目次
 
盗賊流行高値の物売買を禁ず西奉行受請文を仰渡す大坂は商業の中心地大阪東大の奸計諸国商人の暴悪倹約令に就いての批評盛場の不興芝居の役者を取締る金銀唐物の使用を禁止す長崎商売不振に就いての口達再び口達再三日達淀川筋川船の規定諸士詰責の来状日光社参に就いての控百姓の風俗を改善の令を出す倹約にすべき事を覚す伊勢参宮に就いての注意家持借家人に対する布告被物を倹約にすべきをさとす俄騒を禁止す株式暴乱冥加金免除衣服の華美を制す奢侈を禁ず管絃の禁飲食店の制限乱らなる女の禁町人に質素を勧む裾をからげて横行するを禁ず髪飾の制限御触に違背せざる旨を悟す人民の誓書人民の誓文京都与力閉門物価を調査す盛場の取締驕奢を戒む美衣を纒ふを禁ず女子の悪風を正さんとす京都市民への御触美衣を纒ふを禁ず風俗上善からざる物を禁ず町民の誓旨堺演舌書士農工商の本務を諭す商人の奢侈を諭す博奕を禁ず温室栽培を禁す
 
オープンアクセス NDLJP:7
 
浮世の有様 巻之九上(後)
 
 
天保十三年雑記 水野の改革
 

盗賊流行江戸は御膝下なる故、昨年来厳しく御取締ありしが、京摂は緩かなりし故、一統に淫々うか暮らしぬる様子なりしに、京都右の如き事なれども、大坂は尚緩かなりし故、大坂を御取締有りては、諸大名の融通に差支へぬる故、江戸・京都抔の如くに取締り給へる事は有るまじ抔と、狼狽者共身勝手に利屈を附けて云へる者などもありぬる様子なりしが、天下よりの仰出されし事、何しに左様なる事あるべきやと心可笑しく思ひしに、此度当十六日に至りて、厳しき仰渡しの御触等ありしにぞ、狼狽者も定めて夢の醒めたる事ならんと思はる。また近来盗賊至つて多くして、処々へ押入り財宝を奪取れると云ふ噂止まざるに、先月頃よりしては別て多く門口を打破り焼切り、往来にて人を剥取れるなど、仮初に七八人、十余人の党をなして働ける由、諸人大に恐をなす。

オープンアクセス NDLJP:8

両御奉行様御立会の上質素倹約并融通合心得方仰渡され候に付三郷火消年番町年寄より御請証文の控〈此分東奉行様より仰渡され候御受証文の事〉

高値の物売買を禁ず質素倹約の儀に付、停止の品々売買致すまじく、其外取締筋等最前相触れ候に付、町町末々の者迄承知せしめ、最早改革致すべき事には之あり候得共、未だ日合も無之儀に付き、自然心得違停止の品々密に売買、又は猥に不相応の衣類等取扱著用等致し候儀之あるに於ては、自然と露顕致し吟味受け、其身は勿論取〔〈締脱カ〉〕役人迄も御仕置御咎等相成候様成行き、後悔致し候ても詮なき次第にて、此度厳重相触れ候上は、銘々覚悟致し、右体の心得違は之有るまじく候得共、町人共は売買筋の利潤を量候情合より、是迄仕込み候品物等売捌兼候儀を厭ひ、不筋の念慮萌し候者に付、夫等の心得違無之様相慎み申すべく、縦へ当分は窮屈の様にも相心得べく候得共、往往都て粗服・粗食に馴候はゞ、夫れにて事足り、自然と下直の品のみ売買相成候はば、自ら商売筋繁昌致し融通合も行届き、暮し方凌ぎよく安堵の渡世に推移り候様との御主意に付、右等の次第弁別致し、軽き者共迄も有難き御主意承伏致し候様、役人より家持、家持は借家人、順々洩れざる様申諭すべく候、右の通り申諭し置き候上は、万一触・達の趣相背き候者有之ば、即刻召捕り吟味に及び、所役人迄も咎申付くべき条、其段篤と相心得申すべく、尤も右の趣三郷町々役人共呼出し申諭すべき処、多人数の儀に付、其方共へ申達し候条、組合町々へ洩れざる様早々申達すべく候。右の趣仰渡され有難く畏り奉り候。早速組合町々へ洩れざる様、相達し申すべく候。仍て御受証文如件。

   寅四月十八日

〈火消年番年寄道修町五丁目年寄未だ極らざるに付善左衛門町〉坪屋惣兵衛・〈平野町一丁目〉深江屋勘兵衛・〈南本町一丁目下半年寄病気に付本町三丁目〉柏屋久兵衛・〈源右衛門町〉大和屋喜八・〈初稲町年寄病気に付順慶町四丁目〉三宅山次郎・〈江戸堀一丁目〉蔵田屋半右衛門・〈瀬戸物町〉天満屋半右衛門・〈立売堀四丁目〉紙屋喜兵衛・〈上博労町〉室屋彦四郎・〈古川一丁目〉鴻池屋彦右衛門・〈九之助町二丁目年寄病気に付卜半町〉泉屋佐兵衛・〈周防町年寄病気に付木挽中之町〉万屋林蔵・〈長町六丁目〉亀屋孫兵衛・〈大沢町年寄病気に付金山町〉米屋久兵衛・〈常盤町四丁目〉三木屋伊兵衛・〈藤森町〉播播治兵衛・〈南瓦屋町〉瓦屋久右衛門・〈玉造森町〉津国屋嘉右衛門・〈天満三丁目〉塗屋才兵衛・〈高島町年寄未だ極らざるに付極楼町〉住吉屋重兵衛・〈西樽屋町〉播屋喜兵衛。右仰出諭さるゝの趣承知仕り候。

オープンアクセス NDLJP:9           三郷総年寄 伊勢村新九郎・渡辺又兵衛・薩摩屋江兵衛

  御奉行所

     西御奉行様仰渡さるゝ御請証文の事

西奉行受請文を仰渡す追々御触達の趣申渡す通り、都て株札并問屋仲間組合等差止め、素人直売買勝手次第の御趣意、一同有難く承伏致し候儀には可之候得共、下賤愚昧の者等の心得違之無き為め、猶又今日申渡す御趣承るべく候。

大坂は商業の中心地一、大坂表の儀は、諸国取引第一の場所にて、諸色の儀土地産物は申す迄も之無く、何れも諸国ゟ積廻り候分、何品に依らず、その筋々の商人共手広に引受け売買致し、江戸其外諸国入津の品も多分大坂より積送り、其先々々不足を補ひ、諸色平均相場の元方にて、諸国見競ひ相成り金銀宜しきに付、世俗諸国の産所と相唱へ、引取り多端は所柄に付、国々荷主船頭気向も相進み、専ら当所を見当に積廻り来り候に付ては、諸色潤沢に及び、高直の品も下直に押移り、諸民の助にも相成り、弥増取引多端に及び、土地の繁栄は勿論大坂より諸国へ積送り候分も、右に准じ手厚に行届き、夫々相持ちに融通宜しく、正路の売買致し候儀に之有り。右掛引の儀は全く大坂町人共に限り候儀にて、大阪東大の奸計下賤の身分を以て、諸国融通の大要を取扱ひ候段冥加にも相叶ひ、他国の者の及ばざる廉に之有る上は、先前よりの振合を取失はざる様専一に心掛け申すべき処其儀なく、近来大坂町人共儀、土地の融通諸国の差障をも顧みず、兎角に一己の利欲に耽り、是非大坂へ積廻すべしと見込み候品は、船間を見掛け相場引上げ、追て廻著の期に至り、態と相場を引下げ、他国荷物を踏付買落し、不筋の徳用を貪り、或は仕切・替為銀等の渡方も勝手儘の取引致し、其外不実の仕向を以て手懲致させ、荷主・船頭の気受に拘はり候に付、国々の者も手段を構へ、再度上方へは積登らず、中国筋瀬戸内等にて途中売致し、邂逅大坂へ相廻し候ても、直待と称へ商人共へ荷物預置き売放さず、又は最寄の手広く相成る土地の繁栄は申すに及ばず、諸国商人の暴悪自然の融通相寛ぎ、諸色潤瀉に至り、身薄の者も今日を安閑に暮し候へば、右積善は必ず銘々の子孫に報い申すべき間、御国思冥加に存じ、相互に力を添へ産業を誠実に相営み、成るたけ諸色下直に売買致すべく候。自今以後御触面を背き、申渡オープンアクセス NDLJP:10しを相用ひず、不直の取計ひ致し候者相聞くに於ては、用捨なく召捕り、厳重の沙汰に及ぶべく候間、其節後悔致し候ても其詮之なく、浦著の場所へ積替商ひ致し候分も有之仕儀に相移り候儀も心付かず、都て払底の品を買占め持囲ひ或は糶売・糴買致し、剰へ大坂へ入津以前途中へ出張、直段糶上買取り候者も有之事の由相聞え、以の外の儀に有之、畢竟右等の流弊より大坂へ廻著相減じ、諸色融通せず、直段高価に至り候一端に可之。元来大坂町人共儀、右体当所へ積込むべき品を外々にて売払候様成行き候次第、外聞実儀歎かはしく存ずべく候筈に候上は、急度相慎み、以来一時の徳用に迷はず、諸国対用の場所と申す本意を朝暮相弁へ、荷主船頭の気受をも心配致し、銘々深切を尽し、何れにも国々より諸色積送らず候ては、夫々渡世の詮無之旨と一図に心得、取引大切に相励み候はゞ、荷主船頭共に於ても其実意を感得致し、是迄相廻さゞる品をも此後持込み候次第に相成り、先前の振合に相復り、一般に大坂を目当てに積込み候様に推移るべきは必定の儀に候。さ候へば弥〻取引き事に付、一同心得違無之、わけて申諭候儀に候間其旨を相心得、其方ゟ組合町人へ不洩様可申聞候。

  寅四月十八日

右之通仰渡さるゝの趣承知仕候。      三郷総年寄渡辺又兵衛薩摩仁兵衛

右仰渡さるゝ通り、承知仕候間、依之銘々印形仍

倹約令に就いての批評右の通りの御触にて、毎町に軒別に印形を取り、「紬は云ふに及ばず、絹縮緬の類は女の手元に置きて日々業とする処の針差に使へる針山をも引きめくり申すべし、又床に掛くる処の掛物にても、聊にても絹切の使ひあるをば掛くべからず」抔とて触廻れる町抔もあり。之等は公儀を重じてかく云へる事なる様にはあれども、之全く公儀へ諂へる事にして、小鮮を煮るの御政事には大に背きぬる事にして、甚しき事と云ふべし。又町家手代共其外召遣の類、妾宅月囲ひ等を悉く狩集めて、最寄々々の会所々々へ役人出張にて、七八十人・三四十人程の手かけ共を引込まる。何れも奉公人又は身軽き身分にて、主人の財宝を盗み掠めるに非ざればなし難き事なる故、厳しき御吟味ありといふ。又縦へ主人たる者にても、其分限に過ぎて不法なるオープンアクセス NDLJP:11は、其の吟味厳重なりといふ。盛場の不興又厳しく仰出されし後、夜分内分にて髪を結はせし者ありしを、十四五人計りも髪結諸共御咎を蒙りて、町払となりしもありと云へり。又新町の外、島の内・北新地其他何れも廓にあらざる故、衣服は勿論髪〔〈結脱カ〉〕はせぬる事も成難きにぞ、木綿の衣服にて不恙なる髪・身仕舞等故、至て見苦しき事なりといふ。斯様の振合故客自らあらずして、何所も至て物淋しき事なりといふ、心地よき事なり。芝居の役者を取締る又芝居役者共を召出され、「当時御改革の時節に候故、役者を止め候に於ては、平人同様町住居致し、何に寄らず渡世致すべし。もし相止めず候はゞ、長町四丁目へ一所に所替致し、悉く髪を剃下げになし糸鬢となるべし、市中の住居交り等決して相成り難き由」仰渡されしといふ。役者等の返答に、「私共事年来役者を致し世渡り仕候事故、他に何一つと仕覚えし事なく候故、髪を剃下げ長町へ変宅仕るべし」と御受申せしといふ。金銀唐物の使用を禁止す先年銀を以て簪手道具の金物抔は云ふに及ばず、器物たりとも之を用ふる事を禁ぜられ、悉く公儀へ御買上に相成り、以来何品によらず銀を以て金物に遣ふ事を御禁制と相成る。如此なれば金は尚更申す迄もなし、鼈甲も百目を限り、之より以上の櫛・笄・簪等を用ふる事を停止せられしにぞ、何品によらず総て唐物類は之に準じて、高価の品を取扱ふ事御法度となりし故、唐物も其以来は売捌け難く、其筋の商人も品物を持抱へぬる上に、昨年来厳しき質素倹約の御触にて、唐物類を禁ぜられしにぞ、之に懸れる商人共大に困窮し、長崎一統に難渋に及び、当年の上納金一万六千貫目の内三千五百貫目不足致し、之を上納する事成難く、大に差支へに及びしと云ふ。依之四月廿日に至り御口達にて左の通り仰出さる。

     口達

長崎商売不振に就いての口達唐船持渡之薬種・荒物買持并荷物並合引当等に取組候者共、近来売買を危踏融通不宜趣相聞候。右商売携候町人は勿論、都て国々にて取捌候者共に至る迄、譬へ公事出入吟味中にても無障可取引候。若又正銘唐物致所持、或並合引当等に取置候共、妻子に不拘当人計御仕置に成候節は、其品不闕所妻子へ被下置候。吟味中、家財を改め封印付候共、正銘唐物に於ては封外に候条、少も無疑念向後手広に可売買者也。

オープンアクセス NDLJP:12再び口達右の通文化度以来、追々相触置き候処、右商に携り候者共、取引荷物正銘正路之売買而已を心掛候儀は申迄も無之筋に候得共、右正銘物をも不正物抔と申す浮説に被惑、前に触渡の次第を取失ひ、一体の人気に縮自然と成行危踏候故哉、今以存込薄く商ひ取組手狭に不融通之趣に相聞心得違之事に候、都て商売物の儀は、時々興廃は有之物に候得共、唐物の内別て薬種之儀は専ら人命に拘候品に付、長く廃候謂無之上、諸品共正銘物に於ては、買物並合取組等の儀更に危踏可申筋無之儀に付、弥〻前々触渡の通相心得、右商売筋之者は勿論、素人にても同様無疑念銘々見込次第十分出精取引可致者也。

再三日達右之通去る戌年相触置き候処。此度問屋唱方之儀に付、御触達の趣申渡候箇条の内、他国へ前金等遣し買留積送り為見合、其処へ囲置候者則占売に相当り、不正之筋に候間、以後右様之儀は致間敷候。万一不相改趣外ゟ於相聞は、可厳科と有之候儀を町人共心得違、唐物売買筋を危踏候由相聞、以之外之事に候。素々取巧候儀に無之捌方模様に寄、品物手前に買込置追々売出候儀は勝手次第之儀にて、右類占売には不相当候間、其段弁別いたし、何れにも売買手広に相成候様との御趣意に基き、先々相触候通唐紅毛荷物共、正銘之品は聊無危踏銘々見込次第出精取引可致旨、三郷町々へ可申聞事。

  寅四月廿日

     口達書

淀川筋川船の規定淀川筋人乗三十石船の儀、乗組人数に応じ船足入の定法も有之、船宿の者兼々相心得、猥に多人数乗せ不申事には候得共、近年水夫かこの者共直に相対いたし、途中に於て法外に人を乗せ、自ら船足も入り風波又は出水等の節、度々怪我人有之、全く水夫共が猥の働方ゟ事起り、不埒の至りに候。自然難船等有之候ては、人命に拘り、其身は素ゟ乗組一同有難儀候は以ての外の儀、其節に至り先非を悔い候共、無詮事に候条、往来いたし候者兼て其の心得を以て、船宿にて乗合者の外途中ゟ船を呼びかけ、理不尽に乗組み申間敷候。尤も船方の者へも不作法無之様水夫共へ為申渡置候事。

オープンアクセス NDLJP:13右之趣文化八未年三月口達触差出候処、年月相立ち忘却之者も有之哉、兎角於途中船頭と直に相対を以て乗船致し候者も有之候故、乗合法外の多人数に相成候。就ては毎々難船怪我人等も有之趣に相聞え、如何の儀に付、以来三十石船に不限、其他過書・伏見・下淀川筋人乗通船の向迚も、同様相心得、途中乗船決して致間敷候。

右之趣三郷町中末々迄不洩様可申聞事。

 右之通被仰出候間、町々に入念可相触候。以上

   四月廿四日                ​北組​​ 総年寄​​ ​

     江戸より申来り候書付の写諸士詰責の来状

      吟味中差控      佐竹右京大夫 丹羽左京大夫 松平肥後守 六郷兵庫頭

右は先年ゟ自分額金偽作いたし、其国限り内々通〔用カ〕致置候処、先達て西の丸御焼失に付、御用金被仰付候砌、過半取交へ上納仕候処不届に付、差控被仰付候。

       差控の処御調之上被御免  井伊掃部頭 松平大和守

右は先達て御銀拝領仕候内、右似金多分交り有之候得共、拝領銀の儀に付、御引替願候儀も不相成、今以て所持罷在候段、明白に付、被御免候。

右は大名の贋銀の御仕置如何可相成哉、六郷兵庫頭儀は家老の忰細工いたし候。夫ゟ外三人遂に見習ひ領分限り通用いたし罷在候由也。六郷家老忰は被召捕当時入牢。

  三月廿八日

     寅三月来る卯年四月日光御社参被仰出候内控

日光社参に就いての控日光御用掛り  〈御老中〉水野越前守・〈御若年寄〉堀田摂津守・〈御寺社奉行〉松平伊賀守・〈大御目附〉初鹿野美濃守・〈御勘定奉行〉跡部能登守・〈同〉梶野土佐守・〈御作事奉行〉堀伊賀守・〈御普請奉行〉池田筑後守・〈御目附〉佐々木三蔵・ 〈同〉榊原主水頭。

日光御供  〈御老中〉水野越前守・堀田備中守・〈御若年寄〉堀田摂津守・遠藤但馬守。

同御留守残り  〈御老中〉真田信濃守・〈御若年寄〉本荘伊勢守・〈御側衆御供〉松平筑後守・本郷丹後守・松平飛騨守・牧野伊予守・新見伊賀守。

オープンアクセス NDLJP:14御参詣の節、御往還ともに御宿城被仰付、其節銘々帰国  〈御老中下総古河七万石〉土井大炊頭・〈御若年寄式川岩槻二万石〉大岡主膳・〈御寺社奉行下野宇都宮七万七千八百五十石〉戸田日向守。

日光御供御祭礼奉行兼ぬる  松平和泉守・青山大和守・本多豊前守。

日光勤番  松平大和守・松平伯耆守・太田摂津守・本多中務大輔。

日光勤番被仰付、当時在村に付、奉書御達し  本多兵部大輔・酒井若狭守・戸田采女正・内藤能登守・松平市正・酒井石見守。

日光御在山中於彼地火之番  牧野山城守、彦根侯も御供被仰付候事。

     三月七日より越前守様より御呼出にて御申渡の写

   日光御宮御参詣の節勤番所

大沢より今市入口松平大和守 今市より浄石の間古道とも本多中務大輔 新町戸田采女正 滝尾地蔵堂前・同所行者堂道入口・外山遠見とも内藤能登守 今市より日光へ出口の内に有之候奥道とも松平伯耆守 寂光口足尾口太田摂津守 小栗川口松平市正 龍円坊城酒井石見守 外山本多兵部少輔・酒井若狭守

 右之通り被仰出候間、何れも申談じ可相勤候。

一、御国入の御大名は、嘸々御物入の御儀と存ぜられ候。則ち安永の度御参詣の節は、諸色下直にて五万石位にては、大体に一万一三千両づつも入り候由、さ候へば此度は諸色高価故、一入御物入等存ぜられ候。

一、御宿城に相成候処は、警固の人数計り残り、余は家屋敷明渡し、二三里も外へ立退き、嘸々難渋の事と存ぜられ候。

一、人馬は大相なる事の由、安永の度は供奉総人数凡十三万余り、人足は廿四五万

人計り、馬は上馬共にて三十万計り入用の由、今度は少々御省略にても嘸々□□の御儀と存ぜられ候。

  右は何れも極内々御殿の仰出されに候故、御内覧〈四月廿二日承り記す〉

   昨年十一月鈴木町御代官築山茂右衛門殿ゟ在御領へ御触出の写

百姓の風俗を改善の令を出す百姓風俗の儀に付ては、享保・寛政の御趣意に復古致し候様、追々仰出され候節に申渡置候処、尚又此度水野越前守殿御指図の旨にて左の通り仰渡され候。

近来百姓共奢侈に長じ、衣服・飲食共身分不相応に相成り、遠在迄も平日油灯・蠟燭・オープンアクセス NDLJP:15雪駄を用ゐ、少しも手廻り候者は、家作結構に出来、都て農業に怠り余業に走り、農家不似合の遊芸等致し候者も有之候由に付、自今以後右体奢りがましき者有之由相聞候はゞ、当人は勿論村役人共迄急度咎申付くべき条、兼て其の旨村々へ申渡さるべく候。

関東筋の在々にては、上菓子を製し、又は江戸菓子を商ひ、髪結床は村毎に有之様成行き来り候趣相聞え候。右体の儀は相止め候様、厚く世話致さるべく候。

右の通り仰渡され候。此上は厚く相守り、小前の者共申諭し一きは立ち候様相改め申すべく候。上菓子商ひ候儀は、関東筋の振合に准じ相心得、尤も髪結床の儀は市中の組合入又は借株等の仕来りも有之由に付、右は追て尚取調べ可沙汰条、其旨相心得小前末々の者迄不洩様可申聞者也。

  丑十一月廿一日

倹約にすべき事を覚す在々に於て神事・祭礼等の節色々の品を付け、金銀を費し、人寄せがましき事一切致さず、都て惰弱の風儀相改むべき旨、此丑十二月御触渡し有之、其の節村方よりも申渡し置候処、此節伊勢参宮致し候者、宿元にて留守見舞・跡賑と唱へ、酒肴抔取遣り、其上帰宅の節逆迎抔と唱へ、船遊山同様の鳴物を入れ囃立て、迎船等差出し候抔甚だ不埒の事に候。縦令参宮致し候共、質素倹約を相守り、穏便に致すべき筈の事に候。

右等の儀は前文仰出され候御触に相背き恐入り候儀に付、若し右様心得違ひの者之あらば、見合せ次第用拾なく御訴申上ぐべく候間、心得違ひ無之様銘々致すべく候。以上

  寅三月十六日

伊勢参宮に就いての注意伊勢参宮等の儀差留候筋には無之候得共、今年何方も奢侈に超過いたし、惰弱に流れ風俗を失し候に付ては、一同質素節倹を第一に心掛け、古来の如く質朴の風儀立直し候様、去年以来別て厚き御趣意の次第も被仰出候に付、其の度々相触置候処、百姓共大勢申合せ揃ひし衣裳など拵へ、又は参宮の者共送迎へと名付、是を以て大勢申合せ提灯又は幟等船に相立て、〔淀カ〕川筋を上下致し或は最寄に合ひ、無益の酒食オープンアクセス NDLJP:16等を致候趣も相聞え候は、不埒の筋に有之候。支配所の者共若し右体の所業に及び候者有之に於ては、見掛次第差押へ吟味の上科を可申付候。弥〻銘々信心にて参宮いたし候て、可成丈質素に致し、両三人申合せ参宮可致候。勿論右の通申渡置候上は、其の村役人其急度心を付、堅く申諭し、若し不取用者有之候へば、早速訴へ出可申者也。

  寅三月廿二日

此間町奉行様ゟ御触渡し有之候に付、家持・借屋共会所に於て、請印取置き候処、尚又御役所様より右の触渡相守候様左の通り

家持借家人に対する布告右の趣今度市中続き支配所村々迄も町奉行所より被相触候上は、右市中続は勿論相隔り候村々迄も、右に准じ同様に相心得、違失無之様可相守は勿論に候得共、御料所の儀は先達て江戸表ゟ、別段に被仰渡候。其度に相触候趣も有之。一体百姓の衣類、庄屋は妻子共絹・紬・綿の外百姓共木綿計り著用致し、此外の品の儀は襟・帯等にも致間敷候。この儀は勿論、其外の品々御制禁の段は、前々ゟ相触置き候通りの次第に候上は、猶粗服を著し、髪月代等も可成丈銘々自身に取計ひ、妻子等は右に准じ是又同様に為取計、女子髪結と唱へ候類は素より差止め、男髪結にても可成丈相減じ、髪結は差止め候様致度き事に候。猶又遊芸等の類に至り候ては、たとへ是迄土地の仕来りにて有来り候共、右は素ゟ御制禁の儀に候へば、以来は別けて相禁じ、御料所内御取締一と際目立候様可取計は勿論、市中続の儀、右髪結其外旅籠屋并に酒屋又は茶屋女と唱へ候女子、市中の者ゟ借請け酒食商ひ候類、元来町奉行所に於て差免し候分は追々及沙汰候迄、先づ是迄通り取計ひ、其の外市中へ引合無之分は、前書の通り相心得、夫々取計ひ、若し村役人の申付を不相用、心得違の者有之候へば、早々可訴出候。右の趣相触候者也。

  寅四月廿四日

世上一統何時となく奢修に推移り、一同困窮に及び、兼々仰出だされ候御取締も相弛み、四民共難儀に及び候に付ては、追々厚き御仁政の御沙汰仰出され候事に候へば、銘々一同有難く存じ、重々仰出され候趣、固く相守り申すべきは素よりに候へども、尚又左の通り沙汰に及び置き候。

オープンアクセス NDLJP:17被物を倹約にすべきをさとす一、支配所の内軽き百姓は素より、譬へ庄屋其外相応に相暮し候者とても、先達て申渡し候通り、以来衣服の儀は木綿布等相用ひ、仮にも縮緬・羽二重・龍門様の品柄は、襟・帯等にも相用ひ申さず、其余は右に准じ取計ひ申すべく候処、中には是迄百姓不似合の日傘相用ひ来り候者も有之哉に相聞え候。右は先達て同様申渡し候通り、古来百姓の風俗、髪結は藁を以て束ね、雨天には簑笠并にわらんぢ等相用ひ候事に候上は、是又以来は日傘等は一切禁じ、菅又は竹の皮にて相仕立て候笠相用ひ申すべく候。尤も今度人民の難儀を厚く御厭ひ被在、品々御取締向仰出され候事に候へば、手附手代は素より、自身儀も御用の透きを見合はせ、市中続き村々の儀は不時に見廻り、追々触出候趣に相背き、如何体の者と見受け候分は、用捨なく召捕り急度吟味に及ぶべく候。其の段兼て相心得申すべく候、

俄騒を禁止す一、先達て伊勢参宮の儀に就ては申触れ置き候趣も有之候処、山上と唱へ候大峯、其外参詣に付ては申合はせ、小幟等を相立て、又大勢一と纒に相成り、騒ぎ歩行候者も有之哉に候。是又不埒の事に候条、以来右体の儀相聞くに於ては、其村々名前をも相糺し呼出し、急度吟味に及ぶべく候。

右之通り相触置き候上は、以来如何様の儀有之候とも、急度用拾なく吟味に及ぶべく候条、其旨を相心得べく候。

  寅四月八日                  築山茂右衛門御役所

右は在料福島辺の御触なり。難波辺には西瓜・茄子・胡瓜等の早く出せる作り方を禁ぜられ、総て有用の物計りを作るべしとの御触にて、是とは大同小異なり。余りくだしければ、之を写し留むる事なし。江戸・京・大坂在御料との御触を記し置きぬれば、之にて当時の有様を知るに足れり。余は推して知るべし。

     京都三月上旬以来御触書の写

株式暴乱一、此度問屋と唱へ候向、都て諸向株札を以て、仲間組合の類并貸付諸会所総潰れに相成り、尤も諸商ひ物是迄御制禁の外は、何によらず素人共売買勝手次第たるべく候。尤も諸株札御定印の歩、悉く先日御奉行所へ返上。

オープンアクセス NDLJP:18

金銭両替屋・酒造屋・○米相場米商売人・○薬種唐蘭仲間・和製砂糖屋・竹材木屋・古道具古銅・本屋・古手屋・質屋・朱座仲買・○禁裏御用魚取扱・金銀座支配〈商売人〉○金銭延商売買〈仲買〉・旅籠屋・茶屋・○風呂屋・〈但し湯屋にては無之〉床髪結・諸川船・〈高瀬川筋保津川筋〉・通し日雇請負。

右数々の向は商売立置かれ候へども、株仲間組合等相唱へ候儀は、此度総破れに相成候。○印の向は追て御沙汰せらるべく、并に高瀬川筋・保津川筋・桂川筋等諸運上此度御免仰出され候。

冥加金免除一、諸向御冥加金運上等悉く御免仰出され候。

衣服の華美を制す一、近来奢り超過致し、尤も華美の衣服を著飾り候分不相応の品物取扱ひ、町家の者共茶事を習ひ候に付ては、高金の道具茶器売買致し、心得違ひの次第、但茶の湯御差留にはあらずと心得候。

奢侈を禁ず一、高金の衣類・櫛・笄・鼈甲・金銀の類停止、町家の分は衣類成るたけ目立たざる様、譬へ紬・木綿たりとも、当世の目立ち候染抔の類相成らず、さりとて目立たずば縮緬・羽二重の類苦しからずと申すにもあらず。

管絃の禁一、三味線・琴稽古の儀は、瞽女・法師に限り候儀は、女稽古相ならず〈但浄瑠璃の儀は古来御沙汰無之候〉

飲食店の制限一、市中に於て、料理屋と唱へ入れ寄せ致し、或は中宿又は遊所への便利の筋、御停止。但ありきたりの料理屋・仕出屋の向は、是迄の通り御免。

乱らなる女の禁一、隠売女は勿論、町舞子抔にても紛らはしき所行の者は、御吟味の上厳重に仰付けらるべき事。

町人に質素を勧む一、町人の分は縦へ大家・小家・旧家・雑家に拘はらず、町人は町人の分にて一体の事に候間、自他に構はず銘々相慎み、質素倹約を相守り候べき事。

裾をからげて横行するを禁ず一、近来女房・娘等市中へ出行くにも、裾をからげ、物好の裾除を致し、不遠慮に横行致し候は、京風の姿振を失ひ、浅ましき風俗に推移り、不埒の儀に候。向後市中横行に裾をからげ候儀、相成らざる事。

髪飾の制限一、女髪結厳しく御差留仰出され、并に髪飾縮緬の色切を用ひ申すまじき事。但男髪結床は御差置きに候へども、結ひ賃成丈直下に致すべき様仰渡され、一統に廿二文の定に相成り候事。

オープンアクセス NDLJP:19御触に違背せざる旨を悟す 右個条あらまし斯の如し。尤も御触文の綴りに拘はらず、大意を記るす。

去る三日組与力衆ゟ御手分を以て、町向へ御出張、右享保・寛政度の御触面の御趣意并に今度三箇条を以て、最寄町役の者を御呼出し有之、厚き御利害を以て、古来の風俗に復り候様仰渡され、銘々一町限りに心得違ひ無之候様申諭し、油断なく吟味に及ぶべし。若し御趣意に相触れ、御触面を相用ひざる者有之候はゞ、用捨なく本人は勿論、年寄組役の者迄厳重に御咎の御沙汰に及ぶべく候条、後悔致さゞる様取計らひ申すべき事。

 右御沙汰によりて、両替町一町中承伏連印取之個条左の通り、〔〈但し町役方へ取置候事〉

     請書

人民の誓書一、御公儀様より先々仰出され候御制禁、御触書の個条并に去る丑六月に仰出され候、享保・寛政度の御触書の趣、尚又追々御触源しの御趣意、一々奉承伏候。

一、忠孝第一に相励むべき事。

一、家業出精、商売正直に仕るべき事。

一、身分を量り相弁へ、諸事質素・倹約を相守るべき事。

一、子弟召遣の者へ善行申諭し、憐愍を加へ、和合をなすべき事。

一、仏事年囘の儀は、供用の儀に候間、可相勤事に候得共、分限内端に可取締事。

一、吉凶臨時の事共は、成丈け質素節倹相守るべき事。

一、華美の衣類用ひまじく、官服に相用ひ候地物・綾錦織物・縮緬・羽二重・或は唐物類は勿論、総で町家不相応の品柄、并に髪飾金銀の類鼈甲等、娘・子供に至るまで、縮緬抔の色切を用ふまじき事。

一、娘・子供に至るまで、往来に裾をからげ、横行いたすべからず。既に縮緬其外華美好みの裾除け相用ふまじき事。

一、女髪結を出入致させまじく、娘・子供には髪結を習はせ、女の所作を相稽へさせ、并にあさましき姿振を致さゞる様、風儀を相稽へさせ申すべき事。

 右個条の趣、一々堅く相守り申すべき事。

人民の誓文 近来世上の奢りの超過致し分限を弁へず、仮初にも華美の衣類を著飾り、高金のオープンアクセス NDLJP:20道具類を取扱ひ、自然と自業の難儀に及び候族も有之、不便の事に思召され、此度結構有難き御趣意を以て、享保・寛政度の御触書を以て、古来へ復し質素倹約を相守り、安らかに渡世相成るべき旨相慎み候様、追々仰出され候処、今以て風儀相改めざるは如何の事に候。此度の御下知に依て、御役方様態々町向へ御出張を以て、町役の者を御呼出なされ、向後心得違ひ致さず、質素倹約の御触面の御趣意相省かざる様、一町限りに申諭すべき旨仰渡され候。若し此の上相背く者有之に於ては、本人は勿論町役の者迄、用捨なく厳重に御咎に及ぶべき御沙汰の旨、其の時後悔致さゞる様の厚き御利害に御座候趣、一統承知し奉り候。全く御慈悲有難き此度の御趣意、一一急度相守り、但質素倹約諸事相慎み申すべく候。依て承知御受印斯の如し。

京都与力閉門一、京都御組与力入江氏・七竈氏入牢仰付られ其の外与力の衆の内歴々の方両三日閉門仰付けらる。入江氏の掛に付、町家の向大家両三軒此度御吟味の儀有之、牢舎仰付けられ、近町に於いて井善糸店も右の掛りに付、表を閉ぢ名前人御預け仰付けられ候。竹屋町・両替町東へ入る両替三善も。右掛り之ある由にて此節表を締められ候。

物価を調査す一、諸商物につき手広に渡世の銘々は、一々御召出有之諸品の元直段と売買、御調べ最中にて、諸品値下げ致すべき様仰渡され候。

盛場の取締一、町舞子其外町住の女娘の中、紛らはしき行体の者等、数人召出され、御咎或は町預等に相成候事、并に妾宅抔大にやかましき趣にてこそ立去り候向も有之候。

一、遊所向は祇園新地を始め、所々共に三月晦日より漸〻行灯を引籠め、五六日休業相慎居り候処、四月十日過に新地の遊所向業体御免被仰出候。新地中にて芸子乍ら売女同様の身持ち抔の者、凡七十人余り御咎或は御預等に相成候由に御座候。生業すぎはひ御免には成り候得共、一席に芸子二人を限り、夫れすら長席は相成らざる由、芸子衣類も紬・岸縞の類に限り候由、同じく取扱の店々は潰れ廻し、男は悉く所払に相成候。小茶屋の向漸々行灯に名前屋号を除き、三味線糸・木綿糸・楽類の看板を行灯に書記し、夫々商売名にして忍びの生業を致し候由にて、繁華の場所柄淋しく相成候事。

オープンアクセス NDLJP:21驕奢を戒む一、市中男女の趣は大に品替り、開帳詣り或は他行にも紬岸縞又は小紋絹位に限り、帯は繻子抔を限りに見受け候。履物に天鵞絨の鼻緒縁取抔は矢張ちらと見かけ候。衿・袖口に縮緬色切も同様に候。是等も時に取りては不心得に御座候。此の儀あらまし申上候。

美衣を纒ふを禁ず一、昨年以来御触有之候華美の衣服・女髪結・鼈甲櫛・笄・簪等決して相成らざる趣仰聞けられ候処、其当座には相守り候様に相見え候へども、当春以来何等の心得違ひ候哉、元に立帰り美服を著致し、髷くゝりなど華美の品相用ひ候族も相見え候趣、御所司代様・初御奉行様にも御見当り遊ばされ候由、又は此度御利解候は仰聞けられ候間、篤と承知致すべく候。全体町人共は何と相心得候や、御上には厚き有難き思召にて、世上一統暮しよく相成り、何れも家名相続致候様との思召、夫を如何心得候哉、天下の法度は三日法度抔といふ者も有之趣相聞え、又中には三百目の衣類拵へても苦しからず、畢竟之迄有来りの古き物は、買ふよりは先づ之をう、此羽織は有合せ故大事あるまい、又此位帯は目立たぬ故仕てもよい抔と道理をつけ相用ひ候も相聞え候、甚だ以て不埒の至り、疾くより御捕へにもなり。御咎にも相成る筈の処、格別の厚き思召にて、又候御利解仰聞けられ候。衣服三百目と申すは、上々様の事、下々も右に准じ申すべく、縦令侍・町人に限らず、身分相応と申す事にて紬木綿にても、目立ちて派手なる染模様など、決して相成らず、又先達て銀物等夫々御調べにも有之処、未だ隠置き候哉にて、簪なども有之候やにも相聞え候。是等は甚以て不埒の至り、此後心得違ひ致し、御触れの趣相守らず、華美の風俗致し、髪飾等華かなる物相用ひ候はゞ、最早一人として、万人の妨に相成り候故、見当り次第無拠御召捕に相成り、重き御咎仰付けられ候間、此の段能々相心得申すべく候。元来此の御趣意を何と心得候や、中には畢竟「此方が金にて此方が拵へて著るのぢや」抔と申し、縮緬・絹物は相成らず候へども、取敢ず青梅糸入縞抔拵へねばならぬ、さ候へば、差当り物入抔といふは大に間違ひ、是まで有合せ候木綿縞にて事済む筈の事、何を拵へねばならぬといふは、御趣意にはづるゝといふもの、既に此の節関東にて御大名が綿服を召せば、町人共何も著る物がなき位の事、其のオープンアクセス NDLJP:22町人の中には家土蔵を持ちたる町人もあり。今日暮しの者もあれば、其の町人に二通りない故、私は大家故此位の物は著ても大事ない抔といふは、心得違ひ、大家・小家とも曠著は紬を限り、平生は綿服・紬、華美なる物は相成らず、只目立たぬひんよき染物著るべし。扨又此の位に御利解仰聞けられ候はゞ、男は大体承知も致すべく候へども、妻子・娘抔ある者は、宿元へ帰り申聞かせば、有難き思召なれども、向ひの誰さんは何の帯をして稽古屋に行くぢや、隠の娘さんは何の著物を著て行かしやる故、娘丈は附合ひもある故、此の位の著物は大事もあるまいと云ふは、親心は中にも、道理を付けて、著せる者もあるさうな、扨又大家の内には、折角此の小袖を拵へて一度は著せたい抔と言ふ者も有りさうな物、併しながら爰を能く承知すべし、小袖は僅か知れた物、夫れを著せ遣る者自然御召捕に相成候はゞ、家土蔵は申すに及ばず、御取上に相成り、又借家の者も諸道具迄も取上げられ、其所にも居られぬ様に相成り候。著物位に代へられぬ事ではないか。元来此の御趣意と申す者は、何も御上の為では少しもない、下々町人共よくなる様と思召にて、諸株もゆりて諸事下直に相成候様、下々暮しよくなる様の有難き御趣意、その御趣意を心得違ひなき様に相守りさへすれば、其家も繁昌して子孫に相続する。其の子孫永々相続する様との厚き思召故、町分能々申合せ、聞占めざる者は西御目附方へ申来るべし。且又此間も仰聞けられ候通り、女子の悪風を正さんとす近頃世上一統女の風俗甚だ悪しく、兎角売女の風俗を見傚ひ、仮初にも市中歩行くに、裾をまくり、裾除け湯巻など緋縮緬、又は縫模様抔華やかなる物を致し、上は締抔して歩行き候段、甚だ賤しき風俗にて、京都の町人共の風俗に不似合の趣、御所司代様・御町奉行様も歎かはしく思召す。元来裾除けといふ物は近来の物にて、裾の切れぬ様に致す物、それを今日は曠物に相成り、著物より高金の物を致す様に相成り心得違ひ、今又裾除・湯巻抔ほらと出し、又は上締うはじめ抔致し、裾をまくり市中を(〈行く脱カ〉)賤しき風俗を見れば、粋ぢやの仇ぢやのというて、あしき風俗を好み、又おとなしき上品の者を見れば、あの人はもつさりぢや古風ぢや抔いうて、笑ひ者の様になつたは、皆心得違ひ、元来湯巻といふ物は膝限りの物にて、人にほら出して見せては失礼、見すべき物ではない筈の物、今でも御所様にてオープンアクセス NDLJP:23は女中方、皆膝ぎりの湯巻して御座なされ候。左様あるべき筈の事、湯巻抔ほら出すは賤しき売女の致す事にて、町方の見傚ふ物ではない。此王城の地は諸国より、京参り抔いうて来る所なり。別して上品の人柄でなければならぬ筈、それに心得違ひ致し、粋ぢやの仇ぢやのというて、賤しき売女の体に風俗を見傚ひ候段、御上にも甚だ歎かはしく思召す。此已後湯巻出さぬ様、仮初にも裾まくり歩行致さぬ様、縮緬抔決して相成らず、只上品を見傚ひ、賤しき風俗に相ならざる様心得、御趣意を守り申すべく候。先刻も申す通り、此後裾をからげ、裾除・湯巻抔出し、歩行き候者は、見つけ次第御召捕に相成り、本人は勿論家内又町役人迄も厳しく御咎仰付けらるべく候間、町役人共より篤と申聞けらるべく、用ひざる者は西御役所御目附方へ早速申出づべく候。等閑に致し置き、自然召捕に相成り候ては、当人は御趣意背き候事故、自業自得と心得候なれども、町役共その者の為に、大に迷惑難渋御咎をも蒙り候ては、甚だ難儀に相成候事、篤と申聞け不行届の儀は、役の無念に相成候事。尤京都計りにてはなく、世上一統の事、又上の町は是程迄は言はしやらぬと、外町を手本にならぬ。其の町々一町限りに申堅め申すべく候。追て召出し申堅めよき町は、御ほめの御言を下され、申堅めあしき町は、御叱りを承り候事。

右三月廿一日、年寄共三条大橋会所へ御召出しにて、西御役所御目附方仰付けらるゝ聞書の写なり。

     同三月廿八日京都市中へ御沙汰成され候次第京都市民への御触

、衣類男女とも、総て綿服に致すべき事。 一、縮緬類襟・袖口にても無用の事。

美衣を纒ふを禁ず、祝儀の節、其外礼服紬類相用ひ候ても、苦しからざる様仰付けられ候へども、之とても流行の染は、伊達なる縞物は相用ひ申すまじく候。木綿たりとも右同様に相心得、何分質素に相成るべき様致すべく候事。

、唐物類一切著用致すまじき事。 一、女の裾除け華美なる品無用の事。

、女共髪の飾り、縮緬は勿論、木綿・紬にても無用縦令紙たりとも目立ち候物は、相止め申すべく候。とんば尺長に致すべき事。

風俗上善からざる物を禁ず、銀物は都て相成らず候儀は勿論、鼈甲類無用の事。縦令金粉たりとも、伊達なオープンアクセス NDLJP:24る品相用ひ申すまじき事。

茶湯・謡講・琴・三味線さらへ講無用の事。 一、浄瑠璃・端唄稽古致すまじき事。

、女髪結無用たるべく、自分に結ひ申候様相嗜み申す事。

右の通り相守り申すべき旨、昨丑二月以来御改正の御沙汰一統有難く奉存べき事に付、必ず心得違ひにて迷惑難儀など噂仕り候者有之候ては、実に恐入り候に付、御趣意有難き事に深く奉存べく候事。家内若年幼少の者共能々相諭し申すべき事。

 右仰渡され候趣、堅く相守り申すべき事、依て一統連印如件。

町民の誓旨、遊女町は祇園一力計り、其外不相成候。伏見海道猿餅、尤娘御差止仰付けられ候。

、暮し方中分以下の娘、琴・三味線の稽古を相止め、其代りに髪結を習はせ、縫物・洗濯・飯焚かせ申す迄、専ら親どもより教へ申すべき事。

     堺御演舌書

堺演舌書昨年来質素倹約の御趣意仰出され、誠に大金の冥加をも御免除なし下され、諸株諸仲間停止、諸色直下げの儀等追々御触有之、猶申諭候条々、町人共御趣意の程篤と会得致すべく候。都て諸民御救ひの御仁恵有之、斯く安穏に家業を営み、家内眷属世を渡り候は、全く有難き御治世の御蔭にて有之、前々乱世の有様当今見及び候者は無之とも、熟々考合はすべし。其上格別御沙汰の数々、悉皆其の所々への御垂憐にて、冥加の程片時も忘却致さず、御国恩を其程々に報い奉るべき事に候。

士農工商の本務を諭す抑〻士農工商の四民は、甚だ大切なる者にて、一つとして無くて叶はぬ事、先づ士たる者は太平の御代には忠義を尽して君上に仕へ、世の中乱るゝ時は一命を捨て馬前に討死して、君恩を報ずるを操とし、農たる者は田畑を耕し、五穀を始め食物を作り、霜雪の寒きにこらへ、炎熱の曇天に苦しみ、婦女は糸を線り機を織り夜も安く寝ず、工は器財を作りて有用を足す。されども農工の二つは、身力を労して益を得る事薄く、貧して窮する者多く、商たる者は有無を通便するを専らとする者なれば、時勢に依りては利倍の得益眼前にあるを見れば、稍ともすれば欲情の為に覆はれ、オープンアクセス NDLJP:25奸曲の思慮を発起し、不正の事を行ふ輩も有之、〔誠カ〕に恥づべきの至りならずや。商人の奢侈を諭す能々我身を三省して夫々の職業を務め、正路を守るべき事、専要に心掛くべきなり。扨又衣服・飲食類等、前々より有来る品柄にて事足り候処、世の流弊とは申しながら、自己の分限を忘れ、驕侈の心より有ふれ候物を嫌ひ、無益に手を尽し候好を付、猶も増長致し、便利の都合は余所に相成り、寄品を捜し、何事も価高きを賞翫致し候の様に成行き、元々節倹の故に用ひ候品も、流行の為に伊達の趣意に引替へ、今日の儲けを顧みず、分外の散財を致し、終に困窮に陥り候者等、先祖伝来の家名を穢し、妻子を迷はせ候は歎かはしく、此上もあるべきや。何れにも分限を弁へ、質素を守り倹約を用ひ、家業繁昌弥増し候様致すべく候。商人共は其品の相応の利分をば取り、家業永続致し候様丹誠致すべきは勿論に候処、追々邪欲を構へ、高利を取るべき術のみに心を凝し、得意先へ薄情に仕向け候故、買先きにも実情薄く、払方万端等閑に成行くべきは自然の道理、或は内々申合せ髪の飾・衣類等恰好染方、其の外段々異様に仕立て、道具類に至る迄時々の流行を申触れ、又は華美無益の結構を飾り、弁へなき諸人を惑はし高利を貪り、其以前売渡し候品売戻しの談受け候へば、流行に遅れ候抔と申成し、格別直段引下げ候族、奸計の商振りにて不埒の儀、縦令一旦得分有之とも、当座の儀にて永続の渡世には相成らず、苦々しき儀に有之候間、随分諸色質素なる物を仕入れ、高直に無之品を薄利を以て売出すべし、さ候へば丹誠次第に〔〈脱アルカ〉〕買人挙り、漸々商ひ手広に相成り、却て手段致し候る得益増し候は必定に付、右等の宜しからざる風儀を改め、正道に導き遣らせ候御趣意の程、努々ゆめ容易なる儀に心得ず、常に世上治変の歓苦を考合せ有難き御世を恐れ、奢を止め倹約を守り、相応の貯を心掛け、借金は相対通り返済致し、代銀は速に相払ひ、人情義理を欠かざる様身の立行に心を配り、商人は各正路に売買致し、家業繁昌に及び土地一体に賑はせ、弥増港の勝地と仰せられ候様に仕成すべし。是れ御国恩を報じ候訳に有之、右の通り趣意は引分け相諭し候へども、凡商家のみ共申すべき所柄の儀、相互に丹誠に及び候へば、滋潤も面々相酬い候間、以来成丈衣類、其他余所より入込み候商人の品を求め候より、土地の物を買ひ候様致し助合ひ、謹で御趣意を守りオープンアクセス NDLJP:26候はゞ、則ち家祖への孝道、其身の安気の基にも相成候は、必然の道理に候条家族召仕へ者、主人の子へはその親より教示せしめ候様致さすべく候。右迄申諭し候ても心得ざるの族有之ば、厳敷沙汰に及び候。尚又年若の者等家業に怠り遊興に耽り候儀あるまじく、其の中にも江戸唄と唱へ候謡物、又は男子の身分にて、女子の舞踊の体を稽古致し候者共有之由、一右は近来の流行にて、風俗并に行跡も惰弱に成行き、甚しきは歌舞伎役者をまねび候所行の者も有之様相聞え、如何はしき次第に付、遊芸の内にも右等は宜からざる儀に候間、以来嗜み相止め候様、是又身寄・所役人等世話致し遣るべく候。

 右の通り市中末々の者迄も行届き候様、其方共厚く申諭すべく候。

   寅四月

     口達

博奕を禁ず博奕・賭の諸勝負、前以て御法度に候処、近来一統に相緩み、武士屋敷・寺社又は茶屋・辻抔に於て、右体不埒の儀致す者有之趣相聞き候に付、以来右体の儀有之候はば、吟味礼の上掛合かゝりあひの先々迄な、用捨なく相礼し仕置き申付くべく尤右体の儀有之ば、奉行所へ訴出づべし。急度御褒美下さるべく候。同類の内たりとも訴出で、自分の旧悪を相改むに於ては、是又御褒美下さるべく候。

右の趣天明九西年相触れ候処、近頃猶又武家屋敷内或は寺社町等にて、右体不届の儀致す者有之趣相聞え、既に追々召捕り候者も有之、畢竟等閑なる儀如何の事に候。以来武家屋敷内末々長屋等に至る迄、厳重に申付け、油断なく相改め申すべく候。尤も寺社在町等も一統同様相心得、入念に申すべく候。右の通り享和元酉年触知らせ置き候処、年月経候故哉、近来武家屋敷内并に寺社在町辻合にて、博奕・賭の勝負致し候者有之由相聞え候に付、弥〻穿鑿を遂げ、右体の者有之に於ては用捨なく召捕り、厳しく申付くべく候間、其段町々家持・借家人どもは勿論、召仕下人等迄も急度相守り、聊か心得違ひ無之様、銘々家主又は主人等より厳重に申付け、役人共も油断なく精々相改むべく候。

 右の趣三郷町々末々迄も、洩れざる様申聞け置くべく候事。

オープンアクセス NDLJP:27   寅四月廿九日

温室栽培を禁す野菜物等季節到らざる内、売買致すまじき旨、前々相触置き候趣も有之候処、近来初物を好み候儀増長致し、殊更料理茶屋等にては、競合ひ買求め、高直の品調理致し候段不埒の事に候。譬ば胡瓜・茄子・菜豆・豇の類、其外もやし物と唱へ、雨障子を懸け芥にて仕立て、或は室の内へ炭団火を用ひ養立て、年中時候はづれに売出し候段、奢侈を導く基にて、売出し候者どもゝ不埒の至に候間、以来もやし初物と唱へ候野菜類、決して作出し申すまじき旨、在々へも相触れ候条、其旨を存じ固く売買致すまじく候。尤も魚鳥の儀は、自然の漁猟にて売出し候は、格別人力を費し、多分の失却を掛け飼込み仕立て置き、世上へ高価に売出し候儀は之亦堅く相成らず、若し相背き候者有之に於ては、吟味の上急度咎申付くべく候。右の通り町触申付け候間、御料は御代官、私領は領主・地頭より相触るべく候。但在所の品前々より献上の類は、唯今迄通り心掛けらるべく候。右の通り相触れらるべく候。

 右の趣江戸表より仰下され候条、此旨三郷町中可触知者也。

   寅五月三日石見遠江        ​北組​​ 総年寄​​ ​

   京都町々町役の者共五月二日御召出しにて仰渡され候書付の写

 
 
 

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