異船に紛らはしくするを禁ず平山九郎兵衛の尺牘高島四郎太夫安藤小左衛門高島四郎太夫連類諸品法定比価を定む新板書物取締本屋取締有栖川宮御養女正直の商せしむ粗服著用の御触日光宮恥しめらる引替金銀不足に就いての口達一朱銀引替料理屋取締商品に正札を付くべきをさとす夜店取締いかゞはしき業務の者を取締る木綿屋取締華奢なる風を禁ず博奕賭けを禁ず明地の使用を限定格子附替へ役者絵を売りて罪せらる強盗巾著切流行異国船防備宿場助済金徴収両町奉行より総年寄へ仰渡しの条々町番の出精を覚す番人への申渡路次の開閉盗賊に対する処置町年寄御受証文賊盗防備の触渡し強盗に対する取締詐欺強盗取締盗賊悪漢の警備木戸番取締茶屋風呂屋に商売替の催促をなす芸者等取締年玉贈答品の制限江戸にて逆乱を企つ一朱銀停止取消京都所司代被免江戸市中の犬を捕ふ石灯籠等の制限小鳥並に水引の売買を禁ず素人市を禁ず煤払餅搗の許可金銀貸借に就いての注意藁商取締医師従者に再び覚すねだり取りを禁ず火元を注意す正月の諸注意昼番注意木戸取締番部屋注意焼跡取締安治川通運の注意諸薬品高直米穀納相場御法度に触るゝ者多くして年末物淋し衣類の制限転々す明地使用制限を厳守せしむ物価下落の励行大工取締金銭不融通御勘定平林定之助切腹唐船来航大塩動乱と米倉丹後守の困窮
【異船に紛らはしくするを禁ず】近来北国筋、其外諸国廻船等異国船に似寄り候帆の立方相見え、既に先達て異国と見違へ候次第も有㆑之候。全く三本帆の儀は相成り難き筋に候処、追々大洋を乗り候様に、以前とは相違の趣に相聞え、殊に寄り朝鮮の地方近く乗通り候儀も有㆑之【 NDLJP:153】由。其外遠き沖合を乗り候節、机の立方異国船に紛らはしき帆の立方致し、并に遠き沖合を乗り候儀可㆑為㆓停止㆒候。若し触面の趣於㆓相背㆒は、吟味の上急度咎可㆓申付㆒候。右の趣御領は御代官、私領は領主・地頭より、不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
十月
右の通り江戸より仰下され候条、此旨三郷町中可触知者也。
【平山九郎兵衛の尺牘】〔頭書〕一筆啓上仕り候。貴御地御家内様御揃ひ益〻御健勇に被㆑遊㆓御座㆒奉㆑賀候。次に当方無異罷在り候間、乍㆑憚御休意思召被㆑下度候。然らば久々御伺等の愚札も差出し申さず、遠路不㆑任㆓心底㆒、心外の失敬仕り候段、御高免被㆑下度候。当九月には小子上坂仕る覚悟に御座候処、長崎表二百余年已来の珍事出来仕り候に付、家内の者共、恐れ引留め申し候故、見合はせ居り申し候。
【高島四郎太夫】一、太閤秀吉様肥前名護屋御出陣の砌に、御呼出に相成り候長崎表頭人は、六人の内高島四郎太夫殿と申して、炮術の家にて、当時の四郎太夫殿、至て阿蘭陀炮術陣取軍学の名人にて、去春には江戸表御老中様より、御奉書参り大筒類申し候術類数多御持参、門弟衆三四十人引連れ、江戸表へ越され、御上覧に相成り申し候処、御称美之ありて、与力格にて槍御免仰付けられ、帰国になり候程の人物にて、誠に長崎一人の飛頭〔鳶カ〕にて、当時御奉行様同様に恐れをなし候程の家柄にて候。然る処当十月二日例の通り御奉行所へ御出勤成され候処、召捕に相成り、高島屋敷には与力・同心衆諸役人数多参られ、早速門番召捕らへ、御留守居と用方両人召捕りに相成り、若旦那には其儘御召しに相成候て、御親類内に御預にて、高島氏の武具、石火矢・大筒・阿蘭陀大筒二十挺余、中小鉄炮三百余挺、其外武具類数多召上げに相成り、誠に大騒動、尚又高島氏の執持の諸役人も召捕りに相成り、皆々入牢に相成り申し候。其内にも神代徳次郎と申して、至て利発の者にて、高島氏の大贔屓に相成り、役向三十段も飛越え、唐人大通事に相成り居り申し候て、去年より五島にて鯨納屋組致し居り申し候処、自身は大通事の大役勤め居り申し候に付、他行叶ひ申さず候。夫故懇意の人六七人も頼み、手代りに右鯨組方に遣し申し候処、此人迄も捕へ方に相成り、其内には私懇意の人も之あり、旁【 NDLJP:154】にて出立も相見合せ申し候。其外にも大役衆追々調方に相成り申し候に付、皆々安心は之無く、誠に薄氷を踏む思ひに御座候。
【安藤小左衛門】一、当節の新御奉行様は、伊沢美作守様と申す人にて、其上与力衆に安藤小左衛門殿と申して、江戸にて安藤、大坂にて大塩と申し候て、日本に二人の目安人の趣、其与力衆八人・同心衆十五人、此節御奉行様と共に、長崎表へ御越しに相成り申し候。右の与力・同心衆長崎へ御越に相成り候事は、百二三十年已前の事にて、夫より絶えて参られ申さず候処、此節右多人数御家内共に、皆々引越しに相成り、与力・同心衆長家出来、市中は日々御廻りにて、誠に厳しき御事にて、世間淋しき事に御座候。又々当八日には、伊勢屋五兵衛と申す質屋にて、此者大胆にて何事にても、大き事には加はり、諸大名屋敷にも出入致し、少々御扶持も取り、尚又唐人屋敷へも御雑人方・売込方仕り、右高島氏へも出入致し、神代徳次郎殿へも至て懇意に御座候処、御奉行様宛の遺書認め、八日七ツ時頃に見事に切腹仕り候。如何なる次第にて死去仕り候哉、今日迄は分り不㆑申候得共、多くは深い事と奉㆓察上㆒候。未だ申上げ度き儀御座候得共、追々の儀、再便より御知らせ申上ぐべく候。右御見舞旁〻早々如㆑此御座候。恐惶謹言
十月十三日 平山九郎兵衛
石坂種右衛門様
尚々
肥後米〈六十九匁位〉 肥前米〈六十七匁位〉 白米〈七十二文売〉 黒砂糖〈唐斤にて百片に付代銀百二十匁位〉
長崎一条
【高島四郎太夫連類諸品】長崎六人衆筆頭高島四郎太夫、昨寅年九月御召捕に相成り入牢、屋敷取払ひ、闕所の品々左の通り。
五十人持石火矢七挺・三十人持五挺・十人持二十挺・五人持十九挺・新製石火矢三挺・太鼓張石火矢三挺・五十目筒其外三百七十一挺・小筒取交ぜ種子島小筒三百三挺・武具上下〆七十人分。太刀・槍、其他武器数不㆑知、玉薬・烟硝蔵一箇所・唐物蔵五箇所、外に土蔵五箇所。
【 NDLJP:155】其外道具類衣服は焼捨てに相成り、子息堅次郎御預け、越城昌十郎・神代政之助・神代内膳・中村嘉右衛門、子息其外同類大身の輩、大役人廿五人入牢。
〈銀主〉伊勢屋五兵衛・〈唐通詞〉石橋友右衛門・〈同〉杉林三十郎
一、右、此人数は、追て参らず候内に、切腹仕り候由。右の輩高島四郎太夫内意を受け、五島浦に鯨納屋を拵へ、表向は鯨渡世と名附け、内々唐へ文通致し、唐軍勢を日本へ引受け、右の輩先陣道案内を致し、日本を攻取り候積りの由、右の条々此度露顕に及び、猶又去冬唐船より四郎太夫へ文通、御奉行の御入に入り、是迄の始末事明白に相分り、前同類の内十七人唐丸駕にて、当正月十九日長崎出立致し、江戸表へ御渡しに相成り候道中筋、国々御大名様より警固御座候由、定て大坂をも通り可㆑申候。
一、松平肥前守様長崎御番にて、御同勢沖御陣所へ御詰め美々しく、昔の輩合戦対陣も眼前に見物出来申し候。其外国々御大名様方、夫々御陣屋へ御出勤御座候。
天保十四年二月
〔口達脱カ〕
【法定比価を定む】諸国御年貢並に大豆石代金納に相成り、相場の儀毎年十月十五日より、同晦日迄、国々町場・市場等の相場書へ御代官・領主役人奥印致し差出し、御勘定所にて吟味の上、相場御極め候故、相場の高下は自然と相立ち候事に候間、国々の内には、私の
右の通り江戸より仰下され候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅十一月若狭遠江
大目附へ
【新板書物取締】新板書物の儀に付ては、先達て相触れ候趣も有㆑之候処、以来は活字判の儀も御学問所御改め候筈に候間、諸事先頃相達し候通り相心得、是迄有来りの分は、其儘にて差置き、此後出板の分計り、其節に改め受け候様可㆑住候。右の通り可㆓相触㆒候。
右の趣江戸表より御触有㆑之候間、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
十一月十日
【本屋取締】本屋の儀は、素人直売買勝手次第申付け、本屋共取締り等の儀、最前申渡し置き候に付、前々より絶板申付け候書物は勿論、此度売買差止め候歌舞伎役者・遊女・芸者等の形を一枚摺に致し、又其役者の似顔・狂言の趣向等書綴り候絵草紙の類、固く売買致し候儀は無㆑之事に候得共、右の類板木其儘相残り有㆑之候ては。自然後年に至り心得違の者出来可㆑申哉に付、此度売買差止め候板行の物の類、並に前々より絶板申付け候書物類等の板木所持致し候者取調べ、新古本屋共に限らず、素人共迄も所持の分、其方共手元へ早々差出させ、其段可㆓申聞㆒候。尤前々絶板に相成り候板木の類所持致し候者有㆑之候共、其儀を察度に及び候儀には無㆑之候間、何れにも所持の分残らず為㆓差出㆒可㆑申候。万一隠置き後々に至り、所持致し候儀相顕はれ候はゞ、厳重の沙汰に及ぶべく候条、此旨能々可㆓申諭㆒候。
寅十一月
右の通り此方共へ仰渡され候間、御達し通りの板木所持の者、於㆓町々㆒相調べ、郷限総会所へ板木は早々書付を以て、可㆑被㆓申出㆒候。差出方可㆓相達㆒候。以上
寅十一月十五日御触
【有栖川宮】当月五日有栖川宮御息女精姫御事、御養女被㆓仰出㆒候。精姫君様と可㆑奉㆑称候。右【 NDLJP:157】大将様御妹の御続の旨、江戸より仰下され候条、恐悦可奉存候。【御養女】右の通り三郷町申可㆓触知㆒者也。
十一月若狭遠江
国々大坂其外都会の地へ取廻り候諸荷物の儀、近来諸国荷主・船頭共、手段を以て銘銘国元に囲置き、時々相場に拘はらず、高直の差直段を以て積廻り、右直段にて、売捌き難儀の節は、直待と唱へ、其儘商人共手元へ預置き、品払底にて差支へ候場合に至り、右差直段相払ひ、格外の利潤を謀候積も有㆑之哉に相聞え、不埒の事に候。向後荷物差送り候節に、其品の相場に基き、直段立方正路に致し置き、直待と唱へ占売一切致すまじく、尤も自然買方の者共、不正の対談に及び、元方難渋の次第も有㆑之候はゞ、荷主船頭より其所の奉行所又は御代官役所へ訴出づべく、吟味の上急度可㆓申付㆒候。右の趣諸国御料・私領・寺社領共不㆑洩様可㆓相触㆒候。右の通り江戸表より仰下され候。然る処右は国々より廻著の品計りには之無く、当地より江戸其外諸国積送り候品も同様の振合に相心得、差直を以て直待致し、占売がましき取計らひ、決して致すまじく候。右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
十一月若狭遠江
【正直の商せしむ】近来五畿内・中国・西国・四国筋、国々領主・地頭に於て、自国の産物は申すに及ばず、他の国産にも夫々手段を以て買集め、売荷を蔵物に引直し、蔵屋敷へ囲置き、相場高直の砌手払又は銘々出入りの町人共に売捌かせ、占売同様の者より冥加銀等差出させ候哉の趣も相聞え、以ての外の事に候。尤も諸色直段引下げ方の儀に付、追々相触れ候趣も有㆑之候上は、領主・地頭に於て前書総弊早々改革可㆑有㆑之は勿論に候得共、万一是迄に仕来りに因循致し、不良の取計らひ相止まざるに於ては、糺の上急度可㆑被㆑及㆓御沙汰㆒候。右の趣於㆓江戸表㆒御触有㆑之候に付、諸家国産の類売捌き引受け候者、或は蔵元に致し候者は勿論、其外一統此旨を存じ、弥〻以て諸色直段引下げ方の儀、厚く心掛け、不良の取計らひ無㆑之様可㆑致候。右の趣三郷町中可㆓触知㆒者也。
十一月
【 NDLJP:158】【粗服著用の御触】町人男女衣類の儀、前々相触れ候通り、絹・紬・木綿・麻布の外一切著用致すまじく候。縦令絹・紬に候共、羽二重・龍門に紛らはしき品、並に浮織・綾織等の似寄り候類、総て手数掛り候織方の品は可㆑為㆓無用㆒候。御用達町人共の儀は、御目通りへ罷出で候節計り、羽二重・龍門の衣服著用苦しからず、平日は御沙汰の衣類一切著用致すまじく候。若相背くに於ては、吟味の上厳重の咎可㆓申付㆒候。右の趣江戸より仰下され候条、夏衣類の儀も右に准じ、総て御沙汰の品著用致すまじく、尤も裏借家住の者、或は町人召仕の下女・下男、其外身代限り御渡し候上、同居に相成候者等は、先達て相触れ候衣類の直段等の通り相心得、不相応の身形り致すまじく候。
右の趣三郷町中可㆓触知㆒者也。
十一月若狭遠江
〔頭書〕御触は此通りなれども、総年寄共の口達の由にて、町人・借家人の差別なく、一統に綿服の外相成らず、縦令半襟・袖口たりとも、繻子など用ひ候事決して相成らず候由。総て当四月に仰出され候通りに相心得可㆑申旨なる由にて、総年寄より厳しく言渡しありし由。衣服の事当四月厳敷く仰出され、間もなく薄羽織を許され、其後衣服の直段付け迄をなして、公儀より御許しありしを、今又からくり的の如く、手の裏を返すが如き御触出され難きにや、御触面は右の如くに仰出され、総年寄よりは左の如し。如何なして宜しきにや、上よりの仰出さるる事、一向に信用し難し。この故に下々の者共うろ〳〵きよろ〳〵致し、自ら御触度毎に、衣服の積を仕替へ是にて能き事なりと思へば左に非ずして、兎角積りなして拵らへたる衣服の、御触度毎に間に合はざる様になりゆくにぞ、身勝手の様にはあれ共、自ら上の御政道を誹れる様になりぬ。斯様の事なるに於ては、四月に仰出されし儘にて捨置かるれば、何れも斯様なる費えをばなさゞる事なるに如何なる事にや、あゝ〳〵〳〵〳〵〳〵とて、一統に有難がらざる様子にて、騒々しき有様なり。
【日光宮恥しめらる】日光宮、仙洞様御一周忌御法事に付、御上京有りしに、叡山より何か言出せし事ありて、其の返答なり難く、大に恥を曝されしと云ふ噂なり。如何なる事にや知らざれ【 NDLJP:159】共、先年〈寛政の頃なりと覚ゆ〉上京せられし時、二条殿の下部、文庫を持ちて外方へ御使に行きける道にて、日光宮に出合ひし故、下部共の定法の如く、尻向にて下座をなせしに、宮の方へ尻向せる事不埒なりとて、徒士の者其下部を打擲す。流石京部にて渡り者なれば、能く心得て態と叩かれし時、尻居にへたり文庫を尻に敷いて之を打破り、あちらこららに逆ねだりをなし、二条殿と取合ひに成りて、宮より誤まられし事あり。京都に於ては日光宮の如きは沢山の事にて、御通行の節至て温順にして穏なる事なるに、日光宮には江戸の格合にて、権威〔よ張脱〕られし故に、却て斯る事に及びしと云ふ。此度も叡山に対して、何ぞ無礼の事ありしにや、其事は知らず。
口達
【引替金銀不足に就いての口達】此度通用停止仰出され候金銀は、持囲ひ候筋に之無く、当用の為め取遣り致し居り候分は、最寄りに両替致し候者方にて引替に取り候者は、取集め次第引替所へ差出し、来る卯十月を限り、急度引替可㆑申旨等の儀御触渡し有㆑之候処、此節諸国より多分一朱銀出進め、両替に取り候儀も差支へ候趣、此姿にては追々歳末に至り、金銀取引多端の時節に差向き、此上軽易ならざる差支を生じ申すべき筋に付、一朱銀切賃の儀兼ねて取極め等に泥まず、別格の心得を以て取引致し、何れにも両替に取り候儀差支へ無㆑之様可㆑致旨等の儀、両替屋共へ申渡し候に付ては、追て及㆓沙汰㆒候迄、町々素人同士にても、当地限り当用の為め、一朱銀取遣り致し候儀、勝手次第の事に候。
右の通り三郷町中洩れざる様可㆓触知㆒者也。
十一月廿三日
【一朱銀引替】一朱銀御停止仰出され、身薄の者には町内よりして御引替に相成り候迄の処、引替へ遣し候様仰渡されしかども、一朱御停止仰出されしに付ては、町人共にも銘々の差支へに困りぬるに、之を引替へ遣せし上にて、若し悪銀等を知らずして、引替へる事などあらば、自分の損となれる事なれば、容易く公命なりとても、其如くなし難しと云ふ。其故如何となれば、近年奥羽の間にて仰山に似せ
〔頭書〕御停止仰出されて後、引替への金子江戸より一向に登らず、下方大に差支へ、難渋限りなき事故、御奉行にも詮方なく御城代へ願ひ、御金蔵よりして金子三万両出されしが、瞬く内に替へ尽しぬ。されども江戸より一向に来る事なく、はるか時過ぎて漸々二万両計り参りしと云ふ程の事にて、一向に引足らずして如何ともなり難く、困り果てられし処よりして、素人取遣ひ勝手にすべき由との御触なり。始め厳重に御停止仰出されし御権威には似ずして、御威光にもかかれる程の事なり。下方にて彼此と批評する様になりぬとも、故なき事にはあらざるべし。されども上には深き御趣意のある事にや、之を知らず、嗚呼。
今廿五日通達年番町々年寄総会所へ御召呼び、総御年寄中様より左の通り御演舌を以て仰聞かされ候
一、町々に有㆑之候菓子渡世者、向後仕入れ候蒸菓子・餅菓子其外取合せの菓子類にても、一つ二分以下の品の外は、決して仕合ひ申すまじく候。若し二分以上の品誂へに参り候はゞ、其品柄恰好右直段は勿論、誂へ主名前委しく書記し置き候上、註文受取り候様相心得可㆑申事。
【料理屋取締】一、料理屋並に煮売り渡世の者、商物何品に寄らず、直段仕分け書付け、諸人見安き所へ張置き、成るべき丈高直の品売出し申すまじく候。尤右直段書より高直の品注文有㆑之候はゞ、其品直段書は勿論、其誂へ主の名前委しく書記し置き候上、註文受取り候様相心得申すべき事。
右の通り仰聞られ候事。
寅十一月廿五日
【商品に正札を付くべきをさとす】商人共渡世柄により、売買の品符牒を以て記し置き候故、元直段より取調べ方の差支へ、自ら不正の取計らひ有㆑之哉に相聞え候間、総て商物一品毎に正札附に致し、【 NDLJP:162】手控へ帳面へも元直段・売直段を書記し置き、符牒を相用ひ候儀致すまじく候。此段一郷限り商人共へ、急度可㆓申付㆒候。
十一月廿五日
右の通り此方共へ被㆓仰渡㆒候間、町々に於て不㆑洩様可㆑被㆓相達㆒候。
右の御演舌の趣、慥に奉㆓承知㆒候。私共生魚小売並に煮売屋渡世の者に御座候に付、則ち品分け直段書諸人見安き所へ張出し、尚又誂へ受取り候節も、前書の趣急度相守り候様可㆑仕候。其の為め銘々印形仍て如㆑件。
【夜店取締】一、年来町々道端等へ夜店差出し、小商ひ致し来り候場所は、是迄の通り相心得、別て火の元入念可㆑申旨、当九月口達触れ差出し置き候。然る処悪党共右夜店に刃物類差出し之あるを見当て候より、猶又悪念を生じ、右を買取り強盗相働き候族も之あり、市中取締りに拘はり候に付、以来夜店に抜付刀・脇指・懐劒等は勿論、仮令身計りに候共、都て右様の刃物類差出し売買致すまじく候。
【いかゞはしき業務の者を取締る】一、市中人立ち候場所、或は町家門先にて、男女入交り、チヨンガレ又は唄物など致し銭を貰ひ歩行き候者も有㆑之候趣相聞え、風俗不宜候に付、以来男女入交り右様の儀為㆑致申すまじき旨、其筋の者共へ申渡し置候間、町々に於ても其旨を存じ男女入交り如何の所業致し候物貰ひ見受け候はゞ、所の者より心を付け、相制し可㆑申候。
【木綿屋取締】一、町々木綿屋共儀、手を尽し候色品織方等の木綿帯地など、態と店先へ差出し、往来の人々心移り候様取締り置き候族も有㆑之由相聞え、奢侈の導きにも相成り不㆑宜儀に付、早々取片付け可㆑申候。尤も木綿相当の直段に候はゞ、売買は不㆑苦候得共、右体織方に手間相掛け候とて、高直に売出し候様相聞え候はゞ、急度㆓可申付㆒候。
【華奢なる風を禁ず】一、凧の儀、近来絵柄・彩色等無益に手を込め、高直の品も有㆑之趣相聞え候。此節仕込み候時節に付、右体の品決して拵へ申間敷候。尤も大なる風も仕込み申間敷候。
【博奕賭けを禁ず】一、博奕賭け候諸勝負、前以て御法度候処、別て当四月江戸表より仰下され、其節触書差出し、厳重に申渡し、其段一統相聞き候儀は勿論の事に候得共、自然初春の戯に詫け、読歌留多・実引遊び、或は幼稚の者共辻合にて六と穴一などと唱へ候聊かの勝【 NDLJP:163】負なりとも、固く可㆑為㆓無用㆒候。当座の戯れ事と心得違ひ、事のゆるみに相成り、別て幼少の者は習ひ性となり、成長の後に到り候ては、猶更諸勝負を好み、終には罪科を得る者も少なからず、是等親々の者素より全町役人共より教諭等閑より事発し候儀にて、無慙の至に候間、厚く可㆓申諭㆒候。
【明地の使用を限定】一、近頃町家明地面又々品々請負地等にて、小見世物と唱へ、葭簀張り小屋取補理ひ、種々の芸人共相雇ひ、歌舞伎に紛らはしき取計らひに及び、見物人を集め、座料取り候者も之ある趣相聞え、市中取締りに拘はり候間、以来右体の場所に於ては、神道講釈、或は心学・軍書講釈・昔咄しの四業の外、余業差出し候儀は勿論、右場所へ茶汲女、其外女商人、都て婦人を差出し、且つ噺の内へ唄物を取交へ候儀等固く相成らず候。尤も右四業相催し候共、先達て相触れ候通り、其度毎に奉行所へ可㆓断出㆒候。若し相背き候者有㆑之候はゞ、聊か無㆓用拾㆒召捕り厳重可㆓申付㆒候。
右の通り三郷市中並に諸所受負地の者共へも、其方共より可㆓申通㆒候。
十一月廿八日
近頃市中に散在致し、夫々産業の外、俄狂言を功者に致し、素人共を俄師と唱へ、給金相対を以て雇はれ、主に歌舞伎狂言の趣向を取組み、衣装道具抔相拵へ、軽口所作致し候者も有㆑之趣相聞え候。右体素人の身分にて、歌舞伎役者同様の所業に及び候段、市中取締り方御趣意に応ぜざる次第に付、早々俄師渡世相止め、銘々産業誠実に相営み申すべく、此上にも右渡世相止めず候はゞ、道頓堀町々へ引移し、歌舞伎役者共の弟子に相成り申すべく、兼ねて夫々へ申渡し置き候趣、厚く相心得候様致し、市中借宅等引払はせ申すべく候。たとへ身寄りの者たりとも、内分にて同居致さすに於ては、急度可㆑及㆓沙汰㆒候。
右の通り三郷町中洩れざる様可㆓申通㆒候事。
十一月晦日
【格子附替へ】十二月十三日卯の刻より雨辰・申の刻雨雷鳴る。前にも云へる如く、北新地一様に荒き格子にせよと命ぜられし御巡見、三日計り已前の事故、詮方なく格子を取りはづし、俄に板を引破り、荒々しく打付け抔せし事故、御巡見相済みて後、又元の格子に【 NDLJP:164】取替へし家々多かりしにぞ、又御沙汰有㆑之、元の如く荒くせざればなり難き由仰付けられしにぞ、何れも此度は太く荒き処の格子をつけて、立派に出来上り、遊女共新町の如くに見せつけをなす〈みせ附に格子付けてすべしと、仰付けられし故なり〉然るに十一月末に至り、旅籠屋を此度新に免ぜられ、店付にせよと仰付けられしを、総年寄の云ひ間違か、町年寄の聞間違なるにや、新町の如き遊女の店付の様に心得違にて、格子を荒くせしめし事相済み難しとて、此度新に格子を取計らひ、上げ店を付け候様にと仰付けられし上にて、又芸子・舞子・仲居等を差置く事なり難しとて、厳しく仰渡さるゝ様になりぬ。新屋敷梅がへ・霊府・島の内・堀江其外端々の青楼、何れも北新地・道頓堀・難波新地・幸町・新堀等の此度新に御免蒙りし処々へ、少しく金銀を蓄へし者共は、吾一にと寄集りしに、此度さつぱりと思惑違ひ大に当惑をなすと云ふ。之迄年来不実なる渡世をなし、金銀を貪取りし過料にして、心地よき事と云ふべし。又堀江青楼には門口の掛行灯を取除く様仰付けられし故、之を其町々の会所へ取上げしが、矢張内分にて未だ青楼引払の日限に及ばざる故、行灯をば引きしかど、之迄の如く渡世なしぬる事故、掛行灯さつぱりとなくては至つて淋しき事なるにぞ、其町々の掛行灯の如く、之を張替へ、何町何丁目などと書記し、青楼町の内にて、十七ケ所へ掛けて、其油をば青楼の者共よりして、さしぬる様になしぬ。是をなさんとて、其町々の年寄共より、総年寄へ問合はせしに、苦しかるまじと云へる故、其如くなせし処、此度御察度を蒙りて、総年寄へ問合はせし事、表面には申し難く、町内よりして、油費をなさず、青楼よりして其費をなせし事故、矢張青楼の掛行灯は、公辺を偽りなせしといへる科に陥り、何れも御咎を蒙り、十貫文づつ過料仰付けられしと云ふ。【役者絵を売りて罪せらる】其外御法度の役者・遊女の姿絵を売りし者、又看板出し、襖等に役者・遊女等の絵の張付有りし者、又内分にて髪を結ひ・結はせし者、衣類法度に背きし者、子供手遊のもの売りし類など、何れも御咎を蒙り、過料仰付けらるゝ者、仰山の事にして、其限りなしと云ふ。
【強盗巾著切流行】又強盗・巾著切の類至て多く、白昼人立の中にて、白刃を振廻し、金銀を奪取り、又御城の番場等にて、白昼に人を裸にすと云ふ。住吉海道は至つて往来の多き処なれ【 NDLJP:165】ども、白昼に追剥ぎ甚しき故、参詣人も稀なりと云ふ。京町堀一丁目にては、番人両人を切り、蜆橋辺にては、辺り近き所の髪結を切殺す。之に因て厳しき御触ありて、町々の木戸番は云ふに及ばず、町毎に幕を張り、町人共昼夜自身番をなす。町廻の同心も、之迄元服上りの者四人づつ廻りせらるゝ由なるに、此度新に老分の人を四人仰付けられ、都合八人にて四ケ所の垣外共、大勢召連れ昼夜の別なく、所々方々を手分けして、廻らるゝ事なりと云ふ。騒々しき事なり。
【異国船防備】又異国船外海を徘徊する由にて、外海辺の国々は云ふに及ばず、内海にても住吉・堺の浜手をば、当国三田城主九鬼・高槻城主永井飛騨守等に、其固を仰付けられ、岸和田の岡部美濃守は、城下の浜より総て領内の浜手を固め、其南の浜手をば、姫路城主酒井雅楽頭、尼ヶ崎領内は自身の領内故、松井遠江守之を固め候由。さりながら其手配のみにして、其備有るには及ばず、兵庫より灘・西宮辺は、姫路の持にして、其間に石火矢を四挺伏せ、一間の一間に提灯六張づつ灯連らね、五里余りの間、斯の如くなれば、至つて騒々しき事なりとて、灘辺の者何某とやらんいへる者、高松屋敷山本半九郎方へ出来り、くはしく其咄せしと云ふ。
【宿場助済金徴収】又大坂近辺の在領には、宿場助済金とて御冥加金差上げ候様、夫々身元御取調の上、それ相応に仰付けられ、市中にも追て御用金を仰付けらるゝ事なりと、専ら風聞をなす。已に京都には先月上旬御国恩冥加金〈又五海道助済金又日光宿場助済金とも云ふ〉差上げ候様仰出され、京都に於ては昔よりして、御用金仰付けられし先例なき事なるに、却て天明の大火後よりしては、焼亡せし町々六百八十余町の毎町に、公儀よりして御貸付銀有㆑之位の事にて、斯様なる先例一向にあらざる事なるに、此度無㆓思寄㆒仰付けられしにぞ、中には家屋敷等を町内に投出し、「宜しく之にて取計らひ給はるべし」と、いへる者などもありと云ふ。大抵金高千両を高として、少きは五両位差出せる者ありと云ふ。其外高槻領も同様の事にて、此辺は金十両を、金高にて一両位出せるもありと云ふ。此辺迄も斯る程の事なる故、定めて諸国共同様の事なるべし。又十二月五日両本願寺へ仰渡されしには、寺内に住せる所の町家の者共、一軒も残らず外へ立退かせ、之迄市中にこれある処の道場を、悉く寺内へ引取るべしとなり。差当りて【 NDLJP:166】町家の者共の宿替へせるは、迷惑なる事なるべけれ共、道場の此処へ押込まれぬるは、気味好き事と云ふべし。何れも市中多くの地面を之が為めに塞ぎぬる事、不益の事なればかく仰付けられし者なるべし。
両御奉行様より総年寄中へ仰渡され候御内意書
【両町奉行より総年寄へ仰渡しの条々】一、町々木戸に置く番屋の儀、昼夜懈怠なく相勤むべく候。夜分の儀、別て入念申合ひ、会所へ町役人相詰め、寐ずの番致し取締可㆑致候。壮健なる若き者共両三人宛雇置き、【町番の出精を覚す】終夜時半怠りなく、町内中鉄棒を曳き太鼓を鼓ち見廻り致させ、風烈の節は別て繁々見廻り、火の元念入るべき旨、声高に呼び触らし歩行に及び申すべく候。怪しき風体の者見受け候はゞ捕押へ、翌朝早々奉行所へ召連れ来るべく候。取違ひ候分は苦しからず候、若し不法の振舞手向ひ致し候者有㆑之候はゞ、如何様とも致し捕押へ申すべく候。
【番人への申渡】一、町々木戸の儀、夜四つ時打ち候はゞ締置き、番屋補理番人の儀は、壮年の者相選び、両人づつ差置き寐ず見張り罷在り、往来の人有㆑之度明け通し、人数丈け送拍子木打たせ申すべく候。人体怪しく見受け候はゞ、一応相咎め、弥〻怪しく候はゞ捕押へ、所の会所へ召連れ行き、相渡すべく候。若し不法に及び候はゞ、数、拍子木打ち申すべく、会所よりも早速出合ひ搦捕り、前同様相心得取計らひ申さすべく候。冬春の内は別て念入れ、相勤め申さすべく候。但三郷端々の町に至り、往来人少き場所は、暮六つ時より締置き申すべく候。
【路次の開閉】一、町々路次の儀、暮六つ時締明け申すべく候。用事有㆑之候節、不㆓差支㆒候様明閉て致し、路次の内怪しき者紛入り居らざる様相改め、不取締無㆑之様可㆑致候事。
【盗賊に対する処置】一、盗賊、格子或は軒下・窓戸等
【 NDLJP:167】一、町々店先の品盗取り又は往来人持参の品、或は懐中物・腰提げ等盗取り候者見受け候はゞ、番屋の者共は素よりの儀、店々よりも馳集り、盗賊の旨声々に呼ばはり、救合ひ捕押へ候はゞ、会所へ連行き相渡し申すべく候。其上会所より奉行所へ早速召連れ可㆑申候。但不法狼藉の者有㆑之候節は、是又前同様相互に心を付け、救合ひ召捕り候はゞ、会所へ連行き相渡し申し置くべく、番屋の者共も同様相心得申すべく候。
【町年寄御受証文】十二月七日、東御番所へ三郷火消年番・町々年寄御召出しに相成り候上、両御奉行様より仰渡され候御受証文の写
仰渡さる御受証文の事 三郷火消年番町年寄共
一、三郷町々夜番厳重に可㆑致、其外の心得方等先年より度々触書差出し、文政四巳年・天保九戌年にも、再応触渡し置き候処、当座限りの様心得候哉、厳重成らざる町柄も少からず相聞え不埒の至り、近来盗賊共横行致し、強盗或は往来人所持の品奪取り抔致し候儀増長に及び候に付、猶又此度触渡し候得共、此後市中一同心得違無㆑之ため、取締方並に心得方等左の趣猶又此度改め申渡候し条、可㆑令㆓承知㆒候。
【賊盗防備の触渡し】一、町々賊盗押入り、家内の者申威し抔致し候節、盗賊の旨申し呼ばはり、物音等、隣家・向側の者共承りながら、銘々身構のみ致し、誰独り出会ひ候者無㆑之故、自ら盗賊共強気に相働き、家内の者へ疵付け斬殺し抔致し候様成行き候を、近辺の者相互に救合ふべきとの志も之なく、徒に見聞き逢居り候は、実に向普の住居、隣家の
十二月七日
【強盗に対する取締】一、三郷町々盗賊多く徘徊致し、町家表裏の戸を打破り押入り候強盗抔も之あり、市中一同の難儀に至り候事と相聞え候。全体表裏の戸打破り候程の強盗に候はゞ、隣家並に向側近辺迄も物音相聞えずと申す儀は有㆑之まじき処、自然刃向ひ手疵等負はせ候ては、捕押へ候ても掛り合に相成り、品により咎等取け候様相成るべくやと気遣に存じ、銘々身構のみ致し、出会ひ候者先は無㆑之由相聞え、不人情の至りに候。夫故自ら盗賊共増長に及び、兼ねて町々に厳重申合せ、相図を定め置き早々出合ひ、刃物抔持居り候盗賊に候はゞ、棒或は、梯子等を以て相防ぎ、如何様にも致し搦取り申すべく候。疵付又は打殺し候とも苦しからず候間、危ぶみなく盗賊入込み候物音聞付け次第、早速出合ひ取押へ、月番の奉行所へ、口上にてなりとも訴出でらるべく候。其仕義により誉め置き褒美等取らすべく候。若し捕逃し候共、一旦出会ひ健気の働き相聞え候はゞ、捕へ候者同様称美せしむべく候。以来物音・相図等【 NDLJP:169】承りながら出会はず候はゞ、吟味に及び、向側三軒両隣の者、夜番人等は別て不埒の至りに候条、其品々軽重により、厳重に咎申付け、所の者迄も急度沙汰せしむべく候。
【詐欺強盗取締】一、町々往来にて懐中物或は腰に提げ居り候品等、直に同類へ渡置き、咎め候へば却て悪口致し、又は同類申合はせ、盗まれ主へ手向ひ候者共も有㆑之哉に相聞え、不法の至り不届至極に付、専ら召捕り候手当て申付け置き候得共、右体の悪党有㆑之候節、白昼は猶更店先又は往来にての儀は、目前相知るべき事に候間、見聞候者は勿論、町内の者共早速馳寄り、盗まれ主へ加勢致し、如何様にも捕へ候て、其所より前同様訴出づべく候。允も手向致し候はゞ、手強く取扱ひ疵付け候ても苦しからず候。仕義により候ては誉め置き褒美等取らすべく候。実に盗致す事無㆑之者捕へ候事も有㆑之ば、聊か手向等不㆑致、穏便に申断り、篤と糺を受け候へば虚実は相分る事に候間、此段も一同相心得居り申すべく候。自然意趣等含まるべきや気遣ひに存じ、身構のみ致し候は不人情の至りに候間、若し見聞逃し候趣相聞くに於ては、及吟味厳重の咎申付くべく候。
【盗賊悪漢の警備】一、市中の内一町境毎に番致し、往来人有㆑之節は拍子木を打ち候はゞ、通行の人の様子も相知れ候に付、自然と怪しき者は行先等も相分り申すべき間、夜四つ時より三郷町中共、右の通り町境毎に、代合ひ番致し、往来人通行の節相図の拍子木を〔〈打脱カ〉〕候様可㆑致候。若し番人共別て胡乱なる者共徘徊致し候はゞ、是又相図を定め置き、隣町迄も早速出会ひ捕押へ可㆓訴出㆒候。捕へ違ひ候分は苦しからず候。
【木戸番取締】一、町々木戸の内には先達より、〆切の儀相願ひ聞届け差支へ有㆑之者、為㆓相止㆒可㆑申段申置き候処、組の者召捕る者等にて差掛り罷通り候節、差支へ捕者手延に相成候間、仮令用心のため〆切置き候共、木戸際に番人を附置き、聊か遅滞なく明通す様致すべく候。
一、市中裏借屋の路次夜六つ時限り戸〆切り、無㆑拠通行の者は断を聞き相通し、不㆓差支㆒様可㆑致候。尤も〆切の節、路次の内に怪しき者忍居申さず候様入念見廻り申すべく候。右の通り先年より追々触知らせ候得共、年を経候故哉、兎角相弛み不厳【 NDLJP:170】重の町柄も不㆑少、又は番人は出居り候得共、夜中詰所の戸〆切り、往来の者を見張り候儀も無㆑之、等閑に打過ぎ候儀も有㆑之哉に相聞え、全町役人共初め、町人共一同心得方は勿論、夜番人共への申付け方疎略故の儀、第一度々の触渡を背き相守らざる筋に相当り、以ての外不埓の事に候。近来強盗又は往来人所持の品、奪取り横行致し候悪党者多く候に付、追々召捕り、猶又組の者絶えず相廻らせ、召捕り手当等格別に申付け候得共、其儀に不㆑泥、先前触渡しの通り三郷町中末々迄厳重に相心得、早速出会候はゞ、仮令手強の盗賊にても、多勢難㆓敵対㆒捕押へられ候儀は必定、さ候はゞ一体へ相響き、自ら市中穏かに相成り、往来の人は素より、商人共も安堵致すべき事に候間、町々一同相互の為めに候間、夜番人共は別て厳重に相守り、油断なく繁々町内見廻り、怪しき者通合せ候はゞ、相図に随ひ銘々早速出会ひ差押へ訴ふべく候。猶心得方の儀は、火消年番町年寄共迄申諭し置き候間、篤と承伝致し、町町限り厚く申合はせ、急度相守り可㆑申候。若し自今以後触渡しを相用ひず、等閑の者有㆑之に於ては、所役人共迄も厳重の咎可㆓申付㆒間、右の趣無㆓違失㆒可㆓相守㆒旨、三郷町々末々迄も不㆑洩様早々可㆓触知㆒者也。
寅十二月若狭遠江 北組 総年寄
口達
【茶屋風呂屋に商売替の催促をなす】一、是迄有来り候茶屋・風呂屋共、商売差止め、来る卯正月迄に外商売致すべき旨、当八月触書差出し置き候処、最早限月に間近く相成候に付、追々商売替致し候儀に有㆑之べく候得共、多人数の儀、右の内には、差向ひ外に存じ付き候営も無㆑之とて、限月に至り猶予願等可㆑致旨存じ含み候族も有㆑之間敷共難㆑申、右様の儀は決して相成らざる事に付、何れにても早々商売替可㆑致候。尤も表向き計り商売替致し候姿にて、内実是迄の場所又は其余の場所等にて、煮売屋・料理屋、其外右の類商売筋の名目を以て、紛らはしき女を差置き、隠売女同然の為㆑及㆓□□㆒候者有㆑之に於ては、先達て相触れ候通り、早速召捕へ厳格に御仕置き御咎等申付け、家主並に所の者も是又厳科に処せらるべく候間、兼ねて一統の旨を存じ、厳重に相改め申すべく候。
【芸者等取締】一、総て芸子・芸者・舞子・仲居抔と唱へ候者は、傾城町に限り候儀にても無㆑之、其外【 NDLJP:171】の場所にては一切無㆑之筈に候間、向後廓の外にて右様の稼ぎ致し、又は差置き候者有㆑之趣相聞え候はゞ、是又急度申付くべく候。
右の通り三郷町中、並に所々請負地端々迄も洩れざる様可㆓申達㆒候事。
十一〔二カ〕月十日
覚
【年玉贈答品の制限】一、年玉に相用ひ候破摩弓・羽子板・手鞠・槌の類、仕立て方増長に及び候ては、奢侈を導く訳に相当り候に付、直段の儀伺ひの上相極め候間、右以下を以て随分手軽の品売買可㆑致候。尤も似顔は勿論、歌舞伎役者の紋、又は押絵等を張り候羽子板可㆑為㆓無用㆒事。
破摩弓但し紛らひ箔有㆑之。銀三十匁より已上 羽子板銭二百匁より以下 手鞠銀三匁より以下 張抜槌但し銅箔。銭三百文以下
右直段は年玉贈り物の訳にて、平世手遊び物とは違ひ候廉を以て、前書直段以下にて正札附に致し、已来毎年十二月朔日より正日十五日迄を限り、店売致し申すべく候。但し平生手遊び物の儀は、先達て御触面の通り、銀一匁・銭百文を限り申すべき事。
一、土にて拵へ候面の内、歌舞伎役者の似顔、並に紋又は如何はしき形等仕出し申さず候様親々へ心を付けさせ申さるべく、且又菓子類の中にも、右等の品有㆑之由、且又同様為㆓相心得㆒可㆑被㆑申候。但し本文拵へ候形有㆑之候はゞ、総会所へ差出させ申すべく候。
右の通り夫々職方の者共は勿論、一統可㆑被㆓相達置㆒事。
寅十二月十四日 北組 総年寄
【江戸にて逆乱を企つ】江府に於て浪人者共、廿六七人密に党を結び、大塩平八郎が如き思付きなさんとせしに、未だ其事を発せざる内に露顕し、其徒三四人召捕へられしが、余は悉く江戸を逃れて其影を隠せしと云ふ。定めて此者共の内、京坂の間に身を隠せし者ならんとて、青楼等へは其人相書を以て厳しく御詮議有り、町々の自身番も斯様の事にて、厳重に仰出されしなどいへる噂なり。
【 NDLJP:172】【一朱銀停止取消】先達て薩州侯琉球人を召連れ参府の節、御停止の一朱銀を以て道中の諸払をなすにぞ、御停止の銀なる由を云ひて、「余の金銀にて渡し給はる様に」と云へるにぞ、道中奉行の答に、「元来此一朱は公儀より出でし銀なり、公儀より出でし銀の通用せざると云へる法なし、其儘納め置くべし。弥〻停止に相違之なきに於ては、跡より引替へ遣すべし」とて、悉く之を払ひしが、江戸著の上にて、道中奉行両人御老中へ罷越し、「此度主人参府に付、道中諸雑用一朱銀を以て相払ひ候処、御停止の由にて彼是と申し候。弥〻公儀よりして御停止仰出され候に相違なき儀に候哉、左様にては主人公務にも相拘はり候事故、委曲承り度き旨」申入れしにぞ、其返答 困入り、「公儀よりして急度通用御停止仰出されし事にてはなし」と答へられて、直に通用すべき由の御触直し有る様になりしといへる噂などもありし。何にもせよ、転変せし事にて、衆評種々様々の事なりし。
【京都所司代被免】京都にては、先達て「祇園町始め遊女屋共悉く島原へ引移り申すべし。さなきに於ては商売替致すべし」と仰出されしにぞ、吾一と島原へ引移りぬる事故、廓中に住居する事なり難きにぞ、土地を広げたき由を島原より歎き願ひしかば、西町奉行之を聞込み、所司代牧野備前守殿へ伺ひし上にて、壬生辺の地面を許されて、之迄市中を離れし所なりしが、已に町続きになさんとす。されども市中より之を厭ひて、故障を言立てしにぞ、聊か計りなる地面を隔てゝ、市中と背合せに家建てする様になりしと云ふ。此度新に地面を広げぬる事を、公儀へ伺ひ奉らず、私に所司代の許せしを御咎め蒙り、十二月に至り、所司代・西町奉行両人共遠慮仰付けられ、籠居せらるゝ由、さもあるべき事か。
【江戸市中の犬を捕ふ】江戸にては、将軍家何時となく毎々御成あり。又犬追物の御催し折々之あるにぞ、犬方役の者毎日市中を俳徊し、見当り次第犬を捕へぬるにぞ、犬方役を見る時は犬共大に恐怖して、逃廻ると云ふ。されどれ追々に召捕られて、市中に犬一匹も有らざる様になりしと云ふ。こは新見藩中木山三助方へ、江戸より申来られしとて、同人より之を聞取りぬ。
〔頭書〕此度の御改革に付ては、金銀甚だ不融通に相成りて、諸人々大に困窮せ【 NDLJP:173】し処より、誰云ふとなく、「死にたる天神を祈るよりも、生きたる天神様を祈るべし」と云出でて、市中の者共禁裏御所へ千度参りをなして、「諸人の難儀を御救ひ給ふ様に」とて騒々しき事なるにぞ、関白殿下よりして、「何故に下方不融通になりて、此の如くに難渋するに至れるや」とて、所司代・町奉行等へ御察度仰出されし故、閉門せられしとも云ふ。又京都は天子の御座所にて、都会繁昌すべき土地なるに、斯くの如く衰微せる様になし候事、不当の事なり。元の如くに繁昌せる様になすべしと仰渡されしとも云ふ。
十二月十六日総年寄中より、町々年寄呼出され、例年今日仰出され候御触の外に、此頃盗賊共を差押へ候に付、御褒美の仰渡され、其跡にて総御年寄方迄御奉行様ゟ仰渡され候写左の通り
【石灯籠等の制限】一、石灯籠・石手水鉢・踏段・庭石等金十両以上の品売買一切停止さすべき旨、当八月相触れ候通り、弥〻堅く相守り、神仏へ奉納の石灯籠等にても、十両以上の品一切売買致すまじき事。
【小鳥並に水引の売買を禁ず】一、高直の飼小鳥売買無用に致すべし。尤も三両以上の和小鳥、決して売買致すまじき事。
一、金銀箔の水引は、縦令本金銀箔に無㆑之候共、以来売買致すまじき事。
【素人市を禁ず】一、近頃市中端々に於て素人市と唱へ、名知らざる往来人共も立交り、古道具類市売致し候者少なからず相聞え、右体名前知れざる往来人より買受け候ては、自然盗物の品等有㆑之哉も計り難く候間、居所慥にて証人有㆑之物よりは、格別猥に往来人より品買受け候儀相止め、只道具類商人の外素人共市元に相成り、振売抔致し候儀は致すまじき事。
右の趣夫々へ相通じ申さるべく候。且又水引の儀は、取紛れ遣方にも相成り安く可㆑有㆑之。たとへ古く相成候品とても、相用ひ申さゞる様小前の向々へも通さるべく候。
口達総年寄長瀬七三郎ゟ
【煤払餅搗の許可】歳末に至り候に付、煤払並に餅搗等致すべく候処、何か斟酌致され候者も有㆑之候【 NDLJP:174】得共、右は少しも構無㆑之候間、例年の通り勝手次第煤払並に餅搗等致し候ても苦しからず候。尤も風吹の時節に候間、火の元の儀随分念入るべき旨申聞けらるべく候。
右の通り被㆓申聞㆒候に付、此段御通達申上候。御承知の上御順達留ゟ御戻し可㆑被㆑申候。
十二月十八日 通達年寄 船町
【金銀貸借に就いての注意】金銀貸借の儀に付、当九月相触れ候後、容易に出訴致し候儀は不㆓相成㆒と相心得、金子貸出し候者危ぶみ、融通宜しからざる由相聞え候。縦令今般相定め候利合より、是迄高利に当り候証文に有㆑之候共、及㆓出訴㆒候へば、今般相定め候利分に引直し、厳しく済方申付け候間、金主共聊か危ぶみなく貸置き候様、名主支配限り能々可㆓申諭㆒候。
右の通り於㆓江戸表㆒申渡し有㆑之候間、此旨相心得可㆑申候。右の通り組合へ可㆑被㆓相通㆒候事。
十二月 取締掛 総年寄
【藁商取締】一、藁類取扱ひ候商人、別て正月の設に致し候注連縄商ひ候夜店の類は猶更、其場所引取り候跡々迄も、火の用心を無㆑怠様致すべき旨申付けらるべく候。
【医師従者に再び覚す】一、医師の六尺病家にて銀銭を乞受け候事に付、先達て御触達有㆑之候処、今以て猥成る事も有㆑之候由、格別に御沙汰有㆑之候事を等閑に相心得候ては、相済まざる事に候間、医師は勿論病家にても御触達の趣等を相心得、向後弥〻如何はしき儀無㆑之様相達すべく候。
右の通り御沙汰有㆑之候間、組合町々へ可㆑被㆑達候事。
十二月 取締掛り 総年寄
【ねだり取りを禁ず】一、町人女房呼迎へ候に付、水
一、町人女房呼迎へ候節、つぶて打ち候儀、且又前々より停止申付け候通り相守るべきの事。
右の通り相背き候者有㆑之候はゞ、急度曲事申付くべき事に候。此旨右の通り三【 NDLJP:175】郷町中可㆓触知㆒者也。
十二月十六日若狭遠江 北組 総年寄
【火元を注意す】正月は人の出入りも多き月に候間、火の元念入れ申すべく候。年内とても弥〻火の元入念の様可㆓申触㆒候。
十二月十六日若狭遠江
一、辻宝引・六と穴一、皆致すまじき事。
【正月の諸注意】一、年始の飾、門松・七五三縄等理不尽に隠し取りはづし候儀致すまじき旨、去る辰年十二月御口達を以て、仰出され候通り、弥〻以て無㆓忘却㆒相守可㆑申事。
十二月十六日
一、昼番の儀御差免し相成候ては、取締向相弛み、然るべからざる旨は、日の内は銘銘家業の仮無㆑之儀に付、始終番屋へ相詰め候様にては、自ら渡世差支へ難儀の筋に候間、業体又は外町用等繁く手支り候節は、店方に罷在候者申合ひ、番屋へ相詰め候節の心得を以て、家業相兼ね諸事油断なく、非常心掛け候儀は不㆑苦候事。
【木戸取締】一、町々木戸数多、町柄木戸毎に番付け候ては、入用相嵩み候儀勿論にて、右に付番等相怠り候道理の儀謂れなく共申難く候に付、町柄に寄り数箇所へ手を被㆑引、格別差支へ候ては、此方共弁別の上通り筋に無㆑之、横町或は小路等にて、夜中往来稀なる場所は木戸〆切り置き、同町外番屋にて兼帯致し候共、往来人有㆑之節、速に滞り無く明通し、差支へ無㆑之様致し、其余り御触面の通り相心得可き旨仰出され候。依つて〆切り候場所々々、此方共へ申出さるべく候。取調べ候上指図に及ぶべく候。
【番部屋注意】一、番部屋を一人づつ相詰め、外に時々相廻り候者両人程差出し、右廻りの会所店先にて休足致し候様取計らひ、外に幕抔を張り候場所取補理ひ、昼夜町人相詰むるに及ばず候。勿論町入用無益不㆓相掛㆒様心配致し、取締り向き永続致し候様相心掛くべき者の儀に付、猶又此旨相心得られ、勘弁に及ぶべく候。
【 NDLJP:176】【焼跡取締】一、町々の内焼失跡の板囲等も致し、焼地の儘差置き候ては、第一に不用心にて、土地の外聞にも拘はり、不㆑可㆑然候に付、前件の通り番人減方勘弁も有㆑之、右は家持の向建家揃取り候様精々相心得、無㆑拠分は板囲のみにても補理ひ、往来同様猥の儀無㆑之様取計らひ申さるべく候。
右御逹の趣書取り候間、組合町々篤と申合ひ不㆓相馳㆒一様取締り向等勘弁の上、永続相成候様専一に相心得申さるべく候事。
寅十二月
【安治川通運の注意】安治川海口五合船五十艘を以て、年中毎々御浚へ可㆑有㆑之。右に付川方御役人目印山へ年中出張浚人足定々御雇入、同場所に御差置き有㆑之候積り、先づ一箇年為㆓御試㆒、此節ゟ相始め候。且又上荷等於㆓沖合川内㆒賃米等の儀不束の儀も候はゞ、右目印山御出張所へ申出で候様との事に付、右の趣御達有㆑之候間、寄々相心得候様各ゟ噂致し置き申さるべく候。
【諸薬品高直】当夏以来諸品高直なる中にも、薬種類は別て高価にて、巴豆一斤五百目余・龍脳六百目余・大黄一斤七十目、其余も是に准ず。和薬にても少しも安き物なく、海人草一斤三十六匁・明礬一斤三十匁、其余も是に准じて何れも高価なる事なり。例年冬至ゟ十日目、遅くとも三十日目位には、唐船入津する事なるに、当年は其事も未だ非ざる故、清朝はヱギリスの為めに切取られて滅亡せしなど、外に便りあるべき処にもあらずして、彼地の様子知れぬる事に非ざるに、種々区々の風説にて騒々しくもをかしかりしに、十二月十四日に至りて、唐船一艘著岸す。都合五艘入津の積りにて、彼地を出帆せしと云ふ事なり。
廿二日伝法川口等にて、米を積める船、七十余艘覆り人多く死す。廿三日・廿四日晴。されども西北の風烈しく寒気堪へ難し。廿五日晴、風止み天気穏なり。廿六日曇、巳の刻少雨、暮過ゟ終夜大雨。廿七日曇午の刻ゟ晴。夜初更天満梅がへ失火、二軒焼失。加島屋・鴻池を始め、富家十七軒御呼出にて、何れも日々の暮し方を書付に致し、差出す様仰渡さるゝにぞ、何れも一人前一日に五文菜の由を書出せしと云ふ。役人不意に富家の勝手へ入り来りて、其様子を見分すと云ふ。余りにこせつきし事【 NDLJP:177】にて、抱腹に堪へざる事共なり。又横堀辺荒物屋十八軒の者共には、「昨年・当年の買入れし諸品の元直段と、夫々に売払ひし直段等相記したる帳面、残らず持参すべし」と仰渡され、何れも大に困窮すと云ふ。さもあるべき事なり。
歳内納相場左の通
【米穀納相場】筑前米六十五匁 同古米六十六匁 肥後米七十目五分 同古米七十三匁
同餅米七十六匁 同太米五十五匁 同小麦七十四匁 同宇土米六十九匁
中国米六十七匁 同古米七十三匁 広島米六十一匁五分 同古米六十五匁
肥前米六十六匁五分 讚岐米六十一匁 備前米六十六匁 同撰米六十四匁
淡路米七十二匁 筑後米六十五匁 同夏大豆八十一匁 豊前米六十八匁
同生餅六十目 薩摩米七十四匁 岡米六十一匁 柳川米六十八匁
同並米六十四匁 伊予米五十四匁 中津米六十二匁 同餅米七十三匁
同筑前米六十三匁五分 加賀米五十六匁 米子米五十七匁 雲州米五十匁
秋田米五十二匁 同能代米五十四匁 同地廻米五十五匁 沼田米六十九匁
田安米七十目 同有馬米六十八匁 同西成米六十七匁 同島下米六十八匁
同泉州米六十五匁 弘前米四十七匁 同青森米四十九匁 新地出口米六十七匁
同高瀬米六十九匁 同八代米六十八匁 同餅米七十一匁 小田原米六十四匁
大村米六十五匁 延岡米六十四匁 同城付米六十五匁 同宮崎米六十二匁
同餅米五十六匁 明石餅七十八匁 金谷米七十一匁 唐津米六十四匁
島原米五十二匁 同豊後米五十一匁 同大豆六十目 長門米六十七匁
栗野米六十九匁 山形河内米七十目 宇和島米六十五匁 秋月米六十六匁
同餅米七十三匁 姫路米五十七匁 杵築米六十六匁 津山米六十七匁
同飛赤米六十五匁 龍野米五十五匁 林田米七十目 佐土原米六十二匁
伊東米六十三匁 同小麦五十五匁 高鍋米五十六匁 徳山米六十九匁
吉田米六十八匁 新谷大豆七十五匁 平戸大豆七十一匁 岡大豆七十四匁
金六十五匁 銭九匁六分
【 NDLJP:178】〔頭書〕当年農作にして、登り米少し。諸国と異船入来の手当・兵糧に囲ふ故なりなど云へる噂あり。大坂御城内御殿向御普請にて、別に御城内並に鴫野口等に、大造りなる御米蔵、新に今度出来し、籾囲となると云ふ事なり。
【御法度に触るゝ者多くして年末物淋し】当年は御改革に付騒々しく、至つて陰気なる事のみなり。暮に至りて金水引御停止仰出されて後、役方より廻し者を以て寺院ゟの使の様にて、金水引を内々にて売り呉れよとて、種々様々にだらし賺しぬれ共、御法度の事なればとて、一向に之を取あへざりしかども、余りに強ひて頼みぬる故に、渋々ながら少し計り密々に商ひしに、翌日直に御奉行所へ呼出され、御咎の上十〆文の過料なりしと云ふ。総て斯様の類にて過料を仰付けられし者、其数仰山の事なりと云ふ。播磨とやらん阿波とやらん、何か法に背きし者有りし由にて、千人余も呼登せになりしが、之等も悉く過料仰付けられしと云ふ。総て過料の銭は、炭屋安兵衛方にて是を引受けて取計らへる由なるが、日々此過料銭の仕立に追はれぬる程の事なりと云ふ。又北の新地に之迄格子・衣類等の事、幾度となくくれ〴〵と仰渡されし事の貫かずして、【衣類の制限転々す】近頃は売女の類麁服に前垂を当てぬる様に仰付けられ、其通にて居たりしが、程なく年も改りぬる故、内々ながら衣服の事を伺ひしに、「紬は苦しからず、縮緬にても紋付は相成らざれ共、縞縮緬は仔細なし」との事なる故、一統に正月の晴著にとて、縞縮緬・紬等にて十二月廿日頃に至りて、漸々と一統に仕上げし由なるに、廿日過ぎに至り、暴に木綿の外は相成らずと仰出されしにぞ、何れも呆れ果て、「最早年内日数迫りぬる事なれば、今更綿服を拵へしとて、正月の間にも合ひ難ければ詮すべなし。正月も寝巻の衣類にて済ますべし」と決著せしと云ふ。されども折角と拵上げし晴衣服の、一つも間に合へる物なければ、其もたれ呉服商人に及び、大抵は払方をなさゞる故、何れも大に困窮に及びぬる由を、其筋へ入込める(由脱カ)呉服屋共に聞き候ひぬ。其外市中一統に金銀不融通にて、至つて寂寥たる事共なり。廿八日晴。廿九日曇、夜に入り終夜大雨なりし故、斯くては元朝も如何あらんと思ひしに、卯の刻頃に至りて雨止みぬ。
十二月廿八日仰渡さる御廻章にて
【 NDLJP:179】【明地使用制限を厳守せしむ】町家明地面并に所々請負地等にて、神道講釈又は心学・軍書講釈・昔噺の四業の外、余業差出し候儀不㆓相成㆒、其外取締向の儀去年中申渡し置き候処、右場所の内難波新地続野側并に西横流末新築地の儀は、味悪しき作物生立ち不㆑宜或は家主等自力及び兼ね、追々小見せ物小屋等に地所貸渡し助成に致し来り候趣に相聞え候間、已来右二箇所限り前書四業の外、類業相催し候儀不㆑苦候。尤も右に事寄せ歌舞伎に紛らはしき所作致し候儀は勿論、婦人等差出し候儀堅く相成らず候間、諸事最前申渡し候趣相守り、其度毎奉行所へ断出づべく候。若し相背き候者有之候はゞ、聊か無㆓用捨㆒召捕り厳重可㆓申付㆒候。
右の通り三郷町中并に受負地の者共へも可㆓申通㆒候。
【物価下落の励行】諸色直下げの儀に付、尚六月相触れ候通り、却て二割已上引下げ可㆑致㆓売買㆒儀は勿論の事に候処、其後元方直段高直に相成り候趣を以て、諸色の内にて二割引下げ、巳前の直段に復り候品も有㆑之、右は全く元方高直にて無㆑拠直合には可㆑有㆑之候得共、さ候はゞ追々相触れ候通り、元方直段高直の次第可㆓申出㆒処無㆓其儀㆒、等閑に致置き、元付直段の見競を以て二割引下げ、以前の直段にて売買致し候者も有㆑之哉に相聞え、不埒の至りに候。実に元方直段高直に候はゞ、篤と及㆓引合㆒高直の直段無㆑拠筋に候か、又は不分明の訳も有㆑之ば、其次第早々可㆓申出㆒候。以後兼ねて元引先等の斟酌にて、元方高直の訳不㆓承調㆒等閑に致し、直段引上げ候趣於㆓相聞㆒は、急度可㆑令㆓沙汰㆒条、此旨三郷町中へ早々可㆓申達㆒候。
右の通り仰せられ候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候。已上。
十二月廿八日
【大工取締】三郷大工職の者、御用役差の節、無㆑滞可㆓差出㆒筈の処、素人にても右職働勝手次第の様相心得候者有㆑之哉にて、役差の節、支への趣に付、以来無㆑滞罷出で候様右職方の者へ相達置可㆑被㆑申事。
十二月廿八日 北組 総年寄
【金銭不融通】当年は前にもいへる如く、御改革に付何かと騒々しき事なりしが、当暮に至り、諸方一統に大手支にて、金銀の融通至つてむづかしくして、大に淋しき事なりしが、中【 NDLJP:180】には商売によりて、少々の利を得し者も有りしとぞ。
【御勘定平林定之助切腹】十二月廿五日、長崎に於て御勘定役平林定之助切腹せらる。こは是迄年来長崎地役の者と馴合ひ、私欲の事有りし故なりと云ふ。其外会所方の者共大勢召捕られしが、其中にて六人入牢し、其余は何れも町預けになりしと云ふ。又商人十とて唐物を入札し、之を引受くる者共二十人計り之ありて、此者共落札の上にて、大坂・堺等の問屋共へ荷物を送り、夫ゟして所々の唐物屋共夫々に買取り、之を商へる事なりと云ふ。然るに商人方よりして、公儀へ上納の金子千五百貫計り、昨年来唐物類不捌にて、何れも大に損をなせし事故、不納となりてありしが、当暮に至りて之を厳しく御取立てとなる。右商人方の内にて、相応の身元の者七八人ならではなく、其七八人の中にても宜しき身上の者はなくて、大坂に於て三井八郎右衛門・炭屋安兵衛・天王寺屋忠治郎等大坂よりして之を持ちて、此三人の者共に重たるものは四五人位の事なりしぞ、此金子調達せざれば、何れも入牢すべしとて、大に慄ひ恐れて、種々心配して金子の工面をなすと雖も甚だむづかしく、漸々と八百貫目計り出来せしと云ふ。如何なりしとも未だ分らず、年も明けなば委しく此落著も分るべし。大に混乱する事なりとぞ。〈〔頭書〕御普請方、之も之迄悪しき事せし覚えありしにや、平林が切腹と同じき頃、長崎を出奔して其行方知れずと云ふ事なり。〉
【唐船来航】唐船の入津も当年は至つて遅き故、ヱゲレスと大に合戦し、清朝大敗に及び、ヱゲレスの為めに国を奪れしなど、風の便りなき事なるに種々様子の取沙汰にて、騒々しき事なりしが、延著なりしかども、唐船四艘入津せし故、其噂も止みぬ。之迄は唐船入津すると、直に何々の品々を積来りしといへる事、六日目位には早飛脚にて大坂に知れぬる事なりしに、此度の御改革に依つて、其事を江戸表へ申上げ、御老中の耳に入りし上ならでは、相分らざる様になりしとぞ。
【大塩動乱と米倉丹後守の困窮】爰に可笑しき咄有り。去る酉の年二月十九日、大塩平八郎が乱妨の事、同廿三日江戸へ注進有りしに、其注進至つて大層に申上げしにぞ、公儀にも大に驚かせられしと云ふ。其頃は大坂京橋口の御城番御替りにて、折節玉造口の遠藤但馬守一手にて預り居りし事なれば、江戸に於て米倉丹後守を召出され、「速に上坂し、京橋口の固めせよ」と命ぜられ、金子千両下し置かれしにぞ、米倉之を受け取奉り、其用意をな【 NDLJP:181】すに、兼ねて不心掛なる事故に、武器の類一向になかりし故、俄に其手当をなして之を買入るゝ。主人斯の如くなれば、一家中家老共始めとして、武具は申すに及ばず、日々銘々に帯する処の大小さへ満足なるを持てる者なきにぞ、千両如きの金子は瞬く内に遣ひ尽せしにぞ、種々様々工面をなし、金子の借られる限り之を借り集め、仰山なる借金にて、漸々と三月九日立にて江戸を出立し、大坂は今軍最中なれば、何れも何時討死の程も量り難しとて、何れも水盃をなして出来れる程の事なりしに、十九日の乱妨已後は、只騒々しき計りにて、何の事もなく、借金して折角拵へし処の武器少しも間に合はずなりぬ。此一件に付米倉が身に余れる借金にて、困窮限りなき事なるに、御城代の代り四度、玉造口の御定番の代り一度、其度毎に夫夫を預り、其役を勤めぬる故、格外なる物入り有りて、江戸在所等へ申遣すと雖も、在所をば十分に絞上げ、江戸にては借られる程は借り尽して、少しも返済をせざる事なれば、聊の金子も整はず、大坂にては尚更工面むづかしく、娘を或諸侯へ〈遠藤但馬守とやらん云ふ事なりし。〉縁付けしが、支度は後よりとの応対にて、丸裸にて遣せし儘にて、之を遣す事もなり難く、三月に至り出生せし孫の初節句なる故、雛を贈らんとて、金子五両にて是をあつらへしにぞ、其雛出来して之を持参りしかども、纔か五両の金子の工面さへ調ひ難くして、之を買ふ事ならざりしと云ふ。浅ましき事と云ふべし。
米倉の用達何某なる者、島屋市兵衛方へ出来りて、此咄をなし、当時にては僅か二三歩の金子の工面さへ出来難し、気の毒の事なりとて、十月頃に此噂せしと云ふ事なりし。
京都所司代も、十二月八廿日閉門を免さる。御改革の御趣意不呑込みにて、不恙なる取計らひ御咎なりしと云ふ。町奉行も同様の事なりしとぞ。【 NDLJP:182】 浮世の有様巻之九上〔後〕終この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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