北条五代記巻第五 目次
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北条五代記巻第五
聞しはむかし。
尾州織田三郎
信長永禄年中京都へせめ上り。
三好修理亮を
追討し。
義兵をあげ。天下に
威をふるひ。其上二
位大
納言兼右大将。
平朝臣信長公に
任じ
関西をなびかし給ひ。天下
掌なれ共
甲州武田四郎
勝頼敵たるによて。信長公天正十年の
春甲州へ
発向し給ひ。同三月十一日。
勝頼。太郎
信勝父子をほろぼし。
猛威を
遠近にふるひ給ひぬ。
相州北条
氏直は。信長公と
兼て一味。
勝頼とは
敵対なれば。是によて
信長公手合として。
駿州へ
出馬の所に
勝頼方の
城高国寺。三
牧橋両
城はあけ
退ぬ。氏直は
浮島原吉原にはたを立。
富士のすそ野。近里
遠村を
放火し。
帰陣せり扨又
勝頼に一
味する。西上州の
侍共。此いきほひにをそれ。皆
落髪入道し。すみそめの衣をき。
甲州へ参じ。
降人と
成て。信長公へ
出仕す。然ば氏直
名代として。北条
陸奥守氏照。甲州へ
参着す。大
鷹三十
聡。馬五十
疋を進上す。信長公陸奥守に
対面有て。陸奥守やがて帰国せり。信長公は甲州より引退し。
近江安土の
居城へ。馬をおさめ給ひぬ
西上州
仕置として。
滝川左近将監一
益をさしつかはさる。其上関東
官領職にふせられ。
奥州までも
手柄しだひ。切取べき
命旨を請。滝川
信州
小室へ
着。それより上州
箕輪へうつり。其後同国
前橋の
城に有て。
近隣の
侍共を。わが旗下になす。
倉賀野淡路守。内藤
大和守。
小幡上野守。
由良信濃守。
安中左近大夫。
深谷左兵衛尉。
成田下野守。うへ田
安徳斎。
高山
遠江守。
木辺宮内太輔。
長尾新五郎。皆もつて
滝川が
下知にしたがふ。此等の者の人じちを取て。
箕輪の
城に入をく。其いきほひのいかめしさ。
狐が
虎の
威をかるがごとし。然所に
信長公。信
忠卿父子京都にをいて。同年六月二日。
明智日向守光秀がために。ころされ給ひぬ。此よし上州へ
告来る
滝川聞て。おどろきしが。
智謀武略の者にて。上州の
侍共は。いまだ此義をしらざれば。
近辺の諸さふらひを。
急ぎ
招よせ。
滝川云けるは。当月二日
信長公
父子。京都にをいて。
明智日向守がために
討れ給ひぬ。滝川京都へせめ上り。
主君をとふらひ
合戦し。日向守を
討ほろぼさん望み有と云うも。西国には
羽柴筑前〈[#ルビ「ちくでん」はママ]〉守
秀吉あり。
柴田修理の
亮勝家。
加賀ゑちせんに有て。
隣国なれば
討て上るべし。其上
中将殿。三七殿ましませば。いづれかはせ参じ。かれをうたん事
安かるべし。然ば北条氏
直。此義を聞。上州へ
出馬すべし。ねがはくはわれ氏直と
合戦すべし。上州諸侍一
味有べきか。きかんいなやと云。上州
衆此よしを聞。滝川此一大
事を聞あへず。しらする事。義を
守り
節ををもくする大将なりと。をの
〳〵感じたり。此ぎ異儀に
及ばゝ渡しをく所の。人じち滝川がために。
害せらるべし。以後は
兎も
角もあれ。一味せずんば
叶ふべからずと。をの
【 NDLJP:500】〳〵一
同す。
滝川此よしを聞。
望みたんぬと
喜悦の思ひをなしていはく。氏直大
軍にて。よせ来るといへ共。
合戦のならひ。
多勢小勢によらず。
勝負を
決する事は
士卒の心ざしを。一つにするにあり。其上一方にたゝかひ
決し。
万方に
勝事をうるは。
武略のなす所。ひとへに天
運を守り。名をおもくし。死をかろくするをもて。
義とせり。此度
待いくさに至ては。
敵に気をのまれ。みかたをくするに
似たるか。滝川小田原へ
使者をたて。申されけるは。当月二日。
信長公京都にをいて。
明智日向が
為に
討れ給ひぬ。是によて。滝川京都へ上り。
惟任を
討んのぞみあり。前橋の
居城を。あけ渡すべし。
急ぎ来て
請取らるべしと。
武州鉢形の
城主。北条
安房守氏邦所へ。
使者を
遣すあはの
守此よしを聞。扨は
滝川上がたへ。にげ
行と覚へたり。
西上州をばわれ一人して
切てとらんと。たなごゝろににぎり。氏直
出馬をもまたず。前
陣にすゝみ。
上武のさかひ。かんな川を
越かなくぼまでをしよする。氏直此
由聞あへず。小田原を打立。
先陣は。
富田。
石神辺に
陳し氏直は。
安房が
陣場二
里こなた。
本庄に
旗を立。
後陣は。
深谷。
熊谷に
着ぬ。然に
滝川左近将監は。くらか野の方に有て。
後陣也西上州衆は。
前陣にこと
〳〵くそなへり。
安房守無勢を見て。氏直はいまだ出馬なし。あはの
守が一手ばかりは。物の
数ならず。いざ打ちらさんと。一
同しおなじき六月十八日の巳の刻に至て。合戦す。
既に上州衆切勝。あはの
守敗北し。二百人程
討れ。みかたの
陣へ
乱れ入。上州衆
初合戦にうち
勝。いきをひける所に。氏直是を見給ひ。一戦をもよほし。かなくぼへをしよする。
軍勢じうまんする事
雲霞のごとし。上州
衆大軍を見て。
肝をけし
重てたゝかふべき事。
蟷螂が
斧。かなふべからず。
皆々居城へ
引退くべき
体あらはせり。
滝川是を見るといへ共。さあらぬ体にて云けるは。
前陣の
合戦に。上州衆
切勝事。其ほまれ天下に
比類有べからず。此度の合戦にをいては。滝川
前陣仕べし。上州衆は後陣につゞくべしと云すて。くらか野のかたより打立。其
勢津田次右衛門尉。
舎弟五郎。同理助。滝川義太夫。
富田喜太郎。
槙野伝蔵。
谷崎忠右衛門尉。
栗田金右衛門尉。
壁野文左衛門。岩田市右衛門尉。同平三。太田五右衛門尉。
稲田九蔵。津田小平次。
手勢三千余騎にはすぎず。
玉村かなくぼの方へはせむかふ。滝川馬じるしは。金の三ツだんご也。是を
正先に立。大
敵をあざむきしは。
光武が心を
移しえたる。
猛強の大将也。滝川
鴇毛の馬に
乗。ざいをはひちにかけ。
鑓をつ取て
先にすゝみ。かゝれ
〳〵と士卒をいさめて
下知をなす。滝川か
家老。
篠岡平右衛門尉。
前登にすゝむ。かれかさし物は
篠也。其
家中の者共皆
篠をしるしにさす。滝川が人数たゞ一まとゐに成て。馬のくつばみをならべ。氏直
数万騎はせむかふ所へ。ましぐらに。面もふらず切てかゝる。氏直先手には松田
尾張守入道。大
道寺するがの守。
遠山ぶぜんの守。はがいよの守。山
角かうづけの
守。同
紀伊守。ふく
島いがの守。
依田大
膳。
南条山
城守。
清水太郎左衛門尉。いせ
備中守。松田
肥後守
等切てかゝる。
追つ。まくつつ。
首を取つとられつ。
【 NDLJP:501】半
時たゝかひしが。滝川すでに
討負はいぐんす。
勝に
乗て。いきほひ。追かけ切ふせ。つき臥。二千余人
討取たり。上州衆は滝川にもかまはず。をのれ
〳〵が
居城へ
引て入。滝川其夜は。箕輪にとゞまり。
残党をあつめ。
酒宴し。
鼓をならし。
滝川扇を取て
舞たるとかや。
暁天いまだ
明ざるより。
箕輪を
打立。人じち共を
先に立。小
室臼井より皆返し。きそ
路を
越て。いせの国いにしへの
領知。かろと
島とかやに
着ぬ。多
勢に
無勢。かなひがたき所に。義ををもんじ。
命をかろんじ。一
合戦し。
始終をよくおさめたると。皆人
感ぜり
見しはむかし。さがみ小田原北条
家諸侍。
仁義礼智信を
専とし。
形義作法たゞしく。
源平藤橋の。四
姓を。かしらとし。
八十氏の
旧流をくんで。天下にをいていやしからず。然に
宿因をかんじて。
果をなす所。
高下ことなりといへ共。我々の
分限を
知て。上を
敬ひ下を
憐み。
仁義を本とせり。
殊にもて
弓馬の
学び。をこたる事なし。
立春には氏直公。正月七日御
弓場にをいて。御
弓はじめあり。
鈴木大
学頭を
前とし。
射手の
衆参候す。八日に
鉄砲はじめ。両日御
前にて。をの
〳〵武芸をあらはす。扨又御
犬の
馬場と
号し。長さ五十
間。よこ三十間程。
犬追物の
馬場あり。
射手はゑぼし
直垂を
着し。馬に
乗。犬は二十
疋三十疋をはなす。
射手は爰をはれと。
矢数をあらそふ。
小笠原はりまの
守。是を
執行す。大
学に一
家仁なるときんば。一国仁をおこすといへるがごとく。氏直仁をもつはらとし給へば。
諸侍仁をおこなふ。仁者は山をたのしむといひて。山ははたらかずじねんに。しづかに有て。
草木万物生ずるがごとし。かるがゆへに。
仁は五
常のはじめにして。
義礼智信の四ツは。仁の内にあり。然に関東
諸侍。
常に
礼義をみださず。
敵みかたによらず。大
名たる人をば。常の物語にも。口きたなくはいはず。
未聞不見の人にあふといふ共。
道路の
辻。
山野花月の
遊興。あるひは
有智の
高僧。あるひは上
臈少人。
神社仏寺等の
前にては。かならず
下馬をなし。其くらゐ
〳〵にしたがつて。礼義其様
厳重に有て。
跼蹐の礼。
終日をこたらず。
君臣の礼いよ
〳〵をもんし給へり
諸侍の
形義異様に候ひし。
上下の。ひだのためよう。
衣紋のりきやうに
至迄も。小田原やうとて。皆人まなべり。
常の
放言にも。
賢臣二
君に
仕へず。
黒色へんぜざるをもて。
鉄漿とすといひて。侍たる人は。
老若共に。
歯黒をし給ひぬ。
歯海経に云。
東海黒歯国有。其俗婦人。歯こと
〴〵くくろくそむ。今あんずるに。日本
東海中国ゆへ。是を
訓と云々。
昔関東。
敵みかた
合戦し。
首じつけんの時。はぐろの
首をば。侍の首とて。
先上へ
懸たり。
故に
戦場へ出るには。
討死を心がけ。
揚枝をつかひ。はぐろをもつぱらとせり。いにしへの
実盛は。びん
髯を
墨にそめ。小田原北条
家の
侍は。はぐろをす。
古今ことなれ共。其心ざしはおなしき
者なり。扨又げつじきと名付て。木をもて。
【 NDLJP:502】大きに木ばさみを作り。其げつじきにて。かしら
毛をぬき。又
鬢の
毛のあひだをぬきすかし。
皮肉の見ゆる程にして。
髪をばびなんせきにて。びんを高く。つけあげ給へり。
若殿原達は。髪さきをもみふさのごとくにゆひ。又つけがみとて。
別にかみさきをこしらへ。うらをもみ。ちゞみをよせて。花ふさなどのごとくに作り。
付髪してゆひ。
衣裳をきるには。のけゑもんと名付て。けたかく
引つくろひ。ゑりをせなかの中ぼね。四のゆまでのけて。
膏盲の
灸の見ゆる程に
着し。はかまの前を。むなだかに。うしろごしをあげてき給ふ。其程に
後のゑもんつきと。はかまごしの間。五寸六寸程有し也。廿四五年
以前までは。
関東諸侍の
形体。
風俗叮寧に。かくこそ有つれと。今の
若き
衆に。物語なせば。若き衆聞て。
礼義の事はさもこそあらめ。
昔関東侍の
形義。聞さへおかしきに。今見るならば。いかにと云て
笑ふ。実見なれし
愚老も。今見るならば。さもやあらん。何事も其時の。
風俗をまなびてよかるべし
聞しはむかし。さがみ北条氏
康と。
安房里見義ひろたゝかひあり。然に
太田みのゝ
守。
武州岩付に有て。
謀叛をくはだて。
義弘と一
味するによつて。義弘
義高父子。
下総の国へ
発向し。
高野台近辺に
陣をはる。この高野台。ふるき
文には
国府台。
国府代。
鴻岱共
書たり。今所の者にとへば。高野台と書といふ。見れば
字面にあふたる。たかき
台也。
武州江戸より北条がた。
遠山
丹波守。
富永三郎左衛門尉。はせ参じ。からめきの川を
前にへだてゝ。そなへたり
下総小金より。
高木治部少輔出向てぞさゝへける。此
由小田原へ
告来るによつて。小田原の
城留主居として。北条
幻庵。
松田おわりの
守。
石巻下野守をかしらとし。残し置。
時日をうつさず氏
康。氏
政父子
出馬し。
高野台を。中にへだて。相
向て
陣取。かゝりし所に。
義弘夜中に。こと
〴〵く
引しりぞく由。
告来るによつて。氏康
先手の衆。がらめきの
瀬を取こし。
敵は
高野台を。二
里ほど引て。そなへたり。
味方は是をしらず。
遠山。
富永人数。
台へ取あがる。すでに敵。待うけたるいくさなれば。きほひかゝつて。たがひに
死をあらそひ。たゝかふ
敵がたに。
正木大
膳ざいをふつて。
正先にすゝみ
惣手をみだし。切てかゝる。みかたくづれ
坂中にて。
遠山
丹波守。ふし
富永三郎左衛門尉。山
角四郎左衛門尉。
太田ゑちぜんの
守。中
条出羽守。
河村修理亮をはじめ百
余騎うたれ。はいぐんす。氏
政旗本二陣に有て。
下知して云。敵かつに
乗て。
長途をすぐ。是を
討べしと。
囲扇をあげ給へば。
命は
義によつて
軽し。
面をふらず。一
足もひかず。まつしぐらに
責かゝる。すでに
切くづし。
敵を
追返し。
首四五十
討捕本陣に
旗を立られたり。大
軍の
威敵を。氏政はた
本計にて。切かち給ふ事。
前代未聞の
猛大将と。
諸卒感じたり。氏
康は
後陣にて。此義を知給はず。氏康
諸老を
召あつめていはく。
遠山。
富永をうたせ。
無念【 NDLJP:503】やむ事なし。
時日をうつさず。一
戦をとぐべしと。
評諚とり
〳〵也。氏政仰けるは。
先場のたかひに。みかた敵を
切くづし。
敗北する時に至て。我
郎従二人。敵にまぎれ入。
陣中を見て来れと。
遣す所に二人見
届かへりて申は。
敵先
陣のたゝかひに
遠山。
富永を
討取。其いきほひに。
高野台へこと
〴〵く取あがり。
諸勢入
乱酒宴し。
千秋万歳をうたひ。一
手づゝに
引分て。
備へべき。
覚悟もなく。かたきよせ来らん事をもわきまへず。
主は
従を
尋。
従者は
主人の
有所をもしらず。
軍法のてだては。かつてなく。
算をみだしたる
体たらく。是
義弘が
運の
末。わざはひをまねくにあらずや。みかた
急によせかくるに至ては。
敵の
前勢は。
台をおりて
向ふべし。
次の
勢は
半に立。
後勢は台に残り。三所に有て。
前士のたゝかひを。跡の
士卒ら。見物するより
外の事有べからず。
前一
手は
蟷螂が
斧。かれを
切くづすに至ては。跡は
猶しかならん。今度の
合戦にをいても。氏
政前陣といへり。氏康かさねていはく。
今朝辰の
刻のたゝかひをかんがふるに。
敵は
東方に
陣し。
出る日の
光をかゞやかす所に。みかた
西より
向て。
釼光をあらそふ事。是
孤虚のわきまへあらざるがゆへ。
遠山
富永勝利をうしなひたるなり。然に今はや
未の
刻を
過。
東敵は入日にして。みかたの
後陣に
影きへぬ。時のうらなひ
吉事をえたり。其上
当年は
甲子なり。甲子は
殷の
紂が。ほろぼされ。
武王は
勝る年也。
義弘は
紂に
同意し。氏
康は武
王に比して。かれを
討ん。しかのみならず。
先祖の
吉例多し
早雲氏
茂。
永正元年
甲子。九月
武州立
河原にをいて。上杉
民部太輔顕定と合戦し。
討勝て顕定
敗ぼくす。
随て
父氏綱〈[#「氏綱」は底本では「氏網」]〉。大永四年
甲申。正月十三日武州江戸にをいて。上杉
修理大夫
朝興と合戦し
討勝て。ともおきを
追討す。
就中今年今月は。
甲子。正月八日に
当る。
吉例なり。扨又氏
綱〈[#「綱」は底本では「網」]〉天文七
戊いぬ十月七日。この
高野台に至て。
小弓の
御所。
義明と。一
戦討勝て。よしあきらをほろぼす。はなはだもて。
戦ひの
場所かはらず。いかでか先例を。たのまざらん。あまつさへ
孤虚支干。
相応する事。われに天のくみする所なり。
時刻うつすべからず。
無二に一
戦に
治定す。然に
台より。
東北は
節所にて。
寄所
悪し。
諸勢を二手に
分。両
旗本前陣なり。氏
政軍兵を
率し。台より南三里
下へ打
廻り。台を取まき。
敵をもらさず。
討捕べきてだてなり。折節
露立。台へ近く取よるといへ共。敵は是をしらず。
義弘下知していはく。
今朝辰の刻の
合戦。思ふまゝに
勝利をえたり、
富永遠山は。
安房上総のかつせんに。何時も
先陣にさゝれたる両大将を。
討取ければ。敵はをくれを取。前陣のそなへは。さぞ引しりぞきぬらん。
暁天に。からめきの
瀬を取こし。此いきほひに。あす又一
合戦し。こと
〳〵く討ほろぼさん事手のうちにありと。
触らるゝ。日もくれかゝり。
小雨そゝぎければ。すこしつかれを
休めん為。よろひを
脱馬に水草かひ。明日の
合戦を心がけ。今を
油断するこそ。
運命つくる。
時刻到来なれ。比は
永禄七年。
甲子正月八日。
申の
刻に至て。
氏政軍兵近々とをしよせ。
鯨波をどつとあぐる。氏
康は
直にせめかゝり。又
鬨音を二所にあげ。
【 NDLJP:504】おめきさけんで。
責かゝる。
義弘案外の
仕合とおどろき。
台を
折下て
鬨音をあわせ。両方へ
分て。せめたゝかふ。
鉄砲矢さけびの
音。天地をひゞかし。首をとつつ。とられつ。
血けぶりを出し。
半時は
勝負も見えざりしが。つゐには
義弘討まけ。こと
〳〵くはいぼくす。つき
臥切臥。
追討する事。
将棊だをしにことならず。
敵方討死の衆。
正木弾正左衛門尉
父子。
勝山
豊前守父子。
秋末しやうげん。
里見民部少輔。同兵衛尉。
正木左近大夫。次男平六。平七。
菅野神五郎。
加藤左馬丞〈[#「丞」は底本では「亟」]〉父子。長
南七郎。
鳥井信濃守父子。
佐貫いがの
守。
多賀越後をはじめ。五千
余騎討取たり。
上総の国しゐつ。ゑのもと。とねり。わだ。此外
城々。此いきほひに。
皆こと
〴〵く。城をひらき
落行ぬ。此度の
合戦は。氏康氏
政両はたもとにて
切勝たり。北条新三郎。
河越よりはせ来り。
粉骨を
尽す。同源三同
上総守父子氏
康末子助五郎。新太郎
若輩たりといへ共。
比類なき
走めぐり。諸侍の忠
節あげて
記しがたし。右の
趣は
氏康より
合戦の
翌日。小田原
城代。
伯父幻庵へ。一
戦始中終をかきのせつかはさる状の。文言をうつし侍る者也。太田みのゝ
守は。二百
騎斗にて。はせ参じ
舎人村上をはじめ。一人も残らず
討れ
太美は二ケ所。
手負東をさして。
迯行ぬ。其
節の
落書に
よしひろく。たのむ弓矢の岩つきて。からき浮めに。太田美濃はて
とぞよみたる。氏康いはく此度の合戦に累年の宿望を達す。然に謀叛の張本人。太田美濃守を。討もらす事。無念千万義弘は。討死のさた有といへ共。首いまだ来らずと件の状に記せり。然処に義弘。馬はなれ給ひけるに。安西伊予守。馬より飛でおり。義弘をのせ。主従二人。かづさ山へぞ分入たる。はなれ馬をば。落人見付乗て行たり。義弘の乗馬を見て。やかた討死。必定のさた有ければ。房州討もらされの侍共。主君を討せ。生がひ有べからずと。にげ行道すがらの寺々へ尋ね寄て。皆出家し。一人も入道せぬはなかりけり。義弘三日すぎ。かづさ山を分出。房州へ帰城し給ひぬ。氏康高野台にはたを立
敵をうつ。心まゝなる高野台。夕詠してかつ浦の里
とよめり。合戦ことに狂歌を記し侍る皆是氏康氏政興して。よみ給へるによて。皆人覚へたり爰に里見ゑちぜんの守忠弘の息に。長九郎弘次とて。生年十五歳ういぢんなりしが。鴇毛の駒に乗。ほろをかけ。弓持てたゞ一騎。はるかに落行をさがみの国の住人。松田左京亮康吉。是を見て。あつぱれ大将たり。うどんげと。馬にむちうて。追かけをしならべて。むずとくんで落たり。康吉剛者成ければ。物の数共せず。くみふせ首をとらんとせしが。ようがんびれいにして。花のごときの少人なり。争か刀をたてん。たすけばやと思ひけるにみかた雲霞にはせ来て。首をうばひとらんとす。力をよばず。首討おとし。さすがにたけき康吉も。涙にくれて。前後に迷ふ。倩思ひけるは。我かゝるうき目に逢事。弓箭に携るが故也。百年の栄耀も。風前【 NDLJP:505】の塵。一念の発心は命後のともしびとす。をよそ三界の輪廻。四生皆是無明の眠の中の。妄想の夢ぞかし。此度の仕合こそ。発心の種〈[#「種」は底本では「程」]〉ならめと。帰国に及ばず。山寺へ入。出家し。浮世と改名し。すみ染の衣に身をまとひ。一筋に里見長九郎弘次の跡をとふ。皆人是を見て。それ道心を発すといふは。世の中の常なきことわりを知て。名利を捨る心よりおこる。あしたには。くれないのかほばせ有といへ共。ゆふべには白骨となる。よろづ心にまかせぬ。あだなる世を観ずるが故也古今集に
世のうきめ。見へぬ山路にいらんには。思ふ人こそほだしなりけれ
とよみしに。家をすて。妻子をすて世をのがれ。山に入康吉が心ざし感ぜり。むかしくまがへの次郎直実。あつもりを討て。穢土のならひかなしび。世をのがればやと思ひ。西国のいくさしづまり。黒谷法然上人の御弟子となり。入道し連生坊と名付たり。今又康吉が弘次を討て。出家遁世する事。時かはり人ことなれども。其心ざしはをなじ。やさしかりけりと人皆いへり
聞しは今。
愚老伊豆の国。下田と云
在所へ
行たりけるに
里人
語しは是より
南海はるかにへだて。八丈島あり此島は日本の
地よりも
唐国へ近く
覚へたり。それいかにと云に。雲しづかなる時分。此島より見れば。
唐国に
当り
定て雲たなびく山あり。是から国より
別に有べからず。然共此島をもろこしにては。いまだしらず。北条早雲の時代。関東より此島を見出し。伊豆の国の内に入たり。北条氏直公
時代までは。三年に一
度。伊豆の国下田より。
渡海あるに。大
船に
水手を。すぐり取のせて。秋
北風に此島へわたる
年貢には。上々の
絹を
納ると。くわしく
語る所に。
村田久兵衛と云
者いひけるは。我先年八丈島へわたりしが。今にをいて此鳥なつかしく。
夢まぼろしに立そひ。忘れがたし。
存命の中に今一
度此島へ。わたらばやと。
仏神へいのれ共かひなしといふ。我聞てむかし
治承の比。
俊寛僧都。
康頼入
道。
丹波少将三人。
鬼海が島へながされし事。
古き
文にみえたり。此嶋の男女の有様。
髪をけづらずゆひもせず。つくものごとく。かしらにつかね。いたゞき。色
黒く
眼ひかり。山田に立るかゞしに似たり。
畑をうたざれば。
米穀のたぐひもなし。
薗の
桑葉をとらざれば
絹布の
衣服もあらばこそ。木の
皮をはぎて身にまとひ。こゑは
雷のごとく。すさまじくして。いふとはりも聞しらず。
昔鬼がすみければ。
鬼海が島と名付。さて又
硫黄有ゆへに。ゐわうが島共いへりされ共日本
近きにや。つり
舟も行。ゐわうもとめに
商人の舟も行と聞。此八丈は卅の
渡海。まれなる
島なれば。いかなる
夷畜生の
栖といひしに。此島なつかしく
恋しきとは。いふぞと云てわらひければ。久兵衛聞て。
我主板部岡江雪入道ば。
元来いづの
下田の
郷の
真言坊主也。
能筆ゆへ。氏直公へめし出され。
右筆【 NDLJP:506】に召つかはれたり。是により
伊豆島々の事を。よくしられたり。故に伊豆七島のさし引を仰付られ。一年
江雪斎。八
丈島仕置として。
渡海の
時節供して渡りたり。此島の事あらかじめ物語をば聞しかど。人の
語る
様にはよもあらじと思ひしに。
女房色白く。髪ながふして
黒し。
形たぐひなふ。
手足瓜はづれ。いとやさしくかほばせ口つきあひ
〳〵しく。上々の
絹をかさね
着て。立居ふるまひ
尋常に
愛敬有てむつまじさを。一同見しより扨も我此島に来り。かゝる
美女にあふ事。いかるな
神仏の御引あわせぞやと我身をかへり見るに。
色くろく有てすがた
賤しく。衣
類までも見ぐるしければ。ならびて
居るもはづかしさに。
昔男のなりひら。かほる中将の身とも
生れかはり。此女房と
契りをむすび。天にあらば。
比翼の鳥。
地にあらば。連理の枝とならばやと思ふに付ても。此鳥は
天笠唐土日本をはなれ。
南海はるかにうかびたる島なけば。
昔時天人あまくだり。此島を
栖となし。其ゆかりの女房にておはしけるぞや。さなくばいかでか程まで。
容色たぐひなふ。心ざまゆふにやさしく。花のかほばせ。もゝのこび
雪のはだへ。一つとしてかく事なきのふしぎさよと。心
空にあくがれ。
浮立雲のごとく也。
史記に
士はをのれをしる者のために。
用ひられ。女はをのれをよろこぶ者のために。かたちを作るといへるがごとく。我国の女は。かほに
白粉をぬり。
形を色々にかざる。此島の女房は。
生れつきのすがた其まゝに有て。うつくしさ。たとへていはん
様もなし。物をかき
歌さうしを
明暮もてあそび。やさしき道のみ
友となせり。去程に日本の
土産物とて。
珍しき
双しをとらすれば。何か是にはしかじとよろこぶ。扨又
男は女にかはり。色
黒くすがたいやしき。やせ
人形に小袖をきせたるがごとくなれば。日本人も。是にすこし心をなぐさみぬ。女房
絹を
織。北条
家へ
貢絹とて。おさむる故にや。むかしより
家主は女にて。男は入むこなり。
仏は五
障三
従と
説給ひて。女に三つの家なし。此
島は世
界にかはり。男に三つの家なし。去程に女子を
持ぬればよろこび。
親の
家財跡職をわたし。
男子を持ぬれば。すてものに思ひ。入
聟になす。万事
皆女房のさし引也。此島へ日本の舟
着ぬれば。島のおさきもいり
先立。
国衆をともなひ。其
好の家に入。其家の女房を其
妻とさだむるゆへに。女房共天
道へ
祈をかけ。我
家へ国衆をいらしめ給へとねがふ。国衆とは日本人をいふ。国衆の入ざる家の
女は。天道をうらみ。身をかこちあへるばかり也。国衆入ぬる家。よろこぶ事たとへば。から
天竺に
住付てゐたる子や
親が。
不慮の仕合有て。
帰朝し。二たびあへる心ち。扨又及びなき人を。
年月
恋託しが。まれにあふがごとし。我乗たる舟。此島へ付たりしに。島の
肝煎いそぎ来て。はや
〳〵島へあがらせ給へ。御国衆を
聟入させ申べし。御舟よりすぐに。御目ずきの女房の
家へ。入せ給ふべしと。国衆をともなひ。
望みの家に。一人づゝ入をく。其家の
亭主出合。御むこ入かたじけなや。所にをいての
面目たり。帰国まではゆる〻〻とおはしませと。心よくいとまごひして。よの
在所へ行て。年月を
送る。女房
舅親類下人ま
【 NDLJP:507】でも。御
聟入めでたきとよろこびあへる事。たゞ手の上に。おさあひ子を
置て。
愛するがごとく。
皆人
集りてもてはやしければ。国衆は思ひの
外のたのしみ。
玉の
台に有て。
女御更衣。あたりにみち
〳〵て。
栄花の
花ざかり。
喜見城のたのしび。是たゞ
邯鄲の夢の心地。もしさめなば。いかゞせんと思ひぬるのみ。
筆にもつくしがたしとかたる
聞しは今。
村田久兵衛八丈島の物語。右にくわしくしるし侍る。扨又江雪入道は。
能ずきにて有けるが。島の者共に能をして見せんと。
笛尺八
皷をならし。
定家を
舞給へり。はひまとはるゝや。定家かつらと云所にて。
座中をはひまわり
〳〵。はかなくも
形は
埋れて失にけりまで。はひ
〳〵幕の内へ入ければ。島の者ども是を見て。扨も
珍しやはひまもり給ふすがたの
面白や。御国衆の
能を。はじめて見たり。何事か是にまさらんと云。
江雪入道島の
方角を
尋ねらるゝ所に。
船頭答て。此島は日本よりは
南。
未申にあたりたれば。伊豆の国より
紀州熊野へちかくおほへ候。
郷雪云
新勅撰に
和田の原。なみもひとつに三熊野の。浜の南は山のはもなし
とこそよみたれ。されば此島の女は。形いつくしくゆうなる粧ひ。人間にあらず。天人かとあやまたる。むかし天智天皇の御宇。大和の国よし野の山へ。天人五人あまくだり。栖をもとめんとせしか共人倫かよふ山なれば。むなしく天上へ帰りさる。大裏に五節の舞と云事あり。其五人の天乙女をまなび給へり。新拾遺に
袖かへす。天津乙女もおもひ出よ。よし野の宮のむかし語りを
とよめり。あへてもて。天乙女此島へ下り栖となせるにや。爰は人間世に有べからず。それ仙翁は一ツのつぼの中に。世界有て。たのしび。商山の四皓は。橘の木の中に。栖有てたのしむ。かくのごときんば八丈女橋中皓壺中仙。是みな乾坤の外にて。別世界也。ていれば男は我朝の。人形にひとしくして。梵語。漢語をもとなへず。和語を囀る事ふしぎなり。むかし清盛公。朝頼公の時代に至て。非常の流人おほく遠島す。西は鎮西鬼海が島。北は佐渡が島。東は夷が島南は伊豆の大島ならで。遠島のさたなし。それより以来。延徳年中。早雲宗瑞。伊豆の国を治給ひしまでも。八丈島の名を聞ず。其比豆州賀茂の住人。朝比奈の六郎知明と云侍あり。是より南海に当つて島有よし聞及び。大船一艘に人多く取乗。伊豆下田の津より渡海し。彼島につき。民家をなびかし。末代伊豆の国の内たるべき旨中さだの。帰海し早雲へ此よし告しらしむ。早雲喜悦なゝめならず。八丈島見出したるけんしやうに。伊豆の国下田の郷を朝比奈六郎知明。子々孫々永代。他の妨有べからずと云々。故に今知明が孫。あさひな兵庫助下田を知行す。此【 NDLJP:508】島より北条家五代。毎年の貢絹をおさむる事。千秋万歳なるべし。倩島の男に付て。昔をかんが見るに。頼朝公下野国。なす野の御狩の時。大鹿一かしら。せこの内よりかけ下る。幕下ことなる射手をゑらび。下河辺六郎行秀をめし。是を射べきよし仰らる。厳命なりといへ共。其矢鹿にあたらず。此鹿せこの外にはしり出る。然所に小山左衛門尉朝政射とゞめをはんぬ。よて行秀は。世に有て生がひなしと。狩場より出家をとげ。逐電し。行がたしらず。其後紀州くまのに有て。智定房と号し。日夜法花経をどくじゆしつるがくま野なちの浦より。補陀楽山に渡る時に。一封の状を認め。智定房同朋に託して。北条武蔵守殿へ。をくり進べきの旨申置により。紀州糸我の庄より。是を持参す。天福元年五月廿七日に。鎌倉へ到来す。武州御所へ。此状を持参し。御前にをいて。すはうの前司ちかざね披見す。去三月七日。智定房くま野なちの浦より。ふだらくせんに渡る。在俗の時より。出家とんせい以後の事をしるす。将軍家もふびんにおぼしめし。武州いにしへ弓馬の友たるよし。あはれみ給ふ。御所に候する人々。感涙〈[#ルビ「かんるい」は底本では「かんかい」]〉
をくだすと云々。弓矢取身は安からず。ていれば。かのち定ばうが乗舟は。ふなやかたをこしらへ。其中へ入の後。外より釘をもて。皆打付。一ツの扉もなくして。日月の光を見る事あたはず。たゞ灯によるべし。卅ケ日程の食物。ならびに油等。わづかに用意すと云々。此ふだらくせんと云は。南方海のはてに。たのしむ世界有とかや。あたか是八丈島の事なるべし。智定房此島へわたり。天乙女と契りをなしそれより。男もあまたになり。日本の風俗を。まなびぬるか。是ははや三百八十余年以前の事也。おぼつかなし。然ば此島にて。父母女子をまふくる事をねがふより。昔もためしあり。唐の玄宗御在位の時。天下の父母たる者。娘をうまん事を。仏神へいのりてねがふ。長恨歌に。つゐに天下の父母の心をして。男をうむ事ををもんぜず女を生事を。をもんぜしむと云々。我朝にも有べき事なりと申されし。扨又女共いふ様来の年聟殿。御帰国のみあげ物を。はや今より用意せんと。糸をくり返し。絹を織出し。たくさんに聟へ取せけるを。女房の手がら。末代家の系図なりと。所の者ほめければ。何れの女房も。我をとらじと。夜を日に継で。絹ををり。業をなす事いとまあらず。扨中一年滞留し。三年目の夏。南風を待えて。舟を出さんと。皆人はし舟に取のれば。枕ならべし女房はいふにをよばず。下人までも名残をおしみ。浜へはしり出。もすそを波に打ひたし。舟に取付。袂にすがり。我をばすてゝ。ゆき給ふべしやと。あらつれなの日本人の心や。今生の名残是までなり。後の世にあひ見ん事も定なしと。足ずりし。舟ばたをたゝき。声をばかりにさけぶ有様。たとへんやうぞなかりける。これ恋路と云事は。忍ぶをもて本意とせり。後撰集に
忍ぶれど。色にいでけり我恋は。物や思ふと人のとふまで
と
平兼盛はよめり。扨又
定家卿の
歌に
【 NDLJP:509】
うら山し。声もおしまずのら猫の心のまゝに妻こふる哉
と詠ぜしは。八丈島の恋路にことならず。国衆もさすが岩木にあらねば。心よはくも舟を出しかねそれ一樹のもとにやすみ。一河のながれを渡るれ共。過別るれば。名残をおしむならひぞかし。褒姒一たびゑみて。幽王国をかたふけ。玉妃かたはらにこびて。玄宗世を失ひたまひぬ。ましてや此女房達は。人間のかたちにあらず。たゞ是天人あまくだり。うどんげなる。三年の契り。今別となれば五衰の苦しみも。是にはいかでまさるべき。恩愛の道は。つなげるくさりのごとし。釈迦善提の道にいらんとて。十九にして都を出給ひしに。やしゆたらによに。名残をおしみ出かね給ひけり。仏猶かくのごとし。いはんや凡夫をやと。たがひにかこち。かこたれ。なきかなしめる有様は。目もあてられぬ風情なり。江雪入道是を見て。何とて舟には。をそなはるぞ。にくい奴原が有様哉。皆一々に海へ切ながさんと。刀を抜て。艫舳をはしりまわり給ひければ。ちからをよぱず舟を出す。陸にてよびさけぶ其声。はる〳〵と波路を。わけて聞ゆれば。舟人も思ひやられて。涙に暮て。前後も分ず。舟も行々声もきこへねば。女ども高き所にのぼり。竿〈[#「竿」は底本では「笠」]〉の先に白き絹を。むすびつけ。手々に持て。おどりあがり。さほをふりける有様は。欽明天皇の御時。大伴の佐提比古遣唐使にて。もろこしへ渡し時妻のさよ姫は名残をおしみ。松浦山へのぼり。きぬのひれをふり。其舟を招しも。是にはいかでまさるべき。女のむつごとに。御国衆はかたちより。心なんまさりたると云しこそ。忘〈[#「忘」は底本では「怠」]〉れがたけれ。島の事人に語るもうらめしさに。ふつと思ひ切て有しに。せんなき事を語り出し。二度物を思ふといひすて。うつぶきに臥てなみだにむせぶ。愚老聞て。島の物語われ聞さへ心そゞろにうかれぬ。其女房をせめて一目見ばやと床しきに。其方三年あひなれ。浅からぬ契り。思ひやられて哀なり理なりと共に涙をながし。袖をしばりたり。然に江雪入道の事。我小田原に有てよく存たり。げに今思ひ合する事あり。江雪斎島にて。定家の能を仕たる由申ければ。氏直聞召御しゆゑんの時節。江雪島にての定家と仰有しに。興ある人にて。度々まはれたり。宏才弁舌人にすぐれ。其上仁義の道有て。文武に達せし人也。弓箭評定の時も。氏直公一門家老衆の中に。くはゝり給ひき。一年秀吉公在世の時。氏直使者として。江雪入道上洛せられしに。秀吉公対面有て。ゐ中者といへ共礼義の次第厳重也と。御感有しと也。氏直没落以後秀吉公へめし出され。板部岡江雪。山岡道阿弥此両人は。常にはなしの御あひてに参られたり。然に八丈島の女房。ふしぎ有事古き文にも見えず。され共見聞集の題号に応じ。久兵衛物語を記し侍る也
見しはむかし
伊豆の国の
住人。清水
上野守は。小田原北条
家譜代の
侍。関八州に其
名をえたる
【 NDLJP:510】武士なり。されば上野守が
妻女。山上の
社氏神へ。
宿願有て。
参詣する
途中の
坂に。
牛穀物を二
俵つけながらふして有。見ればあと
足二つを。がけへふみおとし。
岩角に
俵かゝつて
留る。
荷縄をきるならば
牛谷へおちて
死すべし。
引上べき様なく。ふびんなる有様なり。女房是を見て。あたりの者をのけ。一人そばへより。牛とたはらをいだひて。
中へ
持上道中に牛を
立たり。此女の力。人間のわざに
非ずと。人さたをせり。其
腹〈[#「腹」は底本では「服」]〉に
男子一人有。
清水太郎左衛門尉是なり。
母の
力を
請次。大力の
名をえたり。
或時太郎左衛門甲
斐くろといふ馬を一
疋もつ。一日に
大豆を一斗くらふ
悪馬なるゆへ
乗ものなし。馬屋の内を出すには。
中間六七人有て。
綱を付てひき出す。
鞍をく事ならず。太郎左衛門此馬に
飛乗。
鞭を打てはしる時またにてしむれば。立所に
血をはきて
死す扨又
奥州より出たる。岩手
鴇毛と
号す。
駿馬を持たり
尾かみあくまでちゞみ九寸あまりにて
強馬なり。長久保より
鷲巣の嶺へは。
上道五
里程あり。此馬の心見んため。
甲冑を
帯し。
旗をさし
卯の
刻に。長久
保を乗出し。鷲巣を目がけむち打て。
野原を
真直に
馳行有様たゞ
逸物の
鷹。八
重羽の
雉を見て。
升かきの羽を
飛がごとし。鷲巣の嶺へのり
上。いきもつかせず
引返し。
即刻長久保へ
帰馬するに。あせをくださゞる
名馬也。太郎左衛門。
蛇なり共綱を付て
乗べしと。
荒言をはく。一
年佐竹義重と。北条氏
政常陸の国にをいて。
合戦の
砌。太郎左衛門尉。
岩手鴇毛の
駒に
駕し。
黒糸おどしのよろひ
着。
八の四方の
旗をさし。
樫の
棒を一丈あまりにつゝ切。六
角にけづり。此棒を
持て。はんくわいをふるひ。敵
軍勢の
中へ。
乗入て。棒の
石づきをつ取のべ。片手に持て。
弓手妻手のかたきを。一
払に五人十人
討ひしぐ。ばうにあたつて
死する者。其数をしらず
数度の合戦に先をかけ。
強をくだき。敵をなびかし。みかたをたすけ。
剛者の名をえたりき。するがの
国中
長久保の
城主なり
甲州信玄勝頼父子とたゝかひ。つゐに一
度も。をくれをとらざる
武略智謀の人世にまれなり然に一
年信玄と。
参州源の
家康公との。たゝかひの時節。
信玄より
氏政へ。
加勢をたのみけるに付て。大
藤式部少輔。
清水太郎左衛門尉。両大将として。三千
騎の
軍兵を
率し。信玄にはせくはゝる。
比は
元亀三年
壬申十二月廿三日申の
刻に
到て。
家康公と
遠州みかたが原の
合戦に。信玄
勝利をえられたり。此節大
藤式部少輔は
討死す。太郎左衛門尉
馬上に
鑓をつとつて。
真先にすゝみ。
猛威をふるひ。
爰にてもかしこにても太郎左衛門と。
名乗て。千
騎万騎が中へ切て入といへども。名にをそれてこと
〳〵く
敗北し。
面をあはする人もなし。
敵はいぐんする。其中に
金の馬よろひかけ。くれなゐおどしの
鎧着たる
武者一
騎。大
人とおぼしくて。
郎従あまたかこみ
落行を。太郎左衛門尉是を見て。
駒に
鞭うて。のがすまじと大
声をあげてよびかくるは。
鳴神のごとし。
郎従等このいきほひにをそれ。左右へ
分て
迯退く。
追付甲のしころをつかんで引返し
鞍の
前輪にをし付。ねぢ
首にぞしてけり。故にねぢ
首太郎左衛門と云て。大
力の名をゑたり氏直此ものゝ。力の程
【 NDLJP:511】をかんがみ給はんがため。
或時
興じて。太郎左衛門こうする
前へ八寸まはりの
鹿の角を。二ツなげ出されければ。二ツの角を一手ににぎつて。引さきたり。氏直も
感じ
諸人も
奇持におもひたり。
着量骨柄人にすぐれ
関八州にならびなる大
力〈[#「力」は底本では「刀」]〉末
代まではまれある人なり
見しは昔。
関東諸国に。
弓矢をとる。
東西南北にをいて。たゝかひやむごとなし。去程に
侍たる人は。
鉄砲をみがき。
薬をあはせ。弓の
絃をさし。
矢を
作。うつ
木青木などにて。木
鋒をけずるにいとまあらず。扨又
鉄を木鋒のごとくうちのべ。さきをのみのごとく
作り。
矢の
根とす。是をすやきと名付。毎年七月には。
七夕の矢と
号し。大
名小名
知行役に。
主人へ上る。十筋の内。五ツはすやき。五ツは木
鋒。いづれも是を。
数矢と名付たり。其
時節鉄炮はすくなく。弓はおほし。日々のたゝかひに。矢
種尽ぬれば。主人より矢
箱を。
諸侍へくばりわたす。
敵近くそなへたる時は。
矢束引
強弓をゑらび。
矢印を書付。右の
数矢をもて。
敵のそなへを
射くづす是をのぶし
軍といふ。天正七年の秋。
武田勝頼伊豆の国に
向て。
進発し。うき島が
原。三
枚橋に
陣す。北条氏直も
出馬し。伊豆の国。はつねが原。三
島にはたを立。
対陣を
張て。さかひをへだて。いどみたゝかふ。日も
暮れば。
先手の
者。
敵陣へ
夜討をもよほす。其比は其国々の
案内をよくしり。心
横道なるくせ者おほかりし。此名を
乱波と名付。国大名衆ふちし給へり。夜討の時は。かれらを
先立れば。
知ぬ所へ行に
灯を取て夜る行がごとく。道に
迷はず。
足軽共五十も百も。二百も三百も
伴ひ。
敵国へ
忍び入て。
或時は
夜討分捕高名し。或時はさかひ目へ
行。
藪原草村の中にかくれゐて。
毎夜敵をうかゞひ。何事にもあはざれば。
暁がた敵にしらず帰りぬ。是をかまり共。しのび共。くさとも名付たり。
過し夜はしのびに行。
今朝はくさより帰りたるなどゝいひし。其くさ。
忍びと云正
字をしらず。
或文に
窃盗は夜るのぬす人。忍びが上
手と
注せり。又盗窃の二字を。しのびとよむ故の名なるか扨又くさと云字を
察するに。此等の
士卒夜中に
境目へ
行。
昼も草に
臥て。
敵をはかる。是を
草に
臥ともいひつれば。
下略して。草と名付たるにや。然ば草と云
字を
書べき歟。今の
時代つたなき
言葉なれば。
記し侍る。
陣中終夜篝をたき。夜
明ぬれば。
先手の
兵士等。さかひ目へ日々出
向て。陣する所に。
若手の
侍。ほまれを心がくる
輩は
陣中をぬきんで。両陣の間へ。たがひに
進で出あひ。
矢いくさをなす。
見物してをもしろきは。此せりあひ
軍なり。是は
先手の
役として。日々のたゝかひある
仕場居の
近隣に。
或はくぼみの
地あり。或は
森はやし
藪せこ有て。かくしをく所の
人数斗がたきが故
敵少勢なりといふ共。さかひをふみこす事成がたし。然間
双方心を一つにして。みかた
無勢なれば。
士卒をくはへ。をなし程
歩立の者ども出あふ。
馬上も二十
騎三十騎。はせ
加はつて
下知【 NDLJP:512】す。をつつ。まくつゝ。
算を乱す其間に。
前登に
進む者は。
首をとつゝとられつ。
武勇の
達者。兵
略を
尽す。
懸引に目をおどろかす。北条
美濃守。氏
親家中に。
鈴木左京
亮は。すぐれたる
強弓なり。
前登にすゝみ。かれがはなつや。はぶくらを。のまずといふ事なく。
忽射殺す所の者おほし。是を見て
敵かたより。
武者一
騎はせ来り。
青木角蔵と
名乗て。左京
亮と
既に
弓手に相あふ。たがひに矢をさしはさむ。左京亮
敵の弓を引ざる
前に。ひやうと
射る。此矢あやまたず。弓手の
脇。よろひを
射とをし。のぶかに立。角蔵弓をひかんとすれ共。
痛手なりければ。
叶はずして。ひらき
退く。左京
亮又二ツの矢をつがつて
射る。馬のふと
腹に。はぶくらせめてたつ。馬はしきりにはねければ。角蔵馬上より
落たり。みかた是を見て。
勝どきをどつと作り。此仕合を其日の。矢軍の
勝負の
験として。
双方の
士卒等。相引し本陣に
旗を立たり。かゝりし所に
敵かたより。たゞ一人弓に
矢を取そへ。みかたの
陣まぢかく
歩み
向ていはく。是へ罷出たる者は。
先場のたゝかひにをいて。
馬上より射おとされし。青木角蔵が
使者也。
矢印にさがみの国。三
浦の住人。
鈴木左京
亮とあり。
勢兵の
射手。
敵みかたの
誉かくれなし。それ
戦場に出て
討もうたるゝも。
武士の
名誉。
望む所の
本懐也。扨又
軍はかならず一方かち一方まく。すべて其日の
運命の
厚薄にこたへければ。
負たりとても。
耻辱に有べからず。然り今日角蔵に。あたる所の矢は。すやきの
数矢也。
既に目がけて。
名乗がたきをかろしめ。あざむく仕合。すこぶる
遺恨やることなし。
但終日の軍に。
矢種つきたるにや。あへてもて。角蔵今日
鈴木左京
亮殿と
参会のしるしに。送り
進ずと云て。
名字書付たる。
鋒矢二i
筋射てをくる。左京
亮此
矢を
請取。
使者に向て云。
先陣のかけに。
数矢をもて
射奉る事。いさゝか
軽賤の儀にあらず。我
遠敵を心がけ。矢を打つがひたる
時刻に。
青木角蔵殿
案外に。
馳来てたがひに弓手に相
向ひ。すでに
火急の仕合也。
殆遺恨に思ひ給ふべからず。折節。持合せたるとて
靭〈[#「靭」は底本では「剏」]〉より
節かげ取。
矢印有つる大
鴈股の
根を二
筋抜出して
射返す。諸人是を見て。
義を
守り。節ををもくする。
武士の
振舞。かくこそ有べけれと。敵もみかたも
感歎せり
聞しは
昔。
老士語りけるは。我
数度の軍にあひたり。大
合戦にをいては。たゞ一
勝負也。
有無の二ツにきはまる故。
先陣の者は。
万死一生にさだめ心たけく
樊噲をもあざむく。
討負はいぼくに至ては。心をくれ
餓鬼にもをとれり。大合戦に
崩れかゝつて。返す事
叶はず。然に小田原北条
家。五代の内
数度の大合戦に。
討勝たり扨又みかた
負る事有といへ共。つゐに一
度も。大
負なし。是
定をかるゝ所の
法度を。用るが故也。それいかにとなれば。かねての
軍法にそなへを一手づゝ。
段々に立る。其間一町へだつ。一
備への内。
前後に
武者奉行有て。をくるゝ者を
【 NDLJP:513】ば。しんがりの奉行。そなへの内へ
追入。さし出る者あれば。つぎの奉行。をさへ
下知す。其上はた
本より。
検使として。
騎馬の
武者。
惣陣を
馳廻て。両
陣一町へだたる間に。
紛るゝ者あれば。
是非を
論ぜず。
切捨る。然にみかたの
先陣いくさに。
討負敗北に至ては。二陣の
武者奉行先立て。
備へをとがり
矢がたに立。
鑓を
作て。
敵を
待。みかたくづれかゝるといへ共。
待所のみかたの。鑓さきにをそれ。左右へ分て。はいそうす。
若そなへつゝにげ入らんとする者あれば。切て
捨る故に一人も入
得ず。
敵かち
軍となれば。かならず
鋒矢形に
追来る。然にみかた
待請たる。
威ひを見て。かなはじと。
前登にすゝむ者。引返しぬれば。
残党まつたからずとて。
悉く
敗軍せずして
叶はざる也。北条
家の
軍二
陣にて切返す事度々に
及ぶ。なかんずく
享禄三年
庚寅。六月十二日
武州小沢原にて。
官領上杉
朝興と。北条氏
綱かつせんに。みかたの
前陣討負るといへ共。二
陣にて引返し。千
余人
討取。扨又氏
康と。
里見義弘。
下総の国。
高野台合戦に。
先陣討負るといへども。二陣にて引返し。大
勝あり。
件の
軍法は。氏
綱時代このかた。北条家にもつぱら。是を用る。
軍に大
負あるは。
備を
乱すが故也。一合戦打
勝といふ共。
新手の敵に。二度打
勝事叶ふべからず。
人馬ともに。
筋力つかれ。いきほひをうしなふによて也。ほとんど
勝いくさに。
長途を
過るは。
不可也。
士卒等。かつに
乗て。
首をとらんと。身のつかれをもわきまへず。
長をひする時に。
敵かたはらの。
藪せこより。五人三人はしり出て。
矢石をはなつに至ては。すは敵むかうと見て。
前がけの者。一人
引返す。あとの者。聞おぢして。
猶はいぼくす。其時
節にをいては。
山人百姓等。
爰かしこより出
走て。
鹿弓を
射かけなどして。大
崩れする事ひつせり。され共
兵法一
様には
定がたし。時にのぞんで。せりあひ
軍には。
勝てまくる事有。
負てかつ事有。其
期に至ては。
君命をもをそれず。
師伝をも
用ひず。
敵によつて。
転化するは。
勇士のをのれと心にうる
道也。
軍陣に
及び。
公私の儀に付て。
叶はぬ所にては
討死し。
遁るべき所を
知ては。
命をまつたふし。
後日に
本望を達する。是を仁義の
勇士といふ。
進むまじき所をかけ。
退くべき所を。のがれず討死するは
義に
背けり。是を
血気の
勇と云。一身の
武勇を
望むには。
場所を
知が
肝要也。人も見ぬ所にて。けなげをはたらき。
討死するは
犬死なり
古歌に
見る人も。なくて散ぬるおく山の。紅葉はよるの錦なりけり
とよみしも是にたくへておもひいだせり。ほまれ有人の見る所ならば。万人にゐきんで。武勇を。はげますべし。討死する共。武名を子孫につたふべし。ほまれ有人の一言は。俗士の千言にもすぐれたり。先年秀吉公時代。濃州柳瀬表の合戦に。七本鑓といはれしは。加藤肥後守。同左馬助。福島左衛門佐。脇坂中務。糟屋内膳正。平野遠江守。片桐市正。件の七人也。この人々大名に成ての改名也。是よき戦場にて。前登にすゝむが故也。其上誉をうるに。大勇と小勇【 NDLJP:514】との二名あり。文を学び。武をたしなんで。智謀兵術を。もつぱらとし。たゝかはずして。人に勝事をはかるを。大勇といひ。独けなげを旨とし。人のならぬ所を。をし破て。われと手をくだひて。討勝を小勇と名付。いにしへを伝へ聞しに源九郎義経。ひとりけなげを。専とせり。平家一谷に城をかまふる所に。鵯ごへといふ。人力のをよばぬ高山より。義経ひとり。先だつて。つゞけ兵どもと。下知せられたり。其後半家。さぬきの国に城を興す源氏の軍兵。数百艘の兵船を用意し。渡海せんとする所に。波風あれて。乗船かなはず。義経公平家。追討使の宣旨をうけたまはり。悪風なり共。延引すべからず。運は天にありと。主ひとり。元暦三年二月十六日。とも綱といて乗出す。彼下知に随て。以上五艘。彼国に着岸し。平家を追討すといへ共。是は血気の小勇のふるまひにて。大将のはたらきには不可也。去程に義経人のいさめをも用ひず。無理につよみをこゝろにかく。故に義経独歩の旨をさしはさみ。万事不義有て。頼朝公と不快にして。はたして害せられ給ひぬ。扨又頼朝公。佐竹の冠者義秀が城を責らるゝ。直実は万人にぬきんで。かけやぶり。おほく首を討取。摂州一谷の城をせむる時。直実夜中に前路をまはり。卯の刻門外にすゝみ。源氏の侍くまがへの次郎直実。前陣と高声に名乗。城中に此由を聞。飛弾三郎左衛門尉盛次。悪七兵衛景清。木戸をひらき打て出たゝかふ。直実は万士にこへたる故。天下無双の剛者と。頼朝ほうび有事。度々にをよぶ。され共物がしらの役は。終に仰付られず。加藤次郎景廉。土肥次郎実平等は。一身の手がらをあらはさずといへども。軍兵の統領を。承り下知する事。数度にをよぶ。此等の人は。智略兵術を旨とするが故也。それ大将は。先もつて文を学び。黄石公がつたふる所を。かねて心にかけ。呉子。孫子が秘する所を旨とし。軍兵を下知す。論語に三軍の師をば。うばふべし疋夫の心ざしをば。うばふべからずと云々。ほとんど。ほまれをのぞむ人は。文をまなび。功者にしたしんで。武略を聞ずんば有べからず。馬ものゝぐ。さし物なども。我力に過たるは。かならずわざはひを招くべし。みる所はいかめしけれ共。功者の嘲たり。なかんづく。歩立の軍。山坂にては。かろくみじかきを用ひる。是故実なりと物語せり
北条五代記巻第五終