- 主の諸僕、主の家に立つ者よ、今主を崇め讃めよ〔一節〕。
一。 爰に預言者は己の説話に美しき結局――讃美と祝福とを與へつゝ『登上の歌』を終らんとす。彼は承認によりてのみならず、生活の模範によりても主の諸僕の斯くの如き者たらんことを欲す。是によりて彼は『主の家、我が神の家の庭に立つ者よ』と附加へたり。不潔なる者穢れたる者は聖なる墻の内にすら入ることを許されざるなり。然れば入ることを許さるゝ者は祝福をも受くることを得。神の家は天の如し、此処には如何なる反対の力も入ることを許されざるが如く神の家にも亦然りとす。
人よ、爾は如何なる位を得たるか、又爾は自ら〈神の〉家となりたるによりて如何なる潔浄を守らざるべからざるかを想像すべし。如何にして爾は潔浄を守り得るか。爾若し凡ての悪念を排斥し、己が思想の領分を悪魔の勧告の為に堪へざる者となし、近寄るべからざる聖所の如く常に己が霊を飾りなば霊の潔浄を守り得べし。若しイウデヤ人の聖堂の或個所は祭司等のために、或個所は祭司長のために、而も之さへ常に入ることを許さるゝにあらず、一年に唯一次入ることを許されたりとせば、當時至聖所が有したりしよりも遥かに重大なる意味を受けたる爾は、如何なる聖を有すべきかを想像すべし。爾に住するはヘルウィムにあらずしてヘルウィムの主自らなり。爾の受くるは壺にあらず、「マンナ」にあらず、石板にあらず、又アアロンの杖にあらずして、主の体と血となり、文字にあらずして神なり、人の理解に勝る恩寵、云ふべからざるの賜なり。而して爾が多くの休徴及び畏るべき機密に堪ふる程大なる聖は爾より要求せらる、又若し誡められたることを犯さば、益々大なる罰に服されん。
『夜中爾の手を挙げ、聖所に向ひて主を崇め讃めよ』〔二節〕。或訳者は『聖所』を『聖にして』となす。彼は何の為に『夜中』と言ひしか。是れ吾人に一夜を睡眠の中に送らざるべきを教へ、及び其智慧の最も快活にして掛念の最も少き時は祈祷の最も純潔なることを示さんとてなり。若し夜中聖所に行かざるべからずとせば、此際家にありて祈祷を行はざる者は其罪を赦さるべきかを想へ。預言者は爾を寝床より起して聖堂に連れ行き、彼処に夜を送るべきことを命じたり、然るに爾は家に止りつゝも之を為さゞるなり。『聖にして』と云はれたるや宜し、即ち之を以て悪念、怨恨、貪慾、其他霊を滅すの罪を懐かずして祈祷すべきことを勧説むるなり。『主を崇め讃めよ』。完全なる讃美は殊に行の言と一致する時、爾が福音の言、即ち『爾の光は人々の前に照るべし、彼等が爾等の善き行を見て、天に在す爾等の父を讃栄せん為なり』〔マトフェイ福音五の十六〕てふ言に従ひ、行にて爾を造りし神を讃揚する時なり。
『天地を造りし主はシオンより爾に降福せん』〔三節〕、即ち爾若し斯くの如く夜を送り、聖にして祈祷し、主の家に立つに堪へ、己を必要なる堂となさば自らも亦神の降福を受けん。斯くの如く預言者は必要なりし教誨を授けて祈祷を以て説話を結ぶなり。勧告を以て聴衆を矯正し、祈祷を以て之を固むるは非凡なる教師のなすことなり。彼は『シオンより』てふ言を以て何事を言ひ顕さんと欲するか。此名はイウデヤ人の大に希望せる所なり。凡ての聖なる儀式は彼処に於て行はれたり。之によりて彼はイウデヤ人が復び以前の社会を建設して同じく聖なる儀式を行ひ、斯くの如き降福を受けんことを祈るなり。次に彼等を最も高尚なる観念に高め、神は何処にも在せどもイウデヤ人の弱きによりて聖堂を建つることを許し、及び到処に於て彼を呼ぶべきことを教へつゝ『天地を造りし』てふ言を附加へたり。
イウデヤ人は己の聖堂に於て神を呼びしと雖も、吾人は凡ての場所、凡ての国、家に於ても、市場に於ても、曠野に於ても、船中に於ても、旅店に於ても其他如何なる処に於ても神を呼ぶなり。唯霊だに祈祷に適合する時は、場所の如何は毫も祈祷に妨げざるなり。吾人の為めに困難なることを容易なるものとなし、便利なるものとなして吾々衆人が光栄権柄の今も何時も世々に帰する吾人の主イイスス ハリストスの恩寵と仁愛とによりて受くべき未来の幸福を吾人に得しめん。アミン。
第百三十三聖詠
- 登上の歌。
- 1 主の諸僕、夜中主の家、我が神の家の庭に立つ者よ、今主を崇め讃めよ。
- 2 爾の手を挙げ、聖所に向ひて主を崇め讃めよ。
- 3 天地を造りし主はシオンより爾に降福せん。
詩篇第134篇(文語訳旧約聖書)
- 京まうでの歌
- 1 夜間ヱホバのいへにたちヱホバに事ふるもろもろの僕よ ヱホバをほめまつれ
- 2 なんぢら聖所にむかひ手をあげてヱホバをほめまつれ
- 3 ねがはくはヱホバ天地をつくりたまへるもの シオンより汝をめぐみたまはんことを