通俗正教教話/信経/第一か條
(一)第一か條
編集- 『
我 信 ず一 の神父 ・全能 者 ・天 と地 ・見 ゆると見 えざる萬物 を作 りし主 を』
- 『
問
- 答
神様 を信 ずると謂 ふことは神様 の有 ることと其 神様 の性質 と其 霊験 とを確 く信 じ、而 して神様 が人 にお啓示 になつた人間 の救贖 のことを確 く心 に受 くることなので御座 います。
問
- 答
左様 で御座 います主 のお弟子 であった聖 使徒 パエルがエウレイ人 の許 に書 き送 つた書 の内 に斯 様 に申 して御座 います『信 なければ神 に悦 ばるる能 はず、蓋 神 に就 く者 は彼 の有 ること及 其 彼 を尋 ぬる者 に報 を為 す者 なるを信 ずべし』〔エウレイ十一の六(ヘブライ十一の六)〕と。
問
- 答
出来 ますとも、其人 の信仰 が外 に表 るる具 合 で見分 くることが出来 ます。
問
- 答
其 は正教会の教 を誰 の前 に於 ても少 しも愧 づることなく信仰 し、如何様 な誘惑 が来 ても其 に惑 はされず、設令 如何様 な威 を受 けやうが如何様 な苦 を受 けやうが真 の神様 を捨 てず、其 教 に背 かないことなので御座 います。
問 では
- 答
御座 いますとも、主 のお弟子 なる聖 使徒 パエルがロマ人 の許 に書 き送 った手 紙 の内 に『人 心 を以 て信 じ義 とせられ、口 を以 て承 け認 め救 る』〔ロマ十の十〕と申 されて有 りまする通 り信仰 を外 に表 しまする事 は救贖 を受 けまするに是非 とも必要 な事 なので御座 います。
問
- 答
何故 と申 しまして、若 し自分 の命 や金 が惜 い為 に自分 が正教会の信者 であることを他人 の前 に隠 して、自分 の信仰 を外 に表 す事 を嫌 ふ様 な人 なれば決 して神様 を誠 に信 じた信者 とは申 すことが出来 ないでは有 りませんか。
問
- 答
其 は人 の作 つた彫刻物 や、自 然 や、獣 などを神様 として拝 み、神様 は八百 萬 有 るものであるなどと申 して居 りまする間 違 つた教 を排 くる為 に特 に添 へて有 るので、是 れによつて私 共 が信 ずる神様 は世 界 に唯一 より外 無 い誠 の神様 であると云 ふことを明 かにしたので御座 います。
問
- 答
其 は主 のお弟子 であつた聖 使徒 パエルがコリンフ人 に書 き送 つた手 紙 の内 に斯 う謂 ふ様 に申 して有 るので御座 います『唯一 の神 の外 に他 に神 なし、蓋 所謂 諸神 、或 は天 に或 は地 に多 くの神 多 くの主 の如 き者 ありと雖 、然 れ共 我 等 には一 の神父 あり萬物 彼自 し我 等 彼 に帰 す』〔コリンフ前書八の五、六〕と、信経 の内 に謂 はれて御座 いまする文 句 は実 に聖書 の此処 からして採 つて来 たもので御座 います。
問
- 答
否 、幾何 研 べましても到底 も人間 には解 るものでは御座 いません、啻 に人間 許 りでは御座 いません、神様 の傍 に居 りまする神様 のお使 等 にも解 らないので御座 います。主 のお弟子 であつた聖 使徒 パエルは神様 の本体 の事 を教 へて言 はれましたには『神 は近 づく可 からざる光 に居 る者 、人 の未 だ嘗 て見 ず、又 見 ること能 はざる者 なり』〔テモヘイ前六の十六〕。
問
- 答
否 、神様 のお示 によりまして、神様 の御 本体 は目 で見 ることの出来 ない一 の霊 の様 なもので、限 りのない、少 しも悪 のない、何事 でも知 つてお居 でになる、至 つて正 しき、何事 でも出来 ないと謂 ふ事 のない、何処 にでもお居 でになる者 で有 りまして、何時 迄 も変 らぬ、凡 ての事 の皆 備 ってお居 でになる、至 と幸 ある者 で有 ると謂 ふ事丈 は解 って居 るので御座 います。
問
- 答
皆 な聖書 に書 いて有 ります、其 一 つ二 つの例 を挙 げて見 ませうならば、 - ▲
先 づ神様 の霊 で有 つて目 で見 ることの出来 ぬものでありますることはイオアンの福音 の内 に『神 は神 なり』〔四の二十四〕と申 して有 りまするし、神様 の限 りないもので有 ると謂 ふことは聖詠 の内 に『山 未 だ生 ぜず、爾 未 だ地 と全 世 界 とを造 らざる先 、且 世 より世 迄 も爾 は神 なり』〔聖詠八十九の三(詩篇九十の二)〕と謂 はれ、又 イオアンの黙 示 録 の内 に『聖 なる哉 、聖 なる哉 、聖 なる哉 、主 神 全能 者 、先 に在 りし今 在 り、後 に在 らんとする者 よ』〔四の八〕と申 されて有 りますし。 - ▲
神様 は善 なるもので、少 しも悪 と謂 ふものの無 い者 で有 ることに就 いては馬太 の福音 の内 に『独 り神 より外 に善 なる者 なし』〔十九の十七〕と申 されて有 りまするし。 - ▲
神様 は何 でも知 つてお居 でになることに就 いては、イオアンの公書 の内 に『神 は我 等 の心 より大 にして知 らざる所 なし』〔一書三の二十〕と申 されて有 りまするし。 - ▲
神様 の至 つて義 なることに就 いては『主 は義 にして義 を愛 し、其 顔 は義 人 を視 る』〔聖詠十の七(詩篇十一の七)〕と聖詠 に謂 はれて御座 いまするし。 - ▲
神様 の何事 でもお出来 になることに就 いては矢張 聖詠 の内 に『彼 言 へば則 成 り、命 ずれば則 顕 れたり』〔聖詠三十二の九(詩篇三十三の九)〕と謂 はれて有 りまするし。 - ▲
神様 の何時 迄 も変 なき事 はイアコフ公書 の内 に『彼 に変易 なく遷移 の影 もなし』〔一の十七〕と謂 はれて御座 いまするし。 - ▲
神様 の凡 てに満足 してお居 でになることに就 いては『神 は需 むる所 ある者 の如 くに人 の手 の奉事 を要 せず、自 ら生命 を呼吸 と萬物 とを以 て衆 に與 ふ〔行実十七の二十五(使徒行伝十七の二十五)〕と行実 に述 べて有 りまするし。 - ▲
神様 の至 と幸 なる者 なることはティモヘイ前書 の内 に聖 使徒 パエルが『有福 独一 権能 なる神 、諸王 の王 、諸主 の主 』〔六の十五〕と申 されて居 ます。
問
- 答
其 は人間 に解 り易 い様 に故意 と其様 な言 を用 いましたので、決 して神様 に目 や口 の有 る訳 はないので御座 います、其 でありまするから若 し聖書 に其様 な言 が御座 いましたならば其 言 は決 して通常 の意味 ではなく或 高尚 い意味 に解 き明 さなければならぬので御座 います。例 へて申 しますれば、神様 の目 とか耳 とか申 しますることは、神様 が何事 でも御 存 じで居 しやることを申 しましたもので、神様 の手 と申 しまするのは、神様 が何事 でも出来 ぬと謂 ふ物 のない事 を申 しましたもので御座 います。
問
- 答
成程 神様 は何処 にでもお居 にならぬ処 は無 いので御座 いますが、特更 聖書 の内 に神様 が天 と聖殿 の内 にお居 になると申 しましたのは、天 は私 共 の尊 く思 ふ処 で御座 いまするから、其所 に神様 のお居 になる様 に思 っても決 して神様 に相当 ぬことでは御座 いませんので、斯 様 申 しました訳 で、神様 は何処 にもお居 なさると単 に申 しましても人 には仲々 受 取 れませんので人 に解 り易 い様 に天 にお居 になると申 したので御座 います、神様 が聖殿 の内 にお居 になると申 しましたのは、聖殿 (聖堂 )は神様 に祈 祷 をしまする所 で御座 いまするので、其内 には神様 が冥々 の内 に御 顕 れなさるので神様 がお居 になると斯 う申 したので御座 います、此事 に就 きまして主 イイスス ハリストスも其 お弟子 に仰有 つたことがあるので御座 います。主 は其 お弟子 に向 つて仰有 るには『二人 或 は三人 の我 が名 に因 りて集 る処 には我 も其中 に在 るなり』〔マトヘイ十八の二十〕。
問
- 答
此 言 の深 い意味 を知 りまするには先 づ神様 の御 本体 の一 でありまして、其 位 が神父 、神 子 、神 聖神 の三 に分 れて居 りますること、及 び其 三 の者 の一 であつて分 れざるもので有 りますること、これを他 の言 で申 しますれば『聖 三者 』のことの教 を深 く研 べなければなりませぬ。
問
- 答
先 づマトヘイの福音 書 の内 に我主 イイスス ハリストスが其 お弟子 を傳道 にお遣 しになる時 に仰 せられました言 を記 して居 りまするには『爾 等 往 きて萬民 に教 を傳 へて彼 等 に父 と子 と聖神 との名 に因 りて洗 を授 けよ』〔マトヘイ二十八の十九〕と又 、イオアンの第一 公書 の内 には聖 三者 の事 に就 て『天 に在 りて證 をなす者 三 、父 なり、言 なり、聖神 なり、此 の三 の者 は一 なり〔五の七〕と申 して御座 います。
問 では旧約聖書の
- 答
有 りますが併 し新約聖書の内 に書 いて有 りまする様 に明 かに書 いては御座 いません、只 其 言 が聖 三者 の事 を謂 つたものと解釈 して始 めて解 るので御座 います。例 へばイサイヤの預 言書 の内 に『聖 なる哉 、聖 なる哉 、聖 なる哉 、主 サワオフ全 地 は其 光栄 をもて満 ち足 れり』〔六の三〕と申 す言 が御座 いますが、此 言 の内 で『聖 なる哉 』と謂 ふ言 を三 度 繰 り返 へされて御座 いますのは畢竟 聖 三者 を別々 に讃 めたもので有 りまして、次 の『主 サワオフ』と謂 ふ言 で其 三 の者 を一 の者 として述 べたので御座 います、此 様 な言 は旧約聖書の内 には未 だ未 だ沢山 御座 いますが、茲 には只 其 一 を取 ったので御座 います。
問
- 答
左様 で御座 います、誠 に解 り難 いことの様 で御座 いますが、前 にも申 しました通 り神様 のことは其 お使 にても知 ることの出来 ぬ程 に奥深 い者 で御座 いますから人 が其 を知 らうと致 しまするのが甚 だ無理 な話 で御座 います私 共 は神様 の事 は斯 うと信 ずれば宜 しいので、其 を理 屈 で理 会 しやうと致 すのは、神様 の御 尊厳 を犯 すもので御座 います、聖書 の内 に申 されて有 りまする通 り『人 の事 は其人 の内 に居 る心 の外 に誰 一人 知 つて居 る者 の有 りませぬ』様 に、『神 の事 は神 の神 の外 之 を知 る者 無 い』ので御座 います。〔コリンフ前二の十一〕
問
- 答
聖 三者 (神様 の三 の位 を一所 に合 せて此 う申 すので御座 います)の一 で有 りまする『神父 』の位 は、他 の位 から生 れも、出 でもしない物 で御座 いますが『神 子 』の位 は神父 より限 りなく生 るる物 で、『神 聖神 』は限 りなく『神父 』より出 る物 で御座 います。只 斯 う申 した許 りでは誠 に解 り難 う御座 いますが、此 を卑 い例 に取 つて申 しますれば神様 の三 の位 の関係 は太陽 の『本体 其物 』と、其 本体 から出 る『熱 』と其 本体 から発 する『光 』の様 な物 で、其三 の者 が有 つて初 めて太陽 と謂 ふ一 の物 が出来 て居 ると丁 度 同 じやうに神様 の三 の位 は互 に離 れず、混 ぜず、何時 迄 も今 申 した様 な関係 を保 って居 るので御座 います。
問
- 答 いいえ
些 も上下 は無 いので御座 います神父 が真 の神様 で有 りますと均 しく神 子 も真 の神様 で有 りまするし、神 聖神 も又 真 の神様 で御座 います、畢竟 三 と申 しまする許 で其実 一 の神様 なので御座 いまするから、其 資 格 に上 下 の有 る訳 は無 いので御座 います。
問
- 答
神様 を『全能 者 』と申 しまするのは、神様 が何事 でもお出来 になるからなので、尚 ほ他 の言 を以 て申 しますれば、世 界 の中 に在 る有 ゆる物 は凡 て神様 の御手 の力 の内 に在 るので御座 いまするので、斯 く申 した訳 なので御座 います。
問 『
- 答
其 は前 にも申 しました通 り此 世 の凡 ての物 、即 ち私 共 が目 で見 る天 でも地 でも皆 神様 のお創 りになったもので、決 して天然 自 然 に出来 たものでは有 りませぬ、其 れで有 りまするから世 界 の凡 の物 は神様 の御 支 配 の下 を離 れたならば一時 でも世 の中 に存在 する事 の出来 ぬものなので御座 います、畢竟 『天 と地 と見 ゆると見 えざる萬物 を創 りし主 を』とは、私 共 の信 ずる神様 は世 界 の凡 の物 を御 創 になった神様 で有 ると謂 ふことを申 したもので御座 います、そして信経 の此 言 は、旧約 聖書 の創世 記 の初 に在 る『初 に神 天 地 を創造 す』と申 しまする文 句 から取 ったもので御座 います。
問 『
- 答
見 えざる物 と申 しまするのは神様 のお使 や、其 お使 の居 りまする霊 の世 界 の様 なものを申 すので御座 います。
問
- 答
神様 のお使 とは神様 の種々 の御 命令 を行 ふが為 に特別 に神様 のお創 りになった目 に見 えぬ霊 で有 りまして、人 よりも智慧 の有 る意思 の強 い、力 の有 る物 なので御座 います。
問 『
- 答
其 は『見 えざる物 』の方 が先 に造 られたので御座 います。
問
- 答
有 ります聖詠 の内 に斯 う書 いて御座 います『爾 の為 に其 天使 に命 じて、……爾 を守 らしめん』〔聖詠九十の十一(詩篇九十一の十一)〕
問
- 答
左様 で御座 いますとも、生 れた許 りの赤児 でも何 でも皆 、其 神様 のお使 が整然 守 って居 るので御座 います。此事 に就 きまして嘗 って主 イイスス ハリストスが其 お弟子 に仰 せられたお言 が御座 います、『慎 みて此 小子 の一人 をも軽 ずる勿 れ、蓋 、我 爾 等 に語 ぐ彼 等 の天使 等 は天 に於 て常 に我 が天 の父 の顔 を観 る』〔馬太十八の十〕此 言 は実 に小 さい小児 でも神様 のお使 は整然 其 小児 を守 って居 ると謂 ふ事 を申 されたもので御座 います。
問
- 答 いいえ
悪 い者 も居 るので御座 います、けれども其様 な者 は神様 のお使 とは申 しませぬ、其 う謂 ふ様 な者 は『悪 魔 』と申 しまして固 とは善 かったので御座 いますが、或事 から堕 落 して遂 に悪 い者 に成下 ったので御座 います。
問
- 答
此 悪 魔 も固 と神様 に造 られました当 座 は誠 に善 い神様 のお使 で有 ったので御座 いましたが、自 分 の身 が余 り自 由 で何 一 つ不 足 を感 ずる様 な事 が御座 いませぬので、遂 に傲 の気 を起 しまして、神様 の命 に従 ふことを厭 ふ様 になりましたので御座 います、其 れからと申 しますものは神様 の許 を全 く離 れて自分 の思 ふ儘 のことをして遂 に悪 魔 と謂 はるる様 な者 に迄 堕 落 したので御座 います。
問
- 答
日常 悪 い事 許 り企 てて人 を悪 い方 に導 いて、人 を堕 落 せしめ様 、堕 落 せしめ様 と許 り思 って居 る者 で御座 います、聖書 の内 にイイスス ハリストスは悪 魔 のことを『誑 者 、誑 の父 』〔イオアン八の四十四〕と仰 せられましたが、実 に其 通 で御座 いまして悪 魔 の言 ったり、行 ったりすることに、真実 と申 すものは全 く無 いので御座 います。
問
- 答
其事 は聖書 の内 に整然 書 いて御座 います、未 だ神様 が此 世 界 をお創 りにならない前 は、今 の天 とか地 とか謂 ふ様 なものは何 も無 かったので御座 いまして、神様 は実 に何 も無 い処 から今 私 共 が見 る様 な天 地 萬物 をお創 りになったので御座 います、神様 は天 地 萬物 を七 日 の内 にお創 りになったので御座 いますが、其 第一日 目 にお創 りになったのは『光 』で二日 目 には今 の見 ゆる蒼穹 をお創 りになり、第 三日 目 には地 球 の上 の河 とか海 とか湖 とか、陸 とか草 や木 をお創 りになり、第 四日 目 には太陽 や月 や星 をお創 りになり、第 五日 目 には魚 と鳥 、第 六日 目 には陸 に棲 む獣 をお創 りになり、そして人間 を一番 終 にお創 りになったので御座 います。七日 目 には神様 は何事 をも為 されず、御自 身 のお創 りになった萬物 を御 覧 になって御 満足 なされ、其 一日 はおやすみになったので御座 います、其 日 は昔 のエウレイ国 では『スボタ』(安息日)と申 しまして業 を休 みましたもので、今日 の日曜 日 は実 に其 日 なので御座 います。
問
- 答
左様 で御座 います、其時 は未 だ人 の堕 落 しない時 なので御座 いますから、地 上 の凡 ての物 も少 も悪 に染 んで居 りませぬので、至 極 美 しく潔 いもので御座 いました。
問
- 答
其事 は申 す迄 も御座 いませぬ、人間 は萬物 の霊長 となるべきもので御座 いますから神様 も其 をお創 りになるには、他 の物 よりも余 程 鄭重 にお創 りになったので御座 います。三 位 の神様 は先 づ人間 をお創 りになる前 に互 に御 相談 なさって『我 等 に象 り我 等 の像 の如 くに我 等 人 を造 るべし』〔創世記一の二十六〕と即 ち神様 は人間 を御 自 分 の象 と像 とに肖 せて造 らうと謂 ふことを御 相談 なさった後 、人間 の中 の一番 初 の人 で有 りまするアダムを土 を以 てお創 りになり、其 面 に御 自 分 の気 を吹 き掛 けなさって、其 に命 を御 與 へになり、其 アダムを楽 しき園 の内 にお置 きになり、其 食物 としては種々 の美 しき果実 をお創 りになってアダムに御 與 へになりましたと同 時 に、アダムが寝 むって居 りまする間 に其 脇腹 の骨 を取 ってエワと申 しまする女 をお創 りになり此 をアダムの妻 となさったので御座 います。
問
- 答
神様 が人 を己 の像 に肖 せてお創 りになったと申 しましても別 に、神様 が御 自分 の目 や耳 や口 を型 にして人 の目 や耳 や口 をお創 りになったと謂 ふ訳 では無 いので御座 います、前 にも申 しました通 り神様 には目 も口 も耳 も無 いので御座 います、神様 が人 を其 像 に肖 せてお創 りになったとは神様 が人間 をお創 りになりまする時 に人 の心 の内 に御 自分 の美 しい少 しも曇 ない大 御 心 の影 をお移 しになった事 を申 しまするので、聖 使徒 パエルの言 によりますれば、神様 の像 とは『真実 の義 と聖 』〔エヘス四の二十四〕なので御座 います。
問
- 答
其 は人 の内 に在 る霊魂 のことで御座 います。
問
- 答
此事 は尤 も神様 の深 き配慮 より出 ましたことで、若 し男 と女 が本 と全 く別 な物 で御座 いますなれば、人間 の本 が二 つ有 るので御座 いますから、私 共 人間 は互 に皆 な兄弟 で有 ると申 すことが出来 ないので御座 います、畢竟 神様 が女 を男 の体 を分 けてお創 りになりましたのは、男 と女 が天然 自然 に知 ず識 ず互 に助 け合 って行 く様 な性質 を備 へる為 なので御座 います。
問
- 答
何 うか人間 が神様 を常 に忘 れず、神様 を愛 して、其徳 を讃 め称 へて何時 迄 も何時 迄 も人間 が幸福 である様 にとの御 考 で有 ったので御座 いました。
問
- 答
否 、附 けて有 るので御座 います、其様 な御 考 を神様 の『御 預 定 』と申 して居 ります。
問
- 答
否 、決 して変 ったのでは御座 いません、成程 今日 人間 には種々 な苦労 が御座 いまして皆 な幸福 でない様 で御座 いますが、其 はアダムが罪 を犯 した為 に誠 に不 規 則 になりましたので、一寸 考 へますると人 は誠 に詰 らぬ者 の様 に思 はれまするが、併 し能 く考 へて見 ますれば、苦労 は只 外形 許 りで其 内 部 は矢 張 幸福 なもので御座 います、特 に神様 は其 独 子 でありまするイイスス・ハリストスを此 世 にお降 になってアダムが犯 した為 に不 規 則 になりました不 幸福 の代 りに、尚 其 に十 倍 する誠 の幸福 に至 る道 を私 共 にお授 けになったので御座 います、其 れで御座 いまするから、神様 が人 を造 る初 に御 考 へになった御 考 は決 して今日 も変 って居 る訳 では御座 いませぬ。
問
- 答
何時 迄 もお目 をお掛 けになって居 るので御座 います。教会では其事 を神様 の御 照管 と申 して居 ります、神様 は其 お創 りになりました物 の事 を常 に御 心 に懸 けて御居 でになり其物 をお守 りになって善 い方 に向 かふ様 にと御 思召 で入 しやるので御座 います。
問
- 答
否 、尤 も明 かに書 いて御座 います、イイスス・ハリストスの御 言 の内 に、『試 に天空 の鳥 を観 よ彼 等 は稼 かず穡 らず倉 に積 まず、而 して爾 等 の父 は之 を養 ふ、爾 等 は彼 等 より甚 だ貴 きに非 ずや』〔マトヘイ六の二十六〕と申 す言 が御座 いますが、此 言 は神様 の『御 照管 』が今 も常 に在 る事 を示 して居 りますると共 に、其 神様 の御 照管 は啻 に人間 や高等 の獣 の上 ばかりでなく、鳥 や虫 の上 にも注 がれて居 ることを示 したもので御座 います。