の書士 の輩 は尚 之 を信 ぜず税吏 と娼妓 とみなイエスの道 を信 ずるを見 てイエスの道 のよく悪 を化 し善 に遷 ることは委 しく知 りたれども自 驕 傲 たればこの税吏 娼妓 の輩 と肩 を並 ることを屑 とせざれば其 教 を信 ぜざるなり故 にイエス其既 に時 後 たるに尚 いまだ悔改 て信 ぜざるを見 たまひて彼 は縦 ひ神 の国 に進 むことを得 るとも必 ず税吏 悪人 の後 へにあらんと謂 たまへり イエスの此 言 を観 るに書士 の輩 は必 ず神 の国 に進 ことは得 ざるといふにあらず徜 卑順 て自己 の罪 を知 り前 非 を痛 く悔改 るときは天国 の榮 に居 るべし驕傲 こと故 の如 にして税吏 娼妓 の後 に随 はざれば恐 らくは天国 に入 り難 こと駱駝 の針孔 を穿 が如 きなり イエスは我 れ乃 路 なり我 によりて進 まば能 く天国 に入 らんと曰 たまへり されば顕 に神 の誡 を犯 す税吏 娼妓 の如 きも驕傲 こと書士 の輩 の如 きもみなイエスに従 て罪 の赦 を求 むべし イエスの外 天 下 の人 の中 に我 等 の倚頼 て救 はるべき他 の名 を賜 はざればなりと聖書 の詞 まことに信 ずべきなり