モイセイ及びその後嗣者イイスス ナウィンの後、所謂イズライリの判官の後サウル イズライリ人の王となり、其廃さるるや神は善行ありて義なる王、預言者を起せり、彼は聖神の感応によりて、其生国の言語に特有にして精緻なる言を以て録されたる百五十篇の聖詠書を編めり、而して此書は多様の音声、種々なる楽器と舞および附歌と偕に巧妙なる調子にて歌はれたるものなり。ダウィド自ら琴を弾じ、又其統御の下に小預言者等の種々なる歌隊を有せり、彼は預言者等と交りし人々を斯く名づけ、又時としては預言者の子等とも名づけたり。彼等は種々の楽器を有てり、或は鈸、或は笛、或は鼓、或は角、或は琴と線琴、或は牧笛と称へられしものを有てり、又歌隊毎に長あり、或者は「アサフ」と名づけられ、或者は「イディフム」と名づけられ、或者はコレイの諸子、或者はイズライリの「エファム」と名づけられ、或者は神の子モイセイの名を以て称せられたり。斯くの如くダウィドは民の俘虜となりしこと、或は其帰国のこと、或は徳義上の教、或は神の照管、或は主宰ハリストスのことを報ずるに精神の興奮したる時、精緻なる言語を以て聖詠を作れり、故に各聖詠は皆適当なる内容を有せり――然れば短き聖詠あり、長き聖詠あり――ダウィドはこれを或歌隊に授けたり。若し彼聖詠の中間に止まり、又聖詠の次の部分を他の歌隊に交附すべき事を示したる時は、聖詠の斯くの如き継承を『更調』と名づけたり。然れば彼が聖詠の中間に、之を所謂牧笛に交附せんと欲したる時は之を「オ デイ ディア プサルマトス」と名づけたり、何となれば笛は交々聖詠の残部を歌ひ始めたればなり〔聖詠九の十七〈詩篇九の十六[1]〉〕。此事に就きて知らんと欲せば、歴代志略の例によりて知ることを得べし、其中にダウィドは預言者『アサフの手にて』此歌を歌ふことを『定めたり』〔歴代志略十六の七〕と録されたり。第一の歌隊が他の歌隊に聖詠を交附したる後、次の歌隊或は各唱歌者は別々に、或は皆偕に愉快に一致して、一唱歌者は其組の他の唱歌者に対して歌ひ、又或楽器は更々他の楽器に対して奏し、歓喜悦楽して神を讃美称揚するが為に聖詠を歌へり。此事に就きてはダウィド自ら約櫃を異種族より奪還へして其前に躍りたることよりして決定することを得べし、而してその妻メルホラ ダウィドを責めし時、彼は『我主の前に楽を奏して躍らん』〔第二列王記六の二十一〈サムエル記下六の二十一〉〕と答へたり、彼は啻に止めざりしのみならず、之を一層大なる熱心を以て為さんと欲する心掛を表言せり。或者は事の順序と本質を熟知せず、又之を知れる者に学ぶことを望まずして、之を以て譬喩なりとし、凡ての聖詠はダウィドの作にあらず、聖詠の中に其名の明記されある人々の作なるが如しとさへ論ずる者あり。然れど主も使徒等も或他の記者の作なりとは云はざりしなり。然れば聴衆が構造に就きて明に画かんが為にダウィドを座する者とし、而して其前に右に左に歌隊あるものとして画かん。次に吾人は彼が主の経綸のこと、其人性による苦と復活の事を預言せる聖詠に就きても云はん、即ち組織の種類と表言の形式により多種各様なるを顕す所の聖詠に就きて言はん。彼は又確に主が神性によりて永遠なること、世界の造物主、全世界の革新者たること、又神は神啓の全聖書の目的を成す事を告げたり。イディフムの歌隊、コレイの諸子の歌隊、イズライリの「エファム」の歌隊、「アサフ」の歌隊、及び神の人モイセイの歌隊は――是れダウィドの統御の下にありて種々の楽器を奏し、聖神の感応を得て録されたる百五十篇の聖詠を祝ひ楽み歌いて神を讃栄せし諸預言者の歌隊なり。
聖金口イオアン全集第五巻 聖詠講話中編
- ↑ 投稿者註:詩篇(9:16)の文末にある「ヒガヨン、セラ」についての解説と思われる。
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原文:
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この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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翻訳文:
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