ピリピ人への書 (文語訳)

<文語訳新約聖書

w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:大正改訳聖書

ピリピ人への書

第1章

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キリスト・イエスの僕たる我ら、パウロとテモテと、書をピリピにをるキリスト・イエスに在る凡ての聖徒、および監督たちと執事たちとに贈る。

願はくは我らの父なる神および主イエス・キリストより賜ふ恩惠と平安と汝らに在らんことを。

われ汝らを憶ふごとに、我が神に感謝し、

常に汝ら衆のために、願のつどつど喜びて願をなす。

是なんぢら初の日より今に至るまで、福音を弘むることに與るが故なり。

我は汝らの衷に善き業を始め給ひし者の、キリスト・イエスの日まで之を全うし給ふべきことを確信す。

わが斯くも汝ら衆を思ふは當然の事なり、我が縲絏にある時にも、福音を辯明して之を堅うする時にも、汝らは皆われと共に恩惠に與るによりて、我が心にあればなり。

我いかにキリスト・イエスの心をもて汝ら衆を戀ひ慕ふか、その證をなし給ふ者は神なり。

我は祈る、汝らの愛、知識ともろもろの悟とによりて彌が上にも増し加はり、

善惡を辨へ知り、キリストの日に至るまで潔よくして躓くことなく、

イエス・キリストによる義の果を充して、神の榮光と譽とを顯さん事を。

兄弟よ、我はわが身にありし事の反つて福音の進歩の助となりしを汝らが知らんことを欲するなり。

即ち我が縲絏のキリストの爲なることは、近衞の全營にも、他の凡ての人にも顯れ、

かつ兄弟のうちの多くの者は、わが縲絏によりて主を信ずる心を厚くし、懼るる事なく、ますます勇みて神の言を語るに至れり。

或者は嫉妬と分爭とによりてキリストを宣傳へ、あるものは善き心によりて之を宣傳ふ。

これは福音を辯明するために我が立てられたることを知り、愛によりてキリストを宣べ、

かれは我が縲絏に患難を加へんと思ひ、誠意によらず、徒黨によりて之を宣ぶ。

さらば如何、外貌にもあれ、眞にもあれ、孰も宣ぶる所はキリストなれば、我これを喜ぶ、また之を喜ばん。

そは此のことの汝らの祈とイエス・キリストの御靈の賜物とによりて、我が救となるべきを知ればなり。

これは我が何事をも恥ぢずして、今も常のごとく聊かも臆することなく、生くるにも、死ぬるにも、我が身によりてキリストの崇められ給はんことを切に願ひ、また望むところに適へるなり。

我にとりて、生くるはキリストなり、死ぬるもまた益なり。

されど若し肉體にて生くる事わが勤勞の果となるならば、孰を選ぶべきか、我これを知らず。

我はこの二つの間に介まれたり。わが願は世を去りてキリストと偕に居らんことなり、これ遙に勝るなり。

されど我なほ肉體に留るは汝らの爲に必要なり。

我これを確信する故に、なほ存へて汝らの信仰の進歩と喜悦とのために、汝等すべての者と偕に留らんことを知る。

これは我が再び汝らに到ることにより、汝らキリスト・イエスに在りて我にかかはる誇を増さん爲なり。

汝等ただキリストの福音に相應しく日を過せ、さらば我が往きて汝らを見るも、離れゐて汝らの事をきくも、汝らが靈を一つにして堅く立ち、心を一つにして福音の信仰のために共に戰ひ、

凡ての事において逆ふ者に驚かされぬを知ることを得ん。その驚かされぬは、彼らには亡の兆、なんぢらには救の兆にて、此は神より出づるなり。

汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。

汝らが遭ふ戰鬪は、曩に我の上に見しところ、今また我に就きて聞くところに同じ。

第2章

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この故に若しキリストによる勸、愛による慰安、御靈の交際、また憐憫と慈悲とあらば、

なんぢら念を同じうし、愛を同じうし、心を合せ、思ふことを一つにして、我が喜悦を充しめよ。

何事にまれ、徒黨また虚榮のためにすな、おのおの謙遜をもて互に人を己に勝れりとせよ。

おのおの己が事のみを顧みず、人の事をも顧みよ。

汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。

即ち彼は神の貌にて居給ひしが、神と等しくある事を固く保たんとは思はず、

反つて己を空しうし、僕の貌をとりて人の如くなれり。

既に人の状にて現れ、己を卑うして死に至るまで、十字架の死に至るまで順ひ給へり。

この故に神は彼を高く上げて、之に諸般の名にまさる名を賜ひたり。

これ天に在るもの、地に在るもの、地の下にあるもの、悉とくイエスの名によりて膝を屈め、

且もろもろの舌の『イエス・キリストは主なり』と言ひあらはして、榮光を父なる神に歸せん爲なり。

されば我が愛する者よ、なんぢら常に服ひしごとく、我が居る時のみならず、我が居らぬ今もますます服ひ、畏れ戰きて己が救を全うせよ。

神は御意を成さんために汝らの衷にはたらき、汝等をして志望をたて、業を行はしめ給へばなり。

なんぢら呟かず疑はずして、凡ての事をおこなへ。

是なんぢら責むべき所なく素直にして、此の曲れる邪惡なる時代に在りて神の瑕なき子とならん爲なり。汝らは生命の言を保ちて、世の光のごとく此の時代に輝く。

かくて我が走りしところ勞せしところ空しからず、キリストの日にわれ誇ることを得ん。

さらば汝らの信仰の供物と祭とに加へて、我が血を灌ぐとも我は喜ばん、なんぢら衆と共に喜ばん。

かく汝等もよろこべ、我とともに喜べ。

われ汝らの事を知りて慰安を得んとて、速かにテモテを汝らに遣さんことを主イエスに頼りて望む。

そは彼のほかに我と同じ心をもて眞實に汝らのことを慮ぱかる者なければなり。

人は皆イエス・キリストの事を求めず、唯おのれの事のみを求む。

されどテモテの錬達なるは汝らの知る所なり、即ち子の父に於ける如く我とともに福音のために勤めたり。

この故に我わが身の成行を見ば、直ちに彼を遣さんことを望む。

我もまた速かに往くべきを主によりて確信す。

されど今は先われと共に働き共に戰ひし兄弟、すなはち汝らの使として我が窮乏を補ひしエパフロデトを、汝らに遣すを必要のことと思ふ。

彼は汝等すべての者を戀ひしたひ、又おのが病みたることの汝らに聞えしを以て悲しみ居るに因りてなり。

彼は實に病にかかりて死ぬばかりなりしが、神は彼を憐みたまへり、啻に彼のみならず、我をも憐み、憂に憂を重ねしめ給はざりき。

この故に急ぎて彼を遣す、なんぢらが再び彼を見て喜ばん爲なり。又わが憂を少うせん爲なり。

されば汝ら主にありて歡喜を盡して彼を迎へ、かつ斯くのごとき人を尊べ。

彼は汝らが我を助くるに當り、汝らの居らぬを補はんとて、己が生命を賭け、キリストの事業のために死ぬばかりになりたればなり。

第3章

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終に言はん、我が兄弟よ、なんぢら主に在りて喜べ。なんぢらに同じことを書きおくるは、我に煩はしきことなく、汝等には安然なり。

なんぢら犬に心せよ、惡しき勞動人に心せよ、肉の割禮ある者に心せよ。

神の御靈によりて禮拜をなし、キリスト・イエスによりて誇り、肉を恃まぬ我らは眞の割禮ある者なり。

されど我は肉にも恃むことを得るなり。もし他の人、肉に恃むところありと思はば、我は更に恃む所あり。

我は八日めに割禮を受けたる者にして、イスラエルの血統、ベニヤミンの族、ヘブル人より出でたるヘブル人なり。律法に就きてはパリサイ人、

熱心につきては教會を迫害したるもの、律法によれる義に就きては責むべき所なかりし者なり。

されど曩に我が益たりし事はキリストのために損と思ふに至れり。

然り、我はわが主キリスト・イエスを知ることの優れたるために、凡ての物を損なりと思ひ、彼のために既に凡ての物を損せしが、之を塵芥のごとく思ふ。

これキリストを獲、かつ律法による己が義ならで、唯キリストを信ずる信仰による義、すなはち信仰に基きて神より賜はる義を保ち、キリストに在るを認められ、

キリストとその復活の力とを知り、又その死に效ひて彼の苦難にあづかり、

如何にもして死人の中より甦へることを得んが爲なり。

われ既に取れり、既に全うせられたりと言ふにあらず、唯これを捉へんとて追ひ求む。キリストは之を得させんとて我を捉へたまへり。

兄弟よ、われは既に捉へたりと思はず、唯この一事を務む、即ち後のものを忘れ、前のものに向ひて勵み、

標準を指して進み、神のキリスト・イエスに由りて上に召したまふ召にかかはる褒美を得んとて之を追ひ求む。

されば我等のうち成人したる者は、みな斯くのごとき思を懷くべし、汝等もし何事にても異なる思を懷き居らば、神これをも示し給はん。

ただ我等はその至れる所に隨ひて歩むべし。

兄弟よ、なんぢら諸共に我に效ふものとなれ、且なんぢらの模範となる我らに循ひて歩むものを視よ。

そは我しばしば汝らに告げ、今また涙を流して告ぐる如く、キリストの十字架に敵して歩む者おほければなり。

彼らの終は滅亡なり。おのが腹を神となし、己が恥を光榮となし、ただ地の事のみを念ふ。

されど我らの國籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ。

彼は萬物を己に服はせ得る能力によりて、我らの卑しき状の體を化へて、己が榮光の體に象らせ給はん。

第4章

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この故に我が愛するところ慕ふところの兄弟、われの喜悦われの冠冕たる愛する者よ、斯くのごとく主にありて堅く立て。

我ユウオデヤに勸めスントケに勸む、主にありて心を同じうせんことを。

また眞實に我と軛を共にする者よ、なんぢに求む。この二人の女を助けよ。彼らはクレメンス其のほか生命の書に名を録されたる我が同勞者と同じく、福音のために我とともに勤めたり。

汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。

凡ての人に汝らの寛容を知らしめよ、主は近し。

何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。

さらば凡て人の思にすぐる神の平安は、汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん。

終に言はん、兄弟よ、凡そ眞なること、凡そ尊ぶべきこと、凡そ正しきこと、凡そ潔よきこと、凡そ愛すべきこと、凡そ令聞あること、如何なる徳いかなる譽にても、汝等これを念へ。

なんぢら我に學びしところ、受けしところ、聞きしところ、見し所を皆おこなへ、さらば平和の神なんぢらと偕に在さん。

汝らが我を思ふ心の今また萠したるを、われ主にありて甚く喜ぶ。汝らは固より我を思ひゐたるなれど、機を得ざりしなり。

われ窮乏によりて之を言ふにあらず、我は如何なる状に居るとも、足ることを學びたればなり。

我は卑賤にをる道を知り、富にをる道を知る。また飽くことにも、飢うることにも、富むことにも、乏しき事にも、一切の秘訣を得たり。

我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり。

されど汝らが我が患難に與りしは善き事なり。

ピリピ人よ、汝らも知る、わが汝らに福音を傳ふる始、マケドニヤを離れ去るとき、授受して我が事に與りしは、汝等のみにして、他の教會には無かりき。

汝らは我がテサロニケに居りし時に、一度ならず二度までも我が窮乏に物贈れり。

これ贈物を求むるにあらず、唯なんぢらの益となる實の繁からんことを求むるなり。

我には凡ての物そなはりて餘あり、既にエパフロデトより汝らの贈物を受けたれば、飽き足れり。これは馨しき香にして神の享け給ふところ、喜びたまふ所の供物なり。

かくてわが神は己の富に隨ひ、キリスト・イエスによりて汝らの凡ての窮乏を榮光のうちに補ひ給はん。

願はくは榮光世々限りなく、我らの父なる神にあれ、アァメン。

汝らキリスト・イエスに在りて聖徒おのおのに安否を問へ、我と偕にある兄弟たち汝らに安否を問ふ。

凡ての聖徒、殊にカイザルの家のもの、汝らに安否を問ふ。

願はくは主イエス・キリストの恩惠、なんぢらの靈と偕に在らんことを。