ヤコブの書(文語訳)

<文語訳新約聖書

w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:大正改訳聖書

ヤコブの書

第1章

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神および主イエス・キリストの僕ヤコブ、散り居る十二の族の平安を祈る。

わが兄弟よ、なんぢら各樣の試錬に遭ふとき、只管これを歡喜とせよ。

そは汝らの信仰の驗は、忍耐を生ずるを知ればなり。

忍耐をして全き活動をなさしめよ。これ汝らが全くかつ備りて、缺くる所なからん爲なり。

汝らの中もし智慧の缺くる者あらば、咎むることなくまた惜む事なく、凡ての人に與ふる神に求むべし、さらば與へられん。

但し疑ふことなく、信仰をもて求むべし。疑ふ者は、風に動かされて翻へる海の波のごときなり。

かかる人は主より何物をも受くと思ふな。

斯かる人は二心にして、凡てその歩むところの途定りなし。

卑き兄弟は、おのが高くせられたるを喜べ。

富める者は、おのが卑くせられたるを喜べ。そは草の花のごとく過ぎゆくべければなり。

日出で熱き風吹きて草を枯らせば、花落ちてその麗しき姿ほろぶ。富める者もまた斯くのごとく、その途の半にして己まづ消え失せん。

試錬に耐ふる者は幸福なり、之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に、約束し給ひし生命の冠冕を受くべければなり。

人誘はるるとき『神われを誘ひたまふ』と言ふな、神は惡に誘はれ給はず、又みづから人を誘ひ給ふことなし。

人の誘はるるは己の慾に引かれて惑さるるなり。

慾孕みて罪を生み、罪成りて死を生む。

わが愛する兄弟よ、自ら欺くな。

凡ての善き賜物と凡ての全き賜物とは、上より、もろもろの光の父より降るなり。父は變ることなく、また囘轉の影もなき者なり。

その造り給へる物の中にて我らを初穗のごとき者たらしめんとて、御旨のままに眞理の言をもて、我らを生み給へり。

わが愛する兄弟よ、汝らは之を知る。されば、おのおの聽くことを速かにし、語ることを遲くし、怒ることを遲くせよ。

人の怒は神の義を行はざればなり。

されば凡ての穢と溢るる惡とを捨て、柔和をもて其の植ゑられたる所の靈魂を救ひ得る言を受けよ。

ただ御言を聞くのみにして、己を欺く者とならず、之を行ふ者となれ。

それ御言を聞くのみにして之を行はぬ者は、鏡にて己が生來の顏を見る人に似たり。

己をうつし見て立ち去れば、直ちにその如何なる姿なりしかを忘る。

されど全き律法、すなはち自由の律法を懇ろに見て離れぬ者は、業を行ふ者にして、聞きて忘るる者にあらず、その行爲によりて幸福ならん。

人もし自ら信心ふかき者と思ひて、その舌に轡を著けず、己が心を欺かば、その信心は空しきなり。

父なる神の前に潔くして穢なき信心は、孤兒と寡婦とをその患難の時に見舞ひ、また自ら守りて世に汚されぬ是なり。

第2章

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わが兄弟よ、榮光の主なる我らの主イエス・キリストに對する信仰を保たんには、人を偏り視るな。

金の指輪をはめ華美なる衣を著たる人、なんぢらの會堂に入りきたり、また粗末なる衣を著たる貧しき者いり來らんに、

汝等その華美なる衣を著たる人を重んじ視て『なんぢ此の善き處に坐せよ』と言ひ、また貧しき者に『なんぢ彼處に立つか、又はわが足下に坐せよ』と言はば、

汝らの中にて區別をなし、また惡しき思をもてる審判人となるに非ずや。

わが愛する兄弟よ、聽け、神は世の貧しき者を選びて信仰に富ませ、神を愛する者に約束し給ひし國の世繼たらしめ給ひしに非ずや。

然るに汝らは貧しき者を輕んじたり、汝らを虐げ、また裁判所に曳くものは、富める者にあらずや。

彼らは汝らの上に稱へらるる尊き名を汚すものに非ずや。

汝等もし聖書にある『おのれの如く汝の隣を愛すべし』との尊き律法を全うせば、その爲すところ善し。

されど若し人を偏り視れば、これ罪を行ふなり。律法、なんぢらを犯罪者と定めん。

人、律法全體を守るとも、その一つに躓かば是すべてを犯すなり。

それ『姦淫する勿れ』と宣ひし者、また『殺す勿れ』と宣ひたれば、なんぢ姦淫せずとも、若し人を殺さば律法を破る者となるなり、

なんぢら自由の律法によりて審かれんとする者のごとく語り、かつ行ふべし。

憐憫を行はぬ者は憐憫なき審判を受けん、憐憫は審判にむかひて勝ち誇るなり。

わが兄弟よ、人みづから信仰ありと言ひて、もし行爲なくば何の益かあらん、かかる信仰は彼を救ひ得んや。

もし兄弟或は姉妹、裸體にて日用の食物に乏しからんとき、

汝等のうち、或人これに『安らかにして往け、温かなれ、飽くことを得よ』といひて體に無くてならぬ物を與へずば、何の益かあらん。

斯くのごとく信仰もし行爲なくば、死にたる者なり。

人もまた言はん『なんぢ信仰あり、われ行爲あり、汝の行爲なき信仰を我に示せ、我わが行爲によりて信仰を汝に示さん』と。

なんぢ神は唯一なりと信ずるか、かく信ずるは善し、惡鬼も亦信じて慄けり。

ああ虚しき人よ、なんぢ行爲なき信仰の徒然なるを知らんと欲するか。

我らの父アブラハムはその子イサクを祭壇に献げしとき、行爲によりて義とせられたるに非ずや。

なんぢ見るべし、その信仰、行爲と共にはたらき、行爲によりて全うせられたるを。

またアブラハム神を信じ、その信仰を義と認められたりと云へる聖書は成就し、かつ彼は神の友と稱へられたり。

かく人の義とせらるるは、ただ信仰のみに由らずして行爲に由ることは、汝らの見る所なり。

また遊女ラハブも使者を受け、これを他の途より去らせたるとき、行爲によりて義とせられたるに非ずや。

靈魂なき體の死にたる者なるが如く、行爲なき信仰も死にたるものなり。

第3章

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わが兄弟よ、なんぢら多く教師となるな。教師たる我らの更に嚴しき審判を受くることを、汝ら知ればなり。

我らは皆しばしば躓く者なり、人もし言に蹉跌なくば、これ全き人にして全身に轡を著け得るなり。

われら馬を己に馴はせんために轡をその口に置くときは、その全身を馭し得るなり。

また船を見よ、その形は大く、かつ激しき風に追はるるとも、最小き舵にて舵人の欲するままに運すなり。

斯くのごとく舌もまた小きものなれど、その誇るところ大なり。視よ、いかに小き火の、いかに大なる林を燃すかを。

舌は火なり、不義の世界なり、舌は我らの肢體の中にて、全身を汚し、また地獄より燃え出でて一生の車輪を燃すものなり。

獸・鳥・匍ふもの・海にあるもの等、さまざまの種類みな制せらる、既に人に制せられたり。

されど誰も舌を制すること能はず、舌は動きて止まぬ惡にして死の毒の滿つるものなり。

われら之をもて主たる父を讃め、また之をもて神に象りて造られたる人を詛ふ。

讃美と呪詛と同じ口より出づ。わが兄弟よ、かかる事はあるべきにあらず。

泉は同じ穴より甘き水と苦き水とを出さんや。

わが兄弟よ、無花果の樹オリブの實を結び、葡萄の樹、無花果の實を結ぶことを得んや。斯くのごとく鹽水は甘き水を出すこと能はず。

汝等のうち智くして慧き者は誰なるか、その人は善き行状により柔和なる智慧をもて行爲を顯すべし。

されど汝等もし心のうちに苦き妬と黨派心とを懷かば、誇るな、眞理に悖りて僞るな。

かかる智慧は上より下るにあらず、地に屬し、情慾に屬し、惡鬼に屬するものなり。

妬と黨派心とある所には亂と各樣の惡しき業とあればなり。

されど上よりの智慧は第一に潔よく、次に平和・寛容・温順また憐憫と善き果とに滿ち、人を偏り視ず、虚僞なきものなり。

義の果は平和をおこなふ者の平和をもて播くに因るなり。

第4章

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汝等のうちの戰爭は何處よりか、分爭は何處よりか、汝らの肢體のうちに戰ふ慾より來るにあらずや。

汝ら貪れども得ず、殺すことをなし、妬むことを爲れども得ること能はず、汝らは爭ひまた戰す。汝らの得ざるは求めざるに因りてなり。

汝ら求めてなほ受けざるは慾のために費さんとて妄に求むるが故なり。

姦淫をおこなふ者よ、世の友となるは、神に敵するなるを知らぬか、誰にても世の友とならんと欲する者は、己を神の敵とするなり。

聖書に『神は我らの衷に住ませ給ひし靈を、妬むほどに慕ひたまふ』と云へるを虚しきことと汝ら思ふか。

神は更に大なる恩惠を賜ふ。されば言ふ『神は高ぶる者を拒ぎ、へりくだる者に恩惠を與へ給ふ』と。

この故に汝ら神に服へ、惡魔に立ち向へ、さらば彼なんぢらを逃げ去らん。

神に近づけ、さらば神なんぢらに近づき給はん。罪人よ、手を淨めよ、二心の者よ、心を潔よくせよ。

なんぢら惱め、悲しめ、泣け、なんぢらの笑を悲歎に、なんぢらの歡喜を憂に易へよ。

主の前に己を卑うせよ、然らば主なんぢらを高うし給はん。

兄弟よ、互に謗るな。兄弟を謗る者、兄弟を審く者は、これ律法を誹り、律法を審くなり。汝もし律法を審かば、律法をおこなふ者にあらずして審判人なり。

立法者また審判者は唯一人にして、救ふことをも滅ぼすことをも爲し得るなり。なんぢ誰なれば隣を審くか。

聽け『われら今日もしくは明日それがしの町に往きて、一年の間かしこに留り、賣買して利を得ん』と言ふ者よ、

汝らは明日のことを知らず、汝らの生命は何ぞ、暫く現れて遂に消ゆる霧なり。

汝等その言ふところに易へて『主の御意ならば、我ら活きて此のこと、或は彼のことを爲さん』と言ふべきなり。

されど今なんぢらは高ぶりて誇る、斯くのごとき誇はみな惡しきなり。

人善を行ふことを知りて、之を行はぬは罪なり。

第5章

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聽け、富める者よ、なんぢらの上に來らんとする艱難のために泣きさけべ。

汝らの財は朽ち、汝らの衣は蠧み、

汝らの金銀は錆びたり。この錆なんぢらに對ひて證をなし、かつ火のごとく汝らの肉を蝕はん。汝等この末の世に在りてなほ財を蓄へたり。

視よ、汝等がその畑を刈り入れたる勞動人に拂はざりし値は叫び、その刈りし者の呼聲は萬軍の主の耳に入れり。

汝らは地にて奢り樂しみ、屠らるる日に在りて尚おのが心を飽かせり。

汝らは正しき者を罪に定め、且これを殺せり、彼は汝らに抵抗することなし。

兄弟よ、主の來り給ふまで耐へ忍べ。視よ、農夫は地の貴き實を、前と後との雨を得るまで耐へ忍びて待つなり。

汝らも耐へ忍べ、なんぢらの心を堅うせよ。主の來り給ふこと近づきたればなり。

兄弟よ、互に怨言をいふな、恐らくは審かれん。視よ、審判主、門の前に立ちたまふ。

兄弟よ、主の名によりて語りし預言者たちを苦難と耐忍との模範とせよ。

視よ、我らは忍ぶ者を幸福なりと思ふ。なんぢらヨブの忍耐を聞けり、主の彼に成し給ひし果を見たり、即ち主は慈悲ふかく、かつ憐憫あるものなり。

わが兄弟よ、何事よりも先づ誓ふな、或は天、あるひは地、あるひは其の他のものを指して誓ふな。只なんぢら然りは然り否は否とせよ、罪に定めらるる事なからん爲なり。

汝等のうち苦しむ者あるか、その人、祈せよ。喜ぶ者あるか、その人、讃美せよ。

汝等のうち病める者あるか、その人、教會の長老たちを招け。彼らは主の名により其の人に油をぬりて祈るべし。

さらば信仰の祈は病める者を救はん、主かれを起し給はん、もし罪を犯しし事あらば赦されん。

この故に互に罪を言ひ表し、かつ癒されんために相互に祈れ、正しき人の祈ははたらきて大なる力あり。

エリヤは我らと同じ情をもてる人なるに、雨降らざることを切に祈りしかば、三年六个月のあひだ地に雨降らざりき。

かくて再び祈りたれば、天雨を降らし、地その果を生ぜり。

わが兄弟よ、汝等のうち眞理より迷ふ者あらんに、誰か之を引囘さば、

その人は知れ、罪人をその迷へる道より引囘す者は、かれの靈魂を死より救ひ、多くの罪を掩ふことを。