マタイ傳福音書(文語訳)

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w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:大正改訳聖書

マタイ傳福音書

第1章

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アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系圖。

アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み、ヤコブ、ユダとその兄弟らとを生み、

ユダ、タマルによりてパレスとザラとを生み、パレス、エスロンを生み、エスロン、アラムを生み、

アラム、アミナダブを生み、アミナダブ、ナアソンを生み、ナアソン、サルモンを生み、

サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エツサイを生み、

エツサイ、ダビデ王を生めり。 ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み、

ソロモン、レハベアムを生み、レハベアム、アビヤを生み、アビヤ、アサを生み、

アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウジヤを生み、

ウジヤ、ヨタムを生み、ヨタム、アハズを生み、アハズ、ヒゼキヤを生み、

ヒゼキヤ、マナセを生み、マナセ、アモンを生み、アモン、ヨシヤを生み、

バビロンに移さるる頃、ヨシヤ、エコニヤとその兄弟らとを生めり。

バビロンに移されて後、エコニヤ、サラテルを生み、サラテル、ゾロバベルを生み、

ゾロバベル、アビウデを生み、アビウデ、エリヤキムを生み、エリヤキム、アゾルを生み、

アゾル、サドクを生み、サドク、アキムを生み、アキム、エリウデを生み、

エリウデ、エレアザルを生み、エレアザル、マタンを生み、マタン、ヤコブを生み、

ヤコブ、マリヤの夫ヨセフを生めり。 此のマリヤよりキリストと稱ふるイエス生れ給へり。

されば總て世をふる事、アブラハムよりダビデまで十四代、ダビデよりバビロンに移さるるまで十四代、バビロンに移されてよりキリストまで十四代なり。

イエス・キリストの誕生は左のごとし。 その母マリヤ、ヨセフと許嫁したるのみにて、未だ偕にならざりしに、聖靈によりて孕り、その孕りたること顯れたり。

夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、私に離縁せんと思ふ。

かくて、これらの事を思ひ囘らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納るる事を恐るな。 その胎に宿る者は聖靈によるなり。

かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。 己が民をその罪より救ひ給ふ故なり』

すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、

『視よ、處女みごもりて子を生まん。
その名はインマヌエルと稱へられん』之を釋けば、神われらと偕に在すといふ意なり。

ヨセフ寐より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。

されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。

第2章

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イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來りて言ふ、

『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處に在すか。 我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり』

ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆然り。

王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處に生るべきを問ひ質す。

かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。 それは預言者によりて、

「ユダの地ベツレヘムよ、汝は
ユダの長たちの中にて最小き者にあらず、
汝の中より一人の君いでて、
わが民イスラエルを牧せん」

と録されたるなり』

ここにヘロデ密に博士たちを招きて、星の現れし時を詳細にし、

彼らをベツレヘムに遣さんとして言ふ『往きて幼兒のことを細にたづね、之にあはば我に告げよ。 我も往きて拜せん』

彼ら王の言をききて往きしに、視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る。

かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、

家に入りて、幼兒のその母マリヤと偕に在すを見、平伏して拜し、かつ寶の匣をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物を献げたり。

かくて夢にてヘロデの許に返るなとの御告を蒙り、ほかの路より己が國に去りゆきぬ。

その去り往きしのち、視よ、主の使、夢にてヨセフに現れていふ『起きて、幼兒とその母とを携へ、エジプトに逃れ、わが告ぐるまで彼處に留れ。 ヘロデ幼兒を索めて亡さんとするなり』

ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき、

ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。 これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。

ここにヘロデ、博士たちに賺されたりと悟りて、甚だしく憤ほり、人を遣し、博士たちに由りて詳細にせし時を計り、ベツレヘム及び凡てその邊の地方なる、二歳以下の男の兒をことごとく殺せり。

ここに預言者エレミヤによりて云はれたる言は成就したり。 曰く、

『聲ラマにありて聞ゆ、
慟哭なり、いとどしき悲哀なり。
ラケル己が子らを歎き、
子等のなき故に慰めらるるを厭ふ』

ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ、

『起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地にゆけ。 幼兒の生命を索めし者どもは死にたり』

ヨセフ起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地に到りしに、

アケラオその父ヘロデに代りてユダヤを治むと聞き、彼處に往くことを恐る。 また夢にて御告を蒙り、ガリラヤの地方に退き、

ナザレといふ町に到りて住みたり。 これは預言者たちに由りて、『彼はナザレ人と呼ばれん』と云はれたる言の成就せん爲なり。

第3章

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その頃バプテスマのヨハネ來り、ユダヤの荒野にて教を宣べて言ふ

『なんぢら悔改めよ、天國は近づきたり』

これ預言者イザヤによりて、斯く云はれし人なり、曰く

『荒野に呼はる者の聲す
「主の道を備へ、
その路すぢを直くせよ」』

このヨハネは駱駝の毛織衣をまとひ、腰に皮の帶をしめ、蝗と野蜜とを食とせり。

ここにエルサレム及びユダヤ全國、またヨルダンの邊なる全地方の人々、ヨハネの許に出できたり、

罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり。

ヨハネ、パリサイ人およびサドカイ人のバプテスマを受けんとて、多く來るを見て、彼らに言ふ『蝮の裔よ、誰が汝らに、來らんとする御怒を避くべき事を示したるぞ。

さらば悔改に相應しき果を結べ。

汝ら「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言はんと思ふな。 我なんぢらに告ぐ、神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給ふなり。

斧ははや樹の根に置かる。 されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし。

我は汝らの悔改のために、水にてバプテスマを施す。 されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。

手には箕を持ちて禾場をきよめ、その麥は倉に納め、殼は消えぬ火にて燒きつくさん』

ここにイエス、ヨハネにバプテスマを受けんとて、ガリラヤよりヨルダンに來り給ふ。

ヨハネ之を止めんとして言ふ『われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか』

イエス答へて言ひたまふ『今は許せ、われら斯く正しき事をことごとく爲遂ぐるは、當然なり』ヨハネ乃ち許せり。

イエス、バプテスマを受けて直ちに水より上り給ひしとき、視よ、天ひらけ、神の御靈の、鴿のごとく降りて己が上にきたるを見給ふ。

また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』

第4章

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ここにイエス御靈によりて荒野に導かれ給ふ、惡魔に試みられんとするなり。

四十日四十夜斷食して、後に飢ゑたまふ。

試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ』

答へて言ひ給ふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」と録されたり』

ここに惡魔イエスを聖なる都につれゆき、宮の頂上に立たせて言ふ、

『汝もし神の子ならば己が身を下に投げよ。 それは

「なんぢの爲に御使たちに命じ給はん。
彼ら手にて汝を支へ、その足を
石にうち當つること無からしめん」

と録されたるなり』

イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』

惡魔またイエスを最高き山につれゆき、世のもろもろの國と、その榮華とを示して言ふ、

『汝もし平伏して我を拜せば、此等を皆なんぢに與へん』

ここにイエス言ひ給ふ『サタンよ、退け「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事へ奉るべし」と録されたるなり』

ここに惡魔は離れ去り、視よ、御使たち來り事へぬ。

イエス、ヨハネの囚はれし事をききて、ガリラヤに退き、

後ナザレを去りて、ゼブルンとナフタリとの境なる、海邊のカペナウムに到りて住み給ふ。

これは預言者イザヤによりて云はれたる言の成就せん爲なり。 曰く

『ゼブルンの地、ナフタリの地、
海の邊、ヨルダンの彼方、
異邦人のガリラヤ、
暗きに坐する民は、大なる光を見、
死の地と死の蔭とに坐する者に、光のぼれり』

この時よりイエス教を宣べはじめて言ひ給ふ『なんぢら悔改めよ、天國は近づきたり』

かくて、ガリラヤの海邊をあゆみて、二人の兄弟ペテロといふシモンとその兄弟アンデレとが、海に網うちをるを見給ふ、かれらは漁人なり。

これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』

かれら直ちに網をすてて從ふ。

更に進みゆきて、また二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父ゼベダイとともに舟にありて網を繕ひをるを見て呼び給へば、

直ちに舟と父とを置きて從ふ。

イエスあまねくガリラヤを巡り、會堂にて教をなし、御國の福音を宣べつたへ、民の中のもろもろの病、もろもろの疾患をいやし給ふ。

その噂あまねくシリヤに弘り、人々すべての惱めるもの、即ちさまざまの病と苦痛とに罹れるもの、惡鬼に憑かれたるもの、癲癇および中風の者などを連れ來りたれば、イエス之を醫したまふ。

ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの彼方より、大なる群衆きたり從へり。

第5章

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イエス群衆を見て、山にのぼり、座し給へば、弟子たち御許にきたる。

イエス口をひらき、教へて言ひたまふ、

『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。
幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。
幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。
幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん。
幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。
幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。

我がために、人なんぢらを罵り、また責め、詐りて各樣の惡しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。

喜びよろこべ、天にて汝らの報は大なり。汝等より前にありし預言者たちをも、斯く責めたりき。

汝らは地の鹽なり、鹽もし效力を失はば、何をもてか之に鹽すべき。後は用なし、外にすてられて人に蹈まるるのみ。

汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし。

また人は燈火をともして升の下におかず、燈臺の上におく。かくて燈火は家にある凡ての物を照すなり。

かくのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。これ人の汝らが善き行爲を見て、天にいます汝らの父を崇めん爲なり。

われ律法また預言者を毀つために來れりと思ふな。毀たんとて來らず、反つて成就せん爲なり。

誠に汝らに告ぐ、天地の過ぎ往かぬうちに、律法の一點、一畫も廢ることなく、ことごとく全うせらるべし。

この故にもし此等のいと小き誡命の一つをやぶり、且その如く人に教ふる者は、天國にて最小き者と稱へられ、之を行ひ、かつ人に教ふる者は、天國にて大なる者と稱へられん。

我なんぢらに告ぐ、汝らの義、學者・パリサイ人に勝らずば、天國に入ること能はず。

古への人に「殺すなかれ、殺す者は審判にあふべし」と云へることあるを汝等きけり。

されど我は汝らに告ぐ、すべて兄弟を怒る者は、審判にあふべし。また兄弟に對ひて、愚者よといふ者は、衆議にあふべし。また痴者よといふ者は、ゲヘナの火にあふべし。

この故に汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思ひ出さば、

供物を祭壇のまへに遺しおき、先づ往きて、その兄弟と和睦し、然るのち來りて、供物をささげよ。

なんぢを訴ふる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴ふる者なんぢを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんぢは獄に入れられん。

まことに汝に告ぐ、一厘ものこりなく償はずば、其處をいづること能はじ。

「姦淫するなかれ」と云へることあるを汝等きけり。

されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり。

もし右の目なんぢを躓かせば、抉り出して棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。

もし右の手なんぢを躓かせば、切りて棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに往かぬは益なり。

また「妻をいだす者は離縁状を與ふべし」と云へることあり。

されど我は汝らに告ぐ、淫行の故ならで其の妻をいだす者は、これに姦淫を行はしむるなり。また出されたる女を娶るものは、姦淫を行ふなり。

また古への人に「いつはり誓ふなかれ、なんぢの誓は主に果すべし」と云へる事あるを汝ら聞けり。

されど我は汝らに告ぐ、一切ちかふな、天を指して誓ふな、神の御座なればなり。

地を指して誓ふな、神の足臺なればなり。エルサレムを指して誓ふな、大君の都なればなり。

己が頭を指して誓ふな、なんぢ頭髮一筋だに白くし、また黒くし能はねばなり。

ただ然り然り、否否といへ、之に過ぐるは惡より出づるなり。

「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。

されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。

なんぢを訟へて下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。

人もし汝に一里ゆくことを強ひなば、共に二里ゆけ。

なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな。

「なんぢの隣を愛し、なんぢの仇を憎むべし」と云へることあるを汝等きけり。

されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。

これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。

なんぢら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然するにあらずや。

兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。

さらば汝らの天の父の全きが如く、汝らも全かれ。

第6章

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汝ら見られんために己が義を人の前にて行はぬやうに心せよ。然らずば、天にいます汝らの父より報を得じ。

さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり。

汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな。

是はその施濟の隱れん爲なり。さらば隱れたるに見たまふ汝の父は報い給はん。

なんぢら祈るとき、僞善者の如くあらざれ。彼らは人に顯さんとて、會堂や大路の角に立ちて祈ることを好む。誠に汝らに告ぐ、かれらは既にその報を得たり。

なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。

また祈るとき、異邦人の如くいたづらに言を反復すな。彼らは言多きによりて聽かれんと思ふなり。

さらば彼らに效ふな、汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ。

この故に汝らは斯く祈れ。「天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を。

御國の來らんことを。御意の天のごとく地にも行はれん事を。

我らの日用の糧を今日もあたへ給へ。

我らに負債ある者を我らの免したる如く、我らの負債をも免し給へ。

我らを嘗試に遇はせず、惡より救ひ出したまへ」

汝等もし人の過失を免さば、汝らの天の父も汝らを免し給はん。

もし人を免さずば、汝らの父も汝らの過失を免し給はじ。

なんぢら斷食するとき、僞善者のごとく、悲しき面容をすな。彼らは斷食することを人に顯さんとて、その顏色を害ふなり。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり。

なんぢは斷食するとき、頭に油をぬり、顏をあらへ。

これ斷食することの人に顯れずして、隱れたるに在す汝の父にあらはれん爲なり。さらば隱れたるに見たまふ汝の父は報い給はん。

なんぢら己がために財寶を地に積むな、ここは蟲と錆とが損ひ、盜人うがちて盜むなり。

なんぢら己がために財寶を天に積め、かしこは蟲と錆とが損はず、盜人うがちて盜まぬなり。

なんぢの財寶のある所には、なんぢの心もあるべし。

身の燈火は目なり。この故に汝の目ただしくば、全身あかるからん。

されど汝の目あしくば、全身くらからん。もし汝の内の光、闇ならば、その闇いかばかりぞや。

人は二人の主に兼ね事ふること能はず、或はこれを憎み彼を愛し、或はこれに親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず。

この故に我なんぢらに告ぐ、何を食ひ、何を飮まんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな。生命は糧にまさり、體は衣に勝るならずや。

空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に收めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遙に優るる者ならずや。

汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。

又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。

されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及かざりき。

今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく裝ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。

さらば何を食ひ、何を飮み、何を著んとて思ひ煩ふな。

是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は、凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。

まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。

この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。

第7章

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なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。

己がさばく審判にて己もさばかれ、己がはかる量にて己も量らるべし。

何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木を認めぬか。

視よ、おのが目に梁木のあるに、いかで兄弟にむかひて、汝の目より塵をとり除かせよと言ひ得んや。

僞善者よ、まづ己が目より梁木をとり除け、さらば明かに見えて、兄弟の目より塵を取りのぞき得ん。

聖なる物を犬に與ふな。また眞珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて蹈みつけ、向き返りて汝らを噛みやぶらん。

求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。

すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。

汝等のうち、誰かその子パンを求めんに石を與へ、

魚を求めんに蛇を與へんや。

さらば、汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。まして天にいます汝らの父は、求むる者に善き物を賜はざらんや。

さらば凡て人に爲られんと思ふことは、人にも亦その如くせよ。これは律法なり、預言者なり。

狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。

生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。

僞預言者に心せよ、羊の扮裝して來れども、内は奪ひ掠むる豺狼なり。

その果によりて彼らを知るべし。茨より葡萄を、薊より無花果をとる者あらんや。

斯く、すべて善き樹は善き果をむすび、惡しき樹は惡しき果をむすぶ。

善き樹は惡しき果を結ぶこと能はず、惡しき樹はよき果を結ぶこと能はず。

すべて善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらる。

さらばその果によりて彼らを知るべし。

我に對ひて主よ主よといふ者、ことごとくは天國に入らず、ただ天にいます我が父の御意をおこなふ者のみ、之に入るべし。

その日おほくの者われに對ひて「主よ、主よ、我らは汝の名によりて預言し、汝の名によりて惡鬼を逐ひいだし、汝の名によりて多くの能力ある業を爲ししにあらずや」と言はん。

その時われ明白に告げん「われ斷えて汝らを知らず、不法をなす者よ、我を離れされ」と。

さらば凡て我がこれらの言をききて行ふ者を、磐の上に家をたてたる慧き人に擬へん。

雨ふり流みなぎり、風ふきてその家をうてど倒れず、これ磐の上に建てられたる故なり。

すべて我がこれらの言をききて行はぬ者を、沙の上に家を建てたる愚なる人に擬へん。

雨ふり流みなぎり、風ふきて其の家をうてば、倒れてその顛倒はなはだし』

イエスこれらの言を語りをへ給へるとき、群衆その教に驚きたり。

それは學者らの如くならず、權威ある者のごとく教へ給へる故なり。

第8章

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イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ。

視よ、一人の癩病人みもとに來り、拜して言ふ『主よ、御意ならば、我を潔くなし給ふを得ん』

イエス手をのべ、彼につけて『わが意なり、潔くなれ』と言ひ給へば、癩病ただちに潔れり。

イエス言ひ給ふ『つつしみて誰にも語るな、ただ往きて己を祭司に見せ、モーセが命じたる供物を献げて、人々に證せよ』

イエス、カペナウムに入り給ひしとき、百卒長きたり、

請ひていふ『主よ、わが僕、中風を病み、家に臥しゐて甚く苦しめり』

イエス言ひ給ふ『われ往きて醫さん』

百卒長こたへて言ふ『主よ、我は汝をわが屋根の下に入れまつるに足らぬ者なり。ただ御言のみを賜へ、さらば我が僕はいえん。

我みづから權威の下にある者なるに、我が下にまた兵卒ありて、此に「ゆけ」と言へば往き、彼に「きたれ」と言へば來り、わが僕に「これを爲せ」といへば爲すなり』

イエス聞きて怪しみ、從へる人々に言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、かかる篤き信仰はイスラエルの中の一人にだに見しことなし。

又なんぢらに告ぐ、多くの人、東より西より來り、アブラハム、イサク、ヤコブとともに天國の宴につき、

御國の子らは外の暗きに逐ひ出され、そこにて哀哭・切齒することあらん』

イエス百卒長に『ゆけ、汝の信ずるごとく汝になれ』と言ひ給へば、このとき僕いえたり。

イエス、ペテロの家に入り、その外姑の熱を病みて臥しをるを見、

その手に觸り給へば、熱去り、女おきてイエスに事ふ。

夕になりて、人々、惡鬼に憑かれたる者をおほく御許につれ來りたれば、イエス言にて靈を逐ひいだし、病める者をことごとく醫し給へり。

これは預言者イザヤによりて『かれは自ら我らの疾患をうけ、我らの病を負ふ』と云はれし言の成就せん爲なり。

さてイエス群衆の己を環れるを見て、ともに彼方の岸に往かんことを弟子たちに命じ給ふ。

一人の學者きたりて言ふ『師よ、何處にゆき給ふとも、我は從はん』。

イエス言ひたまふ『狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕する所なし』

また弟子の一人いふ『主よ、先づ、往きて、我が父を葬ることを許したまへ』

イエス言ひたまふ『我に從へ、死にたる者にその死にたる者を葬らせよ』

かくて舟に乘り給へば、弟子たちも從ふ。

視よ、海に大なる暴風おこりて、舟波に蔽はるるばかりなるに、イエスは眠りゐ給ふ。

弟子たち御許にゆき、起して言ふ『主よ、救ひたまへ、我らは亡ぶ』

彼らに言ひ給ふ『なにゆゑ臆するか、信仰うすき者よ』乃ち起きて、風と海とを禁め給へば、大なる凪となりぬ。

人々あやしみて言ふ『こは如何なる人ぞ、風も海も從ふとは』

イエス彼方にわたり、ガダラ人の地にゆき給ひしとき、惡鬼に憑かれたる二人のもの、墓より出できたりて之に遇ふ。その猛きこと甚だしく、其處の途を人の過ぎ得ぬほどなり。

視よ、かれら叫びて言ふ『神の子よ、われら汝と何の關係あらん、未だ時いたらぬに、我らを責めんとて此處にきたり給ふか』

遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが、

惡鬼ども請ひて言ふ『もし我らを逐ひ出さんとならば、豚の群に遣したまへ』

彼らに言ひ給ふ『ゆけ』惡鬼いでて豚に入りたれば、視よ、その群みな崖より海に駈け下りて、水に死にたり。

飼ふ者ども逃げて町にゆき、すべての事と惡鬼に憑かれたりし者の事とを告げたれば、

視よ、町人こぞりてイエスに逢はんとて出できたり、彼を見て、この地方より去り給はんことを請へり。

第9章

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イエス舟にのり、渡りて己が町にきたり給ふ。

視よ、中風にて床に臥しをる者を、人々みもとに連れ來れり。イエス彼らの信仰を見て、中風の者に言ひたまふ『子よ、心安かれ、汝の罪ゆるされたり』

視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』

イエスその思を知りて言ひ給ふ『何ゆゑ心に惡しき事をおもふか。

汝の罪ゆるされたりと言ふと、起きて歩めと言ふと、孰か易き。

人の子地にて罪を赦す權威あることを汝らに知らせん爲に』――ここに中風の者に言ひ給ふ――『起きよ、床をとりて汝の家にかへれ』

彼おきてその家にかへる。

群衆これを見ておそれ、かかる能力を人にあたへ給へる神を崇めたり。

イエス此處より進みて、マタイといふ人の收税所に坐しをるを見て『我に從へ』と言ひ給へば、立ちて從へり。

家にて食事の席につき居給ふとき、視よ、多くの取税人・罪人ら來りて、イエス及び弟子たちと共に列る。

パリサイ人これを見て弟子たちに言ふ『なに故なんぢらの師は、取税人・罪人らと共に食するか』

之を聞きて、言ひたまふ『健かなる者は醫者を要せず、ただ、病める者これを要す。

なんぢら往きて學べ「われ憐憫を好みて、犧牲を好まず」とは如何なる意ぞ。我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招かんとて來れり』

ここにヨハネの弟子たち御許にきたりて言ふ『われらとパリサイ人は斷食するに、何故なんぢの弟子たちは斷食せぬか』

イエス言ひたまふ『新郎の友だち、新郎と偕にをる間は、悲しむことを得んや。されど新郎をとらるる日きたらん、その時には斷食せん。

誰も新しき布の裂を舊き衣につぐことは爲じ、補ひたる裂は、その衣をやぶりて、破綻さらに甚だしかるべし。

また新しき葡萄酒をふるき革嚢に入るることは爲じ。もし然せば、嚢はりさけ酒ほどばしり出でて、嚢もまた廢らん。新しき葡萄酒は新しき革嚢にいれ、かくて兩ながら保つなり』

イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』

イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ。

視よ、十二年血漏を患ひゐたる女、イエスの後にきたりて、御衣の總にさはる。

それは、御衣にだに觸らば救はれんと心の中にいへるなり。

イエスふりかへり、女を見て言ひたまふ『娘よ、心安かれ、汝の信仰なんぢを救へり』女この時より救はれたり。

かくてイエス司の家にいたり、笛ふく者と騷ぐ群衆とを見て言ひたまふ、

『退け、少女は死にたるにあらず、寐ねたるなり』人々イエスを嘲笑ふ。

群衆の出されし後、いりてその手をとり給へば、少女おきたり。

この聲聞あまねく其の地に弘りぬ。

イエス此處より進みたまふ時、ふたりの盲人さけびて『ダビデの子よ、我らを憫みたまへ』と言ひつつ從ふ。

イエス家にいたり給ひしに、盲人ども御許に來りたれば、之に言ひたまふ『我この事をなし得と信ずるか』彼等いふ『主よ、然り』

爰にイエスかれらの目に觸りて言ひたまふ『なんぢらの信仰のごとく汝らに成れ』

乃ち彼らの目あきたり。イエス嚴しく戒めて言ひたまふ『愼みて誰にも知らすな』

されど彼ら出でて、あまねくその地にイエスの事をいひ弘めたり。

盲人どもの出づるとき、視よ、人々、惡鬼に憑かれたる唖者を御許につれきたる。

惡鬼おひ出されて唖者ものいひたれば、群衆あやしみて言ふ『かかる事は未だイスラエルの中に顯れざりき』

然るにパリサイ人いふ『かれは惡鬼の首によりて惡鬼を逐ひ出すなり』

イエスあまねく町と村とを巡り、その會堂にて教へ、御國の福音を宣べつたへ、もろもろの病、もろもろの疾患をいやし給ふ。

また群衆を見て、その牧ふ者なき羊のごとく惱み、且たふるるを甚く憫み、

遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく勞動人はすくなし。

この故に收穫の主に、勞動人をその收穫場に遣し給はんことを求めよ』

第10章

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かくてイエスその十二弟子を召し、穢れし靈を制する權威をあたへて、之を逐ひ出し、もろもろの病、もろもろの疾患を醫すことを得しめ給ふ。

十二使徒の名は左のごとし。先づペテロといふシモン及びその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブ及びその兄弟ヨハネ、

ピリポ及びバルトロマイ、トマス及び取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブ及びタダイ、

熱心黨のシモン及びイスカリオテのユダ、このユダはイエスを賣りし者なり。

イエスこの十二人を遣さんとて、命じて言ひたまふ。『異邦人の途にゆくな、又サマリヤ人の町に入るな。

むしろイスラエルの家の失せたる羊にゆけ。

往きて宣べつたへ「天國は近づけり」と言へ。

病める者をいやし、死にたる者を甦へらせ、癩病人をきよめ、惡鬼を逐ひいだせ。價なしに受けたれば價なしに與へよ。

帶のなかに金・銀または錢をもつな。

旅の嚢も、二枚の下衣も、鞋も、杖ももつな。勞動人の、その食物を得るは相應しきなり。

いづれの町いづれの村に入るとも、その中にて相應しき者を尋ねいだして、立ち去るまでは其處に留れ。

人の家に入らば平安を祈れ。

その家もし之に相應しくば、汝らの祈る平安はその上に臨まん。もし相應しからずば、その平安はなんぢらに歸らん。

人もし汝らを受けず、汝らの言を聽かずば、その家その町を立ち去るとき、足の塵をはらへ。

まことに汝らに告ぐ、審判の日には、その町よりもソドム、ゴモラの地のかた耐へ易からん。

視よ、我なんぢらを遣すは、羊を豺狼のなかに入るるが如し。この故に蛇のごとく慧く、鴿のごとく素直なれ。

人々に心せよ、それは汝らを衆議所に付し、會堂にて鞭うたん。

また汝等わが故によりて、司たち王たちの前に曳かれん。これは彼らと異邦人とに證をなさん爲なり。

かれら汝らを付さば、如何に何を言はんと思ひ煩ふな、言ふべき事は、その時さづけらるべし。

これ言ふものは汝等にあらず、其の中にありて言ひたまふ汝らの父の靈なり。

兄弟は兄弟を、父は子を死に付し、子どもは親に逆ひて之を死なしめん。

又なんぢら我が名のために凡ての人に憎まれん。されど終まで耐へ忍ぶものは救はるべし。

この町にて責めらるる時は、かの町に逃れよ。誠に汝らに告ぐ、なんぢらイスラエルの町々を巡り盡さぬうちに人の子は來るべし。

弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず、

弟子はその師のごとく、僕はその主の如くならば足れり。もし家主をベルゼブルと呼びたらんには、ましてその家の者をや。

この故に、彼らを懼るな。蔽はれたるものに露れぬはなく、隱れたるものに知られぬは無ければなり。

暗黒にて我が告ぐることを光明にて言へ。耳をあてて聽くことを屋の上にて宣べよ。

身を殺して靈魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と靈魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ。

二羽の雀は一錢にて賣るにあらずや、然るに、汝らの父の許なくば、その一羽も地に落つること無からん。

汝らの頭の髮までも皆かぞへらる。

この故におそるな、汝らは多くの雀よりも優るるなり。

されど凡そ人の前にて我を言ひあらはす者を、我もまた天にいます我が父の前にて言ひ顯さん。

されど人の前にて我を否む者を、我もまた天にいます我が父の前にて否まん。

われ地に平和を投ぜんために來れりと思ふな。平和にあらず、反つて劍を投ぜん爲に來れり。

それ我が來れるは、人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑嫜より分たん爲なり。

人の仇はその家の者なるべし。

我よりも父または母を愛する者は、我に相應しからず。我よりも息子または娘を愛する者は、我に相應しからず。

又おのが十字架をとりて我に從はぬ者は、我に相應しからず。

生命を得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし。

汝らを受くる者は、我を受くるなり。我をうくる者は、我を遣し給ひし者を受くるなり。

預言者たる名の故に預言者をうくる者は、預言者の報をうけ、義人たる名のゆゑに義人をうくる者は、義人の報を受くべし。

凡そわが弟子たる名の故に、この小き者の一人に冷かなる水一杯にても與ふる者は、まことに汝らに告ぐ、必ずその報を失はざるべし』

第11章

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イエス十二弟子に命じ終へてのち、町々にて教へ、かつ、宣傳へんとて、此處を去り給へり。

ヨハネ牢舍にてキリストの御業をきき、弟子たちを遣して、

イエスに言はしむ『來るべき者は汝なるか、或は、他に待つべきか』

答へて言ひたまふ『ゆきて、汝らが見聞する所をヨハネに告げよ。

盲人は見、跛者はあゆみ、癩病人は潔められ、聾者はきき、死人は甦へらせられ、貧しき者は福音を聞かせらる。

おほよそ我に躓かぬ者は幸福なり』

彼らの歸りたるをり、ヨハネの事を群衆に言ひ出でたまふ『なんぢら何を眺めんとて野に出でし、風にそよぐ葦なるか。

さらば何を見んとて出でし、柔かき衣を著たる人なるか。視よ、やはらかき衣を著たる者は、王の家に在り。

さらば何のために出でし、預言者を見んとてか。然り、汝らに告ぐ、預言者よりも勝る者なり。

「視よ、わが使をなんぢの顏の前につかはす。:彼はなんぢの前に、なんぢの道をそなへん」と録されたるは此の人なり。

誠に汝らに告ぐ、女の産みたる者のうち、バプテスマのヨハネより大なる者は起らざりき。されど天國にて小き者も、彼よりは大なり。

バプテスマのヨハネの時より今に至るまで、天國は烈しく攻めらる、烈しく攻むる者はこれを奪ふ。

凡ての預言者と律法との預言したるは、ヨハネの時までなり。

もし汝等わが言をうけんことを願はば、來るべきエリヤは此の人なり、

耳ある者は聽くべし。

われ今の代を何に比へん、童子、市場に坐し、友を呼びて、

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり。

それは、ヨハネ來りて飮食せざれば「惡鬼に憑かれたる者なり」といひ、

人の子來りて飮食すれば、「視よ、食を貪り酒を好む人、また取税人・罪人の友なり」と言ふなり。されど智慧は己が業によりて正しとせらる』

爰にイエス多くの能力ある業を行ひ給へる町々の悔改めぬによりて、之を責めはじめ給ふ、

『禍害なる哉コラジンよ、禍害なる哉ベツサイダよ、汝らの中にて行ひたる能力ある業を、ツロとシドンとにて行ひしならば、彼らは早く荒布を著、灰の中にて悔改めしならん。

されば汝らに告ぐ、審判の日にはツロとシドンとのかた汝等よりも耐へ易からん。

カペナウムよ、なんぢは天にまで擧げらるべきか、黄泉にまで下らん。汝のうちにて行ひたる能力ある業を、ソドムにて行ひしならば、今日までもかの町は遺りしならん。

されば汝らに告ぐ、審判の日にはソドムの地のかた汝よりも耐へ易からん』

その時イエス答へて言ひたまふ『天地の主なる父よ、われ感謝す、此等のことを智き者慧き者にかくして、嬰兒に顯し給へり。

父よ、然り、かくの如きは御意に適へるなり。

すべての物は我わが父より委ねられたり。子を知る者は父の外になく、父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし。

凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。

我は柔和にして心卑ければ、我が軛を負ひて我に學べ、さらば靈魂に休息を得ん。

わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』

第12章

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その頃イエス安息日に麥畠をとほり給ひしに、弟子たち飢ゑて穗を摘み、食ひ始めたるを、

パリサイ人見てイエスに言ふ『視よ、なんぢの弟子は安息日に爲まじき事をなす』

彼らに言ひ給ふ『ダビデがその伴へる人々とともに飢ゑしとき、爲しし事を讀まぬか。

即ち神の家に入りて、祭司のほかは、己もその伴へる人々も食ふまじき供のパンを食へり。

また安息日に祭司らは宮の内にて安息日を犯せども、罪なきことを律法にて讀まぬか。

われ汝らに告ぐ、宮より大なる者ここに在り。

「われ憐憫を好みて犧牲を好まず」とは、如何なる意かを汝ら知りたらんには、罪なき者を罪せざりしならん。

それ人の子は安息日の主たるなり』

イエス此處を去りて、彼らの會堂に入り給ひしに、

視よ、片手なえたる人あり。人々イエスを訴へんと思ひ、問ひていふ『安息日に人を醫すことは善きか』

彼らに、言ひたまふ『汝等のうち一匹の羊をもてる者あらんに、もし安息日に穴に陷らば、之を取りあげぬか。

人は羊より優るること如何ばかりぞ。さらば安息日に善をなすは可し』

ここにかの人に言ひ給ふ『なんぢの手を伸べよ』かれ伸べたれば、他の手のごとく癒ゆ。

パリサイ人いでていかにしてかイエスを亡さんと議る。

イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し、

かつ我を人に知らすなと戒め給へり。

これ預言者イザヤによりて云はれたる言の成就せんためなり。曰く、

『視よ、わが選びたる我が僕、
わが心の悦ぶ我が愛しむ者、
我わが靈を彼に與へん、
彼は異邦人に正義を告げ示さん。
彼は爭はず、叫ばず、
その聲を大路にて聞く者なからん。
正義をして勝ち遂げしむるまでは、
傷へる葦を折ることなく、
煙れる亞麻を消すことなからん。
異邦人も彼の名に望をおかん』

ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ。

群衆みな驚きて言ふ『これはダビデの子にあらぬか』

然るにパリサイ人ききて言ふ『この人、惡鬼の首ベルゼブルによらでは、惡鬼を逐ひ出すことなし』

イエス彼らの思を知りて言ひ給ふ『すべて分れ爭ふ國はほろび、分れ爭ふ町また家はたたず。

サタンもしサタンを逐ひ出さば、自ら分れ爭ふなり。さらばその國いかで立つべき。

我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし。

されど我もし神の靈によりて惡鬼を逐ひ出さば、神の國は既に汝らに到れるなり。

人まづ強き者を縛らずば、いかで強き者の家に入りて、その家財を奪ふことを得ん、縛りて後その家を奪ふべし。

我と偕ならぬ者は我にそむき、我とともに集めぬ者は散すなり。

この故に汝らに告ぐ、人の凡ての罪と瀆とは赦されん、されど御靈を瀆すことは赦されじ。

誰にても言をもて人の子に逆ふ者は赦されん、されど言をもて聖靈に逆ふ者は、この世にても後の世にても赦されじ。

或は樹をも善しとし、果をも善しとせよ。或は樹をも惡しとし、果をも惡しとせよ。樹は果によりて知らるるなり。

蝮の裔よ、なんぢら惡しき者なるに、爭で善きことを言ひ得んや。それ心に滿つるより口に言はるるなり。

善き人は善き倉より善き物をいだし、惡しき人は惡しき倉より惡しき物をいだす。

われ汝らに告ぐ、人の語る凡ての虚しき言は、審判の日に糺さるべし。

それは汝の言によりて義とせられ、汝の言によりて罪せらるるなり』

ここに或學者・パリサイ人ら答へて言ふ『師よ、われら汝の徴を見んことを願ふ』

答へて言ひたまふ『邪曲にして不義なる代は徴を求む、されど預言者ヨナの徴のほかに徴は與へられじ。

即ち「ヨナが三日三夜、大魚の腹の中に在りし」ごとく、人の子も三日三夜、地の中に在るべきなり。

ニネベの人、審判のとき今の代の人とともに立ちて之が罪を定めん、彼らはヨナの宣ぶる言によりて悔改めたり。視よ、ヨナよりも勝るもの此處に在り。

南の女王、審判のとき今の代の人とともに起きて之が罪を定めん、彼はソロモンの智慧を聽かんとて地の極より來れり。視よ、ソロモンよりも勝る者ここに在り。

穢れし靈、人を出づるときは、水なき處を巡りて休を求む、而して得ず。

乃ち「わが出でし家に歸らん」といひ、歸りて、その家の空きて掃き淨められ、飾られたるを見、

遂に往きて己より惡しき他の七つの靈を連れきたり、共に入りて此處に住む。されば其の人の後の状は前よりも惡しくなるなり。邪曲なる此の代もまた斯くの如くならん』

イエスなほ群衆にかたり居給ふとき、視よ、その母と兄弟たちと、彼に物言はんとて外に立つ。

或人イエスに言ふ『視よ、なんぢの母と兄弟たちと、汝に物言はんとて外に立てり』

イエス告げし者に答へて言ひたまふ『わが母とは誰ぞ、わが兄弟とは誰ぞ』

かくて手をのべ、弟子たちを指して言ひたまふ『視よ、これは我が母、わが兄弟なり。

誰にても天にいます我が父の御意をおこなふ者は、即ち我が兄弟、わが姉妹、わが母なり』

第13章

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その日イエスは家を出でて、海邊に坐したまふ。

大なる群衆みもとに集りたれば、イエスは舟に乘りて坐したまひ、群衆はみな岸に立てり。

譬にて數多のことを語りて言ひたまふ、『視よ、種播く者まかんとて出づ。

播くとき路の傍らに落ちし種あり、鳥きたりて啄む。

土うすき磽地に落ちし種あり、土深からぬによりて速かに萠え出でたれど、

日の昇りし時やけて根なき故に枯る。

茨の地に落ちし種あり、茨そだちて之を塞ぐ。

良き地に落ちし種あり、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍の實を結べり。

耳ある者は聽くべし』

弟子たち御許に來りて言ふ『なにゆゑ譬にて彼らに語り給ふか』

答へて言ひ給ふ『なんぢらは天國の奧義を知ることを許されたれど、彼らは許されず。

それ誰にても、有てる人は與へられて愈々豐ならん。されど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし。

この故に彼らには譬にて語る、これ彼らは見ゆれども見ず、聞ゆれども聽かず、また悟らぬ故なり、

かくてイザヤの預言は、彼らの上に成就す。曰く、

「なんぢら聞きて聞けども悟らず、
見て見れども認めず。
この民の心は鈍く、
耳は聞くに懶く、
目は閉ぢたればなり。:これ目にて見、耳にて聽き、
心にて悟り、飜へりて、
我に醫さるる事なからん爲なり」

されど汝らの目なんぢらの耳は、見るゆゑに聞くゆゑに、幸福なり。

まことに汝らに告ぐ、多くの預言者・義人は、汝らが見る所を見んとせしが見ず、なんぢらが聞く所を聞かんとせしが聞かざりしなり。

されば汝ら種播く者の譬を聽け。

誰にても天國の言をききて悟らぬときは、惡しき者きたりて、其の心に播かれたるものを奪ふ。路の傍らに播かれしとは斯かる人なり。

磽地に播かれしとは、御言をききて、直ちに喜び受くれども、

己に根なければ暫し耐ふるのみにて、御言のために艱難あるひは迫害の起るときは、直ちに躓くものなり。

茨の中に播かれしとは、御言をきけども、世の心勞と財貨の惑とに、御言を塞がれて實らぬものなり。

良き地に播かれしとは、御言をききて悟り、實を結びて、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍に至るものなり』

また他の譬を示して言ひたまふ『天國は良き種を畑にまく人のごとし。

人々の眠れる間に、仇きたりて麥のなかに毒麥を播きて去りぬ。

苗はえ出でて實りたるとき、毒麥もあらはる。

僕ども來りて家主にいふ「主よ、畑に播きしは良き種ならずや、然るに如何にして毒麥あるか」

主人いふ「仇のなしたるなり」僕ども言ふ「さらば我らが往きて之を拔き集むるを欲するか」

主人いふ「いな、恐らくは毒麥を拔き集めんとて、麥をも共に拔かん。

兩ながら收穫まで育つに任せよ。收穫のとき我かる者に「まづ毒麥を拔きあつめて、焚くために之を束ね、麥はあつめて我が倉に納れよ」と言はん」』

また他の譬を示して言ひたまふ『天國は一粒の芥種のごとし、人これを取りてその畑に播くときは、

萬の種よりも小けれど、育ちては他の野菜よりも大く、樹となりて、空の鳥きたり其の枝に宿るほどなり』

また他の譬を語りたまふ『天國はパンだねのごとし、女これを取りて、三斗の粉の中に入るれば、ことごとく脹れいだすなり』

イエスすべて此等のことを、譬にて群衆に語りたまふ、譬ならでは何事も語り給はず。

これ預言者によりて云はれたる言の成就せん爲なり。曰く、

『われ譬を設けて口を開き、
世の創より隱れたる事を言ひ出さん』

ここに群衆を去らしめて、家に入りたまふ。弟子たち御許に來りて言ふ『畑の毒麥の譬を我らに解きたまへ』

答へて言ひ給ふ『良き種を播く者は人の子なり、

畑は世界なり、良き種は天國の子どもなり、毒麥は惡しき者の子どもなり、

之を播きし仇は惡魔なり、收穫は世の終なり、刈る者は御使たちなり。

されば毒麥の集められて火に焚かるる如く、世の終にも斯くあるべし。

人の子その使たちを遣さん。彼ら御國の中より凡ての顛躓となる物と不法をなす者とを集めて、

火の爐に投げ入るべし、其處にて哀哭・切齒することあらん。

其のとき義人は父の御國にて日のごとく輝かん。耳ある者は聽くべし。

天國は畑に隱れたる寶のごとし。人見出さば、之を隱しおきて、喜びゆき、有てる物をことごとく賣りて其の畑を買ふなり。

また天國は良き眞珠を求むる商人のごとし。

價たかき眞珠一つを見出さば、往きて有てる物をことごとく賣りて、之を買ふなり。

また天國は、海におろして各樣のものを集むる網のごとし。

充つれば岸にひきあげ、坐して良きものを器に入れ、惡しきものを棄つるなり。

世の終にも斯くあるべし。御使たち出でて、義人の中より惡人を分ちて、

之を火の爐に投げ入るべし。其處にて哀哭・切齒することあらん。

汝等これらの事をみな悟りしか』彼等いふ『然り』

また言ひ給ふ『この故に、天國のことを教へられたる凡ての學者は、新しき物と舊き物とをその倉より出す家主のごとし』

イエスこれらの譬を終へて此處を去りたまふ。

己が郷にいたり、會堂にて教へ給へば、人々おどろきて言ふ『この人はこの智慧と此等の能力とを何處より得しぞ。

これ木匠の子にあらずや、其の母はマリヤ、其の兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダにあらずや。

又その姉妹も皆われらと共にをるに非ずや。然るに此等のすべての事は何處より得しぞ』

遂に人々かれに躓けり。イエス彼らに言ひたまふ『預言者は、おのが郷おのが家の外にて尊ばれざる事なし』

彼らの不信仰によりて其處にては多くの能力ある業を爲し給はざりき。

第14章

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そのころ、國守ヘロデ、イエスの噂をききて、

侍臣どもに言ふ『これバプテスマのヨハネなり。かれ死人の中より甦へりたり、さればこそ此等の能力その内に働くなれ』

ヘロデ先に、己が兄弟ピリポの妻ヘロデヤの爲にヨハネを捕へ、縛りて獄に入れたり。

ヨハネ、ヘロデに『かの女を納るるは宜しからず』と言ひしに因る。

かくてヘロデ、ヨハネを殺さんと思へど、群衆を懼れたり。群衆ヨハネを預言者とすればなり。

然るにヘロデの誕生日に當り、ヘロデヤの娘その席上に舞をまひてヘロデを喜ばせたれば、

ヘロデ之に何にても求むるままに與へんと誓へり。

娘その母に唆かされて言ふ『バプテスマのヨハネの首を盆に載せてここに賜はれ』

王憂ひたれど、その誓と席に在る者とに對して、之を與ふることを命じ、

人を遣し獄にてヨハネの首を斬り、

その首を盆にのせて持ち來らしめ、之を少女に與ふ。少女はこれを母に捧ぐ。

ヨハネの弟子たち來り、屍體を取りて葬り、往きて、イエスに告ぐ。

イエス之を聞きて人を避け、其處より舟にのりて寂しき處に往き給ひしを群衆ききて町々より徒歩にて從ひゆく。

イエス出でて大なる群衆を見、これを憫みて、その病める者を醫し給へり。

夕になりたれば、弟子たち御許に來りて言ふ『ここは寂しき處、はや時も晩し、群衆を去らしめ、村々に往きて、己が爲に食物を買はせ給へ』

イエス言ひ給ふ『かれら往くに及ばず、汝ら之に食物を與へよ』

弟子たち言ふ『われらが此處にもてるは、唯五つのパンと二つの魚とのみ』

イエス言ひ給ふ『それを我に持ちきたれ』

かくて群衆に命じて草の上に坐せしめ、五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝し、パンを裂きて、弟子たちに與へ給へば、弟子たち之を群衆に與ふ。

凡ての人食ひて飽く、裂きたる餘を集めしに十二の筐に滿ちたり。

食ひし者は、女と子供とを除きて凡そ五千人なりき。

イエス直ちに弟子たちを強ひて舟に乘らせ、自ら群衆をかへす間に、彼方の岸に先に往かしむ。

かくて群衆を去らしめてのち、祈らんとて竊に山に登り、夕になりて獨そこにゐ給ふ。

舟ははや陸より數丁はなれ、風逆ふによりて波に難されゐたり。

夜明の四時ごろ、イエス海の上を歩みて、彼らに到り給ひしに、

弟子たち其の海の上を歩み給ふを見て心騷ぎ、變化の者なりと言ひて懼れ叫ぶ。

イエス直ちに彼らに語りて言ひたまふ『心安かれ、我なり、懼るな』

ペテロ答へて言ふ『主よ、もし汝ならば我に命じ、水を蹈みて御許に到らしめ給へ』

『來れ』と言ひ給へば、ペテロ舟より下り、水の上を歩みてイエスの許に往く。

然るに風を見て懼れ、沈みかかりければ、叫びて言ふ『主よ、我を救ひたまへ』

イエス直ちに御手を伸べ、これを捉へて言ひ給ふ『ああ信仰うすき者よ、何ぞ疑ふか』

相共に舟に乘りしとき、風やみたり。

舟に居る者どもイエスを拜して言ふ『まことに汝は神の子なり』

遂に渡りてゲネサレの地に著きしに、

その處の人々イエスを認めて、あまねく四方に人をつかはし、又すべての病める者を連れきたり、

ただ御衣の總にだに觸らしめ給はんことを願ふ、觸りし者はみな醫されたり。

第15章

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ここにパリサイ人・學者ら、エルサレムより來りてイエスに言ふ、

『なにゆゑ汝の弟子は、古への人の言傳を犯すか、食事のときに手を洗はぬなり』

答へて言ひ給ふ『なにゆゑ汝らは、また汝らの言傳によりて神の誡命を犯すか。

即ち神は「父母を敬へ」と言ひ「父または母を罵る者は必ず殺さるべし」と言ひたまへり。

然るに汝らは「誰にても父または母に對ひて、我が負ふ所のものは供物となりたりと言はば、

父または母を敬ふに及ばず」と言ふ。斯くその言傳によりて神の言を空しうす。

僞善者よ、宜なる哉、イザヤは汝らに就きて能く預言せり。曰く、

「この民は口唇にて我を敬ふ、
されど其の心は我に遠ざかる。
ただ徒らに我を拜む。:人の訓誡を教とし教へて」』

かくて群衆を呼び寄せて言ひたまふ『聽きて悟れ。

口に入るものは人を汚さず、されど口より出づるものは、これ人を汚すなり』

ここに弟子たち御許に來りていふ『御言をききてパリサイ人の躓きたるを知り給ふか』

答へて言ひ給ふ『わが天の父の植ゑ給はぬものは、みな拔かれん。

彼らを捨ておけ、盲人を手引する盲人なり、盲人もし盲人を手引せば、二人とも穴に落ちん』

ペテロ答へて言ふ『その譬を我らに解き給へ』

イエス言ひ給ふ『なんぢらも今なほ悟りなきか。

凡て口に入るものは腹にゆき、遂に厠に棄てらるる事を悟らぬか。

されど口より出づるものは心より出づ、これ人を汚すものなり。

それ心より惡しき念いづ、すなはち殺人・姦淫・淫行・竊盜・僞證・誹謗、

これらは人を汚すものなり、されど洗はぬ手にて食する事は人を汚さず』

イエスここを去りてツロとシドンとの地方に往き給ふ。

視よ、カナンの女その邊より出できたり、叫びて『主よ、ダビデの子よ、我を憫み給へ、わが娘、惡鬼につかれて甚く苦しむ』と言ふ。

されどイエス一言も答へ給はず。弟子たち來り請ひて言ふ『女を歸したまへ、我らの後より叫ぶなり』

答へて言ひたまふ『我はイスラエルの家の失せたる羊のほかに遣されず』

女きたり拜して言ふ『主よ、我を助けたまへ』

答へて言ひたまふ『子供のパンをとりて小狗に投げ與ふるは善からず』

女いふ『然り、主よ、小狗も主人の食卓よりおつる食屑を食ふなり』

ここにイエス答へて言ひたまふ『をんなよ、汝の信仰は大なるかな、願のごとく汝になれ』娘この時より癒えたり。

イエス此處を去り、ガリラヤの海邊にいたり、而して山に登り、そこに坐し給ふ。

大なる群衆、跛者・不具・盲人・唖者および他の多くの者を連れ來りて、イエスの足下に置きたれば、醫し給へり。

群衆は、唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えたるを見て之を怪しみ、イスラエルの神を崇めたり。

イエス弟子たちを召して言ひ給ふ『われ此の群衆をあはれむ、既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし。飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず、恐らくは途にて疲れ果てん』

弟子たち言ふ『この寂しき地にて、斯く大なる群衆を飽かしむべき多くのパンを、何處より得べき』

イエス言ひ給ふ『パン幾つあるか』彼らいふ『七つ、また小き魚すこしあり』

イエス群衆に命じて地に坐せしめ、

七つのパンと魚とを取り、謝して之をさき弟子たちに與へ給へば、弟子たちこれを群衆に與ふ。

凡ての人くらひて飽き、裂きたる餘を拾ひしに、七つの籃に滿ちたり。

食ひし者は、女と子供とを除きて四千人なりき。

イエス群衆をかへし、舟に乘りてマガダンの地方に往き給へり。

第16章

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パリサイ人とサドカイ人と來りてイエスを試み、天よりの徴を示さんことを請ふ。

答へて言ひたまふ『夕には汝ら「空あかき故に晴ならん」と言ひ、

また朝には「そら赤くして曇る故に、今日は風雨ならん」と言ふ。なんぢら空の氣色を見分くることを知りて、時の徴を見分くること能はぬか。

邪曲にして不義なる代は徴を求む、されどヨナの徴の外に徴は與へられじ』かくて彼らを離れて去り給ひぬ。

弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり。

イエス言ひたまふ『愼みてパリサイ人とサドカイ人とのパン種に心せよ』

弟子たち互に『我らはパンを携へざりき』と語り合ふ。

イエス之を知りて言ひ給ふ『ああ信仰うすき者よ、何ぞパン無きことを語り合ふか。

未だ悟らぬか、五つのパンを五千人に分ちて、その餘を幾籃ひろひ、

また七つのパンを四千人に分ちて、その餘を幾籃ひろひしかを覺えぬか。

我が言ひしはパンの事にあらぬを何ぞ悟らざる。唯パリサイ人とサドカイ人とのパンだねに心せよ』

ここに弟子たちイエスの心せよと言ひ給ひしは、パンの種にはあらで、パリサイ人とサドカイ人との教なることを悟れり。

イエス、ピリポ・カイザリヤの地方にいたり、弟子たちに問ひて言ひたまふ『人々は人の子を誰と言ふか』

彼等いふ『或人はバプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人はエレミヤ、また預言者の一人』

彼らに言ひたまふ『なんぢらは我を誰と言ふか』

シモン・ペテロ答へて言ふ『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』

イエス答へて言ひ給ふ『バルヨナ・シモン、汝は幸福なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。

我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐の上に我が教會を建てん、黄泉の門はこれに勝たざるべし。

われ天國の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり』

ここにイエス、己がキリストなる事を誰にも告ぐなと、弟子たちを戒め給へり。

この時よりイエス・キリスト、弟子たちに、己のエルサレムに往きて、長老・祭司長・學者らより多くの苦難を受け、かつ殺され、三日めに甦へるべき事を示し始めたまふ。

ペテロ、イエスを傍にひき戒め出でて言ふ『主よ、然あらざれ、此の事なんぢに起らざるべし』

イエス振反りてペテロに言ひ給ふ『サタンよ、我が後に退け、汝はわが躓物なり、汝は神のことを思はず、反つて人のことを思ふ』

ここにイエス弟子たちに言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて、我に從へ。

己が生命を救はんと思ふ者は、これを失ひ、我がために己が生命をうしなふ者は、之を得べし。

人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を與へんや。

人の子は父の榮光をもて、御使たちと共に來らん。その時おのおのの行爲に隨ひて報ゆべし。

まことに汝らに告ぐ、ここに立つ者のうちに、人の子のその國をもて來るを見るまでは、死を味はぬ者どもあり』

第17章

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六日の後、イエス、ペテロ、ヤコブ及びヤコブの兄弟ヨハネを率きつれ、人を避けて高き山に登りたまふ。

かくて彼らの前にてその状かはり、其の顏は日のごとく輝き、その衣は光のごとく白くなりぬ。

視よ、モーセとエリヤとイエスに語りつつ彼らに現る。

ペテロ差出でてイエスに言ふ『主よ、我らの此處に居るは善し。御意ならば我ここに三つの廬を造り、一つを汝のため、一つをモーセのため、一つをエリヤの爲にせん』

彼なほ語りをるとき、視よ、光れる雲かれらを覆ふ。また雲より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり、汝ら之に聽け』

弟子たち之を聞きて倒れ伏し、懼るること甚だし。

イエスその許にきたり之に觸りて『起きよ、懼るな』と言ひ給へば、

彼ら目を擧げしに、イエス一人の他は誰も見えざりき。

山を下るとき、イエス彼らに命じて言ひたまふ『人の子の死人の中より甦へるまでは、見たることを誰にも語るな』

弟子たち問ひて言ふ『さらばエリヤ先づ來るべしと學者らの言ふは何ぞ』

答へて言ひたまふ『實にエリヤ來りて萬の事をあらためん。

我なんぢらに告ぐ、エリヤは既に來れり。されど人々これを知らず、反つて心のままに待へり。かくのごとく人の子もまた人々より苦しめらるべし』

ここに弟子たちバプテスマのヨハネを指して言ひ給ひしなるを悟れり。

かれら群衆の許に到りしとき、或人御許にきたり跪づきて言ふ、

『主よ、わが子を憫みたまへ。癲癇にて難み、しばしば火の中に、しばしば水の中に倒るるなり。

之を御弟子たちに連れ來りしに、醫すこと能はざりき』

イエス答へて言ひ給ふ『ああ信なき曲れる代なるかな、我いつまで汝らと偕にをらん、何時まで汝らを忍ばん。その子を我に連れきたれ』

遂にイエスこれを禁め給へば、惡鬼いでてその子この時より癒えたり。

ここに弟子たち竊にイエスに來りて言ふ『われらは何故に逐ひ出し得ざりしか』

彼らに言ひ給ふ『なんぢら信仰うすき故なり。まことに汝らに告ぐ、もし芥種一粒ほどの信仰あらば、この山に「此處より彼處に移れ」と言ふとも移らん、かくて汝ら能はぬこと無かるべし』

[なし]

彼らガリラヤに集ひをる時、イエス言ひたまふ『人の子は人の手に付され、

人々は之を殺さん、かくて三日めに甦へるべし』弟子たち甚く悲しめり。

彼らカペナウムに到りしとき、納金を集むる者どもペテロに來りて言ふ『なんぢらの師は納金を納めぬか』

ペテロ『納む』と言ひ、やがて家に入りしに、逸速くイエス言ひ給ふ『シモンいかに思ふか、世の王たちは税または貢を誰より取るか、己が子よりか、他の者よりか』

ペテロ言ふ『ほかの者より』イエス言ひ給ふ『されば子は自由なり。

されど彼らを躓かせぬ爲に、海に往きて釣をたれ、初に上る魚をとれ、其の口をひらかば銀貨一つを得ん、それを取りて我と汝との爲に納めよ』

第18章

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そのとき弟子たちイエスに來りて言ふ『しからば天國にて大なるは誰か』

イエス幼兒を呼び、彼らの中に置きて言ひ給ふ

『まことに汝らに告ぐ、もし汝ら飜へりて幼兒の如くならずば、天國に入るを得じ。

されば誰にても此の幼兒のごとく己を卑うする者は、これ天國にて大なる者なり。

また我が名のために、かくのごとき一人の幼兒を受くる者は、我を受くるなり。

されど我を信ずる此の小き者の一人を躓かする者は、寧ろ大なる碾臼を頸に懸けられ、海の深處に沈められんかた益なり。

この世は躓物あるによりて禍害なるかな。躓物は必ず來らん、されど躓物を來らする人は禍害なるかな。

もし汝の手または足なんぢを躓かせば、切りて棄てよ。不具または蹇跛にて生命に入るは、兩手兩足ありて永遠の火に投げ入れらるるよりも勝るなり。

もし汝の眼なんぢを躓かせば、拔きて棄てよ。片眼にて生命に入るは、兩眼ありて火のゲヘナに投げ入れらるるよりも勝るなり。

汝ら愼みて此の小き者の一人をも侮るな。我なんぢらに告ぐ、彼らの御使たちは天にありて、天にいます我が父の御顏を常に見るなり。

[なし]

汝等いかに思ふか、百匹の羊を有てる人あらんに、若しその一匹まよはば、九十九匹を山に遺しおき、往きて迷へるものを尋ねぬか。

もし之を見出さば、まことに汝らに告ぐ、迷はぬ九十九匹に勝りて此の一匹を喜ばん。

かくのごとく此の小き者の一人の亡ぶるは、天にいます汝らの父の御意にあらず。

もし汝の兄弟罪を犯さば、往きてただ彼とのみ相對して諫めよ。もし聽かば其の兄弟を得たるなり。

もし聽かずば、一人・二人を伴ひ往け、これ二三の證人の口に由りて、凡ての事の慥められん爲なり。

もし彼等にも聽かずば、教會に告げよ。もし教會にも聽かずば、之を異邦人または取税人のごとき者とすべし。

まことに汝らに告ぐ、すべて汝らが地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり。

また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。

二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり。

ここにペテロ御許に來りて言ふ『主よ、わが兄弟われに對して罪を犯さば幾たび赦すべきか、七度までか』

イエス言ひたまふ『否、われ「七度まで」とは言はず「七度を七十倍するまで」と言ふなり。

この故に、天國はその家來どもと計算をなさんとする王のごとし。

計算を始めしとき、一萬タラントの負債ある家來つれ來られしが、

償ひ方なかりしかば、其の主人、この者とその妻子と凡ての所有とを賣りて償ふことを命じたるに、

その家來ひれ伏し拜して言ふ「寛くし給へ、さらば悉とく償はん」

その家來の主人あはれみて之を解き、その負債を免したり。

然るに其の家來いでて、己より百デナリを負ひたる一人の同僚にあひ、之をとらへ、喉を締めて言ふ「負債を償へ」

その同僚ひれ伏し、願ひて「寛くし給へ、さらば償はん」と言へど、

肯はずして往き、その負債を償ふまで之を獄に入れたり。

同僚ども有りし事を見て甚く悲しみ、往きて有りし凡ての事をその主人に告ぐ。

ここに主人かれを呼び出して言ふ「惡しき家來よ、なんぢ願ひしによりて、かの負債をことごとく免せり。

わが汝を憫みしごとく、汝もまた同僚を憫むべきにあらずや」

斯くその主人、怒りて、負債をことごとく償ふまで彼を獄卒に付せり。

もし汝等おのおの心より兄弟を赦さずば、我が天の父も亦なんぢらに斯のごとく爲し給ふべし』

第19章

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イエスこれらの言を語り終へて、ガリラヤを去り、ヨルダンの彼方なるユダヤの地方に來り給ひしに、

大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり。

パリサイ人ら來り、イエスを試みて言ふ『何の故にかかはらず、人その妻を出すは可きか』

答へて言ひたまふ『人を造り給ひしもの、元始より之を男と女とに造り、而して、

「かかる故に人は父母を離れ、その妻に合ひて、二人のもの一體となるべし」と言ひ給ひしを未だ讀まぬか。

されば、はや二人にはあらず、一體なり。この故に神の合せ給ひし者は、人これを離すべからず』

彼らイエスに言ふ『さらば何故モーセは離縁状を與へて出すことを命じたるか』

彼らに言ひ給ふ『モーセは汝の心つれなきによりて妻を出すことを許したり。されど元始より然にはあらぬなり。

われ汝らに告ぐ、おほよそ淫行の故ならで其の妻をいだし他に娶る者は、姦淫を行ふなり』

弟子たちイエスに言ふ『人もし妻のことに於てかくのごとくば、娶らざるに如かず』

彼らに言ひたまふ『凡ての人この言を受け容るるにはあらず、ただ授けられたる者のみなり。

それ生れながらの閹人あり、人に爲られたる閹人あり、また天國のために自らなりたる閹人あり、之を受け容れうる者は受け容るべし』

ここに人々イエスの手をおきて祈り給はんことを望みて、幼兒らを連れ來りしに、弟子たち禁めたれば、

イエス言ひたまふ『幼兒らを許せ、我に來るを止むな、天國はかくのごとき者の國なり』

かくて手を彼らの上におきて此處を去り給へり。

視よ、或人みもとに來りて言ふ『師よ、われ永遠の生命をうる爲には、如何なる善き事を爲すべきか』

イエス言ひたまふ『善き事につきて何ぞ我に問ふか、善き者は唯ひとりのみ。汝もし生命に入らんと思はば誡命を守れ』

彼いふ『孰を』イエス言ひたまふ『「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」「盜むなかれ」「僞證を立つる勿れ」

「父と母とを敬へ」また「己のごとく汝の隣を愛すべし」』

その若者いふ『我みな之を守れり、なほ何を缺くか』

イエス言ひたまふ『なんぢ若し全からんと思はば、往きて汝の所有を賣りて貧しき者に施せ、さらば財寶を天に得ん。かつ來りて我に從へ』

この言をききて、若者悲しみつつ去りぬ。大なる資産を有てる故なり。

イエス弟子たちに言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、富める者の天國に入るは難し。

復なんぢらに告ぐ、富める者の神の國に入るよりは、駱駝の針の孔を通るかた反つて易し』

弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』

イエス彼らに目を注めて言ひ給ふ『これは人に能はねど、神は凡ての事をなし得るなり』

ここにペテロ答へて言ふ『視よ、われら一切をすてて汝に從へり、されば何を得べきか』

イエス彼らに言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、世あらたまりて人の子その榮光の座位に坐するとき、我に從へる汝等もまた十二の座位に坐して、イスラエルの十二の族を審かん。

また凡そ我が名のために、或は家、あるひは兄弟、あるひは姉妹、あるひは父、あるひは母、あるひは子、あるひは田畑を棄つる者は、數倍を受け、また永遠の生命を嗣がん。

されど多くの先なる者後に、後なる者先になるべし。

第20章

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天國は勞動人を葡萄園に雇ふために、朝早く出でたる主人のごとし。

一日一デナリの約束をなして、勞動人どもを葡萄園に遣す。

また九時ごろ出でて市場に空しく立つ者どもを見て、

「なんぢらも葡萄園に往け、相當のものを與へん」といへば、彼らも往く。

十二時頃と三時頃とに復いでて前のごとくす。

五時頃また出でしに、なほ立つ者どものあるを見ていふ「何ゆゑ終日ここに空しく立つか」

かれら言ふ「たれも我らを雇はぬ故なり」主人いふ「なんぢらも葡萄園に往け」

夕になりて葡萄園の主人その家司に言ふ「勞動人を呼びて、後の者より始め、先の者にまで賃銀をはらへ」

かくて五時ごろに雇はれしもの來りて、おのおの一デナリを受く。

先の者きたりて、多く受くるならんと思ひしに、之も亦おのおの一デナリを受く。

受けしとき、家主にむかひ呟きて言ふ、

「この後の者どもは僅に一時間はたらきたるに、汝は一日の勞と暑さとを忍びたる我らと均しく之を遇へり」

主人こたへて其の一人に言ふ「友よ、我なんぢに不正をなさず、汝は我と一デナリの約束をせしにあらずや。

己が物を取りて往け、この後の者に汝とひとしく與ふるは、我が意なり。

わが物を我が意のままにするは可からずや、我よきが故に汝の目あしきか」

かくのごとく後なる者は先に、先なる者は後になるべし』

イエス、エルサレムに上らんとし給ふとき、竊に十二弟子を近づけて、途すがら言ひ給ふ、

『視よ、我らエルサレムに上る、人の子は祭司長・學者らに付されん。彼ら之を死に定め、

また嘲弄し、鞭うち、十字架につけん爲に異邦人に付さん、かくて彼は三日めに甦へるべし』

ここにゼベダイの子らの母、その子らと共に御許にきたり、拜して何事か求めんとしたるに、

イエス彼に言ひたまふ『何を望むか』かれ言ふ『この我が二人の子が汝の御國にて、一人は汝の右に、一人は左に坐せんことを命じ給へ』

イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』

イエス言ひたまふ『實に汝らは我が酒杯を飮むべし、されど我が右左に坐することは、これ我の與ふべきものならず、我が父より備へられたる人こそ與へらるるなれ』

十人の弟子これを聞き、二人の兄弟の事によりて憤ほる。

イエス彼らを呼びて言ひたまふ『異邦人の君のその民を宰どり、大なる者の民の上に權を執ることは、汝らの知る所なり。

汝らの中にては然らず、汝らの中に大ならんと思ふ者は、汝らの役者となり、

首たらんと思ふ者は汝らの僕となるべし。

かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり』

彼らエリコを出づるとき、大なる群衆イエスに從へり。

視よ、二人の盲人、路の傍らに坐しをりしが、イエスの過ぎ給ふことを聞き、叫びて言ふ『主よ、ダビデの子よ、我らを憫みたまへ』

群衆かれらを禁めて默さしめんとしたれど、愈々叫びて言ふ『主よ、ダビデの子よ、我らを憫み給へ』

イエス立ちどまり、彼らを呼びて言ひ給ふ『わが汝らに何を爲さんことを望むか』

彼ら言ふ『主よ、目の開かれんことなり』

イエスいたく憫みて彼らの目に觸り給へば、直ちに物見ることを得て、イエスに從へり。

第21章

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彼らエルサレムに近づき、オリブ山の邊なるベテパゲに到りし時、イエス二人の弟子を遣さんとして言ひ給ふ、

『向の村にゆけ、やがて繋ぎたる驢馬のその子とともに在るを見ん、解きて我に牽ききたれ。

誰かもし汝らに何とか言はば「主の用なり」と言へ、さらば直ちに之を遣さん』

此の事の起りしは、預言者によりて云はれたる言の成就せん爲なり。曰く、

『シオンの娘に告げよ、
「視よ、汝の王、なんぢに來り給ふ。:柔和にして驢馬に乘り、
軛を負ふ驢馬の子に乘りて」』

弟子たち往きて、イエスの命じ給へる如くして、

驢馬とその子とを牽ききたり、己が衣をその上におきたれば、イエス之に乘りたまふ。

群衆の多くはその衣を途にしき、或者は樹の枝を伐りて途に敷く。

かつ前にゆき後にしたがふ群衆よばはりて言ふ『ダビデの子にホサナ、讃むべきかな、主の御名によりて來る者。いと高き處にてホサナ』

遂にエルサレムに入り給へば、都擧りて騷立ちて言ふ『これは誰なるぞ』

群衆いふ『これガリラヤのナザレより出でたる預言者イエスなり』

イエス宮に入り、その内なる凡ての賣買する者を逐ひいだし、兩替する者の臺、鴿を賣る者の腰掛を倒して言ひ給ふ、

『「わが家は祈の家と稱へらるべし」と録されたるに、汝らは之を強盜の巣となす』

宮にて盲人・跛者ども御許に來りたれば、之を醫したまへり。

祭司長・學者らイエスの爲し給へる不思議なる業と、宮にて呼はり『ダビデの子にホサナ』と言ひをる子等とを見、憤ほりて、

イエスに言ふ『なんぢ彼らの言ふところを聞くか』イエス言ひ給ふ『然り「嬰兒乳兒の口に讃美を備へ給へり」とあるを未だ讀まぬか』

遂に彼らを離れ、都を出でてベタニヤにゆき、そこに宿り給ふ。

朝早く都にかへる時、イエス飢ゑたまふ。

路の傍なる一もとの無花果の樹を見て、その下に到り給ひしに、葉のほかに何をも見出さず、之に對ひて『今より後いつまでも果を結ばざれ』と言ひ給へば、無花果の樹たちどころに枯れたり。

弟子たち之を見、怪しみて言ふ『無花果の樹の斯く立刻に枯れたるは何ぞや』

イエス答へて言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、もし汝ら信仰ありて疑はずば、啻に此の無花果の樹にありし如きことを爲し得るのみならず、此の山に「移りて海に入れ」と言ふとも亦成るべし。

かつ祈のとき何にても信じて求めば、ことごとく得べし』

宮に到りて教へ給ふとき、祭司長・民の長老ら御許に來りて言ふ『何の權威をもて此等の事をなすか、誰がこの權威を授けしか』

イエス答へて言ひたまふ『我も一言なんぢらに問はん、もし夫を告げなば、我もまた何の權威をもて此等のことを爲すかを告げん。

ヨハネのバプテスマは何處よりぞ、天よりか、人よりか』かれら互に論じて言ふ『もし天よりと言はば「何故かれを信ぜざりし」と言はん。

もし人よりと言はんか、人みなヨハネを預言者と認むれば、我らは群衆を恐る』

遂に答へて『知らず』と言へり。イエスもまた言ひたまふ『我も何の權威をもて此等のことを爲すか汝らに告げじ。

なんぢら如何に思ふか、或人ふたりの子ありしが、その兄にゆきて言ふ「子よ、今日、葡萄園に往きて働け」

答へて「主よ、我ゆかん」と言ひて終に往かず。

また弟にゆきて同じやうに言ひしに、答へて「往かじ」と言ひたれど、後くいて往きたり。

この二人のうち孰か父の意を爲しし』彼らいふ『後の者なり』イエス言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、取税人と遊女とは汝らに先だちて神の國に入るなり。

それヨハネ義の道をもて來りしに、汝らは彼を信ぜず、取税人と遊女とは信じたり。然るに汝らは之を見し後も、なほ悔改めずして信ぜざりき。

また一つの譬を聽け、ある家主、葡萄園をつくりて籬をめぐらし、中に酒槽を掘り、櫓を建て、農夫どもに貸して遠く旅立せり。

果期ちかづきたれば、その果を受取らんとて僕らを農夫どもの許に遣ししに、

農夫どもその僕らを執へて、一人を打ちたたき、一人をころし、一人を石にて撃てり。

復ほかの僕らを前よりも多く遣ししに、之をも同じやうに遇へり。

「わが子は敬ふならん」と言ひて、遂にその子を遣ししに、

農夫ども此の子を見て互に言ふ「これは世嗣なり、いざ殺して、その嗣業を取らん」

かくて之をとらへ、葡萄園の外に逐ひ出して殺せり。

さらば葡萄園の主人きたる時、この農夫どもに何を爲さんか』

かれら言ふ『その惡人どもを飽くまで滅し、果期におよびて果を納むる他の農夫どもに葡萄園を貸し與ふべし』

イエス言ひたまふ

『聖書に、
「造家者らの棄てたる石は、
これぞ隅の首石となれる、
これ主によりて成れるにて、
我らの目には奇しきなり」とあるを汝ら未だ讀まぬか。
この故に汝らに告ぐ、
汝らは神の國をとられ、
其の果を結ぶ國人は、
之を與へらるべし。
この石の上に倒るる者はくだけ、
又この石、
人のうへに倒るれば、其の人を微塵とせん』

祭司長・パリサイ人ら、イエスの譬をきき、己らを指して語り給へるを悟り、

イエスを執へんと思へど群衆を恐れたり、群衆かれを預言者とするに因る。

第22章

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イエスまた譬をもて答へて言ひ給ふ

『天國は己が子のために婚筵を設くる王のごとし。

婚筵に招きおきたる人々を迎へんとて僕どもを遺ししに、來るを肯はず。

復ほかの僕どもを遣すとて言ふ「招きたる人々に告げよ、視よ、晝餐は既に備りたり。我が牛も肥えたる畜も屠られて、凡ての物備りたれば、婚筵に來れと」

然るに人々顧みずして、或者は己が畑に、或者は己が商賣に往けり。

また他の者は僕を執へて、辱しめかつ殺したれば、

王怒りて軍勢を遣し、かの兇行者を滅して其の町を燒きたり。

かくて僕どもに言ふ「婚筵は既に備りたれど、招きたる者どもは相應しからず。

されば汝ら街に往きて、遇ふほどの者を婚筵に招け」

僕ども途に出でて、善きも惡しきも遇ふほどの者をみな集めたれば、婚禮の席は客にて滿てり。

王、客を見んとて入り來り、一人の禮服を著けぬ者あるを見て、

之に言ふ「友よ、如何なれば禮服を著けずして此處に入りたるか」かれ默しゐたり。

ここに王、侍者らに言ふ「その手足を縛りて外の暗黒に投げいだせ、其處にて哀哭・切齒することあらん」

それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し』

ここにパリサイ人ら出でて、如何にしてかイエスを言の羂に係けんと相議り、

その弟子らをヘロデ黨の者どもと共に遺して言はしむ『師よ、我らは知る、なんじは眞にして、眞をもて神の道を教へ、かつ誰をも憚りたまふ事なし、人の外貌を見給はぬ故なり。

されば我らに告げたまへ、貢をカイザルに納むるは可きか、惡しきか、如何に思ひたまふ』

イエスその邪曲なるを知りて言ひたまふ『僞善者よ、なんぞ我を試むるか。

貢の金を我に見せよ』彼らデナリ一つを持ち來る。

イエス言ひ給ふ『これは誰の像、たれの號なるか』

彼ら言ふ『カイザルのなり』ここに彼らに言ひ給ふ『さらばカイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ』

彼ら之を聞きて怪しみ、イエスを離れて去り往けり。

復活なしといふサドカイ人ら、その日みもとに來り問ひて言ふ

『師よ、モーセは「人もし子なくして死なば、其の兄弟かれの妻を娶りて、兄弟のために世嗣を擧ぐべし」と云へり。

我らの中に七人の兄弟ありしが、兄めとりて死に、世嗣なくして其の妻を弟に遺したり。

その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し、

最後にその女も死にたり。

されば復活の時、その女は七人のうち誰の妻たるべきか、彼ら皆これを妻としたればなり』

イエス答へて言ひ給ふ『なんぢら聖書をも神の能力をも知らぬ故に誤れり。

それ人よみがへりの時は、娶らず嫁がず、天に在る御使たちの如し。

死人の復活に就きては、神なんぢらに告げて、

「我はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なり」と言ひ給へることを未だ讀まぬか。神は死にたる者の神にあらず、生ける者の神なり』

群衆これを聞きて其の教に驚けり。

パリサイ人ら、イエスのサドカイ人らを默さしめ給ひしことを聞きて相集り、

その中なる一人の教法師、イエスを試むる爲に問ふ

『師よ、律法のうち孰の誡命が大なる』

イエス言ひ給ふ『「なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし」

これは大にして第一の誡命なり。

第二もまた之にひとし「おのれの如くなんぢの隣を愛すべし」

律法全體と預言者とは此の二つの誡命に據るなり』

パリサイ人らの集りたる時、イエス彼らに問ひて言ひ給ふ

『なんぢらはキリストに就きて如何に思ふか、誰の子なるか』かれら言ふ『ダビデの子なり』

イエス言ひ給ふ『さらばダビデ御靈に感じて何故かれを主と稱ふるか。曰く

「主わが主に言ひ給ふ、
われ汝の敵を汝の足の下に置くまでは、
我が右に坐せよ」

斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや』

誰も一言だに答ふること能はず、その日より敢へて復イエスに問ふ者なかりき。

第23章

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ここにイエス群衆と弟子たちとに語りて言ひ給ふ、

『學者とパリサイ人とはモーセの座を占む。

されば凡てその言ふ所は守りて行へ、されどその所作には效ふな、彼らは言ふのみにて行はぬなり。

また重き荷を括りて人の肩にのせ、己は指にて之を動かさんともせず。

凡てその所作は人に見られん爲にするなり。即ちその經札を幅ひろくし、衣の總を大くし、

饗宴の上席、會堂の上座、

市場にての敬禮、また人にラビと呼ばるることを好む。

されど汝らはラビの稱を受くな、汝らの師は一人にして、汝等はみな兄弟なり。

地にある者を父と呼ぶな、汝らの父は一人、すなはち天に在す者なり。

また導師の稱を受くな、汝らの導師はひとり、即ちキリストなり。

汝等のうち大なる者は、汝らの役者とならん。

凡そおのれを高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり。

禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、なんぢらは人の前に天國を閉して自ら入らず、入らんとする人の入るをも許さぬなり。

[なし]

禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは一人の改宗者を得んために海陸を經めぐり、既に得れば、之を己に倍したるゲヘナの子となすなり。

禍害なるかな、盲目なる手引よ、なんぢらは言ふ「人もし宮を指して誓はば事なし、宮の黄金を指して誓はば果さざるべからず」と。

愚にして盲目なる者よ、黄金と黄金を聖ならしむる宮とは孰か貴き。

なんぢら又いふ「人もし祭壇を指して誓はば事なし、其の上の供物を指して誓はば果さざるべからず」と。

盲目なる者よ、供物と供物を聖ならしむる祭壇とは孰か貴き。

されば祭壇を指して誓ふ者は、祭壇とその上の凡ての物とを指して誓ふなり。

宮を指して誓ふ者は、宮とその内に住みたまふ者とを指して誓ふなり。

また天を指して誓ふ者は、神の御座とその上に坐したまふ者とを指して誓ふなり。

禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは薄荷・蒔蘿・クミンの十分の一を納めて、律法の中にて尤も重き公平と憐憫と忠信とを等閑にす。されど之は行ふべきものなり、而して、彼もまた等閑にすべきものならず。

盲目なる手引よ、汝らは蚋を漉し出して駱駝を呑むなり。

禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは酒杯と皿との外を潔くす、されど内は貪慾と放縱とにて滿つるなり。

盲目なるパリサイ人よ、汝まづ酒杯の内を潔めよ、さらば外も潔くなるべし。

禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢とにて滿つ。

かくのごとく汝らも外は人に正しく見ゆれども、内は僞善と不法とにて滿つるなり。

禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、

「我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに與せざりしものを」と。

かく汝らは預言者を殺しし者の子たるを自ら證す。

なんぢら己が先祖の桝目を充せ。

蛇よ、蝮の裔よ、なんぢら爭でゲヘナの刑罰を避け得んや。

この故に視よ、我なんぢらに預言者・智者・學者らを遣さんに、其の中の或者を殺し、十字架につけ、或者を汝らの會堂にて鞭うち、町より町に逐ひ苦しめん。

之によりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝らが殺ししバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上にて流したる正しき血は、皆なんぢらに報い來らん。

まことに汝らに告ぐ、これらの事はみな今の代に報い來るべし。

ああエルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鷄のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんぢの子どもを集めんとせしこと幾度ぞや、されど汝らは好まざりき。

視よ、汝らの家は廢てられて汝らに遺らん。

われ汝らに告ぐ「讃むべきかな、主の名によりて來る者」と、汝等のいふ時の至るまでは、今より我を見ざるべし』

第24章

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イエス宮を出でてゆき給ふとき、弟子たち宮の建造物を示さんとて御許に來りしに、

答へて言ひ給ふ『なんぢら此の一切の物を見ぬか。誠に汝らに告ぐ、此處に一つの石も崩されずしては石の上に遺らじ』

オリブ山に坐し給ひしとき、弟子たち竊に御許に來りて言ふ『われらに告げ給へ、これらの事は何時あるか、又なんぢの來り給ふと世の終とには、何の兆あるか』

イエス答へて言ひ給ふ『なんぢら人に惑されぬやうに心せよ。

多くの者わが名を冒し來り「我はキリストなり」と言ひて多くの人を惑さん。

又なんぢら戰爭と戰爭の噂とを聞かん、愼みて懼るな。かかる事はあるべきなり、されど未だ終にはあらず。

即ち「民は民に、國は國に逆ひて起たん」また處々に饑饉と地震とあらん、

此等はみな産の苦難の始なり。

そのとき人々なんぢらを患難に付し、また殺さん、汝等わが名の爲に、もろもろの國人に憎まれん。

その時おほくの人つまづき、且たがひに付し、互に憎まん。

多くの僞預言者おこりて、多くの人を惑さん。

また不法の増すによりて、多くの人の愛ひややかにならん。

されど終まで耐へしのぶ者は救はるべし。

御國のこの福音は、もろもろの國人に證をなさんため全世界に宣傅へられん、而してのち終は至るべし。

なんぢら預言者ダニエルによりて言はれたる「荒す惡むべき者」の聖なる處に立つを見ば(讀む者さとれ)

その時ユダヤに居る者どもは山に遁れよ。

屋の上に居る者はその家の物を取り出さんとして下るな。

畑にをる者は上衣を取らんとて歸るな。

その日には孕りたる者と乳を哺まする者とは禍害なるかな。

汝らの遁ぐることの冬または安息日に起らぬように祈れ。

そのとき大なる患難あらん、世の創より今に至るまでかかる患難はなく、また後にも無からん。

その日もし少くせられずば、一人だに救はるる者なからん、されど選民の爲にその日少くせらるべし。

その時あるひは「視よ、キリスト此處にあり」或は「此處にあり」と言ふ者ありとも信ずな。

僞キリスト・僞預言者おこりて、大なる徴と不思議とを現し、爲し得べくば選民をも惑さんとするなり。

視よ、あらかじめ之を汝らに告げおくなり。

されば人もし汝らに「視よ、彼は荒野にあり」といふとも出で往くな「視よ、彼は部屋にあり」と言ふとも信ずな。

電光の東より出でて西にまで閃きわたる如く、人の子の來るも亦然らん。

それ死骸のある處には鷲あつまらん。

これらの日の患難ののち直ちに日は暗く、月は光を發たず、星は空より隕ち、天の萬象ふるひ動かん。

そのとき人の子の兆、天に現れん。そのとき地上の諸族みな嘆き、かつ人の子の能力と大なる榮光とをもて、天の雲に乘り來るを見ん。

また彼は使たちを大なるラッパの聲とともに遣さん。使たちは天の此の極より彼の極まで、四方より選民を集めん。

無花果の樹よりの譬をまなべ、その枝すでに柔かくなりて葉芽ぐめば、夏の近きを知る。

かくのごとく汝らも此等のすべての事を見ば、人の子すでに近づきて門邊に到るを知れ。

誠に汝らに告ぐ、これらの事ことごとく成るまで、今の代は過ぎ往くまじ。

天地は過ぎゆかん、されど我が言は過ぎ往くことなし。

その日その時を知る者なし、天の使たちも知らず、子も知らず、ただ父のみ知り給ふ。

ノアの時のごとく人の子の來るも然あるべし。

曾て洪水の前ノア方舟に入る日までは、人々飮み食ひ、娶り嫁がせなどし、

洪水の來りて悉とく滅すまでは知らざりき、人の子の來るも然あるべし。

そのとき二人の男畑にをらんに、一人は取られ一人は遺されん。

二人の女磨ひき居らんに、一人は取られ一人は遺されん。

されば目を覺しをれ、汝らの主のきたるは、何れの日なるかを知らざればなり。

汝等これを知れ、家主もし盜人いづれの時きたるかを知らば、目をさまし居て、その家を穿たすまじ。

この故に汝らも備へをれ、人の子は思はぬ時に來ればなり。

主人が時に及びて食物を與へさする爲に、家の者のうへに立てたる忠實にして慧き僕は誰なるか。

主人のきたる時、かく爲し居るを見らるる僕は幸福なり。

まことに汝らに告ぐ、主人すべての所有を彼に掌どらすべし。

もしその僕惡しくして、心のうちに主人は遲しと思ひて、

その同輩を扑きはじめ、酒徒らと飮食を共にせば、

その僕の主人おもはぬ日しらぬ時に來りて、

之を烈しく笞うち、その報を僞善者と同じうせん。其處にて哀哭・切齒することあらん。

第25章

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このとき天國は、燈火を執りて新郎を迎へに出づる、十人の處女に比ふべし。

その中の五人は愚にして五人は慧し。

愚なる者は燈火をとりて油を携へず、

慧きものは油を器に入れて燈火とともに携へたり。

新郎遲かりしかば、皆まどろみて寢ぬ。

夜半に「やよ、新郎なるぞ、出で迎へよ」と呼はる聲す。

ここに處女みな起きてその燈火を整へたるに、

愚なる者は慧きものに言ふ「なんぢらの油を分けあたへよ、我らの燈火きゆるなり」

慧きもの答へて言ふ「恐らくは我らと汝らとに足るまじ、寧ろ賣るものに往きて己がために買へ」

彼ら買はんとて往きたる間に新郎きたりたれば、備へをりし者どもは彼とともに婚筵にいり、而して門は閉されたり。

その後かの他の處女ども來りて「主よ、主よ、われらの爲にひらき給へ」と言ひしに、

答へて「まことに汝らに告ぐ、我は汝らを知らず」と言へり。

されば目を覺しをれ、汝らは其の日その時を知らざるなり。

また或人とほく旅立せんとして、其の僕どもを呼び、之に己が所有を預くるが如し。

各人の能力に應じて、或者には五タラント、或者には二タラント、或者には一タラントを與へ置きて旅立せり。

五タラントを受けし者は、直ちに往き、之をはたらかせて他に五タラントを贏け、

二タラントを受けし者も同じく他に二タラントを贏く。

然るに一タラントを受けし者は、往きて地を掘り、その主人の銀をかくし置けり。

久しうして後この僕どもの主人きたりて彼らと計算したるに、

五タラントを受けし者は他に五タラントを持ちきたりて言ふ「主よ、なんぢ我に五タラントを預けたりしが、視よ、他に五タラントを贏けたり」

主人いふ「宜いかな、善かつ忠なる僕、なんぢは僅なる物に忠なりき。我なんぢに多くの物を掌どらせん、汝の主人の勸喜に入れ」

二タラントを受けし者も來りて言ふ「主よ、なんぢ我に二タラントを預けたりしが、視よ、他に二タラントを贏けたり」

主人いふ「宜いかな、善かつ忠なる僕、なんぢは僅なる物に忠なりき。我なんぢに多くの物を掌どらせん、汝の主人の勸喜にいれ」

また一タラントを受けし者もきたりて言ふ「主よ、我はなんぢの嚴しき人にて、播かぬ處より刈り、散らさぬ處より斂むることを知るゆゑに、

懼れてゆき、汝のタラントを地に藏しおけり。視よ、汝はなんぢの物を得たり」

主人こたへて言ふ「惡しくかつ惰れる僕、わが播かぬ處より刈り、散さぬ處より斂むることを知るか。

さらば我が銀を銀行にあづけ置くべかりしなり、我きたりて利子とともに我が物をうけ取りしものを。

されば彼のタラントを取りて十タラントを有てる人に與へよ。

すべて有てる人は、與へられて愈々豐ならん。されど有たぬ者は、その有てる物をも取らるべし。

而して此の無益なる僕を外の暗黒に逐ひいだせ、其處にて哀哭・切齒することあらん」

人の子その榮光をもて、もろもろの御使を率ゐきたる時、その榮光の座位に坐せん。

かくてその前にもろもろの國人あつめられん、之を別つこと牧羊者が羊と山羊とを別つ如くして、

羊をその右に、山羊をその左におかん。

ここに王その右にをる者どもに言はん「わが父に祝せられたる者よ、來りて世の創より汝等のために備へられたる國を嗣げ。

なんぢら我が飢ゑしときに食はせ、渇きしときに飮ませ、旅人なりし時に宿らせ、

裸なりしときに衣せ、病みしときに訪ひ、獄に在りしときに來りたればなり」

ここに、正しき者ら答へて言はん「主よ、何時なんぢの飢ゑしを見て食はせ、渇きしを見て飮ませし。

何時なんぢの旅人なりしを見て宿らせ、裸なりしを見て衣せし。

何時なんぢの病みまた獄に在りしを見て、汝にいたりし」

王こたへて言はん「まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なる此等のいと小き者の一人になしたるは、即ち我に爲したるなり」

かくてまた左にをる者どもに言はん「詛はれたる者よ、我を離れて惡魔とその使らとのために備へられたる永遠の火に入れ。

なんぢら我が飢ゑしときに食はせず、渇きしときに飮ませず、

旅人なりしときに宿らせず、裸なりしときに衣せず、病みまた獄にありしときに訪はざればなり」

ここに彼らも答へて言はん「主よ、いつ汝の飢ゑ、或は渇き、或は旅人、あるひは裸、あるひは病み、或は獄に在りしを見て事へざりし」

ここに王こたへて言はん「誠になんぢらに告ぐ、此等のいと小きものの一人に爲さざりしは、即ち我になさざりしなり」と。

かくて、これらの者は去りて永遠の刑罰にいり、正しき者は永遠の生命に入らん』

第26章

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イエスこれらの言をみな語りをへて、弟子たちに言ひ給ふ

『なんぢらの知るごとく、二日の後は過越の祭なり、人の子は十字架につけられん爲に賣らるべし』

そのとき祭司長・民の長老ら、カヤパといふ大祭司の中庭に集り、

詭計をもてイエスを捕へ、かつ殺さんと相議りたれど、

又いふ『まつりの間は爲すべからず、恐らくは民の中に亂起らん』

イエス、ベタニヤにて癩病人シモンの家に居給ふ時、

ある女、石膏の壺に入りたる貴き香油を持ちて、近づき來り、食事の席に就き居給ふイエスの首に注げり。

弟子たち之を見て憤ほり言ふ『何故かく濫なる費をなすか。

之を多くの金に賣りて、貧しき者に施すことを得たりしものを』

イエス之を知りて言ひたまふ『何ぞこの女を惱すか、我に善き事をなせるなり。

貧しき者は常に汝らと偕にをれど、我は常に偕に居らず。

この女の我が體に香油を注ぎしは、わが葬りの備をなせるなり。

まことに汝らに告ぐ、全世界いずこにても、この福音の宣傅へらるる處には、この女のなしし事も記念として語らるべし』

ここに十二弟子の一人イスカリオテのユダといふ者、祭司長らの許にゆきて言ふ

『なんぢらに彼を付さば、何ほど我に與へんとするか』彼ら銀三十を量り出せり。

ユダこの時よりイエスを付さんと好き機を窺ふ。

除酵祭の初の日、弟子たちイエスに來りて言ふ『過越の食をなし給ふために、何處に我らが備ふる事を望み給ふか』

イエス言ひたまふ『都にゆき、某のもとに到りて「師いふ、わが時近づけり。われ弟子たちと共に過越を汝の家にて守らん」と言へ』

弟子たちイエスの命じ給ひし如くして、過越の備をなせり。

日暮れて十二弟子とともに席に就きて、

食するとき言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、汝らの中の一人われを賣らん』

弟子たち甚く憂ひて、おのおの『主よ、我なるか』と言ひいでしに、

答へて言ひたまふ『我とともに手を鉢に入るる者われを賣らん。

人の子は己に就きて録されたる如く逝くなり。されど人の子を賣る者は禍害なるかな、その人は生れざりし方よかりしものを』

イエスを賣るユダ答へて言ふ『ラビ、我なるか』イエス言ひ給ふ『なんぢの言へる如し』

彼ら食しをる時、イエス、パンをとり、祝してさき、弟子たちに與へて言ひ給ふ『取りて食へ、これは我が體なり』

また酒杯をとりて謝し、彼らに與へて言ひ給ふ『なんぢら皆この酒杯より飮め。

これは契約のわが血なり、多くの人のために、罪の赦を得させんとて流す所のものなり。

われ汝らに告ぐ、わが父の國にて新しきものを汝らと共に飮む日までは、われ今より後この葡萄の果より成るものを飮まじ』

彼ら讃美を歌ひて後オリブ山に出でゆく。

ここにイエス弟子たちに言ひ給ふ『今宵なんぢら皆われに就きて躓かん「われ牧羊者を打たん、さらば群の羊散るべし」と録されたるなり。

されど我よみがへりて後、なんぢらに先だちてガリラヤに往かん』

ペテロ答へて言ふ『假令みな汝に就きて躓くとも我はいつまでも躓かじ』

イエス言ひ給ふ『まことに汝に告ぐ、こよひ鷄鳴く前に、なんぢ三たび我を否むべし』

ペテロ言ふ『我なんぢと共に死ぬべき事ありとも汝を否まず』弟子たち皆かく言へり。

ここにイエス彼らと共にゲツセマネといふ處にいたりて、弟子たちに言ひ給ふ『わが彼處にゆきて祈る間、なんぢら此處に坐せよ』

かくてペテロとゼベダイの子二人とを伴ひゆき、憂ひ悲しみ出でて言ひ給ふ、

『わが心いたく憂ひて死ぬばかりなり。汝ら此處に止りて我と共に目を覺しをれ』

少し進みゆきて、平伏し祈りて言ひ給ふ『わが父よ、もし得べくば此の酒杯を我より過ぎ去らせ給へ。されど我が意の儘にとにはあらず、御意のままに爲し給へ』

弟子たちの許にきたり、その眠れるを見てペテロに言ひ給ふ『なんぢら斯く一時も我と共に目を覺し居ること能はぬか。

誘惑に陷らぬやう、目を覺しかつ祈れ。實に心は熱すれども肉體よわきなり』

また二度ゆき祈りて言ひ給ふ『わが父よ、この酒杯もし我飮までは過ぎ去りがたくば、御意のままに成し給へ』

復きたりて彼らの眠れるを見たまふ、是その目疲れたるなり。

また離れゆきて、三たび同じ言にて祈り給ふ。

而して弟子たちの許に來りて言ひ給ふ『今は眠りて休め。視よ、時近づけり、人の子は罪人らの手に付さるるなり。

起きよ、我ら往くべし。視よ、我を賣るもの近づけり』

なほ語り給ふほどに、視よ、十二弟子の一人なるユダ來る、祭司長・民の長老らより遣されたる大なる群衆、劍と棒とをもちて之に伴ふ。

イエスを賣る者あらかじめ合圖を示して言ふ『わが接吻する者はそれなり、之を捕へよ』

かくて直ちにイエスに近づき『ラビ、安かれ』といひて接吻したれば、

イエス言ひたまふ『友よ、何とて來る』このとき人々すすみてイエスに手をかけて捕ふ。

視よ、イエスと偕にありし者のひとり、手をのべ劍を拔きて、大祭司の僕をうちて、その耳を切り落せり。

ここにイエス彼に言ひ給ふ『なんぢの劍をもとに收めよ、すべて劍をとる者は劍にて亡ぶるなり。

我わが父に請ひて、十二軍に餘る御使を今あたへらるること能はずと思ふか。

もし然せば、斯くあるべく録したる聖書はいかで成就すべき』

この時イエス群衆に言ひ給ふ『なんぢら強盜に向ふごとく劍と棒とをもち、我を捕へんとて出で來るか。我は日々宮に坐して教へたりしに、汝ら我を捕へざりき。

されどかくの如くなるは、みな預言者たちの書の成就せん爲なり』ここに弟子たち皆イエスを棄てて逃げさりぬ。

イエスを捕へたる者ども、學者・長老らの集り居る大祭司カヤパの許に曳きゆく。

ペテロ遠く離れ、イエスに從ひて大祭司の中庭まで到り、その成行を見んとて、そこに入り下役どもと共に坐せり。

祭司長らと全議會と、イエスを死に定めんとて、いつはりの證據を求めたるに、

多くの僞證者いでたれども得ず。後に二人の者いでて言ふ

『この人は「われ神の宮を毀ち三日にて建て得べし」と云へり』

大祭司たちてイエスに言ふ『この人々が汝に對して立つる證據に何をも答へぬか』

されどイエス默し居給ひたれば、大祭司いふ『われ汝に命ず、活ける神に誓ひて我らに告げよ、汝はキリスト、神の子なるか』

イエス言ひ給ふ『なんぢの言へる如し。かつ我なんぢらに告ぐ、今より後、なんぢら人の子の全能者の右に坐し、天の雲に乘りて來るを見ん』

ここに大祭司おのが衣を裂きて言ふ『かれ瀆言をいへり、何ぞ他に證人を求めん。視よ、なんぢら今この瀆言をきけり。

いかに思ふか』答へて言ふ『かれは死に當れり』

ここに彼等その御顏に唾し、拳にて搏ち、或者どもは手掌にて批きて言ふ

『キリストよ、我らに預言せよ、汝をうちし者は誰なるか』

ペテロ外にて中庭に坐しゐたるに、一人の婢女きたりて言ふ『なんぢもガリラヤ人イエスと偕にゐたり』

かれ凡ての人の前に肯はずして言ふ『われは汝の言ふことを知らず』

かくて門まで出で往きたるとき、他の婢女かれを見て、其處にをる者どもに向ひて『この人はナザレ人イエスと偕にゐたり』と言へるに、

重ねて肯はず、契ひて『我はその人を知らず』といふ。

暫くして其處に立つ者ども近づきてペテロに言ふ『なんぢも慥にかの黨與なり、汝の國訛なんぢを表せり』

ここにペテロ盟ひかつ契ひて『我その人を知らず』と言ひ出づるをりしも、鷄鳴きぬ。

ペテロ『にはとり鳴く前に、なんぢ三度われを否まん』と、イエスの言ひ給ひし御言を思ひだし、外に出でて甚く泣けり。

第27章

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夜明けになりて、凡ての祭司長・民の長老ら、イエスを殺さんと相議り、

遂に之を縛り、曳きゆきて總督ピラトに付せり。

ここにイエスを賣りしユダ、その死に定められ給ひしを見て悔い、祭司長・長老らに、かの三十の銀をかへして言ふ、

『われ罪なきの血を賣りて罪を犯したり』彼らいふ『われら何ぞ干らん、汝みづから當るべし』

彼その銀を聖所に投げすてて去り、ゆきて自ら縊れたり。

祭司長らその銀をとりて言ふ『これは血の價なれば、宮の庫に納むるは可からず』

かくて相議り、その銀をもて陶工の畑を買ひ、旅人らの墓地とせり。

之によりて其の畑は、今に至るまで血の畑と稱へらる。

ここに預言者エレミヤによりて云はれたる言は成就したり。曰く『かくて彼ら値積られしもの、即ちイスラエルの子らが値積りし者の價の銀三十をとりて、

陶工の畑の代に之を與へたり。主の我に命じ給ひし如し』

さてイエス、總督の前に立ち給ひしに、總督問ひて言ふ『なんぢはユダヤ人の王なるか』イエス言ひ給ふ『なんぢの言ふが如し』

祭司長・長老ら訴ふれども、何をも答へ給はず。

ここにピラト彼に言ふ『聞かぬか、彼らが汝に對して如何におほくの證據を立つるを』

されど總督の甚く怪しむまで、一言をも答へ給はず。

祭の時には、總督群衆の望にまかせて、囚人一人を之に赦す例あり。

ここにバラバといふ隱れなき囚人あり。

されば人々の集れる時、ピラト言ふ『なんぢら我が誰を赦さんことを願ふか。バラバなるか、キリストと稱ふるイエスなるか』

これピラト彼らのイエスを付ししは嫉に因ると知る故なり。

彼なほ審判の座にをる時、その妻、人を遣して言はしむ『かの義人に係ることを爲な、我けふ夢の中にて彼の故にさまざま苦しめり』

祭司長・長老ら、群衆にバラバの赦されん事を請はしめ、イエスを亡さんことを勸む。

總督こたへて彼らに言ふ『二人の中いづれを我が赦さん事を願ふか』彼らいふ『バラバなり』

ピラト言ふ『さらばキリストと稱ふるイエスを我いかにすべきか』皆いふ『十字架につくべし』

ピラト言ふ『かれ何の惡事をなしたるか』彼ら烈しく叫びていふ『十字架につくべし』

ピラトは何の效なく反つて亂にならんとするを見て、水をとり群衆のまへに手を洗ひて言ふ『この人の血につきて我は罪なし、汝等みづから當れ』

民みな答へて言ふ『其の血は、我らと我らの子孫とに歸すべし』

ここにピラト、バラバを彼らに赦し、イエスを鞭うちて、十字架につくる爲に付せり。

ここに總督の兵卒ども、イエスを官邸につれゆき、全隊を御許に集め、

その衣をはぎて、緋色の上衣をきせ、

茨の冠冕を編みて、その首に冠らせ、葦を右の手にもたせ、且その前に跪づき、嘲弄して言ふ『ユダヤ人の王、安かれ』

また之に唾し、かの葦をとりて其の首を叩く。

かく嘲弄してのち、上衣を剥ぎて、故の衣をきせ、十字架につけんとて曳きゆく。

その出づる時、シモンといふクレネ人にあひしかば、強ひて之にイエスの十字架をおはしむ。

かくてゴルゴタといふ處、即ち髑髏の地にいたり、

苦味を混ぜたる葡萄酒を飮ませんとしたるに、嘗めて、飮まんとし給はず。

彼らイエスを十字架につけてのち、籤をひきて其の衣をわかち、

且そこに坐して、イエスを守る。

その首の上に『これはユダヤ人の王イエスなり』と記したる罪標を置きたり。

ここにイエスとともに二人の強盜、十字架につけられ、一人はその右に、一人はその左におかる。

往來の者どもイエスを譏り、首を振りていふ、

『宮を毀ちて三日のうちに建つる者よ、もし神の子ならば己を救へ、十字架より下りよ』

祭司長らもまた同じく、學者・長老らとともに嘲弄して言ふ、

『人を救ひて己を救ふこと能はず。彼はイスラエルの王なり、いま十字架より下りよかし、さらば我ら彼を信ぜん。

彼は神に依り頼めり、神かれを愛しまば今すくひ給ふべし「我は神の子なり」と云へり』

ともに十字架につけられたる強盜どもも、同じ事をもてイエスを罵れり。

晝の十二時より地の上あまねく暗くなりて、三時に及ぶ。

三時ごろイエス大聲に叫びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言ひ給ふ。わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひしとの意なり。

そこに立つ者のうち或人々これを聞きて『彼はエリヤを呼ぶなり』と言ふ。

直ちにその中の一人はしりゆきて海綿をとり、酸き葡萄酒を含ませ、葦につけてイエスに飮ましむ。

その他の者ども言ふ『まて、エリヤ來りて彼を救ふや否や、我ら之を見ん』

イエス再び大聲に呼はりて息絶えたまふ。

視よ、聖所の幕、上より下まで裂けて二つとなり、また地震ひ、磐さけ、

墓ひらけて、眠りたる聖徒の屍體おほく活きかへり、

イエスの復活ののち墓をいで、聖なる都に入りて、多くの人に現れたり。

百卒長および之と共にイエスを守りゐたる者ども、地震とその有りし事とを見て甚く懼れ『實に彼は神の子なりき』と言へり。

その處にて遙に望みゐたる多くの女あり、イエスに事へてガリラヤより從ひ來りし者どもなり。

その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、及びゼベダイの子らの母などもゐたり。

日暮れて、ヨセフと云ふアリマタヤの富める人きたる。彼もイエスの弟子なるが、

ピラトに往きてイエスの屍體を請ふ。ここにピラト之を付すことを命ず。

ヨセフ屍體をとりて淨き亞麻布につつみ、

岩にほりたる己が新しき墓に納め、墓の入口に大なる石を轉しおきて去りぬ。

其處にはマグダラのマリヤと他のマリヤと墓に向ひて坐しゐたり。

あくる日、即ち準備日の翌日、祭司長らとパリサイ人らとピラトの許に集りて言ふ、

『主よ、かの惑すもの生き居りし時「われ三日の後に甦へらん」と言ひしを、我ら思ひいだせり。

されば命じて三日に至るまで墓を固めしめ給へ、恐らくはその弟子ら來りて之を盜み、「彼は死人の中より甦へれり」と民に言はん。然らば後の惑は前のよりも甚だしからん』

ピラト言ふ『なんぢらに番兵あり、往きて力限り固めよ』

乃ち彼らゆきて石に封印し、番兵を置きて墓を固めたり。

第28章

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さて安息日をはりて、一週の初の日のほの明き頃、マグダラのマリヤと他のマリヤと墓を見んとて來りしに、

視よ、大なる地震あり、これ主の使、天より降り來りて、かの石を轉し退け、その上に坐したるなり。

その状は電光のごとく輝き、その衣は雪のごとく白し。

守の者ども彼を懼れたれば、戰きて死人の如くなりぬ。

御使こたへて女たちに言ふ『なんぢら懼るな、我なんぢらが十字架につけられ給ひしイエスを尋ぬるを知る。

此處には在さず、その言へる如く甦へり給へり。來りてその置かれ給ひし處を見よ。

かつ速かに往きて、その弟子たちに「彼は死人の中より甦へり給へり。視よ、汝らに先だちてガリラヤに往き給ふ、彼處にて謁ゆるを得ん」と告げよ。視よ、汝らに之を告げたり』

女たち懼と大なる歡喜とをもて、速かに墓を去り、弟子たちに知らせんとて走りゆく。

視よ、イエス彼らに遇ひて『安かれ』と言ひ給ひたれば、進みゆき、御足を抱きて拜す。

ここにイエス言ひたまふ『懼るな、往きて我が兄弟たちに、ガリラヤにゆき、彼處にて我を見るべきことを知らせよ』

女たちの往きたるとき、視よ、番兵のうちの數人、都にいたり、凡て有りし事どもを祭司長らに告ぐ。

祭司長ら、長老らと共に集りて相議り、兵卒どもに多くの銀を與へて言ふ、

『なんぢら言へ「その弟子ら夜きたりて、我らの眠れる間に彼を盜めり」と。

この事もし總督に聞えなば、我ら彼を宥めて汝らに憂なからしめん』

彼ら銀をとりて言ひ含められたる如くしたれば、此の話ユダヤ人の中にひろまりて、今日に至れり。

十一弟子たちガリラヤに往きて、イエスの命じ給ひし山にのぼり、

遂に謁えて拜せり。されど疑ふ者もありき。

イエス進みきたり、彼らに語りて言ひたまふ『我は天にても地にても一切の權を與へられたり。

されば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖靈との名によりてバプテスマを施し、

わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』