北条五代記巻第二 目次

 
 
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北条五代記巻第二
 
 
 
聞しはむかし管領くわんれい上杉修理しゆり太夫藤原ふぢはら朝興ともおき公は。むさしの国主こくしゆとして。江戸のたちをきよじやうとす。扨又北条左京さきやう大夫たひらの氏綱公は。伊豆いづさがみのしゆごとし。小田原にざいじやうなり。たがひにこくをあらそひ。闘諍とうじやう鉾楯むじゆんたる事年久しかりき。然るに大永四年の比ほひ氏綱江戸のしろをせめおとす。上杉匠作しやうさくはと。川ごへの城にひきこもり。十年の春秋しゆんじうおくりむかへぬ。いつよりかならず。心ちそこなひて。天文六年卯月下じゆん。世をはやくさりて。嫡男ちやくなん五郎朝定ともさだ生年十三さいにして。家をつぎ給ひぬ。ていれば。七々ケ日の服忌ふくきさへずして。道をあらため。へいをおこししんと云ふる城をさいこうし。氏綱うぢつなむかつ弓矢ゆみやくはだてもつはら也。人さたしけるは。異国いこくには父のみち三年あらためざるを。かうといへり。其上かみはきよきにかたちをうつし。にごれるに。かげをさる汚染をせんはたの上には。いかでか守護しゆご〈[#ルビ「しゆご」は底本では「しゆぞ」]〉軍神ぐんしんもかげをやどさんや。誠に無道ぶだう君子くんしたり。氏綱は朝定発向はつかうのよしを聞。強敵がうてきをばしりぞけ。自国じこくおさめんがため。同き七月十一日数万の軍兵ぐんびやう引率いんそつし。武州へ出馬しゆつばし同十五日河越かはごえしろにをしよする。三といへる原は。むさし野の北にて。河越の城にわづか五十余町をへだつ。此野は人馬じんばそなへ所せばからず。もとむるにさいはひなる。修羅しうらなりとてぢんす。たがひにはたをあげて。両将の軍勢ぐんぜいうんかのごとし。しばらく辰星しんせい吉凶きつけうを待が故に。合戦の時刻じこくうつりさつて。やうやくうしみつの時にもちかくなりぬ。折から晴明せいめい稀有けう満月まんげつは。草露さうろにひかりをみがき。紅錦野亭こうきんやていにすだくむしは。花のそこにこゑをあらそふ。たけき武士もののゝも。月にうそぶき花にじやうじて。しばらく勇者ゆうしやの道を忘るゝかとおぼへたり。書にいはくよる金鼓笳笛きんこかてきをもて節とすと云々。かくてしばつゞみをうつて。たがひにあはする時の声は。有頂うちやうの雲によぢのぼり。阿鼻あびのそこにも聞ゆらんとぞ覚へし。すゝみあふ兵共つはもの。こんがう力士りきしちからを出し。帝釈修羅たいしやくしゆらのたゝかいひをなしたがひには雨をふらして。楊由やうゆう射術しやじゆつをあざむき。しのぎをけづるひかりは。らい電光でんくわうをとばするがごとく。数万すまんのはたは。こくうに乱満らんまんして。逆風げきふうにたゞよひ人馬じんばの声は。天地にどうようして。たゝかふといへども。しばらく勝負せうぶ。見へざりけり然に。神は清浄しやうじやうのながれにやどり給ふにや。朝定ともさだすでに。威をうしなひ一ぢんやぶれぬれば。残党ざんたうまたからず。ぐんのつはものは。将棊しやうぎだをしにことならず。爰にかばねをさらし。かしこにかうべをなげうつ。かつにいさめる氏綱うぢつな軍兵ぐんびやうは。しゆんめにむちをあげて。東西とうざい馳走ちそうし。南北に飛行ひぎやうす。朝定敗北はいぼく軍勢ぐんぜいは。天をかける鳥の。わしのつばさにかゝり。地をはしるけだものゝ獅子しゝのはがみにあふがごとく。左右さうあしなへ前後ぜんごにまよふ有様。たとへんやうぞなかりけり。三五夜中の月は。塵埃ぢんあいオープンアクセス NDLJP:455に影をまじへ。紅血にひかりをそむ。うたれぬる二千士のほかは。古人となり。あだし名を後代こうだいに残せり。やうやく天明ぬれば。河越のたちやぶれて甲乙かうをつきせんのさいしは。からめ手さしておちゆきぬ。つねにわれをたうとみ。をいやしめし。貞女ていぢよもなよびかなる。かたちをやつし。らうたけなる。おもてを見へて。田夫でんぷに手をくみ。人に袖を引れて。いづちともしらずおち行有様。あさましかりける次第なり。朝定は爰よりは北にあたりて。二十余里よりある松山のたちを心がけ。落給ふ所に。松山の城主しろぬし難波田弾正なんばだんじやう忠。行むかひ主君しゆくん朝定ともさだを。松山の城に入奉る。うちもらされの士卒しそつら。朝定の跡をしたひて。彼舘かのたちにあつまりぬ。氏綱此よしを聞。朝定を追討ついたうせずんば有べからずと。同十八日いさみすゝむ。軍勢ぐんぜい又かのたちにをしよせ。魚鱗ぎよりんぢんをかごめ。鶴翼くわくよくにはたをなびかし。近里きんりゑんそんはみな万天ばんてんのけふりとなす。同廿日難波田弾正。大将として。落来る残党ざんたうそつし。がまんのはたをひる返し。氏綱にむかつてたてをそなへ。ふたゝびいくさこうずといへ共氏綱はかつにのつて。多勢たぜい朝定はをくれを取て。小勢せうぜいたゞ蚊蝱ぶんまう〈[#ルビ「ぶんまう」はママ]〉らいをなし。くわぎうがつのをあらそふごとく。物にもたらず敗北はいぼくし。皆とうたれぬ。さればたけきが中に。やさしきあり其日のいくさ大将難波田あやなくうしろを見せ。松山さして落行を。北条がたに。山中主膳しゆぜんこまかけよせ一首はかくぞ聞へける

あしからじよかれとてこそたゝかはめども難波田のくづれ行らん

と。誹諧はいかいていによみかけしに。難波田もさすがに由ある武士ものゝふにて。くつばみいさゝか引返し

君をゝきてあだし心を我もたばすゑの松山波もこへなん

と。我作わがさくがほに古今集こきんしうの歌を取あはせて。返答へんたうありて。いそがはしくこまのあしはやめて。すぎ行ぬげにさも有ぬべし。主君しゆくん朝定をたちに残しをき。難波田うたれなば松山はよせくる波もこしぬべし。身をまつたふして。君につかふるを忠臣ちうしんの法といふ事あり。作者さくしやといひ功者こうしやといひ。かけ引しれる勇者ゆうしやとぞみな人申侍りき。つたへ聞源頼義公みちのく衣のたちに。たてこもる。貞任さだたう宗任むねたうをほろぼせしに貞任まさなくうしろを見せしに頼義公

ころものたてはほころびにけり

と。いひかけ給へば貞任こま引返ひつかえ

年を経しいとのみだれのふるしさに

かみをつぎしも今爰にぞおもひ出せる。たけき武士ものゝふの心をもなぐさむるは歌なりと。貫之つらゆきかきしもこれかや。然かり民綱功成こうなりとげて。身しりぞくは犬の道なりとて。よろこびのはたをまきおさめ。本のぢんに引かへす。まこと武略ぶりやく達者たつしやたり。其後河ごへしろをさいこうし氏綱在城ざいじやうし給ひぬ此時は朝定公先祖せんぞのからう太田道真おほただうしんといへるもの。はじめて城となす。是ぞきく入間郡みよしのゝ里とかや。むかし在五ざいご中将ゐ中わたらひし。みよしのゝ田面たのむかりとよみしも此所ぞかし。オープンアクセス NDLJP:456さればさがみの国。金湯山きんたうざん早雲寺さううんじにをいて。氏綱の画像ぐわぞうを。ぐらう拝見せしに俗体ぞくたいにして白衣はくゑの上に掛羅くわらをかけ。顔相がんさうにくていに書り。物すさまじく有て。てきめんにむかひがたし。子細有ゆへにやあら人神のやうにうつせり。氏綱の長きやう氏康に。家督かとくをわたし氏綱公は。天文十年七月十九日。こうじ給ひぬ。法名春松院殿快翁活公しゆんせうゐんでんくわいおうくわつこう大居士と号す。ていれは。早雲寺さううんじ在世ざいせまでは。さがみ半国はんごく手に入。氏綱時代じだいに至て。さがみをおさめ下総しもふさ武蔵むさししろをおほくせめおとし。武威ぶいくわん八州にふるひ。希代きたいの大将といひ伝へり

 
 
聞しはむかし里見義弘さとみよしひろは。安房あはかづさ両国を先代せんだいより十年持来る所に。北条氏康。かづさを半国切てとりたり。然に義弘かづさの国中に城三ツあり。大だきは正木大膳大夫在城ざいじやうす。勝浦かつらは正木左近さこん大夫居城ゐじやう池和田いけのわだは。多賀蔵人たがくらんど城主しろぬしたり。此蔵人は。あはかづさにおいて。弓矢を取てほまれをえたるがうの者なり。氏康をびつのしやう。池和田の城をせめ落さんと。軍兵ぐんびやう引率いんそつしかづさの国へはつかうす。義弘よしひろ〈[#「義弘」は底本では「義引」]〉此よしを聞。蔵人一人有て。かなふべからず。加勢かせいとして。正木大膳大夫彼城へ入。氏康城をとりまき。昼夜ちうやをわかず。せめるといへ共城中じやうちうのもの共。めいかろんじたゝかふ故。百余ケ日落城らくじやうせず。扨又此城はひがし高山かうざんあり。其つゝきのさきをほり切。城となす西南北はふか田有て。べうたり。氏康大軍にて山へせめのぼり。ほりをうめ矢石やせきをはなち。へいを引くづしせめ入ければ。正木大膳大夫も。たが蔵人もこらへずして。からめ手よりかけゆくを氏康軍兵ぐんびやう。かつにのつていきほひ。おつかけ数千人討捕うちとりたり。其節の落書らくしよ

正木にてゆひたるおけ多賀たがきれて水もだまらぬ池のわたかな

とぞよみたり。てきちりになりて。敗北はいぼくする其中に。たが蔵人がしやてい兵衛の助。たゝ一とつて返し。長見のやりをつ取て。はんくわいをふるひ。おほく味方みかたをほろぼす所に。さがみの国の住人。中山左衛門尉矢をさしはさみ敵とたがひに。弓手ゆんでに相あふ。扨又伊達だて越前えちぜん守。弓引て敵のめてのかたよりすゝみ。両人こまをまちかのりかけ。同じ時をはなつ。此矢一すぢあたつて。兵衛助馬より落たり。片岡かたをか平次兵衛はしりよつくび討捕うちとり。氏康の御前にさんず。又跡より両人来て。此敵をば。我ころす。わが射おとしたると相論さうろんにをよぶ。氏康おほせには両人の一戦のおなじく。馬よろひのしるしをかる。合戦をはりて後。氏康かの三人をめされ。くび取たる片岡平次兵衛に。両人戦場せんぢやうの仕合をとはしめ給ふ。平次兵衛申ていはく。敵はもえぎおどしのよろひやり持てたゞ一味方みかたは三人。三方よりすゝむ。其内に栗毛くりげの馬にのり黒糸くろいとのよろひたる者。矢をさしはさみ敵とたがひに弓手ゆんでに相あふ。又鴇毛つきげこまにのり。ふしなはめのよろひ着たる武者むしや。敵のめてよりすゝみ。弓場ゆばもおなじ程へたゝり。弓をも同時はなつと見へオープンアクセス NDLJP:457候。敵矢にあたつて馬より落たるをそれがしはせ参じ。くびをうて候と申。氏康聞召きこしめし。敵のよろひを尋給ふによつて。是を尋出し。御前に持来る。御覧ずるによろひの毛は。もえぎめてのわきの下を。柳葉やないばにて射通いとをしたるあなたゞ一ツあり。つきげの馬に。捃縄ふしなは目のよろひてきのめてを射たるは。伊達だて越前守なり。此者申つる場所もかはらず。すこぶる矢は越前守に治定ぢぢやうすと云々。人さたしけるは。中山左衛門尉は。敵を討そんずるのみならず。御前にをゐて。相論さうろんに負。いきがひ有べからず。むかし頼朝公よりともこう下野しもつけの国。なすのゝ御かりの時。大鹿一しかつせこの内よりかけ下り。幕下ばつかの御前を通る。下河辺しもかはべ六郡行秀ゆきひでこの鹿を射はづし。其にて出家しゆつけをとげ。ちくてんし行かたしらずとかや。耻をもるさふらひは鹿を射そんしてさへかくのごとし。いはんや中山左衛門尉。矢の相論にまけたるは。君の眼前がんぜんにて。敵を射はづしたるにあらずや。はらを切か。ちくてんするかといふ所に。いくさしづまつて後。氏康かの三人をめし。仰出さるゝむね。此度の合戦において。たが兵衛助を討捕に付て。三人にしやうをあてをこなはる。次第のをもむき。一番に伊達越前守。是は弓にて馬上の敵を。射落いおとすによつてなり。二番に中山左衛門尉。是は猛敵まうてき〈[#「猛敵」は底本では「敵猛」]〉とたがひに弓手ゆんでにあひあふが故也三番に片岡かたをか平次兵衛。是はくびを取によつて也と云々。平次兵衛仰のむねを奉り。欝憤うつぷんをふくんで。申て云。中山左衛門尉は。敵を射はづし。其上御前にをいて。相論にまけ冥加みやうがにそむきたる者を。二番に御ほうびあり。首を取たる平次兵衛を。一番にこそ御ほうびなく共。三番に御さたある事。いこんやん事なきよしを申。氏康公きこしめし。それくんこうのけんしやうは。戦場せんぢやうにたいし。浅深せんしんけうぢうに進退しんたい有事也。軍中ぐんちうに至て。うつもうたるゝも名誉めいよ。のぞむ所の本懐ほんくわい也。中山左衛門尉。てきを射そんじたるは。其身の運命うんめい厚薄こうはくにこたへたり。左衛門尉すこぶる。剛敵がうてきとたがひに。弓手ゆんでにあひあふ。勇士ゆうしのほまれかろからずと云々。諸卒御旨しよそつぎよしを承りかんじたりと。我語りければ。ある老士らうしは此矢軍やいくさ相論さうろんに付て思ひ出せり。頼朝よりとも奥州秀衡おうしうひでひらが子共退治たいぢとして。文治ぶんぢ五年七月十九日。かまくらを打立給ふ。先陣せんぢんははたけ山の次郎重忠しげたゞ也。秀衡ひでひら嫡男ちやくなん。にしきの太郎国衡くにひら。大将軍しやうぐんとして。数万騎すまんきをいんそつし。八月十日あつかし山にをいて合戦かつせんす。国衡うちまけ。軍兵ぐんびやうくはいぼくし。国衡もちくてんす。頼朝公其あとをおはしめ給ふ。諸卒しよそつの其中に。わだ小太郎義盛。先陣にはせぬけ。柴田のこほり大高宮のへんに至る。国衡は出羽でば道をへ。大関山せきをこえんとす。義盛是を見付。うどんげと名乗なのつをつかけ。返し合すべき由をせうず。国衡義盛と聞。引返し名のらしめ。駕をめぐらすの間。たがひに弓手ゆんでに相あふ。国衡は十四そくの矢をさしはさむ。よしもりは十三ぞくの矢をとばす。その矢国衡がいまだゆみをひかざるさきに。国衡がよろひの。射向いむけの袖を射とをし。かいなにあたるの間。国衡きずをいたみ。ひらきしりぞくところへ。はたけ山の重忠しげたゞ。大ぐんそつし出あふ。大くし次郎。国衡を討取十一日に二ほん舟迫ふなぜのしゆくに滞留たいりうし給ふ。此所において。重忠しげたゞ国衛がくびオープンアクセス NDLJP:458けんず。はなはだ御感ぎよかんのおほせをかうぶるの所によしもり御前に参り。すゝんで申ていはく。国衡はよしもりが矢にあたり命をほろぼすの間。重忠がこうにあらずといふ。重忠すこぶるわらつていはく。よしもりの口状こうじやうほうほつといつつべし。ちうせしむるの支証しせうなに事ぞ。重忠くびをえて持参ぢさんするの上。うたがふ所なからんかと云々。よしもりかさねて申ていはく。首の事は勿論もちろんなり。たゞし国衡がよろひを定てはぎとらるゝか。めし出され。彼実否かのじつぷけつせらるべし其故は大高宮の前の田の中にをいて。義盛と国術と。たがひに弓手ゆんでに相あふて。義盛がる所の。国衡にあたりをはんぬ。其矢のあなはよろひの射向いむげそで。三まいの程に。定てこれあらんか。よろひはくれなゐ也。馬は黒毛くろげなりと云々。是によつて。くだんよろひをめしいださるゝの所に。まづくれなゐおどし也。御前にめしよせ見給ふに。射向いむけの袖三枚うしろのかたに。とりよてとをすのあと炳然いちしるきなり。ほとんどのみをとをすがごとし。時に仰にいはく。国衡にたいし。重忠は矢をはなたざるか。ていれば重忠しげたゞ。矢をはなたざるのよしを申す。 其後是非ぜひに付て。 御旨ぎよしなし是くだんの矢のあと。 他にこととなるの間。重忠が矢にあらざる者也。義盛が矢のでう勿論もちろん也をよそ義盛が申すことは。始終しじうふがうして。あへて一しつなし。たゝし重忠は其むまれつき。せいけつにして。そぎなきをもつて。本意ほんいとする者也。今度のにをいては。ことに好曲かんきよくを存ぜざるか彼時は。郎従らうじうさきとし。重忠はあとにあり。国衡かねて矢にあたる事。一切是をしらず。たゝ大くしかのくびを持来て。重忠にあたふるの間。打えたるのよしを存ず。物儀もつぎにそむかざるかと云々。いにしへも今もかくのごときの勇士ゆうし相論さうろんは有としられたり

 
 
聞しはむかし。鎌倉かまくら公方くばうよりつたはり。関東くわんとうの公方。京の公方とがうす。両公方まします。扨又文明の比ほひ。両上杉は関東諸待しよさふらひ統領とうりやうたり。然るに両上杉の中。不和ふはいでき。引分ひきわけ弓箭ゆみや有つるよし。聞つたふるといへ共。其由来ゆらいをしらず。ある老士らうし語りていはく。関東乱国らんごくのこんぽんを尋るに。京都の将軍しやうぐんよしもち公に。御息ごそくなきによつて。かまくらもちうぢ君を。養子やうしにかねて御定あり。御重書ごぢうしよをも御ゆづり有所に。よしもち御他界たかいの後。京都の諸さふらひ同心有て。義満よしみつ公の。御骨肉こつにくにてましませばとて。義持公の御舎弟しやてい。二きみ青蓮院せいれいゐん。えいざんの座主ざすにておはしますを。引くだし。将軍にあふぎ奉る。是によつて。内々持氏公京都と。御気色きしよくあしき時分。御息ごそく賢王殿けんわうどの御げんぶくの事。天下にをいて。ゑぼしおやに。取べき人是なき故。義家よしいへ公のれいにまかせ。八まんぐうにをいて。御げんぶく有べきよし。官領くわんれい上杉安房守あはのかみ憲実のりざねに。だんかう有しに。のりざね都鄙とひ御一とうを。おもんぱかり京都にをいて。御げんぶくしかるべき由。申によつて。御気色にそむき。御げんぶくの義を。安房守にしらせ給はず。去程に上下の御間。水オープンアクセス NDLJP:459火のごとく。たがひに。さうせつ有の間。憲実のりざねは山の内をしりぞき。上州しらゐへ引こもり。京都へうつたへ申されける間。やがて義教よしのり公の下知げちとして。関東乱国らんごくとなり。永享ゑいかう十一年二月十日。持氏公は永安寺ゑいあんじにて御生害しやうがい。御そくけんわう義久公は。報国寺ほうこくじにて御自害じがいなり。春王殿。安王殿は日光につくわう山へおち給ふ。結城ゆふき七郎光久。重代ぢうだい主君しゆくんにておはしますとて。御むかひに参り。ゆうきへ入申所に。のりざねかさねて。とひの軍勢ぐんぜいをもよほし。ゆうきのたちにをしよせ。嘉吉かきつ元年四月十六日に。せめおとし両人の若君わかぎみをいけどり奉り。ろうよにのせ申。長尾ながをいなばの守御とも仕。上洛する所に。上下て。濃州じやうしうたるゐの道場だうじやうにて。おなじき年中。御生害しやうがいなり。それより以来このかた。関東亡国ぼうこくとなり。近国きんごく遠国をんごく入みだれたゝかひあり。其後かまくら山内上杉憲忠のりたゞしうにをよんで。収領しうりやうす其家老長尾左衛門尉昌賢まさかたは。文武ぶんぶ二道にたつし。関八州にほまれをえたる。無双ぶそうの者也。然どものりたゞ。運命うんめいつきかまくらにて滅亡めつばうし給ひぬ。是によつて。東国みなもつて。てき国となる所に。上越じやうえつのさかひに。居住きよぢうす上杉民部みんぶ大夫顕定あきさだ軍兵ぐんびやうそつし。はせ来て。逆徒等ぎやくとらをこと追討ついたうし。もとのごとくおさまりき。持氏公の四なん成氏しげうぢ公。成氏の御そくまさ氏公まで。上杉の一。あまた引分て。合戦すといへども又和睦くわぼくあり。其後山内顕定。扇谷あふぎのやつ定正。此両上杉殿の関東諸侍の統領とうりやうとして。奥州おうしうまでも彼下知にしたがひしが。文明年中に。主従しう分て弓矢を取。其上二人の中あしく成て。東西南北とうざいなんぼくにをいて。算をみだし。たゝかひやむ事なし。ていれば。両上杉殿不和ふわのおこりを尋るに。修理しゆり大夫定正の家老からう。長尾将監しやうげん入道に二人の子息しそくあり。長兄左衛門尉。おとゝ尾張守をはりのかみがうす。あにの左衛門尉のを。四郎右衛門尉景春かげはるといふ。後は伊玄入道とかいみやうす。おとゝ尾張守が嫡男ちやくなん。修理助と名付。此者若年じやくねんころより。奉公ほうこういみじかりける故。君の憐愍れんみん浅からず。是によつて。過分のふるまひをなし。あまつさへ惣領家そうりやうけをつぎ来る。四郎右衛門尉を。そばだつるにより。景春かげはる遺恨いこんやむ事なし。定正の長臣ちやうしん。太田道灌だうくわん主君しゆくんをいさめていはく。長尾左衛門尉父子ふし不義ふぎのていたらくを見及び候。かれを誅罸ちうばつなくば。御いへのわざはひ。連続れんぞくたるべし。さなくば当時たうじ尾張守父子ふしを。御近辺きんぺんを。しりぞかれ以後して。御計策けいさくをめぐらさるべき由。申といへ共。定正此両条承引せういんなし。ていれば左衛門尉父子ふしすでに。謀叛むほんをくはだて。主君しゆくん扇谷あふぎのやつ殿を。ほろぼし。をのれ諸侍のとうりやうにならんと。はかりごとをめぐらす所に。其家の子に。三駿河するが守。太田備中びつちう守。上田ひやうごの助を。はじめ主君しゆくんゆみを引給はん事。天道てんだうのをそれあり。思ひとゞまり給へと。いさめけれ共。景春かげはるもちひずして。大いし一類長尾但馬たじま守を先とし。こと引率いんそつし。四千よきにて武州ぶしう。五十子といふ所までをしよせ。ぢんとる。定正にはかの義なれば。小勢にてかなわじと。武州鉢形はちがたの城に。たてこもり給ひぬ。然るに。近国他国たこく入みだれ。矢弓おこつて。さんをみだしたゝかふ。其上両上杉殿の中。不和ふわに成て。合戦かつせんやむ事なし。定正は修理しゆり大夫持朝もちともの四なん也。子なきがゆへ。あにの朝昌ともまさのちやくなん。朝良ともよし養子やうしになす。オープンアクセス NDLJP:460定正。ともよしを。いさめていはく。きん年ともよしかつせんいくさの手だて相違さういおほく見及び候ひぬ。是智謀ちぼう兵略ひやうりやくのたらざる故なり。定正三十余年。数度すどの合戦にをいて。勝利せうりをうる事。ひとへに武略ぶりやくをもつてせり。ていれば斎藤加賀守さいとうかゞのかみに。うちわをあづくる事。非道ひだうやうに。ともよし親近しんきんの者ひはんするよしを聞。異国本朝いこくほんてう古今ここん戦国せんごくの法をしらざる故なり。当方たうはう一二の家老からうなりとて。敷度すど戦場せんぢやうをふまず。てだて異見いけんをいはざるものに。うちわをあづけ何のえきあらんや。定正二十四度の大合戦にをいて。加賀守は片時へんじの内にも。てだて一ツ二ツは。善悪ぜんあく共に言上ごんじやうす。其身此一だう書夜ちうや胸中けうちうに。たもちわするゝ事なきか。たとへ他国よりたみ百姓共来て。いくさのてだて言上ごんじやうせば。すなはちまりしてん。八まんのをしへと信仰しんがうし。うちわをあづけ。異見いけんを聞べし。じん貴賤きせん分者ぶんはてだて善悪ぜんあくに有と云々。然に山内の御事は。御きようもいらず。其故は幕下ばつかの大しん守護しゆごの家なり。ていればは三十余年の乱中らんちう。定正総領そうりやう家ををもんじ。数度すど忠功ちうこうをはげますといへ共。いまだ長尾半分限はんぶんげんにもたらず。扨又道灌だうくわん父子ふし山内へたいし。逆心ぎやくしんのむね有によて。折檻せつかんをくはふかといへ共。もちひず。城壁じやうへきをけんごになす。左伝さでんいはく都城百雉とじやうはくちすぎたるは。国のがい也と云々。いかに江戸かわごえの両城堅固けんごたり共。山内へ不義ふぎに至ては。はたしかなふべからずと。いさむるといへ共。用ひずあまつさへ謀略ぼうりやくを思ひその間。たちまちにちうし。すなはち山内へ注進ちうしんす。かく忠功ちうこうをいたす所に。御心をひるがへされ。道灌だうくわん子源六を。御ひざ下へめしよせられ。其上定正を。退治たいぢ有べき。御くはだて何事ぞや。両家りやうけ士卒しそつ在々ざい所々しよにて。たゝかひ皆ほろびぬべし。其以後他国より。慮外りよぐわい盗跖たうせき来て。関東ほししまゝになし。両家りやうけたへはて万民悲歎ばんみんひたん。三さい幼児えうじも。る義也。すべて一二ケ国無為ぶゐきざみ安堵あんどの思ひをなし。じやうさう三ケ国をとゝのへ候に付ては。朝良ともよし他国たこくへうち越。山野さんやを住所とし甲冑かつちうまくらとなし。夜を征鞍せいあんにあかし。身を溝壑かうがくになげうちかばねを路頭ろとうにさらす事。おしむべからず。当家たうけとして。山内へ相ならぶ鵬鷃ほうあんのつばさあそぶにたるか。あへてもつて。愚老ぐらう自讃じさんたりといへども。五年残命にをいては。さうじやう。の諸士しよし。皆もつて幕下ばつかしたがしよくすべき事たなごゝろの内に有といへり。扨又大森寄栖庵もりきせいあんが。上杉民部大夫顕定へつかはじやうにいはく。つら進退しんたいを見るに。ひとへ天魔てんま所行しよぎやう。時節到来たうらいのみぎりか。そも関東の様体やうだい。今に至て見めぐり候に。山の内の御事は。公方様御在世ざいせ時分じぶんより。上杉のとうりやう。然間諸家しよけはた本をまもり。尊敬そんきやう比類ひるいなし。御せい二十万騎と云々。扇谷あふぎのやつの御事は。わづか百騎ばかりなり。然所に仮令けりやう家風かふう。太田しんくわん。ふしぎの器用きようをもつて。名を天下にあげ。ほまれを八州にふるひ。諸家心をよせ。万民かうべをうなたれ。きやうをなす事。しかしながら。天だうの至り。又はその身の果報くわほうか。何様両条に。すぐべからず。末代まつだいしよくせたりといへ共。日月に落ざる事。三さいのようちも。かくき仕事に候。かくのごとく申事。誠に推参至すいさんしごくに候といへ共。愚老ぐらう累代るいだいに及び。当方たいはう家風かふう同前に候間。心底しんてい別義べつぎを存ぜず。隔心なく申のオープンアクセス NDLJP:461べ候。先年両家御不和の時。山の内は御一身。扇谷の御事は。公方様引立御申。すでに政氏様御発向はつかう。其以下長尾伊玄入道御供いたし。高見菅谷すがやにをいて。両度御てきかた。はだへをあはせ。御家風かふう少々。かばねを荒野くわうやにさらし。ふんこつをなされ。今に至て。鉢形はちかた滅亡めつぼう是なく候と書たり。ときん然ば。両上杉不和のたゝかひも。数年をへたり。扨又両上杉殿。ひき分て合戦のしだひを。しるしをきたる。ふるふみに云。長かう年中。上杉のとうりやう。山内顕定公。同名どうみやう修理大夫定正公と。波瀾はらんおこす。然に将軍しやうぐん左馬かみ政氏公は。顕定合力がうりよくとして。一万よきを引率いんそつし。村岡如意輪寺むらをかによいりんじにはつかう有て。合戦有よしを書たり。され共右にしるす。寄栖庵きせいあんが文は。関東にてあまねく。童子どうじ共のよみ来れり。此文を見るときんは公方政氏まさうぢ公は。定正一しられたり。然共おぼつかなき故。両せつともにしるし侍る也。又両官領くわんれいいひならはすといへ共。定正官領の沙汰さたたしかなるふみをばいまだ見ず。ていれば顕定と定正相州実巻原さねまきばらの合戦は。文明十八年二月五日なり。すがや原の合戦は。同六月八日也。たか見原合戦もおなじ年なり。定正高見原一戦以後せんのいごは。上州へしゆつぢんなし。其子細は。上州へはたらくに至ては。すでにえつ州の多勢たせいはせ来て。たちまち難義なんぎをまねくべし。其内あんずる。てだてあり。もしはちかたに。憲房のりふさ仕付しつけ申に至ては。上州の一。ことく長尾幕下ばつがにふくし。顕定あきさだ上州しらゐにはつかうに至ては。定正武相ぶさうの両せい引率いんそつし。上野かうつけへみだれ入。民屋みんおく放火はうくわし。亡国ばうこくとなし。兵略術ひやうりやくじゆつをつくし。昼夜ちうやをわかず。合戦すべし。其上えつ国の軍勢ぐんぜい。千里にをよび。運粮うんらうかなふべからず。味方みかた勝利せうりあらん事。あんの内にありと云て。定正終に。上州へ出馬しゆつばせずと聞。小身たりといへ共。智謀ちぼう武略ぶりやくたつ人と聞へたり。其ころするが高国寺かうこくじの城に。いせ新九郎氏茂うぢしげといひて。文武ぶんぶのさふらひ有。後は北条早雲庵主さううんあんじゆ改号かいがうす。両上杉引分て。たゝかひ有よし聞及び。軍兵をもよふ延徳えんとくの比ほひ。伊豆いづを切て取。明応めいおう。年中さがみの国へ打入。たゝかひ有しが。定正は明応二年十月五日逝去せいきよ也。その後ともよし。江戸河越両城のしゆごとし。顕定とたゝかふ。永正元年九月。ともよし加勢かせいとして。早雲と今川氏親うぢちかぐんそつし。武州ぶしう出馬しゆつば有て。立河原にをいて。顕定と合戦あり。又顕定此返報へんぽうとして。同き十月越後えちご軍兵ぐんびやうをもよほし。武州河越のしろを。とりまひてせめたゝかふ事年をこえたり。然に和睦の義ありて。次の年三月。顕定あきさだ越後えちごへ帰国なり。顕定は十四さいの比。関東くわんとう越山ゑつざんありてこのかた。四十三年弓矢ゆみやをとり給ひぬ。越州ゑつしうのしやてい。九郎房義ふさよし。家老長尾六郎為景ためかげと。むじゆん有。つゐには。義房うちまけ。あまみぞといふ地にてうたれ給ひぬ。是によつて。顕定うつぷんをさんぜんため永正六年七月廿八日。州を打たち。よくえつ州へ発向はつかうありて。国中こくちう大かた手にいれ。本意ほんいをとげられ。為景ためかげを越中のさかひ。にしばまへついたうありといへ共。翌年よくねんおこつて。府中ふちうをはいぐんし絡ふ。ゑちごしなのゝさかひ。なかもり原にをいて。たかなし。落合おちあひおなじき。七年六月廿日。とし五十七にして。しやうがいなり。法名はふみやう皓峯可淳こうほうかじゆんと申き。そオープンアクセス NDLJP:462の後三浦みうら道寸だうすんは。かまくらの近所きんじよすみよしに在城ざいじやうす。上杉ともおきは。武州ぶしう江戸に有て。早雲とたゝかひあり。のべつくすべからずといへり
 
 
見しは昔さがみ小田原北条さふらひ仁義じんぎをもつぱらとし。礼義作法さはふたゞしく。其様厳重げんぢうに有て。形義ぎやうぎをみださず。もしいやうをこのみ。分限ぶんげんにすぎたる。振舞ふまひをなす者をば。人あざける故。りつをたしなみ。君臣くんしんの礼いよをもんじ給へり。然にいせ備中びつちうの守。山角紀伊守やまかどきいのかみ福嶋ふくしま伊賀守いがのかみ三人は。氏直うぢなをはたもとの武者奉行むしやぶぎやう此等これらの人は。数度すどの合戦にさきをかけ。勇士ゆうしのほまれをえ其上軍法ぐんぱふをしれる故実こじつの者也。ていれば伊賀守は。生れつきこつぜんと。異様いやうにして。大男大ひげ有て。形体ぎやうたい風俗ふうぞく人にかはつて。いちじるし。氏直公へ日に三度出仕しゆつしすれば。かたな脇指わきざし衣類いるいまでも。三色に出立長柄ながづか刀に。うでぬき打てさす時もあり。みじか刀の柄を。あかきいとにてまくもあり。とらかはのしんざやまきの太刀をさす事もあり。然共氏直彼者かのもの。御自愛じあいゆへか。是を見とがめ給はず。諸傍輩はうばいもそしり。あやしむる事なし。一年小田原久野くのの入に。神まつりあり。諸さふらひ見物せり。いがのかみも是を見物けんぶつせんと。うしつのにぎんばくを〻し。あかねの大ぶさしりがい。あかねのはづなを付。をのれは草苅くさかりていにて。こしにかまをさし。牛にのりうしろむきて。しやう八をふき。女にくれなゐのそめかたびら。さきのとがりたる。ききやうかさをさせてうしをひかせ。力者りきしや一人に長刀なぎなたをかづかせあとにつれ。まつり見物けんぶつせしを。皆人けうがるふるまひとて。時に至てわらひしか共。悪難あくなんをいふ者なし。町人は是を見て。侍の形義ぎやうぎただしき。北条家にも。異様いやうをこのむ人有けり。たゞしいがのかみ勇士ゆうしのほまれ人にこへ。武徳ぶとくの至るゆへにやとぞさたしける。ある時伊賀守。さがみばにうかはへ行。をつかふ。在所の者いはく。此川に何ものやらん。くせ者有て。近年人をおほく。取よしを申いがのかみ聞て。此川にいかなるくせ者有共。よも伊賀には手をさゝじと。あざわらひをつかひけるに。中間ちうげんを一人。水底みなそこへ引こみ見へず。伊賀是を見。すはくせものよ。のがすまじとわきざしをぬきもち水底みなそこに入て是を見れば。まなこひかる物有て。中間をくらふ。いがは大ちから。かれをいだひて。弓手ゆんでわきにしめつけ。つゞけて五かたなさし。水の上へあがる。そのあとに中間もしゝてうかび出。たけ一間程のすゞき。死てうかびたり。福島ふくしま伊賀守いがのかみは。希代きたいの。気なげもの。おにうまれがはりとぞ人さたしける
 
 
見しは今。ぜに唐国とうこくのたからなるを。いつのよりか。我朝へわたり。日本のたからとす。銭はめでたき子細しさい。様々有により。異名いみやうおほし其中に。ぜにを青蚨といふ事は。むかし天竺てんぢく淮南わいなんといふオープンアクセス NDLJP:463所に青蚨といふむしあり。其はゝころして銭にぬり。其ころして。さしにぬり。扨市町いちまちにて。此銭をもつて物をかへば其はゝぜにしたひて。帰り来りさしに。つらぬかりする事。幾度いくたびも有て。つきず。是淮南わいなんじゆつなり。去程に一百の青蛛せいふにて。一生涯しやうがいつかふ。是によつて。青蚨と名付たり。唐国からくにの作法は。年号ねんがう改元かいげんには。銭をあらため。銭のうち文字もんじ開元かいげん天徳てんとく政和せいわ元祐げんゆう永楽ゑいらくなどゝ年号をしるせり。されば銭品々しな有中に。取わり永楽を。関東にて重宝ちやうほうする事不審ふしんなり。然にから年代記ねんだいきを見るに。永楽は明朝みんてうの御。三十六年にあたつて。はじまる此年。日本は。応永おうゑい十癸未の年にあたる。此年八月三日唐船たうせんわがてうへ来る。扨又同き年中。日本より唐国からくにへ。御つぎものをおさめたると。是も年代記ねんだいきにあり。此船共に。彼永楽ゑいらくをつみ来りけるが。慶長けいちやう十一丙午ひのへうまの年迄は。二百九年になりぬ。年寄たる人いふやう。ちかき年迄。関東くわんとうにびた永楽取まじへ。おなじねにつかひしが。在々ざい所々しよにをいて。善悪ぜんあくをあらそひ。こととはりやん事なし。其比とう八ケ国のしゆご。北条氏康うぢやす公仰けるは。ぜにはしな有といへ共。永楽にますはあらじ。自今じこん以後いごくわんとうにて。永楽一せんをつかふべしと。天文てんぶん十九戌の年。高札かうさつを立られければ関八州の市町にて。永楽をもちゐる。此義近国きんこく他国たこくへ聞え。びたの内より。永楽をえり出し用るゆへ。びたはいつとなく。かみがたへ上り。関西くわんさいにてつかひ。永楽は関東にとゞまつて用る。然に今は天下一とうの世となり。東西南北にて。此二銭をつかふされ共。永楽一銭のかはりに。びた四銭五銭つかふ。是により善悪ぜんあくをえらび。万民ばんみんやすからず。此よし公方に聞召びた一銭を用ゆべし。永楽禁制きんぜいと。慶長十一午の年極月八日。武州江月日本橋に高れたつそれより夫下の水楽すたる故に。永楽をはかりめにかけ。鋳物師いものしかい取て。万の道具につかふ。さればこの永楽。よのびたなみならば。末代まつだい日本のたからとなるべきに。天文より余銭よせんひいで用る事。たとへばともし火きえんとて。其ひかりをますがごとし慶長けいちやう迄五十七年をさかんにして。めでたき宝銭ほうせんもめつする時節じせつにあへる事の。ふしぎさよと語りければ。らう人聞てぜにがはりといふに付て。えいぜしうたあり。古今こきんにいせがいえをかりて

あすかがはふちにもあらぬわが家をせにかはり行物にぞありける

とよめり。是はふちにかはるを。銭によせたる也。顕昭けんせうのいはく。銭をもてあたひとなす。はふのゆへにぜにをによせて。ふちへんじとなると云々。その上。一さい万物ばんもつ。むかしにかはらずといふ事なし。業因ごうゐんゑんによりて。さうぞくあるべき程ありて。つくべき時につくる。日なかばなるときんば。かたぶき月みてるときんば。しよくすと。周易しうえきに見へたり。よき事も。あしき事も。世はみな不定ふぢやう也。不定とこゝろえぬるのみ。まことにてたがはずと申されし

 
 
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聞しは昔。或らう人物語せられしは。弘治こうぢ二年の冬。上杉輝虎てるとら。上州ぬまたへ出しゆつぢんす。北条氏康うぢやす上野かうづけ遠発ゑんぱつ対陣たいぢんはつて。はたをなびかすといへ共。両陣の間に。切所有て。大合戦成がたし。数日を送る。然に前陣の役として。夜明ぬれば敵もみかたも。さかひ目へ出向て陣す。其中間ちうげんへ。かち立の者五人十人たがひにはしり出。矢いくさをなす。後は騎馬きばもはせくはゝり。二百も三百もあつまりて。二日はいくさばかりにて日を暮し。或日はかけつ返しつ入みだれ。くびを取つ。とられつする事有。みかたに岡山弥五郎と云者。金のばれんのさし物をさし。つき毛のこまし。木下源蔵といふ者は銀のごへいをさし。黒の馬にのり。いづれもわか武者むしやなり。此両人日々諸人にぬきんでで。先がけし弓鉄砲てつぽうをも恐ず。敵味方てきみかたの目に立て。扨もなげもの。ちうをはげますがうの者哉と。皆人ほうびする所に。伊藤びんごのかみといふ老士らうし。此もの共のふるまひを見て。両人日々先陣せんぢんにすゝむといへ共。かへつて不忠ふちうの者。跡なる士卒しそつにてこうをばあらはすべけれといふ。わかき衆聞て。びんごの守が聞へぬいひ事かなとつぶやきたり。然所にばれんのさし物さしたる。岡山弥五郎鉄砲てつぱうあたつて。馬上ばじやうよりおちてき是を見て。勝鬨かちどきをどつとつくりたり。扨又みかたに千葉勘兵衛といふ。かち立の者。こし小ばたをさし。やり持て諸人にはしりぬけ。すゝむ敵を馬上よりつきおとし。くび取てほまれをえたり。其後ごへいのさし物さしたる。木下源蔵さきだつ敵を目がけ。たゝ一はせあはせ。太刀うちしつるが。馬上よりくんで落たり。敵もみかたも是を見て。此者うたすなと。其虎口のへはせあつまる所に源蔵敵をくみふせ。くび取て退しりぞくみかた此者を引とらんとせしか共。みかたは無勢ぶぜい。敵は多勢たせいにて。をしよせ源蔵うちとられぬ。此両人まい日さきをかけ。戦功せんこうをはげまし軍忠ぐんちうせん一たりしが。討死うちじにしおしきさふらひ哉と。各々おのさたする所に。びんごの守是を見て。扨こそ両人。犬死いぬじにしたりといふ。わかき衆聞て。是はいかなる子細しさいぞといへば。びんごの守いはく。軍陣ぐんぢんにて討死うちじにするに。ちう不忠ふちうとの二あり。孟子もうしに。君臣くんしんありと云々。それ義士ぎしは。かくべき所をば有無うむにかけ。事のさうなるに至て。死するも也。公私こうしに付て。のがれがたき時は。万人のおもてに立て討死うちじにす。是を忠死ちうしといふ。扨又血気けつき勇士ゆうしは。のがるべき所を。のがれずして討れ。かくまじき所をかけて討死うちじにす。是を不忠死ふちうしといふ。わかき衆聞て。岡山弥五郎。鉄砲てつぱうにあたつて死す。勝利せうりをえずといへども。軍中ぐんちう討死うちじにちうたり。さて又木下源蔵は。すでにてきうつのち我命わがいのちをほろぼす。是大功にあらずやといふ。備後守びんごのかみ聞て。尤道理だうり至極しごくなり。然といへ共。戦場せんぢやうにをいて。懸引かけひき達者たつしやをふるまふは武士ぶし名誉めいよなり。かの両人は。かけひきをしらず。兼日けんじつ不義ふぎのはたらき。けふあらはれ。忠が不忠ふちうとなるは是なり。軍陣ぐんぢんにをいて。すゝむ共死せず。しりぞく共いきじといへばとて。懸引かけひきをしらずうたれ。なにのえきあらん。聖人せいじんのおしへにも。身をまつたふして。君につかふるを忠臣ちうしんはふと云々。かるがゆへに。武士ぶしは先もつて。文をまなび。武略ぶりやくをたしなんで忠をつくし。名を万てんくも井にオープンアクセス NDLJP:465あげ。面目めんぼくをしそんに。ほどこさんとす。このわかき衆は。文武ぶんぶまなびは。かつてなく。人より先だてば。武威ぶいをあらはしくびをも取と心えて。両人がごときの。犬死いぬじにかへつてきに。徳をゆづり。みかたにをくれをとらせちうはなくして。不忠ふちうをかせぎ。人間一大事の。いのちいたづらうしなひぬ。たとへば出るくゐの。うたるゝと。ぞくにいふがごとし。牛馬ぎうばをつなぐ。くひに徳あり。徳なくして出る杭。いかでかうたれざらん。岡山弥五郎鉄砲てつぱうにあたつてしゝたるも。たゞ是におなじ。数度すどの合戦にあふといふ共。一身のほまれをあらはし。頸打取くびうちとり事稀有にしてかたし。去程に。功者こうしやは常に先をせず。術斗じゆつはかりを内にかくして。時節じせつを待て。高名かうみやうほかにあらはす。その上いくさかつまくる事あり。負て勝事あり。木下源蔵てきくびを取といへ共。かへつてをのが首を。敵にとられぬ。是進退しんたいをわきまへず。不義のはたらきゆへ。勝て負るとは是也。両人にかぎらず。わか武者むしやはかならず。そこつの働あり。第一いくさ珍敷めづらしく。其上分別ふんべつうすく。善悪ぜんあくのわきまへなし。去程にわかき者に。然るべきうしろ見付るは。か様の時の為也。扨又千葉勘兵衛。此中日々のせりあひに。弥五郎源蔵があとに有て。見へがくれ成しが今日に至て。双方さうはう軍旗ぐんきを見定。兵気へいきをはかつて。諸人にぬきんでて。敵を討取うちとる。是をこそ懸引かけひきの。上手じやうずの。武士ものゝふまけかつとはいふべけれ。それ大合戦に至ては。只先たゞさきをするにしかじ。扨又両ぢんそなへたる間にをいて。せりあひいくさには。ひとへ智謀ちぼう武略ぶりやくをもてせり。其上敵をうたんには我いのち万死ばんし一生とさだむれば。くび討取うつとるやす退しりぞく事うつよりは。はなはだかたし。こゝの故実を。しらんとほつせば。有識いうしよくの人にしたしんで。兵術ひやうじゆつを学ぶべし。物のかうばしきは。老武者らうむしやにありと申されしなり

 
 

聞しはいま若殿原わかとのばら達寄合たちよりあい。いにしへとの時代じだい合戦かつせんこゝろみに沙汰し給ふ。其中に一人申されけるは。むかしを聞に。朱雀院しゆじやくゐん御宇ぎよう東国とうごく下総しもふさの国にをいて。平将門たひらのまさかどむほんをおこし。逆威ぎやくいをふるふ。彼を退治たいぢの為。藤原の秀卿ひでさと勅定ちやくぢやうをかうふり。天慶てんきやう三年二月。うちほろぼす。れいぜんゐんの御宇。奥州おうしうあべのさだたう。むねたうを追討ついたうとして。いよのかみみなもとのよしよりはせ下り。十二年合戦し。つゐには平康へいかう五年九月ついばつせられぬ。白河院しらかはのゐんの御宇。永保えいほ元年奥州おうしう将軍しやうぐん。三郎武衡たけひら。四郎家衡いへひら追放ついはうとして。むつの守みなもと義家よしいへ下向げかうし。かれらをちうす。頼朝よりともたかうぢ。平家へいけ追罸ついばつし。天下一とうになし。弓箭ゆみや威光いくわうをかゞやかしたりしも。皆是りんし。ゐんぜんを下さるゝが故なり然に。近代は勅定ちやくぢやうなしといへ共。一身弓矢ゆみや手柄てがらをもつて。天下のぬしとなる人おほし。見よし修理亮しゆりのすけは。将軍義輝よしてるがいし奉り。兵威へいゝをふるふ。織田をだの三郎信長公のぶながこうは。尾州びしうの住人。みの。いせ。両国を手に入。京都へせめ上り。みよしを追討ついたうし。しやうにんず。明智あけち日向守ひうがのかみ光秀みつひでは。主君信長公をうち奉り。京都にはたをあげしに。羽柴はしば筑前守ちくぜんのかみひでよしは。明智をオープンアクセス NDLJP:466討て後。天下をおさめ給ひぬ。世澆末げうまつにをよび。人の心たけきが故。一身の柄をもつて。天下のぬしとなる。なかんづく秀吉公ひでよしこうは。数度すどの合戦にきりかち。西国をなびかし。関東北条氏直うぢなを追討ついたうし。奥州おうしうくろ川迄下着げちやく有て。日本国を太平におさめ。あまつさへ高麗かうらい国を責亡せめほろぼし。世に有てのたのしみに。醍醐だいご。よし野の花見。高野詣かうやまふで。北野の大茶湯ちやのゆけうし。心のまゝの栄花栄耀えいぐわえいようをなし給ひぬといふ。又一人のいはく。秀吉ひでよし主君しゆくん信長のぶながの心をうつしえて。弓矢の取様おなじ。たゞ飛龍ひりうの雲をえてのぼり。大河の水まして。ふちもなく。平等べうどうにをしながすがごとし。むかしより国こほりもち来る大名だいみやうは。武道ぶだう勇弱ゆうじやくにもよらず。先例をおつて。氏系図うぢけいづをたゞし。その子孫しそん知行ちぎやうする処に。信長のぶなが秀吉ひでよし時代じだいより。先規せんき氏位うぢくらゐを用ひず。たみ百姓成共。武勇ぶゆうの者をほうびし。国郡を出し。にはか大名になりて。威勢いせいをふるふ。かるがゆへに諸侍しよさふらひ。大功を心がけ。弓矢もむかしよりははげしかりき。くだんの両しやうは。前代未聞ぜんだいみもん弓矢の。中古開山ちうこかいさん権化ごんげめい大将末代まつだいとても有べからずと。思ひに沙汰せらるゝ所に。老人有りしが。此由を聞て。信長のぶなが秀吉ひでよし弓矢ゆみやの有様。かくべつなり。それをいかにといふに。信長永録年中。京都へせめ上り。其いきほひに。あふみ。山城やましろ摂津せつつ。いづみ。かわち。ゑちぜん。わかさ。たんご。たじま。はりま。を手に入。みの。おわり。いせ。みかは。遠江とをたうみ合れば十五ケ国をおさめられたり。然ども大さかの一向衆かうしゆ坊主ばうずひとり旗下はたしたに付ずして。てきたり。地下ぢげのだんな共一味し。籠城ろうじやうす。此等は一つをもつて千にあたる。血気けつきの者どもなり。され共小しろなれば。たやすくせめなどすべき所に。みかたをそんざす事。思慮しりよある故か。五年いらへもせず打置うちおき。後和平の儀有て。しろ開退あけのきぬ。甲州かうしう武田信玄たけだしんげん隣国りんごくに有て。逆威ぎやくいをふるふといへ共。かへつてなだめ和睦くわぼくし。勝頼かつより時代じだい馬を出されければ。聞落にはいぼくし。ほろびぬ。此いきほひに。関八州のぞみたるべしと思ふ所に。氏直うぢなを大国をしゆごし。その上西国いまだおさまらざる故にや。甲州かうしうより帰落きらくし給ひぬ。こゝをもつてさつするに。信長は武勇ぶゆうにたけ。心いられ短慮たんりよれんのよし聞へしかどさはなくして。智謀ちぼう武略ぶりやくの大しやうなり。扨又秀吉は。一身の武勇ぶゆうひいでて。うんにまかせ弓矢をとり。かつのつをごりむねとし給ひぬ。其子細しさいは氏直旗下ばつか〈[#「旗下」はママ。「幕下」の意か。後文同じ]〉しよくし。使者ししやをのぼせ。其上来春らいしゆん上落じやうらく〈[#「上落」はママ]〉議定ぎぢやう。其支度したく有所に。遅参ちさんのよし事を左右さうによせ。関東へ出馬しゆつば也。名大しやうといふは。たゝかはずしてかつ事を本意とす秀吉ひでよしは弓矢の手柄てがらをもつて。国をおさむるをもつぱらとしたまへり。然に秀吉奥州おうしう下向げかうはなにゆへぞ。伊達正宗だてのまさむね〈[#「正宗」はママ]〉をはじめ小田原へことはせさんじ。をつかね旗下ばつかとなる。其上小田原百ケ日の長陣ながぢんに。しよぐん草臥くたびれもつかれはてたる所に。おもひの外。計策けいさくのあつかひ有て落城らくじやうす。万軍ばんぐんはやく帰国きこくせんとする所に。諸勢しよせい労苦らうくをもわきまへず。をごるにまかせ敵もなき奥州に下り。田畠でんばたのけんちをさせ。黒川くろかはより帰路し給へり。是ひとへに弓矢のいきほひを。百姓等にしらせん為斗ためばかり也孟子に君のまつりごとするは。民をやしなふを本とす。是つねさんと云々。国をおさむる大将と云は。兆民てうみんをなで。苛政かせいをのぞき。我身をくるしめ。万士ばんしをやすんず。然るときオープンアクセス NDLJP:467んば。天眼てんがんくらからず。神明しんめいのかごあり。上善政ぜんせいをほどこす時は。下に簾士れんし多くして。国ゆたかに。万人心すなほなり。其上天下をあらそひ。たゝかひをなすといふ共。身のためぐんをおこすは。一たん有といふ共。治世ちせい久しからず。はたし滅亡めつぼう其中にあり。国の為万民のために。弓矢をとるは。神明しんめい冥助みやうぢよ有て。身のさいはひ出来しゆつらいすべし。上より下を撫育ぶいくすれば。下又父母ふぼの思ひをなす。天下をおさめて後は。干戈かんぐわはこおさめ。弓をふくろに入。佚道いつだうもつぱらとをこなひ。民をゆたかにするが君子くんしの道なり。然に秀吉高麗かうらい国へ出陣しゆつぢんは。唐使たうしさんのよし。ことばたくみにし。弓矢をのぞむが故也。人数にんしゆ五十万とかや。くだん兵粮米ひやうらうまい運送うんそうは。日本国のたみ百姓也。其なげきかなしみ。其ついへいか計ならん。其上敵味方てきみかた死人しにんいく千万といふ数をしらず。これ秀吉をごりを旨とし。一身のほまれを願ふ。ゆへ也。其科をそれざるべけんや。むかし頼朝よりとも公かまくらより御上洛じやうらくさふらひ支度したくあり。当年田畠たはたそんじたり。百姓つかれなるべしと其年をやめられ。翌年上洛也。京都より天王寺てんわうぢへ御参詣さんけいの御もよほしに付て。奉行ぶぎやう等路中の。運送うんそうを百姓等に。ふれつかはあり。頼朝よりともきこしめし。仏神ぶつじんへのまふでは身のため也。百姓をつかひ其くるしみかへつて。頼朝がとがなるべしと陸地りくちをやめられ。にはかよどより乗船ぜうせん有て。天王寺へ参詣さんけいし給ふ。さて又平家追討ついたうとして。関東より西国へ。軍兵ぐんびやう進発しんぱつす。其後大将軍しやうぐん参河守みかはのかみ範頼のりよりへつかはさるゝ状にいはく。みかたのしよぐんぜいへ相ふれ。てき国の百姓共に。憐愍れんみんをくはへ。くるしみなき様に。政道せいだうせらるべしと。度々下知げちせらる。国をおさむる大将は。かくこそ有べき事なれ。上悪政を。おこなふときんば。下に奸人かんじんおほくして。国あやうし。君一人の善悪ぜんあくにより。一天下の人の心。皆是におうず。すべて天下の国主こくしゆとして。其道にたがふは。盗賊たうぞくにひとしきと。先哲せんてつも申されし。私欲しよくをかまふる国主は。めつばうその中にあり。秀吉ひでよし天下をおさめて後。百姓の年貢ねんぐを。むさぶり其上。日本国中はた検地けんちし。百姓のかなしみ。たゞ是秀吉一しんよくするが故也。是に付て思ひ出せり。北条氏康うぢやすくわん八州をおさめて後。一門家老からうの者共より合。評定へうぢやう所にをいて。田畠たはたけんちの沙汰さたあり。氏康うぢやす聞て其義然べからず。老子らうしきやうに国をおさむるは。小鮮せうせんをにるがごとしと云々。弓矢を取に。身の為にいどむ軍は。神明しんめいもいかでか守り給はん。天下の悪をはらはん為。おこす弓矢は。天のたすけあり。然に氏康天下ののぞみあり。是まつたく私欲しよくにあらず。国のためたみ百姓のためを思ふが故也。先祖せんそ早雲宗瑞さううんそうずい年貢ねんぐしゆなうの義を。定をかるゝより以来。北条家にをいて。五ツ取所をば。一ツゆるし四ツ地頭ぢとうへしゆなうす。此外やくせつかけず。日本国かくあらんにをいては。たみもゆたかに。国あんたいなるべし。此一事を仏神へ。朝暮てうぼきねんす。いかで神明しんめいの御たすけなからん。くだんねがひ。をそきがうらみなると申されし。其比永楽ゑいらく五十貫。百貫と名付。田地でんちあとは今五千石一万石ありとかや。百姓ら是をなげく度毎たびごとに当地頭をはから見ずして。秀吉ひでよし重欲ぢうよくゆへと。口びるをかへし。そしらざるはなかりけり。いかにいはん後代こうだいまでをや。然ば信長のぶながあにころしおはりの国をうばひオープンアクセス NDLJP:468取。しうとを追討ついたうし。みのゝ国を取。天台てんだい山をやきほろぼし。三千の衆徒しうとくびを切。高野かうやひじり千人をころす。是によつて。高野山にをいて。信長を調伏てうふくす。三七日まんずる日にあたつて。日向守ひふがのかみが為に滅亡し給ひぬ。秀吉はねごろ覚钁かくはん上人の。霊場れいぢやう灰燼くわいじんとなし。千の僧徒そうとくびきり。あまつきへ信長公の遺跡ゆいせきを。たやし申さんとて。主君三子信高をころす事。皆是あだをもつて。くんおんほうずる事。いふに絶たり。下人に過分くわぶんの国郡を出し。をんしやうをほどこすは。我がため子孫しそんの為をおもふが故なり秀吉主君しゆくんをんわするゝは。是大鑑だいかんにあらずや。然るときんば扶持ふちす。国大名は秀吉の大てき。いかでかをそれざるべけんや。日本国の寺領じりやう社領しやりやうは。秀吉公の時代じだいに。ことく取はなされたり。文選もんせんきみみちあるときんばまもり。海外かいぐわいに有と云々かまくら将軍しやうぐん時代じだい政道せいだうたゝしくおはしませば。末代まつだいまでも是をまなび給へり。それ御成敗式目せいばいのしきもくは天下の亀鑑きかんとの御時代じだい。公方家に是をもつぱら用ひ給ふ。くだん式目しきもく五十一ケ条の最初さいしよに。神社しんじや修理しゆりし。祭祀さいしを専とすべき事と云々。神社をはじめにをかるゝ事。日本は神国しんこくなり。其上天地開闢かいびやくのはじめ陰陽ゐんやう是を神といふ。神はたましひなり。神は人のうやまふによつて。をまし。人は神のとくによつてうんをそふ。次に寺塔じだう〈[#ルビ「じだう」はママ。後文同じ]〉を修造し。仏事等ぶつじとうをごんぎやうすべき事と云々。日域じついき仏法ぶつぱふ流布るふの国也。寺塔じだうは仏の廟也。たゞし内典ないでんには。仏をさきとし。外典げでんには。神を先とす。是水波すいはのへだてなり。天下国家を守護しゆごする人は。仏師をそんきやくるが政道せいだうの本なり。故に君子くんしは本をつゝしむ。本たつ時はすへおさまる。くだんの両将。神社のためには。大尺国民こくみんの為には。あく大将の出現とやいはん。異国いこくにも此れいあり。悪わう有てあるだいには。仏経ぶつきやうやきすて。或代は儒書じゆしよをあつめやきうしなひ。もとをたやさんとせしか共。のち賢王出世し。再興さいこう有て。今の世までも繁昌はんじやうす。此二文は天地のごとし。国民こくみん父母ふぼたり。然所に家康いえやす公の御時代には日本国の寺領じりやう社領しやりやうを。付をき給へば。寺社じしや修造しゆざうし。神仏の祭祀さいしをこたらず。世こぞつてよろこびあへり。くだん信長のぶなが秀吉ひでよしふみまなびなきゆへ仁義じんぎの道を知ず。仏神ぶつじんをもきやうせず。たみをもなでず。ひとへ私欲しよくにまどひ。一生涯しやうがい弓矢を取給ふといへ共。天道てんだうに背き給ふゆへにや。一だいにて滅亡めつばうし給ひぬと申されし

 
北条五代記巻第二