京都所司代の訓諭華美の風俗を防止せんとす暴利を貪るを禁ず人倫の道を励ます所司代訓諭の条々倹約令の影響妾隠売女等を検挙す大坂僧徒の失態通貨引替に就いての注意問屋仲間に対する制限武家の家来なりと騙る者を禁ず大坂歌舞伎役者に諭す詐欺破産を禁ず張札浮説等に対する口達長崎心中稲葉丹後守閉門の風説日光社参に付御供命ぜられたる諸士水野の改革を諷刺せる千代穂久礼江戸より尺牘三味線の禁止芸人の取締大坂芸人江戸にて困窮大坂町中の倹約見積り勘定質素倹約にすべきをいろは歌にて示す御法度を薬語発湯に譬へて洒落を書く○夜廻見廻ハ四廻三廻ノ意ヲカヌ京坂の洪水麟鳳物語に記して太平を謡ふ禁止の条修を題材として作れる連俳寛政改革の触改の願文寺僧を取締る無届にて普請するを禁ず造作の広大を競はざらしむ許可通りの建物をなす事を諭す商人の取締大坂出火物価の下落を謀る医師を取締る医師の供に関する布令を進達す初物売買禁止に付ての再告覚書布達祭礼の服装天満天神神輿の規定住居祭礼の取締祭礼の際留守居を厳重にせしむ祭り喧嘩の取締祭礼の華奢を禁ず木綿織物に制限す普請修補に就いての口達竹木売買の制限本屋の取締質屋古物商取締右触出しに就いての添触
一、扇・団扇の手籠り候品。 一、女髷縊り紙にても・手籠候品又は目立ち候品類。
一、手拭・前垂等に物好きなる染模様の類。
一、挑灯の火袋紅の彩色、又は上の方墨にて塗り、其の外手籠り仕立てたる類。
一、花火線香類。 一、翫び人形類、小さく候ても手籠り候品。
一、女の履物の鼻緒に絹類を用ひ候儀、其外物好に拵へ候類、又は男女共塗下駄類。
一、生看・塩肴・野菜・干物類、其外何品に不㆑寄店商の品は、夫々直段札出置可㆑申候事。
一、男は日傘を相用ひ候儀、女は羽織を著用致すまじく候事。
右の類は勿論、この外手軽の品たりとも、無益の工手間懸り候品を仕入れ、売買致すまじく候。併し御所の御用等は格別の事。
【倹約令の影響】五月五日雨、辰の下刻ゟ止む。質素倹約厳しき御触れ故、衣服に事欠く者多きと見えて、道に歩行く者も至つて少く、世間至つて物淋しき事なり。偶に往来せる婦人の髪は、之迄髪結に結はせて自身結ひし者なければ、其の見苦しき事甚しく、外に出でざる婦人を見るに、家毎に何れも髪結ひしはなく、大抵は
【 NDLJP:29】【妾隠売女等を検挙す】妾・月囲ひ・隠売女等の御吟味、先月已来厳しくして呼出され、召捕られし者仰山の事なりしにぞ、之に
覚
【通貨引替に就いての注意】去る戌年御触達しの候・通り、百姓町人等金銀の品持扱ひ候儀停止に付、是迄心違ひ所持致し居り候分は、右品金銀座にて買上げ相成候間、不㆓隠置㆒差出し可㆑申旨、同十月中申渡し、夫々取集め差出候儀に有㆑之。然る処其節置所等不㆓相知㆒分、追て見当り候得共、後難を恐れ其儘隠置き、今以て差出遅れ候者も不㆑少哉に相聞え、重々心得違ひの事に候。其上此度質素節倹身分慎方等の儀、追々御触達の趣も有㆑之、旁々右出し遅れ候金銀具、早々差出し可㆑申候。右に付御咎の儀は勿論、及㆓察当㆒候儀も無㆑之候。尤大細工物の儀は何れ混り物も可㆑有㆑之候。就ては全正金銀相当の代銀にては、可㆑致㆓難渋㆒に付、先達て申渡候通り為㆓手当㆒、右代銀高に応じ、余分の銀子相渡し可㆑遣候条、聊にても金銀の品所持の者は、不㆓押包㆒、早々差出可㆑申候。若し此の上にも隠置き候儀、外ゟ於㆓相聞㆒は、急度可㆑令㆓沙汰㆒候。右の趣一町限所役人ゟ申諭し軒別に取調べ、差出方の儀は右戌年の振合を以て取扱ひ、当五月中差出し可㆑申事
寅五月八日
右被㆓仰渡㆒候金銀具の品取扱ひ候儀は、御法度の趣慥かに承知仕候に付、若し隠置き候由後日相知れ候はゞ、私共如何様とも曲事被㆑為㆓仰付㆒候、為㆓後日㆒判形仕【 NDLJP:30】仍て如㆑件。
【問屋仲間に対する制限】此度問屋唱方等の儀に付、御触面の趣を以て、都て株札并に問屋仲間組合差止め、同商売の者出来候共、決して差障り申すまじく、其の外委細の儀追て申渡し候上は、是迄右株仲間等より相納来り候冥加金銀の分、差免し候儀は勿論の筋に候得共、其儀別段不㆑及㆓沙汰㆒候ては、仕癖に泥み候心得違ひ候者可㆑有㆑之も難㆑計候に付、猶又此度取調の上左の通り
諸川船・綿市場・御用刎魚商売人・金銀延商売会所・真鍮箔打職・伊予砥石屋・大坂川浚冥加銀・傾城町水道冥加銀。
都て浜地并川岸通り、其他地所に付候冥加金銀の類、鳶人足頭受負冥加銀
右の分追て可㆑及㆓沙汰㆒候。其余兼ねて奉行所へ相納め候冥加金銀は、以来不㆑残不㆑及㆓上納㆒候。尤売買筋等の儀に付、当四月十六日触出し候品々は、先づ唯今迄の通り相心得、此後も猥りに取計らひ致すまじく候。
但本文の通り申渡候上は、是迄株仲間組合ゟ奉行所并夫々役掛与力・同心其他へ、年始・八朔等の礼相勤め候廉差止め候儀は勿論の至に候。
右の通り三郷町中へ可㆓触知㆒者也。
寅五月十二日石見遠見 北組 総年寄
【武家の家来なりと騙る者を禁ず】総て武家の家来の由申偽り、町家并芝居・遊所其他人立の場所等にても、嵩高に不法を申し、或は金銭等の無心合力など申掛け、事むづかしく巧がましき事共申威し候類の者も有㆑之候やに相聞え、不届至極に候。万一右体の者有㆑之ば、前々ゟ相触れ候通り、不㆑致㆓心得違㆒縦令御城代・足軽・中間又は町奉行の家来たりとも、少しも会釈なく其の所へ留置き、早々月番の奉行所へ可㆓申出㆒候。若又穏便に事済み候のみを存じ計り、内々にて少分たりとも金銭は勿論、何品によらず差遣し候者有㆑之候はゞ、追て吟味の上急度咎可㆓申付㆒候。
右の通り前々より度々相触れ有㆑之処相弛み、近頃武家方家来の由申偽り、芝居小屋・見せ物等無銭にて見物致し、又は町人ゟ頼まれ、木戸番への頼状認め、右町人共を無銭にて見物致させ、謝礼の品貰受け候類も有㆑之やに相聞え候得共、其所ゟ訴出候事【 NDLJP:31】も無㆑之、兼ねての触渡しを不㆓相用㆒に当り、不埓の事に候。右様不㆓訴出㆒に付、自然と悪党者致㆓増長㆒、市中繁昌の妨に相成り、一同の難儀に可㆑有㆑之、被㆓触渡㆒の通り訴出で、吟味の上御仕置申付け候は、一体へ相響き見懲しにも相成り、自ら市中穏に相成り、銘々安堵の渡世も先づ出来候道理に候条、急度可㆓相弁㆒候。右体悪党者有㆑之候ては、市中繁昌の妨にも相成り可㆑及㆓難儀㆒に付、御城内向町奉行所、其他地役人・中間・小者に至る迄、此度堅く相触置き候町人共の中にも、纔の木戸銭・桟敷代等を厭ひ、武家の足軽・小者等ゟの書状を頼み候は不正の至り、木戸番の中にも悪党者等馴合ひ、無銭の見物引受け、謝礼の銀銭分取り候族も有之候哉に相聞き、不届の事に候。夫夫相顕れ候時は、咎請け身分にも拘はり、町内物入り等相掛り、可㆑致㆓後悔㆒事に候。以来相慎み、右体の悪党者有㆑之候はゞ、如何様にも致し留置き、早々月番・非番の差別なく、最寄奉行所へ口上にてなりとも可㆓申出㆒候。其仕儀により誉め置き、又は褒美等可㆑為㆑取候。若し手向ひ致し候者、手強に取扱ひ、疵等つけ候共不㆑苦候。自然刃向ひ、疵負はせ候ては、捕へ候ても掛り合に相成り、品により咎を受け候様可㆓成行㆒哉、又は意趣等可㆑被㆑含哉、芝居・小見せ物興行主は仕儀により、引合に相成り、商売相休み候様可㆓成行㆒哉と気遣ひに存し、身構のみ致し候儀は、甚以て心得違に候。決して難儀に不㆓相成㆒様取計らひ可㆑遣、全く銘々身の為にも有㆑之間、其旨相心得木戸番の者へは興行主ゟ篤と申聞かせ、触書の趣違失なく可㆓相聞㆒旨、文政四巳年も相触れ、其後も同様の儀町々へ申渡し置き候得共、近来又々相弛み、兎角に無銭見物人等の儀に付、混雑に及び候儀間々有㆑之由相聞き候得共、其所より訴出で候事も無㆑之、兼ねての申渡しを不㆓相用㆒筋に相当り、不埓の至に付、此度御城内向町奉行所、其他地役人・中間・小者に至る迄、猶又堅相示し置き候。町々に於ても、先前の触渡の趣違失なく相守り、尋常の取計らひ可㆑致候。自然此後も等閑に相心得候様子於㆓相聞㆒は、【大坂歌舞伎役者に諭す】急度可㆑及㆓沙汰㆒候。大坂歌舞伎役者共慎方の儀、元禄年中以来追々申渡し置き候趣有㆑之処、何となく相弛み、見物人の贔屓に預り候儀に乗じ、身分をも弁へず、町在の者へ対し、不遠慮の振舞に及び、且つ芝居外の儀は素人同様に致し、少しにても華美の風体にて往来致すまじく候旨、兼ねて申渡し有㆑之趣をも不㆓相用㆒、平【 NDLJP:32】日美服を著飾り往来致し、或は町在に田畑・家屋敷等買持ち、身分不相応の歓楽を極め候に付、町方年若の輩抔其儀を羨み、態々彼等に懇意を結び、共々奢侈超過に及び候族も少からざる由相聞え、以ての外の事に候。元来右役者共は河原者と申す本意を忘れ、正業の町人共等に相混り候ゟ、右体惰弱の風俗に推移り候儀に付、此後右役者共は勿論、芝居掛りの浄瑠璃語、三味線其他鳴物渡世、又は人形遣ひの類町在に於て田畑・家屋敷等所持致し候儀差止め、芝居外にては、吉凶平日とも羽織は格別、上下・袴抔著用致し候儀不相成候間、其旨を存じ、銘々身分を顧み、愈〻相慎しむべく候。
右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅五月十二日石見遠見 北組 総年寄
【詐欺破産を禁ず】近年借金銀出入目安請金主へ、身代限り相渡し候身分不相応に衣類抔著飾り、人交致し、以前の家名再興との心掛も無㆑之、然のみならず借金銀済まし方遁るべき巧を以て、名前等取拵へ、扱の身代限り相渡し候者も有㆑之哉に相聞え、不届の至りに候。元来百姓町人共儀、代々の家筋等を其身の不覚悟を以て断絶させ候儀は、第一父祖へ対し不孝不本意の儀は残念に存ずべき処、其儀なく猥りに身代限り相渡し候段、人情に有㆑之まじき仕方にて、右様の不所存者は、急度人前を相憚り、格別に辛苦致し稼出すべき筈に候上は、身代限り相渡し候者、追て以前の家名を再興致し候迄は、向後男女とも平日藁草履の外、其余の履物は勿論、雨天の節は傘・下駄等相用ひ候儀差止め、簑・笠・桐油合羽等を著し往来致すべく、且銘々親類身寄の者方吉凶の場所へ列席致すまじく候。其上男は吉凶・平日とも、上下・袴并羽織著用不㆓相成㆒候間、其旨を存じ、銘々如何にも恥辱を弁へ、身代限り相渡し候儀を軽々しく相心得申すまじく候。自然此上にも右渡し方等の儀に付、巧の取計らひ致し候者有㆑之趣相聞くに於ては、早速召捕り罪科に処すべく候条、所の者共も兼ねて心を付、右体の族無㆑之様可㆓相改㆒候。
寅五月十二日石見遠見 北組 総年寄
口達
【 NDLJP:33】【張札浮説等に対する口達】都て浮説を申触らし、又は右様の張紙致し候族有㆑之ば、見付け次第捕置き訴出づべき旨、兼ねて申渡し有㆑之候処、此節町々に於て浮説申出し候者有㆑之候より、右に惑され多人数混雑に及び候儀にも有㆑之趣相聞え、不埒の至りに候。此後右申渡しの趣無㆓違失㆒相守り、右体の族及㆓見聞㆒次第捕へ置き、早々町奉行所へ可㆓訴出㆒儀は勿論、縦令人を集め候趣意の張紙、又は浮説有㆑之候とも、所の者等ゟ申達し候外は、決して頓著致すまじく候。自然人を誘引候者有㆑之ば聞捨に致し候て、其者も名刺し可㆓訴出㆒候。右張紙・浮説等に乗じ候ては、銘々自分の難儀に相成候儀に付、能々可㆓相心得㆒候。尤も末々身軽き者共へは、夫々家主・所の者等ゟ可㆓申論㆒候。
右の趣三郷町中不㆑洩様申聞け可㆑置事。
寅五月十二日
三月廿一日於㆓長崎丸山㆒情死【長崎心中】
清人 陣楊達 廿五歳
遊女 はつせ 十九歳
辞世 陣楊達
欲㆑語涙痕濡㆓錦筵㆒ 紅顔粉黛又応㆑憐 千年一夢一時尽 空成㆓北邙山上烟㆒
はつせ
今を世の限りとぞ思ふ底井よりわき出づるものは涙なりけり
〔頭書〕近来騒々しき世の中なる故、様々無量の事を言触らし、多くは浮説なり。此の一件も怪しき事にて疑しく思ひし故、長崎の人に尋ねしに、跡形もなき事共なり。少しく文才ある者の拵へし事なるべし。されども此の詩は至て宜しからず、妻の歌は詩に比すれば能く言ひなして、人情を尽くせし歌といふべし。
三月廿一日水戸侯御鹿狩の備立〈十二段の備なり。近来世間騒がしき時節なる故、定めて軍陣の調練なるべし。〉
一、壱番手、〈御城内乗出し〉弐千人・番頭〈旗持背負〉・槍〈二十五本〉大筒〈牛車にて〉・鉄炮〈五十挺〉・馬連〈二本〉・弓〈五十張〉・陣太鼓〈人足持〉 一、弐番手、三千人〈人数諸道具同上〉 一、三番手、三千人〈同上〉
右三組、場所にて一備になり相残り、いつゞき三組一手の様子。
【 NDLJP:34】一、四番手、三千人〈同上〉 一、五番手、三千人〈同上〉 一、六番手、三千人〈同上〉
先手物頭由見治郎右衛門〈持旗背負〉・鉄炮〈千八百挺〉・鉦・太鼓・槍頭〈槍千百張〉・狩頭〈弓千百張〉・旗奉行長田三郎右衛門。〈旗の紋葵、大小都合百本、外に五布長き三丈の旗一本。〉
一、七番君侯、御書院番頭〈七千四百人・御持旗・鉦・太鼓・龕灯を持つ〉 一、八番手、三千人〈万事六番手同様〉 一、九番手、〈同上〉
一、十番手、〈同上〉 一、十一番手、〈同上〉 一、十二番手、〈同上〉 跡押〈二万千人〉・山野辺〈金熊手の指物を背負ふ〉
右十二段の備、城内朝六つ半時ゟ四つ半時迄に繰出しなり。陣立の場所丸備の様子なり。一番の太鼓にて一二三の組繰出すなり。
一番手、太鼓を敲ち、旗を振廻し、大筒打つ〈尤石火矢の具に玉なし〉二番手・三番手右同様。
右三組一手に成り、それより敵方獣出る。歩武者手取に致し、御使番へ差出し、御使番早馬にて君侯へ言上。御使番七人。右残らず具足殊の外美事の由、人数の内緋縅の武者四人有㆑之由。
右鹿狩見物に参り候人より承り候儘書写し申候。前後相違も可㆑有㆑之候。只々あらましに御座候。以上
山城国淀の城主稲葉丹後守、当時寺社御奉行を勤めらる。四月に殿中に於て何か申分ありて、【稲葉丹後守閉門の風説】水野越前侯に手疵を負はせ閉門せられし由。又は家事大に乱れ妾の色に溺れ、以ての外の事なる故、其妻を家老何某といへる者刺殺し、自分にも切腹せしとも、亦奥方嫉妬にて自害せられしとも、自身疳癪を起して切腹せしとも云ふ事にて、巷説紛々として未だ実説を聞かざれども、淀の領中大に潜まり返りて、厳重に慎しめる有様なれば、何にしても宜からぬ変事出来せし事と思はる。
日光御社参【日光社参に付御供命ぜられたる諸士】
高家宮原弾正大弼・畠山長門守。
右は来年四月日光御宮へ御参詣の節、御先へ相越すべき旨、羽目の間に於て、老中列座、越前守申渡す。
御書院番頭浅野遠江守・本田日向守・菅沼伊賀守・石川大隅守、御小性組番頭土屋伊賀守・加藤伊予守・室賀兵庫・近藤石見守、儒者林大学頭、大目附神尾山城守、御旗奉行神尾豊後守・朝倉播磨守、百人組頭斎藤伊豆守・大久保彦八郎・土岐下野守、御【 NDLJP:35】槍奉行三淵土佐守・勝田将監、新御番頭大津主馬・土岐豊後守・米倉大内蔵、御持筒頭富田大内蔵・高木内蔵頭・高城清右衛門・長谷川修理亮・堀田主税、火消役水野式部・阿部靱負、中奥御小性仙石能登守・徳永伊予守・室賀山城守、御先手戸田久助・村越上総介・大前近江守・水野采女・井上左太夫・深津弥七郎・大井隠岐守・三牧宗四郎・三島下野守・篠山十兵衛・美濃部八蔵・本田筑前守・大島丹波守、御目附桜井庄兵衛・岩瀬内記・浅野金之丞・諏訪庄右衛門、御使番石谷鉄之丞・松平大膳・松下善太夫・酒井作右衛門・斎藤左源太・伊奈熊蔵・岡部主税・馬場大助・戸田能登守・松浦金三郎、御書院番組頭蜂谷左門・神谷八左衛門・佐々権兵衛・瀬名源五郎、御小性組与力浦山斧一郎・服部五郎右衛門・柳沢伊三郎・山村甚十郎、 御鉄炮方田附四郎兵衛、 御徒士頭酒井与左衛門・朝比奈治左衛門・平塚善次郎・大沢仁十郎・蜂谷勝五郎・遠藤近江守・柳沢八郎右衛門・小笠原平兵衛・柳原隠岐守・大久保与右衛門・松平藤十郎・石川太郎左衛門、 小十人頭田丸長門守・木村七右衛門・高林丹後守・本田左京・平岡与右衛門・金田帯刀、御納戸頭窪田助太郎、御鷹匠組頭内山七兵衛、姫君様方御用人格御馬頭消木又六郎、新御番組頭多賀大膳・団又右衛門・鈴木七郎右衛門、御膳奉行鳥居市十郎・中野金四郎・館野大四郎、中奥御番島田十次郎・長崎弥右衛門・朝倉賢治郎、両御番格馬頭諏訪部鎌四郎・曲木又兵衛、御納戸組頭深尾善十郎、御鉄炮奉行佐久間利太夫・河口市郎右衛門、御弓矢槍奉行稲尾録五郎・小林久助、御具足奉行前原弁蔵、御頭巾奉行中村又右衛門・中村藤左衛門、御賄頭岩瀬郷蔵、御馬頭鶴見七右衛門・大武藤助、御賄頭並岡太郎左衛門、 内山七兵衛組御鷹匠頭格御細工頭原田寛蔵、御膳所御台所頭森半蔵・伊庭久右衛門、馬医師桑原新五右衛門、御同朋頭萩野久阿弥、御数寄屋頭高田三郎
右同断の節御供衆を仰付くる旨、山吹の間ゟ菊の間迄並居列座同前、同人申㆓渡之㆒。
御目附御供榊原主計頭、御使番石谷鉄之丞・松平大膳・松平善太夫・酒井作右衛門。
右同断の節出御ゟ還御迄、当座の御目附仰付けらる旨。
御目附浅野金之丞、御使番石谷鉄之丞、飯御目附斎藤左源太・伊奈熊蔵、御書物奉行御供中山栄太郎、御先弓頭戸田久助・村上上野介、 御供御先鉄炮頭井上左太【 NDLJP:36】夫・深津弥七郎。
右同断の節、御先弓二組・御先筒二組定め、御供可㆓相勤㆒旨於㆓同席㆒堀田摂津守申㆓渡之㆒。
金一枚 御勘定吟味役村上幾三郎代根本善右衛門・御畳奉行格御作事下奉行御大工頭豊田省吾。
右同断の節、彼地道中筋為㆓見分㆒罷越候に付被㆑下㆑之。
御作事奉行銀十五枚高峰主水。
右同断
御徒士目附依田源十郎・笠原新左衛門・石川九十郎・御被官山田平右衛門・仮役長谷川藤次郎〈以上五人銀十枚づつ〉 勘定役加藤郡兵衛、大棟頭平内大隅〈以上銀五枚づつ〉
右同断
金三枚 御勘定岩崎権右衛門。
日光御宮其外取繕御修復御用相勤め候に付、被㆑下㆑之。
金一枚 御勘定組頭増田金五郎・御勘定岡本源之丞・土肥源右衛門〈以上銀十五枚づつ〉 支配勘定萩野寛一・青山太郎左衛門〈以上銀十枚宛〉
来年四月日光山御宮へ御参詣に付、道中筋・道橋等見分の為、御用罷越候に付被㆑下㆑之。
松平大和守。
右同行の節、彼地に於て勤番被㆔仰㆓付之㆒。
御祭礼奉行兼松平和泉守・青山大和守・本田豊前守。
右同断の節御供被㆑仰㆓付之㆒。
本田兵部大輔・酒井若狭守・戸田采女正・内藤能登等・〈以上四人在邑に付奉書を以て達す〉松平伯耆守・太田摂津守・本多中務大輔・松平市正・酒井石見守。〈以上二人在邑に付㆓以奉書㆒達す〉
右同断の節、御在山中彼地に於て勤番被㆔仰㆓付之㆒。
御勘定組頭村井栄之丞・石原孫助・佐藤十兵衛・増田金五郎、御畳奉行大平伊十郎、御勘定安田伝次郎・岡本源之丞・土肥伝左衛門・原田敬右衛門。
【 NDLJP:37】右同断の節御用被㆔仰㆓付之㆒。
日光御参詣三番の御供水野越前守・堀田備中守。
右同断の節在所へ御暇。
土井大炊頭、御留守真田信濃守、御供堀大和守、在所へ御暇大岡大膳正、御供堀田摂津守・遠藤但馬守、御留守増山弾正少弼・本荘伊勢守、〈以上両人於㆓御前㆒被㆔仰㆓付之㆒〉寺社奉行戸田日向守。
右同断の節、御成還御供宇都宮御泊の旨被㆔仰㆓出之㆒。
寺社奉行松平伊賀守、大目附初鹿野美濃守、御勘定奉行梶野土佐守・跡部能登守、御作事奉行堀伊賀守、御普請奉行池田筑後守、御目附佐々木三蔵・榊原主計頭、御勘定吟味役村田米三郎。
右同断の節御用被㆔仰㆓付之㆒。
表御社筆組頭森伝右衛門、同御右筆神沼佐兵衛・中島善三郎・檜原勇三郎・高木幾之助。
右同断
来年四月日光へ参詣御用取扱堀田摂津守。
於㆓同前㆒被㆔仰㆓付之㆒。
日光十七日名代控武田大膳大夫・宮原摂津守、御祭礼奉行井上山城守・林播磨守、廿日御名代〔〈控脱カ〉〕松平甲斐守・五屋采女正。
〔右〈云々脱カ〉〕
千代穂久礼
【水野の改革を諷刺せる千代穂久礼】ヤンレ引〻私欲如来引〻ー。抑、水野が工みを聞きネエ。する事なす事忠臣めかして、天下の政事を己が気儘に引掻き廻はして、なんぞといふとは寛政の倹約、倹約するにも方図があらうに、どんな目出たい旦那の祝儀も、献上の鯛さへお金で納めろ。あんまりいやしいきたない根性、御威光がなくなる。塩風くらつて
落書
芝居者食ふや食はずの堺町今日も越前あすも越前
謎
水野越前とかけて何と解く。
【 NDLJP:39】 上手の按摩と解く。
其心は 上下をよくもむ。
或人の方へ江戸より来り候書状の写
【江戸より尺牘】当地は御趣意にて、日々種々の事之あり、申上げ度く奉㆑存候得共、内々の隠密相廻り候由に付、私より申上候ても、万一故障の儀出来御座候ては、お互に恐入り存候間、風聞にても御趣意に付、仰出され候儀は更に申上げず候。悪からず御聞済被㆑下度候。
一、江戸表も此節は婦人の隠密御座候て、美なる衣類著用致し歩行致し、夫れを廻りの同心衆召捕り候処、元来美しき婦人が美なる衣服著用にて、同心衆に色目を使ひ、内々袖の中ゟ金子一二両も取出し、同心の袖へ密に入れ遣し可㆓相詫㆒候へば、色にかまけ、又金銭に目くらみ、其の場は免し遣り候事も有㆑之候処、翌日右同心を御吟味有㆑之、越度に相成り候て退役の向、又は尾張町辺に囚人を縄付にて、町内の会所へ廻り、同心衆頼まれ候間、夜中番致し居り候処、囚人申聞け候は、此度の御趣意を悪口申し、又非点を申聞候に付、其の咄に付家主・番人共も種々迷惑せられ候趣、又御無理抔と申聞候処、夜明因人は同心衆方へ相渡し遣し候て相すみ候処、昼頃御奉行所ゟ昨夜番人の者御呼出し、昨夜御趣意を悪口又非点の趣御吟味有㆑之候に付、番人共奉㆓恐入㆒、「何も申さず候」と申し候へば、昨日縄付の囚人肩衣著用にて、昨日は我斯様斯様申聞け候と被申候間驚入候て、一言も無㆑之候処、御吟味中手鎖被㆓仰付㆒候。
一、高利の金貸十八九人も召捕られ、手鎖御預け仰付けらる。
一、役者市川団十郎も、此節手鎖の御預けに相成居申候。其外役者共甚だ迷惑の様子に御座候。
一、江戸表髪結賃十六文に相成り申候。
高直の品売捌人
右の外廿六人高直の品売捌き候者召捕、戸閉め封印付、手鎖預仰付けられ候。右の外申上たき事種々山々に候へどは、重便に申上ぐべく候。
【三味線の禁止】三味線は法師・芸妓・芝居の外は弾くべからず。非人・乞食・素人に限らず、人家軒下に立つて、宮園・豊後・新内等唄ひ候に、何れも淫・奔情死等の事にして、大に風儀に相拘はり候事故、斯様の者共の所持せる三味線残らず御取上げに相成り、悉く焼棄てとなる。その焼棄てし灰さへも大なる山の形をなせしとぞ。又大坂より鞆太夫・文三抔いへる浄瑠璃語り・人形遣ひ抔江戸へ下り居りしに、【芸人の取締】素人付合ひはいふに及ばず、言葉をば交はす事も相成らず、金銀等貰ひ候事は猶更の事なり。草履も尻切れの外は履く事なり難く、【大坂芸人江戸にて困窮】総て素人に紛れざる様厳しく仰渡され候て、之迄江戸へ下り大に金儲せし事故、其の心得にて当春下りしに芝居をなせども一向に見物なく、一日に二百文の銭を儲くる事も難くして、日々の食物にも足り難く、大坂へ帰らんと思へども、路用の貸し手もなく、若し内分にても之を貸せる者は、厳しき御咎を蒙れる故、之迄贔屓せし者も、之に手出する事なり難ければ、非人風になりて、帰るにも帰られず、大に困りぬる由。大坂より往きたりし人、其の有様を委しく見て帰りしといふ事なり。
大坂町中倹約凡見積大勘定【大坂町中の倹約見積り勘定】
一、女髪結賃髪結に髪結はせたる女凡十万人と積り、一人前高下ならして下節季五百文宛に積り、銭五万貫文、一ヶ年に合せて三拾万貫文。
一、湯銭の直違 湯銭二文下り、男女凡二十万人と積り、一日に銭四百貫文、壱ケ月に一万二千貫文、壱ケ年に合せて拾四万四千貫文。
一、衣服直違 女の衣類老若貴賤平均して、一人に付三十目の始末、凡拾八万人と積り、盆・正月両度に、銀一万八百貫目。
一、男の羽織 紹縮緬・秩父の羽織を木綿布・麻にて、上下ならし一人前に廿目づつ凡拾五万人と積り、当夏計りで銀三十貫目。
一、女履物 老若・幼少、草履・下駄一人に付、四文目の違ひ、凡十八万人と積り、盆・【 NDLJP:41】正月両度にて銀千四百四十貫目。
一、男帯直違 是も博多をやめ小倉木綿、或は綿博多、貴賤平均して一人に付廿目づつ、凡二十万人と積り、銀四千貫目。
一、進物 五節句取遣・吉凶遣物一軒にて五十目遣ひにして、竈凡十五万軒に積り、銀五千貫目。
一、小遣 参宮寄合咄し・芝居は下直になり物見・遊山も何となく慎み、一人に月、弐拾目の始末、買数上下ならして凡十万人と積り、一ヶ年に銀弐万四千貫目。
凡右の銀銭目に見えずと雖、世帯が延びてあれば殊に有難い、御治世ぢや程に、一文
童蒙教訓質素倹約いろは歌【質素倹約にすべきをいろは歌にて示す】
原安春灯斎作
い いにしへの質素の風に立ちかへり幾千代長く相続をせよ
ろ 老若の男女こどももまよひさめ六十余州あんらくの御代
は はやりもの派手な
に 人間の道をまもりて貴賤ともにん相応にすぎざるぞよし
ほ 奉公人弟子下女小者それ〴〵に法の如くになりをつゝしめ
へ
と とりおきの衣類も岸縞無地紬とかくむかしの染色にせよ
ち 縮緬や綸子羽二重繻子
り 立派をば競ふ心をうちすてゝりちぎかうとくに帰れ人々
ぬ
る 類により茶人は数寄屋茶道具に類なき金のついえ多けれ
を 男だておほばに見せて驕りてもおちめは人の
わ わが智慧が人に勝ると思ふなよ笑れもする誹られもする
か
【 NDLJP:42】よ 欲深くひとにはしわく身をおごり世の食くへどわが食が減る
た 宝積む長者も質素守らねばたるの
れ 歴々となにが言はする身の得ぞ連県と建つ家はけんやく
そ そこに居るかともいはれぬ貧人は
つ 罪とがを包み隠せばなほ重しつくりし儘に懺悔せよかし
ね 懇に念入れてせよ我が家業
な なり形家の作りも昔よりならはしのまゝ手軽るきがよし
ら らくじんと人の許すは
む 無理気儘むくろばらたて胸わるく無慈悲無法は無類悪人
う うつりぎに浮々暮すうつけ者うその八百うりぐひをする
ゐ 田舎まで乞食芸者のまねをして市物造りの名をや恥ぢざる
の のら〳〵と後よ
お 驕りなば大身代もいつしかに惜しむしばやくうとろにぞなる
く 苦労して家業大事に働けばくもらぬ光り老いてかゞやく
や 約束を違へず義理もかゝざれば軈て用事が安く世にすむ
ま
け 倹約を守れば親の気もやすむげにけんやくは孝行のもと
ふ 不忠不義不孝不貞女不正直不量見にておのが身をきる
こ 心こそわれよからだは奉公人心やすめてからだはたらけ
え 栄耀をばからだにさせて心をば得ては失ふひとぞ多けれ
て 手の
あ 跡見ずに暮せばあとは山崩れあとよりさきの道も塞がる
さ さかづきに向へば薬飲むごとく酒をほどよく養生に飲め
き 気がきくの粋な派手なを
ゆ ゆするなよなりをゆすらず心をば
め 珍らしく目馴れぬ物を
町在奢物費物見立角力 |
大関東方分限不相応栄耀普請 |
前 役者の男前見に行く芝居凝 |
前 絞り鹿子縫衣裳 |
前 羅紗ふくりん鼻紙入れ |
行司 きいたふうのあづまつこ |
頭取 縮緬羽二重綸子の小袖 |
世話人 町人百姓劒術柔術稽古 |
勧進元金具銀具諸金物 差添人華美高直諸袋物 | |
大関西方泉水築山 関脇 高金の茶の湯道具 |
前 現になつて物ほつてやる角力凝 同 女郎芸子のまねしたがる娘達 |
前 越後上布絽のかたびら 同 ちりめん板締め緋のすそよけ |
前 すべて直高き腰さげ煙草入れ 同 細工めきたる持用きせる |
み 見る見まね人の始末を見る度に身を慎めば身の得となる
し しわんばうと始末人とを嚙分けよ
ゑ 縁組は柔和正直なる人をえらみてゑにしむすびそむべし
ひ 低う出て人に卑下するその人は日に〳〵人の引立てを得る
も 持伝ふ田地いへくらかけやしき
せ 精出して兎角世帯をつまやかに世間を張らず身を驕らざれ
す 住家をも家内我が身も大切に家ながかれと質素まもれよ
京 京お江戸大坂諸国や在町も今日ぞまもらんけんやくの道
抑〻此御触薬の儀は、寛政年中東武伝来無双の厳法にて、諸国一統流布の制禁なり。当時世上衣気増長の商多き故、此度相改め極上の役薬細吟の上、三都は勿論日本国中身分不相応の人々へ、知らせとして効能書左の如し。
一、第一おごりを止め、上をたゞし下のつかへを緩め、夫々職をすゝめ、内の憂ひを省き、金の出入を安うする故に、貧の病を治む事神の如し。
一、諸株の決したるを散じ、益〻金をゆるうし、米価増長を止め高直の油を安うし、酒ののぼせを引下げ、炭新の不足を補ひ諸色安うする故に、自然と枕を高うして寝むる事を得る。
【○夜廻見廻ハ四廻三廻ノ意ヲカヌ】一、貧に迫る人も早くこの
一、人気を正し、船の通ひをよくし、入津多き時は自ら諸品を引下げ、衣食住の三つを安うし、金銀の廻りを快くする事神の如し。
一、窃に隠れたる妾を追出し、里に色道を現はし、五体の虫を去る。
此外効能数多ありと雖も、そのあらましを記すのみ。尤も此薬を用ひて二三ケ月は窮屈なりと雖も、油を絞り職を進むに至りては、家内和順ならしめ富貴のもとなり。慎しむべし云々。
【 NDLJP:45】町廻りの外、一切とりつみ差出し申さず候。南辺に紛らはしきやくしや御座候間、御吟味の上にて御咎なさるべく候。
禁物
天鵞絨〈履物の鼻緒迄おしゝ〉・縮緬類〈但し綿類は苦しからず〉・諸絹物〈但売り又買ひもあしゝ〉・唐物類〈并に珊瑚〉・女髪結・鼈甲〈刺物〉・茶の湯〈高金の品を用ひず楽しむ計りはよし〉・遊里並に妾朝寝・芝居〈春秋両度軽くして手弁当にて行くべし〉・遊山〈上に同じ〉・大酒・遊芸〈嗜む計りにてよし過すべからず。〉・喧嘩・
差合
吝嗇・向不見・仁義を知らぬ。
用ひて功ある物
忠孝・善根・堪忍・倹約・学文・算盤・手習・神仏信心・上をおそるゝ。
本家調合所 碁恩州深木郡身余村 幸太井無量軒印 売弘所 大かた日本端一統曰 有賀泰平堂印 取次所 京治定諸色下る嬉し屋安兵衛印
此他御城下諸国津々に取次御座候。
【京坂の洪水】十八日洪水、中の島田簑橋上手ゟ以下、船津橋辺迄、南北共浜地一面の水と成り、北新地緑橋辺より以下は、水床を漫〔浸カ〕す程の事なりしが、下にて九条へ切れ込みしといふ。池田にては洪水にて人家九十軒余り流失。〈〔頭書〕京都洪水、常水より七尺、三条より下地形低き所、何れも水浸となり、加茂川・高瀬川一つになりて、堤大に損じ、竹田街道等は処々淵をなす、又堀川小川の辺も至つて水高く、堀川の上にて人家三軒崩れ流れしと云ふ。〉十九日先達より召捕られ候隠売・女月囲不筋の妾等、大勢新町へ流人となる。
咄し
【麟鳳物語に記して太平を謡ふ】麒鱗鳳凰の許に到りて曰く、「吾儕久しく山谷に酒み隠れ、世界に出でざる事数千年の今に至る。亀龍も亦然るなり。夫れ聖人位に在せば麟鳳・亀龍祥をなして其朝に遊ぶといふ。偶〻我同僚の麟、周の敬王の御代、魯の哀公十四年の春周室微なりと雖も、孔夫子の徳にひかれて浮々と魯の西郊鉅野といふ所に出でけるを、豈計らん吾儕の形常に衆人の知らざる故に、不祥の獣なりといひて、叔孫氏の車遣ひ鉏商といふ者に見咎められて打殺さる。夫子之を聞き給ひて、歎息して春秋を作り、獲麟の【 NDLJP:46】条に筆を断ち給ふ事普く世の知る処なり。しかるより以降数千年を経ると雖も、吾儕の世界に出づる期なしと思ふ処、今東方太平の御代久しく、聖人の政を行ひ給ふと聞く。太平久しければ万民歓楽に耽り、国恩の広大なるを忘れ、安逸に狎れ奢修に流るゝは、千古一徹の弊なればとて、之を憐み給ひ、厚く仁恕の政を施し、節倹を唱へ奢靡を禁め、質素倹約ならしめんとの令厳にして、衣服・器財に至る迄士農工商各〻其の分に処せん事を教へ給ふ、斯の如く上下倹を節にすれば、国富み家豊にして仁義五常の教へ立所に其の験をなし、万民太平の余沢に浴し奉り、此の上安穏に永久ならん事を導き諭し給ふは、実に広大無量有難き御仁恵、聖人位に在すといふ時到れり。吾儕今この期を過すべからず、麟鳳打連れて東方に渡り、聖朝の世界に出でて多年の鬱を散ぜんは如何に」と、いひければ、鳳凰欣然として之に応じて曰く「麒鱗の宣ふ処甚だ然り、吾もさ思ふなり。何ぞ之に同ぜざらんや。然し麟鳳・亀龍の四霊は離るべからざる者なり。先づ亀龍にも此由を告げて、然して共に行くとも遅かるまじ。」麟の曰く、「四霊一なりと雖も、吾儕は山野の主なり。亀龍は水上の主なり。其の上彼等を誘引せば河図を出し、洛書を出さん抔と云ひて、其の支度に手間取るべし。善事は急ぐに如かず。いざ疾く〳〵」と促しければ、鳳凰依然として、「我も支度あり、速に往き難し」といふ。「何等の支度ありや」といへば、鳳曰く。「我聞く、今東方節倹を令し、華美の姿を禁じ給ふ事、殊に厳なりといふ。我が羽翼五彩金毛の美質あり、我甚だ之を恐る」といふ。
ゆかりの月【禁止の条修を題材として作れる連俳】うしとみし流れのむかしなつかしや 質屋
かはい男に逢阪の関よりつらい世のならひ 白ゆもじ
思はぬ人にせきとめられて 小息子茶屋行
今は野沢のひとつ水 初物作百姓
すまぬ心の中にもしばし 茶屋・酒屋
すむはゆかりの月の影 御国恩を知る人
しのびてうつす窓の内 京西陣織屋
【 NDLJP:47】広い世界に住みながら 女髪結
狭うたのしむ誠と誠 茶人・法師
こんなゑにしが唐にもあろか 諸色安くなるを喜ぶ人
花咲く里の春なれば 新町
雨も香りて名や立たん 直下げの
【寛政改革の触改の願文】寛政の頃松平越中守殿、諸国遊女町華美の衣服并に櫛・笄等御差止の御触有㆑之候処、大坂新町茨木屋惣右衛門といへる者の抱への遊女直江と申す女、書付を以て願出し候処、尤に思召され、先前の通りに御触直しに相成候由承り伝へ候儘、付書の写。
乍㆑恐申上候
やんごとなき上様の御政事、下の下だる者迄御粋の明らけしその
迷はじな流れの末の身なりとも教へすぐなるみちしある世に
此文を出して、越中候へ差上げし時、直江年十八なりしといふ。
【寺僧を取締る】近来諸事寺院猥に其寺の本尊・什物・仏具并に建具抔書入れ、又は売渡しの証文を以て、金銀を借用致し候寺院数多有㆑之不埒に候。向後右の品質に入れ、或は売渡証文を以て金銭を借用致し候本人は勿論、証人迄も吟味の上急度申付くべく候。尤も金主の儀も右の品質物に取り売渡証文にて、金子を貸し候段不埒に付、金子済し方の儀につき訴出で候とも、向後は済し方申付くまじく候。
右の通り元文三午年江戸表に於て、寺社奉行ゟ諸寺院并に町方へ相触候れに付、本寺・役寺触頭などより、配下の寺院へ通達致し候儀に付、当表に於て前書の次第相触れ候儀無㆑之共、住職の身分にては兼ねて相弁へ罷在るべきの処、其の儀なく心得違ひの者有㆑之、近年猥に相成候趣相聞え、不埒の事に候。全く年久しく相成候に付、触渡しの趣忘却致し候か、或は相弁へざる者も有㆑之候哉、以ての外の事に候間、右【 NDLJP:49】元文度触渡しの趣、忘却致さゞる様急度相守り候べく、縦令右貸付返済相滞り、金主より出訴に及び候とも、済し方の沙汰に及ばず候。向後右の品質に入れ候か、或は書入れ金子借用致し、又は売渡し候者有㆑之に於ては、当人は勿論、判組・口次人・金主迄も吟味の上急度沙汰に及ぶべく候間、心得違ひ無之様致すべく候。
【無届にて普請するを禁ず】一、都て寺社家普請の儀、聊の事にても奉行所へ願出で、承届の上作事致すべき儀に候処、心得違ひの者有㆑之候哉、願出さず普請を致し、又は願出で候分も、願ひ通りと相違ふの作事致し候様なる儀も有㆑之趣相聞え、不埓の事に候。右体の儀有㆑之ば、急度沙汰に及ぶべく候間、心得違ひ無㆑之様致すべく候。
右の通り安永九子年触渡し置き候処、何時となく相弛み、追々増長致し猥に推移り願出でず、我儘に修復・再建・新築等致し、又は願出で聞届け候分も、普請の仕方願通りと相違の作事致し候向も有㆑之候趣相聞え、不埒の事に候。先年相触れ候より年久しく相成り候に付、触渡しの趣全く忘却致し候か、或は相弁へざる者も有㆑之故の儀と相聞え候間、前書触渡しの趣能く弁別致し、違失なく相守り、聊の普請たりとも願出で候上作事致すべく、且つ願出で聞届け候分も、願通りと相違の作事致すまじきは勿論、願済み出来立ち候はゞ、断出で候儀邂逅にて、如何の事に候間、出来立ち候はゞ等閑なく断出づべく、品により見分けの者差遣し候儀も可有㆑之候条、尤心得違ひ願出でず、修復・再建・新築等致し候分は、普請の仕方委しく相認め墨引・粗絵図相添へ、早々断出で申すべく候。近年所々火災に付、類焼に及び候寺社も有㆑之、追々再建断出づべく候条、右に付寺社普請の仕方一体心得違ひの儀、左に申聞け置き候。総て是迄有来り候寺社建物大造にて、其上修復を加へ候砌は、兎角他の寺社より見分よき様致し度き念慮より、手重の造作を好み候儀と相聞え、尤願書の如く御法度の作事は致すまじく候得共、彫物・組物に似寄り候儀相交る向も有㆑之由、さ候へば自ら高価の材木は勿論、【造作の広大を競はざらしむ】鉄物類職人工手間迄も格別手籠り、雑費多分に相掛り、無益の事のみに心を尽し候様に相成り、名聞競争の俗情に拘り候儀は、却て神仏の心には相叶ひ候まじき筋にて可㆑有㆑之候。此段は僧侶・神職等の輩兼々相弁へ罷在るべく候儀に候得共、修理等の儀は多分自力に及び難く、檀家・氏子・講中等の助力【 NDLJP:50】に任せ、無拠世俗の意に随ひ居り候類も之有るべくや、然しながら無益の費を弁へず、名聞の作事荘厳に相泥み候儀は有㆑之まじき事に候。勿論寺格・社格にて、従来大造の神事・法会等仕来り候類は、堂舎等も其の仕儀に応じ申すべき儀、之れ迄有来りの分は其通りの事に候へども、此後追々修理・再建の企致し候寺社の分、縦へ檀家・氏子・講中等に世話致させ候とも、別段の意味篤と申談じ、再建以前より成丈け手軽に致し候はゞ、諸入用も減じ、修理も早速に調度致すべき筋に候間、右等の儀よく弁別致し可㆑申候。尤も是迄願出で聞届け候寺社普請の中、自然檀家・氏子・講中等の勧めに泥み、他の寺社に劣るまじきとの、心得違ひの競争に拘り、【許可通りの建物をなす事を諭す】願通りに相違にて彫物・組物に似寄り候儀相交へ候か、或は間数等定法にはづれ候作事企て居り候向も有㆑之ば、兼ねて願済みの通りに相改め、御法度の作事紛らはしき儀無㆑之様可㆑致、右体教諭の次第触渡し候後、自然相背き、猥りの儀相聞え候に於ては、当人は勿論連印の者迄も、吟味の上急度沙汰に及ぶべき間、心得違ひ無㆑之様致すべく候。
右之通り三郷町中へ可㆓触知㆒者也。
寅五月石見遠見 北組 総年寄
右の通り仰出され候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候以上。
五月十一日
五月十七日仰渡さる
【商人の取締】市中商人共へ役場仲間、其他諸家仲間共銭さし押売致し候者共、近頃は別して横行に相成り、剰へ町家の者挨拶柄により、不法の振舞に及び候儀も有㆑之由相聞え、不埒の事に候。向後右様の所業致し候者有㆑之に於ては、見懸け次第召捕り候様、町奉行・火消盗賊改めへ申渡し候間、可㆑被㆑得㆓其意㆒候。
右の趣向々へ可被達置候事。
三月
右の通り従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中へ可㆓触知㆒者也。
寅五月石見遠見
【大坂出火】六月朔日晴、今、〔〈加脱カ〉〕丑の刻より平野町淀屋橋筋西角の家より失火にて、方一町余【 NDLJP:51】り、竈数二百七十余り焼失す。
五月廿九日御触
【物価の下落を謀る】諸色高直にては四民困窮の基に候に付、今度十組上金を始め、総て物価に拘るべき筋の上金類并に冥加を以て、御用相勤め候向の欠付、人足等迄残らず御免の上厚き御世話も有㆑之候処、諸色直段の儀、日用の品は追々引下げ候趣には候へども、品柄により一向直下げ等致さゞる分も有㆑之、或は品を劣らせ、掛目・桝目等減じ、いかがはしき売方致し候者も有㆑之やに相聞え、不埒の至りに候。右風聞の通り相違無㆑之に於ては、折角御世話有㆑之候御仁恵の御趣意も行届かず、直下げの詮も無㆑之候間、銘々御城下に安住致し、御国恩を以て無異に家業を営み候冥加の程を相弁へ、実意に立戻り、正直に渡世致すべく候。万一利徳に泥み、心得違ひの者も有㆑之ば密に役人相廻し買上げ置き、厳重の咎申付け候事も有之べく候。さりながら元方直段引下げ方の掛け合ひ行届き兼ね、無㆑拠直下げなり難き訳柄も有㆑之候はゞ、元方掛け合ひの書面等を以て、斟酌なく早々月番の奉行所へ訴出づべく候。さ候はば厳重に是又咎申付くべく間、一同時を移さず夫々直下げ、荷元等の掛け合ひ致すべく候。
右の趣町中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
五月廿九日
右の通り江戸より被㆓仰下㆒候間、当地の儀も同様相心得、日用の品は素よりの儀、何品にても直段引下げ方専一に相心得、元方へも掛け合ひ、成丈け下直に売買致すぺく候。別して掛目・枡目等の品は入念に取扱ふべく候。若しいかゞの儀相聞え候はゞ、急度沙汰に及ぶべく候条、心得違無㆑之様可㆑致候。
右の趣三郷町中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
寅五月石見遠見 北組 総年寄
【医師を取締る】近来医師の供方風儀一体に悪しく相成り、病家へ罷越し候度毎に、酒料或は弁当代等と唱へ、金銭を乞受け候由に相聞え候。病体に寄り候ては時刻并に風雨等の差別なく相招き、療治を受け候事有㆑之候に付、病家の心得を以て、供方の者共へ手当致【 NDLJP:52】し候を受納致し候は格別に候へども、供方の者どもよりねだりがましき儀、申出で候者有㆑之まじき筋にて、小身又は身上不如意の者は、其の療治受け候儀なり難く、右は畢竟家来の申付け方不行届故に候。以来右体の儀無㆑之様厳しく可㆑被㆓申付㆒候。
十一月
右の通り江戸より仰下され候に付、医師共へ申渡し候条、以後供の者病家に於て酒料並に弁当代乞受け候儀無㆑之事に候得共、万一申越し候者有㆑之候はゞ、如何様にも相断り、名差を以て月番の奉行所へ訴出づべく候。其の儀を厭ひ、申すに任せ金銭差遣し候者有㆑之候はゞ、急度御沙汰せしむべき事。
右の通り三郷町中へ可㆓触知㆒者也。
北組 総年寄
提げ札
【医師の供に関する布令を進達す】一、此度医師召連れ候供の儀に付、仰出され候趣、御役所に於て受印仰付けられ候処、多人数の儀に付、町々にて医師へ其旨相達し、印形致させ、来る廿八日差出さるべき事、
一、旅宿致し居り候医師の分は、宿主へ向け、御触書の趣、訳て委しく相達し申すべき事。
五月二十六日
【初物売買禁止に付ての再告】野菜物売買触の儀に付、新生姜・貝割菜迄も売買差支へ候趣に候。右は初者と申すにては無㆑之候間、唯今迄の通り売買苦しからず候。
右の通り江戸より仰下され候条、此旨三郷町中へ可㆑触者也。
寅五月石見遠見
覚【覚書布達】
【祭礼の服装】一、祭礼の時分、弥〻諸事軽く仕り、笠鉾にかけ候小袖并に帯小袋、又は吹貫・小旗・造物人形の装束等に至る迄、絹〔紬カ〕・麻布・木綿の外は無用たるべく、衣類・道具等に金銀の箔押すまじく、祭に出で候町人衣類、麻布・木綿の外著用仕るまじき事。
【 NDLJP:53】【天満天神神輿の規定】一、天満天神宮祭礼の節、神輿舁き候者、立願抔と名付け、大勢立会ひ騒動仕り候由相聞え、不作法に付、兼ねて神輿舁人の員数并に装束相定め置き、随分物静かに仕るべく候。定の者の外一人にても罷出で候て、神輿に障り候者有㆑之ば、急度申付くべき事。総て外々の祭礼にも、無用の者神輿に障り騒動致させ候はゞ、詮議の上急度沙汰致すべく候。
【住居祭礼の取締】一、住吉祭礼の節、大坂町中より持参の提灯、棹一本に余多附け候故、火の元不用心に候間、棹一本に提灯一つ宛之を附くべし。且又祭礼仕舞ひ提灯持帰り候刻、今宮村の中にて火を消すべく候。若し大坂町内迄火を灯し帰り候者有㆑之に於ては、町々の者出合ひ之を消さすべく。違背せしめ候者、番所へ召連れ来るべく候。併し外の祭礼にも、夜中提灯・松明等を放埓に致し候はゞ、越度たるべき事。
【祭礼の際留守居を厳重にせしむ】一、祭礼見物に出で候者、銘々留守の火を用心堅く可㆓申付㆒候。無沙汰致し、手あやまち之あらば、曲事たるべく候。総て町々に残り居候者、町中を見廻り、別して用心可㆑致事。
【祭り喧嘩の取締】一、祭礼の刻あばれ者之あらば、其の所の町人早速出合ひ、前後の門を打ち、捕来るべし。若し見遁し候に於ては越度たるべき事。
右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅五月
【祭礼の華奢を禁ず】毎年六月は諸社神事に付、練物・地車・太鼓など差出し候儀に付、前々口達を以て触知らせ置き候通り相心得、神事の儀は随分相賑ひ候ても苦しからざる事に候。無㆑程神事月に至り候に付、申聞かせ置き候。さりながら御時節柄追々触渡し置き候趣も相心得、地車・太鼓又は練物等の飾り、芸者の衣裳・木綿・晒を相用ひ、華美の儀致すまじく候。尤右の外新規に相工み候品、決して差出し申すまじく候。且地車・太鼓・練物等、已来奉行所へ持参に及ばず候。尤衣装附には郷々総会所より書出すべし。此方より役人を差出し引合はせ見分に及び候。此の地の外并に夜に入り、地車曳歩行申すまじく候。若相背き候者有㆑之ば、急度可㆑令㆓沙汰㆒。
右の通り三郷町中末々まで洩れざる様可㆓申聞㆒事。
【 NDLJP:54】 寅五月
口達
【木綿織物に制限す】近来世上衣食住を始め、諸事奢侈に超過に及び候に付、質素・節倹等の儀、追々御触出有㆑之、右に付、町人共心得方の儀、品々申渡し置き候趣も有㆑之候。然る処此節町々呉服屋又は木綿屋の内、絹・縮緬等に見劣り無㆑之様巧を尽し候真木綿、高直に売買致し候者有㆑之哉に相聞え候。右体の品柄上品に仕立て候儀は、其筋の職人共巧者・不巧者の者にもより候儀にて、一般には申難き筋に候得共、高直に売買致し候ては、専ら不益を省き、衣類等改め候趣意にも相触れ、即ち奢侈を導く基にて、以の外の事に候条、以来木綿相当の直段を以て売出し候儀は、格別高直に売買致すまじく候。夫々所の者も心を付け相改むべく候。
【普請修補に就いての口達】一、此節町家新規の家作、并に屋根廻り破損所修復等迄も斟酌致し候者有㆑之哉に相聞え候。さ候ては自ら金銭融通合に拘はり、別して其の筋働きの者身過も無㆑之、難儀致し候筋に候。畢竟自分不相応華美に
右の通り三郷町中洩れざる様可㆓申聞㆒候事。
寅五月
【竹木売買の制限】一、此度問屋唱方の儀に付、御触達有㆑之に付ては、株札并に問屋仲間差止め候儀、当三月已来追々相触れ候節、竹材木屋売買筋の儀、先づ唯今迄の通り相心得べき旨申渡し置き候処、尚又取調べの上、右の分も差構へ無く候に付、今般十人の材木屋差止め、外同様素人直売り勝手次第に申付け候。
【本屋の取締】一、本屋も右同様申渡し置き候処、是又差構へ無㆑之候に付、今般本屋行司差止め、素人直売買勝手次第申付け候。併しながら本屋儀は、猥に相成候ては、取締りに拘はり候に付、以来新規に右商売相勤め候者は、月番の奉行所へ届出づべし。其の砌取締りの廉申渡すべく候。且つ新作の書物等板行致し候節も、前同様奉行所へ下書差出し、改めを受け申すべく候。尤右体手広に相成り候とて、前々売買差止め、又【 NDLJP:55】は絶板等申付け有㆑之候書類は、決して取扱等申すまじく候。
寅五月
【質屋古物商取締】一、町中質屋・古著屋・古著買・古鉄屋・古鉄買・古道具屋ども仲間組合、停止せしめ候旨相触れ候上は、追々同商売の者出来候とも、決して差障り申すまじく、向後新規に右渡世相始め候者、并に之迄渡世致し来り候者共、御紋付の品并に銀具類、一切質に取り、買取り申すまじく候。万一無㆑拠仔細之あらば、月番の町奉行所へ訴出で、指図受け申すべく候。
一、質屋・古著屋・古著買共、質に取り買取り、候節、置主・売主とも証人倶々罷越し候はゞ、質に取り買取り、苦しからず、一人に印判二つ持参致し、置主・売主・証人名前申聞き候とも、質に取り、買取り候儀は致すまじく、たとへ置主・売主・証人一同罷越し候とも、其の品多分にて身分不相応に有㆑之か、又は怪しく相見え候分は、先先吟味を遂げ、品により其の物を留め置き、月番の町奉行所へ訴出づべし。若し盗物等質に取り、買取り候者有㆑之に於ては、吟味の上右の品を取上げ、代金は損失致させ、品によりては咎申付くべく候。
一、小道具屋・古道具屋・古鉄屋・古鉄買の儀も、総て右質屋等に准じ、買取り又は売払ひ候節、其の品帳面に留置き、売上証文取置き、常々帳面等念入れ置き、紛失物尋ね有㆑之節、右帳面を以て吟味致すべく候。
但し質に取り買取り候品、模様つき等迄委細留置き、右帳面の儀は紙員相改め、名主とも押切申付け候間。右の外紛らはしき帳面拵へ申すまじく候。且又紛失物吟味の節、名主共へ支配限り遣し穿鑿、其品有㆑之候に於ては、早速町奉行所へ訴出づべく候。尤名主方へ帳面長く留置き申さず、改め次第差戻し、渡世の障りにならざる様致すべく候。
一、質渡世致さゞる者、出入候武家方より無㆑拠わけにて、金銀の替りに当分質物取置き候類は、其品支配の名主へ相届け置き、紛失物有㆑之候節、吟味を受け申すべく候。
右の通り申渡候間、町中名主共も其の旨相心得、自今紛失者有㆑之ば、一支配限り【 NDLJP:56】入念吟味致すべく候。若し未熟の致し方相聞え候に於ては、渡世の者は勿論、名主ども迄急度申付くべく候間、此段可㆓相守㆒者也。
寅四月
右の通り江戸より仰下され候に付添触れ左の通【右触出しに就いての添触】
一、質屋并に古鉄古道具屋・古手の儀、冥加銀差止め売買筋の儀は、追て沙汰に及ぶべき旨、当三月以来追々申渡し置き候処、此度前書の通り御触出有㆑之に付、大坂并に天満摂河在々、総質屋・古鉄古道具屋・古手の儀、以来仲間組合は勿論、夫々年寄并に総代・手代りの者等も差止め候間、其旨存ずべく候。
一、大坂町々年寄の儀、江戸表名主とは訳も違ひ候に付、以来質に取り、又は買取り候品、模様付等委細留置き候帳面の儀は、総年寄に押切申付け候に付、夫々方角の総会所へ帳面持参調印申請ふべく候。尤も紛失者吟味の節も、総年寄に取調べ申付け候間、其筋ゟ沙汰次第右帳面差出し申すべく候。其余委細の儀は、御触面の通り違失なき様相守るべく候。但摂津兵庫・西宮の儀は、兵庫は名主、西宮は庄屋、其余の在々の儀は、其の村限り庄屋共取締り申付け候間、本文同様相心得べく候。
右の趣三郷町中可触知者也。
寅五月石見遠江 北組 総年寄
〔頭書〕何品によらず、商売人売直段・元方直段共早々取調べ候様仰出され候間、夫夫訳け書記し、年寄より書出させれ候儀に付、其旨相心得置かるべく候。品書の儀は、今日迄追々に廻状を以て可㆓申達㆒候事。
寅五月廿九日
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