通俗正教教話/主の御祈祷
(二)主 の御 祈 祷
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- (唱名・七請願・讃揚)
問
- 答
御座 いますとも、『主 の祈祷 』として聖書 〔馬太六の九 - 十三〕に録 して御座 いまするのが其 で御座 います。
問 『
- 答
主 の御 祈 祷 と申 しまするのは、我主 イイスス・ハリストスが口 づから其 御弟子 に御 教 へになりお弟子 が凡 ての信者 に傳 へ知 らせました御 祈 祷 で御座 います。
問
- 答
其 は次の様な文 句 で御座 います。 - 『
天 に在 す我 等 の父 よ、願 はくば爾 の名 は聖 とせられ、爾 の國 は来 り、爾 の旨 は天 に行 はるる如 く地 にも行 はれん、我 日用 の糧 を今日 我 等 に與 へ給 へ、我 等 に債 ある者 を我 等 免 すが如 く我 等 の債 を免 し給 へ、我 等 を誘 に導 かず、猶 我 等 を凶 悪 より救 ひ給 へ、蓋 國 と権能 と光栄 は爾 に世々 に帰 す「アミン」』〔馬太六の九 - 十三〕。
問 『
- 答
其 には『主 の祈 祷 』を『唱名 』と『七つの請願 』と『讃揚 』の三つに区 分 して各々 其 に就 いて究 べましたならば詳 しい意味 が解 るので御座 います。
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唱名 のこと
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天 に在 す我 等 の父 よ>>
問
- 答
私 共 人間 は主 イイスス ハリストスが此 世 にお降 りになって救贖 の道 をお建 てになる迄 は悪 魔 の思 ふ通 りになる悪 魔 の奴 隷 で御座 いましたが、併 し一度主 によって私 共 が贖 はれました後 は其 御 恩寵 によって主 を信 ずる者 は悉 く神様の愛 子 となったので御座 います、其処 で神様を呼 ぶにも『父 』と呼 ばるる身 分 となったので御座 います、聖書 に此事 を申 して御座 いますには『イイススを受 け其 名 を信 ずる者 には主 は神 の子 と為 るの権 を賜 へり』〔イオアン一の十二〕『爾 等 は皆 ハリストス・イイススを信 ずるによりて神 の子 なり』〔ガラテヤ三の二十六〕と。
問
- 答
其 は基督信者 たるものは常 に自己 の為 め許 りを考 へず、自分 の事 を考 ふると同 時 に他人 の身 の上 のことも考 へて、神様に物 をお願 ひする時 にも常 に自分の為 め許 りでなく他人 の為 めにもお願 ひする義務 を持 て居 りまするので一人 祈祷をする時 でも何時 も『我 等 の父 よ』と申 すので御座 います。
問
- 答
其 は先 ず神様に御祈祷をするに先 だって此塵 の世 の思 を悉 く去 り思 を清 めて心 を天 に挙 げ、神様の御 国 の事 を心 の内 に思 い浮 かべしむるが為 で御座 います。
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第一 請願
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願 はくは爾 の名 は聖 とせられ>>
問 『
- 答
左 様 で御座 いますとも聖書に『権能 者 の名 は聖 なり』〔ルカ一の四十九〕と申 して御座 います通 り、主 の御名 は私 共 が望 まずとも永久 に聖 なるものでは御座 いますが、併 し其聖 なる御名 を私 共 は自分の不 正 な行 によって畏 れ多 くも屡々 穢 すので御座 います、で『爾 の名 は聖 とせられ』と申 しまするのは畢竟 其 が為 に申 しまするので此 言 は決 して神様の名 が穢 れて居 るから其 を聖 にしやうと謂 ふので私 共 が述 ぶるのでは無 く、神様の御名 は何時 でも聖 で御座 いまするが、其聖 なる御名 に私 共 が悪 い事 を行 っては泥 を塗 りまするので、何 うか其様 な神様の御名 を穢 す様 な行 を慎 まうと謂 ふので述 ぶる次 第 なので御座 います、即 ち第一には私 共 の心 の中 に常 に神様の御名 を忘 れない様 に刻 み附 けて、其 御名 を穢 さぬ様 な行 を常 に為 して神様を讃 め揚 ぐること、第二には他 人 が其 私 共 の善 き行 を見 て『有繋 は基督信者 である』と私 共 を感服 すると共 に神様の御名 を讃 め揚 ぐる様 に務 むるので御座 います、其 うすれば茲 に始 めて『爾 の名 は聖 とせられ』と私 共 が唱 へた御祈祷の主 意 が通 る訳 なので御座 います、聖書 に申 して御座 いまするには『爾 等 の光 は人々 の前 に照 るべし、彼 等 が爾 等 の善 き行 を見 て天 に在 す爾 等 の父 を讃栄 せん為 なり』〔馬太五の十六〕と私 共 は日常 でも此様 な心 懸 けを有 たねばなりませぬ。
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第二 請願
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爾 の国 は来 り>>
問
- 答
其 は此 俗界 を離 れた霊 なる社会 のことなので御座 います、尚 ほ詳 しく之 を申 しますれば其 『爾 の国 』と申 しまする神様の惠 ある国 は私 共 が常 に心 の内 に望 み描 いて居 る社会 で御座 いまして其処 には戦 もなければ争論 もない極 めて平 和 な而 して正 しい美 しい世 の中 で、俗 に申 しますれば畢竟 凡 てが順序 よく行 はれている黄金世界なので御座 います、聖 使徒 パエルは其 書 の内 に此 の如 き世 の中 の事 を説 き明 して申 しましたには『神 の国 は飲食 に在 らず、乃 ち義 と和 平 と聖神 に由 る喜 とに在 るなり』〔ロマ十四の十七〕[1]
問 では
- 答
其 は敢 て何時 と定 まって居 る訳 では御座 いません其様 な『国 』の来 ると来 ないとは人々 の心 掛 次 第 で、若 し人 が神様の旨 に適 ふ正 しい行 を常 に為 して居 るならば、神様の国 は其人 の心 の中 に常 に臨 んで居 るので御座 います、此 に反 し神 の旨 に悖 る様 な行 をして居 りまする人 には神様の惠 ある国 は永久 に臨 み到 らぬので御座 います。
問
- 答
否 、何 も変 った事 の有 る訳 では御座 いません、神 の国 は最 も奥床 しく人 の知 らざる内 に臨 み来 るもので御座 いまして、此事 は聖書にも『神 の国 は顕 に来 らず』〔ルカ十七の二十〕と明 に記 して御座 います。
問 『
- 答
其 は光栄 の国 即 ち常 に私 共 が死後 に行 かうと望 んで居 る処 の幸 多 き天国 を求 めなければなりませぬ、聖 使徒 パエルの『釋 かれて(死して)ハリストスと共 に在 らんことを願 ふ』〔フィリッピ一の二十三〕と謂 った言 は実 に此 望 を表 した同 じ意味 の言 葉 で御座 います。
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第三 請願
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爾 の旨 は天 に行 はるる如 く地 にも行 はれん>>
問
- 答
第三 請願 に申 して御座 いまする望 は斯 う謂 ふ望 なので御座 います、私 共 が行 ひまする事 若 しくは偶然 に私 共 の身 の上 に起 って来 まする凡 ての事 は皆 私 共 の望 通 りでなく、唯々 神様の御 旨 通 りに行 はるる様 にとの望 を表 したものなので御座 います。
問
- 答
何為 と申 しまして私 共 の望 みまする事 には碌 な事 は無 いので人間 の考 は誠 に浅薄 なもので御座 いまするから其 望 を叶 へたことが却 て往々 害 になる様なことが屡々 有 るので御座 います、然 るに神様は些少 の罪 もなく過去 も現在 も未 来 も凡 てご存 じの御 方 で御座 いまするから其 御 旨 に御 委 せすることは遙 に私 共 が自 分 で御 願 ひするよりも多 くの幸 を得 るので御座 います、聖書に此事 を『(神は)我 等 が凡 そ求 むる所 或 は思 ふ所 よりも極 めて多 く為 すを得 』〔エヘス三の二十〕と申 して御座 います。
問
- 答
其 は天 即 ち神様の御 国 に於 ては諸 の天 使 及 び諸義人 は凡 て神様の御 旨 通 りに物事 を行 って居 りますので、何 うか此 世 に於 ても私 共 の考 ふること行 ふことが悪 魔 の旨 でなく神様の御 旨 に適 ふ様 にと其 の為 に此事 を御 願 ひ致 すので御座 います。
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第四 請願
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我 日用 の糧 を今日 我 等 に與 へ給 へ>>
問 『
- 答 『
日用 の糧 』と謂 ふのは人間 が生命 を支 へて行 くに日々 必要 欠 くべからざるもの例 へば米 とか水 とか謂 ふ様 な物 を申 すので御座 います。
問
- 答
其 は我主 イイスス ハリストスのお教 へ給 ひし御誡 に従 って御 願 ひ致 すので決 して自分勝手に述 ぶるのでは御座 いません、主 は嘗 て其 御 弟子 に、爾 等 は只 生活の為 に必要 欠 くべからざる物 のみを神 に願 ったならば其 で充分 で有 る、其 餘 の物 は皆 神 の旨 に委 せて置 けば宜 しい、而 して若 し神 が爾 等 に被下 ったならば其 を感謝 して戴 き若 し被下 らなければ別 に其事 を彼 れ此 れ心配 する必要 は無 い、何 となれば神 は何 が爾 等 に必要 で、何 を遣 った方がよいと謂 ふ事 は『爾 等 が願 はざる先 に爾 等 の需 むる所 を知 る』〔マトヘイ五の八〕と申 されたことが御座 います。
問
- 答
其 は私 共 の心 が常 に食 ったり飲 んだりする事許 りに傾 くのを防 ぐ為 で、私 共 は其 日 其 日 を何 の不 自 由 もなく暮 して行 ったならば何 の一年も二年も先 の事 を心配 せずとも可 いので、先々 の事 は『私 共 が需 むるより先 に御 存 じて御居 でになる』神様に御 委 せして置 けば少 しも心配 することなく楽 しく此 世 を過 ごすことが出来 るので御座 います、『日用 の糧 』を今日 のみ願 ふのは其 う謂 ふ訳 なので御座 います。
問 『
- 答
霊魂 を養 って行 く糧 を需 めなければなりませぬ、其様 な糧 が無 かったならば霊 は餓 て死んで了 まうので御座 います。
問 では
- 答
其 は神様の御 言 と我主 イイスス ハリストスの救贖 を御建 てになった体 と血 で御座 います聖書 に斯 う申 して御座 います『人 は惟 餅 のみを以 て生 くべきに非 ず、乃 凡 そ神 の口 より出 づる言 を以 てす』〔馬太四の四〕、『主 の体 は真 の糧 なり其 血 は真 の飲物 なり』〔イオアン六の五十五〕。
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第五 請願
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我 等 に債 ある者 を我 等 免 すが如 く我 等 の債 を免 し給 へ>>
問
- 答
其 は私 共 の罪 の事 で御座 います。
問
- 答
其 は私 共 人間 は神様から萬 事 に於 て言 ひ尽 されぬ御 惠 を受 けて居 りながら其 恩返 しを致 すことができない許 りでなく屡々 神様の御誡 に背 き其 御 旨 に逆 ふ様 なことをなしまするので、畢竟 神様に対 して非 常 な借金 が有 る訳 で御座 います、其 で御座 いますから『私 共 の罪 』を『債 』と申 したので御座 います。
問 『
- 答
其 には種々 種類 が御座 います、金 を貸 して遣 って其 を返 さぬ人も債 ある者 で御座 いますれば、種々 世話 をして遣 っても其恩 を返 すことを知 ぬ人 も債 ある者 で御座 います、要するに私 共 に対 して当然 になすべきことを為 さぬ人 は皆 我 等 に債 の有 る人 なので御座 います。
問
- 答
其 を免 れるには我主 イイスス ハリストスを頼 んで其 中保 に由 って神様に自分 の債 の免 を御 願 ひ致 すので御座 います、聖書 には其事 を左 の様 に申 されて御座 います。 - 『
神 は一 なり、神 と人 との間 には中保者 も亦 一 なり、乃 人 ハリストス・イイスス衆人 の贖 ひの為 に己 を與 へし者 なり』〔テモエイ前書二の五、六〕
問
- 答
其時 には神様も私 共 の罪 を赦 して被下 らないので御座 います、此事 は明 に聖書 に申 されて御座 います『若 し爾 等 人 に其 過 を免 さば爾 等 の天 の父 は爾 等 にも免 さん、若 し人 に其 過 を免 さずば爾 等 の父 も爾 等 に過 を免 さざらん』〔馬太六の十四、十五〕
問 神様は
- 答
何為 と申 しまして、若 し私 共 が他人 の過 を赦 さなかったならば私 共 は取 も直 さず無 慈悲 極 まる悪者 で御座 いますから神様の御 惠 に與 る権 利 が無 いので御座 います。
問
- 答
此 言 を称 へまする時 には心 の中 に少 しの怨 も怒 も他人 に構 へず、心 を穏 にして何人 とも和 睦 して人々 に親切 なる心 掛 を持 たねばなりませぬ。聖書 に此事 を誡 めて『爾 若 し礼物 を祭壇 に携 へ至 り(神様に捧 ぐる為に)彼処 に於 て爾 が兄弟 の爾 と隙 あるを憶 ひ起 さば爾 の礼物 を祭壇 の前 に置 きて往 きて先 づ爾 の兄弟 と和 ぎ後 来 りて爾 の礼物 を献 ぜよ』〔馬太五の二十三、二十四〕と申 して御座 います。
問
- 答
其時 には視 ざる所 なき神様の前 に於 て心 の中 で其 人々 と和 睦 したならば宜 しいので御座 います、聖書 に『若 し能 くすべくば爾 等 の力 を竭 して衆人 と相 和 せよ』〔ロマ十二の十七〕と申 して御座 います通 り出来得 る限 り和 睦 を務 め出来得 ざる所 は神様の前 に和 睦 したならば其 で宜 しいので御座 います。
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第六 請願
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我 等 を誘 に導 かず>>
問
- 答
其 は神様に対 する信仰 を失 はせたり、又 は重 い罪 に陥 れんとする様 な危 い誘惑 で御座 います。
問 では
- 答
其 を企 むものは私 共 の此 肉体 と世 間 即 ち他 人 と人 を惑 さう惑 さうと常 に思 って居 る悪 魔 とで御座 います。
問
- 答
其 は第一に私 共 が誘 に陥 った時 神様が私 共 を顧 みて其 誘 に私 共 の従 はぬ様 にして被下 ることと、第二には神様が私 共 の心 を御 練 りになる為 に故意 と種々 な誘 を私 共 に御 下 しになった場 合 、私 共 が其 誘 に敗 けて亡 ぶる様 なことの無 い様 に豫 め神様に御 願 ひ致 して置 くので御座 います。
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第七 請願
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猶 我 等 を凶 悪 より救 ひ給 へ>>
問
- 答
其 は神様が私 共 を悪 魔 の奸悪 なる謀 より救 ひ出 し給 ふ事 なので御座 います、世 界 の萬 事 は初人 アダムが罪 に陥 った以 来 は皆 『悪 に伏 する』〔イオアン一書五の十九〕物 となって常 に私 共 を罪悪 に陥 れ様 と企 んで居 るので御座 いますから私 共 は其 謀 に懸 らない様 に神様に助 を求 むるので御座 います。
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讃揚 のこと
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蓋 國 と権能 と光栄 は爾 に世々 に帰 す「アミン」>>
問
- 答
其 は第一に私 共 が天 に在 す神様に此 言 を以 て尊敬 を表 し、第二には神様の限 りなき権能 と光栄 とを常 に心 の内 に思 ひ浮 べて、神様は必 ず私 共 の願 を聴 入 れて被下 ると謂 ふ堅 い信仰 を心 の内 に持 つが為 で御座 います。
問 『アミン』と
- 答 『アミン』と
謂 ふ言 はエウレイ(ヘブライ)の語 で御座 いますが此 を日本語に翻訳 して申 しますれば『誠 に其通 りで御座 います』とか又 は『其 通 りになる事 を望 んで居 ります』とか申 す意味 なので御座 います。
問
- 答
其 は聖 使徒 ヤコフが其 公書 の内 に於 て教 へて居 りまする通 り『信 を以 て毫 も疑 はずして』〔一の六〕神様に其 願 を述 ぶるが為 で御座 います。
脚注
編集- ↑ 原文は「ロマ十五の十七」ですが、明らかに誤植と思われるので「ロマ十四の十七」に訂正しました。