ペテロの前の書 (文語訳)

<文語訳新約聖書

w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:大正改訳聖書

ペテロの前の書

第1章

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イエス・キリストの使徒ペテロ、書をポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ピテニヤに散りて宿れる者、

即ち父なる神の預じめ知り給ふところに隨ひて、御靈の潔により柔順ならんため、イエス・キリストの血の灑を受けんために選ばれたる者に贈る。願はくは恩惠と平安と汝らに増さんことを。

讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、その大なる憐憫に隨ひ、イエス・キリストの死人の中より甦へり給へることに由り、我らを新に生れしめて生ける望を懷かせ、

汝らの爲に天に蓄へある、朽ちず汚れず萎まざる嗣業を繼がしめ給へり。

汝らは終のときに顯れんとて備りたる救を得んために、信仰によりて神の力に護らるるなり。

この故に汝ら今しばしの程さまざまの試煉によりて憂へざるを得ずとも、なほ大に喜べり。

汝らの信仰の驗は、壞つる金の火にためさるるよりも貴くして、イエス・キリストの現れ給ふとき譽と光榮と尊貴とを得べきなり。

汝らイエスを見しことなけれど之を愛し、今見ざれども之を信じて、言ひがたく、かつ光榮ある喜悦をもて喜ぶ。

これ信仰の極、すなはち靈魂の救を受くるに因る。

汝らの受くべき恩惠を預言したる預言者たちは、この救につきて具に尋ね査べたり。

即ち彼らは己が中に在すキリストの靈の、キリストの受くべき苦難および其の後の榮光を預じめ證して、何時のころ如何なる時を示し給ひしかを査べたり。

彼等はその勤むるところ己のためにあらず、汝らの爲なることを默示によりて知れり。即ち天より遣され給へる聖靈によりて福音を宣ぶる者どもの、汝らに傳へたる所にして、御使たちも之を懇ろに視んと欲するなり。

この故に、なんぢら心の腰に帶し、愼みてイエス・キリストの現れ給ふときに、與へられんとする恩惠を疑はずして望め。

從順なる子等の如くして、前の無知なりし時の慾に效はず、

汝らを召し給ひし聖者に效ひて、自ら凡ての行状に潔かれ。

録して『われ聖なれば、汝らも聖なるべし』とあればなり。

また偏ることなく各人の業に隨ひて審きたまふ者を父と呼ばば、畏をもて世に寓る時を過せ。

なんぢらが先祖たちより傳はりたる虚しき行状より贖はれしは、銀や金のごとき朽つる物に由るにあらず、

瑕なく汚點なき羔羊の如きキリストの貴き血に由ることを知ればなり。

彼は世の創の前より預じめ知られたまひしが、この末の世に現れ給へり。

これは彼を死人の中より甦へらせて之に榮光を與へ給ひし神を、彼によりて信ずる汝らの爲なり、この故に汝らの信仰と希望とは神に由れり。

なんぢら眞理に從ふによりて靈魂をきよめ、僞りなく兄弟を愛するに至りたれば、心より熱く相愛せよ。

汝らは朽つる種に由らで、朽つることなき種、すなはち神の活ける限りなく保つ言に由りて新に生れたればなり。

『人はみな草のごとく、
その光榮はみな草の花の如し、
草は枯れ、花は落つ。

されど主の御言は永遠に保つなり』汝らに宣傅へたる福音の言は即ちこれなり。

第2章

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されば凡ての惡意、すべての詭計・僞善・嫉妬および凡ての謗を棄てて、

いま生れし嬰兒のごとく靈の眞の乳を慕へ、之により育ちて救に至らん爲なり。

なんぢら既に主の仁慈あることを味ひ知りたらんには、然すべきなり。

主は人に棄てられ給へど、神に選ばれたる貴き活ける石なり。

なんぢら彼にきたり、活ける石のごとく建てられて靈の家となれ。これ潔き祭司となり、イエス・キリストに由りて神に喜ばるる靈の犧牲を献げん爲なり。

聖書に

『視よ、選ばれたる貴き
隅の首石を我シオンに置く。:之に依頼む者は辱しめられじ』とあるなり。

されば信ずる汝らには尊きなれど、信ぜぬ者には『造家者らの棄てたる石は、隅の首石となれる』にて、

『つまづく石、礙ぐる岩』となるなり。彼らは服はぬに因りて御言に躓く。これは斯く定められたるなり。

されど汝らは選ばれたる族、王なる祭司・潔き國人・神に屬ける民なり、これ汝らを暗黒より召して、己の妙なる光に入れ給ひし者の譽を顯させん爲なり。

なんぢら前には民にあらざりしが、今は神の民なり。前には憐憫を蒙らざりしが、今は憐憫を蒙れり。

愛する者よ、われ汝らに勸む。汝らは旅人また宿れる者なれば、靈魂に逆ひて戰ふ肉の慾を避け、

異邦人の中にありて行状を美しく爲よ、これ汝らを謗りて惡をおこなふ者と云へる人々の、汝らの善き行爲を見て、反つて眷顧の日に神を崇めん爲なり。

なんぢら主のために凡て人の立てたる制度に服へ。或は上に在る王、

或は惡をおこなふ者を罰し、善をおこなふ者を賞せんために王より遣されたる司に服へ。

善を行ひて愚なる人の無知の言を止むるは、神の御意なればなり。

なんぢら自由なる者のごとくすとも、その自由をもて惡の覆となさず、神の僕のごとくせよ。

なんぢら凡ての人を敬ひ、兄弟を愛し、神を畏れ、王を尊べ。

僕たる者よ、大なる畏をもて主人に服へ、啻に善きもの、寛容なる者にのみならず、情なき者にも服へ、

人もし受くべからざる苦難を受け、神を認むるに因りて憂に堪ふる事をせば、これ譽むべきなり。

もし罪を犯して撻たるるとき、之を忍ぶとも何の功かある。されど若し善を行ひてなほ苦しめらるる時これを忍ばば、これ神の譽めたまふ所なり。

汝らは之がために召されたり、キリストも汝らの爲に苦難をうけ、汝らを其の足跡に隨はしめんとて模範を遺し給へるなり。

彼は罪を犯さず、その口に虚僞なく、

また罵られて罵らず、苦しめられて脅かさず、正しく審きたまふ者に己を委ね、

木の上に懸りて、みづから我らの罪を己が身に負ひ給へり。これ我らが罪に就きて死に、義に就きて生きん爲なり。汝らは彼の傷によりて癒されたり。

なんぢら前には羊のごとく迷ひたりしが、今は汝らの靈魂の牧者たる監督に歸りたり。

第3章

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妻たる者よ、汝らもその夫に服へ。たとひ御言に遵はぬ夫ありとも、汝らの潔く、かつ恭敬しき行状を見て、言によらず妻の行状によりて救に入らん爲なり。

汝らは髮を辮み、金をかけ、衣服を裝ふごとき表面のものを飾とせず、

心のうちの隱れたる人、すなはち柔和、恬靜なる靈の朽ちぬ物を飾とすべし、是こそは神の前にて價貴きものなれ。

むかし神に望を置きたる潔き女たちも、かくの如くその夫に服ひて己を飾りたり。

即ちサラがアブラハムを主と呼びて之に服ひし如し。汝らも善を行ひて何事にも戰き懼れずばサラの子たるなり。

夫たる者よ、汝らその妻を己より弱き器の如くし、知識にしたがひて偕に棲み、生命の恩惠を共に嗣ぐ者として之を貴べ、これ汝らの祈に妨害なからん爲なり。

終に言ふ、汝らみな心を同じうし、互に思ひ遣り、兄弟を愛し、憐み、へりくだり、

惡をもて惡に、謗をもて謗に報ゆることなく、反つて之を祝福せよ。汝らの召されたるは祝福を嗣がん爲なればなり。

『生命を愛し、善き日を送らんとする者は、
舌を抑へて惡を避け、
口唇を抑へて虚僞を語らず、
惡より遠ざかりて善をおこなひ、平和を求めて之を追ふべし。
それ主の目は義人の上にとどまり、
その耳は彼らの祈にかたむく。:されど主の御顏は惡をおこなふ者に向ふ』

汝等もし善に熱心ならば、誰か汝らを害はん。

たとひ義のために苦しめらるる事ありとも、汝ら幸福なり『彼等の威嚇を懼るな、また心を騷がすな』

心の中にキリストを主と崇めよ、また汝らの衷にある望の理由を問ふ人には、柔和と畏懼とをもて常に辯明すべき準備をなし、

かつ善き良心を保て。これ汝等のキリストに在りて行ふ善き行状を罵る者の、その謗ることに就きて自ら愧ぢん爲なり。

もし善をおこなひて苦難を受くること神の御意ならば、惡を行ひて苦難を受くるに勝るなり。

キリストも汝らを神に近づかせんとて、正しきもの正しからぬ者に代りて、一たび罪のために死に給へり、彼は肉體にて殺され、靈にて生かされ給へるなり。

また靈にて往き、獄にある靈に宣傅へたまへり。

これらの靈は、昔ノアの時代に方舟の備へらるるあひだ寛容をもて神の待ち給へるとき、服はざりし者どもなり、その方舟に入り水を經て救はれし者は、僅にしてただ八人なりき。

その水に象れるバプテスマは肉の汚穢を除くにあらず、善き良心の神に對する要求にして、イエス・キリストの復活によりて今なんぢらを救ふ。

彼は天に昇りて神の右に在す。御使たち及びもろもろの權威と能力とは彼に服ふなり。

第4章

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キリスト肉體にて苦難を受け給ひたれば、汝らも亦おなじ心をもて自ら鎧へ。――肉體にて苦難を受くる者は罪を止むるなり――

これ今よりのち、人の慾に從はず、神の御意に從ひて、肉體に寓れる殘の時を過さん爲なり。

なんぢら過ぎにし日は、異邦人の好む所をおこなひ、好色・慾情・酩酊・宴樂・暴飮・律法にかなはぬ偶像崇拜に歩みて、もはや足れり。

彼らは汝らの己とともに放蕩の極に走らぬを怪しみて譏るなり。

彼らは生ける者と死にたる者とを審く準備をなし給へる者に己のことを陳ぶべし。

福音の死にたる者に宣傅へられしは、彼らが肉體にて人のごとく審かれ、靈にて神のごとく生きん爲なり。

萬の物のをはり近づけり、然れば汝ら心を慥にし、愼みて祈せよ。

何事よりも先づ互に熱く相愛せよ。愛は多くの罪を掩へばなり。

また吝むことなく互に懇ろに待せ。

神のさまざまの恩惠を掌どる善き家司のごとく、各人その受けし賜物をもて互に事へよ。

もし語るならば、神の言をかたる者のごとく語り、事ふるならば、神の與へたまふ能力を受けたる者のごとく事へよ。是イエス・キリストによりて事々に神の崇められ給はん爲なり。榮光と權力とは世々限りなく彼に歸するなり、アァメン。

愛する者よ、汝らを試みんとて來れる火のごとき試煉を異なる事として怪しまず、

反つてキリストの苦難に與れば、與るほど喜べ、なんぢら彼の榮光の顯れん時にも喜び樂しまん爲なり。

もし汝等キリストの名のために謗られなば幸福なり。榮光の御靈すなはち神の御靈なんじらの上に留り給へばなり。

汝等のうち誰にても或は殺人、あるひは盜人、あるひは惡を行ふ者、あるひは妄に他人の事に干渉する者となりて苦難に遭ふな。

されど若しキリステアンたるをもて苦難を受けなば、之を恥づることなく、反つて此の名によりて神を崇めよ。

既に時いたれり、審判は神の家より始るべし。まづ我等より始るとせば、神の福音に從はざる者のその結局は如何にぞや。

義人もし辛うじて救はるるならば、不敬虔なるもの、罪ある者は何處にか立たん。

されば神の御意に從ひて苦難を受くる者は、善を行ひて己が靈魂を眞實なる造物主にゆだね奉るべし。

第5章

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われ汝らの中なる長老たちに勸む(我は汝らと同じく長老たる者、またキリストの苦難の證人、顯れんとする榮光に與る者なり)

汝らの中にある神の群羊を牧へ。止むを得ずして爲さず、神に從ひて心より爲し、利を貪るために爲さず、悦びてなし、

委ねられたる者の主とならず、群羊の模範となれ。

さらば大牧者の現れ給ふとき、萎まざる光榮の冠冕を受けん。

若き者よ、なんぢら長老たちに服へ、かつ皆たがひに謙遜をまとへ『神は高ぶる者を拒ぎ、へりくだる者に恩惠を與へ給ふ』

この故に神の能力ある御手の下に己を卑うせよ、さらば時に及びて神なんぢらを高うし給はん。

又もろもろの心勞を神に委ねよ、神なんぢらの爲に慮ぱかり給へばなり。

愼みて目を覺しをれ、汝らの仇なる惡魔、ほゆる獅子のごとく歴迴りて呑むべきものを尋ぬ。

なんぢら信仰を堅うして彼を禦げ、なんぢらは世にある兄弟たちの同じ苦難に遭ふを知ればなり。

もろもろの恩惠の神、すなはち永遠の榮光を受けしめんとて、キリストによりて汝らを召し給へる神は、汝らが暫く苦難をうくる後、なんぢらを全うし、堅うし、強くして、その基を定め給はん。

願はくは權力世々限りなく神にあれ、アァメン。

われ忠實なる兄弟なりと思ふシルワノに由りて、簡單に書き贈りて汝らに勸め、かつ此は神の眞の恩惠なることを證す、汝等この恩惠に立て。

汝らと共に選ばれてバビロンに在る教會、なんぢらに安否を問ふ、わが子マルコも安否を問ふ。

なんぢら愛の接吻をもて互に安否を問へ。願はくはキリストに在る汝ら衆に平安あらんことを。