新約聖書譬喩略解/第十七 善き撒馬利亜人の譬
< 新約聖書譬喩略解
第十七 善 き撒馬利 亜 人 の譬
編集
イエス
- 〔註〕イエス
何 の故 を以 てこの譬 を設 たまふといふに一 の教法 師 ありてイエスを試 んとて如何 にして永生 を得 べきやと問 ひしにイエス答 て爾 が讀 みし所 の律法 には何 とありやと詰 たまひしかば彼 教法 師 は復傳 律令 六章五節[1]並 に利 未 記 十九章十八節を引 て對 へり この教法 師 は律法 に於 て唯 其 文字 にのみ熟 するにあらず その奥 義 にも明 なること見 るべし故 にイエス爾 すでに能 知 れり果 て此 に依 て行 はば生 ことをうべし何 ぞ人 に問 ふことをなさんやと曰 たまへり かの教法 師 は己 れの問 の理 あることを表 さんとして問 るのみにあらず何 が己 れの隣 なるか之 を知 らざるに因 て問 るなり教法 師 はその心 甚 だ窄 く愛 すること限量 ありて己 れの隣 は善 く之 を待 ひ己 れの隣 にあらざるは者 は善 く待 はじとなせり中華 の人 は必 ず同姓 同村 のものは互 に親 み愛 し他 国 異 族 の者 は疎 遠 となして愛 し親 まず博愛 之 謂仁 もとより愛 には限量 なきを知 らざるなり苟 も矜憫 べきことは倶 に力 を竭 して帮 べし イエスは教法 師 の全 く此 意 を明 にせざるを見 たまひし故 に此 譬 を設 てその心 を廣 めたまひしなり此 譬 はユダヤの事 を借 て講 じたまへり エルサレムはユダヤの京城 にてシオン山 の上 にありて甚 だ高 き處 なり エリコの城 はヨルダム河 の傍 にありて其 地 至 て低 し故 にエルサレムよりはエリコに下 るといへり此 エリコはエルサレムを離 ること約 七 里 程 にて平地 の沃 壌 なれば物産 も繁庶 常 に庶人 往 来 して貿易 をなせどもエルサレムへの道 は甚 だ崎嶇 して山 を踰 へ嶺 を超 へ岩 徑 を登 行 く難 路 なれば强盗 その間 に潜伏 して旅客 の患 をなし數 の人 ここにて殺 されしかば此 處 を名 て血 路 といへり其後 にはローマの人 この處 に一 の軍営 を設 て行人 を保 護 せりとなり イエスの言 たまふことは當 時 の實 事 なるか又 は設 て言 るにや ユダヤの人 此路 を往 て强盗 に遇 ひその衣 を剥 れ傷 を負 て死 ぬるばかりなりしが適 一 の祭 司 とレビの人 と此處 をとほりて之 に遇 ひしかども見過 にして去 れり エリコには祭 司 およびレビの人 の居住 多 くあり祭 司 は輪班 に殿 に入 て奉事 常 にこの路 を往 来 せり モーセの例 に照 らして専 ら殿堂 を管理 し天 父 に服事 れども此 輩 は仁愛 の心 なくその行為 ことモーセの律法 には合 ざるなり復傳 律令 [2]に爾 同儕 の牛 と驢馬 と途 に伏 せしを見 ば目 を掩 て視 ざること勿 れ必 ず同儕 を扶 て之 を起 せと載 せり〔二十二章四節出埃及記 二十三章五節〕蓄牲 すら兄弟 の物 とあればかくの如 く憐 むべし况 て兄弟 は尚更 の事 なるに彼 の祭 司 は之 を見 過 して照應 もせざるは其 心 硬 にして憐 ざるかまたは他人 の自己 も連累 あらんと疑 はんことを恐 るるにやレビの人 も見過 にして去 れども此 レビの人 は始 めは憐憫 の意 なきにあらざれども重傷 の醫 しがたきを見 て必 ず多 分 の時日 を費 し銭財 を費 さずんば調治 し難 しと估量 り されば仁愛 の心 は吝惜 の心 のために勝 れ終 に之 を理 ざるなり唯 一 のサマリアの人 之 を看 て憐 み前 の二人 はこの盗難 に遇 ひし者 とは兄弟 なるに事 に推諉 て逃 れ去 り このサマリアの人 は盗難 に遇 ひし者 と異 族 なれば遁 んとせば遁 るべきなり且 ユダヤの人 は常 にサマリアの人 を視 て仇敵 となして往 来 せず約翰 傳 にユダヤの人 とサマリアの人 とは交際 ざるなりと云 り〔四章九節〕又 ユダヤの人 イエスを罵 て爾 はサマリアの人 にて鬼凴 たる者 なりと我 等 がいふは宣 ならずやと曰 ひ〔八章四十八節〕路加 傳 にもイエス使 等 を先 に遣 はしければ彼 等 往 てイエスに備 んためサマリア人 の郷 に入 りしに郷人 そのエルサレムに向 ひ往 さまなるが故 にイエスを納 れざりきとあり其 互 に嫉 忌 て共 に交際 ざることを知 るべし されば此 サマリアの人 は盗難 に遇 しものを見 て照應 せずとも怪 まざるにその仇敵 といふをも意 とせず彼 れの難 儀 を見 て深 く憐 み近 く跟前 によりて油 と酒 を斟 てその傷 を裹 て介抱 なせり途 中 の事 なれば縦 ひ布帯 の預備 もなく己 の衣 服 を裂 きて用 んにまた惜 む気 色 もなかりしなり且 己 の驢馬 に乗 せて旅舘 にいたり慇懃 に照顧 をなし明日 出去 んとする時 銀 子 を二 銭 を取 て舘主 に與 へて曰 けるは此人 をよく照顧 せよ多 分 の費 もかかりなば我 が返 りさに爾 に費 を償 はんとかくの如 く時日 を躭擱 し銭財 を破費 し人 に疑 を受 け自己 の累及 になるをも顧 ず只管 憐恤 の心 専 なり所謂 己 れの如 く人 を愛 するとは是 れなり イエス教法 師 に爾 の意 この三人 の中 孰 れか盗 に遇 ふものの隣 なるやとあれば答 て矜憫 の者 是 れなりと云 ひしかど事 のさまを以 ていわば本来 祭 司 とレビの人 とは盗 に遇 ふものの隣 なり サマリアの人 は彼 は同縣 にもあらず同族 にもあらざれば隣 とはなしがたし心 を以 ていへば祭 司 とレビの人 は同縣 の隣 を以 て之 を待 はず サマリアの人 よく之 に待 ひ己 の隣 に異 なることなし教法 師 もかく答 しは彼 の心 にも之 を明 に暁 れるなり故 にイエスその暁 れる所 に即 て爾 往 てかくの如 く行 へと告 たまへり此 譬 の本 意 はイエス己 の如 く鄰 を愛 すべしと語 りたまふ此 鄰 をといふ字 に泥 むべからず世 界 の人 はみな己 の隣 なり人々 互 に愛 すべし凡 疾病 艱難 貧窮 労 苦 あれば我 之 れを憐 み都 て益 あらしむべきことは力 を竭 して帮助 べし必 ず同 じ郷里 のもの而已 鄰 となすべからず主 の弟子 たるものは只 外貌 の禮 儀 に依 て天 父 に服事 へ兄弟 に愛憐 なきは祭 司 レビ人 と同 じことにて假僞 の弟子 なり聖書 に見所 の兄弟 を愛 せざるに安 んぞよく未 見 ざる所 の神 を愛 せんやと説 り我 儕 まさに是 を以 て戒 めとなすべきなり又 為易 き事 か或 は時 の便 利 によりて適 人 のために為 ことあるも若 し稍 心 を労 し財 を費 し日時 を躭擱 すことあれば事 に推諉 て之 を遁 るる愛心 の薄 き人 あり大 に聖書 の意 に合 はざるなり イエスのかくの如 く行 と曰 たまふは我 儕 にこのサマリア人 の事為 を学 しめたまふなり己 の驢馬 に乗 しむるは我 の労 苦 に甘 じ病 ものに安 を與 しむるなり明日 去 んとするとき己 の事 を舍 おきて人 の事 を為 せり力 を費 し財 を費 に至 ては言 を待 ざるなり都 て人 に益 をあたへんとするときは自己 を損 することあり己 に克 ずんば人 を愛 すといふべからず
- ○
以 上 説 ところは譬 の本 意 なり しかれども古 人 の説 に此外 一 の意味 ありといふ説 もあれども其説 は定 め難 し教法 師 の何 を以 て永生 を得 んと問 にイエス必 ず福音 の道 を以 て之 に教 へ救主 を信 じ従 ひて永生 を求 めしめたまふべし其 意 に照 して解 ときは(盗 に遇 し人 )は世 上 の人 を指 し(エルサレムを離 れエリコに下 る)とは眞 理 を離 て世 俗 に従 ふを指 す(盗 の衣 を奪 ひ傷 を負 せて死 ぬばかりになす)は魔鬼 人 の善性 を奪 ひ霊魂 を害 ことを指 せり たとひ善性 は失 なふとも是非 の心 存 するときは猶 救 に望 みあるべし(祭 司 とレビ人 と盗 に遇 し者 を見 て過行 り)とはモーセの律法 は人 を救 ことを得 ざるを指 せり パーロの若 人 を生 しうる律法 を賜 はりしならば義 とせらるるは必 ず律法 によるべしと云 るは〔加拉太 三章二十一節〕是 その反 を言 て必 ず救 はれざることを説 るなり二人 とも其 重傷 を見 ながら顧 みざるときは傷 を受 しものは望 を絶 べし 人の律法 を読 ていよいよ己 れの罪 逃 れがたきことを知 るに似 たり故 に聖書 に律法 は唯 罪 を知 らする而已 とあり(サマリアの人 )とはイエスを指 せり イエス嘗 てユダヤの人 に罵 られてサマリア人 とせられしことあり〔約翰 八章四十八節〕(サマリアの旅行 して此 に来 る)とはイエス天国 の榮 を離 れ世 に降生 たまふことを指 す(油 と酒 とを以 てその傷 に沃 ぎ之 を裹 む)とはイエスの聖霊 と福音 とを用 て罪人 を慰 め心 の中 の病 を醫 すことを指 す(己 が驢馬 に乗 る)とはイエス世 の人 を救 ひ我 儕 をして貧 より富 を得 せしめ不義 者 は義 をなすと称 せらるることを得 るを指 す(旅舘 に携 行 )とはイエスの我 儕 を導 きて教會 に入 らしむることを指 す(銀 二 銭 を與 る)とはイエスの恩 を指 す(舘主 にこの人 を介抱 せよ)とはイエス信者 を牧 師 に交託 して教訓 しむることを指 す むかし主 ペテロに対 て吾 羊 を飼 よといひたまひしは〔約翰傳 末章〕即 この意 なり (費 もし増 ば我 返 りのとき爾 に償 べし)とは牧 師 教 師 の眞 の道 のために倍 力 を竭 すは徒 に労 するにあらず イエス再 び世 に臨 みたまふ時 は必 ず賞 を得 ることを指 す爰 にまた別 に一 解 あり イエス當 時 果 して此 意 ありや否 は知 らざれどもかく看 来 れば甚 だ意味 ありてよく福音 の道 に合 へり イエス限 なき恩典 を以 て我 儕 をあしらへり實 に吾 等 の良友 にてこのサマリアの人 と恰 似 たまへり しかれども此 の譬 の最 も緊要 なることは爾 行 てかくの如 く行 へといふこの末 の句 にあり イエス這麼 によく人 を愛 たまふことなれば我 儕 その模 様 を学 びこの心 を推廣 めて同朋 を愛 し己 に克 て厚 く世 の人 をあしらふべし祗 この意味 を知 れりとて道 を盡 したりといふべからず書経 に非知之艱 行之維艱 と願 はこの譬 を讀 ひとよく意 を留 よ