諸物価の下落を計る平野町出火初物を売れる者成敗せらる不如法の僧多く召捕らる穢多の成敗盗賊横行す初南瓜を買ひて罪せらる与力同心の雑鬧江戸の不景気隠目附横行京都の耳目伏見奉行の倹約令施行方法尾州侯の倹約令励行方法将軍密に出行す江戸よりの来状の写瓦屋根にすべきこと相村なる者の意見書稲葉丹後守内乱の理由改革令と江戸改革令と京都改革令と大坂倹約令と商業改革令と長崎大坂商人と長崎商人綿服に就いて再び禁止諸商人哀訴す制限の下に禁制をゆるむ直下げ上二割引にて売買す株問屋に布令唐紅毛物売買を許さる貨幣の価値を高めんとす貨幣買上の影響諸物価一覧直下げの出来ざる物に対する処置銅座支配銅細工に就いての口達金利引下げの布令改革に就いての戯書菊池出羽守上書六郷兵庫頭譴責せらる江戸よりの御触書江戸よりの触書の内意米価騰貴諸国洪水物価引下げ令の影響諸国大坂へ廻送せず町人日用品に事欠く古物商繁昌す伊達陸奥守参府伊達陸奥守と跡部能登守と行逢ふ両侯宿を争ふ
右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
六月三日石見遠江 北組 総年寄
【平野町出火】六月朔日、平野町の失火、火元不埒の事にて、己火出せしにあらざる由申募り入牢し、火消人足の中にて、又所々へ挿火致し、其中にて火を広げし由にて、火事半ばにて十人計り召捕られしといふ。【初物を売れる者成敗せらる】又先達て時節外れの初物を売り候事、御制禁の触ありし事なるに、天満市側にて冬瓜を売り、御城代の手にて之を買取らせ、町奉行へ御沙汰あり。市の側にて商ひし者三人、之を作りし百姓、何れも手鎖にて町に御預けとなる。【不如法の僧多く召捕らる】又前にもいへる如く、不如法の坊主等追々に召捕られて、其の掛りの梵妻・遊所等仰山なる事なり。又五月下旬より穢多の素人に紛込み、市中住居せる者共、追々に御詮議ありて召捕へられしも少なからず。又風を喰つて出奔せしも仰山の事なりといふ。又不頼の悪徒・盗賊の群に入りしも、少なからざる事と思はる。所所方々へ押入りせしといへる中にも、【穢多の成敗】心斎橋北詰の家へ入りし賊などは、門口を打
【京都の耳目】京都にて市中は言ふに及ばず、不如法の僧侶又市中に紛込める穢多の類、大に狩立【 NDLJP:59】てられて召捕らる。西本願寺不如法の事廿五箇条、東本願寺に三十三箇条、公儀より御察度入り、大に内乱騒動をなすといふ。其の外困窮人と見えて、首縊・捨子等至て多く有㆑之。又町□□□といへる禁裏の御取次を、親不孝なりとて、御附武家小笠原 之を召捕りて、所司代へ引渡す。一応の伝奏へこたへもなく、我意に募りし振舞なりとて、関白殿下之を怒り給ひ、直に小笠原 を追下しになりしといふ。 【伏見奉行の倹約令施行方法】伏見奉行には質素倹約の御触出しにて、之迄諸人驕に長じ、分限不相応の衣服を著用せし事なれば、今俄に綿服など拵へ候ては、差当り難儀せる者共多く、之迄心得違ひとは申しながら、今又俄に物入りをなす時は、定めて困第すべき事なれば、之迄通りにて当年中差免し置くべし、夫れ迄に之迄の絹物等を著潰し、其の内に心掛け追々に拵ふべし。来年に到りては、厳しく差止め候間、其の旨相心得候様にと申付けられしといふ。斯様の御触なるにぞ、京・摂の厳重なるに引替へ、伏見計りは却て平生よりも目に立ちて立派なりといふ。又伏見にて七十二箇寺之有る寺々の僧等、一人も不如法ならざるはなし。其の内にて三十余箇寺を選出し、之を門前払ひとし、其の余は之を宥免す。之等の計らひ方総て面白き取計らひなれども、余りくだくだしければ之を略す。
【尾州侯の倹約令励行方法】尾州は至て厳しき事にて、衣服は云ふに及ばず、笄・簪の類も真鍮は金に紛れ、四分一は銀に紛るゝ故、木竹にて拵へしならでは、さすこと相成らず、他国よりして入込み住居せる者を悉く追返し、金銀の類他邦よりして取込む計りにて、聊も他へ出す事能はず。百姓は大家の主たりとも、雨天に傘・下駄を用ふる事を禁ぜられ、妻子とても同様の事なりとぞ。近々軍が始まる抔とて種々の風説をなす、宜なる哉。金銀品物は他邦より取込む計りにして、品物の価は言ふに及ばず、是まで取引きせし先々へも、聊の金銀をも取込みて返さざる故、種々区々の風説のみにて、至て騒騒しき事なりといふ。
【将軍密に出行す】江戸に於ては、折々将軍様にも御忍にて、僅に十人・十五人位の人数にて折々市中を御歩行あり。火事場等へは皮の火事羽織にて御出であり。密に磔を見物し給ひ、鎌倉へも纔の御供にて御越あり。所の庄屋へ手自ら御菓子抔を下されし事等もあ【 NDLJP:60】りしといふ。如㆑此なる事故、市中大に恐怖をなし、至て物淋しき事なりといふ。又鼈甲の櫛・笄・刺物等、江戸中の町家より御取上になり、北町奉行遠山左衛門尉眼前に於て、悉く微塵に打砕き捨てられしと言へる事、委しく阿波の屋敷へ申来りしとて、其の噂を聞きぬ。
江戸よりある人の方へ申来り候書付の写【江戸よりの来状の写】
壱番組より弐拾番組まで〈市中世話掛り名主、但し何商売何部の組、名主掛りに相成り候て、見廻り候事〉
番外新吉町・同品川門前〈名主〉
【瓦屋根にすべきこと】一、町々家作の儀、土蔵作り塗家等に致すべき旨、先年より度々触置き候処、年歴越経忘却致し候向も有㆑之哉、近来塗家造等は稀に有㆑之、柿葺多く、出火の節消防の為宜しからず候間、以来普請修復等の節申渡し候通り、土蔵造り又は壁家に致すべく、併し一時にて行届き申すまじく候間、先々表通りの分、追々土蔵造り壁家等に相直し、裏家の儀も柿葺の分瓦葺に致し候。是又往々は塗家等に相直し、造作も専ら質素に致し候。往還は勿論横町・裏町とも、猥に張出し候建出し一切致さず、都て形容に拘はらず、今般厚き御趣意の趣相守り、末々迄も行届き候様致すべし。右の通り南御番所に於て仰渡され候趣、逐一申渡し候間其居々迄、来る五日迄家主連判にて差出すべき旨、尚又申渡すべき旨、此段御逹し申上候以上。
右の通り仰出され候儀にて、当方
諸寺社内に有㆑之小家類取払ひ候様被㆓仰付㆒候に付、或人相村何某とかいへる者に是を咄し、小家掛けの者共嘸難渋する事ならんといへるにぞ、相村が答【 NDLJP:61】書。〈此の答書甚だ不文にして、至て拙き事なれども、当時の有様を知るに足りぬる故、之を捨てずして、此処へ記し置くなり。〉
「神事也。不㆑可入㆓於僧尼㆒、軽重之服穢輩者也。」則ち此の制札は、社家の門柱に之あり、大に忌むことなり。今上皇帝聖寿万々歳・征夷大将軍武運長久・天下泰平五穀成就の札、此は何れの神社にも奉㆑置なり。并に地子の除災を祈る斎場也。其本社に拝する柏手、神に奏する神楽の音に、放下師の
一、酒酔ひ心ならず不届仕り候者粗有㆑之候。兼て大酒仕り候儀停止に付候へど【 NDLJP:62】も弥〻以て給べ候儀、人々相慎み可㆑申候。
一、客等これあり候節、酒を強ひ候儀は無用の事、勿論酒狂の者これあり候はゞ、強ひ候者も越度たるべく候事。
一、酒商売仕候者、連々誠の用可㆑仕事。
元禄九八月半石甲斐
天保十三寅四月下旬頃より、大津辺酒給べ候儀、客有㆑之候とも、一人前一合あてより下さるまじく候との御触有㆑之候事。
謹思、人皇六十三代〈御諱憲平宝算六十三〉諡㆓院号㆒之始也。〈秦㆑称㆓冷泉院㆒〉及㆓天保十二辛丑年㆒、復古而為㆑諡㆓天皇之尊号㆒乎。此間之距八百七十五年、而爰受禅五十九度之格例、則将㆔改正而爰奉㆓大号㆒。光格天皇者也。天保十二辛丑年閏月勅尽云々人皇百廿一代今上皇帝〈御諱恵仁〉 今般叡慮之博台惟之厚而至㆓時于万物之復古改正㆒之、者王格之猶此哉、何況応㆑改㆓人事㆒者也。
〈〔頭書〕この文は、別して文盲なる者の物語り自慢にて、書綴りし事故、別して不文なり。されども之を記しぬるは、洒落・落首・悪口等を書記しぬると同じ事にして、当時の有様を知るに足りぬればなり。少しも浮きたる心にて書記せる事にはあらず。〉
【稲葉丹後守内乱の理由】前に記せる稲葉丹後守〈淀の城主当時御寺社奉行〉内乱の実説を聞き候ひしに、此の人の内室といへるは藤堂和泉守の娘にして、容貌麗しく至つて貞女なりといふ。然るに丹後守に妾ありて当年十四歳になれる娘あり。此妾大に悪心なる者なれども、よく丹後守を手に入れ、之を自由自在にする事なりといふ。丹後守は此の女に他愛なく魂奪れて、更に余念なき事とぞ。されども内室には之を恨むる事なく、只温順になして居られしに、ある時其妾内室の前に出しが、君寵に誇れる儘に、内室に対し法外なる過言せしに、内室は之を穏便にせらるゝ心なりしに、内室の附人常々彼が君寵に敖りて、内室へ対し無礼なるを憤り、斯る悪女を其儘になし置く時は、君家の為に悪しかりなんと、常より歎き思ひ居しに、斯る事に及びぬる故、其の人其の妾を刺殺し己も切腹せしといふ。然るに丹後守には、此の者心ありて忠義のためにせし事なりとは心もつかず、其の愛妾を殺せし事を憤り、こは定めて内室の嫉妬よりして、其の者に申付け之を殺させし者ならんと思ひ誤りて、内室を手討にせんとせしにぞ、内【 NDLJP:63】室は其の事にあらざる由、言訳けせらるゝと雖も、更に之を信用する事なき故、内室には自害をせられしといふ。役柄にも似合はずして斯る不始末の内乱ありしにぞ、忽ち御役を召上げられ、隠居仰付けられしといふ。藤堂家至ておとなしかりし故事なく、切に公辺を執成されし故に、事手軽く収まりしといふ事なり。
【改革令と江戸】昨年御改革に付て、七月以来度々質素倹約の御触之ありと雖も、何時の御触にも分限相応の文字ありて、一概に木綿計り用ひよと仰出され候趣にもあらざれ共、江戸は別して都会入込みの場所故、無頼の悪徒多く、売物・衣服等にて御法度に背ける者多くして、大勢召捕られ、夫々にお咎めを蒙りぬ。【改革令と京都】京都も同様の事なれ共、厳しく仰出されしは、三月上旬よりの事なりしが、同所は呉服商売の者至つて多く西陣の織屋を始め、呉服商人おもたる所になるに、厳しく之を止められし故、何れも大に困窮に及ぶ。別て織屋の下職をなして糸を繰り絹を絞り、鹿子を結ひ縫をなし、天鵞絨つみ抔して世を渡りたる者共、聊もなすべき業もなければ、何れも飢餓に迫りしと見えて、五月下旬に至りては首縊・捨子など至つて仰山の事なりといふ。【改革令と大坂】大坂は昨年以来質素節倹の御触ありと雖も、厳しき御停止となりしは、四月中旬の事なりしが、江戸・京都等の厳しかりし噂を、之迄篤と聞込みし上の事なれば、一統に大に恐れ、其の分限の差別なく、悉く木綿の衣服に更へしむ。呉服屋は絹・縮緬は申すに及ばず、何一つも商ふ品なければ、何れも木綿屋となりぬ。近来驕に長じぬる処より、裏屋の隅々端々に住める極貧窮なる働人と雖も、嚊は髪結に髪を結はせ、足には七八百位宛なる下駄・草履を穿き、一枚一筋の帯衣服も、絹・紬にて拵へ、天窓には鼈甲まがひの唐貝簪をさし、銀の簪一本なりとも持たざるはなく、夫は終日働をなして、二百文の銭をも儲け兼ぬる事なるに、その嚊は右の様にて終日門口に立ち、子ある者は之を引連れなどして、近所歩行をなし、徃来の人を眺めてそのよしあしを評し、空手にして毎日々々日を暮せし者多かりしに、此度の御触にて一衣一帯も之迄持てる者は、これを用ふることなり難く、遽に衣類の代りを拵へんとて、質屋に之を持行けども、絹・紬は御法度厳しければ、質屋にても之を取らず。さればとて之を売り代へんにも更に買ふ者なく、斯る身分の者どもへ金貸せる人もあらざ【 NDLJP:64】れば、何れも大に困窮すといふ、さもあるべき事なり。
【倹約令と商業】呉服・唐物器物の類其の外何によらず、金高の品々悉く停止となりし故、縫物屋・仕立屋・蒔絵師其他諸職人何れも渡世なり難く、七八人も手間を抱へて仕事せし縫屋も、召遣悉く暇を遣し、家内計りとなりて遽に煎餅屋となりぬ。余は之にて思ひ量るべし。其他遊芸の道具など商へる者は、之を以て融通する事なり難く、何れも
【改革令と長崎】長崎にては唐船持渡りの官物を、二万五千貫目とやらんの入札にて落札となりしかども、唐物商を御差留めに相成りし事故、何れも一統に当惑し、二万五千貫目の中三千五百貫目調達なり難く、上方の厳しき御触聞きぬる故、入札の仕直しを願出でしといふ。
【大坂商人と長崎商人】大坂に於て四軒の唐物問屋共は、是迄近来諸色高価にて、下地より持ち貯へる処の品物一向に売捌けざる上に、此度の品物引受けしとて、商はれざる物は詮なし。故に長崎へ積戻すべしと、長崎への引合になりし処、長崎も亦負惜しみ強く、何時にても積下さるべし、此方に於て九州の内にて勝手に売捌くべしと返事せしといふ。斯の如くいひやらば、長崎も当時官物入札の金さへ不納する程の事なる故、商ひ道開けなんと思ひ量りて、斯く言遣りしに、右の如き返答故之を積下し、九州地にて長崎の手元にて、勝手に売払ふ様になりては、再び此者共の引受けにはなり難く、其上払物など多くなりて、公儀の御政勢にもかゝりぬといふ。之によりて四人の者共より御奉行所へ伺ひし処、「羅紗・猩々緋其外何によらず武具・馬具等に使へる処の物なれば、先を見て之迄通りに手広く商ひを致すべき由」渡渡されしといふ事なれども、之を買へる者更にある事なしといふ事なり。【綿服に就いて再び禁止】又綿服の外はなり難しといへるにぞ、木綿にて縮緬にまがへる様に織出し、紅紫等にて種々の模様絞り等を拵へて、一尺に付て三匁位に商ふ様になりぬ。至つて不経済の事にして、少しも倹【 NDLJP:65】約の道理には当り難きにぞ、又御触有りて之を止めらる。奸商の利を貪れるの所行悪むべき事なり。【諸商人哀訴す】四月中旬本町呉服仲間一統よりして、総年寄へ歎き出でしに、廿三日に至り、夷中〔田舎カ〕よりの註文をば引受け、絹・紬・黒繻子の類は商致し候様、総年寄の含を以て言渡せしといふ。之に引続き古手仲間一統に歎出しにぞ、之も亦総年寄の含を以て、「医者・侍・出家其外にても、先方の人物を見て絹物の商すべし」と申渡されしといふ。同廿六日呉服町にては、年寄の宅へ呉服屋仲間を招出し、御上よりして紬迄をも御制禁仰出されしには無㆑之事なれども、【制限の下に禁制をゆるむ】大坂の人気として人の一間飛上れば、三間も五間も飛上りぬる人気故、斯の如く厳しく仰渡されしも、総年寄の思はくにして、斯の如く厳しくせざれば、行届き難しとて、斯くなりし事なり。故に「縮緬・羽二重に限らず、何によらず諸屋敷又は身柄の人より註文あらば、勝手次第に之を商ふべし。さりながら私は商売の事故、商ひは致し候へども、御求めなされ候ても苦しからぬ事にやと、よく念をおして商ふべし」と申渡せしといふ。又帯地屋を渡世せる商人、呉服屋の許されたりし噂を聞きて、商ひ致し候ても苦しからずや之を伺ひ呉れぬる様、其の町々の年寄へ願出でしかども、年寄共一向に之を取上げざりし故、御奉行所へ願出し候へども、御取上げなかりしといふ事なり。〈始め本町より伺出でし時総平寄より御奉行所へ伺ひしに、「江戸表より厳しく仰出されし事なれば、一応伺ひし上ならでは相成り難し。故に此の方は知らざる分にして、其方共の含を以て差し許すべし」と、御奉行より内意ありしといふ。帯地屋も総年寄へ願出でなば、憐愍の御沙汰も有之べきに、御奉行所へ願出でし故に、差止められしといふ。〉
【直下げ上二割引にて売買す】之迄相成丈けは、諸品物の直を下げし上にて、又悉く二割引に商ひ候様にとの御触有りしにぞ、之定年来過分の利を得し事をば思ふ事なく差当ら特著へし物にて眼前に損をなしぬる事故、何れも迷惑の様子なれ共、何れも是非なく二割下げになせしといふ。〈多くは御趣意を守れる様をなして、実は一向に引下げざる者多しといふ三井なども其の中なり之いふ事なり。〉十二文の豆腐十文に直下げせしに、二割以上引下ぐべしといへる御触に背ける事故、九文にて商ふべしと仰出さる。こは纔か十二文の豆腐を以て、其の割にして諸品を下落させんとの思召なるべし。之によりて豆腐九文となる。六月九日の頃迄金相場六十四匁以後にて、銭相場九匁一二分の間なりしに二割下げの仰出で候に付ては、銭の相場余りに安くして、下賤の働人共大に難渋する事なるべしとて、御奉行所より銭引立ての為とて五万【 NDLJP:66】貫御買上げになりしにぞ、忽ちに相場格外に引上げ、十二日に至りては銭相場十五匁五分となる。銀一匁に銭六十二三文位なり。又之によりて銘々銭を使はざる様になしぬる故、野菜其の外の商ひせるものを、人々買はざる様に致しぬる故、下賤の商人之によりて却て難渋し、働人をも雇はざる様に一統に倹約せる事故、大に下の困窮せる様になりしとぞ。銭の相場を引上げて下の難儀せるを救ひやらんとの、厚き御趣意なるに付込み、切りに銭を買込みて、己れを利せんと巧みぬる奸商共の所作と思はる。不埒の事といふべし。
【株問屋に布令】此度都て株札并びに問屋仲間組合等差止む。右に付売買筋の儀追て沙汰に及び候迄、先づ唯今迄の通り相心得べく候段、追々申渡し候分は格別、其余一般に株仲間相解き候口々の内には、先前ゟ其品限り年寄行司等相定め有㆑之分も少からず候へども、右体株仲間差止め候上は、年寄行司も差止め候儀は勿論の事に候へども、年来の仕癖に泥み、今以て年寄行司抔と唱へ候儀、之あるまじくとも申し難く候。さ候ては矢張仲間組合等相解けざる姿に相当り、以ての外の儀に付、自然心得違ひ、右様の廉有之候はゞ、是又早々差止め、以来決して相触れ申すまじく候。
右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅六月石見遠江 北組 総年寄
覚
【唐紅毛物売買を許さる】唐紅毛荷物とも、正銘の品は危ぶみなく売買致すべき旨、当四月相触れ候に付、町人共気配相開き、追々薬種類捌方相成り候趣に候へども、毛類・絹物類・草類等今以て売買相滞り候事の由相聞え候。右は最前相触れ候薬種・荒物類同様の儀に候間、あやしき品に之なき分は、是又危ぶまず銘々見込み次第取引致すべき旨三郷町々へ可㆓申聞㆒事。
寅六月三日
右仰渡され候趣、慥に承知仕候。依て銘々印形仍て如㆑件。
口達
【貨幣の価】此度諸色直段は勿論、都て細工手間其外日傭手伝ひ賃銭等に至る迄、二割以上引下【 NDLJP:67】げの儀相触れ候に付ては、【値を高めんとす】銭相場下直にては、其日過しの者共、取続方差支へ候趣相聞え候に付、銭相場引立ての為格別のわけを以て、銭御買上げに相成り、猶又両替屋共へも、右相場引立方の儀申諭し候間、素人にても聊か斟酌なく銘々引立ての心得を以て、存寄り次第買入れ申すべく候。
右の趣三郷町中へ早々可㆓申聞㆒候事。
寅六月十日
【貨幣買上の影響】是まで銭相場九匁一二分位にてすわり居候故、御奉行所へ銭五千貫文御買入に相成り、右の如き御触有㆑之候処、奸商共之に乗じ、一己の利益を貪らんとて、切りに銭を買込み候に付、次第騰りとなり、頂上十五匁五分となりて、一統に銭の始末をなし、野菜等をも買はざる様になしぬるにぞ、下々の商人之がために却つて大なる難儀となりしにぞ、銭を高買せし者御咎めを蒙りて、直に十匁一二分といふ事になりぬ。人気の不正なる事、誠に憎むべき事なり。
覚
【諸物価一覧】一、縮木綿にて紅絞染地共一反に付銀廿二三匁迄
一、綿博多・綿沙綾・女帯一筋に付銀廿四匁迄 一、越後縞一反に付銀四十二三匁迄
一、染色線子羽織地一反に付代銀廿五匁位迄〈但し衿其外切類も右直段の割合。〉
一、鼻紙袋銀十二匁位迄 一、提烟草入筒共銀七匁五分位迄
一、烟管筒銀五匁位迄 一、提巾著銀十匁位迄
一、袖烟草入銀三匁五分位迄 一、紙挟銀六匁位迄〈但右の類御制禁の切唐皮の外何地にても苦しからす候。〉
一、煙草入金物銀二匁二分位迄 一、紙入金物銀五匁位迄
一、烟管銀五匁位迄 一、簪類銀八匁位迄〈但右の品に金銀に紛ひ申さゞる様真鍮・赤銅・鉄等用び申すべく候〉
一、右直段より総て高直に売買致すまじく候。尤前書越後・縞羽織地等の直段の儀は、先づ柄により右直段に限り候儀にては無㆑之候間、其段相心得演舌書を以て達し置き候事。
一、右は二割相下げ候処の直段にて候。尤も店にて取扱ひ候ても苦しからず候。併しながら相弛めざる様心得方、夫々商人へ町限り申聞かせらるべき事。
【 NDLJP:68】一、銭相場格別引立候間、銀にて買入れ銭売致し候品は勿論の事、銭引立御世話有㆑之候儀を有難く存じ、相場に応じ弥〻正路売買致すべき事。
【直下げの出来ざる物に対する処置】一、元方直段不引合にて、直下げ相成らざる品は、其段御月番御役所へ申出づべきの旨、御触有㆑之処、申出候者も之なき由。右は遠慮に及ばず申出づべく候。自然右申出候儀、差控へ候はゞ、此方共より伺ひ遣すべく候間、其辺の処遠慮なく相心得候様諭さるべく候。
六月十三日
口達
【銅座支配銅細工に就いての口達】先達て問屋唱方の儀に付、御触達有㆑之候節、銅座支配・銅細工人共の儀は、追て沙汰に及び候迄、売買方是迄の通り相心得べき旨、相触れ置き候処、以後右の分も差構ひ無㆑之、諸事御触面の通り相心得、素人にても勝手次第細工致すべく候。右に付猶又一同心得違ひ之無き様致し御趣意の趣、固く相心得申すべく候。
右の通り町々洩れざる様可㆓申聞㆒候事。
寅六月
【金利引下げの布令】金銀貸付の利銀等引下げ方の儀、一歩半の利足にて貸付け候向は、右利足の二割以上引下げ申すべきは勿論、其余一歩半以下貸付けの分は、右割方に拘はらず、銘々歩下げ致し遣し候とも、随意次第に致すべき事。
寅六月十四日
【改革に就いての戯書】見世 線香も大がみなりはまじなはず 茶屋 言ひ訳に糸十筋ほど買つておき 花車 八方のねがひに紙屑つばながし 仲居 きびしさに赤前だれも白くなり 芸子 雑巾の
家並にみな商売をかき立ててあかりをてらす茶屋のあんどん
縮緬はならぬと衣装きし縞もどうぞおほめに見てもらひたい
人のため国のやまひにすゑる灸よくなる時をたのしみにせよ
【 NDLJP:69】そのためにすべてくだきる灸なればしばし
有がたい御趣意といつて頭かき
世間如㆓享保㆒ 衣類道具粗 鼈甲百目櫛 人形八寸雛
印籠無㆓梨地㆒ 緒〆禁㆓珊瑚㆒ 今春花見客 奢可㆑限㆓一朱㆒
御厳重御触能行届 天保全享保之春 至所町々風俗改
誰無㆓手拭㆒結㆓頭巾㆒ 羽織木綿袴小倉 窮々武士甚流行
皆伝剣術俄師範 皮鞘太刀引㆓地長㆒
菊池出羽守上書〈三月廿五日於㆓御殿中㆒御披露同廿六日御側役に御取立〉
上書の写
【菊池出羽守上書】夫れ天下の治乱は、奢倹の二つにありと申し候へば、御法令度々仰出され候はゞ、天下大に困窮に至り候。某不肖に御座候得共、存ずる所腹蔵なく申上候。此度御政事御改革仰出され、有難く承知仕候。追々諸国も質素相守り、風儀も改り有難き事に候へども、此頃諸政事細察に相成り、厳しき御触等出候に付、下々の者些の小事にて、重き御成敗に成行き候。実に政事を預り候役人の事に候へども、細々成り候へば宜しからずと存じ奉り候。恐れながら東照神君・有徳院様迄の御代、専ら御倹約仰出され、上下相応の分限相守り、御法度背き候者も無㆑之、実に漢の高祖は法三章にて、四百余年の大業を起し、秦の始皇は法令厳重にして、天下大に乱れ候。実に神君御定在らせられ候通り、兼役の人無㆑之様祈る処に候。且又京都は殊の外法令厳しきと承り、宜しからざる事と奉㆑存候。京都は主上御在所の地に候故、万事御触書にて宜しくと御定め在らせられ候の所、諸国一統の様に、万事細密に成行き候段、御察し願ひ奉り候。且又御先代御治世の時、度々内裏御造営の儀申上げ奉り候へども、一度も御取上げ無㆑之、実に五十年の年数も相立ち候処、御沙汰無㆑之、当御在所は度々結構の御修造有㆑之、追々当地は繁華に相成り候得共、京都は実に衰微に成行き候間、細密の御政事無㆑之様御察し願上げ奉り候。往古の御法令百ヶ条の御定に候へども、今は五六百箇条も有㆑之候。罰は年々に多く成り、賞は四五年に一度も無㆑之、些の小事も大罪と成りて、天下一統困窮仕り候。宜しく御憐察祈り奉り【 NDLJP:70】候。恐惶謹言。
当三月十六日御用番水野越前守様御宅にて、御名代梶川庄兵衛様へ御書付を以て成らせられし御達左の通り
六郷兵庫頭
【六郷兵庫頭譴責せらる】其方領分羽州金浦村石切職惣助は、贋金を拵へ、并に其方徒士菊地勘之丞方に居り候友吉、贋金と存じながら、徳用に泥み買取り遣ひ捌き、且同国塩越村百姓十右衛門贋金と存じながら捌き方の儀取扱ひ候に付、夫れを召捕へ御仕置申付け候。且又菊地勘之丞儀、其の筋へ届けも致さず、友吉を同居致させ置き候故、既に同人贋金買取り遣ひ捌き候次第に至り候に付、是亦御咎申付け候。領分にて右体公儀の厳禁を犯し候者有之候はゞ、早速召捕り仕置き申付くべき処、穿鑿方行届かず、其の儘に差置き候段、畢竟常の申付方等閑に相心得候故の儀と相聞え、不念の事に候。右に付御差控なされ御伺候処、御聞届け日数二十日にて御免有㆑之候。尤も会津様・二本松様も日数同様にて御免有㆑之仰渡されば、御同様の由承り申候。
江戸表より田舎町々在々へ御触書の写
【江戸よりの御触書】連歳世上一統奢侈に長じ、夜食住は勿論家雑具に至る迄、華麗なる品を相用ひ、農旨を怠り商ひを好み、悉く古風を失ひ、百姓の風俗宜しからず候間、奢を省き質素倹約を相守り、古来の風儀に復し候様前々より御触等之あり、関八州は文政年中御改革仰出され、村々取締り向御取極め有㆑之候処、何時となく流弊に至り、奢侈追々超過に及び、往々村々衰微困窮の基に付、先般厳しく仰出され之ある趣を以て、質素倹約の御触添へ有㆑之候得共、近年の風儀都て御触にても、当座の事に心得相用ひざる趣相聞え、以ての外なる儀、畢竟厚き御世話在らせられ候は、諸民其所の安居永続致させたき旨の御事にて、質素倹約相守り候へば、銘々其身の御助けとなるを、奢侈の心よりして、却て窮屈不便利に相心得相用ひざる故に、今般の仰出有㆑之次第に成行き候段、一同恐入り奉り候儀に付、都て前々より仰出され候御法度の筋は申すに及ばず、御改革の御趣意を相守り、万事銘々分限に応じ、音信贈答及び毎華麗・奢侈の儀無之様、質素倹約、享保・寛政度に相復し候様致すべく、右に付き村々【 NDLJP:71】取締方左の通り仰出され候。
【江戸よりの触書の内意】一、五人組前書の儀、村々御法度書付、月々又は農隙の節、小前夫々迄洩れざる様読聞かさすべく候事。
一、御歳貢金取りの勘定帳並に村の入用夫々揃へ勘定致し、辺々の小前迄見届けさせ、銘々印形取置き候事。
一、衣類の儀男女共麻布・木綿の外著すべからず。給・袖口・帯等とも、絹の類一切相用ひ申すまじき事、但し染色紫・紅梅色等は染むまじく候。其の外の色は都て形なしに染め可㆑申事。
一、食物の儀は常々雑穀を相用ひ、米猥りに食ふべからず。野菜物手作の品相用ひ、味噌・醤油も手前にて造り相用ひ候様心掛け、嫁壻取の祝儀、又は仏事等共、有合せの品を以て一汁一菜に限り、他所より魚類・野菜物等格別〔脱カ〕仏事等に酒は一切無用たるべく、祝儀・不祝儀も親類・組合・向三軒両隣と限り、大勢相集め振舞等致すまじき事、但し祝儀見届けの為、村役人一人立合可㆑申候事。
一、家作の儀も兼ねて成らざる儀は、普請・修復ともなるべき丈け見合せ、実に捨置き難き分は銘々分限に応じ、上木は決して相用ひず、華麗なる造作等致さず、襖張集めも上紙は用ひず、庭構へ等に無益の入用相掛け申すまじく候事。
一、金銀具御停止に付、櫛・笄・簪・烟管類、煙草入・紙入・鉄物其外金銀筋、蒔絵の笄・簪・鼈甲類とも一切相用ひ申すまじく候事。
一、草履・雪駄・下駄等の鼻緒に天鵞絨等一切相用ひ申すまじく候事。笠・日傘等木綿合羽・夏合羽とも、古来は在方にても決して相用ひず候品に付、以来古風の通り雨天の節は簑・笠、履物は藁・竹皮緒相用可㆑申事。
一、宿場商町の外在々村々に於て、酒屋・髪結床は決して相成らず候間、是迄有来り候共取払はせ、以来髪結床渡世の者、村方に一切差置き申すまじく候事。
一、在々村々店酒屋渡世並に煮売渡世の者追々相増し、百姓の風俗に拘はり候間、宿場商町の外は新古に拘はらず、渡世相止めさせ申すべく、桝売酒屋の儀酒造屋並に寛政年中より以来渡世致し来り候者は格別、其以来渡世相働き候分は、是【 NDLJP:72】又相止めさせ可㆑申、若し相用ひず渡世致すに於ては、密々御穿鑿の上急度御咎仰付けられ、且年古く渡世致し来り候者、身上不如意にて商売相止め候共、譲り受渡し相成らず候間、止めぎりに可㆑致候事。
一、質屋渡世の者追々相増し、質品篤と出所も相糺さず、盗物又は博奕場所、或は若者共持出し候品共を、猥りに質取り候趣相聞え候間、以来身元相応の物融通のため、質取り候はゞ、品物篤と出所を糺し、置人・受人両判を取り、質物預り申すべく、身元無之小百姓地頭所へも相届けず、内々にて質取り候趣も相聞え候分は、村役人は詮議の上質屋渡世相止めさせ、其の段請印取可㆑申事。
一、宿町の外、村々諸商人之あり候へば、百姓風俗に拘はり候間、古切商人・古鉄買、其外棒手商人等立入らざる様に相糺し、村内小商ひ致し候者、追々相減じ候様、執事往来端にて旅人の為に食物商ひ候者、温飩・切麦・素麺・蕎麦・饅頭并に豆腐の外、商売無用に致すべく候事。
一、在々国々綻て〔総てカ〕神事祭礼の節、式作り物・虫送り・風やぶり抔と名付け、芝居・見せ物同様の事を催し、衣裳・道具等をも拵へ、見物人を集め金銀費え候儀有㆑之由相聞え、不埒の事に候。左様の企渡世の者は勿論、其外とも風儀悪しき旅商人、或は河原者抔決して村々へ立入らせ申すまじく候。已来急度相守り、人集めがましき儀一切致さず、惰弱の風儀を相改め専一に心掛け申すべく、若し相背く者有㆑之に於ては、吟味の上急度可㆓申付㆒候。
右仰出さるゝ趣逸々当座の儀には(〈無㆑之脱カ〉)、質素節倹行届き奢侈を省き、百姓風儀立直り、享保・寛政度に復し候様相心得、此度仰出され候旨、□取小□〔マヽ〕の末々迄、洩れざる様読聞かすべく、聊か粗略等閑に相心得申すまじく、併し小前の者へも読聞かせ、印形のみ取置き、節倹・質素行届かず、是迄の風儀相直らざる村方之あらば、密々穿鑿の上急度可㆑被㆓仰付㆒者也。
天保十三年壬寅月日
【米価騰貴】廿二日卯の下刻より小雨、未の刻より雨、同下刻止む。東風吹く事甚しく、冷気にて暑中の如き事なし。廿四日曇、未の刻より雨、申の刻止む。東風吹き冷気甚し。【 NDLJP:73】廿七日晴、東風甚しく昨日より冷気強く、袷・綿入など著ると雖もなほ寒し。廿八日曇、午の下刻より小雨、申の刻より大雨、同下刻止む。冷気昨日に異ならず。先日已来右の如き不順の気候故、米価追々に高直になる。折々雨降りしかども格別の雨にもあらざりしに、【諸国洪水】廿三四日の頃には余程洪水にて、泥土の濁り甚しく、暫くは飲水に事を欠きたる程の事なりし。伊賀・伊勢等は大しけにて、洪水出で人家も余程流失せしといふ事なり。
【物価引下げ令の影響】先達て家賃・諸商売物利銀等迄、悉く二割下げに仰付けられしにぞ、何れも之迄過分の利を年来取込みぬる事をば少しも思ふ事なくして、遽に雷の落ちかゝりし如く大に狼狽困窮す。鴻池・加島屋を始め、其余天下に名だたる町人は格別、其余大家と唱ふる町人共は、何れも其の表向は豪家の如くに見ゆると雖も、其勝手向は外見の如くには非ざる故、何れも其の家々に持伝へたる掛家敷も、大体八九分通りは家質に入れて、之にて融通せざる者あらざれば、掛家敷の直段は百貫目の直段ありしも、八十貫目に減じ、十貫目に上れる家賃も八貫目となりぬ。之迄十貫目の家賃なるも、貧人又は不良の者など、借家の内々は何れにもありぬる事故に、家賃の不納少なからざれば、之にて二割位は常に不足なるに、時々家の普請又家質の利銀又町役等を引去りぬれば、漸く十貫目の手前にて五六貫目ならでは残りなき処へ、此度二割下げの仰出さる故、何れも大に困窮し、之を家質方へ流し渡さんと雖も、家質取れる方にても、始め百貫目の見込みにて、十分に金貸しぬるに、其家二割下げになりて、八十貫目の
【古物商繁昌す】島の内相生橋筋・密寺筋の南辺に、星店の如く古道具を並立てゝ商へる者一両人ありしに、次第々々に多くなり、月末に至りては道頓堀の北側、又千日前・長町三休橋筋所方に店出す。其中にても中橋筋・道頓堀等至て賑々しく、早朝より往来群をなして、夜二更過に至る。何れも難渋なる者共、銘々に其家々の物を持出して売払ふ事なれば、諸道具何かの差別なし。騒々しき事なり。之によりて心斎橋筋・順慶町等の常店は却つて淋しく、一向に商ひなくして、何れも大に困りぬる事なりといへり。
【伊達陸奥守参府】伊達陸奥守初めて入部、之迄は人数五六千、多き時と雖も七千人に過ぎざるに、此度は一万に余れる人数にして、別して華麗なる出立ちにて、諸人目を驚かせし行粧なりといふ。道中筋は前以て道中奉行発足して、止宿・小休等の案内をなして、夫々に宿割をなす。【伊達陸奥守と跡部能登守と行逢ふ】野州古河泊に当れる前日に至りて、跡部能登守〈大目附・御勘定奉行・日光御社参道中奉行兼帯〉日光御社参御用掛りにて参られしが、古河泊にて仙台の関札にも頓著せずして、脇本陣へ【 NDLJP:75】著せらる。之によりて本陣の主大に狼狽し、「前以て仙台侯より御案内之あり。明日は当所御泊りにて、御関札も有㆑之事に候へば、何卒御泊の儀は御免下され候べし。之より二三町計り脇にて、程能き寺の御座候へば、其寺へ御案内申すべし」と相断りぬれども、一向に之を取上ぐる事なく、「仙台が重きか公儀が重きか、篤と考へ見るべし。【両侯宿を争ふ】吾は公儀の御用なり、決して他へ移る事相成らず、一処になりて差支とならば、陸奥守を其寺へ遣すべし」と、公儀を
〔頭書〕此一件も疑はしき事なり。如何となれば太平の御代に当り、如何に跡部が不埒なりとて、野陣を張れる事なりとも、頻に鉄炮・石火矢等を打立てぬるを、領主・地頭より其儘に差置くべき様なし。不法なる跡部なれば、彼に対しては少も命なし。領主・地頭に対しては、不法にして命なき事と云ふべし。之も亦跡部が兄の虎威を借りて、我儘を働ける事は不埒千万なりと雖も、仙台本文の如くならば、地頭へ対し不法の事なり。地頭仙台へ其如くなさしめて、其儘に捨置きし事ならば、其罪逃れ難かるべし、此件信ずべからず。
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