ヨハネの第一の書(文語訳)

<文語訳新約聖書

w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:大正改訳聖書

ヨハネの第一の書

第1章

編集

太初より有りし所のもの、我等が聞きしところ、目にて見し所、つらつら視て手觸りし所のもの、即ち生命の言につきて、

――この生命すでに顯れ、われら之を見て證をなし、その曾て父と偕に在して、今われらに顯れ給へる永遠の生命を汝らに告ぐ――

我らの見しところ聞きし所を汝らに告ぐ、これ汝等をも我らの交際に與らしめん爲なり。我らは父および其の子イエス・キリストの交際に與るなり。

此等のことを書き贈るは、我らの喜悦の滿ちん爲なり。

我らが彼より聞きて、また汝らに告ぐる音信は是なり、即ち神は光にして少しの暗き所なし。

もし神と交際ありと言ひて暗きうちを歩まば、我ら僞りて眞理を行はざるなり。

もし神の光のうちに在すごとく光のうちを歩まば、我ら互に交際を得、また其の子イエスの血、すべての罪より我らを潔む。

もし罪なしと言はば、是みづから欺けるにて眞理われらの中になし。

もし己の罪を言ひあらはさば、神は眞實にして正しければ、我らの罪を赦し、凡ての不義より我らを潔め給はん。

もし罪を犯したる事なしといはば、これ神を僞者とするなり、神の言われらの中になし。

第2章

編集

わが若子よ、これらの事を書き贈るは、汝らが罪を犯さざらん爲なり。人もし罪を犯さば、我等のために父の前に助主あり、即ち義なるイエス・キリストなり。

彼は我らの罪のために宥の供物たり、啻に我らの爲のみならず、また全世界の爲なり。

我らその誡命を守らば、之によりて彼を知ることを自ら悟る。

『われ彼を知る』と言ひて其の誡命を守らぬ者は僞者にして眞理その衷になし。

その御言を守る者は誠に神の愛、その衷に全うせらる。之によりて我ら彼に在ることを悟る。

彼に居ると言ふ者は、彼の歩み給ひしごとく自ら歩むべきなり。

愛する者よ、わが汝らに書き贈るは、新しき誡命にあらず、汝らが初より有てる舊き誡命なり。この舊き誡命は汝らが聞きし所の言なり。

然れど我が汝らに書き贈るところは、また新しき誡命にして、主にも汝らにも眞なり、その故は眞の光すでに照りて、暗黒はややに過ぎ去ればなり。

光に在りと言ひて其の兄弟を憎むものは、今もなほ暗黒にあるなり。

その兄弟を愛する者は、光に居りて顛躓その衷になし。

その兄弟を憎む者は暗黒にあり、暗きうちを歩みて己が往くところを知らず、これ暗黒はその眼を矇したればなり。

若子よ、我この書を汝らに贈るは、なんぢら主の御名によりて罪を赦されたるに因る。

父たちよ、我この書を汝らに贈るは、汝ら太初より在す者を知りたるに因る。若き者よ、我この書を汝らに贈るは、なんぢら惡しき者に勝ちたるに因る。子供よ、我この書を汝らに贈りたるは、汝ら御父を知りたるに因る。

父たちよ、我この書を汝らに贈りたるは、汝ら太初より在す者を知りたるに因る。若き者よ、我この書を汝らに贈りたるは、汝ら強くかつ神の言その衷に留り、また惡しき者に勝ちたるに因る。

なんぢら世をも世にある物をも愛すな。人もし世を愛せば、御父を愛する愛その衷になし。

おほよそ世にあるもの、即ち肉の慾、眼の慾、所有の誇などは、御父より出づるにあらず、世より出づるなり。

世と世の慾とは過ぎ往く、されど神の御意をおこなふ者は永遠に在るなり。

子供よ、今は末の時なり、汝らが非キリスト來らんと聞きしごとく、今や非キリスト多く起れり、之によりて我等その末の時なるを知る。

彼らは我等より出でゆきたれど、固より我等のものに非ざりき。我らの屬ならば、我らと共に留りしならん。されどその出でゆきしは、皆われらの屬ならぬことの顯れん爲なり。

汝らは聖なる者より油を注がれたれば、凡ての事を知る。

我この書を汝らに贈るは、汝ら眞理を知らぬ故にあらず、眞理を知り、かつ凡ての虚僞の眞理より出でぬことを知るに因る。

僞者は誰なるか、イエスのキリストなるを否む者にあらずや。御父と御子とを否む者は非キリストなり。

凡そ御子を否む者は御父をも有たず、御子を言ひあらはす者は御父をも有つなり。

初より聞きし所を汝らの衷に居らしめよ。初より聞きしところ汝らの衷に居らば、汝らも御子と御父とに居らん。

我らに約し給ひし約束は是なり、即ち永遠の生命なり。

汝らを惑す者どもに就きて我これらの事を書き贈る。

なんぢらの衷には、主より注がれたる油とどまる故に、人の汝らに物を教ふる要なし。此の油は汝らに凡ての事を教へ、かつ眞にして虚僞なし、汝等はその教へしごとく主に居るなり。

されば若子よ、主に居れ。これ主の現れ給ふときに臆することなく、其の來り給ふときに恥づることなからん爲なり。

なんぢら主を正しと知らば、凡て正義をおこなふ者の主より生れたることを知らん。

第3章

編集

視よ、父の我らに賜ひし愛の如何に大なるかを。我ら神の子と稱へらる。既に神の子たり、世の我らを知らぬは、父を知らぬによりてなり。

愛する者よ、我等いま神の子たり、後いかん、未だ顯れず、主の現れたまふ時われら之に肖んことを知る。我らその眞の状を見るべければなり。

凡て主による此の希望を懷く者は、その清きがごとく己を潔くす。

すべて罪をおこなふ者は不法を行ふなり、罪は即ち不法なり。

汝らは知る、主の現れ給ひしは罪を除かん爲なるを。主には罪あることなし。

おほよそ主に居る者は罪を犯さず、おほよそ罪を犯す者は未だ主を見ず、主を知らぬなり。

若子よ、人に惑さるな、義をおこなふ者は義人なり、即ち主の義なるがごとし。

罪を行ふものは惡魔より出づ、惡魔は初より罪を犯せばなり。神の子の現れ給ひしは、惡魔の業を毀たん爲なり。

凡て神より生るる者は罪を行はず、神の種、その衷に止るに由る。彼は神より生るる故に罪を犯すこと能はず。

之に由りて神の子と惡魔の子とは明かなり。おほよそ義を行はぬ者および己が兄弟を愛せぬ者は神より出づるにあらず。

われら互に相愛すべきは汝らが初より聞きし音信なり。

カインに效ふな、彼は惡しき者より出でて己が兄弟を殺せり。何故ころしたるか、己が行爲は惡しく、その兄弟の行爲は正しかりしに因る。

兄弟よ、世は汝らを憎むとも怪しむな。

われら兄弟を愛するによりて、死より生命に移りしを知る、愛せぬ者は死のうちに居る。

おほよそ兄弟を憎む者は即ち人を殺す者なり、凡そ人を殺す者の、その内に永遠の生命なきを汝らは知る。

主は我らの爲に生命を捨てたまへり、之によりて愛といふことを知りたり、我等もまた兄弟のために生命を捨つべきなり。

世の財寶をもちて兄弟の窮乏を見、反つて憐憫の心を閉づる者は、いかで神の愛その衷にあらんや。

若子よ、われら言と舌とをもて相愛することなく、行爲と眞實とを以てすべし。

之に由りて我ら眞理より出でしを知り、且われらの心われらを責むとも神の前に心を安んずべし。

神は我らの心よりも大にして一切のことを知り給へばなり。

愛する者よ、我らが心みづから責むる所なくば、神に向ひて懼なし。

且すべて求むる所を神より受くべし。是その誡命を守りて御心にかなふ所を行へばなり。

その誡命はこれなり、即ち我ら神の子イエス・キリストの名を信じ、その命じ給ひしごとく互に相愛すべきことなり。

神の誡命を守る者は神に居り、神もまた彼に居給ふ。我らその賜ふところの御靈に由りて其の我らに居給ふことを知るなり。

第4章

編集

愛する者よ、凡ての靈を信ずな、その靈の神より出づるか否かを試みよ。多くの僞預言者世に出でたればなり。

凡そイエス・キリストの肉體にて來り給ひしことを言ひあらはす靈は神より出づ、なんぢら之によりて神の御靈を知るべし。

凡そイエスを言ひ表さぬ靈は神より出でしにあらず、これは非キリストの靈なり。その來ることは汝ら聞けり、この靈いま既に世にあり。

若子よ、汝らは神より出でし者にして既に彼らに勝てり。汝らに居給ふ者は世に居る者よりも大なればなり。

彼らは世より出でし者なり、之によりて世の事をかたり、世も亦かれらに聽く。

我らは神より出でし者なり。神を知る者は我らに聽き、神より出でぬ者は我らに聽かず。之によりて眞理の靈と迷謬の靈とを知る。

愛する者よ、われら互に相愛すべし。愛は神より出づ、おほよそ愛ある者は、神より生れ神を知るなり。

愛なき者は、神を知らず、神は愛なればなり。

神の愛われらに顯れたり。神はその生み給へる獨子を世に遣し、我等をして彼によりて生命を得しめ給ふに因る。

愛といふは、我ら神を愛せしにあらず、神われらを愛し、その子を遣して我らの罪のために宥の供物となし給ひし是なり。

愛する者よ、斯くのごとく神われらを愛し給ひたれば、我らも亦たがひに相愛すべし。

未だ神を見し者あらず、我等もし互に相愛せば、神われらに在し、その愛も亦われらに全うせらる。

神、御靈を賜ひしに因りて、我ら神に居り神われらに居給ふことを知る。

又われら父のその子を遣して世の救主となし給ひしを見て、その證をなすなり。

凡そイエスを神の子と言ひあらはす者は、神かれに居り、かれ神に居る。

我らに對する神の愛を我ら既に知り、かつ信ず。神は愛なり、愛に居る者は神に居り、神も亦かれに居給ふ。

かく我らの愛完全をえて、審判の日に懼なからしむ。我等この世にありて主の如くなるに因る。

愛には懼なし、全き愛は懼を除く、懼には苦難あればなり。懼るる者は、愛いまだ全からず。

我らの愛するは、神まづ我らを愛し給ふによる。

人もし『われ神を愛す』と言ひて、その兄弟を憎まば、これ僞者なり。既に見るところの兄弟を愛せぬ者は、未だ見ぬ神を愛すること能はず。

神を愛する者は亦その兄弟をも愛すべし。我等この誡命を神より受けたり。

第5章

編集

凡そイエスをキリストと信ずる者は、神より生れたるなり。おほよそ之を生み給ひし神を愛する者は、神より生れたる者をも愛す。

我等もし神を愛して、その誡命を行はば、之によりて神の子供を愛することを知る。

神の誡命を守るは即ち神を愛するなり、而してその誡命は難からず。

おほよそ神より生るる者は世に勝つ、世に勝つ勝利は我らの信仰なり。

世に勝つものは誰ぞ、イエスを神の子と信ずる者にあらずや。

これ水と血とに由りて來り給ひし者、即ちイエス・キリストなり。啻に水のみならず、水と血とをもて來り給ひしなり。

證する者は御靈なり。御靈は眞理なればなり。

證する者は三つ、御靈と水と血となり。この三つ合ひて一つとなる。

我等もし人の證を受けんには、神の證は更に大なり。神の證はその子につきて證し給ひし是なり。

神の子を信ずる者はその衷にこの證をもち、神を信ぜぬ者は神を僞者とす。これ神その子につきて證せし證を信ぜぬが故なり。

その證はこれなり、神は永遠の生命を我らに賜へり、この生命はその子にあり。

御子をもつ者は生命をもち、神の子をもたぬ者は生命をもたず。

われ神の子の名を信ずる汝らに此等のことを書き贈るは、汝らに自ら永遠の生命を有つことを知らしめん爲なり。

我らが神に向ひて確信する所は是なり、即ち御意にかなふ事を求めば、必ず聽き給ふ。

かく求むるところ、何事にても聽き給ふと知れば、求めし願を得たる事をも知るなり。

人もし其の兄弟の死に至らぬ罪を犯すを見ば、神に求むべし。さらば彼に、死に至らぬ罪を犯す人々に生命を與へ給はん。死に至る罪あり、我これに就きて請ふべしと言はず。

凡ての不義は罪なり、されど死に至らぬ罪あり。

凡て神より生れたる者の罪を犯さぬことを我らは知る。神より生れ給ひし者、これを守りたまふ故に、惡しきもの觸るる事をせざるなり。

我らは神より出で、全世界は惡しき者に屬するを我らは知る。

また神の子すでに來りて我らに眞の者を知る知識を賜ひしを我らは知る。而して我らは眞の者に居り、その子イエス・キリストに居るなり、彼は眞の神にして永遠の生命なり。

若子よ、自ら守りて偶像に遠ざかれ。