ルカ傳福音書(文語訳)

<文語訳新約聖書

w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:新約聖書

w:大正改訳聖書

ルカ傳福音書

第1章

編集

我らの中に成りし事の物語につき、始よりの目撃者にして、

御言の役者となりたる人々の、我らに傳へし其のままを書き列ねんと、手を著けし者あまたある故に、

我も凡ての事を最初より詳細に推し尋ねたれば、

テオピロ閣下よ、汝の教へられたる事の慥なるを悟らせん爲に、これが序を正して書き贈るは善き事と思はるるなり。

ユダヤの王ヘロデの時、アビヤの組の祭司に、ザカリヤという人あり。その妻はアロンの裔にて、名をエリサベツといふ。

二人ながら神の前に正しくして、主の誡命と定規とを、みな缺なく行へり。

エリサベツ石女なれば、彼らに子なし、また二人とも年邁みぬ。

さてザカリヤその組の順番に當りて、神の前に祭司の務を行ふとき、

祭司の慣例にしたがひて、籤をひき主の聖所に入りて、香を燒くこととなりぬ。

香を燒くとき、民の群みな外にありて祈りゐたり。

時に主の使あらはれて、香壇の右に立ちたれば、

ザカリヤ之を見て、心さわぎ懼を生ず。

御使いふ『ザカリヤよ、懼るな、汝の願は聽かれたり。汝の妻エリサベツ男子を生まん、汝その名をヨハネと名づくべし。

なんぢに喜悦と歡樂とあらん、又おほくの人もその生るるを喜ぶべし。

この子、主の前に大ならん、また葡萄酒と濃き酒とを飮まず、母の胎を出づるや聖靈にて滿されん。

また多くのイスラエルの子らを、主なる彼らの神に歸らしめ、

且エリヤの靈と能力とをもて、主の前に往かん。これ父の心を子に、戻れる者を義人の聰明に歸らせて、整へたる民を主のために備へんとてなり』

ザカリヤ御使にいふ『何に據りてか此の事あるを知らん。我は老人にて、妻もまた年邁みたり』

御使こたへて言ふ『われは神の御前に立つガブリエルなり、汝に語りてこの嘉き音信を告げん爲に遣さる。

視よ、時いたらば必ず成就すべき我が言を信ぜぬに因り、なんぢ物言へずなりて、此らの事の成る日までは語ること能はじ』

民はザカリヤを俟ちゐて、其の聖所の内に久しく留るを怪しむ。

遂に出で來りたれど語ること能はねば、彼らその聖所の内にて異象を見たることを悟る。ザカリヤは、ただ首にて示すのみ、なほ唖なりき。

かくて務の日滿ちたれば、家に歸りぬ。

此の後その妻エリサベツ孕りて、五月ほど隱れをりて言ふ、

『主わが恥を人の中に雪がせんとて、我を顧み給ふときは、斯く爲し給ふなり』

その六月めに、御使ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女のもとに、神より遣さる。

この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。

御使、處女の許にきたりて言ふ『めでたし、惠まるる者よ、主なんぢと偕に在せり』

マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、斯かる挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻らしたるに、

御使いふ『マリヤよ、懼るな、汝は神の御前に惠を得たり。

視よ、なんぢ孕りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。

彼は大ならん、至高者の子と稱へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、

ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』

マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』

御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者の能力なんぢを被はん。此の故に汝が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。

視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。

それ神の言には能はぬ所なし』

マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女なり。汝の言のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。

その頃マリヤ立ちて山里に急ぎ往き、ユダの町にいたり、

ザカリヤの家に入りてエリサベツに挨拶せしに、

エリサベツその挨拶を聞くや、兒は胎内にて躍れり。エリサベツ聖靈にて滿され、

聲高らかに呼はりて言ふ『をんなの中にて汝は祝福せられ、その胎の實もまた祝福せられたり。

わが主の母われに來る、われ何によりてか之を得し。

視よ、なんぢの挨拶の聲、わが耳に入るや、我が兒、胎内にて喜びをどれり。

信ぜし者は幸福なるかな、主の語り給ふことは必ず成就すべければなり』

マリヤ言ふ、 『わがこころ主をあがめ、

わが靈はわが救主なる神を喜びまつる。

その婢女の卑しきをも顧み給へばなり。

視よ、今よりのち萬世の人われを幸福とせん。

全能者われに大なる事を爲したまへばなり。

その御名は聖なり、

そのあはれみは代々

かしこみ恐るる者に臨むなり。

神は御腕にて權力をあらはし、

心の念に高ぶる者を散し、

權勢ある者を座位より下し、

いやしき者を高うし、

飢ゑたる者を善き物に飽かせ、

富める者を空しく去らせ給ふ。

また我らの先祖に告げ給ひし如く、

アブラハムとその裔とに對する

あはれみを永遠に忘れじとて、
僕イスラエルを助けたまへり』

かくてマリヤは、三月ばかりエルザベツと偕に居りて、己が家に歸れり。

さてエリサベツ産む期みちて男子を生みたれば、

その最寄のもの親族の者ども、主の大なる憐憫をエリサベツに垂れ給ひしことを聞きて、彼とともに喜ぶ。

八日めになりて、其の子に割禮を行はんとて人々きたり、父の名に因みてザカリヤと名づけんとせしに、

母こたへて言ふ『否、ヨハネと名づくべし』

かれら言ふ『なんぢの親族の中には此の名をつけたる者なし』

而して父に首にて示し、いかに名づけんと思ふか、問ひたるに、

ザカリヤ書板を求めて『その名はヨハネなり』と書きしかば、みな怪しむ。

ザカリヤの口たちどころに開け、舌ゆるみ、物いひて神を讃めたり。

最寄に住む者みな懼をいだき、又すべて此等のこと徧くユダヤの山里に言ひ囃されたれば、

聞く者みな之を心にとめて言ふ『この子は如何なる者にか成らん』主の手かれと偕に在りしなり。

かくて父ザカリヤ聖靈にて滿され預言して言ふ、

『讃むべきかな、主イスラエルの神、
その民をかへりみて贖罪をなし、
我らのために救の角を、
その僕ダビデの家に立て給へり。

これぞ古へより聖預言者の口をもて言ひ給ひし如く、

我らを仇より、凡て我らを憎む者の手より、取り出したまふ救なる。

我らの先祖に憐憫を垂れ、その聖なる契約を思し、

我らの先祖アブラハムに立て給ひし御誓を忘れずして、

我らを仇の手より救ひ、
生涯、主の御前に、
聖と義とをもて懼なく事へしめたまふなり。
幼兒よ、なんぢは至高者の預言者と稱へられん。
これ主の御前に先だちゆきて、其の道を備へ、
主の民に罪の赦による
救を知らしむればなり。
これ我らの神の深き憐憫によるなり。
この憐憫によりて朝のひかり、上より臨み、
暗黒と死の蔭とに坐する者をてらし、
我らの足を平和の路にみちびかん』

かくて幼兒は漸に成長し、その靈強くなり、イスラエルに現るる日まで荒野にゐたり。

第2章

編集

その頃、天下の人を戸籍に著かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。

この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし初のものなり。

さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に歸る。

2:4 2:5

編集

ヨセフもダビデの家系また血統なれば、既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處に到りぬ。

此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、

初子をうみ、之を布に包みて馬槽に臥させたり。旅舍にをる處なかりし故なり。

この地に野宿して、夜群を守りをる牧者ありしが、

主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、甚く懼る。

御使かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜の音信を我なんぢらに告ぐ。

今日ダビデの町にて汝らの爲に救主うまれ給へり、これ主キリストなり。

なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒を見ん、是その徴なり』

忽ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、

『いと高き處には榮光、神にあれ。:地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』

御使等さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』

乃ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。

既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、

聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。

而してマリヤは凡て此等のことを心に留めて思ひ囘せり。

牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ歸れり。

八日みちて幼兒に割禮を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。

モーセの律法に定めたる潔の日滿ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。

これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と稱へらるべし』と録されたる如く、幼兒を主に献げ、

また主の律法に『山鳩一つがひ或は家鴿の雛二羽』と云ひたるに遵ひて、犧牲を供へん爲なり。

視よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在す。

また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、

此とき御靈に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、

シメオン、イエスを取りいだき、神を讃めて言ふ、

『主よ、今こそ御言に循ひて、

僕を安らかに逝かしめ給ふなれ。

わが目は、はや主の救を見たり。

是もろもろの民の前に備へ給ひし者、

異邦人をてらす光、

御民イスラエルの榮光なり』

かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、

シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の或は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ逆ひを受くる徴のために置かる。

――劍なんぢの心をも刺し貫くべし――これは多くの人の心の念の顯れん爲なり』

ここにアセルの族パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女のとき、夫に適きて七年ともに居り、

八十四年寡婦たり。宮を離れず、夜も晝も斷食と祈祷とを爲して神に事ふ。

この時すすみ寄りて神に感謝し、また凡てエルサレムの拯贖を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。

さて主の律法に遵ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。

幼兒は漸に成長して健かになり、智慧みち、かつ神の惠その上にありき。

かくてその兩親、過越の祭には年毎にエルサレムに往きぬ。

イエスの十二歳のとき、祭の慣例に遵ひて上りゆき、

祭の日終りて歸る時、その子イエスはエルサレムに止りたまふ。兩親は之を知らずして、

道伴のうちに居るならんと思ひ、一日路ゆきて、親族・知邊のうちを尋ぬれど、

遇はぬに因りて復たづねつつエルサレムに歸り、

三日ののち、宮にて教師のなかに坐し、かつ聽き、かつ問ひゐ給ふに遇ふ。

聞く者は皆その聰と答とを怪しむ。

兩親イエスを見て、いたく驚き、母は言ふ『兒よ、何故かかる事を我らに爲しぞ、視よ、汝の父と我と憂ひて尋ねたり』

イエス言ひたまふ『何故われを尋ねたるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬか』

兩親はその語りたまふ事を悟らず。

かくてイエス彼等とともに下り、ナザレに往きて順ひ事へたまふ。其の母これらの事をことごとく心に藏む。

イエス智慧も身のたけも彌まさり、神と人とにますます愛せられ給ふ。

第3章

編集

テベリオ・カイザル在位の十五年、ポンテオ・ピラトはユダヤの總督、ヘロデはガリラヤ分封の國守、その兄弟ピリポはイツリヤ及びテラコニテの地の分封の國守、ルサニヤはアビレネ分封の國守たり、

アンナスとカヤパとは大祭司たりしとき、神の言、荒野にてザカリヤの子ヨハネに臨む。

かくてヨルダン河の邊なる四方の地にゆき、罪の赦を得さする悔改のバプテスマを宣傳ふ。

預言者イザヤの言の書に

『荒野に呼はる者の聲す。
「主の道を備へ、その路すじを直くせよ。
諸の谷は埋められ、諸の山と岡とは平げられ、
曲りたるは直く、嶮しきは坦かなる路となり、
人みな神の救を見ん」』

と録されたるが如し。

さてヨハネ、バプテスマを受けんとて出できたる群衆にいふ『蝮の裔よ、誰が汝らに、來らんとする御怒を避くべき事を示したるぞ。

さらば悔改に相應しき果を結べ。なんぢら「我らの父にアブラハムあり」と心のうちに言ひ始むな。我なんぢらに告ぐ、神はよく此らの石よりアブラハムの子等を起し得給ふなり。

斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし』

群衆ヨハネに問ひて言ふ『さらば我ら何を爲すべきか』

答へて言ふ『二つの下衣をもつ者は、有たぬ者に分け與へよ。食物を有つ者もまた然せよ』

取税人もバプテスマを受けんとて來りて言ふ『師よ、我ら何を爲すべきか』

答へて言ふ『定りたるものの外、なにをも促るな』

兵卒もまた問ひて言ふ『我らは何を爲すべきか』答へて言ふ『人を劫かし、また誣ひ訴ふな、己が給料をもて足れりとせよ』

民、待ち望みゐたれば、みな心の中にヨハネをキリストならんかと論ぜしに、

ヨハネ凡ての人に答へて言ふ『我は水にて汝らにバプテスマを施す、されど我よりも能力ある者きたらん、我はその鞋の紐を解くにも足らず。彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。

手には箕を持ちたまふ。禾場をきよめ、麥を倉に納めんとてなり。而して殼は消えぬ火にて焚きつくさん』

ヨハネこの他なほ、さまざまの勸をなして、民に福音を宣傳ふ。

然るに國守ヘロデ、その兄弟の妻ヘロデヤの事につき、又その行ひたる凡ての惡しき事につきて、ヨハネに責められたれば、

更に復一つの惡しき事を加へて、ヨハネを獄に閉ぢこめたり。

民みなバプテスマを受けし時、イエスもバプテスマを受けて祈りゐ給へば、天ひらけ、

聖靈、形をなして鴿のごとく其の上に降り、かつ天より聲あり、曰く『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』

イエスの、教を宣べ始め給ひしは、年おほよそ三十の時なりき。人にはヨセフの子と思はれ給へり。ヨセフの父はヘリ、

その先はマタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、

マタテヤ、アモス、ナホム、エスリ、ナンガイ、

マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ、

ヨハナン、レサ、ゾロバベル、サラテル、ネリ、

メルキ、アデイ、コサム、エルマダム、エル、

ヨセ、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、

シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリヤキム、

メレヤ、メナ、マタタ、ナタン、ダビデ、

エツサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナアソン、

アミナダブ、アデミン、アルニ、エスロン、パレス、ユダ、

ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、

セルグ、レウ、ペレグ、エベル、サラ、

カイナン、アルパクサデ、セム、ノア、ラメク、

メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、

エノス、セツ、アダムに至る。アダムは神の子なり。

第4章

編集

さてイエス聖靈にて滿ち、ヨルダン河より歸り、荒野にて四十日のあひだ御靈に導かれ、

惡魔に試みられ給ふ。この間なにをも食はず、日數滿ちてのち餓ゑ給ひたれば、

惡魔いふ『なんぢ若し神の子ならば、此の石に命じてパンと爲らしめよ』

イエス答へたまふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず」と録されたり』

惡魔またイエスを携へのぼりて、瞬間に天下のもろもろの國を示して言ふ、

『この凡ての權威と國々の榮華とを汝に與へん。我これを委ねられたれば、我が欲する者に與ふるなり。

この故にもし我が前に拜せば、ことごとく汝の有となるべし』

イエス答へて言ひたまふ『「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事ふべし」と録されたり』

惡魔またイエスをエルサレムに連れゆき、宮の頂上に立たせて言ふ

『なんぢ若し神の子ならば、此處より己が身を下に投げよ。
それは
「なんぢの爲に御使たちに命じて守らしめ給はん」
「かれら手にて汝をささへ、
その足を石に打當つる事なからしめん」と録されたるなり』

イエス答へて言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と云ひてあり』

惡魔あらゆる嘗試を盡してのち、暫くイエスを離れたり。

イエス御靈の能力をもてガリラヤに歸り給へば、その聲聞あまねく四方の地に弘る。

かくて諸會堂にて教をなし、凡ての人に崇められ給ふ。

偖その育てられ給ひし處のナザレに到り、例のごとく安息日に會堂に入りて、聖書を讀まんとて立ち給ひしに、

預言者イザヤの書を與へたれば、其の書を繙きて、かく録されたる所を見出し給ふ。

『主の御靈われに在す。
これ我に油を注ぎて貧しき者に福音を宣べしめ、
我をつかはして囚人に赦を得ることと、
盲人に見ゆることとを告げしめ、
壓へらるる者を放ちて自由を與へしめ、
主の喜ばしき年を宣傳へしめ給ふなり』

イエス書を卷き、係の者に返して坐し給へば、會堂に居る者みな之に目を注ぐ。

イエス言ひ出でたまふ『この聖書は今日なんぢらの耳に成就したり』

人々みなイエスを譽め、又その口より出づる惠の言を怪しみて言ふ『これヨセフの子ならずや』

イエス言ひ給ふ『なんぢら必ず我に俚諺を引きて「醫者よ、みづから己を醫せ、カペナウムにて有りしといふ我らが聞ける事どもを、己が郷なる此の地にても爲せ」と言はん』

また言ひ給ふ『われ誠に汝らに告ぐ、預言者は己が郷にて喜ばるることなし。

われ實をもて汝らに告ぐ、エリヤのとき三年六个月、天とぢて、全地大なる饑饉なりしが、イスラエルの中に多くの寡婦ありたれど、

エリヤは其の一人にすら遣されず、唯シドンなるサレプタの一人の寡婦にのみ遣されたり。

また預言者エリシヤの時、イスラエルの中に多くの癩病人ありしが、其の一人だに潔められず、唯シリヤのナアマンのみ潔められたり』

會堂にをる者みな之を聞きて憤恚に滿ち、

起ちてイエスを町より逐ひ出し、その町の建ちたる山の崖に引き往きて、投げ落さんとせしに、

イエスその中を通りて去り給ふ。

かくてガリラヤの町カペナウムに下りて、安息日ごとに人を教へ給へば、

人々その教に驚きあへり。その言、權威ありたるに因る。

會堂に穢れし惡鬼の靈に憑かれたる人あり、大聲に叫びて言ふ、

『ああ、ナザレのイエスよ、我らは汝となにの關係あらんや。我らを亡さんとて來給ふか。我はなんぢの誰なるを知る、神の聖者なり』

イエス之を禁めて言ひ給ふ『默せ、その人より出でよ』惡鬼その人を人々の中に倒し、傷つけずして出づ。

みな驚き語り合ひて言ふ『これ如何なる言ぞ、權威と能力とをもて命ずれば、穢れし惡鬼すら出で去る』

ここにイエスの噂あまねく四方の地に弘りたり。

イエス會堂を立ち出でて、シモンの家に入り給ふ。シモンの外姑おもき熱を患ひ居たれば、人々これが爲にイエスに願ふ。

その傍らに立ちて熱を責めたまへば、熱去りて女たちどころに起きて彼らに事ふ。

日のいる時、さまざまの病を患ふ者をもつ人、みな之をイエスに連れ來れば、一々その上に手を置きて醫し給ふ。

惡鬼もまた多くの人より出でて叫びつつ言ふ『なんぢは神の子なり』之を責めて物言ふことを免し給はず、惡鬼そのキリストなるを知るに因りてなり。

明くる朝イエス出でて寂しき處にゆき給ひしが、群衆たづねて御許に到り、その去り往くことを止めんとせしに、

イエス言ひ給ふ『われ又ほかの町々にも神の國の福音を宣傳へざるを得ず、わが遣されしは之が爲なり』

かくてユダヤの諸會堂にて教を宣べたまふ。

第5章

編集

群衆おし迫りて神の言を聽きをる時、イエス、ゲネサレの湖のほとりに立ちて、

渚に二艘の舟の寄せあるを見たまふ、漁人は舟をいでて網を洗ひ居たり。

イエスその一艘なるシモンの舟に乘り、彼に請ひて陸より少しく押し出さしめ、坐して舟の中より群衆を教へたまふ。

語り終へてシモンに言ひたまふ『深處に乘りいだし、網を下して漁れ』

シモン答へて言ふ『君よ、われら終夜勞したるに、何をも得ざりき、されど御言に隨ひて網を下さん』

かくて然せしに、魚の夥多しき群を圍みて、網裂けかかりたれば、

他の一艘の舟にをる組の者を差招きて來り助けしむ。來りて魚を二艘の舟に滿したれば、舟沈まんばかりになりぬ。

シモン・ペテロ之を見て、イエスの膝下に平伏して言ふ『主よ、我を去りたまへ。我は罪ある者なり』

これはシモンも偕に居る者もみな、漁りし魚の夥多しきに驚きたるなり。

ゼベダイの子にしてシモンの侶なるヤコブもヨハネも同じく驚けり。イエス、シモンに言ひたまふ『懼るな、なんぢ今よりのち人を漁らん』

かれら舟を陸につけ、一切を棄ててイエスに從へり。

イエス或町に居給ふとき、視よ、全身癩病をわづらふ者あり。イエスを見て平伏し、願ひて言ふ『主よ、御意ならば、我を潔くなし給ふを得ん』

イエス手をのべ彼につけて『わが意なり、潔くなれ』と言ひ給へば、直ちに癩病されり。

イエス之を誰にも語らぬやうに命じ、かつ言ひ給ふ『ただ往きて己を祭司に見せ、モーセが命じたるごとく汝の潔のために献物して、人々に證せよ』

されど彌増々イエスの事ひろまりて、大なる群衆、あるひは教を聽かんとし、或は病を醫されんとして集り來りしが、

イエス寂しき處に退きて祈り給ふ。

或日イエス教をなし給ふとき、ガリラヤの村々、ユダヤ及びエルサレムより來りしパリサイ人、教法學者ら、そこに坐しゐたり。病を醫すべき主の能力イエスと偕にありき。

視よ、人々、中風を病める者を、床にのせて擔ひきたり、之を家に入れて、イエスの前に置かんとすれど、

群衆によりて擔ひ入るべき道を得ざれば、屋根にのぼり、瓦を取り除けて、床のまま人々の中に、イエスの前につり縋り下せり。

イエス彼らの信仰を見て言ひたまふ『人よ、汝の罪ゆるされたり』

ここに學者・パリサイ人ら論じ出でて言ふ『瀆言をいふ此の人は誰ぞ、神より他に誰か罪を赦すことを得べき』

イエス彼らの論ずる事をさとり、答へて言ひ給ふ『なにを心のうちに論ずるか。

「なんぢの罪ゆるされたり」と言ふと「起きて歩め」と言ふと孰か易き、

人の子の地にて罪をゆるす權威あることを汝らに知らせん爲に』――中風を病める者に言ひ給ふ――『なんぢに告ぐ、起きよ、床をとりて家に往け』

かれ立刻に人々の前にて起きあがり、臥しゐたる床をとりあげ、神を崇めつつ己が家に歸りたり。

人々みな甚く驚きて神をあがめ懼に滿ちて言ふ『今日われら珍しき事を見たり』

この事の後イエス出でて、レビといふ取税人の收税所に坐しをるを見て『われに從へ』と言ひ給へば、

一切を棄ておき、起ちて從へり。

レビ己が家にて、イエスの爲に大なる饗宴を設けしに、取税人および他の人々も多く食事の席に列りゐたれば、

パリサイ人および其の曹輩の學者ら、イエスの弟子たちに向ひ、呟きて言ふ『なにゆゑ汝らは取税人・罪人らと共に飮食するか』

イエス答へて言ひたまふ『健康なる者は醫者を要せず、ただ病ある者これを要す。

我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招きて悔改めさせんとて來れり』

彼らイエスに言ふ『ヨハネの弟子たちは、しばしば斷食し祈祷し、パリサイ人の弟子たちも亦然するに、汝の弟子たちは飮食するなり』

イエス言ひたまふ『新郎の友だち新郎と偕にをるうちは、彼らに斷食せしめ得んや。

されど日來りて新郎をとられん、その日には斷食せん』

イエスまた譬を言ひ給ふ『たれも新しき衣を切り取りて、舊き衣を繕ふ者はあらじ。もし然せば、新しきものも破れ、かつ新しきものより取りたる裂も舊きものに合はじ。

誰も新しき葡萄酒を、ふるき革嚢に入るることは爲じ。もし然せば、葡萄酒は嚢をはりさき漏れ出でて、嚢も廢らん。

新しき葡萄酒は、新しき革嚢に入るべきなり。

誰も舊き葡萄酒を飮みてのち、新しき葡萄酒を望む者はあらじ。「舊きは善し」と云へばなり』

第6章

編集

イエス安息日に麥畠を過ぎ給ふとき、弟子たち穗を摘み、手にて揉みつつ食ひたれば、

パリサイ人のうち或者ども言ふ『なんぢらは何ゆゑ安息日に爲まじき事をするか』

イエス答へて言ひ給ふ『ダビデその伴へる人々とともに飢ゑしとき、爲しし事をすら讀まぬか。

即ち神の家に入りて、祭司の他は食ふまじき供のパンを取りて食ひ、己と偕なる者にも與へたり』

また言ひたまふ『人の子は安息日の主たるなり』

又ほかの安息日に、イエス會堂に入りて教をなし給ひしに、此處に人あり、其の右の手なえたり。

學者・パリサイ人ら、イエスを訴ふる廉を見出さんと思ひて、安息日に人を醫すや否やを窺ふ。

イエス彼らの念を知りて、手なえたる人に『起きて中に立て』と言ひ給へば、起きて立てり。

イエス彼らに言ひ給ふ『われ汝らに問はん、安息日に善をなすと惡をなすと、生命を救ふと亡すと、孰かよき』

かくて一同を見まはして、手なえたる人に『なんぢの手を伸べよ』と言ひ給ふ。かれ然なしたれば、その手癒ゆ。

然るに彼ら狂氣の如くなりて、イエスに何をなさんと語り合へり。

その頃イエス祈らんとて山にゆき、神に祈りつつ夜を明したまふ。

夜明になりて弟子たちを呼び寄せ、その中より十二人を選びて、之を使徒と名づけたまふ。

即ちペテロと名づけ給ひしシモンと其の兄弟アンデレと、ヤコブとヨハネと、ピリポとバルトロマイと、

マタイとトマスと、アルパヨの子ヤコブと熱心黨と呼ばるるシモンと、

ヤコブの子ユダとイスカリオテのユダとなり。このユダはイエスを賣る者となりたり。

イエス此等とともに下りて、平かなる處に立ち給ひしに、弟子の大なる群衆、およびユダヤ全國、エルサレム又ツロ、シドンの海邊より來りて、或は教を聽かんとし、或は病を醫されんとする民の大なる群も、そこにあり。

穢れし靈に惱されたる者も醫される。

能力イエスより出でて、凡ての人を醫せば、群衆みなイエスに觸らん事を求む。

イエス目をあげ弟子たちを見て言ひたまふ『幸福なるかな、貧しき者よ、神の國は汝らの有なり。

幸福なる哉、いま飢うる者よ、汝ら飽くことを得ん。幸福なる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。

人なんぢらを憎み、人の子のために遠ざけ、謗り、汝らの名を惡しとして棄てなば、汝ら幸福なり。

その日には喜び躍れ。視よ、天にて汝らの報は大なり、彼らの先祖が預言者たちに爲ししも斯くありき。

されど禍害なるかな、富む者よ、汝らは既にその慰安を受けたり。

禍害なる哉、いま飽く者よ、汝らは飢ゑん。禍害なる哉、いま笑ふ者よ、汝らは、悲しみ泣かん。

凡ての人、なんぢらを譽めなば、汝ら禍害なり。彼らの先祖が虚僞の預言者たちに爲ししも斯くありき。

われ更に汝ら聽くものに告ぐ、なんじらの仇を愛し、汝らを憎む者を善くし、

汝らを詛ふ者を祝し、汝らを辱しむる者のために祈れ。

なんぢの頬を打つ者には、他の頬をも向けよ。なんぢの上衣を取る者には下衣をも拒むな。

すべて求むる者に與へ、なんぢの物を奪ふ者に復索むな。

なんぢら人に爲られんと思ふごとく、人にも然せよ。

なんぢら己を愛する者を愛せばとて、何の嘉すべき事あらん、罪人にても己を愛する者を愛するなり。

汝等おのれに善をなす者に善を爲すとも、何の嘉すべき事あらん、罪人にても然するなり。

なんぢら得る事あらんと思ひて人に貸すとも、何の嘉すべき事あらん、罪人にても均しきものを受けんとて罪人に貸すなり。

汝らは仇を愛し、善をなし、何をも求めずして貸せ、さらば、その報は大ならん。かつ至高者の子たるべし。至高者は、恩を知らぬもの惡しき者にも、仁慈あるなり。

汝らの父の慈悲なるごとく、汝らも慈悲なれ。

人を審くな、さらば汝らも審かるる事あらじ。人を罪に定むな、さらば、汝らも罪に定めらるる事あらじ。人を赦せ、さらば汝らも赦されん。

人に與へよ、さらば汝らも與へられん。人は量をよくし、押し入れ、搖り入れ、溢るるまでにして、汝らの懷中に入れん。汝等おのが量る量にて量らるべし』

また譬にて言ひたまふ『盲人は盲人を手引するを得んや。二人とも穴に落ちざらんや。

弟子はその師に勝らず、凡そ全うせられたる者は、その師の如くならん。

何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、己が目にある梁木を認めぬか。

おのが目にある梁木を見ずして、爭で兄弟に向ひて「兄弟よ、汝の目にある塵を取り除かせよ」といふを得んや。僞善者よ、先づ己が目より梁木を取り除け。さらば明かに見えて、兄弟の目にある塵を取りのぞき得ん。

惡しき果を結ぶ善き樹はなく、また善き果を結ぶ惡しき樹はなし。

樹はおのおの其の果によりて知らる。茨より無花果を取らず、野荊より葡萄を收めざるなり。

善き人は心の善き倉より善きものを出し、惡しき人は惡しき倉より惡しき物を出す。それ心に滿つるより、口は物言ふなり。

なんぢら我を「主よ主よ」と呼びつつ、何ぞ我が言ふことを行はぬか。

凡そ我にきたり我が言を聽きて行ふ者は、如何なる人に似たるかを示さん。

即ち家を建つるに、地を深く掘り岩の上に基を据ゑたる人のごとし。洪水いでて流その家を衝けども動かすこと能はず、これ固く建てられたる故なり。

されど聽きて行はぬ者は、基なくして家を土の上に建てたる人のごとし。流その家を衝けば、直ちに崩れて、その破壞はなはだし』

第7章

編集

イエス凡て此らの言を民に聞かせ終へて後、カペナウムに入り給ふ。

時に或百卒長、その重んずる僕やみて死ぬばかりなりしかば、

イエスの事を聽きて、ユダヤ人の長老たちを遣し、來りて僕を救ひ給はんことを願ふ。

彼らイエスの許にいたり、切に請ひて言ふ『かの人は此の事を爲らるるに相應し。

わが國人を愛し、我らのために會堂を建てたり』

イエス共に往き給ひて、その家はや程近くなりしとき、百卒長、數人の友を遣して言はしむ『主よ、自らを煩はし給ふな。我は汝をわが屋根の下に入れまつるに足らぬ者なり。

されば御前に出づるにも相應しからずと思へり、ただ御言を賜ひて我が僕をいやし給へ。

我みづから權威の下に置かるる者なるに、我が下にまた兵卒ありて、此に「往け」と言へば往き、彼に「來れ」と言へば來り、わが僕に「これを爲せ」と言へば爲すなり』

イエス聞きて彼を怪しみ、振反りて從ふ群衆に言ひ給ふ『われ汝らに告ぐ、イスラエルの中にだに斯かるあつき信仰は見しことなし』

遣されたる者ども家に歸りて僕を見れば、既に健康となれり。

その後イエス、ナインといふ町にゆき給ひしに、弟子たち及び大なる群衆も共に往く。

町の門に近づき給ふとき、視よ、舁き出さるる死人あり。これは獨息子にて母は寡婦なり、町の多くの人々これに伴ふ。

主、寡婦を見て憫み『泣くな』と言ひて、

近より、柩に手をつけ給へば、舁くもの立ち止る。イエス言ひたまふ『若者よ、我なんぢに言ふ、起きよ』

死人、起きかへりて物言ひ始む。イエス之を母に付したまふ。

人々みな懼をいだき、神を崇めて言ふ『大なる預言者われらの中に興れり』また言ふ『神その民を顧み給へり』

この事ユダヤ全國および最寄の地に徧くひろまりぬ。

偖ヨハネの弟子たち、凡て此等のことを告げたれば、

ヨハネ兩三人の弟子を呼び、主に遣して言はしむ『來るべき者は汝なるか、或は他に待つべきか』

彼ら御許に到りて言ふ『バプテスマのヨハネ、我らを遣して言はしむ「來るべき者は汝なるか、或は他に待つべきか」』

この時イエス多くの者の病・疾患を醫し、惡しき靈を逐ひいだし、又おほくの盲人に見ることを得しめ給ひしが、

答へて言ひたまふ『往きて汝らが見聞せし所をヨハネに告げよ。盲人は見、跛者はあゆみ、癩病人は潔められ、聾者はきき、死人は甦へらせられ、貧しき者は福音を聞かせらる。

おほよそ我に躓かぬ者は幸福なり』

ヨハネの使の去りたる後、ヨハネの事を群衆に言ひいで給ふ『なんぢら何を眺めんとて野に出でし、風にそよぐ葦なるか。

さらば何を見んとて出でし、柔かき衣を著たる人なるか。視よ、華美なる衣をきて奢り暮す者は王宮に在り。

さらば何を見んとて出でし、預言者なるか。然り、我なんぢらに告ぐ、預言者よりも勝る者なり。

「視よ、わが使を汝の顏の前につかはす。:かれは汝の前になんじの道をそなへん」と録されたるは此の人なり。

われ汝らに告ぐ、女の産みたる者の中、ヨハネより大なる者はなし。されど神の國にて小き者も、彼よりは大なり。

(凡ての民これを聞きて、取税人までも神を正しとせり。ヨハネのバプテスマを受けたるによる。

されどパリサイ人・教法師らは、其のバプテスマを受けざりしにより、各自にかかはる神の御旨をこばみたり)

さればわれ今の代の人を何に比へん。彼らは何に似たるか。

彼らは、童市場に坐し、たがひに呼びて「われら汝らの爲に笛吹きたれど、汝ら躍らず。歎きたれど、汝ら泣かざりき」と云ふに似たり。

それはバプテスマのヨハネ來りて、パンをも食はず葡萄酒をも飮まねば、「惡鬼に憑かれたる者なり」と汝ら言ひ、

人の子きたりて飮食すれば「視よ、食を貪り、酒を好む人、また取税人・罪人の友なり」と汝ら言ふなり。

されど智慧は己が凡ての子によりて正しとせらる』

ここに或パリサイ人ともに食せん事をイエスに請ひたれば、パリサイ人の家に入りて、席につき給ふ。

視よ、この町に罪ある一人の女あり。イエスのパリサイ人の家にて食事の席にゐ給ふを知り、香油の入りたる石膏の壺を持ちきたり、

泣きつつ御足近く後にたち、涙にて御足をうるほし、頭の髮にて之を拭ひ、また御足に接吻して香油を抹れり。

イエスを招きたるパリサイ人これを見て、心のうちに言ふ『この人もし預言者ならば、觸る者の誰、如何なる女なるかを知らん、彼は罪人なるに』

イエス答へて言ひ給ふ『シモン、我なんぢに言ふことあり』シモンいふ『師よ、言ひたまへ』

『或債主に二人の負債者ありて、一人はデナリ五百、一人は五十の負債せしに、

償ひかたなければ、債主この二人を共に免せり。されば二人のうち債主を愛すること孰か多き』

シモン答へて言ふ『われ思ふに、多く免されたる者ならん』イエス言ひ給ふ『なんぢの判斷は當れり』

かくて女の方に振向きてシモンに言ひ給ふ『この女を見るか。我なんぢの家に入りしに、なんぢは我に足の水を與へず、此の女は涙にて我足を濡し、頭髮にて拭へり。

なんぢは我に接吻せず、此の女は我が入りし時より、我が足に接吻して止まず。

なんぢは我が頭に油を抹らず、此の女は我が足に香油を抹れり。

この故に我なんぢに告ぐ、この女の多くの罪は赦されたり。その愛すること大なればなり。赦さるる事の少き者は、その愛する事もまた少し』

遂に女に言ひ給ふ『なんぢの罪は赦されたり』

同席の者ども心の内に『罪をも赦す此の人は誰なるか』と言ひ出づ。

ここにイエス女に言ひ給ふ『なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け』

第8章

編集

この後イエス教を宣べ、神の國の福音を傳へつつ、町々村々を廻り給ひしに、十二弟子も伴ふ。

また前に惡しき靈を逐ひ出され、病を醫されなどせし女たち、即ち七つの惡鬼のいでしマグラダと呼ばるるマリヤ、

ヘロデの家司クーザの妻ヨハンナ及びスザンナ、此の他にも多くの女ともなひゐて、其の財産をもて彼らに事へたり。

大なる群衆むらがり、町々の人みもとに寄り集ひたれば、譬をもて言ひたまふ、

『種播く者その種を播かんとて出づ。播くとき路の傍らに落ちし種あり、踏みつけられ、また空の鳥これを啄む。

岩の上に落ちし種あり、生え出でたれど潤澤なきによりて枯る。

茨の中に落ちし種あり、茨も共に生え出でて之を塞ぐ。

良き地に落ちし種あり、生え出でて百倍の實を結べり』これらの事を言ひて呼はり給ふ『きく耳ある者は聽くべし』

弟子たち此の譬の如何なる意なるかを問ひたるに、

イエス言ひ給ふ『なんぢらは神の國の奧義を知ることを許されたれど、他の者は譬にてせらる。彼らの見て見ず、聞きて悟らぬ爲なり。

譬の意は是なり。種は神の言なり。

路の傍らなるは、聽きたるのち、惡魔きたり、信じて救はるる事のなからんために、御言をその心より奪ふ所の人なり。

岩の上なるは、聽きて御言を喜び受くれども、根なければ、暫く信じて嘗試のときに退く所の人なり。

茨の中に落ちしは、聽きてのち過ぐるほどに、世の心勞と財貨と快樂とに塞がれて實らぬ所の人なり。

良き地なるは、御言を聽き、正しく善き心にて之を守り、忍びて實を結ぶ所の人なり。

誰も燈火をともし器にて覆ひ、または寢臺の下におく者なし、入り來る者のその光を見んために、之を燈臺の上に置くなり。

それ隱れたるものの顯れぬはなく、秘めたるものの知られぬはなく、明かにならぬはなし。

されば汝ら聽くこと如何にと心せよ、誰にても有てる人はなほ與へられ、有たぬ人はその有てりと思ふ物をも取らるべし』

さてイエスの母と兄弟と來りたれど、群衆によりて近づくこと能はず。

或人イエスに『なんぢの母と兄弟と、汝に逢はんとて外に立つ』と告げたれば、

答へて言ひたまふ『わが母わが兄弟は、神の言を聽き、かつ行ふ此らの者なり』

或日イエス弟子たちと共に舟に乘りて『みづうみの彼方にゆかん』と言ひ給へば、乃ち船出す。

渡るほどにイエス眠りたまふ。颶風みづうみに吹き下し、舟に水滿ちんとして危かりしかば、

弟子たち御側により、呼び起して言ふ『君よ、君よ、我らは亡ぶ』イエス起きて風と浪とを禁め給へば、ともに鎭りて凪となりぬ。

かくて弟子たちに言ひ給ふ『なんぢらの信仰いづこに在るか』かれら懼れ怪しみて互に言ふ『こは誰ぞ、風と水とに命じ給へば順ふとは』

遂にガリラヤに對へるゲラセネ人の地に著く。

陸に上りたまふ時、その町の人にて惡鬼に憑かれたる者きたり遇ふ。この人は久しきあひだ衣を著ず、また家に住まずして墓の中にゐたり。

イエスを見てさけび、御前に平伏して大聲にいふ『至高き神の子イエスよ、我は汝と何の關係あらん、願はくは我を苦しめ給ふな』

これはイエス穢れし靈に、この人より出で往かんことを命じ給ひしに因る。この人けがれし靈にしばしば拘へられ、鏈と足械とにて繋ぎ守られたれど、その繋をやぶり、惡鬼に逐はれて荒野に往けり。

イエス之に『なんぢの名は何か』と問ひ給へば『レギオン』と答ふ、多くの惡鬼その中に入りたる故なり。

彼らイエスに、底なき所に往くを命じ給はざらんことを請ふ。

彼處の山に、多くの豚の一群、食し居たりしが、惡鬼ども其の豚に入るを許し給はんことを請ひたれば、イエス許し給ふ。

惡鬼、人を出でて豚に入りたれば、その群、崖より湖水に駈け下りて溺れたり。

飼ふ者ども此の起りし事を見て、逃げ往きて、町にも里にも告げたれば、

人々ありし事を見んとて出で、イエスに來りて、惡鬼の出でたる人の、衣服をつけ慥なる心にて、イエスの足下に坐しをるを見て懼れあへり。

かの惡鬼に憑かれたる人の救はれし事柄を見し者ども、之を彼らに告げたれば、

ゲラセネ地方の民衆、みなイエスに出で去り給はんことを請ふ。これ大に懼れたるなり。ここにイエス舟に乘りて歸り給ふ。

時に惡鬼の出でたる人、ともに在らんことを願ひたれど、之を去らしめんとて、

言ひ給ふ『なんぢの家に歸りて、神が如何に大なる事を汝になし給ひしかを具に告げよ』彼ゆきて、イエスの如何に大なる事を己になし給ひしかを、徧くその町に言ひ弘めたり。

かくてイエスの歸り給ひしとき、群衆これを迎ふ、みな待ちゐたるなり。

視よ、會堂司にてヤイロといふ者あり、來りてイエスの足下に伏し、その家にきたり給はんことを願ふ。

おほよそ十二歳ほどの一人娘ありて、死ぬばかりなる故なり。イエスの往き給ふとき、群衆かこみ塞がる。

ここに十二年このかた血漏を患ひて、醫者の爲に己が身代をことごとく費したれども、誰にも癒され得ざりし女あり。

イエスの後に來りて、御衣の總にさはりたれば、血の出づること立刻に止みたり。

イエス言ひ給ふ『我に觸りしは誰ぞ』人みな否みたれば、ペテロ及び共にをる者ども言ふ『君よ、群衆なんぢを圍みて押迫るなり』

イエス言ひ給ふ『われに觸りし者あり、能力の我より出でたるを知る』

女おのれが隱れ得ぬことを知り、戰き來りて御前に平伏し、觸りし故と立刻に癒えたる事を、人々の前にて告ぐ。

イエス言ひ給ふ『むすめよ、汝の信仰なんぢを救へり、安らかに往け』

かく語り給ふほどに、會堂司の家より人きたりて言ふ『なんぢの娘は早や死にたり、師を煩はすな』

イエス之を聞きて會堂司に答へたまふ『懼るな、ただ信ぜよ。さらば娘は救はれん』

イエス家に到りて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ及び子の父母の他は、ともに入ることを誰にも許し給はず。

人みな泣き、かつ子のために歎き居たりしが、イエス言ひたまふ『泣くな、死にたるにあらず、寢ねたるなり』

人々その死にたるを知れば、イエスを嘲笑ふ。

然るにイエス子の手をとり、呼びて『子よ、起きよ』と言ひ給へば、

その靈かへりて立刻に起く。イエス食物を之に與ふることを命じ給ふ。

その兩親おどろきたり。イエス此の有りし事を誰にも語らぬやうに命じ給ふ。

第9章

編集

イエス十二弟子を召し寄せて、もろもろの惡鬼を制し、病をいやす能力と權威とを與へ、

また神の國を宣傳へしめ、人を醫さしむる爲に、之を遣さんとして言ひ給ふ、

『旅のために何をも持つな、杖も袋も糧も銀も、また二つの下衣をも持つな。

いづれの家に入るとも、其處に留れ、而して其處より立ち去れ。

人もし汝らを受けずば、その町を立ち去るとき、證のために足の塵を拂へ』

ここに弟子たち出でて村々を歴巡り、あまねく福音を宣傳へ、醫すことを爲せり。

さて國守ヘロデ、ありし凡ての事をききて周章てまどふ。或人はヨハネ死人の中より甦へりたりといひ、

或人はエリヤ現れたりといひ、また或人は、古への預言者の一人よみがへりたりと言へばなり。

ヘロデ言ふ『ヨハネは我すでに首斬りたり、然るに斯かる事のきこゆる此の人は誰なるか』かくてイエスを見んことを求めゐたり。

使徒たち歸りきて、其の爲しし事を具にイエスに告ぐ。イエス彼らを携へて竊にベツサイダといふ町に退きたまふ。

されど群衆これを知りて從ひ來りたれば、彼らを接けて、神の國の事を語り、かつ治療を要する人々を醫したまふ。

日傾きたれば、十二弟子きたりて言ふ『群衆を去らしめ、周圍の村また里にゆき、宿をとりて食物を求めさせ給へ。我らは斯かる寂しき所に居るなり』

イエス言ひ給ふ『なんぢら食物を與へよ』弟子たち言ふ『我らただ五つのパンと二つの魚とあるのみ、此の多くの人のために、往きて買はねば他に食物なし』

男おほよそ五千人ゐたればなり。イエス弟子たちに言ひたまふ『人々を組にして五十人づつ坐せしめよ』

彼等その如くなして、人々をみな坐せしむ。

かくてイエス五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝し、擘きて弟子たちに付し、群衆のまへに置かしめ給ふ。

彼らは食ひて皆飽く。擘きたる餘を集めしに十二筐ほどありき。

イエス人々を離れて祈り居給ふとき、弟子たち偕にをりしに、問ひて言ひたまふ『群衆は我を誰といふか』

答へて言ふ『バプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人は古への預言者の一人よみがへりたりと言ふ』

イエス言ひ給ふ『なんぢらは我を誰と言ふか』ペテロ答へて言ふ『神のキリストなり』

イエス彼らを戒めて、之を誰にも告げぬやうに命じ、かつ言ひ給ふ

『人の子は必ず多くの苦難をうけ、長老・祭司長・學者らに棄てられ、かつ殺され、三日めに甦へるべし』

また一同の者に言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、日々おのが十字架を負ひて我に從へ。

己が生命を救はんと思ふ者は之を失ひ、我がために己が生命を失ふその人は之を救はん。

人、全世界を贏くとも、己をうしなひ己を損せば、何の益あらんや。

我と我が言とを恥づる者をば、人の子もまた、己と父と聖なる御使たちとの榮光をもて來らん時に恥づべし。

われ實をもて汝らに告ぐ、此處に立つ者のうちに、神の國を見るまでは死を味はぬ者どもあり』

これらの言をいひ給ひしのち八日ばかり過ぎて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブを率きつれ、祈らんとて山に登り給ふ。

かくて祈り給ふほどに、御顏の状かはり、其の衣白くなりて輝けり。

視よ、二人の人ありてイエスと共に語る。これはモーセとエリヤとにて、

榮光のうちに現れ、イエスのエルサレムにて遂げんとする逝去のことを言ひゐたるなり。

ペテロ及び共にをる者いたく睡氣ざしたれど、目を覺してイエスの榮光および偕に立つ二人を見たり。

二人の者イエスと別れんとする時、ペテロ、イエスに言ふ『君よ、我らの此處に居るは善し、我ら三つの廬を造り、一つを汝のため、一つをモーセのため、一つをエリヤの爲にせん』彼は言ふ所を知らざりき。

この事を言ひ居るほどに、雲おこりて彼らを覆ふ。雲の中に入りしとき、弟子たち懼れたり。

雲より聲出でて言ふ『これは我が選びたる子なり、汝ら之に聽け』

聲出でしとき、唯イエスひとり見え給ふ。弟子たち默して、見し事を何一つ其の頃たれにも告げざりき。

次の日、山より下りたるに、大なる群衆イエスを迎ふ。

視よ、群衆のうちの或人さけびて言ふ『師よ、願はくは我が子を顧みたまへ、之は我が獨子なり。

視よ、靈の憑くときは俄に叫ぶ、痙攣けて沫をふかせ、甚く害ひ、漸くにして離るるなり。

御弟子たちに之を逐ひ出すことを請ひたれど、能はざりき』

イエス答へて言ひ給ふ『ああ信なき曲れる代なる哉、われ何時まで汝らと偕にをりて、汝らを忍ばん。汝の子をここに連れ來れ』

乃ち來るとき、惡鬼これを打ち倒し、甚く痙攣けさせたり。イエス穢れし靈を禁め、子を醫して、その父に付したまふ。

人々みな神の稜威に驚きあへり。人々みなイエスの爲し給ひし凡ての事を怪しめる時、イエス弟子たちに言ひ給ふ、

『これらの言を汝らの耳にをさめよ。人の子は人々の手に付さるべし』

かれら此の言を悟らず、辨へぬやうに隱されたるなり。また此の言につきて問ふことを懼れたり。

ここに弟子たちの中に、誰か大ならんとの爭論おこりたれば、

イエスその心の爭論を知りて、幼兒をとり御側に置きて言ひ給ふ、

『おほよそ我が名のために此の幼兒を受くる者は、我を受くるなり。我を受くる者は、我を遣しし者を受くるなり。汝らの中にて最も小き者は、これ大なるなり』

ヨハネ答へて言ふ『君よ、御名によりて惡鬼を逐ひいだす者を見しが、我等とともに從はぬ故に、之を止めたり』

イエス言ひ給ふ『止むな。汝らに逆はぬ者は、汝らに附く者なり』

イエス天に擧げらるる時滿ちんとしたれば、御顏を堅くエルサレムに向けて進まんとし、

己に先だちて使を遣したまふ。彼ら往きてイエスの爲に備をなさんとて、サマリヤ人の或村に入りしに、

村人そのエルサレムに向ひて往き給ふさまなるが故に、イエスを受けず、

弟子のヤコブ、ヨハネ、これを見て言ふ『主よ、我らが天より火を呼び下して彼らを滅すことを欲し給ふか』

イエス顧みて彼らを戒め、

遂に相共に他の村に往きたまふ。

途を往くとき、或人イエスに言ふ『何處に往き給ふとも我は從はん』

イエス言ひたまふ『狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕する所なし』

また或人に言ひたまふ『我に從へ』かれ言ふ『まづ往きて我が父を葬ることを許し給へ』

イエス言ひたまふ『死にたる者に、その死にたる者を葬らせ、汝は往きて神の國を言ひ弘めよ』

また或人いふ『主よ、我なんぢに從はん、されど先づ家の者に別を告ぐることを許し給へ』

イエス言ひたまふ『手を鋤につけてのち後を顧みる者は、神の國に適ふ者にあらず』

第10章

編集

この事ののち、主、ほかに七十人をあげて、自ら往かんとする町々處々へ、おのれに先だち二人づつを遣さんとして言ひ給ふ、

『收穫はおほく、勞働人は少し。この故に收穫の主に、勞働人をその收穫場に遣し給はんことを求めよ。

往け、視よ、我なんぢらを遣すは、羔羊を豺狼のなかに入るるが如し。

財布も袋も鞋も携ふな。また途にて誰にも挨拶すな。

孰の家に入るとも、先づ平安この家にあれと言へ。

もし平安の子そこに居らば、汝らの祝する平安はその上に留らん。もし然らずば、其の平安は汝らに歸らん。

その家にとどまりて、與ふる物を食ひ飮みせよ。勞働人のその値を得るは相應しきなり。家より家に移るな。

孰の町に入るとも、人々なんぢらを受けなば、汝らの前に供ふる物を食し、

其處にをる病のものを醫し、また「神の國は汝らに近づけり」と言へ。

孰の町に入るとも、人々なんじらを受けずば、大路に出でて、

「我らの足につきたる汝らの町の塵をも、汝らに對して拂ひ棄つ、されど神の國の近づけるを知れ」と言へ。

われ汝らに告ぐ、かの日にはソドムの方その町よりも耐へ易からん。

禍害なる哉、コラジンよ、禍害なる哉、ベツサイダよ、汝らの中にて行ひたる能力ある業を、ツロとシドンとにて行ひしならば、彼らは早く荒布をき、灰のなかに坐して、悔改めしならん。

されば審判には、ツロとシドンとのかた汝等よりも耐へ易からん。

カペナウムよ、汝は天にまで擧げらるべきか、黄泉にまで下らん。

汝等に聽く者は我に聽くなり、汝らを棄つる者は我を棄つるなり。我を棄つる者は我を遣し給ひし者を棄つるなり』

七十人よろこび歸りて言ふ『主よ、汝の名によりて惡鬼すら我らに服す』

イエス彼らに言ひ給ふ『われ天より閃く電光のごとくサタンの落ちしを見たり。

視よ、われ汝らに蛇・蠍を踏み、仇の凡ての力を抑ふる權威を授けたれば、汝らを害ふもの斷えてなからん。

されど靈の汝らに服するを喜ぶな、汝らの名の天に録されたるを喜べ』

その時イエス聖靈により喜びて言ひたまふ『天地の主なる父よ、われ感謝す、此等のことを智きもの慧き者に隱して、嬰兒に顯したまへり。父よ、然り、此のごときは御意に適へるなり。

凡ての物は我わが父より委ねられたり。子の誰なるを知る者は、父の外になく、父の誰なるを知る者は、子また子の欲するままに顯すところの者の外になし』

かくて弟子たちを顧み竊に言ひ給ふ『なんぢらの見る所を見る眼は幸福なり。

われ汝らに告ぐ、多くの預言者も、王も、汝らの見るところを見んと欲したれど見ず、汝らの聞く所を聞かんと欲したれど聞かざりき』

視よ、或教法師、立ちてイエスを試みて言ふ『師よ、われ永遠の生命を嗣ぐためには何をなすべきか』

イエス言ひたまふ『律法に何と録したるか、汝いかに讀むか』

答へて言ふ『なんぢ心を盡し精神を盡し、力を盡し、思を盡して、主たる汝の神を愛すべし。また己のごとく汝の隣を愛すべし』

イエス言ひ給ふ『なんぢの答は正し。之を行へ、さらば生くべし』

彼おのれを義とせんとしてイエスに言ふ『わが隣とは誰なるか』

イエス答へて言ひたまふ『或人エルサレムよりエリコに下るとき強盜にあひしが、強盜どもその衣を剥ぎ、傷を負はせ、半死半生にして棄て去りぬ。

或祭司たまたま此の途より下り、之を見てかなたを過ぎ往けり。

又レビ人も此處にきたり、之を見て同じく彼方を過ぎ往けり

然るに或るサマリヤ人、旅して其の許にきたり、之を見て憫み、

近寄りて油と葡萄酒とを注ぎ、傷を包みて己が畜にのせ、旅舍に連れゆきて介抱し、

あくる日デナリ二つを出し、主人に與へて「この人を介抱せよ。費もし増さば、我が歸りくる時に償はん」と言へり。

汝いかに思ふか、此の三人のうち、孰か強盜にあひし者の隣となりしぞ』

かれ言ふ『その人に憐憫を施したる者なり』イエス言ひ給ふ『なんぢも往きて其の如くせよ』

かくて彼ら進みゆく間に、イエス或村に入り給へば、マルタと名づくる女おのが家に迎へ入る。

その姉妹にマリヤといふ者ありて、イエスの足下に坐し、御言を聽きをりしが、

マルタ饗應のこと多くして心いりみだれ、御許に進みよりて言ふ『主よ、わが姉妹われを一人のこして働かするを、何とも思ひ給はぬか、彼に命じて我を助けしめ給へ』

主、答へて言ひ給ふ『マルタよ、マルタよ、汝さまざまの事により、思ひ煩ひて心勞す。

されど無くてならぬものは多からず、唯一つのみ、マリヤは善きかたを選びたり。此は彼より奪ふべからざるものなり』

第11章

編集

イエス或處にて祈り居給ひしが、その終りしとき、弟子の一人いふ『主よ、ヨハネの其の弟子に教へし如く、祈ることを我らに教へ給へ』

イエス言ひ給ふ『なんぢら祈るときに斯く言へ「父よ、願はくは御名の崇められん事を。御國の來らん事を。

我らの日用の糧を日毎に與へ給へ。

我らに負債ある凡ての者を我ら免せば、我らの罪をも免し給へ。我らを嘗試にあはせ給ふな」』

また言ひ給ふ『なんぢらの中たれか友あらんに、夜半にその許に往きて「友よ、我に三つのパンを貸せ。

わが友、旅より來りしに、之に供ふべき物なし」と言ふ時、

かれ内より答へて「われを煩はすな、戸ははや閉ぢ、子らは我と共に臥所にあり、起ちて與へ難し」といふ事ありとも、

われ汝らに告ぐ、友なるによりては起ちて與へねど、求の切なるにより、起きて其の要する程のものを與へん。

われ汝らに告ぐ、求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。

すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。

汝等のうち父たる者、たれか其の子魚を求めんに、魚の代に蛇を與へ、

卵を求めんに蠍を與へんや。

さらば汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。まして天の父は、求むる者に聖靈を賜はざらんや』

さてイエス唖の惡鬼を逐ひいだし給へば、惡鬼いでて唖もの言ひしにより、群衆あやしめり。

其の中の或者ども言ふ『かれは惡鬼の首ベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出すなり』

また或者どもは、イエスを試みんとて天よりの徴を求む。

イエスその思を知りて言ひ給ふ『すべて分れ爭ふ國は亡び、分れ爭ふ家は倒る。

サタンもし分れ爭はば、その國いかで立つべき。汝等わが惡鬼を逐ひ出すを、ベルゼブルに由ると言へばなり。

我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし。

されど我もし神の指によりて惡鬼を逐ひ出さば、神の國は既に汝らに到れるなり。

強きもの武具をよろひて己が屋敷を守るときは、其の所有安全なり。

されど更に強きもの來りて之に勝つときは、恃とする武具をことごとく奪ひて、分捕物を分たん。

我と偕ならぬ者は我にそむき、我と共に集めぬ者は散すなり。

穢れし靈、人を出づる時は、水なき處を巡りて休を求む。されど得ずして言ふ「わが出でし家に歸らん」

歸りて其の家の掃き淨められ、飾られたるを見、

遂に往きて己よりも惡しき他の七つの靈を連れきたり、共に入りて此處に住む。さればその人の後の状は、前よりも惡しくなるなり』

此等のことを言ひ給ふとき、群衆の中より或女、聲をあげて言ふ『幸福なるかな、汝を宿しし胎、なんぢの哺ひし乳房は』

イエス言ひたまふ『更に幸福なるかな、神の言を聽きて之を守る人は』

群衆おし集れる時、イエス言ひ出でたまふ『今の世は邪曲なる代にして徴を求む。されどヨナの徴のほかに徴は與へられじ。

ヨナがニネベの人に徴となりし如く、人の子もまた今の代に然らん。

南の女王、審判のとき、今の代の人と共に起きて之が罪を定めん。彼はソロモンの智慧を聽かんとて地の極より來れり。視よ、ソロモンよりも勝るもの此處にあり。

ニネベの人、審判のとき、今の代の人と共に立ちて之が罪を定めん。彼らはヨナの宣ぶる言によりて悔改めたり。視よ、ヨナよりも勝るもの此處に在り。

誰も燈火をともして、穴藏の中または升の下におく者なし。入り來る者の光を見んために、燈臺の上に置くなり。

汝の身の燈火は目なり、汝の目正しき時は、全身明るからん。されど惡しき時は、身もまた暗からん。

この故に汝の内の光、闇にはあらぬか、省みよ。

もし汝の全身明るくして暗き所なくば、輝ける燈火に照さるる如く、その身全く明るからん』

イエスの語り給へるとき、或パリサイ人その家にて食事し給はん事を請ひたれば、入りて席に著きたまふ。

食事前に手を洗ひ給はぬを、此のパリサイ人見て怪しみたれば、

主これに言ひたまふ『今や汝らパリサイ人は、酒杯と盆との外を潔くす、されど汝らの内は貪慾と惡とにて滿つるなり。

愚なる者よ、外を造りし者は、内をも造りしならずや。

唯その内にある物を施せ。さらば一切の物なんぢらの爲に潔くなるなり。

禍害なるかな、パリサイ人よ、汝らは薄荷・芸香その他あらゆる野菜の十分の一を納めて、公平と神に對する愛とを等閑にす、されど之は行ふべきものなり。而して彼もまた等閑にすべきものならず。

禍害なるかな、パリサイ人よ、汝らは會堂の上座、市場にての敬禮を喜ぶ。

禍害なるかな、汝らは露れぬ墓のごとし。其の上を歩む人これを知らぬなり』

教法師の一人、答へて言ふ『師よ、斯かることを言ふは、我らをも辱しむるなり』

イエス言ひ給ふ『なんぢら教法師も禍害なる哉。なんぢら擔ひ難き荷を人に負せて、自ら指一つだに其の荷につけぬなり。

禍害なるかな、汝らは預言者たちの墓を建つ、之を殺しし者は汝らの先祖なり。

げに汝らは先祖の所作を可しとする證人ぞ。それは彼らは之を殺し、汝らは其の墓を建つればなり。

この故に神の智慧いへる言あり、われ預言者と使徒とを彼らに遣さんに、その中の或者を殺し、また逐ひ苦しめん。

世の創より流されたる凡ての預言者の血、

即ちアベルの血より、祭壇と聖所との間にて殺されたるザカリヤの血に至るまでを、今の代に糺すべきなり。然り、われ汝らに告ぐ、今の代は糺さるべし。

禍害なるかな教法師よ、なんぢらは知識の鍵を取り去りて自ら入らず、入らんとする人をも止めしなり』

此處より出で給へば、學者・パリサイ人ら烈しく詰め寄せて、樣々のことを詰りはじめ、

その口より何事をか捉へんと待構へたり。

第12章

編集

その時、無數の人あつまりて、群衆ふみ合ふばかりなり。イエスまづ弟子たちに言ひ出で給ふ『なんぢら、パリサイ人のパンだねに心せよ、これ僞善なり。

蔽はれたるものに露れぬはなく、隱れたるものに知られぬはなし。

この故に汝らが暗きにて言ふことは、明るきにて聞え、部屋の内にて耳によりて語りしことは、屋の上にて宣べらるべし。

我が友たる汝らに告ぐ。身を殺して後に何をも爲し得ぬ者どもを懼るな。

懼るべきものを汝らに示さん。殺したる後ゲヘナに投げ入るる權威ある者を懼れよ。われ汝らに告ぐ、げに之を懼れよ。

五羽の雀は二錢にて賣るにあらずや、然るに其の一羽だに神の前に忘れらるる事なし。

汝らの頭の髮までもみな數へらる。懼るな、汝らは多くの雀よりも優るるなり。

われ汝らに告ぐ、凡そ人の前に我を言ひあらはす者を、人の子もまた神の使たちの前にて言ひあらはさん。

されど人の前にて我を否む者は、神の使たちの前にて否まれん。

凡そ言をもて人の子に逆ふ者は赦されん。されど聖靈を瀆すものは赦されじ。

人なんぢらを會堂、或は司、あるひは權威ある者の前に引きゆかん時、いかに何を答へ、または何を言はんと思ひ煩ふな。

聖靈そのとき言ふべきことを教へ給はん』

群衆のうちの或人いふ『師よ、わが兄弟に命じて、嗣業を我に分たしめ給へ』

之に言ひたまふ『人よ、誰が我を立てて汝らの裁判人また分配者とせしぞ』

かくて人々に言ひたまふ『愼みて凡ての慳貪をふせげ、人の生命は所有の豐なるには因らぬなり』

また譬を語りて言ひ給ふ『ある富める人、その畑豐に實りたれば、

心の中に議りて言ふ「われ如何にせん、我が作物を藏めおく處なし」

遂に言ふ「われ斯く爲さん、わが倉を毀ち、更に大なるものを建てて、其處にわが穀物および善き物をことごとく藏めん。

かくてわが靈魂に言はん、靈魂よ、多年を過すに足る多くの善き物を貯へたれば、安んぜよ、飮食せよ、樂しめよ」

然るに神かれに「愚なる者よ、今宵なんぢの靈魂とらるべし、さらば汝の備へたる物は、誰がものとなるべきぞ」と言ひ給へり。

己のために財を貯へ、神に對して富まぬ者は斯くのごとし』

また弟子たちに言ひ給ふ『この故にわれ汝らに告ぐ、何を食はんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな。

生命は糧にまさり、體は衣に勝るなり。

鴉を思ひ見よ、播かず、刈らず、納屋も倉もなし。然るに神は之を養ひたまふ、汝ら鳥に優るること幾許ぞや。

汝らの中たれか思ひ煩ひて、身の長一尺を加へ得んや。

されば最小き事すら能はぬに、何ぞ他のことを思ひ煩ふか。

百合を思ひ見よ、紡がず、織らざるなり。されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、其の服裝この花の一つにも及かざりき。

今日ありて、明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神は斯く裝ひ給へば、況て汝らをや、ああ信仰うすき者よ、

なんぢら何を食ひ何を飮まんと求むな、また心を動かすな。

是みな世の異邦人の切に求むる所なれど、汝らの父は、此等の物のなんぢらに必要なるを知り給へばなり。

ただ父の御國を求めよ。さらば此等の物は、なんぢらに加へらるべし。

懼るな、小き群よ、なんぢらに御國を賜ふことは、汝らの父の御意なり。

汝らの所有を賣りて施濟をなせ。己がために舊びぬ財布をつくり、盡きぬ財寶を天に貯へよ。かしこは盜人も近づかず、蟲も壞らぬなり、

汝らの財寶のある所には、汝らの心もあるべし。

なんぢら腰に帶し、燈火をともして居れ。

主人、婚筵より歸り來りて戸を叩かば、直ちに開くために待つ人のごとくなれ。

主人の來るとき、目を覺しをるを見らるる僕どもは幸福なるかな。われ誠に汝らに告ぐ、主人帶して其の僕どもを食事の席に就かせ、進みて給仕すべし。

主人、夜の半ごろ若くは夜の明くる頃に來るとも、かくの如くなるを見らるる僕どもは幸福なり。

なんぢら之を知れ、家主もし盜人いづれの時來るかを知らば、その家を穿たすまじ。

汝らも備へをれ。人の子は思はぬ時に來ればなり』

ペテロ言ふ『主よ、この譬を言ひ給ふは我らにか、また凡ての人にか』

主いひ給ふ『主人が時に及びて僕どもに定の糧を與へさする爲に、その僕どもの上に立つる忠實にして慧き支配人は誰なるか、

主人のきたる時、かく爲し居るを見らるる僕は幸福なるかな。

われ實をもて汝らに告ぐ、主人すべての所有を彼に掌どらすべし。

若しその僕、心のうちに、主人の來るは遲しと思ひ、僕・婢女をたたき、飮食して醉ひ始めなば、

その僕の主人、おもはぬ日知らぬ時に來りて、之を烈しく笞うち、その報を不忠者と同じうせん。

主人の意を知りながら用意せず、又その意に從はぬ僕は、笞うたるること多からん。

されど知らずして打たるべき事をなす者は、笞うたるること少からん。多く與へらるる者は、多く求められん。多く人に托くれば、更に多くその人より請ひ求むべし。

我は火を地に投ぜんとて來れり。此の火すでに燃えたらんには、我また何をか望まん。

されど我には受くべきバプテスマあり。その成し遂げらるるまでは、思ひ逼ること如何ばかりぞや。

われ地に平和を與へんために來ると思ふか。われ汝らに告ぐ、然らず、反つて分爭なり。

今よりのち一家に五人あらば、三人は二人に、二人は三人に分れ爭はん。

父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑姆は嫁に、嫁は姑姆に分れ爭はん』

イエスまた群衆に言ひ給ふ『なんぢら雲の西より起るを見れば、直ちに言ふ「急雨きたらん」と、果して然り。

また南風ふけば、汝等いふ「強き暑あらん」と、果して然り。

僞善者よ、汝ら天地の氣色を辨ふることを知りて、今の時を辨ふること能はぬは何ぞや。

また何故みづから正しき事を定めぬか。

なんぢ訴ふる者とともに司に往くとき、途にて和解せんことを力めよ。恐らくは訴ふる者なんぢを審判人に引きゆき、審判人なんぢを下役にわたし、下役なんぢを獄に投げ入れん。

われ汝に告ぐ、一レプタも殘りなく償はずば、其處に出づること能はじ』

第13章

編集

その折しも或人々きたりて、ピラトがガリラヤ人らの血を彼らの犧牲にまじへたりし事をイエスに告げたれば、

答へて言ひ給ふ『かのガリラヤ人は斯かることに遭ひたる故に、凡てのガリラヤ人に勝れる罪人なりしと思ふか。

われ汝らに告ぐ、然らず、汝らも悔改めずば皆おなじく亡ぶべし。

又シロアムの櫓たふれて、壓し殺されし十八人は、エルサレムに住める凡ての人に勝りて、罪の負債ある者なりしと思ふか。

われ汝らに告ぐ、然らず、汝らも悔改めずば、みな斯くのごとく亡ぶべし』

又この譬を語りたまふ『或人おのが葡萄園に植ゑありし無花果の樹に來りて、果を求むれども得ずして、

園丁に言ふ「視よ、われ三年きたりて此の無花果の樹に果を求むれども得ず。これを伐り倒せ、何ぞ徒らに地を塞ぐか」

答へて言ふ「主よ、今年も容したまへ、我その周圍を掘りて肥料せん。

そののち果を結ばば善し、もし結ばずば伐り倒したまへ」』

イエス安息日に或會堂にて教えたまふ時、

視よ、十八年のあひだ病の靈に憑かれたる女あり、屈まりて少しも伸ぶること能はず。

イエスこの女を見、呼び寄せて『女よ、なんぢは病より解かれたり』と言ひ、

之に手を按きたまへば、立刻に身を直にして神を崇めたり。

會堂司イエスの安息日に病を醫し給ひしことを憤ほり、答へて群衆に言ふ『働くべき日は六日あり、その間に來りて醫されよ。安息日には爲ざれ』

主こたへて言ひたまふ『僞善者らよ、汝等おのおの安息日には、己が牛または驢馬を小屋より解きいだし、水飼はんとて牽き往かぬか。

さらば長き十八年の間サタンに縛られたるアブラハムの娘なる此の女は、安息日にその繋より解かるべきならずや』

イエス此等のことを言ひ給へば、逆ふ者はみな恥ぢ、群衆は擧りてその爲し給へる榮光ある凡ての業を喜べり。

かくてイエス言ひたまふ『神の國は何に似たるか、我これを何に擬へん、

一粒の芥種のごとし。人これを取りて己の園に播きたれば、育ちて樹となり、空の鳥その枝に宿れり』

また言ひたまふ『神の國を何に擬へんか、

パン種のごとし。女これを取りて、三斗の粉の中に入るれば、ことごとく脹れいだすなり』

イエス教へつつ町々村々を過ぎて、エルサレムに旅し給ふとき、

或人いふ『主よ、救はるる者は少きか』

イエス人々に言ひたまふ『力を盡して狭き門より入れ。我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。

家主おきて門を閉ぢたる後、なんぢら外に立ちて「主よ、我らに開き給へ」と言ひつつ門を叩き始めんに、主人こたへて「われ汝らが何處の者なるかを知らず」と言はん。

その時「われらは御前にて飮食し、なんぢは、我らの町の大路にて教へ給へり」と言ひ出でんに、

主人こたへて「われ汝らが何處の者なるかを知らず、惡をなす者どもよ、皆われを離れ去れ」と言はん。

汝らアブラハム、イサク、ヤコブ及び凡ての預言者の、神の國に居り、己らの逐ひ出さるるを見ば、其處にて哀哭・切齒する事あらん。

また人々、東より西より南より北より來りて、神の國の宴に就くべし。

視よ、後なる者の先になり、先なる者の後になる事あらん』

そのとき或パリサイ人らイエスに來りて言ふ『いでて此處を去り給へ、ヘロデ汝を殺さんとす』

答へて言ひ給ふ『往きてかの狐に言へ。視よ、われ今日明日、惡鬼を逐ひ出し、病を醫し、而して三日めに全うせられん。

されど今日も明日も次の日も我は進み往くべし。それ預言者のエルサレムの外にて死ぬることは有るまじきなり。

噫エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鷄の己が雛を翼のうちに集むるごとく、我なんぢの子どもを集めんとせしこと幾度ぞや。されど汝らは好まざりき。

視よ、汝らの家は棄てられて汝らに遺らん。我なんぢらに告ぐ、「讃むべきかな、主の名によりて來る者」と、汝らの言ふ時の至るまでは、我を見ざるべし』

第14章

編集

イエス安息日に食事せんとて、或パリサイ人の頭の家に入り給へば、人々これを窺ふ。

視よ、御前に水腫をわづらふ人ゐたれば、

イエス答へて教法師とパリサイ人とに言ひたまふ『安息日に人を醫すことは善しや、否や』

かれら默然たり。イエスその人を執り、醫して去らしめ、

且かれらに言ひ給ふ『なんぢらの中その子あるひは其の牛、井に陷らんに、安息日には直ちに之を引揚げぬ者あるか』

彼等これに對して物言ふこと能はず。

イエス招かれたる者の上席をえらぶを見、譬をかたりて言ひ給ふ、

『なんぢ婚筵に招かるるとき、上席に著くな。恐らくは汝よりも貴き人の招かれんに、

汝と彼とを招きたる者きたりて「この人に席を讓れ」と言はん。さらば其の時なんぢ恥ぢて末席に往きはじめん。

招かるるとき、寧ろ往きて末席に著け、さらば招きたる者きたりて「友よ、上に進め」と言はん。その時なんぢ同席の者の前に譽あるべし。

凡そおのれを高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり』

また己を招きたる者にも言ひ給ふ『なんぢ晝餐または夕餐を設くるとき、朋友・兄弟・親族・富める隣人などをよぶな。恐らくは彼らも亦なんぢを招きて報をなさん。

饗宴を設くる時は、寧ろ貧しき者・不具・跛者・盲人などを招け。

彼らは報ゆること能はぬ故に、なんぢ幸福なるべし。正しき者の復活の時に報いらるるなり』

同席の者の一人これらの事を聞きてイエスに言ふ『おほよそ神の國にて食事する者は幸福なり』

之に言ひたまふ『或人、盛なる夕餐を設けて、多くの人を招く。

夕餐の時いたりて、招きおきたる者の許に僕を遣して「來れ、既に備りたり」と言はしめたるに、

皆ひとしく辭りはじむ。初の者いふ「われ田地を買へり。往きて見ざるを得ず。請ふ、許されんことを」

他の者いふ「われ五耜の牛を買へり、之を驗すために往くなり。請ふ、許されんことを」

また他も者いふ「われ妻を娶れり、此の故に往くこと能はず」

僕かへりて此等の事をその主人に告ぐ、家主いかりて僕に言ふ「とく町の大路と小路とに往きて、貧しき者・不具者・盲人・跛者などを此處に連れきたれ」

僕いふ「主よ、仰のごとく爲したれど、尚ほ餘の席あり」

主人、僕に言ふ「道や籬の邊にゆき、人々を強ひて連れきたり、我が家に充たしめよ。

われ汝らに告ぐ、かの招きおきたる者のうち、一人だに我が夕餐を味ひ得る者なし」』

さて大なる群衆イエスに伴ひゆきたれば、顧みて之に言ひたまふ、

『人もし我に來りて、その父母・妻子・兄弟・姉妹・己が生命までも憎まずば、我が弟子となるを得ず。

また己が十字架を負ひて我に從ふ者ならでは、我が弟子となるを得ず。

汝らの中たれか櫓を築かんと思はば、先づ坐して其の費をかぞへ、己が所有、竣工までに足るか否かを計らざらんや。

然らずして基を据ゑ、もし成就すること能はずば、見る者みな嘲笑ひて、

「この人は築きかけて成就すること能はざりき」と言はん。

又いづれの王か出でて他の王と戰爭をせんに、先づ坐して、此の一萬人をもて、かの二萬人を率ゐきたる者に對ひ得るか否か籌らざらんや。

もし及かずば、敵なほ遠く隔るうちに、使を遣して和睦を請ふべし。

かくのごとく、汝らの中その一切の所有を退くる者ならでは、我が弟子となるを得ず。

鹽は善きものなり、然れど鹽もし效力を失はば、何によりてか味つけられん。

土にも肥料にも適せず、外に棄てらるるなり。聽く耳ある者は聽くべし』

第15章

編集

取税人、罪人ども、みな御言を聽かんとて近寄りたれば、

パリサイ人・學者ら呟きて言ふ、『この人は罪人を迎へて食を共にす』

イエス之に譬を語りて言ひ給ふ、

『なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。

遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、

家に歸りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり」

われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のためには、悔改の必要なき九十九人の正しき者にも勝りて、天に歡喜あるべし。

又いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、家を掃きて見出すまでは懇ろに尋ねざらんや。

遂に見出さば、其の友と隣人とを呼び集めて言はん、「我とともに喜べ、わが失ひたる銀貨を見出せり」

われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のために、神の使たちの前に歡喜あるべし』

また言ひたまふ『或人に二人の息子あり、

弟、父に言ふ「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」父その身代を二人に分けあたふ。

幾日も經ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠國にゆき、其處にて放蕩にその財産を散せり。

ことごとく費したる後、その國に大なる饑饉おこり、自ら乏しくなり始めたれば、

往きて其の地の或人に依附りしに、其の人かれを畑に遣して豚を飼はしむ。

かれ豚の食ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど、何をも與ふる人なかりき。

此のとき我に反りて言ふ『わが父の許には食物あまれる雇人いくばくぞや、然るに我は飢ゑてこの處に死なんとす。

起ちて我が父にゆき「父よ、われは天に對し、また汝の前に罪を犯したり。

今より汝の子と稱へらるるに相應しからず、雇人の一人のごとく爲し給へ』と言はん」

乃ち起ちて其の父のもとに往く。なほ遠く隔りたるに、父これを見て憫み、走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。

子、父にいふ「父よ、我は天に對し又なんぢの前に罪を犯したり。今より汝の子と稱へらるるに相應しからず」

されど父、僕どもに言ふ「とくとく最上の衣を持ち來りて之に著せ、その手に指輪をはめ、其の足に鞋をはかせよ。

また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食して樂しまん。

この我が子、死にて復生き、失せて復得られたり」かくて彼ら樂しみ始む。

然るに其の兄、畑にありしが、歸りて家に近づきたるとき、音樂と舞踏との音を聞き、

僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。

答へて言ふ「なんぢの兄弟歸りたり、その恙なきを迎へたれば、汝の父肥えたる犢を屠れるなり」

兄怒りて内に入ることを好まざりしかば、父いでて勸めしに、

答へて父に言ふ「視よ、我は幾歳もなんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、我には小山羊一匹だに與へて友と樂しましめし事なし。

然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ盡したる此の汝の子歸り來れば、之がために肥えたる犢を屠れり」

父いふ「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。

されど此の汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、我らの樂しみ喜ぶは當然なり」』

第16章

編集

イエスまた弟子たちに言ひ給ふ『或富める人に一人の支配人あり、主人の所有を費しをりと訴へられたれば、

主人かれを呼びて言ふ「わが汝につきて聞く所は、これ何事ぞ、務の報告をいだせ、汝こののち支配人たるを得じ」

支配人心のうちに言ふ「如何にせん、主人わが職を奪ふ。われ土掘るには力なく、物乞ふは恥かし。

我なすべき事こそ知りたれ、斯く爲ば職を罷めらるるとき、人々その家に我を迎ふるならん」とて、

主人の負債者を一人一人呼びよせて、初の者に言ふ「なんぢ我が主人より負ふところ何程あるか」

答へて言ふ「油、百樽」支配人いふ「なんぢの證書をとり、早く坐して五十と書け」

又ほかの者に言ふ「負ふところ何程あるか」答へて言ふ「麥、百石」支配人いふ「なんぢの證書をとりて八十と書け」

ここに主人、不義なる支配人の爲しし事の巧なるによりて、彼を譽めたり。この世の子らは、己が時代の事には光の子らよりも巧なり。

われ汝らに告ぐ、不義の富をもて、己がために友をつくれ。さらば富の失する時、その友なんぢらを永遠の住居に迎へん。

小事に忠なる者は大事にも忠なり。小事に不忠なる者は大事にも不忠なり。

さらば汝等もし不義の富に忠ならずば、誰か眞の富を汝らに任すべき。

また汝等もし人のものに忠ならずば、誰か汝等のものを汝らに與ふべき。

僕は二人の主に兼ね事ふること能はず、或は之を憎み彼を愛し、或は之に親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず』

ここに慾深きパリサイ人ら、この凡ての事を聞きてイエスを嘲笑ふ。

イエス彼らに言ひ給ふ『なんぢらは人のまへに己を義とする者なり。されど神は汝らの心を知りたまふ。人のなかに尊ばるる者は、神のまへに憎まるる者なり。

律法と預言者とはヨハネまでなり、その時より神の國は宣傳へられ、人みな烈しく攻めて之に入る。

されど律法の一畫の落つるよりも、天地の過ぎ往くは易し。

凡てその妻を出して、他に娶る者は、姦淫を行ふなり。また夫より出されたる女を娶る者も、姦淫を行ふなり。

或富める人あり、紫色の衣と細布とを著て、日々奢り樂しめり。

又ラザロといふ貧しき者あり、腫物にて腫れただれ、富める人の門に置かれ、

その食卓より落つる物にて飽かんと思ふ。而して犬ども來りて其の腫物を舐れり。

遂にこの貧しきもの死に、御使たちに携へられてアブラハムの懷裏に入れり。富める人もまた死にて葬られしが、

黄泉にて苦惱の中より目を擧げて、遙にアブラハムと其の懷裏にをるラザロとを見る。

乃ち呼びて言ふ「父アブラハムよ、我を憐みて、ラザロを遣し、その指の先を水に浸して我が舌を冷させ給へ、我はこの焔のなかに悶ゆるなり」

アブラハム言ふ「子よ、憶へ、なんぢは生ける間なんぢの善き物を受け、ラザロは惡しき物を受けたり。今ここにて彼は慰められ、汝は悶ゆるなり。

然のみならず、此處より汝らに渡り往かんとすとも得ず、其處より我らに來り得ぬために、我らと汝らとの間に大なる淵定めおかれたり」

富める人また言ふ「さらば父よ、願はくは我が父の家にラザロを遣したまへ。

我に五人の兄弟あり、この苦痛のところに來らぬよう、彼らに證せしめ給へ」

アブラハム言ふ「彼らにはモーセと預言者とあり、之に聽くべし」

富める人いふ「いな、父アブラハムよ、もし死人の中より彼らに往く者あらば、悔改めん」

アブラハム言ふ「もしモーセと預言者とに聽かずば、たとひ死人の中より甦へる者ありとも、其の勸を納れざるべし」』

第17章

編集

イエス弟子たちに言ひ給ふ『躓物は必ず來らざるを得ず、されど之を來らす者は禍害なるかな。

この小き者の一人を躓かするよりは、寧ろ碾臼の石を頸に懸けられて、海に投げ入れられんかた善きなり。

汝等みづから心せよ。もし汝の兄弟罪を犯さば、これを戒めよ。もし悔改めなば之をゆるせ。

もし一日に七度なんぢに罪を犯し、七たび「悔改む」と言ひて、汝に歸らば之をゆるせ』

使徒たち主に言ふ『われらの信仰を増したまへ』

主いひ給ふ『もし芥種一粒ほどの信仰あらば、此の桑の樹に「拔けて海に植れ」と言ふとも汝らに從ふべし。

汝等のうち誰か或は耕し、或は牧する僕を有たんに、その僕畑より歸りたる時、これに對ひて「直ちに來り食に就け」と言ふ者あらんや。

反つて「わが夕餐の備をなし、我が飮食するあひだ、帶して給仕せよ、然る後に、なんぢ飮食すべし」と言ふにあらずや。

僕、命ぜられし事を爲したればとて、主人これに謝すべきか。

かくのごとく汝らも命ぜられし事をことごとく爲したる時「われらは無益なる僕なり、爲すべき事を爲したるのみ」と言へ』

イエス、エルサレムに往かんとて、サマリヤとガリラヤとの間をとほり、

或村に入り給ふとき、十人の癩病人これに遇ひて、遙に立ち止り、

聲を揚げて言ふ『君イエスよ、我らを憫みたまへ』

イエス之を見て言ひたまふ『なんぢら往きて身を祭司らに見せよ』彼ら往く間に潔められたり。

その中の一人、おのが醫されたるを見て、大聲に神を崇めつつ歸りきたり、

イエスの足下に平伏して謝す。これはサマリヤ人なり。

イエス答へて言ひたまふ『十人みな潔められしならずや、九人は何處に在るか。

この他國人のほかは、神に榮光を歸せんとて歸りきたる者なきか』

かくて之に言ひたまふ『起ちて往け、なんぢの信仰なんぢを救へり』

神の國の何時きたるべきかをパリサイ人に問はれし時、イエス答へて言ひたまふ『神の國は見ゆべき状にて來らず。

また「視よ、此處に在り」「彼處に在り」と人々言はざるべし。視よ、神の國は汝らの中に在るなり』

かくて弟子たちに言ひ給ふ『なんぢら人の子の日の一日を見んと思ふ日きたらん、されど見ることを得じ。

そのとき人々なんぢらに「見よ彼處に、見よ此處に」と言はん、されど往くな、從ふな。

それ電光の天の彼方より閃きて、天の此方に輝くごとく、人の子もその日には然あるべし。

されど人の子は先づ多くの苦難を受け、かつ今の代に棄てらるべきなり。

ノアの日にありし如く、人の子の日にも然あるべし。

ノア方舟に入る日までは、人々飮み食ひ娶り嫁ぎなど爲たりしが、洪水きたりて彼等をことごとく滅せり。

ロトの日にも斯くのごとく、人々飮み食ひ、賣り買ひ、植ゑつけ、家造りなど爲たりしが、

ロトのソドムを出でし日に、天より火と硫黄と降りて、彼等をことごとく滅せり。

人の子の顯るる日にも、その如くなるべし。

その日には、人もし屋の上にをりて、器物家の内にあらば、之を取らんとて下るな。畑にをる者も同じく歸るな。

ロトの妻を憶へ。

おほよそ己が生命を全うせんとする者はこれを失ひ、失ふ者はこれを保つべし。

われ汝らに告ぐ、その夜ふたりの男、一つ寢臺に居らんに、一人は取られ一人は遣されん。

二人の女ともに臼ひき居らんに、一人は取られ一人は遣されん』

[なし]

弟子たち答へて言ふ『主よ、それは何處ぞ』イエス言ひたまふ『屍體のある處には鷲も亦あつまらん』

第18章

編集

また彼らに、落膽せずして常に祈るべきことを、譬にて語り言ひ給ふ

『或町に、神を畏れず人を顧みぬ裁判人あり。

その町に寡婦ありて、屡次その許にゆき「我がために仇を審きたまへ」と言ふ。

かれ久しく聽き入れざりしが、其ののち心の中に言ふ「われ神を畏れず、人を顧みねど、

此の寡婦われを煩はせば、我かれが爲に審かん、然らずば絶えず來りて我を惱さん」と』

主いひ給ふ『不義なる裁判人の言ふことを聽け、

まして神は夜晝よばはる選民のために、たとひ遲くとも遂に審き給はざらんや。

我なんぢらに告ぐ、速かに審き給はん。されど人の子の來るとき地上に信仰を見んや』

また己を義と信じ、他人を輕しむる者どもに、此の譬を言ひたまふ、

『二人のもの祈らんとて宮にのぼる、一人はパリサイ人、一人は取税人なり。

パリサイ人たちて心の中に斯く祈る「神よ、我はほかの人の、強奪・不義・姦淫するが如き者ならず、又この取税人の如くならぬを感謝す。

我は一週のうちに二度斷食し、凡て得るものの十分の一を献ぐ」

然るに取税人は遙に立ちて、目を天に向くる事だにせず、胸を打ちて言ふ「神よ、罪人なる我を憫みたまへ」

われ汝らに告ぐ、この人は、かの人よりも義とせられて、己が家に下り往けり。おほよそ己を高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり』

イエスの觸り給はんことを望みて、人々嬰兒らを連れ來りしに、弟子たち之を見て禁めたれば、

イエス幼兒らを呼びよせて言ひたまふ『幼兒らの我に來るを許して止むな、神の國はかくのごとき者の國なり。

われ誠に汝らに告ぐ、おほよそ幼兒のごとくに神の國をうくる者ならずば、之に入ることは能はず』

或司問ひて言ふ『善き師よ、われ何をなして永遠の生命を嗣ぐべきか』

イエス言ひ給ふ『なにゆゑ我を善しと言ふか、神ひとりの他に善き者なし。

誡命はなんぢが知る所なり「姦淫するなかれ」「殺すなかれ」「盜むなかれ」「僞證を立つる勿れ」「なんぢの父と母とを敬へ」』

彼いふ『われ幼き時より皆これを守れり』

イエス之をききて言ひたまふ『なんぢなほ足らぬこと一つあり、汝の有てる物をことごとく賣りて、貧しき者に分ち與へよ、然らば財寶を天に得ん。かつ來りて我に從へ』

彼は之をききて甚く悲しめり、大に富める者なればなり。

イエス之を見て言ひたまふ『富める者の神の國に入るは如何に難いかな。

富める者の神の國に入るよりは、駱駝の針の穴をとほるは反つて易し』

之をきく人々いふ『さらば誰か救はるる事を得ん』

イエス言ひたまふ『人のなし得ぬところは、神のなし得る所なり』

ペテロ言ふ『視よ、我等わが物をすてて汝に從へり』

イエス言ひ給ふ『われ誠に汝らに告ぐ、神の國のために、或は家、或は妻、或は兄弟、あるひは兩親、あるひは子を棄つる者は、誰にても、

今の時に數倍を受け、また後の世にて永遠の生命を受けぬはなし』

イエス十二弟子を近づけて言ひたまふ『視よ、我らエルサレムに上る。人の子につき預言者たちによりて録されたる凡ての事は、成し遂げらるべし。

人の子は異邦人に付され、嘲弄せられ、辱しめられ、唾せられん。

彼等これを鞭うち、かつ殺さん。かくて彼は三日めに甦へるべし』

弟子たち此等のことを一つだに悟らず、此の言かれらに隱れたれば、その言ひ給ひしことを知らざりき。

イエス、エリコに近づき給ふとき、一人の盲人、路の傍らに坐して、物乞ひ居たりしが、

群衆の過ぐるを聞きて、その何事なるかを問ふ。

人々ナザレのイエスの過ぎたまふ由を告げたれば、

盲人よばはりて言ふ『ダビデの子イエスよ、我を憫みたまへ』

先だち往く者ども、彼を禁めて默さしめんと爲たれど、増々さけびて言ふ『ダビデの子よ、我を憫みたまへ』

イエス立ち止り、盲人を連れ來るべきことを命じ給ふ。かれ近づきたれば、

イエス問ひ給ふ『わが汝に何を爲さんことを望むか』彼いふ『主よ、見えんことなり』

イエス彼に『見ることを得よ、なんぢの信仰なんぢを救へり』と言ひ給へば、

立刻に見ることを得、神を崇めてイエスに從ふ。民みな之を見て神を讃美せり。

第19章

編集

エリコに入りて過ぎゆき給ふとき、

視よ、名をザアカイといふ人あり、取税人の長にて富める者なり。

イエスの如何なる人なるかを見んと思へど、丈矮うして群衆のために見ること能はず、

前に走りゆき、桑の樹にのぼる。イエスその路を過ぎんとし給ふ故なり。

イエス此處に至りしとき、仰ぎ見て言ひたまふ『ザアカイ、急ぎおりよ、今日われ汝の家に宿るべし』

ザアカイ急ぎおり、喜びてイエスを迎ふ。

人々みな之を見て呟きて言ふ『かれは罪人の家に入りて客となれり』

ザアカイ立ちて主に言ふ『主、視よ、わが所有の半を貧しき者に施さん、若しわれ誣ひ訴へて人より取りたる所あらば、四倍にして償はん』

イエス言ひ給ふ『けふ救はこの家に來れり、此の人もアブラハムの子なればなり。

それ人の子の來れるは、失せたる者を尋ねて救はん爲なり』

人々これらの事を聽きゐたるとき、譬を加へて言ひ給ふ。これはイエス、エルサレムに近づき給ひ、神の國たちどころに現るべしと彼らが思ふ故なり。

乃ち言ひたまふ『或貴人、王の權を受けて歸らんとて遠き國へ往くとき、

十人の僕をよび、之に金十ミナを付して言ふ「わが歸るまで商賣せよ」

然るに其の地の民かれを憎み、後より使を遣して「我らは此の人の我らの王となることを欲せず」と言はしむ。

貴人、王の權をうけて歸り來りしとき、銀を付し置きたる僕どもの、如何に商賣せしかを知らんとて彼らを呼ばしむ。

初のもの進み出でて言ふ「主よ、なんぢの一ミナは十ミナを贏けたり」

王いふ「善いかな、良き僕、なんぢは小事に忠なりしゆゑ、十の町を司どるべし」

次の者きたりて言ふ「主よ、なんぢの一ミナは五ミナを贏けたり」

王また言ふ「なんぢも五つの町を司どるべし」

また一人きたりて言ふ「主、視よ、なんぢの一ミナは此處に在り。我これを袱紗に包みて藏め置きたり。

これ汝の嚴しき人なるを懼れたるに因る。なんぢは置かぬものを取り、播かぬものを刈るなり」

王いふ「惡しき僕、われ汝の口によりて汝を審かん。我の嚴しき人にて、置かぬものを取り、播かぬものを刈るを知るか。

何ぞわが金を銀行に預けざりし、さらば我きたりて元金と利子とを請求せしものを」

かくて傍らに立つ者どもに言ふ「かれの一ミナを取りて十ミナを有てる人に付せ」

彼等いふ「主よ、かれは既に十ミナを有てり」

「われ汝らに告ぐ、凡て有てる人はなほ與へられ、有たぬ人は有てるものをも取らるべし。

而して我が王たる事を欲せぬ、かの仇どもを此處に連れきたり、我が前にて殺せ」』

イエス此等のことを言ひてのち、先だち進みてエルサレムに上り給ふ。

オリブといふ山の麓なるベテパゲ及びベタニヤに近づきし時、イエス二人の弟子を遣さんとして言ひ給ふ、

『向の山にゆけ、其處に入らば、一度も人の乘りたる事なき驢馬の子の繋ぎあるを見ん、それを解きて牽ききたれ。

誰かもし汝らに「なにゆゑ解くか」と問はば、斯く言ふべし「主の用なり」と』

遣されたる者ゆきたれば、果して言ひ給ひし如くなるを見る。

かれら驢馬の子をとく時、その持主ども言ふ『なにゆゑ驢馬の子を解くか』

答へて言ふ『主の用なり』

かくて驢馬の子をイエスの許に牽ききたり、己が衣をその上にかけて、イエスを乘せたり。

その往き給ふとき、人々おのが衣を途に敷く。

オリブ山の下りあたりまで近づき來り給へば、群れゐる弟子たち皆喜びて、その見しところの能力ある御業につき、聲高らかに神を讃美して言ひ始む、

『讃むべきかな、主の名によりて來る王。天には平和、至高き處には榮光あれ』

群衆のうちの或パリサイ人ら、イエスに言ふ『師よ、なんぢの弟子たちを禁めよ』

答へて言ひ給ふ『われ汝らに告ぐ、此のともがら默さば、石叫ぶべし』

既に近づきたるとき、都を見やり、之がために泣きて言ひ給ふ、

『ああ汝、なんぢも若しこの日の間に、平和にかかはる事を知りたらんには――されど今なんぢの目に隱れたり。

日きたりて敵なんぢの周圍に壘をきづき、汝を取圍みて四方より攻め、

汝とその内にある子らとを地に打倒し、一つの石をも石の上に遺さざるべし。なんぢ眷顧の時を知らざりしに因る』

かくて宮に入り、商ひする者どもを逐ひ出しはじめ、

之に言ひたまふ『「わが家は祈の家たるべし」と録されたるに、汝らは之を強盜の巣となせり』

イエス日々宮にて教へたまふ。祭司長・學者ら及び民の重立ちたる者ども、之を殺さんと思ひたれど、

民みな耳を傾けてイエスに聽きたれば、爲すべき方を知らざりき。

第20章

編集

或日イエス宮にて民を教へ、福音を宣べゐ給ふとき、祭司長・學者らは、長老どもと共に近づき來り、

イエスに語りて言ふ『なにの權威をもて此等の事をなすか、此の權威を授けし者は誰か、我らに告げよ』

答へて言ひ給ふ『われも一言なんぢらに問はん、答へよ。

ヨハネのバプテスマは天よりか、人よりか』

彼ら互に論じて言ふ『もし「天より」と言はば「なに故かれを信ぜざりし」と言はん。

もし「人より」と言はんか、民みなヨハネを預言者と信ずるによりて、我らを石にて撃たん』

遂に何處よりか知らぬ由を答ふ。

イエス言ひたまふ『われも何の權威をもて此等の事をなすか、汝らに告げじ』

かくて次の譬を民に語りいで給ふ『ある人、葡萄園を造りて農夫どもに貸し、遠く旅立して久しくなりぬ。

時至りて、葡萄園の所得を納めしめんとて、一人の僕を農夫の許に遣ししに、農夫ども之を打ちたたき、空手にて歸らしめたり。

又ほかの僕を遣ししに、之をも打ちたたき、辱しめ、空手にて歸らしめたり。

なほ三度めの者を遣ししに、之をも傷つけて逐ひ出したり。

葡萄園の主いふ「われ何を爲さんか。我が愛しむ子を遣さん、或は之を敬ふなるべし」

農夫ども之を見て互に論じて言ふ「これは世嗣なり。いざ殺して其の嗣業を我らの物とせん」

かくてこれを葡萄園の外に逐ひ出して殺せり。さらば葡萄園の主かれらに何を爲さんか、

來りてかの農夫どもを亡し、葡萄園を他の者どもに與ふべし』人々これを聽きて言ふ『然はあらざれ』

イエス彼らに目を注めて言ひ給ふ『されば

「造家者らの棄てる石は、
これぞ隅の首石となれる」と録されたるは何ぞや。

凡そその石の上に倒るる者は碎け、又その石、人の上に倒るれば、その人を微塵にせん』

此のとき學者・祭司長ら、イエスに手をかけんと思ひたれど、民を恐れたり。この譬の己どもを指して言ひ給へるを悟りしに因る。

かくて彼ら機を窺ひ、イエスを司の支配と權威との下に付さんとて、その言を捉ふるために、義人の樣したる間諜どもを遣したれば、

其の者どもイエスに問ひて言ふ『師よ、我らは汝の正しく語り、かつ教へ、外貌を取らず、眞をもて神の道を教へ給ふを知る。

われら貢をカイザルに納むるは、善きか、惡しきか』

イエスその惡巧を知りて言ひ給ふ、

『デナリを我に見せよ。これは誰の像、たれの號なるか』『カイザルのなり』と答ふ。

イエス言ひ給ふ『さらばカイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ』

かれら民の前にて其の言をとらへ得ず、且その答を怪しみて默したり。

また復活なしと言張るサドカイ人の或者ども、イエスに來り問ひて言ふ、

『師よ、モーセは、人の兄弟もし妻あり子なくして死なば、其の兄弟かれの妻を娶りて、兄弟のために嗣子を擧ぐべしと、我らに書き遣したり。

さて茲に七人の兄弟ありて、兄、妻を娶り、子なくして死に、

第二、第三の者も之を娶り、

七人みな同じく子を殘さずして死に、

後には其の女も死にたり。

されば復活の時、この女は誰の妻たるべきか、七人これを妻としたればなり』

イエス言ひ給ふ『この世の子らは娶り嫁ぎすれど、

かの世に入るに、死人の中より甦へるに相應しとせらるる者は、娶り嫁ぎすることなし。

彼等ははや死ぬること能はざればなり。御使たちに等しく、また復活の子どもにして、神の子供たるなり。

死にたる者の甦へる事は、モーセも柴の條に、主を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼びて之を示せり。

神は死にたる者の神にあらず、生ける者の神なり。それ神の前には皆生けるなり』

學者のうちの或者ども答へて『師よ、善く言ひ給へり』と言ふ。

彼等ははや何事をも問ひ得ざりし故なり。

イエス彼らに言ひたまふ『如何なれば人々、キリストをダビデの子と言ふか。

ダビデ自ら詩篇に言ふ

「主わが主に言ひたまふ、

われ汝の敵を汝の足臺となすまでは、

わが右に坐せよ」

ダビデ斯く彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや』

民の皆ききをる中にて、イエス弟子たちに言ひ給ふ、

『學者らに心せよ。彼らは長き衣を著て歩むことを好み、市場にての敬禮、會堂の上座、饗宴の上席を喜び、

また寡婦らの家を呑み、外見をつくりて長き祈をなす。其の受くる審判は更に嚴しからん』

第21章

編集

イエス目を擧げて、富める人々の納物を賽錢函に投げ入るるを見、

また或貧しき寡婦のレプタ二つを投げ入るるを見て言ひ給ふ、

『われ實をもて汝らに告ぐ、この貧しき寡婦は、凡ての人よりも多く投げ入れたり。

彼らは皆その豐なる内より納物の中に投げ入れ、この寡婦はその乏しき中より、己が有てる生命の料をことごとく投げ入れたればなり』

或人々、美麗なる石と献物とにて宮の飾られたる事を語りしに、イエス言ひ給ふ、

『なんぢらが見る此等の物は、一つの石も崩されずして石の上に殘らぬ日きたらん』

彼ら問ひて言ふ『師よ、さらば此等のことは何時あるか、又これらの事の成らんとする時は如何なる兆あるか』

イエス言ひ給ふ『なんぢら惑されぬように心せよ、多くの者わが名を冒し來り「われは夫なり」と言ひ「時は近づけり」と言はん、彼らに從ふな。

戰爭と騷亂との事を聞くとき、怖づな。斯かることは先づあるべきなり。然れど終は直ちに來らず』

また言ひたまふ『「民は民に、國は國に逆ひて起たん」

かつ大なる地震あり、處々に疫病・饑饉あらん。懼るべき事と天よりの大なる兆とあらん。

すべて此等のことに先だちて、人々なんぢらに手をくだし、汝らを責めん、即ち汝らを會堂および獄に付し、わが名のために王たち司たちの前に曳きゆかん。

これは汝らに證の機とならん。

されば汝ら如何に答へんと預じめ思慮るまじき事を心に定めよ。

われ汝らに、凡て逆ふ者の言ひ逆ひ言ひ消すことをなし得ざる、口と智慧とを與ふべければなり。

汝らは兩親・兄弟・親族・朋友にさへ付されん。又かれらは汝らの中の或者を殺さん。

汝等わが名の故に凡ての人に憎まるべし。

然れど汝らの頭の髮一すぢだに失せじ。

汝らは忍耐によりて其の靈魂を得べし。

汝らエルサレムが軍勢に圍まるるを見ば、其の亡近づけりと知れ。

その時ユダヤに居る者どもは山に遁れよ、都の中にをる者どもは出でよ、田舍にをる者どもは都に入るな、

これ録されたる凡ての事の遂げらるべき刑罰の日なり。

その日には孕りたる者と、乳を哺まする者とは禍害なるかな。地に大なる艱難ありて、御怒この民に臨み、

彼らは劍の刃に斃れ、又は捕はれて諸國に曳かれん。而してエルサレムは異邦人の時滿つるまで、異邦人に蹂躙らるべし。

また日・月・星に兆あらん。地にては國々の民なやみ、海と濤との鳴り轟くによりて狼狽へ、

人々おそれ、かつ世界に來らんとする事を思ひて膽を失はん。これ天の萬象ふるひ動けばなり。

其のとき人々、人の子の能力と大なる榮光とをもて、雲に乘りきたるを見ん。

これらの事起り始めなば、仰ぎて首を擧げよ。汝らの贖罪近づけるなり』

また譬を言ひたまふ『無花果の樹また凡ての樹を見よ、

既に芽ざせば、汝等これを見てみづから夏の近きを知る。

斯くのごとく此等のことの起るを見ば、神の國の近きを知れ。

われ誠に汝らに告ぐ、これらの事ことごとく成るまで、今の代は過ぎゆくことなし。

天地は過ぎゆかん、されど我が言は過ぎゆくことなし。

汝等みづから心せよ、恐らくは飮食にふけり、世の煩勞にまとはれて心鈍り、思ひがけぬ時、かの日羂のごとく來らん。

これは徧く地の面に住める凡ての人に臨むべきなり。

この起るべき凡ての事をのがれ、人の子のまへに立ち得るやう、常に祈りつつ目を覺しをれ』

イエス晝は宮にて教へ、夜は出でてオリブといふ山に宿りたまふ。

民はみな御教を聽かんとて、朝とく宮にゆき、御許に集れり。

第22章

編集

さて過越といふ除酵祭近づけり。

祭司長・學者らイエスを殺さんとし、その手段いかにと求む、民を懼れたればなり。

時にサタン、十二の一人なるイスカリオテと稱ふるユダに入る。

ユダ乃ち祭司長・宮守頭どもに往きて、イエスを如何にして付さんと議りたれば、

彼ら喜びて銀を與へんと約す。

ユダ諾ひて、群衆の居らぬ時にイエスを付さんと好き機をうかがふ。

過越の羔羊を屠るべき除酵祭の日來りたれば、

イエス、ペテロとヨハネとを遣さんとして言ひたまふ『往きて我らの食せん爲に過越の備をなせ』

彼ら言ふ『何處に備ふることを望み給ふか』

イエス言ひたまふ『視よ、都に入らば、水をいれたる瓶を持つ人なんぢらに遇ふべし、之に從ひゆき、その入る所の家にいりて、

家の主人に「師なんぢに言ふ、われ弟子らと共に過越の食をなすべき座敷は何處なるか」と言へ。

さらば調へたる大なる二階座敷を見すべし。其處に備へよ』

かれら出で往きて、イエスの言ひ給ひし如くなるを見て、過越の設備をなせり。

時いたりてイエス席に著きたまひ、使徒たちも共に著く。

かくて彼らに言ひ給ふ『われ苦難の前に、なんぢらと共にこの過越の食をなすことを望みに望みたり。

われ汝らに告ぐ、神の國にて過越の成就するまでは、我復これを食せざるべし』

かくて酒杯を受け、かつ謝して言ひ給ふ『これを取りて互に分ち飮め。

われ汝らに告ぐ、神の國の來るまでは、われ今よりのち葡萄の果より成るものを飮まじ』

またパンを取り謝してさき、弟子たちに與へて言ひ給ふ『これは汝らの爲に與ふる我が體なり。我が記念として之を行へ』

夕餐ののち酒杯をも然して言ひ給ふ『この酒杯は、汝らの爲に流す我が血によりて立つる新しき契約なり。

されど視よ、我を賣る者の手、われと共に食卓の上にあり、

實に人の子は定められたる如く逝くなり。されど之を賣る者は禍害なるかな』

弟子たち己らの中にて此の事をなす者は、誰ならんと互に問ひ始む。

また彼らの間に、己らの中たれか大ならんとの爭論おこりたれば、

イエス言ひたまふ『異邦人の王はその民を宰どり、また民を支配する者は恩人と稱へらる。

されど汝らは然あらざれ、汝等のうち大なる者は若き者のごとく、頭たる者は事ふる者の如くなれ。

食事の席に著く者と事ふる者とは、何れか大なる。食事の席に著く者ならずや、されど我は汝らの中にて事ふる者のごとし。

汝らは我が嘗試のうちに絶えず我とともに居りし者なれば、

わが父の我に任じ給へるごとく、我も亦なんぢらに國を任ず。

これ汝らの我が國にて我が食卓に飮食し、かつ座位に坐してイスラエルの十二の族を審かん爲なり。

シモン、シモン、視よ、サタン汝らを麥のごとく篩はんとて請ひ得たり。

されど我なんぢの爲に、その信仰の失せぬやうに祈りたり、なんぢ立ち歸りてのち兄弟たちを堅うせよ』

シモン言ふ『主よ、我は汝とともに獄にまでも、死にまでも往かんと覺悟せり』

イエス言ひ給ふ『ペテロよ、我なんぢに告ぐ、今日なんぢ三度われを知らずと否むまでは、鷄鳴かざるべし』

かくて弟子たちに言ひ給ふ『財布・嚢・鞋をも持たせずして汝らを遣ししとき、缺けたる所ありしや』彼ら言ふ『無かりき』

イエス言ひ給ふ『されど今は財布ある者は之を取れ、嚢ある者も然すべし。また劍なき者は衣を賣りて劍を買へ。

われ汝らに告ぐ「かれは愆人と共に數へられたり」と録されたるは、我が身に成し遂げらるべし。凡そ我に係る事は成し遂げらるればなり』

弟子たち言ふ『主、見たまへ、茲に劍二振あり』イエス言ひたまふ『足れり』

遂に出でて、常のごとくオリブ山に往き給へば、弟子たちも從ふ。

其處に至りて彼らに言ひたまふ『誘惑に入らぬやうに祈れ』

かくて自らは石の投げらるる程かれらより隔り、跪づきて祈り言ひたまふ、

『父よ、御旨ならば、此の酒杯を我より取り去りたまへ、されど我が意にあらずして御意の成らんことを願ふ』

時に天より御使あらはれて、イエスに力を添ふ。

イエス悲しみ迫り、いよいよ切に祈り給へば、汗は地上に落つる血の雫の如し。

祈を了へ、起ちて弟子たちの許にきたり、その憂によりて眠れるを見て言ひたまふ、

『なんぞ眠るか、起て、誘惑に入らぬやうに祈れ』

なほ語りゐ給ふとき、視よ、群衆あらはれ、十二の一人なるユダ先だち來り、イエスに接吻せんとて近寄りたれば、

イエス言ひ給ふ『ユダ、なんぢは接吻をもて人の子を賣るか』

御側に居る者ども事の及ばんとするを見て言ふ『主よ、われら劍をもて撃つべきか』

その中の一人、大祭司の僕を撃ちて、右の耳を切り落せり。

イエス答へて言ひたまふ『之にてゆるせ』而して僕の耳に手をつけて醫し給ふ。

かくて己に向ひて來れる祭司長・宮守頭・長老らに言ひ給ふ『なんぢら強盜に向ふごとく、劍と棒とを持ちて出できたるか。

我は日々なんぢらと共に宮に居りしに、我が上に手を伸べざりき。されど今は汝らの時、また暗黒の權威なり』

遂に人々イエスを捕へて、大祭司の家に曳きゆく。ペテロ遠く離れて從ふ。

人々、中庭のうちに火を焚きて、諸共に坐したれば、ペテロもその中に坐す。

或婢女ペテロの火の光を受けて坐し居るを見、これに目を注ぎて言ふ『この人も彼と偕にゐたり』

ペテロ肯はずして言ふ『をんなよ、我は彼を知らず』

暫くして他の者ペテロを見て言ふ『なんぢも彼の黨與なり』ペテロ言ふ『人よ、然らず』

一時ばかりして又ほかの男、言張りて言ふ『まさしく此の人も彼とともに在りき、是ガリラヤ人なり』

ペテロ言ふ『人よ、我なんぢの言ふことを知らず』なほ言ひ終へぬに、やがて鷄鳴きぬ。

主、振反りてペテロに目をとめ給ふ。ここにペテロ、主の『今日にはとり鳴く前に、なんぢ三度われを否まん』と言ひ給ひし御言を憶ひいだし、

外に出でて甚く泣けり。

守る者どもイエスを嘲弄し、之を打ち、

その目を蔽ひ問ひて言ふ『預言せよ、汝を撃ちし者は誰なるか』

この他なほ多くのことを言ひて譏れり。

夜明になりて、民の長老・祭司長・學者ら相集り、イエスをその議會に曳き出して言ふ、

『なんぢ若しキリストならば、我らに言へ』イエス言ひ給ふ『われ言ふとも汝ら信ぜじ、

又われ問ふとも汝ら答へじ。

されど人の子は今よりのち神の能力の右に坐せん』

皆いふ『されば汝は神の子なるか』答へ給ふ『なんぢらの言ふごとく我はそれなり』

彼ら言ふ『何ぞなほ他に證據を求めんや。我ら自らその口より聞けり』

第23章

編集

民衆みな起ちて、イエスをピラトの前に曳きゆき、

訴へ出でて言ふ『われら此の人が、わが國の民を惑し、貢をカイザルに納むるを禁じ、かつ自ら王なるキリストと稱ふるを認めたり』

ピラト、イエスに問ひて言ふ『なんぢはユダヤ人の王なるか』答へて言ひ給ふ『なんぢの言ふが如し』

ピラト祭司長らと群衆とに言ふ『われ此の人に愆あるを見ず』

彼等ますます言ひ募り『かれはユダヤ全國に教をなして民を騷がし、ガリラヤより始めて、此處に至る』と言ふ。

ピラト之を聞き、そのガリラヤ人なるかを問ひて、

ヘロデの權下の者なるを知り、ヘロデ此の頃エルサレムに居たれば、イエスをその許に送れり。

ヘロデ、イエスを見て甚く喜ぶ。これは彼に就きて聞く所ありたれば、久しく逢はんことを欲し、何をか徴を行ふを見んと望み居たる故なり。

かくて多くの言をもて問ひたれど、イエス何をも答へ給はず。

祭司長・學者ら起ちて激甚くイエスを訴ふ。

ヘロデその兵卒と共にイエスを侮り、かつ嘲弄し、華美なる衣を著せて、ピラトに返す。

ヘロデとピラトと前には仇たりしが、此の日たがひに親しくなれり。

ピラト、祭司長らと司らと民とを呼び集めて言ふ、

『汝らこの人を民を惑す者として曳き來れり。視よ、われ汝らの前にて訊したれど、其の訴ふる所に就きて、この人に愆あるを見ず。

ヘロデも亦然り、彼を我らに返したり。視よ、彼は死に當るべき業を爲さざりき。

されば懲しめて之を赦さん』

[なし]

民衆ともに叫びて言ふ『この人を除け、我らにバラバを赦せ』

此のバラバは、都に起りし一揆と殺人との故によりて、獄に入れられたる者なり。

ピラトはイエスを赦さんと欲して、再び彼らに告げたれど、

彼ら叫びて『十字架につけよ、十字架につけよ』と言ふ。

ピラト三度まで『彼は何の惡事を爲ししか、我その死に當るべき業を見ず、故に懲しめて赦さん』と言ふ。

されど人々、大聲をあげ迫りて、十字架につけんことを求めたれば、遂にその聲勝てり。

ここにピラトその求の如くすべしと言渡し、

その求むるままに、かの一揆と殺人との故によりて獄に入れられたる者を赦し、イエスを付して彼らの心の隨ならしめたり。

人々イエスを曳きゆく時、シモンといふクレネ人の田舍より來るを執へ、十字架を負はせてイエスの後に從はしむ。

民の大なる群と、歎き悲しめる女たちの群と之に從ふ。

イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。

視よ「石婦、兒産まぬ腹、哺ませぬ乳は幸福なり」と言ふ日きたらん。

その時ひとびと「山に向ひて我らの上に倒れよ、岡に向ひて我らを掩へ」と言ひ出でん。

もし青樹に斯く爲さば、枯樹は如何にせられん』

また他に二人の惡人をも、死罪に行はんとてイエスと共に曳きゆく。

髑髏といふ處に到りて、イエスを十字架につけ、また惡人の一人をその右、一人をその左に十字架につく。

かくてイエス言ひたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』彼らイエスの衣を分ちて鬮取にせり、

民は立ちて見ゐたり。司たちも嘲りて言ふ『かれは他人を救へり、もし神の選び給ひしキリストならば、己をも救へかし』

兵卒どもも嘲弄しつつ、近よりて酸き葡萄酒をさし出して言ふ、

『なんぢ若しユダヤ人の王ならば、己を救へ』

又イエスの上には『これはユダヤ人の王なり』との罪標あり。

十字架に懸けられたる惡人の一人、イエスを譏りて言ふ『なんぢはキリストならずや、己と我らとを救へ』

他の者これに答へ禁めて言ふ『なんぢ同じく罪に定められながら、神を畏れぬか。

我らは爲しし事の報を受くるなれば當然なり。されど此の人は何の不善をも爲さざりき』

また言ふ『イエスよ、御國に入り給ふとき、我を憶えたまえ』

イエス言ひ給ふ『われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし』

晝の十二時ごろ、日、光をうしなひ、地のうへ徧く暗くなりて、三時に及び、

聖所の幕、眞中より裂けたり。

イエス大聲に呼はりて言ひたまふ『父よ、わが靈を御手にゆだぬ』斯く言ひて息絶えたまふ。

百卒長この有りし事を見て、神を崇めて言ふ『實にこの人は義人なりき』

これを見んとて集りたる群衆も、ありし事どもを見て、みな胸を打ちつつ歸れり。

凡てイエスの相識の者およびガリラヤより從ひ來れる女たちも、遙に立ちて此等のことを見たり。

議員にして善かつ義なるヨセフといふ人あり。

――この人はかの評議と仕業とに與せざりき――ユダヤの町なるアリマタヤの者にて、神の國を待ちのぞめり。

此の人ピラトの許にゆき、イエスの屍體を乞ひ、

これを取りおろし、亞麻布にて包み、巖に鑿りたる未だ人を葬りし事なき墓に納めたり。

この日は準備日なり、かつ安息日近づきぬ。

ガリラヤよりイエスと共に來りし女たち後に從ひ、その墓と屍體の納められたる樣とを見、

歸りて香料と香油とを備ふ。かくて誡命に遵ひて、安息日を休みたり。

第24章

編集

一週の初の日、朝まだき、女たち備へたる香料を携へて墓にゆく。

然るに石の既に墓より轉し除けあるを見、

内に入りたるに、主イエスの屍體を見ず、

これが爲に狼狽へをりしに、視よ、輝ける衣を著たる二人の人その傍らに立てり。

女たち懼れて面を地に伏せたれば、その二人の者いふ『なんぞ死にし者どもの中に生ける者を尋ぬるか。

彼は此處に在さず、甦へり給へり。尚ガリラヤに居給へるとき、如何に語り給ひしかを憶ひ出でよ。

即ち「人の子は必ず罪ある人の手に付され、十字架につけられ、かつ三日めに甦へるべし」と言ひ給へり』

ここに彼らその御言を憶ひ出で、

墓より歸りて、凡て此等のことを十一弟子および凡て他の弟子たちに告ぐ。

この女たちはマグダラのマリヤ、ヨハンナ及びヤコブの母マリヤなり、而して彼らと共に在りし他の女たちも、之を使徒たちに告げたり。

使徒たちは其の言を妄語と思ひて信ぜず。

[ペテロは起ちて墓に走りゆき、屈みて布のみあるを見、ありし事を怪しみつつ歸れり]

視よ、この日二人の弟子、エルサレムより三里ばかり隔りたるエマオといふ村に往きつつ、

凡て有りし事どもを互に語りあふ。

語りかつ論じあふ程に、イエス自ら近づきて共に往き給ふ。

されど彼らの目遮へられて、イエスたるを認むること能はず。

イエス彼らに言ひ給ふ『なんぢら歩みつつ互に語りあふ言は何ぞや』かれら悲しげなる状にて立ち止り、

その一人なるクレオパと名づくるもの答へて言ふ『なんぢエルサレムに寓り居て、獨り此の頃かしこに起りし事どもを知らぬか』

イエス言ひ給ふ『如何なる事ぞ』答へて言ふ『ナザレのイエスの事なり、彼は神と凡ての民との前にて、業にも言にも能力ある預言者なりしに、

祭司長ら及び我が司らは、死罪に定めんとて之を付し遂に十字架につけたり。

我らはイスラエルを贖ふべき者は、この人なりと望みゐたり、然のみならず、此の事の有りしより今日ははや三日めなるが、

なほ我等のうちの或女たち、我らを驚かせり、即ち彼ら朝夙く墓に往きたるに、

屍體を見ずして歸り、かつ御使たち現れて、イエスは活き給ふと告げたりと言ふ。

我らの朋輩の數人もまた墓に往きて見れば、正しく女たちの言ひし如くにしてイエスを見ざりき』

イエス言ひ給ふ『ああ愚にして預言者たちの語りたる凡てのことを信ずるに心鈍き者よ。

キリストは必ず此らの苦難を受けて、其の榮光に入るべきならずや』

かくてモーセ及び凡ての預言者をはじめ、己に就きて凡ての聖書に録したる所を説き示したまふ。

遂に往く所の村に近づきしに、イエスなほ進みゆく樣なれば、

強ひて止めて言ふ『我らと共に留れ、時夕に及びて、日も早や暮れんとす』乃ち留らんとて入りたまふ。

共に食事の席に著きたまふ時、パンを取りて祝し、擘きて與へ給へば、

彼らの目開けてイエスなるを認む、而してイエス見えずなり給ふ。

かれら互に言ふ『途にて我らと語り、我らに聖書を説明し給へるとき、我らの心、内に燃えしならずや』

かくて直ちに立ちエルサレムに歸りて見れば、十一弟子および之と偕なる者あつまり居て言ふ、

『主は實に甦へりて、シモンに現れ給へり』

二人の者もまた途にて有りし事と、パンを擘き給ふによりてイエスを認めし事とを述ぶ。

此等のことを語る程に、イエスその中に立ち[『平安なんぢらに在れ』と言ひ]給ふ。

かれら怖ぢ懼れて、見る所のものを靈ならんと思ひしに、

イエス言ひ給ふ『なんぢら何ぞ心騷ぐか、何ゆゑ心に疑惑おこるか、

我が手わが足を見よ、これ我なり。我を撫でて見よ、靈には肉と骨となし、我にはあり、汝らの見るごとし』

[斯く言ひて手と足とを示し給ふ]

かれら歡喜の餘に信ぜずして怪しめる時、イエス言ひたまふ『此處に何か食物あるか』

かれら炙りたる魚一片を捧げたれば、

之を取り、その前にて食し給へり。

また言ひ給ふ『これらの事は、我がなほ汝らと偕に在りし時に語りて、我に就きモーセの律法・預言者および詩篇に録されたる凡ての事は、必ず遂げらるべしと言ひし所なり』

ここに聖書を悟らしめんとて、彼らの心を開きて言ひ給ふ、

『かく録されたり、キリストは苦難を受けて、三日めに死人の中より甦へり、

且その名によりて罪の赦を得さする悔改は、エルサレムより始りて、もろもろの國人に宣傳へらるべしと。

汝らは此等のことの證人なり。

視よ、我は父の約し給へるものを汝らに贈る。汝ら上より能力を著せらるるまでは都に留れ』

遂にイエス彼らをベタニヤに連れゆき、手を擧げて之を祝したまふ。

祝する間に、彼らを離れ[天に擧げられ]給ふ。

彼ら[之を拜し]大なる歡喜をもてエルサレムに歸り、

常に宮に在りて、神を讃めゐたり。