新約聖書譬喩略解/第十九 愚なる富者の譬

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第十九　愚（おろか）なる富者（とめるもの）の譬（たとへ）

路加十二章十六節より二十一節

又（また）譬（たとへ）を彼（かれ）等（ら）に語（かたり）りて曰（いひ）けるは或（ある）富人（とめるひと）その田（た）畑（はた）よく豊（みのり）ければ自（みづか）ら忖（おもひ）いひけるは我（わ）が作物（つくりもの）を藏（おさむ）る所（ところ）なきを如何（いかに）せん又（また）曰（いひ）けるは我（われ）かく為（なさ）ん我（われ）倉（くら）を毀（こぼ）ち更（さら）に大（おほひ）なるを建（たて）　すべて我（わ）が作物（つくりもの）と貨（たから）を其（その）所（ところ）に藏（おさむ）べし　斯（かく）て霊魂（たましひ）に對（むか）ひ霊魂（たましひ）よ多（た）年（ねん）を過（すぐる）ほどの許多（おほく）の貨物（たから）を有（もち）たれば安心（あんしん）して食飲（くひのみ）楽（たのし）めよと言（いわ）んとす　然（しか）るに神（かみ）これに曰（いひ）けるは無知（おろか）なる者（もの）よ今（こん）夜（や）なんぢらが霊魂（たましひ）とらるること有（ある）べし　然（しから）ば爾（なんぢ）の備（そなへ）し物（もの）は誰（たれ）が有（もの）になる乎（や）　凡（およ）そ己（おのれ）の為（ため）に財（たから）を積（たくは）へ神（かみ）に就（つき）て富（とま）ざる者（もの）は此（かく）の如（ごとく）なり

〔註〕イエス宣道（せんどう）したまふときそこに有（あり）合（あふ）内（うち）の一人（ひとり）イエスに請（こ）ひ己（おのれ）の兄弟（けうだい）に命（めい）じて家業（しんだい）を己（おのれ）に分（わかち）予（あたへ）んことを願（ねが）ひしによりて此（この）譬（たとへ）を設（まうけ）て語（かたり）たまへるなり　その家業（しんだい）はもとより己（おの）れの得（う）べきものを分（わかつ）ことなれども唯（ただ）世（よ）の中（なか）の情（ぜう）に掛（け）念（ねん）して眞（しん）理（り）に心（こころ）薄（うす）くかつ衆人（ひとびと）の道（みち）をきく礙（さまたげ）となりしことなればイエス先（まづ）これに貪（むさぼ）る勿（なか）れと戒（いま）しめたまへり　人（ひと）の生命（いのち）は天（てん）父（ふ）の尊旨（みこころ）にありて飲食（いんしょく）の養（やしなひ）にあらず　貨財（たから）の多（おほ）きにもあらざれば蓄積（たくはへ）贏餘（あまり）ありとも生命（いのち）を保全（たもつ）べき謂（いわれ）なし　イエス此事（このこと）を理（さばき）たまはざるは茲（ここ）に二（ふたつ）の故（ゆへ）あり　一（ひとつ）はユダヤの人（ひと）常（つね）にイエスを窺探（さぐり）てその間隙（すきま）を尋（たづ）ね執（とら）へんとせり　儻（もし）イエス稍（すこし）たりとも世事（よのこと）に干預（あづかる）ことあらばユダヤの人（ひと）之（これ）を訟（うつた）へ権（けん）威（い）を攬（と）り　分（ぶん）を僭（こ）へて自（じ）立（りふ）して王（わう）たらんことを望（のぞむ）と謂（い）はん　故（ゆへ）にイエス自（みづから）慎（つつし）み國（こく）家（か）の事（こと）に渉（わたり）たることは都（すべ）て何事（なにごと）によらず關（あづかり）たまはざるなり　一（ひとつ）は國（こく）家（か）を理（おさ）め世（よ）の事（こと）を審判（さばく）は小（せう）事（じ）にて神（かみ）の子（こ）は之（これ）を管理（しはい）したまはざるなり　惟（ただ）人（ひと）の霊魂（たましひ）を救（すく）ひ死（し）を遁（のが）れて生（いのち）を得（う）るは宗教（しうけう）の大（だい）事（じ）にて力（ちから）を盡（つく）してなすべきことなれば人（ひと）に眞（まこと）の道（みち）の緊要（かんよう）なることを知（しり）て之（これ）を忽（ゆるがせ）になすべからざることを知（し）らしめたまへり　故（ゆへ）に今（いま）請（こふ）ものを詰（なじり）て誰（たれ）か我（われ）を立（たて）て爾（なんぢ）等（ら）の中（うち）に司審（さばきにん）となせしやと言（いひ）たまひて其人（そのひと）に悟（さと）せり　これ世（せ）間（けん）の事（こと）はすでに理（おさむ）るに足（た）らず心内（しんない）の事（こと）こそ亟（すみやか）に講（かう）ずべきことなれば此（この）譬（たとへ）に貪（むさぼ）るものの實（じつ）に愚（おろか）なることを表（あら）はしたまへるなり　○此（この）譬（たとへ）の心（こころ）は（或（ある）富人（とめるひと）その田（た）畑（はた）よく豊（みのり）ければ）といふは是（こ）れ不義（ふぎ）の財（たから）といふにあらず都（すべ）て貿易（あきなひ）して得（う）る財（たから）は或（あるひ）は欺騙（あざむきすかす）に出（いづ）ることあり　官（くわん）に因（より）て得（う）るものは或（あるひ）は刻剥（むごきとりたて）に由（よ）ることあり　田（でん）地（ぢ）の豊盛（みのる）に至（いたり）てはみな天（てん）の賜（たまもの）にもとづき公（おほやけ）ならずといふべからず　しかれども其（その）醜弊（あしきくせ）ただ貪（むさぼ）るにあり　凡（およ）そ人（ひと）の貪心（むさぼるこころ）あるは困窮（こんきう）によりて貪（むさぼ）るにあらず　また折本（そんまう）せしによるにあらず　富（とめる）に因（より）て益（ますます）富（とみ）を求（もと）め愈（いよいよ）貪（むさぼり）を生（せう）ずるなり　ソロモンは銀（ぎん）を喜（よろこ）ぶものは銀（ぎん）の足（たれ）ることを知（し）らず豊盛（みのる）を喜（よろこ）ぶものは豊盛（みのる）の足（たれ）ることを知（し）らずといへり〔傳道書五章五節〕また大學（だいがく）に人莫知其苗之碩（ひとそのなへのおほひなるをしるなし）と云（いへ）り　みな茲（ここ）と意（い）を同（おなじふ）せり豊富（とめる）を見（み）ては人（ひと）の貪心（むさぼるこころ）を止（とどむ）ること能（あた）はず反（かへつ）てその貪心（むさぼるこころ）増（まし）てやまず　隴（ろう）を得（え）て蜀（しょく）を望（のぞ）むは人情（にんぜう）大抵（たいてい）しかなりとせり　人（ひと）の貪（むさぼ）る病（やまひ）を愈（いや）すは唯（ただ）大（おほひ）なる虧折（そん）あるを良薬（りやうやく）となすべし　神（かみ）は人（ひと）の貪心（むさぼるこころ）を除（のぞ）きたまはんとするときは多（おほ）くこの法（はふ）を用（も）て醫（いや）したまへり　人（ひと）に世（よ）の事（こと）の虚浮（むなしき）を知（し）り猛然（きつく）省悟（さとら）しむるときは其（その）病（やまひ）愈（いや）すべし　况（まし）てすでに富有（とめる）ときは尚（なほ）その財（たから）を増（ます）ことを欲（ほっ）せざるも之（これ）を保護（ほご）せんことを思（おも）はば必（かなら）ず多（おほく）の掛（け）念（ねん）を生（せう）ぜり　故（ゆへ）にこの富人（とめるひと）我産（わがさん）を藏（おさむ）べき處（ところ）なしいかにせんと曰（いへ）り　徜（もし）富人（とめるひと）をして義（ぎ）を知（し）らしめば必（かなら）ず此（この）言（ことば）を出（いだす）まじきなり　その故（ゆへ）に藏（おさむ）べき處（ところ）甚（はなは）だ多（おほ）し　凡（およ）そ世上（よのなか）の孤児（みなしご）の口（くち）寡婦（やもめ）の腹（はら）および貧窮（ひんきう）疾（やみ）苦（くるしむ）ものの家（いへ）いづれの處（ところ）としてその産（さん）を藏（おさむ）べからざることなし且（かつ）この富人（とめるひと）は私（わたくし）の心（こころ）ありて我物（わがもの）は必（かなら）ず留（とめ）て我用（わがよう）になさんとおもへり故（ゆへ）に我（わ）が倉（くら）を毀（こぼち）て更（さら）に大（おほひ）なるものを建（た）て我（わが）貨物（たから）を藏（おさめ）んとせり　この人の謬（あやまり）といふは心（こころ）の内（うち）に思（おも）ふやう霊魂（たましひ）よ爾（なんぢ）多（おほく）の物（もの）あり積（つみ）蓄（たくわへ）て多（た）年（ねん）の用（よう）意（い）となし安然（あんぜん）として飲食（のみくひ）喜楽（たのしむ）べきなりと魂（たましひ）適（おちつき）て楽（たのし）み長久（てうきう）なることみな富（とみ）によりて得（う）べしとその営謀（もくろみ）も全（まつた）く備（そなは）り處（しょ）置（ち）も盡（ことごと）く調（ととの）ひたれば詡々（うかうか）としてみづから智慧（ちえ）に矜（ほこ）れり　物産（ぶっさん）は肉体（にくたい）を養（やしなふ）べくも霊魂（たましひ）を養（やしなふ）こと能（あた）はず　貨（たから）は蓄（たくわふ）べく藏（おさむ）べくも歳月（としつき）は必（かなら）ず蓄（たくわへ）がたく藏（おさめ）がたきを知（し）らず自（みづから）矜（ほこり）て智（ち）となせども神（かみ）には之（これ）を視（み）て愚（おろか）となしたまひ彼（かれ）に愚者（おろかなるもの）よ今（こん）夜（や）爾（なんぢ）の魂（たましひ）とらるること有（ある）べしされば爾（なんぢ）の備（そなへ）しものは誰（たれ）が有（もの）になるやといひたまへり（霊魂（たましひ）とらるること有（ある）べし）とは善人（ぜんにん）の死（し）するは心（こころ）を安（やす）んじ世（よ）を離（はな）れその霊魂（たましひ）を天（てん）父（ふ）に交託（わた）さんとなせり　悪人（あくにん）の死（し）するときは世（よ）に繋戀（つながれ）て之（これ）を棄（すつ）ること能（あた）はざれども天（てん）父（ふ）必（かなら）ずその魂（たましい）を奪（うば）ひたまへり故（ゆへ）にとらるることあるべしといへるなり（備（そなへ）しものは誰（たれ）が有（もの）なるや）とはすでに死（し）せしの後（のち）はいま有（もて）る貨財（たから）はみな他（た）人（にん）の受用（もの）になりその子（し）孫（そん）に遺（のこ）すとも子（し）孫（そん）之（これ）を保全（たもつ）や否（いなや）いまだ知（し）るべからざるなり　ソロモン曰（い）へることあり我（わが）身（み）労瘁（ろうすい）せり悦（よろこび）をなすべからず　経営（いとなむ）ところのものは後（のち）に起（おこ）るの人（ひと）に遺（のこ）すも子（し）孫（そん）の智（ち）と愚（おろか）とは逆（あらか）じめ料（はかり）がたし　ただ我（われ）はその心（こころ）を端（ただしく）世（よ）を畢（おはる）まで労苦（くるしみ）て彼（かれ）之（これ）を得（え）て主（つかさど）れりすべて虚（むなしき）に属（ぞく）せんと〔傳道二章十八節十九節〕されば徒（ただ）に財（たから）を営（いとな）みて毫（すこし）も享用（つかは）ざるは富（とむ）とも何（なに）の益（えき）あらず愚（おろか）なることこれより甚（はなは）だしきはなし　此（この）愚（おろか）なる富人（とめるひと）に錯誤（あやまり）四（よつ）あり　一（ひとつ）は貨（たから）のいづれより来（きた）るといふを思（おも）はざるなり　都（すべ）て人（ひと）の得（う）る財（たから）はみな主（しゅ）の賜（たま）ふ所（ところ）なり　しかるに富人（とめるひと）は己（おの）れの有（もの）となせり故（ゆへ）に我産（わがさん）我倉（わがくら）我貨（わがたから）といへり全（まつた）く主（しゅ）の恩（めぐみ）を知（しり）て感謝（かんしゃ）する心（こころ）なし　二（ふたつ）には貨財（たから）の處（しょ）置（ち）を思（おもひ）違（たが）ひ人（ひと）すでに富（とみ）ては仁愛（じんあい）を以（も）て物（もの）に及（およぼ）すべきを己（おの）れ独（ひとり）の有（もの）となし大（おほひ）なる倉（くら）を建（たて）てその産（さん）を藏（おさめ）んとし貧（まづしき）を憐（あはれ）み寡（やもめ）を恤（めぐ）むの心（こころ）なし　三（みつ）には貨財（たから）は外物（がいぶつ）にして霊魂（たましひ）に益（えき）なきを思（おも）はず人（ひと）暴（にわか）に富（とむ）ときは暫（しばら）く安慰（やすき）を覚（おぼゆ）れども旋（かへつ）て財（たから）を保全（たもつ）がために憂慮（うれひ）を増（ま）し精神（こころ）を損傷（そこなふ）ことを免（まぬか）れざるに財（たから）あれば心（こころ）安（やす）かるべしとなせり　四（よつ）には生命（いのち）は定（さだまり）なく長（なが）く享（うけ）がたきを思（おも）はず死（し）生（せい）夭壽（ようじゅ）は神（かみ）の司（つかさ）どる所（ところ）にして飽（あき）煖（あたたか）なるものも速（すみやか）に亡（ほろ）び饑（うへ）寒（こごゆ）るものも猶（なほ）存（そん）せざることあり　しかるに財（たから）あれば便（すなは）ち生（いのち）を養（やしな）ふべしとなせり　是（これ）等（ら）の誤（あやまり）は富（とめ）るもののみしかりとせず　すべて世上（よのなか）の人（ひと）は類（おほむね）かくの如（ごと）し故（ゆへ）にイエスこの譬（たとへ）を講（かうじ）たまふ後（のち）衆（ひとびと）を戒（いま）しめ凡（およ）そ財（たから）を己（おのれ）に積（つ）み神（かみ）に就（つき）て富（とま）ざるものはまた斯（かく）の如（ごと）きなりと説（とき）たまへり　此（この）（神（かみ）に就（つき）て富（とめ）る）といふは下（しも）の三十三（さんじふさん）節（せつ）に有（もて）る所（ところ）を售（うり）て貧（まづしき）を濟（すく）ひ盡（つき）ざるの財（たから）を天（てん）に積（つ）めとあるの意（こころ）なり　此（この）處（ところ）の神（かみ）の字（じ）は己（おのれ）の字（じ）と相対（あいたい）して言（いへ）り　人（ひと）の通病（やまひ）は己（おのれ）あるを知（しり）て神（かみ）あるを知（し）らず　財（たから）は己（おの）れの物（もの）なりと謂（い）ひ神（かみ）よりこの世上（よのなか）の物（もの）を將（もつ）て我（われ）儕（ら）の手（て）に交託（わた）し我（われ）をして人（ひと）に頒賜（わけたま）はしむることを知（し）らざるなり　若（も）し己（おの）れの有（もの）となさば神（かみ）の旨（むね）に背（そむき）逆（さか）ひ他（ほか）に大悪（だいあく）なしと雖（いへど）もまた必（かなら）ず永賞（かぎりなきほうび）を失（うしな）ふべし　嘗（かつ）て救主（すくひぬし）人（ひと）もし世（せ）界（かい）を獲（う）るもその生命（いのち）を失（うしな）はば何（なに）の益（えき）あらんやと曰（いひ）たまへり〔馬太（またい）十六章二十六節〕財（たから）を己（おのれ）に積（つむ）は實（じつ）に愚（おろか）の至（いたり）にて惟（ただ）吾主（わがしゅ）の教訓（おしへ）に依（よ）り世（よ）を棄（すて）て天國（てんこく）を仰（あを）ぎ望（のぞ）みて常（つね）にイエスに倚頼（より）て我罪（わがつみ）を贖（あがな）はば基督（きりすと）限（かぎ）りなき富（とみ）を頒（たま）へり〔以弗所（えぺそ）書三章八節〕死後（しご）世（よ）を離（はな）れて天國（てんこく）の榮（さかへ）に登（のぼ）ることを得（え）ばその富（とみ）亦（また）いかにとせんや此（この）富人（とめるひと）を観（み）るに忽然（こつぜん）として生（いのち）絶（たゆ）るときは諸（もろもろ）の楽（たのしみ）は頓（とみ）に變（へん）じて烏（う）有（いう）となるべし　我（われ）等（ら）も死（し）することいまだ必（かなら）ずしも旦夕（あさゆふ）にあらずと雖（いへど）も或（あるひ）は遅（おそ）く或（あるひ）は早（はや）く終（つひ）に壽（いのち）盡（つき）て陽（よ）を辭（じ）することを免（まぬか）れず　預（あらかじ）め警醒（ようじん）せずんば恐（おそら）くはまた此（この）富人（とめるひと）の轍（あと）を踏（ふま）ん　救主（すくひぬし）の我（われ）儕（ら）を教（おしへ）たまふことかくの如（ごと）く懇（ねんごろ）なり　讀者（よむもの）心（こころ）を盡（つく）すべきなり