新約聖書譬喩略解/第十一 悪農夫の譬
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第十一 悪 農 夫 の譬
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- 馬太二十一章三十三節より四十四節 馬可十二章一節より十一節 路加二十章九節より十八節
- 〔註〕イエスすでに
上 の譬 を説 たまふに各 悔改 る心 なきを見 たまひし故 上 の譬 に継 ぎてまた一 の譬 を設 て書士 法利 賽 の輩 を責 めたまふこと甚 だ重 くその心 の罪悪 を顕 したまへり故 に爾 また一 の譬 を聞 けといひ給 へり葡萄 園 は神 の民 の此 世 にあるものを指 し便 ユダヤ人 を謂 り葡萄 はユダヤの土 産 にて豫 言者 も之 を以 て譬 となせしことあり以賽亜 の書 にエホバの葡萄 園 はすなわちイスラエルの家 その喜 ぶ所 の植物 は乃 ユダヤ人 なりといへり〔以賽亜五章一節より七節〕書士 法利 賽 の輩 はすでに久 しく此 を聞熟 しなり但 し以賽亜 の書 には葡萄 の善 果 を結 ばずといへるはすべてユダヤ人 を責 るなり さてイエスこの譬 を借 て更 にまた一 の意 を進 めたまひ農 夫 の悪 を言 は専 らに書士 長老 を責 たまふなり異 邦 に於 て眞 の神 を識 らざるは曠野 にただ草 木 を生 じて蔬 果 を生 ぜざるが如 し ユダヤの人 は神 の垂顧 にあづかりたれば曠野 にはおなじからず故 にイエス葡萄 園 を以 て之 に比 たまへり(家 の主 葡萄 園 を栽 る)といふ此家 の主 は眞 の神 を指 せり昔 神 にはモーセ アロンの手 を借 たまひてユダヤの民 を立 て国 となしたまへり故 に栽 るといへるなり出埃及 の記 に爾 まさに彼 を導 んとす爾 の山 の業 に入 て之 を樹 ると謂 るは〔出埃及記十五章十六節〕亦 この意 なり(環 に籬 を以 てす)とは神 より割礼 を命 じ律令 を守 らしめたまひてユダヤと異 邦 と混乱 せざらしめたまふの意 なり故 にモーセは視 よその民 は独 処 んとせり必 ず諸国 の中 には核 られずといへり〔數記二十三章九節〕ポーロ イエスのことを語 けるは人 に教 ゆるにユダヤの割礼 と諸例 とを守 ることを用 たまはずとなり また彼 は乃 我 等 の和 なり隔 る所 の籬 を毀 て二 の者 を一 となさしめたまへりといへり〔以弗所 書二章十四節〕(酒榨 を掘 る)とは葡萄 の果 をとりて收 ところの溜 なり(塔 を建 る)とは遠 を望 み盗 または獣 の害 を防 なり園 の内 かやうに一 として用 意 の調 はざることなきを以 て眞 の神 のユダヤ人 を保護 すること一 として缺 ることなきに比 たまへり此 譬 に租 を収 て農 夫 に貸 すといふは家 の主 盡 く用 意 の備 たる葡萄 園 を以 て農 夫 に貸 せしは価 なくして之 を貸與 るにあらず必 ずその租 を収納 るは猶 眞 の神 より各 の衣 食 および其他 の恩典 を以 て人 に與 たまひ人 の必 ず眞 の神 に事 んことを要 め六日 の間 は勤 て己 の工 を作 き第 七日 には専 天 父 に事 へ我 等 十分 の一 を輸 して常 に善 果 を結 ばしめんとするが如 きなり(他 の国 に往 )といふは天国 と世 と相隔 り天 父 と人 の心 と隔 たることを指 せり或説 にははじめの時 には天 父 モーセに顕 れ律例 を授 けユダヤの人 に教 たまひその後 また豫 言者 に託 て衆 を警 られしより復 顕 れたまはざるはこの家 の主 の他国 に往 しと似 たりといへり この説 もまた通 ぜり(農 夫 の方 へ遣 す僕 )は歴代 の豫 言者 ならびに教 師 を指 せり聖書 に奉遣者 と称 すこれなり農 夫 の僕 を待 こと段々 に兇悪 甚 だし この処 は路加 に載 する所 を以 て馬太 に比 ればその解明 略 詳 なり始 は之 をして徒 に返 さしめその次 は仆 して且 之 を辱 めまた傷 つけて之 を逐 へりとこの解明 は馬可 に載 る所 尤 も詳 なり石 を投 てその首 に傷 つけ甚 しきは殺 さるるもの其中 にありと是 みなユダヤ人 の豫 言者 輩 を刻 く待 を指 せり故 にイエス曰 たまひけるはエルサレムよエルサレムよ預 言者 を殺 し遣 さるる者 を石 にて撃 ものよ我 母鶏 の雛 を翼 の下 に集 るが如 く爾 の子輩 を集 めんとせしこと幾次 ぞや されど好 まざりきと〔馬太二十三章三十七節〕ステパノまた曰 く孰 れの預 言者 をか なやまさざりし彼 等 は義者 のきたらんことを預 め語 りしものを殺 し爾 らは今 その義者 を付 し且 之 を殺 すものとなれり〔使徒行傳七章五十二節〕主 尚 一人 の愛 子 あり卒 にまた之 を遣 しおもへらく彼 必 ず我 子 は敬 はんと しかるに農 夫 輩 相 語 て曰 くこれ嗣子 なり来 て之 を殺 せ園 の産業 はみな我 等 に帰 せんと遂 に執 て之 を殺 しその屍 を園 の外 に棄 り此 (愛 子 )はイエスを指 せり預 言者 とイエスとは天 父 より之 を世 に遣 はしたまふものなり但 し預 言者 は人 なり故 に僕 と称 へり イエスと神 とは同體 なり故 に子 と称 へり さればイエスと世 の預 言者 および聖賢 とは別 なることを知 るべし聖書 に神 昔 は多 の区別 をなし多 の方 をもて預 言者 により列祖 に告 給 しがこの末日 には其 子 に託 て我 儕 に告 たまへり神 は彼 を立 て萬物 の嗣 とし且 かれを以 て諸 の世 界 を造 りたりといへり〔希伯 來 一章二節〕(殺 して其 産業 を奪 るべし)といふは書士 長老 は衆 の認 て師 となし彼 等 権 ありて百姓 を管理 せり今 イエスの眞道 を傳 るを見 て百姓 は心 をイエスに歸 て己輩 はその権 を失 はんことを恐 るるが故 に心 に妒 を懐 てイエスを殺 さんとなせり故 に聖書 に妒 によりてイエスを解 せりといへり(葡萄 園 より逐出 して之 を殺 す)とは将来 ユダヤ人 のイエスを京城 の外 に殺 すことを指 せり希伯 來 の書 に門 の外 に苦 を受 るとは是 を謂 るなり〔十三章十二節〕イエス衆人 に問 て(葡萄 園 の主人 きたらん時 この農 夫 に何 を為 すべきや彼 等 曰 けるは此 等 の悪人 を甚 く討滅 し期 に及 て其 果 を納 る他 の農 夫 に葡萄 園 を貸 すべし)とはこれ自己 の良心 より答 るものなり路加 傳 に聞人 の言 を載 て(かやうのことは願 はざるなり)とは是 書士 長老 輩 畧 イエスの言 を酌 とりユダヤの亡 びんとするを知 れる故 にこの言 を出 せるなり此 両節 の意 は神 の諭 をユダヤ人 に委託 たまひしかども その命 に違 るによりて後 之 を滅 して眞 理 を異 邦 に傳 へたまふことを謂 るなり イエス詩 篇 一百十八首 の言 を借 てユダヤ人 を責 めたまひ聖書 に工司 の棄 る石 は家 の隅 の首石 となれりと譬 る所 のことは同 じからざれども其 意味 は両 に関 れり(工司 の石 を棄 る)は書士 長老 輩 のイエスを軽視 て信 ぜざることを指 す イエスの此 譬 を借 たまふゆえんは前 に愛 子 の殺 されたるは復生 ることならず石 は前 に棄 らるるとも後 竟 に屋 を成 せり是 イエスは人 に棄 らるるとも人 はイエスに倚 ざれば救 はるることを得 ざるは屋 を建 るにこの石 を用 ざれば堅 く基址 を立 ること能 はざるが如 きなり(此石 の上 に墜 るものは壊 る)とはユダヤ人 イエスに敵対 せんとすれどもイエスに損 なくして自己 の霊魂 を害 し救 を得 ざるに比 り(此 石上 に墜 ればそのもの砕 かるべし)とは書士 長老 イエスを憎 みて殺 さんとせしがイエス従来 必 ず大 なる権 をとりて世 の人 を審判 たまふにこのイエスを害 はんとする心 愈 よ深 きものは其罰 を受 る亦 愈 重 し必 ず永刑 に沈 みて出 ることを得 がたきに喩 り祭 司 の長輩 と法利 賽輩 とこの譬 を聞 て己 輩 を指 て言 たまへることを知 れども衆 を懼 て遂 に其儘 にこの場 を立 去 れり さて此 譬 はもとユダヤ人 の預 言者 を辱 めイエスを信 ぜずして殺 さんとせし故 にその国 滅 されんとすることを指 て言 たまへることなれども今 に於 て考 るに唯 ユダヤの国 而已 をしかりとするにあらず人々 も亦 此 の如 くならん現在 今 天 父 教 師 を諸国 に遣 はされ福音 を傳 へ人 に悔改 めてイエスを信 ずることを教 たまへども教 師 の言 を空 しく棄 てイエスに倚 頼 ず或 はイエスと敵 になるものは亦 必 ずユダヤ国 の滅 さるるが如 く霊魂 永 く救 はれざるなり