北条五代記巻第七 目次
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【 NDLJP:528】
北条五代記巻第七
見しは
昔。北条
氏直公関八州を
静謐におさめ。
賞罸たゞしく。国の
政道を取をこなひ。
民豊にして
後々末代までも。目でたかるべしとおもひつるに。天
運つくるにや。天正十八
寅の年七月六日。氏直公をはじめ。一
家一
門関八州の
諸侍ほろび
果ぬたゞ五
更の
油かはひて。
灯まさにきえんとほつする時。
光をますがごとし。なげきても
甲斐なかるべし。然るにわれ。氏直の
先祖を
尋るに。古き文にも見へず。あらかじめ聞
伝ふるに。むかし山
城の国に
伊勢新九郎
氏茂といふ
侍あり。
後は
入道し
北条早雲庵主と
改名〈[#ルビ「かいみやう」は底本では「かいややう」]〉す。此早雲京都よりするがの
国へ下り。
今川五郎
氏親をたのみ。
牢人分にて有しが
文武智謀の
侍たるにより。今川殿
縁者となり。其後早雲は
駿河高国寺に
在城也。其比
伊豆国に
堀越の
御所と申て。北条にまします。是は
義教公の三
男。左兵衛
督政知公の御
子。
茶々丸成就院殿と
号す。されば
伊豆の国は年久しく無事に有て。弓矢もなかりけり。然所に御所に
逆臣有て。伊豆の国みだれしづかならず。早
雲此よしを聞。ねがふにさいはひ哉時来りぬと
人数をもよほし。
伊豆とするがのさかひ。きせ川を
夜中に取こし。北
【 NDLJP:529】条へ
乱入て
戦ひ。
終には御所を
亡し。伊豆の国を切て取よしあまねく云つたへり。扨又
或老士語りけるは。早雲は今川殿と
府中に一所に有しが。
清水浦より舟にて
渡海し。伊豆を切しよし物語せり。是は
異説なりといへ共しるし侍る。老士語ていはく。早雲
病気となぞらへ。伊豆の国
修善寺の
湯にしばらく入て。
諸人の物語を聞に。伊豆の国は三
郡山国也。
東西へ一日
南北へ
半日の
行程。南の
海中へ出。
島国とおなじ。関東
永享より
乱国といへ共。伊豆は
無事に有て。一
郡を十人廿人
宛分持にし。下々の
侍共は
田地を
手作し。
礼義風俗。
侍共百姓共見
分がたく。しかとしたる大
将一人もなきよしつぶさに聞
届。早雲
府中に
帰り。
氏親に語て云
予。
年来拝領せしむる
所帯をもて。
勇士を二百人かゝへ
置り。ねがはくば三百人御
加勢有にをいては。伊豆の国をたやすく。切て取べき
計策有むね申されければ。
氏親聞て早雲。
智謀武略の心ざしを
感じ。勇士をえらび。三百人加勢也。早雲のぞみたんぬと
喜悦浅からず。
清水浦にをいて。大
船十
艘用意し。都合五百人の勇士に。下知していはく。それ合戦の勝負。大勢小勢によらず。たゞ
士卒の心ざしを。一つにするとせざると也。此等の
兵士。
他国に目をかけ。はるかの
海路を
渡り。
戦場にをもむく
所存たのもしき成。たとひ
敵百万
騎むかふといふ共。なかじは
雌雄を
決せざるべき。其上たけて。いさめるのみにあらず。
兼てははかりごとを
廻し。
智恵を
先とす。一方に
戦ひを
决し。万方に
勝事をうるは。是
武略の
威徳なり。
埋れぬ
名を
永き
世に
残さんこそ。弓矢取身の
本懐なれ
頗る
勇士の
本意といふは。
智仁勇の三ツの
徳をかね。
死を
善道にまもり。
節ををもくするをもて
義とせり。此度
諸卒軍戦を。はげますにをいては。
恩賞は
忠功によるべしと申されければ。をの
〳〵いさみすゝみて。
義を
金石よりも。かたくし。
命を一
塵〈[#ルビ「じん」は底本では「びん」]〉よりかろく
忠をいたさんとす。
延徳年中
清水浦より。太船十
艘に。五百人取
乗り。
纜といて
順風に
帆をあげ。明ぼのに
乗出し。日中に伊豆の国。
松崎。
西奈田子。あられの
湊に
着岸す。此
舟共はたを立。みな
甲冑を
帯しぬれば。
浜辺在所のもの共是を見て。やれ
敵海賊来るぞと。おどろきさはぎ。親をすて。子をすて。
我先にて。山
嶺谷底へぞにげ入たる。五百人は舟よりくがにあがり。さはぐけしきもなく。おもひ
〳〵に
舟道具を陸へあげ。
苫ぶきに
陣屋をかけ。其屋に入て。まづ三ケ条の
高札を立る
禁制一あき家に入諸道具に手をかくる事
一一銭に当る物何にても取候事
一伊豆国中の侍并土民〈[#ルビ「どみん」は底本では「どろん」]〉に至る迄其住所を去事
右
条々堅停止せしめ
若違犯の
輩是あるにをいては。
在家を
放火すべき者也仍
執達件のごとし
【 NDLJP:530】と。右の三ケ条を。
在々所々に立
置たり。扨
村里のあき
家を見るに。いかなる
家にも五人三人
宛。
病者ふしてあり。大かた千人にも
越つべし。是はいかにと尋ぬれば。此比
風病はやり。
諸人五日七日づゝ
前後もわきまへず。一
家に十人わづらひ。八九は
死候
敵海賤〈[#「海賤」はママ]〉。
俄の事なれば。我等あしたゝず
親は
子をすて。子は
親をすて。いづくともしらず
迯行といふ。
早雲聞て
不便の次第哉。
孟子に大人は其
赤子の心をうしなはざる者也と云々。
故に
君子は万事に
通じてしらざる所なく。よくせざる所なし。
情は人の
為ならず。かれらを打
捨。われさきへ行ならば。此
病人みな
死べし。
生べき者をばいかし。
殺すべき者をば殺すをもつて。
仁政の道とせり。
急ぎ
医師に仰て。
良薬を
調合し。五百人の人々打
散て。
看病し。
薬を用ひ。
好物の
食事を
与へ給へば。此
療養によつて。一人も
死せず。五日三日の
中に。
皆本復し。
命助かりたる御恩賞いつの世にかは。
報じ
尽しがたしとよろこび。此者どもいそぎ。山
嶺に入て。子は親に
語り。おやは子にしらせ。なふ此人々よろひ
甲を
着給へば。あらけなき
鬼神のやうに見へけれ共。御心はやさしく。
慈悲忍辱の
生仏にて。我々が命を
助給ひ候ぞや。
急ぎ山を出て。
親の
命子の
命。助かりたる御
礼申上給へといへば。皆山
峯を出て我屋に帰り。よろこびけり。是を聞つたへて。五
里十里
四方の者。皆こと
〴〵く
来て。是はそんじやう其所のさふらひ。是は山
守。是は
在所の
肝煎などいへば。其所
前々のごとく。
相違有べからずと。
印判を出す。早雲
病者ゆへ一七日
滞留其うちに三十里
近辺は。皆みかたにはせ
参じたり。然る所に
関東道二十里。山のおく
深根と云所に。
関戸幡摩守吉信といふ者あり。是はいにしへ御所のゆかりと云つたへ。
名高き人也。みかたにも参らず。あまつさへ。
古城を取立候。
手労わづか二百。其外一
類の
侍共あつまりて。
雑兵五百有べしと
告来る。
早雲聞て。ねがふにさひはひかな。当国へ
発向すといへども。むかふ
敵なければ物さびしく思ひつるに。
先かれをほろぼし。
軍神の
血まつりにせんと。
鶏鳴より此
在所を打立。うしろの山を
越。日中に
深根へはせ
着たり。扨又
爰かしこの
侍共はせ来て。はた下に付ぬれば。みかたの
勢二千よきになる。此
城北は山。東南はぬまにて。
寄所なし。
西一方に
城〈[#「城」はママ]〉
をほり。堀〈[#「堀」はママ]〉さかも木を引せ。門矢蔵を立。こゝを専とぞかためたる。早雲是を見て。あたりの在家を。百家ばかり引破り。二千の人一かづきづゝ持寄て。堀をうめ即時に平地となる。すきもあらせず責入たり。幡摩守は衆をいさめ。爰をせんどゝたゝかひ。長刀にて切てまはるといへ共。五百人心ざしを一ツにして責ければ。縦千騎万騎。くろがねの楯をつきふせぐと云共。かなふべしとは見へず。幡摩守父子五人。鑓下にて討るれば。残る者其敗軍し。にぐるを追たをし。追まはし。城に籠る者どもをば。女わらはべ法師までも。一人残さず首を切。城めぐりに千余かけをきぬれば。是を見聞しより。国中の諸侍。此威にをそれ。急ぎはせ来て。降人となる。居ながら伊豆一国は。早雲の国となる事。武略世にこへたる名将。仁義をもつはらとを【 NDLJP:531】こなひ給へるがゆへ也。仁者といふは慈悲愛敬有て。あやうきを助け。災難をすくはんとす。敵国へ来。死にのぞむ病者。千余人を助け。諸人の心をなだめ給へるも。是仁の道なり。扨又義者と云は。万事よく思ひ切て。死すべき所にて死するも義なり。敵をほろぼし国を治るも義の道也。聖人の制詞にも。道理に当りてころす時は数万の敵をうつといへども。無道にあらず。殺すまじき道理あらば。罪なき者一人。つみすといふとも。仁道にあらずといへり。然に早雲翌日。伊豆の北条に付給ひぬ。此所むかし北条時政居住と。在所の者申ければ。早雲聞て。前右兵衛佐頼朝。平治の比ほひ此北条蛭が小島へながされ。廿一年の星霜をむなしくをくられしが。四郎時政をかたらひ。治承四年八月十七日。伊豆の国の目代。和泉判官兼隆を屋牧が舘にて夜討にし。義兵をあげられし所。吉例なりとて。此旧跡を再興有て。早雲居城し給へば。皆人北条殿といふ。早雲いはく。北条家たえて久しき跡也。われ此名もとめずといへ共。諸人其名をよぶ。早雲この家をつがん願望によて。三島大明神に参籠通夜し給ふ霊夢に。不思儀のつげ有とかや。扨又大杉二本有けるを。鼠一ツ出て喰折たると見て覚ぬ。此夢をうらかたに尋ね給へば。此目でたき御霊夢なり。関東奥州までの国司。両上杉殿上野相摸両国にまします。此二本の上杉を。御退治有べしと申ければ。早雲観喜浅からず。此両上杉をほろぼさんと。昼夜思量をめぐらさるといへ共。上杉殿は。さがみ武蔵下総。常陸。下野。上野。越後佐渡。出羽。奥州までもことごとく。彼下知に随ふ然所に。両上杉殿運の末にや。扇谷修理大夫定正の家老。長尾兄弟の中に。鉾楯出来。其上長尾左衛門尉。子息四郎右衛門尉むほんし。あまつさへ両上杉殿の中あしく成て。弓矢乱。やむ事なし。早雲此由を聞。讒臣国を乱すといへる。古人の言葉是也。両上杉ほろぶべき時至りぬと。人数をもよほし。箱根足柄山を越。小田原の城をのつとる事明応の比ほひ也。此勢に其年。相摸半国切て取。其後定正は病死。民部大夫顕定も滅亡し。早雲永正十五年七月十一日。三浦介道寸居城三浦の新井の城をせめ落す。早雲子息氏綱時代小弓の御所義明公。上杉朝興子息朝定父子を討ほろばし。武総両国へ手をかけ。氏康時代に。豆。相。武。総四ケ国の人数にて。上杉憲政数万騎と。年久しくたゝかひ。数度に勝利をえ。天文十五丙午年の大合戦に氏康うちかつて。憲政を追討し。関八州を治め給へる事。文武。智謀世にまれなる猛強の大将たる故也。氏康いはく。罪のうたがひをば。是かろくし。功のうたがひをば。是をもくするにしかじ。近年諸侍身命をなげうつて粉骨を尽し。数度の忠功軽重に応じ。国郡をさきあたへ給ひければ。諸侍よろこびの眉をひらき。名誉を関八州にあげ。子孫繁昌万歳をいはひ。氏政氏直まで五代。静謐に国を治め給ひしが。北条家武運末になり。宿報やうやくかたぶき。天心にも背き。仏神もすて給ふにや。天正十八寅の年。氏直時代に至てほろびぬと語る。早雲の合戦是は異説なりといへ共。此物語の題号。見聞の二【 NDLJP:532】字に応じてしるし侍る者也
見しは昔。北条氏直と
武田勝頼〈[#「勝頼」は底本では「頼勝」]〉戦ひの
時節。駿州の内。
高国寺と三
枚橋は。勝頼の
城也。
泉頭。
長久保。
戸倉。
志師浜。此四ケ城はするがの
国中たりといへ共。先年今川
義元時代。北条
氏綱切て取しより
以来。氏直
領国となる。
義元信玄時代。此するが領を取返さんと。
遺恨やむことなしといへ共。つゐに
叶はず。扨又
沼津の浦つゞき。
香貫。
志下。
志師浜。
真籠。
江浦。
田飛。
口野此等の
浦里もするが領氏直
持也。志師浜には大
石越後守
在城す。此城の
後に。わしずと云
高山あり。
勝頼するがへ出陣の時は。わしず山に物見の
番所有て。人しかと
住し。
浮島が原を見わたせば。
勝頼の
陣場の
様子目の下に手に取がごとし。さればするが
浦に。氏直
兵船かけをくべき
湊なきゆへ。伊豆
重須の
湊に。兵船こと
〴〵くかけをく。
沼津よりは二里へだゝりぬ。
梶原備前守子息兵部大夫。かしらとし。
清水越前守。
富長左兵衛尉。山
角治部少輔。
松下三郎左衛門尉。山
本信濃守などゝ云
船大
将此
重須浦に
居住す。氏直伊豆の国にをいて。
軍船を十
艘作り給ひぬ。是をあたけと名付たり。一
方に
櫓二十五丁両方合五十丁立の
兵船也。
常にひとりさぐる
鉄砲にて。十五間
前に板を立
玉のぬけぬ
程に。むくの木
板をもて。
船の左右
艫舳をかこひ。下に
水手五十人。上の
矢倉に
侍五十人有て。
矢さまより
弓鉄砲はなつ
様に作りたり。
舳さきに大
鉄砲を仕付をきたり然に天正八年の
春。
勝頼駿河に
出陣す。氏直も伊豆の国へ
出馬し。
三島にはたを立たゝかひ有。
重須の
兵船駿河
海へ
働をなすべき
由。氏直
下知に付て。
毎日駿河海へ
乗出す。
勝頼旗本は。
浮島が原。
諸勢は
沼津千本の松原より
吉原迄。
寸地のすきまなく
真砂の上
海ぎはまで
陣取然に十
艘の
舟にかけをきたる。大
鉄炮をはなしかくる
敵こらへず皆こと
〴〵く
退散しへい
〳〵たる
真砂地白妙に見えたり扨又
敵の
諸勢浜へ来て。
砂をほり上其中に有て。鉄題を
数百
挺がけをき
舟を
待所に十
艘の舟
汀をつたひこぎ行。陸と舟との鉄炮いくさ。
雨のごとく舟にあたるといへ共兼ての
用意。
板垣とをる事なし。
敵船は
清水のみなとにかけをくといへ共。
小船ゆへ
終に出あはず。日
暮ぬれば伊豆へ
帰海す。然所に
勝頼下知として三月十五日の夜いまだ明ざるに。
敵船三
艘重須のみなとへ来て。
鉄炮をはなつ。すは敵船こそ来りたれと。
舟を出す敵船は櫓二十丁立にて
小船なり此舟をおひ行所に。
沼津河へも入ずして。
勝頼の
陣場浮島が
原下へこぎ行所に。又
沼津川より舟二
艘出し。合五艘に成ぬ。
浜辺に付てこぎ
行を十
艘の舟をひかへる。此五艘の舟
沖へこぎ出ては又
浮島が
原下へこき帰る。
勝頼は
舟いくさ
見物として
浜へおり下り。
旗馬しるし見えたり。
諸勢浜へ打出
塩水の中。
腰だけに入て。
弓鉄炮をはなつ。十
艘の舟あつまりて。
評定していはく。
敵船清水沼津へもにげゆかず。又
勝頼の
【 NDLJP:533】旗本浮島が
原の
前海に来る事。勝頼
下知として。舟いくさ
見物としられたり。すべて
味方の舟二
艘は。
浜辺の
前後に有て。八
艘の
舟は
沖より
敵船を取まはし。うつとらんと
智略をめぐらすといへども。
小船にてはやければ。をひつきがたく。
広き
海中に。
算をみだしをひめぐる。
勝頼五
艘の船共。にぐるを見て。はらわたをたつ。其
節持出たる。はた馬じるし。
甲冑こと
〴〵く其
仕場居にて。
焼すて
本陣に帰り給ひぬ。日も
暮ぬれば。十
艘の舟。
伊豆へ
帰海す。
或老士云けるは。それ大将は
是非を
分明し
進退有べき事也。
軍の
勝負は時の
運による事なれば。まけたるとても
耻にあらず。たゞ引まじき所引。かくまじき所をかくるを。大将の
不覚といへり。
武略智謀は
武士の
名誉。是をしるを。
文武の
達者。
懸引上手の
勇士とはいへり。然に
敵小船にて大
船に出あひ。とられぬを
手柄にすといへどもにぐる
計にては。何の
益あらん。
相摸はたつかたと
俗に
云てわが
立方を引は。世のならひ也いかにいはん
味かた。
終日。にぐるを見て。
諸軍もいかで
遺恨なからん。
益なき
舟軍見物をこのみ。
却て
耻辱を
招き。大将
末代まで
不覚と申されし。されば
浮島が
原。
田子の
浦は。
分てことなる
名所。
海士の
釣舟うかび。
原にはしほやく
煙をこそ。
歌にもよみたれ。其比はむかしにかはり。
波には
軍舟数々うかび。
原には
鉄炮の
薬の煙
空によこをれ。
鬨音矢さけびの
音のみやむ事なく。
修羅のちまたとなれり。いにしへ
鴨の
長明。
東国行脚せし。
海道路次の
記に。
田子の
浦に
出て。
富士の
高嶺を打ながめて云。
貞観十七年
冬の比。
白衣の
美女二人ありて。山のいたゞきにならび。
都のこしかゞ
富士の山
記に書たる。いかなるゆへぞとおぼつかなし
富士の根の。風にたゞよふ白雲は。あまつ乙女が袖かとぞ見る
とよめり浮島が原は。いづくよりもすぐれて見ゆ。北は富士の麓にて。東西へはる〳〵とながき沼あり。布をひけるがごとし山のみどり陰をひたし。空も水もひとつなり。芦かり小舟所々にさほさして。むれたる鳥おほくさり来たる。南は海のおもて遠く見わたされて。雲の波けふりのなみ。いとふかき詠なり。すべて孤島の真砂にさへぎりなし。わづかに。遠孤の空につらなれるをのぞむ。こなたかなたの眺望。いづれもとり〴〵に心ぼそし。原にはしほやのけふり。たへ〴〵立わたりて。浦風松の梢にむせぶ。此原昔は海の上にうかびて。蓬萊の三の島のごとくに有けるによりて。浮島と名付たりと。聞にもをのづから。神仙の栖にもやあるらん。いとゞおくゆかしく見ゆ
と詠ぜりやがて此原につゞきて。千本の松原と云所あり。海の渚遠からず。松はるかに生わたりて緑〈[#「緑」は底本では「縁」]〉の陰きはもなし。沖には舟は行ちがひて木の葉のうける様に見ゆ。彼千株の松の本に。双峯の寺。一葉の舟の中の。万里の身と作れるに。彼も是もはづれず。眺望いづくにもすぐれ【 NDLJP:534】たり
見わたせば。千もとの松のすゑ遠み。みどりにつゞく浪のうへかな
と長明よめり。彼千本の松原は。勝頼時代海賊のためのさはりとて。切捨げり。今は其名ばかりぞ残りける
聞しは昔。
越後の上杉
藤原輝虎入道
鎌信〈[#「鎌信」はママ。以後同じ]〉と。
相摸北条
平氏康と
戦ひ。
終に
和睦の儀なし。然に
輝虎いかなるおもはくにや。氏
康と一
味の心ざし有によて。氏康の七
男三郎殿を
養子に
所望せり。輝虎
実子なきがゆへなり。是によて三郎殿十七
歳にして。
永禄十二年の
春。
越後へ
越山。
家老には。
遠山左衛門尉。山中
民部をさしそへられたり。
輝虎望みたんぬと。
自他の
嘉幸なゝめならず。其上
甥の
長尾喜平次
景勝妹を。三郎殿の
妻となし。上杉三郎
景虎と
改名し。
家督をつぎ
春日山に
居給ひぬ。然に氏康は
元亀元年十月三日に
逝去。
輝虎は天正六年三月十三日
頓死也。
鎌信居所は春日山の
本城。
景虎は二の
曲輪なり。
景勝はならびの
曲輪に有しが。
野心をさしはさみ。
越後の国をうばひとらんと。
計策をめぐらすといへ共。
景虎此くはだてを夢にもしらず
鎌信第一の
家老。
北城丹後守をはじめ。
諸侍景虎を
尊敬により。其心付なく
油断する所に。
時日を
移さず。
景勝同十三日
人数引つれ。
本城へはしり入て。
門をかため二の
曲輪を。目の下に見て。弓を
射かけ。
鉄砲をはなしかくる。
景虎たゝかふといへ共こらへず。
出城し。
越後の
府中。お
舘の
城に取こもる。北条
丹後守は。越後の内。とちうの
城に。
遠路をへだて有つるが
鎌信頓死によて。
春日山にたゝかひ有よしをきゝ。
急ぎはせ
参じ。
景虎へ一
味す。是によて
諸卒を。
善光寺へ
移し。
陣を
張て。春日山へ
人数をさしつかはし。
軍有て。いどみたゝかふ。
景勝がたまけたるべしとぞ。人
沙汰しける。然ども景勝へおもひ
〳〵にはせくはゝり。一
揆皆一
味す。景勝
智略をめぐらし。
夜中に
忍び入て。
丹後守が
陣取。
善光寺のうしろへ
人数をまはし。
近々と取
寄て。ときをどつと
作り。おめきさけんで切かゝる。北条丹後守は。其
名を得たる。大かうの者なりといへ共。おもひの
外とおどろき。すでにはいぐんす。
府中の
城を心がけ
落行所に。
景虎運の
末にや。
北城いた手
負。
府中に入て。其日に
死す
〈[#ルビ「し」は底本では「す」]〉。
武田勝頼は。
景虎の
妹むこたり。
越後鉾楯のよしを聞。
人数をつかはし。
勝頼の跡より
出陣する所に。
景虎うちまけ勝頼の陣中に入。先もて
安堵の思ひをなす。其頃勝頼の
家老。
長坂長閑。
跡部道印。
出頭し其
威に。
甲斐国中飛鳥も
落ぬべしといふ。此両人
深欲にふけり。
無道を
沙汰し。
武田の
家滅亡のはしと。
云ならはす。然に
輝虎当
夏中。京
都へせめのぼるべきよし。かねての
支度に。貯へをきたる。
黄金数箱に入をきたるを。
幸なる哉此
金を取出し。
長坂長閑に千両。
路部道印〈[#「路部」はママ]〉【 NDLJP:535】に千両。
勝頼へ五千両つかはし。
越後よりにげゆく。
景虎を
誅罸し。此度
景勝を御
引立これあるに付ては。
生前の
大幸たるべきむね。
使札をさしつかはす所に。
彼両
臣千両ヅヽの
金を見て心まどひ。勝頼へ申て云。
君は
織田信長といふ大
敵を持給ひて。たゝかひやむことなし。其上
越後と
相摸。一
味にをいては。
甲州持国はたして。あやうかるべし。三郎殿を
誅し。越後と
和順然るべしとしきりに。いさめ申に付て。
勝頼は
万事。両
臣はからひなれば。其儀にまかせ。三郎を
害し給ひぬ。越後
鉾楯の義小田原へ聞え。
急ぎ
人数をさしつかはす所に。
先陣は上州
沼田に付。
氏政は武州
河越まで
着馬。
遅参ゆへ。三郎は
勝頼のために
誅せらるゝよし。
途中より。
益なく引返すと
語りければ。かたへなる人聞て。
景虎の
滅亡は。
輝虎かねてのはかりごと。遺言によて也。其
乱觴を尋るに。輝虎
実子なきゆへ。
甥の景勝を
養子に思ひさだめり。されどもわれ。
明日にも
死すならば。氏政は
信玄聟一
味なり。
越後へはたらくに至ては。景勝は
幼雅はたして。ひとの国となるべし。しかしたゞ氏康の
子三郎を養子にもらひをき。景勝
成人までは。人ぢちに取たると心得べしと。
家老の者にいひふくめ。
永禄十二年より。天正六年までは。十年
以前よりの
謀計なりと
語る。
或老士聞て。それ人は一
生涯。
欲心にまよひ。
子は
親とあらそひ。
弟は
兄と
鉾楯する事。いにしへも今も有ならひなり。輝虎遺言なしといふ共。景勝
越後を取べき
計策有て。三郎を
誅したるは
理り也。さて又
輝虎遺言。もし
治定にをいては。
悪逆無道果て。
仏神のにくみをうくべし。かくのごときの
武略。
先古にも
聞ず。
末代とても有べからず。是
偏に小人の
謀にて。大人にはなき事也。かばかり我国あやうく思ふに至ては。
隣国と
真実に。
和平なくして。
仁義に背きたるはかりごと。
縦一
旦利をうる事有といふとも。世のゆびさす所。人のをそるゝ
計略也。ざいくはん
本種なし。
悪事をもて種とすと云々。
神明に
横道なし。
鬼意正直をこのむ。たゞ
簾直をむねとし。身のわざはひをのがれ。
祈念を先として。
家の
運を
待にはしかじ。然ときんば。
悪鬼却て
守護し。
神明すなはち
利生有。それ大将と云は。
仁道を
専とし。
慈悲愛敬有て。
義を心とし。
清白を身として。
業報を。をそるべき事なりといへり
見しは今。
相模。
安房。
上総。
下総。
武蔵此五ケ国の中に。
大なる入
海あり。
諸国の
海をめぐる大魚は。此入海を。よきすみ所と
知てあつまるといへ共。
関東のあま。取事をしらず。
磯辺の
魚を小
網釣をたれて取
計なり。然所に今武州江戸はんじやうゆへ。
西国の
海士は。こと
〴〵く
関東へ来り。此
魚を見て。ねがふに
幸かなと。
地岳あみといふ大
網を作り。あみの両のはじに。二人して
持ほどの
石を二つくゝり付。是を千
貫石と石付
縄を二
筋付。
長さ三尺ほど。はゞ二三寸の木をふりと名付て。大
綱の所々に。千も二千も付る。此
真木といふ木
魚の目には。ひ
【 NDLJP:536】かるといふ。
早舟一
艘に
水手六人
宛。七
艘に取
乗。大
海へ
漕出で。綱をおろし両方へ三艘づゝ引わけて。大
綱を引。一艘はことり舟と名付
網本に有て。左右の綱のさし引する。此網の内にある。大
魚小魚一つも
外へもるゝ事なし。
海底のうろくづまでもこと
〴〵く引上る。扨又
砂底にある貝をとらむとて。
網のもとに
石を二つ。をも
荷につけ。それにかな
熊手を作り付
網を
海へおろし。大
綱を引はへて。舟の内にまき
車を仕付。いかりを打て。綱を引ぬれば。
砂三尺
底にある。もろ
〳〵の
貝共を。
熊手にかけて引おこす。天地かいびやくより。関東にて見も聞もせぬ。
海ていの大
魚。
砂底の貝を取上る。其程に四
時を待て。
波の上
砂の上に出る。
魚貝共今は時をしらず。
常にぶくしぬれば。江戸にて
初魚初貝のさたなし。はや二十四五年
以来此地ごくあみにて。取つくしぬれば。今は十の物一つもなし。
数罟汚池に入ずんば。
魚鼈あげて
喰べからずとは。
孟子の
言葉なり。其上
淮南子に。
流をたつてすなどるときんば。
明年に魚なしといへるも。おもひ出てうたてさよ。もろ
〳〵の魚の
中にも。とり分
鯛鱸こそ
床しけれ扨桜鯛と名付春に用ひ鱸を秋の
季によみ給へるも。いとやさしかりき。
鰹鮪は毎年度に至て。
西海より
東海へ来る。
伊豆。
相模。
安房の
浦につり上る。
初鰹しやうくはんなり。天文六年の
夏。小田原浦近く。
釣舟おほくうかび。鰹をつる。此よし北条氏
綱聞召。小舟にめされ。
海士のしわざを御
見物。
珍事の
御遊。
盃酒に
興じ給ふ所に。鰹一つ御舟へとび入たり。氏綱
喜悦におぼしめし。
勝負にかつうをと御
祝詞。なゝめならず。
即時酒肴に用ひらる。然におなじき七月上
旬。上杉五郎
朝定。武州へ
発向のよし
告来る。氏綱
出陣同十五日の夜いくさに。氏綱
討勝て。
武州を
治め給ひぬ。其比は
四方に
敵有て。
毎日
戦ひやむ事なし。氏綱
賞翫し給ふ
件の
鰹は。
勝負にかつうをと。もてはやし
常に
支度し。
諸侍戦場門出の
酒肴には。
鰹をもつはらと用ひ給ひぬ。扨又
本草綱目に
人魚ありかたち人に
似て。
腹に四
足有。ひれのごとし。
海山河にも有
魚人のあみにかゝる人をそれてくらはずとむかしみちのく
出羽の
海浦へ。人魚
死でながれよる事
度々にをよべり。
文治五年の
夏。そとの
浜へ。
人魚ながれよる。人あやしみこぞつて是を見る。おなしき年の
秋。
秀衡子息こと
〴〵く
滅亡す。又
建保元年の
夏。
秋田の
浦へ人魚ながれよる。此よし
鎌倉殿へ
注意〈[#「注意」はママ。「注進」の意か]〉す。此義を。はかせにうらなはせ給へば。兵かくのもとひと申に付て。御
祈祷あり。同
年五月二日。
和田義盛大いくさあり。
建仁三年四月。
津軽の浦へ。
人魚ながれよる。
将軍実朝公。
悪禅師に
害せられ給ひぬ。
宝治元年三月十一日。津軽の浦へ人魚ながれよるよし。
注進す。是によて。八
幡宮にをいて御祈祷あり。同き六月五日。三
浦泰村が
合戦あり。同二年の秋。そとの
浜へ。人魚ながれよるよし
風聞あり。其比
鎌倉殿のじつけんは。北条
左近将監時頼なり。此よしをきゝ。
先規不快の義なりと。おどろきみちのくの
国司。三浦五郎左衛門尉
盛時に。
尋らるゝによつて。
奥州へ
飛脚をつかはす所に申て云。去九月十日
津軽の
浦へ。
人魚な
【 NDLJP:537】がれよるといへ共。先々三
度御
注進申。皆もつて
不吉の事。
地下人かくし。申上ざるのよしを申。此義
不快たるにより。
将軍家諸寺諸
社へ御
祈請の事あり。
魚の
中に人魚有事。
必定海人の
殺生。いふにたへたりと申されし
見しは
昔。天正の此ほひ。
常陸国江戸
崎といふ所に。
諸岡一
羽と云て。
兵法の
名人あり。いにしへの。
飯篠長威入道にも。をとるべからずといひならはす。然るに
土子どろの助。
岩間小
熊。
根岸莵角と云て。名をうる
弟子三人あり。此者共兵法に身をなげうち。
昼夜付そひけいこする所に。諸岡
重病に
臥。
存命不定也。
莵角病人を見すて。
逐電す。然る両人の
弟子扨もにくし莵角めを。
追かけうたんも
行衛をしらず。
師の
深恩を忘るゝ事。
仁義の
道に。そむき
神明の
冥感にもはづれたり。師の
罸のがるべからず。かく有べしと
知ならば。切てすてべきをと。矢じりをぞかみける。両人は身まづしければ。
刀脇指を
沽却し。一
衣までも
代がへ。
医術を
尽し。三年
看病すといへ共。
師の
諸岡。ついに
死たり。
彼莵角。
相州小田原へ来る。天下
無双の
名人と云ならはす此者
長高く。
髪は山
臥のごとく
眼に
角ありて。物すごく。
常に
魔法を。おこなひ
天狗の
変化と云
夜の
臥所を見たる者なし。
愛岩山太郎坊。よる
〳〵来て。兵法の
秘術を
伝ふると申て。
微陣流と名付。人にをしへ
弟子共多かりけり其後
武州江戸へ来て。大
名小名に
弟子おほく有て。上見ぬ鷲のごとし。然に
常陸の
相弟子両人此よしを聞及び。
是非に江戸へ行。蒐角を
討べし。其上
師伝のりうを埋み
私曲をかまへ。
微塵流と
号し。兵法つたふる事。
師も草のかげにて。さぞや
悪しとをぼすらん。
天罰のがるべからず。
木刀にて打をろし。蒐角がかばねを。
路頭にさらし。
耻をあだふべし
但これ一人を二人して
討ては。うれしからず。世の聞へも然べからず。我々が手なみをば。莵角こそ
兼てよく
知たれ。両人が中にて
𩰘をとり。みくじに取あたる者。一人江戸へ
行べしと
定め。
小熊𩰘にとり
当て。江戸をさして行。どろの助は国にとゞまり。
時日を移さず。
鹿島の明神にまうでゝ。
願書をこめ奉る
敬白願書奉㆑納㆓鹿島大明神御宝前㆒
右心ざしの趣は。それがし土子泥之助。兵法の師匠。諸岡一羽亡霊に。敵対の弟子あり。根岸莵角と名付此者師の恩を。あだをもつて。報ぜんとす。今武州江戸に有て。私曲ををこなひ逆威をふるひ畢。是によつて。かれを討ん為それがしの相弟子。岩間小熊。江戸へはせ参じたり。あふぎねがはくは。神力を守り奉る所なり。此望みたんぬにをいては。二人兵法の威力をもつて。日本国中を勧進し。当社破損を建立し奉るべし。若小熊利を。うしなふにをいては。それがし又かれと。雌雄を決すべし一ツ。千に。それがしまくるに【 NDLJP:538】至ては。生て当社へ帰参し。神前にて腹十文字に切。はらわたをくり出し。悪血をもつて。神柱をこと〳〵くあけにそめ。悪霊と成て。未来永劫。当社の庭を。草野となし。野干の栖となすべし。すべて此願望毛頭。私欲に非ず。師の恩を謝せんがため也。いかでか神明の。御憐み御たすけのなからん仍如件
文緑二年癸巳〈[#ルビ「みづのへのみ」は底本では「かのとのみ」]〉九月吉日 土子泥之助
と書て。御宝殿に納め。本宅に帰りぬ。扨又小熊は江戸へ。夜を日に継で急ぎける。然に小熊江戸へ来るを見るに。小男にて色黒く。髪はかぶろのごとし。ほうひげ。あつく生ひたる内より。眼ぎらめき。誠に名にしおふたる小熊なり。此者兎角が事をばさたせずして。御城の大手。大橋のもとに先札を立つ。そのをもむきは。兵法望みの入是あるにをいては。其仁と勝負を決し。師弟の約を定むべし。文録二年癸巳〈[#ルビ「みづのへのみ」は底本では「かのとのみ」]〉九月十五日。日本無双岩間小熊と書たり。蒐角が弟子。数百人あり此札を見て。にくきやつめが。札の立様かな。天下にかくれなき。莵角江戸におはするを知てたてけるか。しらで立たるか。先札を打わつてすて。小熊をば寄あひ。たゞ棒にて打殺せとのゝしりあへる所に。とかく聞て愚人夏の虫。飛で火に入とは。小熊なるべし。たゞ一うちに。われ打ころし。諸人に見せんと放言し。御奉行所へ此義を申上。則大はしへ両人出たり。御奉行衆はじめ両方に弓鑓を持て稽古し両人の刀脇差を預り給ひぬ。扨両人はしの東西へ出る。莵角は大筋の小袖に。しゆすのめうちのくゝりばかまを着。白布をよりて。たすきにかけ。黒はぎわらんぢをはき。木刀を六角に。ふとくながふ作り。鉄にて筋がねをわたし。所々に肬〈[#「肬」は底本では「肱(ひじ)」]〉をすへ。是を提いぶせき体にて出る。小熊は鼠色の木綿あはせに。あさぎの木綿はかまを着。足半をはき朴少なる姿にて。常の木刀を持出る。両方よりすゝみかゝつてうつ。両の木刀はたと打あひ。たがひに押かと見えしが。小熊莵角を。はしげたへ押付。片足を取て。さかさまに川へ。かつぱとおとしたり。小熊はすまふも上手と聞えしが。此度の仕合に出合たると皆人さたせり。莵角はぬれ鼠のすがたにて。それより逐電す。小熊は天下に名をあげたり。愚老見物せしか共。人群集故。たしかには見ざりけり。侍衆さたし給ひけるは。此者どものたゝかひを見るに。木刀を脇に提。両方はしりかゝつて。はたと打合たる斗なり。両人様々の太刀を知といへ共。極位に至ては。五尺の身を目当にして。切より外の太刀はなしと知れたり。むかし下総の国。香取に塚原木伝と云。兵法者有しが。是希代の名人。末代にをいて。木伝が一ツの太刀といひならはせり。ていれば太刀の名。様々有といへ共。きはまる所は一刀と知れたり。但一刀としるといふ共。稽古なくして。本分のくらゐに。至りがたし。莵角も小熊も名人たるによつて。目がねの寸尺少もはづれず。両方の太月。中にてはたと当て。其木刀ほごれざるも。奇特なり。勝負のならび。一方かち。方まく。たゞ運命の厚薄にこたへたり。され【 NDLJP:539】共兎角。橋げたへ押付られ。川へおとされしは。小熊に勇力。をとりたる故なるべしと申ければ。爰に岩沢右兵衛助と云人是を聞て。其節われ奉行の内に加はり。橋もとに有て。勝負をたしかに見たり。小熊はとく来て西より出。兎角は東より出向ふ所に。わが近所に。高山豊後守と云老士有しが。是を見て。いまだ勝負なき以前。すは莵角まけたり〳〵と二声申されしを。不審におもひ其後其言葉をたづねしに。豊後守云けるは。小熊右に木刀を持。左の手にて頭をなであげ。いかに莵角ととばをかくる。莵角さればと立て。ほうひげをなでたり。是にて高下のしるしあらはれたり。其上莵角。御城へ向て釼をふり。いかで勝事をえん。是運命のつくる前表なり。然ば莵角は。大男の大力なる故に。小熊をあなどりて。たゞ一打と。上段にかまへたり。小熊は小男にて。無力なれ共。功者たる故相打して叶ふべからずと。則妙に機を点じ。下段にもつ。案のごとく苑角一打とうつ所に小熊はたと請とめ。とかくを橋げたへ。押付る。はしげた腰より下に有ければ。兎角川へさかさまに落たりすべて兎角強力をたのみとし是非の進退をわきまへず。威有てたけし。是血気の勇士といひて。本意にあらず。小熊は項王がいさみを心とし。張良がはかりごとを旨とす。敵つよくをごれども。我はをごらず。柳の枝に雪おれのなきがごとし。変動つねになし。敵によつて転化すといへる三略の言葉。小熊が兵法にて。思ひあたれりと申されし
北条五代記巻第七終