通俗正教教話/十誡の第五誡命

十誡じっかい第五だいご誡命かいめい

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<<なんぢ父母ふぼうやまなんぢ生命いのちながからん為也ためなり>>

問 第五誡命だいごのいましめもうして御座いまする『父母ふぼうやまへ』とことばあまなんだかばくとしてわかりませんが、これほかことばもつもうしますればふことなので御座いますか。

答 それ父母ふぼ孝行こうこうしてつくせとうことで御座います、くわしくもうしますれば父母ふぼつねうやまその疾病やまいなどのときにはこころからかんし、おいなぐさめ、死後しごにはそのまつりたず、その遺言ゆいごんは神様のほうこく法律おきてもとらぬものならば父母ふぼかんがへたとほりに実行じつこうすることなので御座います。


問 父母ふぼ孝行こうこうしないつみうで御座いませうほどおもつみで御座いませうか。

答 父母ふぼ孝行こうこうすることはいたって容易たやすいことでひとたるものはたれ命令めいれいしなくともぜんこころからるもので御座います、しかるに孝者こうものその容易たやすたれにもぜん出来できることをおこなはないので御座いますから其罪そのつみけっして一通ひととほりではいので御座います、旧約きゅうやくモイセイ法律おきてりますれば『父母ふぼののしったばかりでもけいしょせられた』(エギペト出記二十一の十六)もので御座います、我邦わがくにでもむかしから父母ふぼ孝養こうようつくすことはひとおこなふべきみち大本おほもととしてつね人々ひとびとおこなはうとこころけてることで、孝者こうものへばたれしもつまはじきをして窃盗どろぼうよりもにくほどおもつみ見做みなしてります。


問 何為なぜ父母ふぼうやまふべきいましめかぎり『なが寿いのち』を神様は人々ひとびと約束やくそくなさいましたので御座いますか。

答 それまで御座ございませぬ、『父母ふぼ孝養こうようつくすこと』はていまるおさまってもといで、ていまるおさまることは社会国家のせいおこなはるるもとで御座いまするから神様はこと目前めのまへほう人々ひとびとにおしめしになって益々ますます人々ひとびとはげましになったので御座います。


問 それでは『父母ふぼ孝行こうこうをするもの』はなんで御座いますかながきをいたしますので御座ございませうか、しかなかますると孝行こうこうひとでも随分ずいぶん夭死はやじにをするひとりまするようですがふもので御座いませう。

答 ここもうして御座いまする『なが寿いのち』とはばかりの意味いみでは御座ございませぬ、このことば来世らいせい幸福さいわいをもしめしてことこれ一概いちがいもうしますれば『孝行こうこうひと』はすえには幸福さいわいると意味いみで御座います、わたくしどもながくさへきるてればそれ幸福さいわいのやうにおもひますが、しかそれだいちがひではやんだからともうしましてけっしてこうもうわけにはまいりませぬ、なかにはながきてためかへつ惨憺みじめってひとも御座いますれば、はやんだめにかへつ幸福さいわいひとも御座います、えうするにひとこうこういのちながひみじかひにはかかはりませぬことで御座ございまするから、孝行こうこうをしたからかならながきるともうわけにはまいりませぬ、神様が此人このひとなかながきてるよりぶんもとはやひきったほう幸福さいわい御思召おぼしめせば如何いか親孝行おやこうこうひとでも夭死はやじにいたしまするので、それかく孝行こうこうをしたもの幸福さいわいうくることはいづれにいたしましてもちがいのいことで御座います。


問 何故なぜとなりたいするあい』の誡命いましめの第一番目におやたいする誡命いましめいたので御座いますか。

答 それ父母ふぼわたくしどももっとちかい者で御座ございまするし、父母ふぼたいする誡命いましめとなりたいするあい誡命いましめもといになるので御座いますからこの誡命いましめとなりたいするあい誡命いましめもといになるので御座ございますからこの誡命いましめ故意わざとなりたいする誡命いましめの第一位にかれたので御座います。


問 第五誡命だいごのいましめに『父母ふぼうやまへ』ともうして御座いまする『父母ふぼ』とはなんで御座いますかうみおやばかりをもうしたもので御座いますか、それとも亦他またほか意味いみ其内そのうちにはふくんでるので御座いますか。

答 このことば本当ほんとう意味いみろんうみおや』のことをもうしたものでは御座いますがしか其内そのうちにはまたおやかはるべきひとをもふくんでるので御座います。


問 それではおやかはひともうしまするとひとで御座いますか。

答 第一はこくかしらたる帝王ていわうで御座います、つぎわたくしどもたましひのことをおもんばかってれるぼくまた学問がくもんさづけてくれきょう、第三はねんちょうしゃ、第四は恩人おんじんこれいづれもみな父母ふぼかはるべきひと御座ございますからわたくしども父母ふぼひとしくうやま其人そのひとため身命しんめいなげうたなければなりませぬ。


問 基督正教ハリストスせいきょうでは『忠君きみにちゅう』なることにいてはようおしへてりまするか。

答 それもうまで御座ございませぬ、一国いつこくかしらたるひと命令めいれいにはこころから服従ふくじゅうし、つね帝王ていおう健在けんざいこく安寧あんねいとをばんさきだちていのるべきことをいましめてります、聖書せいしょもうして御座いますには、『およそことさきだちてすすしゅうじんため帝王ていおうおよおよけんものためとうがん懇求こんきゅう感謝かんしゃさんことを、われおよそ敬虔けいけん聖潔せいけつとをもつ平安へいあんにして穏静おだやかなるいのちいたらんためなり』(テモヘイ前二の一、二)『およそひとかみけんふくすべしけだしかみよりせざるけんなくところけんかみよりてられたるなりゆえけんふくせざるものはかみめいさからふなり』(ロマ十三の一、二)『わがかみ帝王ていわうとをおそれよ』(箴言二十四の二十一これに『ふくすべきはただいかりおそるる)のためのみならずすなはちりょうしんるなり』(ロマ十三の五ねがはくば『かみおそわうたふとめよ』(ペトル前二の十七)と。


問 ぶんいのちきみくにためつることにいては聖書せいしょにはもうして御座いますか。

答 其様そのようおのれいのちきみこくめにつるものはあいもっときよくてんたっしたるものでこれよりおほいなるとくいともうして御座います、イオアンの福音ふくいんうちに『ひと其友そのともため生命いのちつるはあいこれよりおほいなるはなし』(十五の十三)ともうして御座いまするのはすなは此事このこと意味いみしたもので御座います。


問 それでは聖書せいしょぼくきょううやまふべきことにいて如何いかがもうして御座いますか。

答 ようもうして御座います『なんぢ教導きょうどうかみことばなんぢつたへしものねんせよ、かれしたがひてこれふくせよ』(エウレイ十三の七、十七)と。


問 年長ねんちょうしゃうやまふべきこときましては聖書せいしょには如何どうもうしてりまするか。

答 『白髪しらがひとまへにはたちあがるべしまた老人としよりうやまなんぢかみおそるべし』(利未記十九の三十二
また老人としより厳責げんせきするなかすなはちかれすすむることちちけるごとくせよ……老女らうぢょにはははけるごとくせよ』(テモヘイ前五の一、二)。


問 おんあるひと大切たいせつにしますことにきましては聖書せいしょふことがしるして御座いますか。

答 此事このこと最早もはまでもないことで御座いますからべついましめも御座いませんがわたくしどもしゅなるイイスス ハリストスその大恩人だいおんじんなるイオシフに三十歳までちちたいするやうな孝養こうようつくしになったことをましてもそのおこないならおのれ恩人おんじん大切たいせついたさなければなりませぬ。


問 十誡じっかい第五誡命だいごのいましめわたくしどもきみたいぼくたい年長ねんちょうしゃたいするこころべたもので御座いますがそれではきみしんたいし、おやたいし、ぼくきょうその弟子でしたいし、年長ねんちょうしや年少ねんしょうしやたいする誡命いましめいては聖書せいしょ如何どうおしへて御座いますか。

答 きみたるものしんたいする義務ぎむついてはようもうして御座います『しゅなるもの公平こうへいもつぼくほどこてんにはなんぢにもしゅあることをればなり』(コロサイ四の一)。
おやたいする義務ぎむついてはようもうして御座います『ちちなんぢおのれいからしむるなかすなはちしゅ警戒いましめ教訓おしへとをもつこれ養育よういくせよ』(エヘス六の四)。
ぼくきょうそのしんおよ弟子でしたいしまするいましめきましては『なんぢかみむれぼくしてこれ監督かんとくするにはひてすにあらすなはちねがいまたかみむねしたがふにけつためあらすなはち熱心ねっしんりてまたかみわざしゅたるにあらすなはちぐんのりとなれ』(彼得前五の二、三)。
ねんちょうしやねんしょうしやたいするこころきましては『わかものには兄弟けいていけるがごとくせよ』(テモヘイ前五の二)とおしへて御座います。


問 それではきみ父母ふぼや年長者や主人がまことみちはづれたことをおこなへとめいじましたときにはうで御座いませう、それでもその命令めいれいわたくしどもあまんじてしたがはなければなりませぬものでせうか。

答 いいえ其様そんあいにはわたくしどもその命令めいれい君主きみ命令めいれいであつてもおや命令めいれいであつても主人しゅじん命令いひつけであつてもけっしてしたが必要ひつよういので御座います、其様そのようときにはわたくしどもかつせい使徒しとペトルイオアンがイウデヤの有司つかさちょうろうおよさいちょうこたへて『かみくよりもまさりてなんぢくはかみまえりてなるかみづか判断はんだんせよ』(行実ぎょうじつ四の十九)ともうしましたそのことば繰返くりかえぜんかみまことおしへめにその命令めいれいしりぞけて、これためくるくるしみあまんじてしのばなければなりませぬ。

問 十誡じっかい第五誡命だいごのいましめめいじてりまする誡命いましめこれそうかつしてもうしますると誡命いましめになるので御座いますか。

答 『従順じゅうじゅん』と誡命いましめになるので御座います。


十誡じっかい第六だいろく誡命かいめい

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<<なんぢひところなかれ)>>

問 ひところすとふことはもうまでも御座いません大罪だいざいで御座いますがしか戦争せんそういでくにため敵人てきころしたり、ごくしょくって罪人ざいにんけいしょすることはうで御座ございませう、矢張やっぱり大罪だいざいで御座いませうか。

答 法律おきてってけい罪人ざいにんしょすることや君国くにため戦争いくさおもむいて敵人てきころすことはけっしてつみでは御座いません。


問 それではあやまってひところしたひとうで御座いますか。

答 その過失あやまちまことむをぬもので御座いまするなればつみいので御座いますがおほ過失あやまちもうしまするものも用心ようじんらないところからおこってるもので御座いますから設令たとあやまってひところしましたにせよころしたひと全然まったくつみがないとはもうされません、で御座ございますから教会ではあやまってひところしたひとにも少時しばら謹慎つつしみめいじてこころきよめさせるので御座います。


問 教会でもうしまする『人殺ひとごろしのつみ』はかたな出刃でばひところすことばかりをもうすもので御座いますか、それともなほこのがいにも『人殺ひとごろしのつみ』はるので御座いますか。

答 教会でもうしまする『殺人罪ひとごろし』はかたな出刃でばひところすことばかりでは御座いませんつぎもうしまするようなこともまた殺人罪ひとごろし』のうちくわへられるので御座います。
第一は裁判官がこくざいたることをりながらこれつみおとすこと、第二はひところした罪人ざいにんかくまって其者そのもの便べんあたへること、第三はぶんひとたすくるみちるにもかかはらずにんごろしにすること、金満家かねもち貧乏人びんぼうにん餓死がしするをたすけないことなぞもこの第三者のうちぞくするもので御座います、第四はぶん配下てしたぎた労働はたらきめいじて其者そのもの身体からだそこなふこと、主人しゅじん召使めしつかいぎやくたいすることなぞはこのるいぞくするつみで御座います、第五は放蕩ほうとうさけ節制せっせいによつて大切だいじ身体からだこわすこと。
じょうべましたことはいづれも教会では矢張やっぱり『殺人ひとごろしつみ』と見做みなすので御座います。


問 さつは教会では如何どう見做みなすので御座いますか。

答 教会ではさつ矢張やっぱ人殺ひとごろしのうちくわへるので御座います、一体いったい日本人はさつふと大変たいへんえらさうにかんがへまするがそれ大変たいへんちがひで、大抵たいてい殺者さつしゃたたかいけたひとで御座います、さつするくらいかくればさつをしなくても充分じうぶん立派りっぱなかんなくるしみでもきりけてくことが出来できるので御座いますのにそれ出来できなくてさつなどするので御座いますから殺者さつしゃえらひとではない、かえって難関なんかんきりくることの出来できない意気地いきじなしで御座いますですから教会では殺者さつしゃじょういやしみます、一体いったいひともうしますのはだれでもおのれあいがるもので御座いますのに殺者さつしゃぶんぶんからだころすので御座いますからただ人殺ひとごろしつみばかりでなく天性てんせいもとった大罪たいざいで御座います、なほ其上このうえに自殺者は神様のむねにもそむいた大罪人だいざいにんで御座います。


問 それでは決闘けっとううで御座いますか。

答 決闘けっとう殺人ひとごろしさつ国法こくほうさからみっつの大罪だいざいどうおかすもので御座います、何故なぜかともうしますれば決闘けっとうわたくしあらそいさばためになすもので御座いますがわたくしあらそいさばためにはこく裁判さいばんふものが御座います、しかるに決闘けとっうをするものそのこくていないがしろにしてほしいままわたくしあらそい決定けっていしやうとするので御座いますから第一決闘けっとう国法こくほうそむくので御座います、つぎ決闘けっとうをするものおのれきづつけひとからだいたむるもので御座いますから人殺ひとごろしさつつみどうおかもので御座います。


問 人殺ひとごろしとはひと生命いのちることばかりをもうすので御座いますか。

答 いいえ左様そうでは御座いませぬ、ひとわるみちさそって其人そのひとたましひほろぼさしめるものまた人殺ひとごろしつみおこなもので御座います、しゅ聖書せいしょうちひとそこなものかって其罪そのつみならしてもうされましたには『誘惑いざないきたらざるを唯之ただこれきたものわざわいなるかなひとしょう一人いちにんつみいざなはんよりはむし磨石ひきうす其頸そのくびけられてうみとうぜられん』(ルカ十七の一すなはひとつみおとしいるるようものならばきてるよりか、んでしまったほうほどましであると意味いみで御座います。


問 それではこれがい人殺ひとごろしつみうちくわへらるべきつみは御座いませぬか。

答 御座ございます、ひとうちへいやぶったりひといたづらにくむこともまた人殺ひとごろしひとしいつみで御座います、聖書せいしょもうして御座いますには『およその兄弟けいていにくもの殺人者ひとごろしなり』(イオアン一書三の十五)。


問 わたくしども十誡じっかいの第六の誡命かいめいそれではただしくまもりまするには如何いかがいたしたならばよろしいので御座いますか。

答 この第六の誡命いましめを正しくわたくしどもおこなはんにはひと生命いのちへいおもんつねこころもちいてそれたすくるやうにしなければなりませぬ、たとへばまづしものにはめぐみ、びょうにんがあればかんをしてり、うれかなしんでものなぐさめてり、こうものればそれ親切しんせつ世話せわをしてり、ぶんはぢをかかせたものがあっても其罪そのつみとがめず、ばん萬端ばんたんひとやさしいこころもつ交際つきあふので御座います。