北条五代記巻第九 目次
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【 NDLJP:551】
北条五代記巻第九
聞しは
昔。
相州の
住人三浦介。
受領陸奥守従四
位下平義同。
法名道寸と
号す。
子息荒次郎。
弾正少弼義
意と云て。父子
名をえたる
侍あり。是は大介義
明の
後胤なり。
平治の合戦にをいて。三浦荒次郎義
澄は。
源氏にくはゝり。
軍せし事。
古記に見えたり。然に
伊豆の国に。伊勢新九郎平
氏茂と云
武士あり。後は入道し。北条
早雲と
号す。此早雲
相摸小田原の城を。
明応の比ほひ。のつとり上杉
朝良居城。同園大
庭の城をも
責おとす。永正元年九月。
早雲と
官領上杉
明定と。大
合戦あり。三
浦介
道寸は。さがみ
岡崎の城に有て。早雲とたゝかひしが。
叶はずして。同九年八月十三日。城を
開退し。同きすみよしの城にうつり。年久しく
論敵たりしが。
鎌倉合戦に道寸
討負。
敗北す。されどる秋尾の大くづれにてきゝへたり。此
道は
高山くづれて
海に入。
片岸に道有て。一
騎うちなれば。
幾万
騎むかうといへ共
叶ひがたし。然共早雲大
軍にて。小
坪。秋屋。長
坂。
黒石。
佐原山を打
越みだれ入。
道寸かなはず。
父子一所に。
雑兵二千ほどにて。三
浦。
新井の
城にたて
籠る。此城
南西北は入
海。
白波立て。
岸をあらひ。山
高く
巌けんそにし
【 NDLJP:552】て。
獣もかけりがたし。城の
広さは二十町四方。
東一方わづか。二十
間程。
陸つゞき。是に堀をほり。
門一ツ立をきぬれば。百万
騎むかふといふ共。力ぜめには成がたし。たゞ是
島城也。道寸は
至剛智謀兼備せし。大将たりといへ其。かまくら
合戦に。
人数こと
〴〵く
討れ。小勢なれば。
叶はずして。三年
籠城す。然に千
駄矢倉と
号し。大きなる
岩穴有。是に
常に
米穀を。千
駄つみをく。此穴の内も
皆はらつて。
兵粮米つきはてぬれば。すでに
城中の者共。
難儀にをよぶ。其比むさしの
国司として上杉
修理太夫
朝興は。江戸の
城を
居住とす。
新井の城中。兵粮つくる由を聞。
武州勢を
率し。
道寸後詰と有て。さがみの国。中ごほりまで打
越陣取。
早雲此よしを聞。
新井の城おさへとして。二千
騎残しをき。四五千の
人数。新井を
退て。
甘縄〈[#「甘縄」はママ]〉の
近辺に
陣取。
合戦し。
討つうたれつ。たゝかふといへ共。
叶はずして。上杉人数
武州へ
皆引返す。
新井城中の者ども。
力をうしなひ。門をひらき。切て出。
討死すべきか。
腹を
切べきかと。せんぎしける所に。大
森ゑちごの守をはじめ。
佐保田河内同彦四郎。三次
参河守申けるは。
総州の
摩呂谷上総介殿は。
荒次郎殿のしうと。
親子の
契縁也。
岸根に。つなぎをく。おほくの舟に取
乗。
上総の国へ
移り。
下総。
武州上州の
勢をもよほし。上杉殿を先立申。さがみの国へ
乱入て。早雲を
退治し。
会稽の
耻をすゝぐべしとぞせんぎする。
道寸是を聞。
暫く有て
涙をおさへ。をの
〳〵しさるゝ所
神妙也。然にそれがしは。上杉
高救が
男なり。
時高養子と
成て。三浦へ
移る。其後
継母に
弟一人いできたり。継母の
讒言により。
弟を世にたてんため。われを
害せんはかりごとあり。我心うくおもひ。
出家し世を
遁れ。小田原
総世寺に有し所に。
家老の者おほくしたひ来て。みかたとなる。小田原の
城主。大
森筑前守
加勢をこひ。
父此
城にましますを。
明応三年九月廿三
夜にせめおとし。中
村民部をはじめ。こと
〳〵くほろぼしたり其
因果を身にむくひ。かゝるうき目にあふ事。
敵のせめにあらず。是ひとへに
養父の
罰をあたり天の
責をかうふる也。世をも人をもうらむまじ。さあらんにをいては。
縦いづくへ
落たり共。
行末も
頼がたし。
高きもいやしきも。
死べき所にて
死ざれば。
後代の
耻辱たり。いにしへを
伝聞しに。
東方朔が九千歳。うつゝらが八万
歳浦島が七百歳も
限有
命にて。
終にはむなしくなるぞかし。我六十
歳を。たもちぬるも。たゞ一
炊の
夢。
生者必滅の世のならひ。
歎てかひなかるべし。
今生の
名残たゞ今なり。
酒をくまんと
道寸盃をひかへ給ひければ。
河内守君が代は。
千世にや
千代とうたふ。
荒次郎
扇を取て
君が代は。千世にや千代もよしやたゞ。うつゝのうちの。夢のたはふれ
と舞給へば。彦四郎も同く立て。つれてまふ。実あはれなる一曲かなで。いつの世にかは立帰り又もあひ見ん事ならねば。おもひ切とはいひながら。今を最期の舞の袖。思ひやられてあはれなり。道寸諸侍に向ていはく。君臣の礼義。年来の忠功あさからず、然といへ共。予が【 NDLJP:553】運命もつきはて。三年の籠城に兵粮つきぬれば。力なし。此中にも落んと思ふ人あらば降人と成て出城すべし。道寸少も恨みなし。死せんと志ふ人は。討死し。後代に名をとゞめよ。道寸父子は腹切べし。生涯の対面是までなり。越後守が云。こは口惜き仰哉。それ人の一大事といふは。一期の終りをもてせり。年頃日来恩禄を請。かゝる時にひるがへらば。豈仁の道ならん。白氏文集に。君恩雨露のごとしといへり。旧君の深恩を忘れ。此一大事を遁。世に生残りて。耻をさらす者や候べき。主従ともに討死し。名を後代にとゞめんは。弓矢とる身の本懐なりと申ければ。諸卒是を聞。御返答よく申たりと。をの〳〵心ざしを一ツにし。時刻うつさず門をひらき切て出る。道寸うちわを取て。諸卒をいさめ。けふを最期の合戦なれば。父討るれ共。子助けず。主うたるれ共。従者おち合ず。刀のつかのくだけるを限り。死を限りに。天地をひゞかしたゝかふ有様。修羅道もかくやらん。道寸うちわを取て。下知し給ふ所に。神谷雅楽頭と名乗て。道寸を目がけ馳参じ。馬土にてをしならべてむずとくむ。道寸は聞ゆる大力にて。物ともせず。汝やさしき心ばせや。我手にかゝり。くわうせんにて。焔魔の帳の。うつたへにせよと。鞍の前輪にをし付。ほそ首ねぢ切捨られたり。討死おほき其中に神谷雅楽頭は心ももうなりけるが。道寸の手にかゝり。五十三を一期とし。死て名誉をとゞめたりと。ほめぬ人こそなかりけれ。荒次郎は。家につたはる重代。五尺八寸の正宗の。大太刀をぬき持て。大声を立。切てまはる有様。鬼神のごとし爰へをつゝめ。かしこへせめよせ。はらひぎり。をひかけぎりけさがけ。瓜切。よこ手切から竹わりと云ものに。散々に切てまはれば。かたきの勢は。四方八方へにげ行て。むかふ敵こそなかりけれ。敵みかたの死がいは。原上に塚をつき。血は野草をそめ。みかたもおほく討死す。生残る輩は。友々さしちがへ。腹を切てぞ死たりける。わづかに残る人々は。心しづかに腹きらんと。主従ともに。城に帰り。七十五人おもひ〳〵に腹切て。一人も生残らず同じ枕にふしにけり。荒次郎いはく。父も自害有べし。荒次郎は一人跡に残りとゞまりとふらひ合戦仕り。かたきを思ふまゝに亡して。尸はせんぢやうにさらし。苔の下に埋む共。名を万天にあぐべしとを申けり。扨又道寸は常に和歌をこのましめ給ひしが。すきの道とて生害に至て
うつものも討るゝ者もかはらけよくだけて後は。もとのつちくれ
とよみ切腹し給ひぬ。荒次郎は廿一歳。器量こつがら人にすぐれ。長七尺五寸。黒髭有て。血眼なり。手足の筋骨あら〳〵しく八十五人が力をもてり。さいごの合戦のため。おどし立たる甲冑は鉄をきたひ。あつさ二分にのべ。是を帯しあらかしの丸木を。一丈二尺につゝぎり。八角にけづり。筋がねをわたし。此棒を引さげ。一人門外へゆるぎ出たる有様。やしやらせつのごとし。おめきさけぶこゑ。大山もくづれて。海に入。こんちくもおれて。忽に沈がごとし。四【 NDLJP:554】方八方へ迯る者を。をつ詰。甲の頭上をうてばみぢんにくだけて。胴へにえ入。よこ手にうてば。一払に。五人十人打ひしぐ。棒にあたりて死する者。五百余人。其尸は地にみちて。足のふみ所もなし。たゞ是らせつこくの鬼王が。いかりもかくやらん。此威に皆敗北して。敵もなければ。みづから首をかき落し。死たりけり。され共首は死せず。眼はさかさまにさけ。鬼髭は針をすりたるがごとく。牙をくいしばり。にらみつめたる眼のひかり。百れんの鏡に。血をそゝぎたるがごとく。さもおそろしさを一目見たる者。なうれつすれば。此頸又も見る人なし是によつて。有験の貴僧高僧に仰て。さま〳〵の大法秘法。呪せられけれ共其しるしなし。三年此首死せず。小田原久野の。総世寺の禅師来て。一首の歌を詠じ給ふ
うつゝとも。夢ともしらぬ一ねぶり。浮世のひまを。あけぼのゝ空
とよみて手向給へば。眼ふさがり。たちまち。肉くちて。白かうべと成ぬ。此荒次郎死所のあたり。百間四方は。今にをいて。田畠にも作らず。草をもからず。牛馬其中に入て草をはめばたちまちに死す。故に獣までもそく知て其中へ入事なし常に青草ばう〳〵と生たり。当代の侍衆。新井の城を見物せしに。道寸父子は。名誉の武士。一礼とて。城の大手古堀の外にて下馬し。礼敬す此合戦と申は。七月十一日なり。今も七月十一日には。毎年新井の城に。雲霧おほひて。日の光もさだかならず。丑寅の方と。未申の方より電かゞやきいでて。両方の光入乱れ。風猛火を吹上。光の中に。兵馬は虗空にたゝかふ有様。天地をひゞかしおそろしきとも云ばかりなし。かるがゆへに此古塚のあたりには。人家もなし。一里ばかりはなれて。村里見えたり。扨又不思儀の事有。道寸父子の討死は。永正十五年戊寅の年。七月十一日の寅の刻也。然所に北条氏政の切腹も。天正十八庚寅の年。七月十一日寅の刻なり。七十三年に当て。年月日刻。たがはず果給ひたる。因果のわりこそ。おそろしかりけれ。父祖の善悪は。かならず子孫にをよぶといへる古人の言葉。おもひしられたり
聞しはむかし。関東北条
左京大夫。
平朝臣氏康公は。
伊豆。
相模。
武蔵。
上総。
下総。
上野を
治め。
常陸。
下野。
駿河。
信濃へ手をかけ。
関八州に
威をふるひ。
文武至剛の
名将たり。其比
氏康に
敵対の人々。
安房に
里見左馬頭義弘。
常陸に
佐竹太郎
義重。
下野に
宇都宮弥三郎
国綱。
越後に
長尾景虎。
甲斐に
武田源信玄。
駿河に
今川義元。
東西南北に
敵有て。たゝかふ
諸さぶらひ
義を
守り。
節ををもくし。
名をおしみ。
命を
軽じ。いさみすゝんで。
死をあらそひ。
討つ。
討れつ。
敵味方の
骸骨地にしき。
血は
野草をそめ。
鯨波矢さけびのをと。
震動し。やむとなし。然所に。
弘治二
丙辰の年。あつかひ有て。
氏康信玄義元三人の中。無事に成ぬ。其上氏
【 NDLJP:555】康の
子息氏
政は。
信玄の
聟になり。義元子息
氏真は。氏康の聟にさだめ。信玄
息義
信は。義元の聟に定め。三方へ御こし入て。北条今川
武田の。三
家一味になりぬ。此無事の
子細。三人の大将。
言葉に
出さずといへ共。
心底にはいづれも。天下に
望みをかけ。無事になるとしられたり。
関東侍は。
先例をおもふゆへにや。
小身たる人も。天下に望みをかくる。然に
義元。
駿。
遠。
参の
軍兵。二万五千を
引率し。
駿府を打立。京
都へせめ上る。
尾州に入。
諸勢打
散て。
乱妨取す。義元は。
松原にて
酒もりし給ふ所に。
織田三郎
信長。六七百の
人数にて。はせむかひ。
味方にまなんでをしよせ。
尾張国でんがくがくぼと
云所にて。
永禄三年
庚甲。五月十九日義元は。
信長のためにほろび。同八年五月十九日。
公方光源院義輝公は。
三好がために
御生害也。
三好修理亮子息左京大夫。天下を二
代持。然に信長。
美濃。
尾張。
伊勢三ケ国の
勢を
引率し。京都へせめ上り。同十一年十月十五日
入洛す。其以後公方
義昭公。二たび
帰洛し給ふ。同十二年に。三好は信長に
誅せられ。氏
康は
元亀元年十月三日
病死。氏
真は
伯父信玄に。
追出せられて。
後卒す。太郎義
信は。
父信玄にころされ。信玄は天正元年四月十二日に
病死す。
輝虎は同六年三月十三日に
頓死す。同年の春。上杉三郎
景虎は。
長尾喜平次
景勝のために
害せられぬ。されば氏
康。
信玄。
輝虎此三人の内。一人
存命にをいては。
信長滅亡たるべきに。信長
天運つよき故なりと。
諸人沙汰せり。同十年三月十一日。
武田勝頼同太郎
信勝父子は。信長公のためにほろび。同年六月二日。信長公三
位中
将信忠父子は。
明智日向守〈[#ルビ「あけちひうがのかみ」は底本では「あけちひうかのがみ」]〉光秀がために
滅亡し。同月十三日
光秀は。
羽柴筑前守秀吉に
討れ。
柴田修理亮勝家。
織田三七
信高両人は。
秀吉のために
誅せられ。其後京
乱しづまりぬ。同十八年七月十一日。氏
政は
秀吉公のために
切腹し。氏
直は
高野山に入。
文禄元年十一月四日
卒逝す。
関白秀次公は。文禄四年七月十五日。高野山にをいて。
大閤のために切腹し。
義昭公は
慶長二年八月廿八日
薨じ給ひぬ。秀吉公は同三年八月十八日に
他界也。
愚老永禄年中に生れてよりこのかた。天下に
望みをかけ給ふ大
名。右に
記すごとく。二十二人。此内十五人は。
弓箭にて
卒し。七人は
病死なり。扨又右の内八人は。
果報めでたふ天下に
義兵をあげ。
武将の
位に付給へり。され共内六人は弓箭にて
果給ひぬとかたれば。
老人聞て。申されけるは。
論語に。人
遠きおもんぱかりなきときんば。かならずちかき
愁へありといへり。一
生の間。身
終るまで。
思慮なき時は。かならず一日
片時の内にも。わざはひ有べし。人間はかなき有様。たとへば
夏の
蝉。時しりがほになくを。うしろに
蟷螂。
犯さんとす。
雀又いぼじりを
守る。其木の下に。わらは
弓を
彎て
射んとよる。
足もとに
深き
谷有をしらず。身をあやまてり。みな是まへの
理をおもひて。
後の
害をかへりみずとおんせうけうが云をきしも。今おもひしられたり
【 NDLJP:556】
見しは
昔。関東
諸国みだれ。
弓箭を取てやむ事なし。然ば其頃。らつはと云。くせ者おほく有し。是らの者。
盗人にて。又盗人にもあらざる。心かしこく。けなげにて。
横道なる者共なり。
或文に。乱波と
記せり。
但正
字おぼつかなし。
俗にはらつはといふ。され共此者を。国大
名衆扶持し給ひぬ。是はいかなる
子細ぞといへば。此
乱波。我国に有盗人を。よく
穿鑿し。
尋出して
首を切。をのれ。
他国へ
忍び入。
山賊海賊夜討
強盗して。物取事が上
手なり。
才智に有て。
謀計調略をめぐらす事。
凡慮に
及ばず古
語に。
偽ても
賢をまなばんを。賢とすといへり。されば
智者と。盗人の
相おなじ事なり。
舎利弗も。
智慧をもつて。ぬすみをよくせられけると。
古き文に見えたり。
乱波と
号す。
道の
品こそかはれ。
武土の
智謀計策をめぐらし。
他国を
切て取も又おなじ。扨又
戴淵と云者盗人也。
陸機と云
者船に
乗。
長安へ参る時。
淵はかりことをめぐらし。
陸機が船のうちを。
盗みとらんとす。
陸がいはく
汝が
器用才覚にては。
高位にもすゝむべき人なり。何とて盗みするやと云時。淵つるぎをなげすて。盗の心をあらためける。
帝聞めし
志をひるがへす事
切也と。ほうび有て。めしあげて。
将軍になし給ひぬ。是をおもふに。
誠に関東のらつはが
智慧にては。
神仏とならんも。
安かるべし。大人にもならず。
財宝をもたくはへず。盗人
業をえたるこそ。をろかなれ。然に北条左京大夫。
平氏直は。
関八州に
威をふるひ。
隣国皆
敵たるによて。たゝかひやむ事なし。
武田四郎
源勝頼。同太郎
信勝父子。天正九年の
秋。
信濃。
甲斐。
駿河三ケ国の
勢をもよほし。
駿河三
枚ばしへ打出。
黄瀬川の
難所をへだて。
諸勢は
浮島が
原に
陣どる。氏
直も関八州の
軍兵を
率し。
伊豆のはつねが原。三島に陣をはる。氏
直乱波。二百人
扶持し給ふ中に。一の
悪者有。かれが
名を。
風摩と云。たとへば
西天竺。九十六人の中。一のくせ者を。
外道といへるがごとし。此
風摩が
同類の中。四
頭あり。
山海の両
賊。
強窃の
二盗是なり。山海の両賊は。山川に
達し。
強盗は。かたき所を
押破て入。
窃盗はほそる
盗人と
名付。
忍びが上
手。此四盗ら。夜討をもて第一とす。此二百人の
徒党。四手に
分て。雨の
降夜も。ふらぬ夜も。風の
吹よも吹ぬ夜も。
黄瀬川の大
河を。物ともせず打
渡て。
勝頼の
陣場へ。
夜々に忍び入て。人を
生捕。つなぎ馬の
綱を
切。はだせにて
乗。かたはらへ
夜討して。
分捕乱捕し。あまつさへ。
爰かしこへ
火をかけ。四方八方へ。
味方にまなんで。
紛れ入て。
鬨声をあぐれば。
惣陣さはぎ
動揺し。ものゝぐ一りやうに。二三人取付。わがよ人よと
引あひ。あはてふためきはしり出るといへ共。
前後にまよひ。味方のむかふを
敵ぞとおもひ。
討つうたれつ。
火をちらし。
算をみだして。
半死半生にたゝかひ。
夜明て
首を
実検すれば。
皆同士軍して。
被官が
主をうち。
子が
親の首を取。あまりの
面目なきに。
髻をきりさまをかへ。
高野の
嶺【 NDLJP:557】にのぼる人こそおほかりけれ。扨又其外に。もとゆい切。十人
計かたはらにかくれ。こぞり
居たりしが。かくても
生がひ有べからず。
腹をきらんといふ所に。一人すゝみて云けるは。我々
死たり共。
主をうち。
親を
殺す其むくひを
謝せずんば。五
逆八逆の
罪のがるべからず。二百人の
悪盗を。いづれを分て。かたきとせんや。
風摩は
乱波の大将なり。
命を
捨ば。かれを
討共
安かるべし。
今宵も
夜うちに来るべし。かれらが来る
道に
待て。ちり
〴〵に
成て。にぐる時。其中へまぎれ入。
行末は。皆一所に
集るべし。それ
風摩は二百人の中に有て。かくれなき大
男。
長七尺二寸。
手足の
筋骨あら
〳〵敷。
爰かしこにむらこぶ有て。
眼はさかさまにさけ。
黒髭にて。口
脇まへ
広くさけ。きば四ツ
外へ出たり。かしらは
福禄寿に
似て。
鼻たかし。
声を
高く出せば。五十町聞へ。ひきくいだせば。からびたる
声にて
幽なり。見まがふ事はなきぞとよ。其時風摩を見出し。むずとくんで。さしちがへ。
今生の
本望を
達し。
会稽の
耻辱すゝぎ。
亡君亡
親へ。
黄泉のうつたいにせんと。かれらが来る
道筋に。十人心ざしを一ツにして。草にふしてぞ
待にける。
風摩例の
夜討して。
散々に
成てにぐる時。十人の者共其中へまぎれ入。
行末は二百人みな一所に
集たり。然ば夜討
強盗して
帰る時。
立すぐり。
居すぐりといふ事あり。
明松をともし。
約束の
声を出し。
諸人
同時にざつと
立。
颯と
居る。是は
敵。まぎれ入たるをえり出さんための
謀なり。然に
件の立すぐり。居すぐりをしける所に。
紛れ入たる十人の者。あへて此義をしらず。えり出され。みなうたれけるこそふびんなれ。夜々の事なれば。
勝頼の
諸勢。是にくたびれ。
夜明ければ。よろひをぬぎすて。
昼ねしける所に。なま
才覚なるものいひけるは。いかにや人々。
兵野にふせば。とふ
鴈つらを見だすといへる。
兵書の
言葉をしり給はずや。
爰の山
陰。かげかしこの
野辺に。
鴈の
飛みたるゝをば。見給はぬか。
風摩が
忍び。
乱波が草に臥たるよと。よびめぐれば。すはや心得たり。のがすなうちとれとて。
惣陣さはぎ
動乱しける。
馳向て是を見るに。人一人もなし。くるれば馬にくらをきひかへ。
弓に
矢をはげ。
鉄炮に
火なわをはさみ。
干戈を
枕とし。
甲冑をしとねとし。秋
三月長夜を
明しかね。うらめしの
風摩が
忍びや。あらつらの。らつばが
夜討やといひし事。天正十八
寅の年まで有つるが。今は国おさまり。目出度御代なれば。風摩がうはさ。
乱波が名さへ。関東にうせはてたり
見しはむかし。北条氏
直と。
里見義頼。
弓矢の
時節。
相模。
安房両国の間に
入海有て。舟の
渡海近し。故に
敵も
味方も
兵船おほく有て。たゝかひやむ事なし。夜るになれば。
或時は
小船一
艘二艘にてぬすみに来て。
浜辺の
里をさはがし。或時は五十艘三十艘
渡海し。
浦里を
放火し。女わらはへを
生捕。
即刻夜中に
帰海す。
島崎などの
在所の者は。わたくしにくわぼくし。
敵方【 NDLJP:558】へ
貢米を
運送して。
半手と
号し。夜を心やすく
居住す。故に
生どりの
男女をば。是等の者。
敵方へ
内通して。
買返す。去程に夜にいたれば。敵も
味方も。
海賊や
渡海せんと。
浦里の者。れまはつて
用心をなし。海賊の
沙汰日夜いひ。やむ事なし。今は
諸国おさまり。天下
泰平四
海遠浪の上までも。をだやかにして。
静なる御
時代なり。然共
兵船おほく江戸川につなぎをき給ふ。ある人いくさ
舟の
侍衆を。海賊の者と云ければ。其中に一人此
言葉をとがめていはく。むかしより
山賊海賊といふ事。山に有て
盗をなし。舟にてぬすみするを名付たり。
文字よみもしるなし。
侍たるものゝ
盗をする者や有。
海賊とは
言語道断非事かな。物をもしらぬ
木石なりといかる。此者聞て。我
文盲ゆへ。
文字よみもしらず。扨
舟乗の侍の
名をば何とか申べき。をしへ給へと云時。此侍の
返答につまり
無言す。
愚老是を聞。文字よみをきけば。
侍とがめ給へるも
はりなり。又いにしへより。
海賊と
俗にいひ
伝へければ、いふもしかなり。今おもひあたつて。此
名をうかゞふに。舟乗にはそれ
〴〵のなすわざによて。
異名有。
商船人。
廻船人。
海士人。
渡守。
水主。
梶取。などゝいふ。然どもいくさ舟の侍をば。
兵船武者共。
戦船侍共。いひ
伝へを。いまだ聞ず。ほとんど。
海賊の
諍論分明ならずといへば。人聞て兵船を。海賊と云
本説おぼつかなし。われ此
賊の
字の心を
察するに。
盗みとは。あながちに。物取ばかりに
限るべからず。
万悪事をさして。いへる
惣名なるべし。
正路簾直なる事をば。
仏といへるがごとし。いにしへ
源平のたゝかひを。しるしをきたるふみに。
平家の
凶賊等を
討ほろぼし。
源家の
賊徒を
追討しなどゝ。
敵がたをさして。賊と
名付たり。それぬすむといふ
詞は。やさしき物にたくへて。
歌にもおほく
詠たり。すべて
弓馬のみちは。
武略を
専とす。此心をもて
了簡するに。
盗賊と武
略は。
文字かはり。みち
なれ共。心はおなじ。それいかにといふに。よく
盗みするも。武略もみなはかりごとをもて
肝要とせり。すこぶる
戦場にをいて。
或は
相刻相生の。五行をかんがへ
勝かたより
向ひ。或は
孤虚王相とて。日をえらび時を取て。
馳来てしゆうを。
决せんとほつする時は。
味方敵の大
将の。てだてをはかつて。其
行のならぬ
様に。こなたより
調略す。是を心をせむる共。
謀を
伐ともいへり。
交を
伐。兵を伐。
城をせむる。其
品々の
計策皆順道の
外の
武略なり。故に第一に
謀をうつといへるは。たゝかはずして。
勝事をはかり。
敵の兵の
屈するやうに。
智計をめぐらし。
横道にて
利をうるを。
善の善なりとす。是
孫子が心なり。扨又御
成敗式目に。
山賊海賊等の事を
記せり。これらは人を
殺す者なりと
計有て。
罪科の
軽重たしかに
注さず。又
強窃二
盗の
沙汰あり。強盗は日中の
盗人。
威力をもて人の
財宝をうばひ取。ぜつたうは
夜の
盗人なり。是は
威力なく。ひそかに人の物を盗故。名付てほそる共。
忍びともいふと
記せり。
窃盗の二
字を。忍びとよみ。ひそかにぬすむともよみたり。さす所はおなじ名なれども。盗人といへば。
悪逆無道に聞へ。ほそる忍びといへば。やさしかりき。又
花鳥【 NDLJP:559】風月によそへて。ぬすみの
とばを
詠ぜり。
風花の
香をさそふは。
風賊也。
露月
影をうつすは。
露賊なり。
鳥は
鷹にかくれて立ば。
鳥賊いづれも。
和歌に詠ぜり。其上
仏は。
眼耳
鼻舌身意是を六
賊と
説れたり。
見聞鼻にかぎ。
舌に
味ひ。身にふれ。心におもふ事。皆
賊なり。六
根六
塵六
識三六十八の
境界。是を
仏は
盗人
妄相煩悩などゝ。様々に
異名を付給へり。此
欲賊は。人間に付そひ。はなれがたし。爰をあきらむるは心なり。故に
古人は
万法一心にしかじと云々。
禅家にをいて。一千七百の。
公案といふも。さとりあきらむるをもてせり。故に
禅の一
法は。一
切諸法を
備へり。すべて
生死の
去来を
知が
肝要なり。
生は
不可得の
生なり。
死又不可得の
死なり。然れば
生にまかせ。
死は死にまかせ。
生死にをいて。わづらはざる。是一
念不生の所なり。たゞ
即心即仏にして。
外に
仏をもとむべからず。色に
形賊あり。心に形賊なし。此
色空の二
相を
分明すべし。一切の
境界。心の外になし。まよへるは
妄賊。さとる時は万事。
空にして一
物なし。人間一
生涯色欲に
着して。
生死のきづな。はなれがたし。かくのごときのいましめ。
釈儒の二文にくはしく
記せり。
程子の
説に。人のかなうずしも。おぼれ
迷ふ所のみにあらず。心のむかふ所。すなはち
欲なりといへり。
儒者のをしへを。
仁義と云も。
仏のいましめも。心はことならず。たゞ我が
有を有にして。
他の有をむさぶらざらんこそ。
本意なるべけれ。
殆君上に有てまつりごとたがふ時は。国
乱れ。
民くるしめりほしいまゝに。
国位をうばゝんがため。天下を乱し。
黎民是によて
愁ふ。そのかみ
天神七
代地神五代
去て。
神武帝よりこのかた。日本国は
王土なり。民は
子たり。王位の
政。をこたらざる時は。国民
安穏にして。
風枝をならさず。
雨つちくれを。うごかさず。是天よりあたふる所の
聖人なるが故也。
荘士に云
君は
民をもて子とし。民は君をもつて
父とすと云々。然に
神功皇后女体の御身とし。ひとの国を。うばひとらむと
欲賊にまよひ。
海賊舟おほくもて。
異国へ
渡海し。
修羅の
戦ひをなし給ふ時に。御きせながをめされしに。たま
〳〵懐姙にあたらせ給ふ
玉体。はなはだ大にして。御よろひのかこみ。其
脇にをよばず。是によて
則。
楯をもつて脇をかくし給ふ。此
例により。日本の
武士。脇
楯するは此いはれなり。
万里遠浪の上。
馬にかふべき。まぐさなし。海中の
藻を取て。
馬にかふ。故に。
神馬草と名付たり。神馬藻と
書て。なのりぞとよむも。此時よりと云々。
皇后三
韓をしたがへ。ひとり御心を。なぐさみ給ひけれ共。
万里の
道。
兵粮米運送するは。日本国の
民百
姓なり。是によてなげきかなしみ。其ついへあげて
尽べからず。
元暦二年
安徳天皇同
女院も。
海賊し給ひぬ。
長門の国
赤間が
関の
海上にをいて。
源氏は八百
余艘。
平家は五百余艘をうかめ
合戦す。平氏
討まけ。
先帝も二
位尼上も。こと
〴〵く海
底にしづみ給ふ。此
源を
尋るに。
上一人の
欲賊
故。下
万民うれふ。
爰をもて
史記にいはく。
鈎をぬすむ者は
誅せられ。国を
窃む者は
佚たりと云々。鈎は
帯に付る
少き
金なり。此心は小
盗は
罪にをこなはれ。大盗は国をぬすめ共。
【 NDLJP:560】罪科にあはぬといへり。いにしへ。三
皇五
帝世を
治め給ふ事。天地の道に
叶ひ。
政すなほなるが故なり。
尭王位に
即給ひて。民のついへをいたみ。さいてんけづらず。ばうしきらずと云々。家をかやにてふき。
材木をけづらず。
黒木なり。いしやうをそめず。
紋をも付ず。是
民を
憐み。
国土ゆたかにとの。政事なりされば今の世までも。
尭をば
聖君と申
伝へり。天下を治る
君。かくこそ有べけれ。世は
仁義をもつてたもてり。それ人として。
仁義の道にたがふは。
本意にあらず。まして大
将にをいてをや。たとひ
生涯に
望む共。
義の道
守るを大将とす。然ば
古語に。
敵のいばりを呑でも。本意を
達すと云々。此
詞用ひがたし。
越王会稽の
耻をすゝぎしは。一
眼の
亀の
浮木にあへるがごとし。此詞残りとゞまつて。
越王の
口辺。
尿の
臭香末代までも
失べからず。ほとんど国を
守護するも。
滅国となるも。大将の
武運にこたへ。天
命のなす所なり。故に合戦の
勝負はまけたりとても
耻辱に有べからず。たゞ運を天にまかせ。義を
義とし。
後代に
名誉を
残さんこそ。大将の
本懐なるべけれ。右は
海賊の二
字に付ての
子細なり。
字面にあふ事あり。ちがふ事あり一様に
定がたし。
筑紫宰府の
栗は
名物なり。是を
御門へさゝげ奉る。一
年に二
度なる
柴栗なり。され共さゝ
栗と
名付。
歌に
つくし人。わらことしけりさゝ栗の。篠にはならで。柴にこそなれ
と。能因法師よめり。すべて人はあへてもつて。すこしきに。かすかなる事を。我心に常に。やしなへば。大きなるにあたりても。まどはす。いにしへより俗にいひつたふる。そゞろごとおほし。徃事をば。とがめて益なしといへり
北条五代記巻第九終