新約聖書譬喩略解/第十五 穀の長つ譬
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第十五 穀 の長 譬
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- 〔註〕
此 譬 は唯 馬可 の福音 に載 せしのみにて他 の福音 には記 さず其 意味 は種 を播 の譬 に似 たり もと種 は活 たるものなればよくおのづから發生 ものなり但 し種 を播 の譬 は眞 の道 の世 に行 るることを指 しておのおの果 を結 ことの同 からざることに附 て説 たまへり此 譬 は眞 の道 は人 の心 に在 ることを指 して専 一人 の事 に就 て説 たまへり農 夫 はすでに種撒 の後 は日 夜 寝興 して毫 も掛慮 なく其苗 の長 を待 しは地 よく物 を生 じて且 雨 は潤 し日 は暄 して之 を長育 ければ己 は力 を労 せざることを知 ればなり それ田 地 のみひとりかくの如 にあらず人 の心 もまたしかり天 父 地 を造 りたまひ萬物 を長養 しめ人 の心 を造 りたまひて道 理 を長養 しめたまへり すべて人 の心 に主 の道 を眞 に接納 るるものは天 父 より必 ず聖霊 を賜 ひ其 衷 を佑 たまへども他人 には深 く識 れがたき所 なり穀種 の長育 は一 時 によく熟 るにあらず必 ず苗 よりして穂 を生 じ穂 よりして實 を結 び漸 を以 て熟 るに至 れり人 も初 め眞道 を聴 て一 時 によく信仰 堅 固 にして智慧 の充満 するものは誠 に少 し大抵 昧 きより明 に弱 よりして強 く道 を信 ずること久 くして漸 に其 境 に進 もの多 し故 に約翰 傳 には教會 の中 児輩 あり父輩 あり壯者 あり小子 ありすべて其道 を信 ずるに淺 と深 とあり道 を聞 に早 と暮 とありといへるなり實 に(鎌 を入 さする)とは天 父 の信者 を収 て天国 に入 らしむるを指 せり聖書 に他 の處 に穀 を収 て倉 に入 るとあるもまた此 意 なり信者 の世 に於 て種々 の艱難 試練 に遇 ことは田 の禾 の霜風 の苦 を経 るは将来 熟 て穫 る時 に至 るを待 が如 きなり されども其 實 を結 も或 は早 或 は遅 して不 同 あるは五 穀 熟 ること先 後 ありて一律 ならざるが如 し しかし人 は知 らざれども天 父 は之 れを知 たまへり其時 に到 れば自然 我等 を収 て倉 に入 れたまへり主 を讃 する詩 に試 練 経 過 足 明宮 享永福 とあるもおなじく此 意 なり しからば主 の道 を信 じ聖教 に入 るものはすでに善種 の我 心 の内 にあれば吾 躬 に返 て吾 の霊苗 は長 や否 穂 を生 ずるや否 と自問 べし また吾 の霊穂 すでに秀 て實 を結 ありや抑 も衰 て黄落 んとするやと自問 べし論 語 に苗而 不秀者 有 也 秀而 不實者 有 也 といへり我 儕 誠 に早 隄防 すべきことにあらずや