新約聖書譬喩略解/第二十一 大宴の譬
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第二十一 大宴 の譬
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イエス
- 〔註〕
此 譬 と第 十二の王 子 婚筵 の譬 とは大 に分別 あり王 子 婚筵 の譬 は已 に前 に詳 なり この譬 を設 たまふ故 はイエス一 の法利 賽 の宰 なるものの家 に至 りたまひしに尋常 の饗應 にあらず大筵 を設 て款待 せり その時 イエス請所 の者 を見 たまふに富 貴 の人 や或 は書士 の輩 のみ客 となりて居 ければ貧苦 のものをよく憐 むべきことを訓 へ義人 の復活 んとき報 を得 んことを説 たまひしに〔本章十二十三十四節〕共 に食 する者 の中 に一人 曰 けるは神 の國 に食 するものは福 なりと〔本章十五節〕その意 自己 は素 より眞 理 を明 にするの人 にて死後 には必 ず天國 の筵 にあづかるべきなりと思 り イエスその者 の心中 驕傲 を知 りたまひしゆへこの譬 を語 てその人 ならびにこの席 に在 合 人 に警戒 られ召 るる者 いまだ必 ずしも選 ばれずといへり此時 筵席 にありし故 即 目前 の事 を以 て譬 となせり此 譬 の本 意 は(或人 )とは天 父 を指 し(大宴 )は天 父 の大 なる恩 を指 す人 生前 に福音 の霊賜 を受 け死後 天國 の永福 を受 るをいへるなり(多賓 を請 く)は天 父 の萬民 を招 き信者 となしたまはんことを指 せり聖書 に所謂 諸俗 諸舌 諸民 諸國 の中 より神 に帰 せしむと〔黙示録五章九節〕の意 なり(初 め請 るる人 )は書士 法利 賽 の輩 を指 し(僕 )はイエス及 びすべての傳道者 を指 す書士 と法利 賽 の輩 とは舊約 を讀 て天國 至 るの時 あることを知 れり此 にいふ(宴 の時 )は此 天國 至 るの時 を指 せり イエス並 に使徒 の輩 人 に勧 て道 を信 ぜしめ天國 近 しといへるは即 此 意 なり(百物 備 る)とは福音 にいふ所 のさいわひ各 齊 備 るを指 す天 父 の恩 ありイエスの贖 あり聖霊 の感 化 あり今世 に安慰 を受 け来世 に大榮 あり是 みな缺 ることなきをいへり(彼 等 みな同 く辭 ぬ)とは道 を聞 て信 ぜざるものを指 す三人 辭 る中 に一人 は田 地 のため一人 は生意 のため一人 は家内 のためにてみな本分 の事 によりたれば辭 も理 なれども既 に主人 の来 請 ときはまづ筵席 に赴 きて後 私 用 をなすべきにおのおの私 の事 によりて往 ず多方 事 に推諉 て辭 るは主人 の恩賜 を忽 にするなり人 或 は家業 の富饒 を戀 ひ或 は貿易 の繁昌 を貪 り或 は酒食 の逸楽 に溺 れて天 父 の人 を遣 して福音 を傳 へ悔改 を招 と雖 も拒 て信 ぜず竟 に大宴 を辭 に同 じ是 軽重 の差 別 を誤 り先 後 の次 第 を知 らずといふべし イエスまづ神 の國 と義 とを求 めよさらば是 等 の物 はみな汝 等 に加 へらるべしと謂 たまひしをよく心 に留 べきなり〔馬太六章三十三節〕人 世 にある苦 楽 は暫時 にしてよくその願 を遂 るも眞 の福 にあらず之 を視 て肝要 となすべからず天國 を慕 ひ世 の情 を薄 んずべし ポーロ曰 く兄弟 よ我 之 をいわん今 よりのち時 逼 まれり そは妻 を有 る者 は有 ざるが如 く此 世 を用 ゆるものは用 ひざるが如 くすべきためなり それこの世 の情状 は過逝 なりと〔哥林多 前書七章二十九節より三十一節〕聖書 にはしばしばこのことを以 て教 たまへども人 の悟 らざるは惜 むべきことなり初 め請 く所 のものきたらず主人 怒 て僕 に命 じて邑 の衢巷 に往 て貧 もの癈疾 もの跛 へのもの瞽 なるものを引来 るといふ此 (衢巷 )は市 の中 にありて衆人 往来 する所 なり是 はユダヤの國 を指 せり貧 ものより以下 は人 心 の中 に自 ら能 なきを知 りさまざまの弊 あるを知 るを指 す税吏 悪人 の類 の如 きは書士 並 に法利 賽 の輩 の最 も軽 ずる所 なり後 に主人 また僕 に命 じて道路 や藩籬 の邊 にゆき強 て人 を進 め来 るといふ此 (藩籬 )は城市 の外 にて田舎 の耕作 をなす地 にあり是 は異 邦 を指 せり強 て進 る所 の人 は異 族 を指 せり此 等 の人 は素 より偶像 を拝 し眞 の神 を識 らずまた書士 法利 賽 の輩 は軽 ずる所 なり(主人 齊 く僕 に命 じて強 て進 めきたる)はイエス税吏 悪人 を招 きて悔改 めしめて弟子 となしまた弟子 を遣 はして福音 を異 族 に傳 へ異 族 の人 を天國 に進 ましむるを指 せり(強 て進 る)といふは田舎 の野老 は衣 服 も齊 からず形容 も鄙陋 之 を請 て荘厳 なる坐席 につかしむるときは自 ら羞赧 に堪 ざるなり さればこそ強 て之 を請 き来 るなり すべて世 の人 自 重 き罪 あるを知 るものは天國 の福 を得 るに堪 ずと思 へり その意 に任 せなば益 畏縮 まりて進 まず事 に推諉 て辭 んとせり故 に強 て之 を教訓 之 を責 て悔改 ることを得 せしめんとするなり強 て教會 に入 るるをいふにあらず(請 く所 の人 一人 も我宴 を嘗 ものなし)とはすべて召 るれども接納 ざることを指 せり法利 賽 の輩 は倶 に救 を得 ざるが如 し されば此 譬 を讀 てイエスの教訓 を暁 り天 父 の意旨 を知 るも若 し天國 に進 まずんば必 ず永生 を受 るあたはざるを知 るべし試 に思 ば眞 の神 の恩 斯 の如 く深 く生前 我心 を安慰 め死後 我霊 を救 ひたまひ天國 の大筵 たのしみ極 なし紛紜 しき世事 に因 て其途 を阻 截 べけんや倘 肉情 の慾 にほだされ慈悲 の恩 を忽 にせば必 ず神 の義怒 を激 て我 が恩施 を奪 るべし これ我 等 もまた彼 等 の大宴 を辭 むの中 にあるなり眞 の道 を聞 くものは神 の大宴 を辭 むを以 て戒 となすべきなり