太閤記/巻十一
行幸
夫久堅の天ひらけ、あらかねの地初りてより爾来、神代の年月久しうして、家々に記しをく所の暦数さたかならす、人皇の濫觴神武天皇丙辰より、天正十六年戊子の今に至り、聖主百【 NDLJP:340】九代、星霜二千二百三十七年、朝庭之政は、正木のかつら絶す、良臣之勤は、松の葉の如㆑不㆓散失㆒、中につゐて延喜天暦之至尊は、百世に冠たり、然る故兆民今に及て其徳をしたふ、粤に関白太政大臣秀吉公、瓩弱の時より、勇猛古今に秀、智謀世に勝れ給ひき、かるか故に東夷を平け西戎を
評曰、秀吉公
今上皇帝十六歳にして御即位有、百官傾㆓於巾子㆒、人無㆑不㆑合㆓于掌㆒也、寔にいみしかりける幸なりと人皆云あへりけり、古今富栄えぬる人を見るに、気自ゆるやかに、心自正しきによれり、されは秀吉公のやうなる大臣出給ふも、天気淳に尊体胖かなるか故也、此帝徳を秀吉いと有かたく思はれしかは、争
或日、三月十五日行幸之吉日は古き記録に任せ、其家々に仰ての日取なるを、余寒いかゝなるへしとて、のべたまふは謂れなし、唯寸善尺魔の障碍にて侍るべし、はか〳〵しき事は有ましきなと、さたかに云あへりけり、京童のくせとして、其声辻々に充り、是全無
かくて寒去暑来りしかは、卯月十四日行幸有へしとなり、既に其日にも成ぬれは、殿下つとにおき出、禁中に至て、それ〳〵の奉行職事を集め給ふて、いまたゆるやかなるさまに見えしを、殊外いそかせ給ひけり、兼てより皆儲の御所の御気色を、窺ひ奉るに依て、衛府之輩弓箭を対し、上達部以下参りつとふ、御殿の守りの事なと誰々と被㆓仰定㆒畢、奉行職事悉く具したるよし奏しけれは、即南殿に出御あり、御束帯の御衣は山鳩色とかや、御殿より長橋の御後まて、筵道ふたんまいる、殿下御裙を取給ふ、陰陽頭
六宮御方 伏見殿 九条殿 一条殿 二条殿 菊亭右大臣晴季公 徳大寺前内大臣公維公 飛鳥井前大納言雅春卿 四辻大納言公遠卿 勧修寺大納言晴豊卿 大炊御門前大納言経頼卿 中山大納言親綱卿 伯三位雅朝王 何も随身 えほし着 馬副 布衣侍 雑色 笠持等を具せらる
左 蔵人中務大丞小槻高亮 布衣侍一人侍五人 雑色四人笠持馬副二人
前駆 富小路右衛門佐 秀直 松崎侍従 宗隆 冷泉侍従 為親 正親町少将 秀康 柳原宮内権大輔 資淳 甘露寺権弁経遠
勧修寺権弁 光豊 土御門左馬助 久修 民部卿侍従 秀次 施薬院侍従 秀隆朝臣 橋本中将 実勝朝臣 西洞院左兵衛佐 時慶朝臣
右 唐橋秀才 菅原在道 蔵人式部大丞 清原秀賢 阿野侍従 実政 冷泉侍従 為将 吉田侍従 兼治 大沢侍従 庭橋侍従 総光
広田侍従 重定 烏丸侍従 光広 日野弁 資勝 葉室蔵人弁 頼宣 三条少将 実条朝臣 五辻左馬頭 元仲朝臣 五条大内記 為良朝臣
次近衛次将
左 園少将 基継朝臣 六条中将 有親朝臣 四辻中将 秀満朝臣
右 四条少将 隆憲 水無瀬小将 氏成朝臣 飛鳥井中将 雅継朝臣
次貫首
万里小路頭弁 充房朝臣 中山頭中将 慶親朝臣
次大将
左 鷹司大納言信房卿 随身布衣侍 えぼし着雑色 馬副笠持
右 西園寺大納言実益卿随身布衣侍 えぼしき雑色 馬副笠持
次伶人 四十五人 奏安城楽
【 NDLJP:342】 鳳輩 前後 駕興丁
次六位外記史以下役人
扈従 此御跡に
近衛殿 左大臣信輔公 諸大夫烏帽子着 布衣侍随身 雑色傘持
内大臣信雄公 随身等同前
烏丸大納言光宣卿 日野新大納言輝資卿 久我大納言敦道卿
駿河大納言家康卿 大和大納言秀長卿 持明院中納言基孝卿
庭田 源中納言重道卿 正親町 権中納言季秀卿 広橋中納言兼勝卿
坊城 納言 式部大輔盛長卿 近江中納言秀次卿 菊亭 三位中将季持卿
花山院宰相家雅卿 三条宰相公仲卿 吉田 左衛門督兼見卿
藤 右衛門督永孝卿 備前宰相秀家卿
関白秀吉公 輿
前駆之馬上
左 |
右 |
【 NDLJP:343】 随身胡録弓等具之
森民部大輔 蒔田主水正 野村肥後守 中島左兵衛尉 木下左京亮 速水甲斐守
布衣胡録綏を具せり
左一柳右近大夫 右小出信濃守 中石田木工頭
右三行に立烏帽子仮衣也
牽替之牛二疋、しち持くつ持両人、牛わらは両人髪をさけまゆを作、赤き水干の装束也、牛には紅絹に縫物したるを着せつゝ、牛面をかけ角をは金はくを以
舎人車副御沓持御笠持〈左右〉鳥帽子着、れき〳〵五百人三行に列す
此次
加賀少将利家朝臣雑色 布衣侍 ゑぼし着 馬副笠持 是より下同之
穴津侍従信兼朝臣 丹波少将秀勝朝臣 三川少将秀康朝臣 三郎侍従秀信朝臣 金吾侍従 御
つき〳〵の侍は其数を不㆑知、馬上の装束は五色の地に、四季の華鳥を、唐織うきおり立紋縫薄なとにして、蜀紅の綾羅錦繍目もあやなり、吉野山の春のけしき、龍田川の秋のよそほひ、目前に明らかなりしかば、五畿の近きはもとよりも、七つの道の遠きより、貴賤老少
○御配膳之衆
御前 正親町三条 宰相中将公仲卿
六宮御前 勧修寺 右少弁光豊
関白殿竹園摂家清花大臣等之御前 西洞院 左兵衛佐時慶朝臣 五条 大内記為良朝臣
四辻 左近衛権中将季満朝臣 飛鳥井左兵衛権中将雅継朝臣
六条 左近衛権中将有親朝臣 橋本 左近衛権中将実勝朝臣
五辻 左馬頭元仲朝臣
○月卿御前
水無瀬 左近衛権少将氏成朝臣 土御門 左馬助久修
四条 左近衛権少将隆憲 富小路 右衛門佐秀直
初献の御土器より御気色有けり、三献には天盃天酌五献に及て、盆香合、七献には御剣御進上有、とり〳〵御さかな、くく物、あつ物、金銀の作り華、折うつふの物には、蓬萊の島に鶴亀の齢、松竹のみさほなるになぞらへ、千年をいはひそなへ祝し奉るなり、酒御宴をはつて、西表の御几帳かゝけさせ給へは、庭のやり水に魚のたはふれつゝ、いとゑんなるも時にあひて、をのかさま〳〵なり、木々の梢茂りあひし若葉の中に、をそ桜つゝしなど咲残り春をしたふけしき、鶯の声たひてつねならぬ程を鳴添も床し、池の汀の杜若岸の山吹咲みたれ、色をあらそふ計なるに、青柳のたをやかに、風にまかするすがたこそ猶心あるべけれ、けふの目もみしかきと思ふ計にくれて、いさよひの雲間破れて、月は音羽の山の梢より、こほれかゝるやうにさし出、いとみやひをなむ進めける、上にも此良夜をいかにとやおほしたまふ御けしき、ふかく見ゆ、彼漢武帝之甘泉殿之春遊、唐明皇之驪山宮之月
〇一番五常楽、二番郢曲、三番太平楽
一さう(等イ)の琴 御所作 其外琴之衆
一条殿 四辻大納言 庭田中納言 四辻中将 飛鳥井中将 五人
一琵琶 伏見殿 菊亭右府 同三位中将 三人
一篂 大炊御門大納言 伯三位 五辻左馬頭 三人
四辻大納言 持明院中納言 五辻左馬頭 三人 并発声
徳是北長椿葉陰二改、尊尚南面松花色十回、
ひきかへし〳〵、此句をなむ朗詠し給ひぬ、色々の調への中に、主上御所の御つまをと、殊更に聞え侍るとなり、華に囀る春の鶯、梢に吟する秋の蝉、風静かに雲おさまりて、月の光一とせの晴を尽すかと疑はる、曲終宴止て、感情いとふかく侍り、龍顔も目なれぬ事をなむ興せさせ給ふ、寔此すさひ逸興有しかば、御気色ことさらに目出侍るなり、小夜も漸々更行まゝ、殿【 NDLJP:345】下もまかりまうおゝて、しむてんに入給ふ、もや(母屋)の夜るのたましのまうけ、いと念比なり、翌朝は公卿とく参も給ひつゝ、あさまつりでとし給ひしとなり,まうけの御所には、三日のすさひれはしましてより、還御なし奉らんと、兼ての御定めなりしか共、御気色よろしく見え侍りしに依て、猶色々のすさひを催し、五日の御滞座にて還御なし奉り給ふ、今度之行幸規式後代に、吾心を続もの有て、朝庭弥栄えさせ侍るやうにと、祝し給ひけり、依之禁中正税之為、洛中之地子悉末代に至り、無㆓相違㆒庁務として納奉候やうにとて、被㆓仰出㆒、御一行之事
一京中銀地子五千五百三十両余、可㆑為㆓ 禁中御䉼所㆒之事
一米地子八百石之内 三百石 院御所五百石 六宮関白領
一於㆓江州高島郡㆒八千石、諸門跡諸公家衆へ進㆑之、
右如㆑件、
若御奉公懈怠之輩、於㆑有㆑之者、為㆓ 叡慮㆒御計被㆑成候様に可㆑被㆓仰上㆒者也、
天正十六年卯月十五日 秀吉
菊亭殿 勧修寺殿 中山殿
殿下つら〳〵、禁裏仙洞之事過にしかた、行末をかよはし、おほし煩はせ給ふに、只今堂上に在人々は、威蒙㆓殿下之厚恩㆒者也、掛も忝も、今度殿上之交を聴され、今奉㆑遇㆓斯行幸㆒物かなと、徹㆓骨髄㆒可㆑令㆓感悦㆒事也、然間至㆓子々孫々㆒、可㆑奉㆑守㆓護於上㆒事、其身之冥加なるへし、雖㆑然蔽㆓私欲㆒、無道之心もや出来むと、誓約被㆓仰付㆒次第、尾張内大臣信雄卿(公イ)駿河大納言家康卿を始、対禁中不可存無礼之旨、誓紙を上られ宜しく侍らんとなり、各奉て謹諾之、将軍戯に仰けるは、夫世人の遺戒は其末期に及て、領知財実を譲り、制禁之事云をきしを以、至れるとす、吁悲しゐかな、病気迫りなは、苦しみ甚多して、分別正には有へからす、吾は反㆑之、盛なる時の遠慮を以、遺言をすへきなり、過こしかた世人の遠慮せし事、達不達を勘かへ見るに、得㆑正則末に至て必其力つよく侍るなり、愛欲におほれ、邪なる時は、末〳〵に至て善悪を評するまてもなく、必後難さしつとふ物なりと有しかば、満座感し奉り、誓紙を捧奉る、其詞云、
○敬白起請文前書之事、
一就㆓今度聚楽亭行幸之義㆒、各致㆓昇殿㆒供奉之事、誠以難㆑有奉㆑存候事、
一禁裏御料所地子以下并公家衆御知行等存㆓疎意㆒間布候、若被㆑蔽㆓私欲㆒無道之輩於㆑有㆑之者、為㆑各達て可㆑致㆓諫静㆒候、当分之義は不㆓申及㆒、至㆓于子々孫々㆒、無㆓異義㆒様に可㆓申置㆒之事、
一関白殿被㆓仰出㆒趣於㆓何等之義㆒、聊不㆑可㆑存㆓違背㆒之事、右条々若雖㆑為㆓一事㆒、於㆑令㆓違背㆒者、梵天帝釈、四大天王、惣日本六十余州大小神祇、殊王城鎮守神、八幡大菩薩、春日大明神、天満大自在天神、別氏神、部類眷属、神罰冥罰、各可㆓罷蒙㆒者也、仍起請文如㆑件、
天正十六年四月吉日 右近衛権少将豊臣利家
参議左近衛中将豊臣秀家
【 NDLJP:346】 権中納言豊臣秀次
大納言源家康
内大臣平信雄
金吾殿
同時別紙誓紙有㆑之面々
土佐侍従秦元親
龍野侍従豊臣勝俊
京極侍従豊臣高次
井伊侍従藤原直政
金山侍従豊臣忠政
伊藤侍従豊臣定次
豊後侍従豊臣義統
曽根侍従豊臣貞通
岐阜侍従豊臣照政
源五侍従豊臣長益
松任侍従豊臣長重
越中侍従豊臣利長
敦賀侍従豊臣頼隆
河内侍従豊臣秀頼
三吉侍従平信秀
松賀島侍後豊臣氏郷
北庄侍従秀政
東郷侍従豊臣秀一
三河侍従秀康
丹波少将豊臣秀勝
穴津侍従平信兼
金吾殿
今日は和歌之御会おはしますへきにて侍れ共、さう〳〵しくとて、翌日十五日まてさしのへ給ふ、御殿もゆるやかに何となうしつ心していと目出、うち〳〵の御すさひなとなり、殿下も何かの事取ませ沙汰し給ふとて、申刻はかりにまう上り給ひぬ、献々之内に
○捧物
一御手本 即之筆蹟千字文金の折枝に付 一御絵三幅一対
一沈香 百斤方五尺余之台紅糸之網を掛六人これをかく
右進上之物取納させ給ふて、頓て摂家之御方諸門跡清華衆残らす其沙汰に及へり
【 NDLJP:347】 伏見殿 九条殿 一条殿 二条殿 近衛殿 菊亭殿右府 徳大寺前内大臣 尾州内府
右之御衆へ〈但各自にかくのことし〉
一絵 二幅 一虎皮 一枚 一盆 一惟紅 一小袖 三重 一太刀 一腰
即御領知之御折紙被㆓相添㆒
天気いとうるはしく堂上堂下ことふきのかす〳〵にあかす、猶更過るまて御酒宴、長しなへに殿下立給ふて、弥御土器たひ〳〵めくりつゝ、万歳を唱ふ声々ゆたかにして、鶏も朝を告渡りしかは、君をよるのおとゝに入せ給ふ、かくて十六日明ほのゝ雲打しめり、空はすみをなかしたるやうになむ見え侍る、しはし有て小雨そゝきしが、後は大雨となりぬ、天公も亦還御を、とゝめさせ給ふらんかと、人皆申あへりけり、寔に氷をめくる玉水、琴筑の声を続かと覚え、いといみしかりけり、和歌の御会折にふれ物しつかに、披講の吟もあはれなり、懐紙は下臈よりをかれ侍る
一番大和大納言 二番駿河大納言 三番鷹司殿 四番久我殿 五番日野大納言 六番烏丸大納言 七番中山大納言 八番大炊御門大納言 九番勧修寺大納言 十番西園寺右大将 十一番四辻大納言 十二番飛鳥井前大納言 十三番尾張内大臣 十四徳大寺前内大臣 十五番菊亭右大臣 十六番近衛殿 十七番梶井宮 十八番妙法院殿 十九番二条前関白殿 二十番青蓮院殿 二十一番一条准后 二十二番九条准后 二十三番聖護院淮后 二十四番仁和寺宮 二十五番伏見殿 二十六番室町入道准后 二十七番六宮御方 二十八番関白殿
近江中納言 菊亭三位中将 花山院参議 備前宰相 席末に陪し給ふ、無イ葢 尾州内大臣 駿河大納言 大和大納言 近江中納言 備前宰相 此五人は可㆑為㆓清花㆒之上、依㆓
勅許㆒御相伴にめされ、其規模寔にこよなふ、いかめしう見え侍りけり、飛鳥井前大納言 四辻前大納言 勧修寺大納言 中山大納言 烏丸大納言 日野大納言
如斯の人々は座に着給はす、けふは九献之御用意にて侍りしか共、余りに長座なれはとて、七献にそ成にける、
一金建盞同台白銀の盆にすへ 二ケ 一絹 百疋 一御馬 十疋
已上
中山大納言 披搆之御奉行也題 飛鳥井前大納言 読師 菊亭右大臣 講師 飛鳥井前大納言 後 発声 中山頭中将 前 御製読師 関白殿 講師 勧修寺前大納言 発声 飛鳥井前大納言
講誦之人数四辻前大納言 西園寺大納言 大炊御門大納言 烏丸大納言 日野新大納言 久我大納言 持明院中納言 広橋中納言 伯三位 飛鳥井中将 園少将基継朝臣 五辻左馬頭
○詠寄松祝和歌
わきてけふまつよひあれや松かえの代々の契りをかけて見せつゝ
夏日侍行幸聚楽第、同詠寄松祝和歌 関白豊臣秀吉
万代の君かみゆきになれなれん緑木たかき軒のたままつ
詠寄松祝 和歌 六宮古佐丸
契りあれや君待得たる時つ風千代をならせる庭の松か枝
夏日侍行幸聚楽亭、詠寄松祝 和歌 中務卿邦房親王伏見殿
おさまれる時とはしるし松風の梢によはふよろつ代の声
詠寄松祝 和歌
浪風も吹静りて松高きやまと島根の方の浦々 准三宮兼孝九条殿
相生の松の緑もけふさらに幾千世ふへき色を見すらん 准三宮内基一条殿
日に添て木高き庭の松かえのいかに千年のゝちはさかへむ 従一位藤原昭実二条殿
君も臣も心合せておさむてふ千代の声そふ庭の松風 左大臣藤原信輔近衛殿
秋つ洲の外まてなつく国の風松にうつして声よはふらし 右大臣藤原晴季菊亭殿
ふか緑千代にやちよの色そへてけふ待えたる庭の松か枝 従一位藤原公維徳大寺
亀の上の山なりけりな庭広き、池の島ねの松の木ふかさ 内大臣平信雄北畠中将
君も臣も今日を待えていはふなりかねて千年を松のことのは 正二位藤原雅春飛鳥井
八隅しる君か齢もさゝれ石のいはほの松の千代の行末 正二位藤原公遠四辻
限なき君か八千代やこもるらむそ立そふ庭の松のみとりよ 右近衛大将藤原実益西園寺
代々をへん君かめくみの深き色を松の緑にかけてみすらむ 権大納言藤原晴豊勧修寺
ことさらの調へにけふの松風もこたへにけりな万代の声 正二位藤原経頼大炊御門
けふよりは台の竹のよゝかけて君たちなれむ宿の松かえ 権大納言藤原親綱中山
動きなき代々のためしを引そ(かイ)ふる岩根の松の色はかはらし 権大納言藤原光宣烏丸
【 NDLJP:349】天地も動きなき世に相生の松に小松のしけりそふかけ 権大納言藤原輝資日野
天地のめくみも添て君か代のときはの色や松にかゆらん 権大納言源敦通久我
けふよりや砌の松の陰にしもさかへむ君か千代の行末 左近衛大将藤原信房鷹司
緑たつ松の葉ことに此君の千年の安を契りてそ見る 権大納言源家康
ふか緑立そふかけは雲井まて千年さかへむ庭の松か枝 中納言藤原基孝持明院
うへしより君か千年を契りてや松はかはらぬ色をみすらん 権中納言源重通庭田
末遠く君そみるへき時は今千年ふかむる庭の松かえ 権中納言藤原季秀正親町
庭にまつ二葉の松をうつし置て君か千年の行衛かそへむ 権中納言藤原兼勝広橋
喜身賀へん千代の根さしと兼てより植の緑の松そ木高き 式部大輔菅原盛長坊城
治れる御代そとよはふ松風に民の草葉も猶なひくなり 権中納言豊臣秀次近江
けふよりの君か千年にひかれてや松もみさほの影を並へん 二位中将藤原季時菊亭
限なき君か齢に引れなは砌の松も常盤ならまし 参議藤原家雅華山院
時にあひてさかふる松の千年をは君か為にと契りをかまし 参議右近衛権中将藤原公仲正親町三条
よる昼を神の守に庭の松ときはかきはの梢なりけり 左衛門督卜部兼見吉田
君と臣と影を並へて相生の幾千代へなむ宿の松かな 神祇伯雅朝王白川
君も猶あかすみるらむ動きなき岩ねの松を庭にうつして 右衛門督藤原永孝高倉
松かえの茂りあひたる庭の面につらなる袖も万代や経む 参議左近衛中将豊臣秀家備前
幾千世もときはなるへき松か枝の色を砌に契りをく哉 蔵人頭右大弁藤原充房万里小路
千年へん君か齢を松陰やちかき守りのかさしならまし 左近衛権中将藤原慶親中山
君か為うへし砌の姫小松木たかきかけや猶も見てまし 右兵衛佐平時慶西洞院
君か経む齢はしるし鶴のすむ松のねさしの万代のかけ 左近衛権中将藤原季満四辻
天下めくみ普き木々に猶松は千年の影をみせけり 大内記菅原為良五条
陰高き砌の松に立そひて君か千年の春秋やへん 左近衛権中将藤原雅継飛鳥井
末遠き契りを松にかけまくもかしこき御代の栄え成けり 左近衛権中将藤原実勝橋本
千年へん松にそ契る敷島の道ある御代の行衛しるしも 左馬頭源元仲
君か代の限りは知し今よりの千年を松のときはかきはに 左近衛権少将藤原氏成水無瀬
万代の種を心にまかせてや松に小松の茂りそふらん 侍従藤原秀隆施薬院
相生の松に契りて幾千代も君か齢はつきしとそおもふ 左近衛権少将藤原実条西三条
楽を聚る中に言のはのさかふる色や松にみゆらむ 左近衛権中将藤原基継図
植置し松もかしこし我君の千年かはらぬ色をおもへい 蔵人左中弁藤原頼宣葉室
けふよりや猶色そへて松の葉の尽ぬためしを君に契らん 左馬助安倍久修土御門
うつし植木高くなれる松か枝に幾万代をかけて契らん 左少弁藤原資勝日野
わか君の千年を経てや松かへの四方にさかふる影や猶みむ 右少弁藤原光豊勧修寺
陰ふかき砌の松の風たにも枝をならさぬ御代にも有哉 侍従藤原光広鳥丸
【 NDLJP:350】常盤なる松にならひて君かへん千代の行衛のしるきけふ哉 権右少弁藤原経遠甘露寺
相にあふ砌の松の色そふや君か千年のかさしならまし 右近衛権少将源重定庭田
あふくてふ君か千年を奉の音にしちへそへたる庭の松風 宮内権大輔藤原資淳柳原
君か代は限りあらしと陰たかき松に小松やうへもそふらむ 侍従藤原諸光広橋
色かえぬ松をためしにわか君の千代に八千代をちきる末行 右近衛権少将藤原季康正親町
君かため植をく庭の松か枝は幾千代まての根さしなるらむ 左近衛権少将藤原為時下冷泉院
色かへぬ松にそ契る幾千代もつたへ正しき言のはの道 左近衛権少将藤原為親冷泉康
動きなき岩ほになるゝ松のはや苔むす庭の色をそふらん 侍従卜部兼治吉田
千代経へき松に契てけふよりや葉かへぬ色を幾年かみむ 左近衛権少将藤原宗隆松木
庭の面に植をく松の若緑君かめくみに千代もへぬへし 左近衛権少将藤原隆憲四条
久堅の雲井の庭の松風も枝をならさぬけふにあふかな 侍従藤原実政阿野
けふよりも千年へぬへき行末を君に契らん庭の松かえ 右衛門佐藤原秀直富小路
万代はけふを始と契り置てうふる小松の末そはるけき 蔵人式部大輔清原秀賢(次イ)外記
かみ下の心ひとしく幾年も君を砌の松に契らむ 蔵人中務大輔小槻孝亮はんむ
君か齢いかてかそへむ百枝ある松の葉ことに千代のこもれは 正二位上菅原在通唐橋
天正十六年四月十六日 和歌御会
題 飛鳥井前大納言 読師 右大臣
講師 慶親朝臣 発声 飛鳥井前大納言〈[#「飛鳥井前大納言」は底本では「飛鳥前前大納言」]〉
御製
読師 殿下 講師 勧修寺大納言 発声 飛鳥井前大納言
夏日侍行幸聚楽第 同詠
植をける砌の松に君かへん千代の行衛そ兼てしらるゝ 左近衛権少将豊臣利家加賀
道しある時も今はた相生の松の千年を幾代かさねん 侍従平信兼穴津
百敷や四方に栄ふる松か枝のかはらぬかけを頼む諸人 左近衛権少将豊臣秀勝丹波
玉をみかく砌の松は幾千年君かさかへむためしなるらん 左近衛権少将豊臣秀家三川
君か為植をく庭の松の葉の積るを千代の数にさためむ 侍従豊臣義康左衛門督
代々をへはうふる梢も白雲をつねにかゝらん庭の山松 侍従豊臣秀一越前東郷
霜のゝちなをあらはれむ松かえの千代の緑や今しけるらむ 侍従豊臣秀政越前北庄
あふく代の人の心の種とてや千年を契る松の言葉 侍従豊臣氏郷伊勢松ケ島
君か代の永きためしは松にすむ鶴の千年をそへてかそへむ 侍従豊臣忠興丹後
君か代に植て幾度契らまし砌の松のけふの千年を 侍従豊臣信秀
千代をふる松は常盤の陰なからわきてけふこそ色もそふらめ 侍従豊臣秀頼毛利河内守
君をいはふためしに植し住吉の松も久しき代々の行末 侍従豊臣頼隆敦賀
かそへみむ千年を契る宿にしも松に小松の陰を並へて 侍従豊臣利長越中
【 NDLJP:351】浅からぬ緑もしるし年をへむ華の都に相生の松 侍従豊臣長重松任
年へてもかはらぬ庭の松の葉に契りかけをく行衛たかふな 侍従豊臣長益源五
君か代の深きめくみを松の葉の替ぬ色にたゝへてそみる 侍従豊臣昭政岐阜
陰高き松にひかれて君か代の久しかるへき行衛しるしも 侍従豊臣貞通曽根
陰高き松に立よる袖まても千年へぬへき九重そかし 侍従豊臣義統豊後
九重の松の根さしのふかけれい遠き国まてときはかきはに 侍従豊臣定治伊賀
緑さへ年にまさりて松陰のふかきや千代の根さしなるらん 侍従豊臣忠政金山
立そふる千代の縁の色ふかき松のよはひを君もへぬへし 侍従藤原直政伊井
万代も玉の砌の松の色のときはかきはに君やさかえん 侍従豊臣勝俊龍野
豊なる都のけふの松風にときつ島ねも浪しつかなり 侍従秦元親土佐
天正十六年卯月十六日 和歌御会
詠寄松祝 和歌
年になを正木のかつら長き世にかけてそ契る宿の松かえ 沙門道休青山准后
千年へむ君か齢をけふはなを色にみせたる庭の松かえ 尊朝青蓮院准后
移しうふる庭は高砂住のえもおなし千年の相生の松 准三宮道澄聖護院殿
治れる世になひきあふ松風の声にそしるき君かちとせは 沙門守理
おさまれる世そ久堅の空に吹風さへ松の枝をならさぬ 常胤妙法院宮
天正十六年卯月十六日 和歌御会
御会のけしきいとゆゝしく披講畢て、主上入御ならせ侍りけり、かくて各御膳のゝち、とり〳〵の御酒宴さま〳〵の台之物、折なとかす〳〵にして、夜半の鐘声殿中に入しかは、咸退出之御暇給りけり、
十七日伶人之舞
【各本無三番四番】一番 万歳楽 二番 延喜楽 五番 陵王 六番 納蘇利 七番 採桑老 八番 古鳥蘇 九番 還城楽 十番 抜頭
楽奉行四辻大納言
楽屋左右に侍りて
一御衣 廿重 一黄金 五十両沙金袋に入て 一香炉 一ケ 一盈香合 堆紅 一麝香 廿 一高旦紙 十帖
大政所殿より捧物
【 NDLJP:352】一御衣十重一黄金五十両砂金袋に入て一香炉一盆香合堆紅一麝香十一高旦紙十帖
今日も亦数々の祝に紛れ暮つゝ入あひの鐘もしつかなるに、郭公をとつれつゝ、一興加り一機てんし侍りぬ、かくて大となふらまいらせて、御心しつかなる御すさひおはしましけり、院御所より御短冊送り侍らせ給ふ、
万代に又八百よろつをかさねても猶限なき時は此時
殿下忝なき余りに頓て御返し
言葉の浜の真砂い尽るとも限りあらしな君か齢は
主上を始奉り、各当座あり、
十八日
還幸の御もよほししきり給ふ、殿下御残多けに見えつゝ、御前に参上有て、頓又可㆑奉㆑成㆓行幸㆒旨献々の御いはひ、行幸の日の前駆の例にまかせ沓を引、馬上には轡つらを動し、いとしつかなる還幸也、伶人還城楽を奏し奉る、おりにふれて其調へゆるやかに、上代の事思ひやられにけり、高蒔画
或曰今度之行幸の濫觴、去年の春より、博陸不㆑浅おほし入給ひしか、其験にや侍りけむ、去十日まて淋雨なりしか、十一日より廿日まて、快霽にて有し事、誠に天心にかなひ給へるかな、有かたきことなんめりと、人皆かんしあえりぬ、殊更洛外に至るまて、回禄の災もなく、罪をおかす人も見えす、奉行職事等も異故なくいみしかりし極幸なり、
此程打つゝき天晴風おたやかなりし事、天津御神の深きめくみにやと殿下悦ひ給ふて、三首かくなん、
時をえし玉の光のあらはれて御幸そけふのもろ人の袖
空まても君か御幸をかけて思ひ雨降すさふ庭の面哉
御幸猶思ひし事の余りあれは帰さおしき雲の上人
初は行幸の事いと目出 還幸なし奉る事、ひとへに十和か壁のあらはれ出し、幸の如し、中は風雨の故障もなかりし事、おろか心の天心に合ひ給ふにやと、感し給ふとなむ、後は宋太祖趙普第に幸せし、勧盃をしたふ心にや、
はゝかりかろからされ共、
禁中院御所へ、此短冊進上し給ふ次に、三奏へ書簡有、其辞曰、
【 NDLJP:353】今度奉㆑成㆓行幸㆒義、辱次第強及㆓言上㆒事、還
四月廿日 秀吉
菊亭殿 勧修寺殿 中山殿
即被㆑備㆓於 叡聞㆒之処有㆓ 御感㆒、御返しあり、
玉をなをみかくにつけて世にひろくあふく光をうつすことの葉
かきくらし降ぬる雨も心あれやはれてつらなる雲の上人
あかさりし心をとむるやとりゆへ猶かへり(るイ)さのおしまるゝかな
院御製
うつもれし道も正しき折にあひて玉のひかりの世にくもりなき
古人之云、和歌に治世の音、乱世の音共に在となむ、御製并殿下之御詠歌等、変風体を去て、就㆓正雅之体㆒豈非㆓乎治世之音㆒哉、上達部殿上人、咸効㆓於其体㆒、よを祝する御返し侍りしなり、廿一日には、摂家門跡雲客等、聚楽に候し給ひて、今度之 行幸千秋万歳之祝望なと、宜させ給ふて、進物取々に侍りしを、御対面ねむころにして、進物は皆辞し申されけり、古き 御幸のためしなと、聞伝ふるに、今般のやうなる、美々布事は終になかりしとなり、行幸
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