新約聖書譬喩略解/第二 稗子の譬
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第二 稗子 の譬
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- 馬太十三章二十四節より三十節又三十六節より四十二節
- 〔註〕この
譬 は上 の譬 とつづきたれどもその意味 は異 なれり上 の譬 には人 の心 の田 地 はみな善 となしがたきゆへに播 ところの種 もことごとくは生 ざるを以 て譬 となせり ここには唯 人 の心 に関 あることを説 たまふのみならずまた魔鬼 の阻 攔 るを語 りたまへり さてこの譬 の大 意 はイエスすでに之 を解 きあかしたまひ美種 を播 ものは人 の子 なり畑 は世 界 なり美種 は天国 の諸子 稗子 は悪 魔 の子 之 を播 ものは魔鬼 なり収穫 は世 の末 なり刈 るものは天 の使 等 なりといへり その意 天国 はこの世 には全 しがたし イエスの教 処々 に流傳 すれども猶 異 端 この中 に混 ずることあり イエスの教會 は原 眞実 の弟子 を収 められたれども偽 善 の人 私 にその内 に入 ることを免 れず イエスの召 れし弟子 の中 にユダといふものあり使徒 の収 められしものにアナニア シモン其外 多 く偽 兄弟 ありて私 にきたりて窺 探 れることあるが如 し是 等 の人 はイエスの弟子 の名 はありと雖 も其実 は眞 の弟子 にあらず稗子 の穀 に類 すれども其実 は似 て非 なるが如 きなり神 の選 み給 し民 は魔鬼 も容易 は害 ことを得 ざればいろいろの計 を以 て妨 げ或 は其 家 内 のものに咨怨 させ或 は親友 に譏 らせ或 は近所 のものに詈罵 らせて実 を結 ことを得 ざらしむ神 の道 は魔鬼 のすでに除 くことあたはざれば日 夜 阻 撓 んと思 ひ或 は異 端 の蠱惑 し或 は世俗 の牽纏 或 は威 權 の恐嚇 を以 て速 に発生 ことを得 ざらしめんとするは稗子 の良苗 を害 はんとするが如 きなり敵 は人 の寝 たるをつけ込 みて稗子 をまき良苗 を害 はんとす魔鬼 も其 如 く人 の警 醒 ざる隙 を窺 ひてその機會 に我 等 を害 はんとせり(僕 の主人 に問 て爾 よき種 を畑 にまくにあらずや何 によりて稗子 ありやといふに主人 答 て敵 之 をなせり)と しからば傳道者 は本 イエスの道 を傳 るものなれば教會 の内 に悪 事 をなし或 は異 端 を信 ずるものあるを見 ても其 れがために心 をとり違 へ疑 を生 ずることなかれ教會 の兎 角 浄 からぬは播 ところの道 善 らぬにあらず いつしか魔鬼 の潜 にきたりて妨 をなすによれり僕 すみやかに田 の内 をみなよき苗 になさんとするはその心 立 は善 なれどもその智慧 たらざれば主人 これに語 て二 のものを共 に長 てて穫 るときに至 れと其 稗子 を刈 らんとして穀 もまた害 はれんとするを恐 るるなり我 等 教會 の浄 きために仮偽 の徒 を除 かんとするも善悪 の分別 定 かならざるが如 し是 れは世 の末 に於 て神 の使 のなしたまふことなり我 等 人 の心 を盡 く識 ることあたわざれば大悪 ありて衆 に現 たるは固 より教會 を出 すべし僅 の過 あるか或 は神 の道 に離 れんとするかと見 へたるもその心 の聖霊 を受 るや否 は我 等 のよく見 るところにあらざれば若 し之 を逐出 しその家 の信者 までも其 ために信仰 を薄 くせば稗子 を刈 んとして穀 をも害 ふが如 くなれば却 碍 となるべし又 常 に威 權 を以 てこの世 の邪教 を盡 く滅 し世 上 にたへて迷惑 のなからんを欲 するもあれどもこの世 はもとより試練 の世 なればかくの如 くはなしがたし人 の心 の善悪 は別 に足 らず決 して世 の中 は善 を盡 し美 を盡 して疵瑕 なきことを得 ざるなり但 し世 の末 にいたれば天 父 かならずきびしく別 ちたまひ極悪 大罪 ばかりを審判 たまふのみならず稍 私 の念慮 あるもまた必 ず露 れ希伯來 の書 四章十三節に物 として神 の前 に顕 れざるはなし我 儕 が係 れる者 の眼 の前 に凡 のもの裸 にて露 るといへる如 く其時 にいたれば人 を罪 に陥 るものおよび悪 を行 の人 をば必 ず除 きてこれを爐 に投入 たまへり此 世 にありては悪人 と善人 と別 がたきが如 くなれども審判 の際 には天 地 の相 違 ありて一 群 に同 することを得 ざるなり残忍 貪婪 奸淫 詐偽 おのおのその類 に従 てみなかぎりなきの刑罰 を受 るなり故 にイエスこの譬 を設 たまひ我 まさに刈者 に語 らんとす先 稗子 を斂 め束 て稇 となして之 を焼 んといひたまへるなり悪者 は永刑 に投 られ苦 しみを受 ること火 の焼 が如 く善者 は必 ず天国 に登 り榮 を受 ること日 の耀 が如 し イエス又 謂 たまひけるに穀 を我倉 に集 るとは是 の事 を謂 たまふなるべし この譬 の旨 は善悪 は今 世 にありては混 じて報應 なきが如 くなれば人 の疑 を起 しやすけれども世 の末 にいたれば賞罰 甚 だ公 にして少 しも混乱 することなし俗語 に善悪 の到頭 は終 に報 ありとこの譬 に暗合 たり我 儕 この譬 を読 ば心 を撫 で苗 か稗子 か眞 の神 の播 たまへる所 か抑 も魔鬼 の播 ところかと自 問 ひすみやかに堤防 を加 ふべきなり