北条五代記巻第十 目次

 
 
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北条五代記巻第十
 
 
 
見しは今。敷島しきしま国々の名所めいしよ旧跡きうせきおほしといへ共。相模さがみの国。三浦三崎にまさる名所有がたし。此名所旧記きうきにのせ。古歌にもおほくよめるといへども末代まつだいに至て尋る人まれなり。さればの名所旧跡きうせきは。聞て千金せんきん。見て一もう。三さきの名所聞しよりも見て日をおどろかし。心言葉ことばたへたり。山かい風致ふうち。大万景ばんけいにもこへぬべし。此在所ざいしよを三さきがうする事。いはれなきにしもあらず。さがみの国三浦崎うらさきは。北より南の海中かいちうへ。はるかにうかび出たり。又東より安房あはの国。の崎西にしの海中へ出る。此間のふねの渡り八里。此内海に。上総かづさ下総しもふさ武蔵むさし。五ケ国に入海いりうみ有扨又西より伊豆いづ国。河奈かはな崎。ひがしうみ浦崎うらさきへ出むかふ。此渡り十八内海うちうみうらつゞき小田原かまくら有。此三つのしま崎大海原うなばらにて出むかつて。たとへば鉄輪かなわの三ツあしたり。然に三浦崎は。三国の中といひ。南おもてむかひたる故。中をしやうとし。三浦崎を三崎とがうす。愚老ぐらう吾妻鏡あづまかゞみ見侍みはんべるに。三崎宝蔵ほうざう山の地形ちぎやう世にこへたるにより。しやう頼朝よりとも公。御山庄さんしやうを立られんがため。吉日をえらび。建久けんきう五年甲寅きのへとら。八月朔日二ほんうら三崎へ。渡御とぎよし給ふ。是三崎のつにをいて御山庄さんしやうを。立られんゆへ也。北条殿父子ふし上総かづさ義兼よしかね山五郎宗政むねまさ。三浦兵衛尉義村よしむら佐々さゝ木三郎盛綱もりつな梶原かぢはら三郎兵衛景義かげよし工藤くどう小次郎行光ゆきみつ小野寺をのでら太郎道綱みちつな伊豆いづかみ義範よしのり。以下供奉ぐぶす。先小笠懸がさかげあり。射手いて下河辺庄司しもかはべのしやうじ行平ゆきひら。小山七郎朝光ともみつ和田わだ左衛門尉よしもり。八田左衛門尉ともしげ。海野うんの小太郎よしうち。ふちさは次郎清近きよちか梶原かぢはら左衛門尉景季かげすゑ愛甲あつかう三郎季隆すゑたか榛谷はんがへ四郎重朝しげとも橘次公成きつじきんなり里見冠者さとみのくわんじやよしなり。加々次郎長清ながきよ。以下也宝蔵ほうざう山に。御所を立られ。御だい若君わかぎいともなはしめ給ふ。三浦介義澄うらのよしずみ。じゆんしゆを。経営けいゑいけうをもよほし。珍膳ちんぜんをくはふる。此所の眺望てうばうは。うら白波しらなみ青山せいざんによす。をよそ地境ちけいにをいて。日本無双ぶさうと云々。又翌年よくねん乙卯きのとのう正月廿五日。将軍しやうぐん三崎のつに渡御とぎよし給ふ。船中せんちうにて御遊興ゆうけうあげてしるしがたし。三浦の一ぞく課駄くわだをまうくる。同廿七日還御くわんぎよ也。又将軍御労ごらう。いさゝか御平愈へいゆうなし。八月廿六日。御舟にて海浦うみうらをへ。三崎の山庄さんしやう渡御とぎよし給ふ。御遊覧ゆうらんとうあり。今度京より御下向げかうのち。いまだ此義にあたはず。是当所たうしよ風景ふうけいに。もよほされてと。御感悦かんゑつあさからずと云々。扨又三崎の前海まへうみ城ケ島じやうがしまに。春は桜花。さきみだれ面白おもしろいそ山の気色けしき。たぐひなかりけり。是によて頼朝公頼家よりいえ公。花の時分じぶんは三崎へ。毎年まいねん着御ちやくぎよ。正元年も御出ぎよしゆつし給ひぬ。実朝さねとも将軍しやうぐん。三崎の桜花。御見物有べしとて。建暦けんりやく二年壬申みづのへさる。三月九日あまみだい所をともなはしめ。三崎へ入御じゆぎよし給ふ建保けんほ三年三月。同五年九月。安貞あんてい三年二月廿一日。同四月十七日。詩歌しいか管絃くわんげんの御ゆう。さらにつくしがたし。扨又寛喜くわんきオープンアクセス NDLJP:562元年己丑つちのとのうし。三月十七日辰刻たつのこく頼経よりつね将軍しやうぐん。三崎のいそ山。御遊覧ゆうらんのため。出御しゆつぎよし給ふ。相州さうしう武州ぶしうをはじめ御ともするがの前司ぜんじ。御ふねをもよほし。海上かいじやうにて管絃詠歌ゑいあくあり。佐原さはら三郎左衛門尉。遊女ゆうぢよを相ともなひ。一えうにさほさし。さんかうする事。しかもけうあらずと云事なし。をよそ山陰さんゐんのけいすう。海上の眺望てうばう比類ひるい有べからずと。ほめさせ給ひ。同十九日に還御くわんぎよ也。同二年庚寅かのへとら三月十九日。将軍。三崎。いそ山の花ざかり。御遊覧のため。武州六浦むつらのつより。御ふねにめされ。海上かいじやうにて管絃くわんげんあり。若宮わかみや児童じだうめされ。船中せんちうにて詩歌しいかゑいじ。連歌れんかをつらね給ふ。相州さうしう武州ぶしう以下参らる。よつて領主りやうしゆ駿河するが前司ぜんじとなると御まうけ。ぜんつくつくさずと云事なし両国司こくし武蔵守むさしのかみ泰時やすとき相模守さがみのかみふさ基綱ともつな親行ちかゆき胤行たねゆき。をの秀句しうくけんぜらるゝと云々。鎌倉かまくら数代すだい将軍しやうぐん。三崎の御所に着御ちやくぎよ有て。様々の御遊興ゆうけうのべつくしがたし。右のおもむあづまかゞみの文言をうつし侍る者也。かく当地のけいすぐれたるによつて。頼朝よりとも公をはじめ。だい々の将軍。いそ山花の時節じせつを待かねさせ給ひ。御遊覧ゆうらんをもよほされ。毎年まいねん三崎のつへ渡御とぎよ有て詩歌しいか管絃くわんげんの。御ゆうむかしを思ひ出て。今一入の眺望てうばうぞまさりける。永禄ゑいろくれき弥生やよひじゆんの比ほひ。北条氏やす三崎しま山桜花。御見物の御もよほし有によつて。伊豆いづ相模さがみの舟共。ことく小田原のうらにかくる。氏康氏まさ御舟にめされ。御供の人々は。海陸かいりくなり。海浦うみはら遊覧ゆうらんのため。なぎさにそひて舟をうかべ。うら々をこぎめぐり。陸地くがちを御供の人々ははまづたひ舟とくがと。言葉ことはをかはし。珍興ちんけうの御ゆう也をよそはまうら々には。千そう万艘の舟をつなぐといふ共。せはからず。水底すいていふかふして。たぐひなきみなと。から国までも聞へたり、天正四年の比ほひ。三くわんと云唐人たう。氏政のとら印判ゐんばんをいただき。もろこしにわたいり。三年目の戊寅つちのへとら七月二日に。黒舟くろふね三崎の湊に着岸ちやくがんす。たう人此湊を見て。黒舟千ぞうつなぐ共せばからず。をよそから国にも有べからずといふ。然に氏政の検使けんしとして。安藤豊前守あんどうぶぜんのかみといふ人。三崎へ来て。からと日本の口通こうつう出合。売買ばいてい。ゆゝしくぞ見へける。其所在家ざいけ。千有て。鶏鳴けいめい狗吠くうべいあひ聞へて。四きやうにたつすといへる。孟子まうじ言葉ことばをおもひ出せり。先年せねん三崎のしろは。北条美濃守みのゝかみちか居城ゐじやうとす。当浦たうゝら関東くわんとう無双ぶさうみなとたるによつて。氏なをふな大将。梶原かぢはら備前守びぜんのかみかしらとし。そうの舟をかけをく。房州ばうしう里見さとみ左馬頭さまのかみ義頼よしよりてきたるにこそ。舟にて渡海とかいし。たゝかひやむ事なし。氏なを没落ぼつらくより以来このかた家康いえやす公御舟大将。小浜をはま民部みんぶ左衛門尉。むか兵庫ひやうご助。間宮まみやとら之助。千孫兵衛。此四かしら彼湊かのみなと居住きよぢうとす。当地たうち繁昌はんじやう古今ここんことならず
 
 
聞しはむかし。天正十年なつの比ほひ。前摂政関白さきのせつしやうくわんぱく秀吉公ひでよしこう明智日向守あけちひうがのかみ光秀みつひでうつて後。義兵ぎへいをあげ。天下に威をふるひ給ひしかば。関東北条氏直うぢなを。京都へ使者ししやとして。板部岡いたべをか江雪斎ごうせつさいを。のぼせられ。又其後名代みやうだいと有て。北条みのゝかみ氏親うぢゝか上洛すといへ共。氏直上洛なきに付て秀吉公ひでよしこうオープンアクセス NDLJP:563いこんに思ひ給へり。是によつて京都より。明王院みやうわうゐんあつかひとして下り。小田原へ来て云。氏直一たび上洛にをいては。秀吉公年来としごろ積欝せきうつさんじて。喜悦きゑつあるべし。都鄙とひ和平わへいたるべきむね申さるゝによて。氏直上洛有べきよし返答へんたうに付て。明王院帰洛きらくす。然に氏直上洛のとゞけとして。石巻下野守いしまきしもつけのかみを。のぼせらる。秀吉公下野守にむかひ。とひ給ひていはく。氏直上洛日限にちげんいかん。下野守日限は。しかと承りとゞけず。先上洛の御請申御れいとして罷上り候。秀吉公聞召きこしめし日限にちげん聞とゞけず上る事くせ事と有て。下野守しもつけのかみ気色きしよくそむく。然に秀吉公仰として。富田左近将監とみたさこんのしやうげん津田隼人正つだはやとのかみうけ給り。小田原へ使者ししやを下していはく。氏直上洛にをいては。北条陸奥守むつのかみ松田まつだとほ山。大道寺だいだうじ羽賀はが。山かど家老からうの者ども。皆引つれらるべきよし申つかはさる。氏直聞給ひて家老の者どもに。秀吉なにの子細しさいあらん。抑我国にをいては。秀吉ひでよしより。恩賞をんしやうにもあづからず。先祖せんぞ尊霊そんれい早雲さううん。いやしくも。武勇ぶゆういへうまれ。弓箭きうせんたいする身とし。武略ぶりやくをもて。伊豆いづ相模さがみを切て取。其後とう八ケ国を。静謐せきひつおさる事。氏直うぢなをまで五だいなり。然といへ共普天ふてんした王地わうちにあらずといふ事なし。勅命ちよくめいにをいては。参内さんだい申べし扨又氏直うぢなをも。天下のぞかねて有といへ共。使札しさつにては取がたし。関東くわんとうのぞみにましまさん人。たれにはかぎるべからず。武勇ぶゆうをもつて取給へ。たがひに勝負せうぶけつし。運命うんめいをば天にまかすべし其上明王院みやうわうゐん申さるゝ所。いきやくせり。此上は上洛するに。及ばずと返答へんたうせり。秀吉公此よしを聞召。欝憤うつぷんをふく見やむ事なくすでに。関東へはつかうの聞へ有。氏直持国じこく伊豆いづするがに。数城すじやう有といへ共。何れも大軍たいぐんを引うけべき城にあらざる故。みなわりすて。豆州とうしう。にら山一じやうばかりを残せり。同国どうこく山中は先年関所せきしよの跡にて。地形ちぎやうひろからずといへ共。岱崎だいさきを取入。ほりをほり。海道かいだうふせぎのため。しん義にこうしたる小しろ也。松田兵衛大夫。城代じやうだいとす。扨又加勢かせいとして。北条左衛門大夫。間宮豊前まみやぶぜん守。池田民部いけだみんぶ。山中大炊おほい助。椎津隼人正しゐづはやとのかみをさしつかはさる。然に秀吉公氏直。たいぢとして。東国へはつかう有しは。天正十八とらの年。三月十九日京都を打立。同廿七日するがぬま津に至り。其日石巻いしまき野守つけのかみをば。人をさしそへ。伊豆いづさかひまでをくり返し。明王院みやうわうゐんをも召ぐし。ゑきなきあつかひと有て。するがのさかひ黄瀬川きせがはに。はた物にかけ給ひぬ。同廿九日とらの刻。ぬま津を出勢しゆつせい当日むまの刻。山中のしろへをしよする。岱崎だいさきむかつ前登せんとうにすゝむ衆。中村式部少輔。堀尾帯刀ほりをたてわき。山内対馬守つしまのかみ。一柳監物やなぎけんもつ南方なんぱうよりは。長谷川はせがは藤五郎。木村常陸守ひたちのかみほり左衛門尉を先とし。大ぐんにて。山もたに平地へいぢにせめかゝる。しろには岱崎だいさきに大鉄炮てつぱうをかけをき。放すといへ共。討るゝ者をふみこえ。のりこえ。鬨声ときのこゑ矢さけびのをとに。天地をひゞかしせめたゝかふ。敵方には一柳伊豆守やなぎいづのかみさきとし。むねとのさふらひあまた討死うちじにす。然に秀吉ひでよし公伊豆の国へうつてむかひ給ふよし。小田原へつげ来る事。くしのはをひくがごとし。物見ものみとして山上やまかみごう右衛門尉をつかはさる。ものみ山中の城へはせ付所に。すでにはやさんみだしせめたゝかふ。城の左右うしろのみねまでも。敵取のぼり。人数は雲霞うんかのごとし。江右衛門尉いオープンアクセス NDLJP:564はく。我は是物見に来る。あとを以きられかなふべからずと。召ぐす所の騎馬きば卅騎ほど。旗馬はたむまじるしをさしつれ。からめでより引返す。敵是を見てすは城をあけのくは。かゝれ者どもと一度にどつと。鯨波ときのこゑをあげ。近江あふみ中納言秀次〈[#ルビ「近江」は底本では「遠江」]〉。先ぢんにて渡辺わたなべ勘兵衛尉。鳥毛とりげ半月はんげつのさし物をさし。万士ばんしぬきん光登せんとうにすゝむ。秀吉公は岱崎だいさきより。西にしの方にぢんし是を見。もだえかねさせ給ひ。御馬じるしきんのへうたんを。手づから取て。懸りすゝめと。ふりあげ下知げぢし給ひぬ。諸軍しよぐん是を見て。いのちをば塵埃じんあいよりかろく。ほりとび土井どひ太刀たちを。つき立やりはたざほを。さし立足代あししろとし。人のうへに人かさなり。責上せめあがる。らんぐみ。さかもぎを引やぶり。へいをくづしてせめ入んとす。松田兵衛大夫うちはとつしゆをいさめ。討死うちじにして名を後記こうきにとゞめよと下知げぢすれば。諸卒しよそついのちを一ぢんよりもかろんじ。千鈞きんをもんじ。おもてもふらず。一あしもひかずたゝかふといへども。敵はたぜい。みかたは無勢ぶせい。松田兵衛大夫をさきとし。間宮豊前まみやぶぜん守。池田民部いけだみんぶ椎津隼人正しゐづはやとのかみ佐藤さとう左衛門尉。栗本備前くりもとびせん守。山下兵庫ひやうご助。同源三。山をか左京助。かた山大ぜん富田豊後とみたぶんご守。皆こと討死うちじにす。秀よしこう山中をせめ落。かつのつて卯月一日はこねあしがら山をこえて。三日に小田原へ押寄をしよせ秀吉公ひでよしこう西にしの高山に陣城ぢんじやうをかまへ。小田原をだはらじやうを見おろし。はた本には。九州きうしう嶋津しまづ同き。大ともごくに。毛利もうりおなじき吉川きつかは小早川こばやかははじめとして。うしろはみねをのぼり。たにをくだりに。陣取ぢんどり左陣さぢんにさしつゞき。長岡なゝをか越中守津の侍従じじう浮田宰相うきたのさいしやう近江あふみ中納言并に家中衆かちうしゆう。中村式部少輔しきぶのせうゆう堀尾帯刀ほりをたてわき。一柳伊豆やなぎいづ守。山内対島つしま守。次に大がき少将せうしやう。松ケさき侍従じじう尾張をはり内府だいふおなじき家中衆。さわ井左衛門尉。天野周防あまのすはう守。土方ひぢかた勘兵衛尉。羽柴はしば下総しもふさ守。次に加藤かとう左馬助。長宗我部ちやうそかべ家康いへやすおなじき家中衆。榊原式部さかきばらしきぶ大夫。大久保くぼ七郎左衛門尉。酒井さかゐ左衛門尉。同き宮内くない大夫。伊井ゐい兵部少輔。松平周防すはう守。牧野まきの右馬丞うまのぜう〈[#「丞」は底本では「亟」]〉東南ひがしみなみ浜路はまぢにつゞき陣取ぢんどる右陣みぎぢん長谷川はせがは藤五郎。羽柴はしば左衛門尉。池田いけだ三左衛門尉。脇坂わきさかつかさ安房あは里見さとみ左馬頭さまのかみ西南にしみなみうみぎはまで陣取ぢんどる諸勢しよせいほりぎはまでをしよせ。後陣ごぢん山野さんや寸土尺地すんどしやくぢのすきまなければ。天に飛鳥とぶとりもかける事をえず。をはしるけだものもかくれん所なし。海上かいじやうは四国。九州きうしう西海さいかいの。軍船ぐんせんそう兵船ひやうせん。こぎうかべ。うら波間なみまも見へず。かけをきぬれば。たゞ陸地くがのごとし。敵味方てきみかた鉄炮てつぱう鳴音なるをと。上はうちやう。下はならくのそこまでも。ひゞくかと。おどろかる。扨又伊豆いづの国。にら山のじやうには。北条ほうでう美濃守みのゝかみ氏親うぢゝか。たてこもる。よせ手の衆。福島ふくしま左衛門大夫。戸田民部少輔とだみんぶせうゆう蜂須賀はちすか阿波守あはのかみ生駒いこま雅楽頭うたのかみ前野但馬守まへのやじまのかみ伊賀いが侍従じじうを。先として都合つがう其勢。五万にて。せめたゝかふ。同国どうこく下田しもだじやうには。清水しみづ上野守かうづけのかみ。たてこもる。よせ手には。伊勢いせ尾張をはり参河みかは遠江とをたふみ駿河するがの。兵船ひやうせん渡海とかいし。伊豆いづ津々浦々つゝうらへ。ふねをつけ。九鬼くき隅守すみのかみ大将として。せめらる。上野かうづけ松井田まつゐだじやうには。大道寺駿河守だいだうじするがのかみこもる。羽柴築前守はしばちくぜんのかみ大将にて。長尾喜平次ながをきへいじ蘆田あしだ真田さなだ都合つがう其勢五万騎にてせむる。武州ぶしう鉢形はちかたじやうには。北条ほうでう安房守あはのかみ氏邦うぢくにこもる。寄手よせてには。浅野弾正あさのだんじやう大将として。木村常陸守きむらひたちのかみオープンアクセス NDLJP:565家康いへやす家中かちう。本田中務なかづかさ鳥井とりゐ彦右衛門。平岩ひらいは七之助都がう三万余騎よきにてせむる。扨くわんしうにたてこもる城々しろには。大胡おほご小幡おばた伊勢崎いせざき新田につた倉賀野くらがの那和なわ前橋まへばし安中あんなか小泉こいづみ箕輪みのわ。木白井しらゐ免取めんとり飯野いひの立林たてばやし佐野さの足利あしかゞ壬生みぶ皆川みなかわ藤岡ふぢをか加泥かぬま小山をやま榎本をのもと深谷ふかやをし川越かはごえ松山まつやま木栖きせい菖蒲しやうぶ岩付いわつき羽丹生はにう江戸えど津久居つくゐ。八王寺わうじ甘縄たまなは〈[#「甘縄」はママ]〉新井あらゐ三崎みさき高野台かうのだい鳥手とりて関宿せきやど小金こがね布川ふかは幾本ゑのもと助崎すけざき孫子いびこ印西ゑんざい佐倉さくら臼井うすゐ椎津しゐづ窪田くぼた万騎まんき〈[#「万騎」は底本では「万崎」]〉長南ちやうなん池和田いけのわだ東金とうがね。大須賀すか。八まん山。東野とうの。山むろいはケ崎。もり山。古河こが土気どけ成戸なると小久保こくぼ土浦つちうら相馬さうま木溜きたまり〈[#ルビ「きたまり」は底本では「またまり」。「木田余」の意か]〉江戸崎江どさき栗橋くりはし筧水みつみ。此外城々しろ其数をしらず寄手よせてには。石田治部少輔いしだちぶのせうゆう。大しやうとして。北国ほくこく出勢しゆつせい出羽では奥州おうしう伊達だて次郎正宗まさむね。佐竹太郎義宣よしのぶ都合つがう十万余騎よき軍勢ぐんぜい雲霞うんかのごとく。はせ来て。くわんしうに入みだれ民屋みんおく放火はうくわし。城々しろにてせめたゝかひ。おめきさけこゑ鉄炮てつぱう鳴音なるをと。天地しんどうし。しろこもる者共は。焦熱せうねつ大焦熱の。ほのほに。むせぶらんとぞ。おぼえける然に。秀吉ひでよし公京都出勢しゆつせい。二十万としるされしが。西国さいこく北国ほくこく諸士しよし遅参ちさんともがらもはせかさなり。くわんしう出羽では奥州おうしう士卒しそつ幕下ばつかにつきぬれば。都合つがう其勢五十万とぞ。聞へける然に。小田原をだはらしろ三四ケ月に至り。せめたゝかふ。くろがねたてをつゐて。取よりほりをうめ。土穴つちあなへほり入て。矢倉やぐらをうち返し。よるひる鯨波ときのこゑさけびのをと止事やむことなく。せむるといへ共城内じやうないにも。とう八ケこく軍兵ぐんびやう。たてこもる。太田おほた十郎。北条ほうでう七郎。同新太郎。同陸奥守むつのかみ。同左衛門すけ。同右衛門すけ。同新三郎。同彦太郎。伊勢備中守いせびつちうのかみ大和やまと兵部少輔せうゆう小笠原をがさはら播摩守はりまのかみ。松田尾張をはり守入道。同右馬助。同肥後ひご守。山かど上野守かうづけのかみ。同四郎左衛門せう。同左近大夫。多目ためごん兵衛ぜう。山中主膳しゆぜん福島ふくしま伊賀いが守。石まき勘解由かげゆ。同下総しもふさ守。南条なんでうしろ守。同右京亮うきやうのすけ〈[#ルビ「右京亮」は底本では「故京亮」]〉。同左馬丞さまのぜう〈[#「丞」は底本では「亟」]〉小西隼人正こにしはやとのかみ富永内膳とみながないぜん大藤だいとう左衛門尉。依田よだぜん荒川あらかは豊前守ぶぜんのかみ大森おほもり甲斐守かひのかみ清水しみづ太郎左衛門ぜうとを山右衛門ぜう大道寺だいだうじ孫九郎。上田うへだ常陸守ひたちのかみ酒井さかゐ左衛門尉。羽賀はが伊予守いよのかみ朝倉あさくら右京進うきやうのしん伊藤いとう右馬丞うまのぜう〈[#「丞」は底本では「亟」]〉大藤式部少輔だいとうしきぶせうゆう原豊前守はらぶぜんのかみ荒木あらき兵衛尉。羽賀はが伯耆はうき守。安中あんなか左近将監さこんのしやうげん由良ゆら信濃守しなのゝかみ長尾ながを新六。小幡をばた孫市。上田うへだ兵衛大夫。成田なりた下総しもふさ守。内藤ないとう大和やまと守。足利あしかゞ新六郎。小泉こいづみ兵大夫。佐倉さくら筑後ちくご守。布川ふかは弥太郎。長南ちやうなん八郎。倉賀野くらがの淡路あはぢ守。皆川みながはしろ守。深谷ふかや才兵衛。大須賀すかごん大夫。高井たかゐ主水もんとう立林たてばやし喜平次。此外あげてしるしがたし
 
 
見しはむかし。小田原をだはら城には北条氏直公うぢなをこう諸老しよらうをあつめ評定ひやうじやう有ていはく。それしやうたるのみち。まさに。まづ心をおさむべし。太山たいさんまへにくづるゝ共。いろへんぜず。ひろくひだりにおこれ共。目まじろかず。てらして後に。もつて利害りがいをせいす。もつて。てきうつべしとは。老泉らうせん金言きんげんなり。其上合戦かつせん勝負しやうぶ多勢小勢たぜいせうぜいによらず。たゞ軍士ぐんしの心ざしを一にすると。せざるとの。二ツに有。西国さいこくオープンアクセス NDLJP:566は大ぐんなりといふ共。かれら秀吉ひでよしぎやくいに。をそれぐんやくに。下る寄合よりあひ士卒しそつなれば。心ざしはおなじからず。然に氏直うぢなをくわん八州の武士ぶしは。五だいにつたはり。をんかんとくをしたふ。旧臣きうしん其上。数度すど合戦かつせん強敵がうてきをなびかし。武略ぶりやくもてくにおさめ。めいをかろんじ。をおもんじ。一度もへんぜず。君臣きんしん合体がつてい勇士つうしなれば。たとひてき百万。むかふといふ共。なじかは雌雄しゆうけつせざるべき。数日すじつをうつさず。伊豆国いづのくに。はつねが原。三しまへことく。諸軍しよぐんを打出し。一せんをとげ。当家たうけうんと。秀吉ひでよしうんと。天の照覧せうらんまか〈[#「任」は底本では「住」]〉すべしと。下知げぢし給ふ所に。家老からう松田尾張守まつだおはりのかみ入道にうだう。すゝみ出て申けるは。それ名将めいしやうといふは。難義なんぎの所をよくこらへて。始終しゞうかちを。心にかゝるをこそ。文武ぶんぶ達人たつじんとは申べき。此度伊豆いづへ打出。合戦かつせんにをよぶ事。善悪ぜんあくの二ツにきまれり。扨又てき引請ひきうけ籠城ろうじやうに至ては。遠国をんごくせい長陣ながぢん。かつて叶ふべからず。百度もゝたびたゝかつて。百度かつはいくさのぜんにあらず。たゝかはずして。てきをくつするを。ぜんの善なりとす。是孫子そんしが心なり。其上を一さだむる事は。やすくはかりごとを。万代ばんだいのこす事はかたし。ひとへに籠城ろうじやうしかるべしと。しきりにいさめ申に付て。氏直うぢなを出陣しゆつぢん延引えんいんす。尾張守をはりのかみ反逆はんぎやくのむね有て。いさめけるを。氏直さとり給はず。うんすゑとは。後にぞ思ひしられたる。然共此じやう堅固けんごにかまへ。広大くわうだい成事。西にし富士ふじ小嶺山こみねやまつゞきたり。二ツの山の間に。三ほりをほり。小嶺山を。城中じやうちうに入。早川はやかはの河をかたどり。みなみのはまべえをしまはし。石垣いしがきをつき。東北ひがしきた沼田ぬまたほりをほり築地ついぢをつき。東西とうざいへ五十町。南北なんぼくへ七十町。まはりは五ほうに。せいろう。矢倉やぐらすきもなく立をき。へいさかもぎを引せ持口もちぐち

に。大将家々いへのはたをなびかし。むまじるしさし色々いろ様々さまに有て。風にひるがへすよそほひ。吉野よしの立田たつたの花紅葉もみぢにやたとへん。さうかまへ役所やくしよのめぐり。往還わうくわんの道は。よこ三十げん程有て。武者むしやたて所せばからず。ぢん屋はぬりごめ小路こうぢをわり。人数にんじゆしげき事。稲麻竹藺たうまちくゐのごとし。よる辻々つぢにかゞりをたき。たゞ白日にことならず。諸侍しよさふらひ干戈かんくはまくらとし。甲冑かつちうをしとねとし。役所やくしよの者共は。ゆみ鉄炮てつぱうを。すきもなくはなつによつて。てきちかく取よりがたし。扨又夜警よけい固として。旗本衆六百人甲冑かつちうたいし。ゆみ鉄炮てつはうやりを。手々にもち歩行かちにてひる七ツ時分。しろの大手四ツもんあつまつて。せいぞろへし。三百人づゝ二手に。両方へ分て。夜もすがらそうかまへをめぐる。持口もちぐちの大将は夜毎よごと警固けいごの衆に。出むかひ対面たいめんし。礼義れいぎにをよぶ。扨又ひるは百人づゝ。両方へ分て。夜るのごとく警固けいご也。氏直公さだめをかるゝ軍法ぐんはふに。てき夜中やちうに至て。いづれの持口をせむるといふとも。持口もちぐちより。一人も加勢かせいすべからず。もしは夜警固けいこの者ばかりは。はせくはゝるべし。いづれの持口もちぐちも。人数おほし。あへてもて。城中散乱さんらんすべからず。ひるは持口の役人やくにん斗。矢ざまに大鉄砲てつはうをかけをき。はなつべし。其外の者共は。籠城ろうじやう退屈たいくつなき様に。おもひ。心々のなぐさみ仕べしと云々。是によてひるは。将棊しやうぎすご六を打てあそぶ所もあり。酒宴しゆえん遊舞ゆふぶをなすもあり。をかまへて朋友ぼうゆう数奇すき気味きみをなぐさむもなり。詩歌しいかぎん連歌れんがをずじ。音しづかなる所もあり。笛鼓ふえつゞみオープンアクセス NDLJP:567をうちならし。乱舞らんぶけうずる陣所ぢんしよもあり。然ば一生涯しやうがいをくるとも。かつて退屈たいくつ有べからず。扨又松原大明神の宮のまへ。とほり町十町ほどは。毎日市立いちたてて。七たなをかまへ。与力よりきする物かいふりうりとて。百のうり物に。千のかい物有て。群集くんじゆす。氏直公高札かうさつたて給ひぬ。万民ばんみん年中ばかりの。粮米らうまい支度したくすべし。あまる所是有にをいては。いちにてうるべし。来春らいしゆんに至ては。たみ百姓に。ことゞゞく御ふち下さるべしと云々是によて二年三年の支度有者は。五こくいちへ取出してうりもたざるものは。珍財ちんざいにかへて用意よういをなす。米穀べいこく積満せきまんたるゆへ。万民ばんみんに至るまで。城中じやうちうともしき事なく何に付てもなげく。おもひなし。扨又かたへなる人云けるは。昨日きのふ城内じやうないへ。かけ人者有。てきぢんの様子を語りて云。相州さうしう甘縄たまなは〈[#「甘縄」はママ]〉の城主。北条左衛門大夫は。降人かうにんと成て卯月廿一日。秀吉ひでよし公へ出仕しゆつしをなす。武州ぶしう岩付いはつきは。太田おほた十郎氏房うぢふさ居城ゐじやう家老からう太田備中びつちう守。伊達だて与兵衛尉。宮城みやぎ美作みまさか守。こもる浅野弾正あさのだんじやう木村常陸守きむらひたちのかみ。大将として五月廿二日に責落せめおとす。上州松井田まつゐだしろは。大道寺だうじ駿河するがこもる。羽柴筑前守はしばちくぜんのかみ長尾ながを喜平次。あし田。真田さなだ都合つがう三万余騎よきにてせめる。大道寺だうじ降人かうにんと成て出城しゆつじやうす。武州八王寺わうじは。北条陸奥守むつのかみ氏照うぢてる居城ゐじやう長臣ちやうしん狩野かのあん横地よこち与三郎。近藤こんどう出羽では守。こもる。浅野弾正あさのだんじやう本田中務ほんだなかつかさ鳥井とりゐ彦右衛門尉。大将として攻落せめおとす。同こく鉢形はちかたしろは。北条安房守あはのかみ氏邦うぢくにたてこもる。浅野弾正大将として。北国ほつこく軍兵ぐんびやうせめる。あつかひ有て六月十四日。城をあけわたす。上州しの成田なりた下総しもふさ氏長うぢなが居城ゐじやうぬしは小田原に有て同名どうみやう左衛門尉こもる。石田治部少輔いしだちぶのせうゆう大将とし。出羽では奥州おうしう士卒しそつはせくはゝつて。五万余騎にて。昼夜ちうやすきもなく。せめたゝかふといへ共。堅固こんごにしておつべきてだてなし。然に水ぜめの支度したくを。なすとかや。とう州にら山の城には。北条美濃守氏親。たてこもる。数万騎にて。昼夜をわかず。せめるといへども堅固なり。其外関東くわんとう諸城しよじやう。大かた落城らくじやうと聞えたり。然ば小田原そうがまへせめよるの人数にんじゆは。扨をき。後陣ごぢんは。山野さんや寸土尺地すんどしやくぢのすきまなく。みねのぼり。たにくだりに。軍勢ぐんぜい充満じうまんたる事。其かぎりしられず。往還わうくわんの道は。馬の足音あしをと。ものゝぐの音。十二時ちう。なりやむ事なし。兵粮米ひやうらうまい運送うんそうする事。西海さいかいの大せん小船せいせんいくそうかずしらず。是ゆへ陣中ぢんちうゆたかなり。東西南北とうざいなんぼく小路こうぢをわり。大名衆ぢんがまへには。広大くはうだいなる屋形やかたづくりし。書院しよゐん数寄すき屋を立。には松竹草花まつたけさうくはうへ。さて又ぢんごとの四へきには。野菜やさいためとて。瓜茄子うりなすび大角豆さゝげなどうへをき町人は小屋をかけ。諸国しよこくうら々の名物めいぶつを持来て。売買市ばいばいゝちをなす。あるひ見世棚みせだなをかまへ。唐土たうど高麗かうらい珍物ちんぶつ。京さかひ絹布けんふをうるもあり。或は五こく塩肴ゑんこう干物かんぶつをつみかさね。生魚なまうををつかねをき。何にても売買せずといふ事なし。きやう田舎いなか遊女ゆふぢよは。小屋をかけをき。色めきあへり。其外海道かいだうのかたはらに。ちや屋はたごや有て。陣中ぢんちうまづしき事なしといふ。然ば敵陣てきぢん城中じやうちうも。かくのごときんば。年をへるとも双方退屈の気あるべからず。たゞ両将の。武運ぶうん厚薄こはくにこたへ。天命をまもる斗也とみな人いふこゝに。老士らうし云けるは。関西くわんさい軍勢ぐんぜいいましかく有といふ共千運粮うんらう。氏直公天オープンアクセス NDLJP:568下を引請ひきうけ。かくあるべき事を。かねておもんぱかり。前代未聞ぜんだいみもんの大じやうこうじ。関八州の軍兵ぐんびやうこめをき。鉄砲玉てつほうたまくすり。兵粮米ひやうらうまいは。十とせぬべき。かねての用意よういきゝしにもこえ。思ひよりしよりも。おびたゞしく。城中じやうちうくわくぐはい。堅固けんごに有て。天下無双ぶさうの。名城めいじやうおつべき。てだてなし。てき孤虚支干こきよしかんをかんがへ。魚鱗ぎよりん鶴翼くわくよくに陣をはり昼夜ちうやをわかずせめたゝかふ。

 
 
見しはむかし秀吉ひでよし公小田原のしろを。大ぐんにてせめるといへ共。総構そうがまへに大鉄炮てつぱうをかけをき昼夜ちうやはなしければ。くろがねたてをつゐても。取寄とりよりがたし。天下の武士ぶしあつまり。われぬきんで。ちかせめよらんと。智略ちりやくをめぐらさるゝといへ共。総構そうがまへまはり五里が内に。一ところ言葉ことばをかはす程に。せめよるてきなし。小嶺こみね山の攻口せめぐちは。あなほり入て。矢倉やぐらを打かへすといへ共。つちそこに有て。是もゑきなし。愚老ぐらう相州さうしううら住人ぢうにん小田原に籠城ろうじやうす。とうはう蘆子あしこ浜手はまての。角矢倉すみやぐら持口もちぐちとす。是より一町ばかりうへそうがまへのそとに。福門寺ふくもんじと名づけ。一町はう程すこしたか地形ちぎやうあり。是はむかしてらあとなるによつて。かく名付也。是に又ほりをほり。土手どて芝手しばてをつき。へいをかけ。しろの内よりはしを一ツ渡し。是を出曲輪でくるわと名付。山かど上野守かうづけのかみ嫡男ちやくなん。四郎左衛門尉。次男じなん左近さこん大夫父子ふし三人の持口もちぐんの内にあり。然に秀吉ひでよし公小田原へをしよせるの時節じせつ。此出曲輪有てゑきなしと。へいやぶり。すてぐる輪とがうし。はしをばかけをき。ひる城中じやうちうより出て。井に鉄炮てつはうをかけをきはなつ。此蘆子あしこ川おもては。みなもと家康いえやす公のせめ口なり。此すて曲輪くるわあたつて。井伊兵部少輔ゐいのひやうぶのせうゆう直政なをまさせめよるなり。兵部少輔此すて曲輪をとらんとたくみ。ほりのうめ草を用意よういし六月廿五日の夜半頃やはんごろより。すでにほりをうめんとす。じやう中より鉄炮てつはうをはなちかけ。さけびのをとに。天地しんとうし。ゆみ鉄炮にあたつするもの其かずしらず。一時が程に堀口ほりぐち五六間うめ。すてぐるわへをし入たり。深夜しんやくらふして。前後ぜんごさうをわかず。皆ことく堀に入。よろひはをもし。水底すいていにしづむ者をほかりき。てきすでに。はしをわたり。らんぐゐ。逆茂木さかもぎを。引破ひきやぶり。築地ついぢへ取あがり。へい中にへだて。せめたゝかふ事。すこぶるあへてもて。てきはつよかりけり。城内じやうないには。かゞりたき。たゞ白昼はくちうにおなじ。持口もちぐちは。かね法度はつとなれば。加勢かせいなし。夜けいごの衆ばかり。はせくはゝつて。人じゆ雲霞うんかのごとし。半時はんじばかりたゝかひしが。敵こらへず引退ひきしりぞく。時に至て。山かと上野かうつけ守。父子ふし三人。もんをひらき。切て出。敵ををつかけ。百余人討捕うちとりたり。やみの夜くらふして。つや方角はうがくをうしなひ。水堀みづほり〈[#「水堀」は底本では「水塀」]〉に入てする者千人。やう夜もあけゆめさめたる心ちせり。然ば小田原籠城ろうじやうケ日。ゆみ鉄炮てつぱうにてせめたゝかふといへ共。つゐてきみかた。一人はだへをあはせず。然所に其たゝかひに。敵には家康いえやす家中かちう井伊兵部少輔ゐいのひやうぶのせうゆう。城中には。山かど上野かうづけ守。父子ふし三人。万士ばんしにぬきんで合戦し天下にほまれをえ。後代こうだいのこせり。
オープンアクセス NDLJP:569
 
 
見しはむかし。北条氏直と。武田勝頼たけだかつより弓矢の時節じせつ勝頼のしろは。するがの国。高国寺かうこくじと。三枚橋まいばしにあり。氏直の城は。するがの中。いづみかしら。長久保くぼ戸倉とくら志師浜しゝはま。四ケ所にあり。いづみ頭の城には。大とう長門ながと守。多目権兵衛尉。荒川あらかは豊前ぶぜん守をかしらとし。足軽あしがる大将には。市南いちなみ高橋たかはしなど云勇士ゆうしをさしそへをかれたり。長久保ながくぼの城には。清水しみづ太郎左衛門尉。城代じやうだいとす。志師浜しゝはまには大いし越後ゑちご在城ざいじやうす。是は三枚橋まいばし近所きんじよ海浦うみうらをかたどり。海賊かいぞくをふせがむため也戸倉には笠原かさはら新六郎居城す。此人は松田尾張守をはりのかみだうが長きやう也。他家たけを次で。笠原かさはら名乗なのる。然に三枚橋まいばしと。戸くらと。たゝかひやゝともすれば。三枚ばしの人数にんじゆ倉へはたらき。分捕ぶんどり高名かうみやうする事。度々に及べり。氏直此由聞給ひ。大将一人武弱ぶじやくなれば。士卒しそつつれて臆病おくびやうに有て。をくれを取と仰ければ。新六郎聞。いきがひ有べからずと。謀叛むほんくわだて。天正八年のふゆ勝頼かつよりに一し。氏直へ弓をひき所に。同十年三月。勝頼は信長のぶなが公のために。ほろび給ひぬ。然時に氏直笠原かさはら新六郎が。くびをはねらるべき所に。ちゝ尾張守をはりのかみ入道。様々わび申に付て。入道が年来としごろ忠功ちうこうに。誅罰ちうばつをゆるし給ふ。老後らうご眉目びめをぞ。ほどこしげる。其後出家しゆつけし年久しき隠家かくれがにて有けるに。此新六郎を。世に立んがため。ちゝ尾張をはり謀叛むほんをくはだて。秀吉ひでよし公へ申により。関東くわんとうへ御馬出され候へ。尾張守をはりのかみうしろぎり仕べきよし。申によて。秀吉公小田原へ発向はつかうみぎり尾張をはり守。新六郎父子ふし二人密談みつだんきたる六月十五日の夜。町中へをかけ。松田持口もちぐちより。敵をことく。城中じやうちうへ引入べきよし。兼約けんやくいたす所にかべみゝいはに口有ならひ尾張守が次男じなん。左馬助是を聞。親兄しんきやう五代重恩ぢうをんの。主君しゆくんたいし。逆心ぎやくしんあさましき次第哉と涙をながす左馬助は。若年じやくねんより氏直。そばをはなれずことに御自愛じあいの人也。左馬助がおもひけるは。それ君恩くんをんより大きなるもなく。父恩ぶをんよりふかきもなし。父子ふし一所になりて。きみに弓を引ならば。八ぎやくとか。をもかるべし。扨又君と一所になり。ちゝ敵対てきたいせば。五虚のつみのがるべからず。すべてわれほつ心せんと思へ共。かくれ所なし。はらを切てもえき有まじ。進退しんたいこゝにきわまりぬ。史記しき忠臣ちうしん二君じくんにつかへずと云り。なをもつていへ長臣しやうしんたる者。身をばあきなはず。それ人たるの道は。をもつてとす。利を以て利とせず然に。君親くんしんめい軽重けいぢうをくらぶれば。きみめいいやまさりたり。其上城中じやうちう人民にんみんいく万人共しらず。いたづらにいのちをほろばさん事。仏神ぶつしんもあはれみ。あに霊験れいけんのたすけなからんと。此を氏直へつげしらしむる。氏直聞召きこしめし。左馬助が忠功ちうこうあさからずと。信感しんかんあり時日じゞつうつさず。尾張守をはりのかみ。新六郎二人討罰ちうばつせらる。てきは此をしらず。松田がはた白地しらち黒筋くろすぢのだんなり。持口もちぐち西早川にしはやかはおもて。敵此持口へ諸勢しよせい三夜までをしよせ。相待あひまつといへ共。城中より通路つうろなし。松田が旗色はたいろもかはりて見えければ。扨は松田が逆心ぎやくしんあらはれけるよと。諸勢力をうしなひ。長陣ちやうぢん気もつかれたりと見えし
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見しはむかし。前関白さきのくわんぱく秀吉ひでよし公はもとより。勇気いうき智謀ちぼう相兼あひかねたる。名将めいしやうにて。ましませば。たゝかはずして。勝事をめぐらし給ふ。それせつにあたり。のぞんで。めいおしむべきにあらず。然といへ共。事にのぞんでをそれ。はかりごとを。このんでなすは。勇士のする所也。扨又上兵ははかりごとをうち。其次はまじはるをうつて。其次はへいを伐。其次はじやうをせむると云々。すこぶる。智略ちりやくをめぐらさる。氏直うぢなを舎弟しやてい太田おほた十郎氏房うぢふさ持口もちぐちしろよりひんがし井細田ゐさいだ口なり。此おもてせめよるてきは。羽柴はしば下総守しもふさのかみ。此者中使ちうしとして。ひたすらあつかひとぞ聞えける。氏房うぢふさ器用きようの人たりといへども。若輩じやくはい胸旨けうし良将りやうしやう謀計ぼうけいに。をどされひとへに。あつかひの儀あり。和順わじゆんにをいては。伊豆いづ相摸さがみ武蔵むさし三ケ国は前々ぜんのごとく。氏直うぢなを収領しゆりやうせらるべき事。いさゝか違乱いらんあるべからず。猶対面たいめんせしむるの上。水魚すゐぎよ契約けいやくを。仰談おゝせだんぜられ。翌日よくじつ京都へ馬を。おさめらるべきむね。堅約けんやく証文せうもんに。秀吉公ひでよしこう直判ぢきはんをのせられをはんぬ。是によつて氏直うぢなを秀吉公ひでよしこう対面たいめんの。もよほしあり。めしつれらるゝ所の。郎従らうじう多勢たせいに。をいては疑心ぎしんをかまへ。遺恨いこんあるにたるが。態々わざ近臣きんしんともがらばかりを。めしつれ。氏直うぢなを七月六日出城しゆつじやうなり。扨又にら山のしろには北条美濃守みのゝかみ氏親うぢちか籠る。此せめ衆。羽柴はしば左衛門大夫。戸田民部とだみんぶ少輔。蜂須賀はちすか阿波あは守。生駒いこま雅楽頭うたのかみ前野まへの但馬たじま守。伊賀いが侍従じじうを先とし。都合つがう其勢五万余騎。三月廿九日むまこくにをしよせ。七月まで五ケ月。昼夜ちうやすきもなくせめたゝかふ。鯨波ときのこゑ鉄炮てつはうさけびのをとに。天地震動しんどうし。鳴やむ事なし。たてをつきよせほりをうめ。へいを引くづし。せめ入らんとす。氏親うぢゝかやりを取。樊会はんくはいをふるひ。むねとのてきをおほくほろぼすゆへちからぜめには成がたし。此氏親は一年。氏直名代みやうだいとして上らくし。秀吉ひでよし対面たいめんあり。家康いえやす懇志こんしたるにより。にら山へ使者しゝやをもて云。関八州の諸城しよしろみなこと落城らくじやうする所に。にら山一じやう堅固けんごたる事。氏親うぢちか武勇ぶゆうのほまれ。天下に比類ひるい有べからず。然に小田原和平わへいの儀によて。味方みかたには。羽柴はしば下総しもふさ守。城中じやうちうには。太田おほた十郎中使ちうしとして。あつかひなかばなり。にら山無事たりといふとも。小田原落着らくちやくの上は。ゑき有まじきか。おなじくは。氏親。にら山のしろをば。さしをきいそぎ小田原に入て。和順わじゆんのあつかひ然るべきむね家康いえやす公しきりに異見いけんに付て。氏親にら山を出城しゆつじやうし。てき陣中ぢんちうに入て。小田原和睦くわぼく内談ないだんす。伊豆いづ相模さがみ武蔵むさし三ケくににをいては。前々ぜんのごとく。氏直修領しゆりやうせらるべき事。いさゝか相違さうい有べからず。其上たがひに証人せうにんを取かはし。時日じゞつをうつさず。帰洛きらく有べきむね秀吉ひでよし公の証文せうもん請取うけとり。氏ちか七月六日こく渋取しぶとり口より。小田原のじやうへ入給ふ所に。氏直は此義をしらず。かく同日同刻どうこく両将出入。是天のなす所なり氏直うぢなを先中宿まづなかやどりと有て。尾張おはり内府公だいふこう陣中ぢんちうへ入給ひぬ。北条ほうでう家運けうんのすゑには。智慧ちゑのかゞみも。才覚さいかくの花も。いたづらに成事。天のなす所也。てき味方みかたも一のおもひをなし。城中じやうちうへ出入するオープンアクセス NDLJP:571所に。氏政うぢまさ切腹せつふくむね使者ししやを立られをはんぬ力をよばず。本城ほんじやうを下り。医師いし安栖あんせいが。しつうつり給ひぬ検使けんしとして。石川いしかは備前びぜん守。佐々淡路さつさあはぢ守。前田まいだごん之助。榊原さかきばら式部しきぶ大夫。参集さんしゆす同き月十一日。氏政うぢまさ切腹せつぷく舎弟しやてい美濃守みのゝかみ氏親うぢちかかいしやくし其劔光けんくわうをすてず。自害じがいせんとする所に。稽固けいご武士ぶし血劔ちけんをうばひ取。いのちたすくる。あはれなりける次第也。同日陸奥守むつのかみ氏照うぢてるも。切腹せつふくし給ひぬ。小田原城請取をだはらしろうけとる衆。家康いえやす家中かちう本田ほんだ中務少輔なかづかさのせうゆう榊原式部さかきばらしきぶ大夫。井伊兵部少輔ゐいのひやうぶのせうゆう。入かは関東くわんとう諸侍しよさふらひ共にうんつき。かく有べしとしるならば。討死うちじにかばね軍門ぐんもんにさらす共。名を後代こうだいのこさずして。はぢをさらす事。千侮千悲せんくはいせんひ其かひなし。然るに秀吉公ひでよしこうは。奥州おうしう仕置しおきと有て。黒川くろかはまで。御下り浅野あさの弾正だんじやう石田治部少輔いしだぢぶのせうゆう。大谷刑部たにぎやうぶ少輔。此三人三わけて。奥州おうしう五十四ぐんの。検地けんちをあらためさせ。秀吉公ひでよしこう黒川くろかはまで着御ちやくぎよ。是よりひつ返し帰洛きらくし給ふ。然ば小田原をだはら落城らくじやうぢんやぶれ。残党ざんたうまつたからず。北条ほうでうの一ぞく門葉もんよう国々くにの大みやうともうんつきはて。勇気ゆうきをうしなひ。じやうを出る時節じせつには。たゞ一めいたすからん事ばかりねがひ。おやをすて。すて我先われさきにて落行おちゆき有様。あさましかりける次第也。諸大名しよだいみやうきたのかた。世にまします時は。翠帳紅閨すいちやうこうけいうちにあり。はるは花あきは月をめで。九夏きうかふくのあつきは。あふぎの風をまねき。玄冬げんとうそせつのふゆは。しとねをかさね。にはの土をもふまざりし。上臈達らうたちかちはだしにて。めのともつれず。独々ひとり打成うちなりて。行さまよふ有様。紅涙こうるいそでをしぼり。こゝかしこにたをれふし。なげきかなしひ給ひし事。たとへんやうぞなかりける。北条家の一門家老からうことく一どうに同年の秋。高野かうや山にのぼり。同冬山をさがり。ふもとさと天野あまのといふ所に居住きよぢうす。よく年の春。秀吉ひでよし公。氏直を大坂へ召寄られ対面たいめん有て。芳情はうせいをほどこし給ふ所に。文録ぶんろく元年十一月四日。氏直卅一さいにして。大坂にてせい去也。法名はふみやう松巌院殿せうがんゐんでん前左京兆さきのさきやうのてう。大円徹公ゑんてつこう居士こじがうし奉る。関東諸侍しよさふらひ秀吉公ひでよしこうのために。皆ほろびはてたりと。愚老ぐらうかたりければ。かたへなる人聞て。氏直滅亡めつばうまつたく。秀吉公のためにあらず。むかし清盛公きよもりこう時代じだいに。京らんおこり。三条高倉たかくらの宮滅亡めつばうは。伊豆守いづのかみ仲綱なかつなが馬一疋の故也。其身一門もことくほろびはてたり。扨又氏直文武ぶんぶをえし。大しやうたりといへ共。うんすゑには。言語ごんごのつゝしみなく。新六郎がために荒言くわうげんをはきすて給ひしによつてなり。うらみに付て。をんわすれ。なさけによりて。命をうしなふ。是よのつねのならひなり。こゝをもつて先哲せんてつも。君子は。九思きうしげんといへり。氏直の滅亡めつばう秀吉ひでよしのためにはあらず。新六郎がためなりと云。老人聞ていや人の滅尽めつじんに付て。是ゆへかれゆへと沙汰さたする事。皆ひが事なり。古人の云。人のあたふるむくひは。天運てんうんにのがれ。天のあたふるさいは。人のなげきによる。たゞ時刻じこく到来とうらいと申されし
 
北条五代記巻第十