大坂無頼の徒の取締金銭貸借に就いての御諭銭湯取締借家取締屋敷名替等の取締公役銀未納者取締金銀貸借の取締家作取締納屋修造に就ての取締町人家造の取締看板取締色彩ある器具使用の取締諸芸稽古の取締物貰取締平人非人弁別の取締非人の取締屋形船取誣巫に類する者の取締造物見せ物の禁止景気附けの所置取締百姓町人の武芸を禁止す矢場取締草花売買の取締花火を禁止す子供遊戯用具の取締やしの取締仕掛の取締露店の取締江戸より来状の写総年寄より町年寄への布告衣服の禁止をやゝ寛にす御触やわらげらる利下げの触寛和せらる家建築の取締緩む物見遊山を許す縫物職縊死す紙屋狂人となる西町奉行の巡行廓内に特令をなす奉行巡行に就いての批評荐に奉行所へ張紙す水越と淀織部のと論争の風評加州の木綿三人磔刑せらる勧修寺宮に対する勅裁三宝院宮不行跡の処置水野美濃守御預け歌舞伎役者の所罰南町奉行佃島勘十郎地借り人金蔵へ仰渡さる阿波一揆落著の由の書状の写家賃を減ぜんとす似せ金銀売捌の禁止芝居興行禁止元方の直下げを行はしむ古貨幣取替の達武家々来と騙る者の取締仙台銀通用禁止錦絵売買の禁止正路の取引すべき旨の達二割下げの由を符牒せしむ厳格に直下げすべきを令す町奉行前掛茶屋の規定庭石等の費を省かしむ瀬戸物類の規定鉢植売買停止阿蘭人より差出しの風聞書
【大坂無頼の徒の取締】一、大坂表の儀、専ら金銀融通致し繋昌の場所に付、自ら遊民多く無商売にて其日を送り候者少からざる趣相聞え候。元来人々天性の職業相勤め候故、四民の唱へも有之処、商売なくして罷在り候段、全く其身を怠り奢侈の基にて風俗の為宜しからず候。以来右体の者は親類所の者等より申諭し、何なりとも身分相応の商売相営ませ申すべく候。【金銭貸借に就いての御諭】但町々の内には金銭を貸付、又は右を口入致し候より外、身過ぎ【 NDLJP:77】無㆑之者も少からざる趣に候。右は世上融通合ひの儀に付、更に制すべき筋には之なく候。さりながら是又以来相応の商売相営み、其の余暇を以て金銭貸付、又は口入れ致すべく候。尤も総て金銀貸付け候節、借受け候者印形連印、口入の者へ任置かず、入念引合候上、証文印形取置くべし。並に大尽金と唱へ、身元宜しき者の同居忰など、放埓にて金銀自儘になし難き者へ高歩に貸付け、其他口入世話料の由を申し借入候銀高の内、相対とは申しながら、過分に引落し抔致し、不実の銀子貸付け候者等の儀に付、文化二丑年触渡しの通り相守り、正路の貸付致すべきの処、今以て兎角奸邪の欲情に傾き、歩銭貸と唱へ高利を取り、又は借受け候者手詰の余り、多少に拘はらず当座に手廻り候を勝手と心得、借入れ候を見込み、貸付元銀の内にて、最初に利銀引落し貸渡し、其余の品々手段を以て紛らはしき貸付け致し候類、間々有㆑之由相聞え候。右体不実の貸付け致し候者有㆑之候はゞ、吟味の上急度沙汰さすべく候条、兼ねて其旨相心得、不埒の取計らひ無㆑之様致すべく候。
一、町々湯屋渡世の者、湯場の儀之迄男女の差別なく入込む趣相聞え候。右は先前よりの仕来りとは申しながら、惰弱の風儀に有㆑之候。【銭湯取締】此度格別御改政の儀に付、以来新規に湯屋渡世相始め候者は、其心得を以て男女入込みに相成らざる様、湯場
【借家取締】一、近年町々借家人は勿論、家持其儀、家屋敷持も候分は、借屋住居の方勝手宜しくと、吝嗇の心得違ひより起り、相応に金銀相貯へ候者も、追々借家人に相成り候事の由相聞え、町人の本意を取失ひ、欲かましき儀に有㆑之候。以来銘々身分の規模を弁へ、金銀手廻り候者、成丈け家屋敷持ち候様心掛くべく候。
一、町々家屋敷売買并に名前替等の節、当人より差出来り候二十歩一銀の外、多少の入用相掛け申すまじき旨、先前申渡有㆑之処、近来又々相弛み、右歩一銀の外多分の出銀相掛け候町々も有㆑之、【屋敷名替等の取締】或は年寄・下人共厚く心を用ひ、定めの歩一銀も受取らざる町々も有㆑之趣相聞え、一般には申難く候へども、何れにも家屋敷売買に付【 NDLJP:78】入用多く相掛け候ては、沽券下直に相成り、其上右出銀を総町人へ割取り候時は、聊かづつの儀にて、出銀主は一手の儀に付、大造に存じ難儀致し、往々家屋敷売券相劣り候のみならず、差向当座出銀を厭ひ、家屋敷買求め候者は、無数相成り、町人共身分の出世に拘はり候筋に付、旁々以来相互に、成るべき丈入用多く相掛けざる様掛引致し、買手の気配り相進め、別して明地面等有㆑之町々、建家揃ひ候様可㆑致候。但右の通り申渡し候とて、先前よりの仕来りを更に差止め、年寄役料・町代給料等は勿論、総て町儀を廃し候訳には無㆑之、畢竟不益の費を省き、往々家売券にも差障らず、買手の気配も相進み、追々家屋敷持ち候者多く相成候様との趣意に付、其段弁別致し、町々に応じ勘弁の取計らひ方も之あるべき儀にて、右年寄・町代等へ、先格相模来り候祝儀など過分の儀は、如何に有㆑之候とも買手の心祝迄に差遣へ候儀は仔細無㆑之候。
【公役銀未納者取締】一、町人共家役に差出候公役銀並に町役銀の儀、相滞り候者有㆑之時は、其所の年寄町人より訴出で次第呼出し、相糺し候仕来りに有㆑之処、右にては大造に存じ、延引に及び候儀にも有㆑之に付、此後一個度申滞り候ても、留置かず、早速総年寄ども迄申出づべく、直に当人呼出し相糺し、其月中に相済み候分はその通りの儀にて、月を越え相済さゞるに於ては、総年寄共より名前滞銀高等書出し候はゞ、即日御役所へ呼出し、厳重に申付くべき間、其の段相心得等閑に致すまじき旨、先前町々へ申渡し有㆑之候処、近年又々右役銀相滞らせ候者少からず、町々難儀致し候事の由相聞え候。右の内には差掛け候出銀は町中より取替へ候儀を見込み、実に困窮と申す程にも無㆑之、自余の取引等致し、又は外の借金銀済し方申断候手段のため、態と役儀滞らせ候者有㆑之やに相聞え、以の外の事に候。元来大坂町中地子銀の儀、前々御免なし下され上は、公役銀差出し候儀は、百姓の御年貢同様の儀にて、既に百姓共御年貢未進有㆑之時は、厳重の御沙汰に及び候事にも有㆑之、役掛りの儀は大切の儀に付、以来決して滞らせ申すまじく候。自然此上にて相滞り候者有㆑之ば、兼ねて申渡し置き候通り、一個度相滞り候ても、早々総年寄共へ申出づべく候。
【金銀貸借の取締】一、近来借金銀并に買掛等有㆑之者、別して風儀あしく相成り、兎角済方の期に至り、【 NDLJP:79】無謂難渋致し候族少なからず、金主共気配に拘はり、金銀融通にも差障り候由相聞え、不実の至りに候。此度諸色直下げ、又は金銀貸付け利下げ等の儀は格別に申渡し候上は、借主共有難く存ずべき儀は勿論、右体一且迚に致し候義理をも弁へ、以来如何様にも差操り致し、済し方に及び候儀を専一に心掛くべく候。
【家作取締】一、町々家作の儀に付ては、先前申渡し置き、尚又文政二卯年三月触渡し候趣相守り申すべく候処、忘却致し候向も有㆑之哉、近年駒除致し候儀、御役所へ断出で候者も無㆑之。元来建家蹴放ちより外は、大道幅の内に候処、溝除迄も建家地と心得違ひ居り候哉、自儘に溝除迄建出し、又は丸太・竹垣等を軒下へ取付け囲込み、大造の駒除致し、一己に溝を掘広げ、或は軒先より昼夜に限らず、筵・渋紙様の物張出し大造の日覆を致し、并に格別出張り候様子、同軒先付庇・二重庇等も有㆑之、大造幅狭に相成り、出火の節火移り易く、火広に相成り候は勿論、平日とても往来の妨げに相成り、殊に急雨の節往来に凌ぎ方にも差支へ、不実意の至り不埒の事に候哉。都て水帳面の通り相改むべく候。尤も向後自儘の駒除等致すべく取補理ひ候はば断出づべく候。且商売柄により、軒下に荷物取扱ひ、其の儘に差置き、其の上に大道迄も取広げ、又は出し店等致し、軒下大道を自分の気儘に致し候儀は、是又不埓の事に候。借屋人は水帳の間数も弁へず、心得違ひ居候も、家主・町役人より篤と申諭し、外に荷物取扱ひ候場所も無㆑之、軒下・大道を遣ひ候とも、往来の妨げに相成らざる様心を用ひ、出店も売物仕まひ候はゞ、店床など早速取除け候儀等も先前触渡し候通り、堅く相守るべく候。
【納屋修造に就ての取締】一、市中浜地納屋の儀は足駄造に致し、聊にても石垣致すまじく、并に岸岐内に置土致し、或は納屋下囲ひ込み候儀等相成らず、其の外材木竹屋ども、川の中へ材木・竹積出し置き、筏等日数を経差置くまじく、塵芥捨て候儀致すまじき旨、先年相触れ置き候処、年月を歴相弁へざる者も有㆑之哉、浜地猥に相成り候に付、去々年子五月又触渡し置き候処、有来る石垣の分納屋修復の節取払ひ候儀は勿論、納屋下囲込置き候場所、今以て取払はず等閑に捨置く者も有㆑之由相聞え、不埒の事に候。都て去々子年触渡し候通り相守り、浜地川中とも猥りなる事致すまじく候。浜側町【 NDLJP:80】町の年寄共心を用ひ、等閑の儀無㆑之様可㆑致候。
【町人家造の取締】一、町人家造の儀、長押・杉戸付書院・櫛形・彫物・組物床縁・桟・框塗り候事、并に唐紙金銀等の張付けは申すに及ばず、総て結構なる儀且又不益の物数寄なる普請、皆無用に致すべき旨先前申渡し置き候趣相守り、不相当の家造り有㆑之候者追々に可㆓相改㆒候。
【看板取締】一、諸商人・諸職人看板、金銀箔押し・蒔絵・梨子地・金具・渡金金物の無用に致し、木地の看板に墨にて書付け、金物鉄銅の外は一切致すまじく、并に店へ金銀の張付け・金銀の唐紙・同前金銀の屏風建て候儀、向後無用に致すべき旨、天和二戌年触渡し置き候処、年古き儀に付、弁へざる者有㆑之候やに相聞え候。不相当の看板は早々取替へ、其外共先年触渡し候通り可㆓相守㆒候。
【色彩ある器具使用の取締】一、町々髪結床其外商売柄により、彩色など致し候絵障子并に同様の暖簾地、或は文字を縫染模様等手数相掛り、糸様を飾り候も有㆑之候趣無益の儀に付、以後有来り候とも堅く相用ひ申すまじく候、
【諸芸稽古の取締】一、女にて男へ唄・浄瑠璃・三味線抔教へ、其の中には猥りがましき風聞も有㆑之、いかがはしき儀に候。男は男にて教へ候者有㆑之べく、女師匠へ男の稽古は無用に致すべく候。且又師匠よりは金子さへ出し候へば、稽古の善悪、幼年の差別なく、稽古名差出し候に付、近年名取りの者多く候。尤名弘め等差留め候筋には無㆑之候へども、摺物又は口上書へ品物を添へ相配り候者も有㆑之哉に相聞え、右は花引に紛らはしき仕方、不埒の事に候。以来前書の趣堅く致すまじく候。尤座頭・瞽女は男女とも弟子に取り候儀苦しからず候。
【物貰取締】一、けた軒付抔と唱へ、物貰には無㆑之、素人にて夜分町家の軒先へ彳み、唄・三味線或は浄瑠璃などを語り候者有㆑之由、風儀宜しからず候間、自今堅く停止すべく候。
【平人非人弁別の取締】一、三郷端末并に町続在方等にては、長吏・下垣・外番・長六と唱へ候非人共、番部屋の外町家抔にも寝泊致させ候者も間々有㆑之由相聞え、平人・非人の身分階級を弁へざる仕方、以ての外不埒の事に候。右体心得違ひの族有㆑之より、非人共身分を顧みず、町家の者へ対し不作法に及び候様成行候基に付、尚又今般長吏共へ厳重に取締方【 NDLJP:81】申付け候間、末々の町人共に至る迄、長吏下の者と相混じ候様なる心得違無㆑之様急度可㆓相嗜㆒候。
【非人の取締】一、町家にて平日又は吉凶有㆑之節、店先へ罷越し、或は髪置宮参り等にて、氏神へ参詣の途中、非人共ねだりがましく申掛り候儀無㆑之様相制すべき旨、是又尚ほ長吏共へ厳しく申付け候条、以来右体不法の非人之れあらば、見逃さず捕押へ、月番の奉行所へ引連れ訴出づべく候。
【屋形船取】一、川筋往来致し候屋形船并に入家形と唱へ候茶船を、川岸橋間等繋置く中には、猥りの儀も有㆑之哉に相聞え候。向後雨雪等の節は格別、寒気の節たりとも、平生は簾・障子等明置き候様致すべく候。且近年漁船へ女乗組居り候も相見え、風儀宜しからず候。以来漁船へ女乗せ申すまじく候。
【誣巫に類する者の取締】一、当表市中并に町続在々等にて、稲荷明神下げ・大師夢想抔と号し、其外品々奇怪の異説申触らし、偽術を以て蒙昧の世俗を狂惑致させ利用を求め候者有㆑之候哉に相聞え不埒の至に候。稲荷明神抔と唱へ怪しき祠を勧請致し、加持祈祷、其外紛らはしき諸占体の儀致し候者有㆑之候はゞ、其所の者より急度穿鑿致し、奉行所へ訴出づべき旨、寛政十一未年触渡し置き候通り相守り、右体の者有㆑之候はゞ、用捨なく訴出づべく候。等閑に差置き候はゞ、所役人共迄越度たるべく候。且又俗にて山伏体其外共紛らはしき風体を致し、町々家別に守札様の物を持行き、押して初穂を乞ひ、中には初穂少く候とて、ねだりがましき事申掛け候者間々有㆑之由相聞え候間、向後右体不法の所業に及び候者有㆑之候はゞ留置き、月番の奉行所へ訴出づべく候。
【造物見せ物の禁止】一、神事・法会等の節、境内或は氏子地等にて、大造の造物・見せ物等差出し候間、自ら群集致し喧嘩・口論出来易く候。右体造物奉納致し、大造の見せ者等差出し候儀は、神仏崇敬の意に違ひ、不埒の事に付、総べて神事・法会等の節、いはれなく新規に大造の造物・見せ物致し候儀決して無用に致すべく候。
【景気附けの所置取締】一、湯屋其外商売柄により、例年正月又は店開等の節、大道へ大造の積物致し候儀、景様を好み候流弊に有㆑之候得共、非常の妨に相成り、無益の至に付、以来相止可㆑申候。
【百姓町人の武芸を禁止す】一、町々年若なる者の内には、密に武芸抔稽古致し、兼ての家業相怠り候者も有㆑之【 NDLJP:82】哉に相聞え候。百姓・町人武芸稽古致すまじき旨、先前相触れ置き候趣有㆑之、不埒の至に候。以来右体身分不相応の儀には、決して携はらず、家業出精可㆑候候。【矢場取締】且市中并に寺社境内土弓・楊弓場の儀、近来不取締の趣に相聞え候間、向後婦人矢拾ひに差出で候儀は堅く相止め、其外睹的紛らはしき儀致すまじく候。
【草花売買の取締】一、草木・切花の類、季節至らざる珍花を好み候儀増長致し候より、多分の失費を掛け、室の内にて養立て、世上へ高価に売出し候様成行き、奢侈を導く基にて、自今珍花は勿論縦令時節に候共、格別に高料の切花類は、堅く売買致すまじく候。
【花火を禁止す】一、御城近辺は勿論、御役所辺其外内川并に縦令川幅広き所にても、大造なる花火を川添の人家屋敷等へ火子落散り候儀有㆑之、火の元覚束なく候間、右体の儀有㆑之候はゞ急度沙汰せしむべき旨、毎々申渡し候へども、年を経候故、忘却致し候者有㆑之哉。素人共花火会抔と唱へ、大造なる花火場并に是迄仕来り候花火商人共迄も、同様大造の花火を揚げ候に付、火屑其の辺の町家或は商売体により、俵物明俵類へ落散りふすぶり候儀毎々有㆑之候由相聞え、以来右体大造の花火決して揚げ申すまじき旨、猶又文化七午年口達を以て触知らせ置き候処、近年心得違ひの者も有㆑之哉に相聞え候。火の元の儀は別て大切に心を用ひ申すべき儀にて、猥に取扱ふべき筋には無㆑之候条、以来建家有㆑之場所にては、花火線香の外決して無用に致すべく候。尤川幅広き所にても、先前申渡し候通り相守り、大造なる花火揚げ候儀致すまじく候。万一不用の者有㆑之候はゞ急度沙汰せしむべく候。
【子供遊戯用具の取締】一、子供手遊びの儀近来増長致し、高直の品売買致し候趣相聞え、幼年の節よりよき品を見馴れ、自然と奢修の基にて然るべからざる筋に付、是迄仕入置き候分は当八月限り売捌き、九月朔日より銀目一匁銭は百文を限り、右直段より高直の品并に文政九戌年触渡し候通り、男女不作法なる姿の土人形等風儀宜からず候類も、決して売出し申すまじく候。若し相背くに於ては、役人相廻し密に買上げ、吟味の上厳重に咎申付くべく候。
【やしの取締】一、近来町々やしと唱へ、歯薬又は小商致し候者追々増長に及び、新規に右同様の品物等見世売或は辻売相始め候者有㆑之時は、事むづかしく申掛け難渋致候族も有【 NDLJP:83】㆑之候由相聞え、不埒の事に候。此度株仲間組合等差止め、同商売の者出来候とも差障り申まじき旨等の儀に付、御触面の趣も有㆑之、旁〻以来決して難渋申しかくまじく候。
【仕掛の取締】一、商売筋により仕掛と唱へ時相場に拘はらず、兼ねての申合定を以て、下職の者へ金銀銭渡方等致し候者有㆑之由相聞え、前書の通り此度株仲間組合等差止め、素人にて何商売相始め候とも、勝手次第の儀に候処、右体商売筋により申合を以て仕掛定有㆑之候ては、仲間組合等に相当り不埒の至に候。以来一般に時の相場を以て、正路の取引致すべく候。【露店の取締】町家軒下又は辻合等へ店を出し、小商ひ致し候場所の儀、先繰に其日限の事にて差定候訳にては無㆑之筋の処、其の処へ余人店を出し、或は辻売等致し候はゞ、定居の由申し差障り候族も有㆑之由相聞え、以の外の事に候条、以来決して差障り申すまじく候。但右場所主の内には、聊かながら賃銀をば地所貸渡し候者も有㆑之哉に相聞え、不相当の儀に付、以来賃銭取り候儀相止め可㆑申候。右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅六月廿七日石見遠江 北組 総年寄
或人の方へ江戸より来れる書状の写
【江戸より来状の写】当月八日出の貴札相達し、有難く拝見仕り候。暑中両三日厳しく、昨今小雨冷かに御座候。常なれば米相場少し高下の日和に御座候。貴地は如何先以て御清穆奉㆑賀候。当方無事御安意下さるべく候。
一、貴地追々御厳格の趣御細書承知、何れ江戸より又厳かに参るべく、一体の処都て江戸同様に御座候。御業体の事も御尤至極、先日来江戸中其通り何稼の人にても、多少とも損銀を厭はず、今日を送るのみに御座候。併し一同の事故同志打に損競致し、中には之迄不如意の処へ、又此の競争に出逢ひ、皆無になり損の高名もあり、誠に大変作に御座候。儲ける工夫少しもならず、三椀の飯を二椀に済ませ候より外致方有㆑之まじく、下男も下女も我一人で間を合はせ、昼夜相働き家業で討死致し候こそ、御趣意に叶ひ申すべし。あら勇しき御時節に相成り申候。
一、山王お祭も一体に人数減り、七つ前に御輿も通り、茅場町辺も夕暮前には桟敷【 NDLJP:84】も片付け、常の通り小売も駄売相初り申候。尤も御祭中も小売致し、祭両日は仰山に小売致し申候。祭見物の人より酒買の老母沢山に参り候。金屏風も止めに致し、幕を張り済ませ申候。客もなければ料理人も頼まず、女房襷掛にて煮占少々拵へ、扨扨有難御祭に御座候。百年以来の手廻りに御座候由、老人の話に御座候。
一、江戸顔似せ錦絵・遊女の絵団扇共停止に相成り申候。仕込み候役者絵に団扇類すたりに相成り申候。当時武者絵・角力絵計り御座候。絵草紙も昔の通り黄土の表紙彩色なしに相成り申候。暫く繁用中早々申残し候。不具。
六月十九日 小丸店中 総兵衛
三御両将様【総年寄より町年寄への布告】
総会所に於て総年寄より町々年寄共へ演舌仰渡され候口上の覚
一、当四月質素倹約の儀に付、御口達の御触の内、町人共儀家持・借家人其の外渡世向の身分高下を量り分限を弁へ、著用の衣類等縫物・錦織物等高直の唐物の類は勿論其外華美に目立ち候品絹布の類、軽き者共は絹・縮緬は小切にても用ひ申すまじく、銘々分限よりなるたけ内輪に致し、倹約専一に心掛くべき旨仰渡され候に付、町人共一般に綿服著用致し、尤の儀に候へども、不融通にも相聞え候に付、町人共分限に応じ著用いたし候はゞ、自然と質物・古手類取引にも差響き、融通致すべき儀と存ぜられ候。さりながら右分限の儀家持にても分家・別家の者も有㆑之、借家人にても本家筋の者も有㆑之、身上柄・渡世柄も家持・借家人差別無㆑之候に付、【衣服の禁止をやゝ寛にす】分限の儀取極め難く候へども、借家人にても別家・手代有㆑之者は町人に准じ、町人の内にても下人・下女召遣ひ等申さゞる者、或は職働人は夫等の業柄を以て、分限を量り著用致させ度、併しながら其品々直段差極め申さずしては、際限無㆑之増長致すべきやも計り難く候に付、左の通り
紬并同縞三十五匁ゟ四十匁迄 岸縞四十匁位迄 郡内縞四十匁位迄 加賀絹廿四五匁位迄 秩父三十匁位迄 繻子女帯六十匁位迄 呉紹同断同断 糸入縞廿二三匁位迄 貫物廿四五匁位迄 青梅縞三十匁位迄
右の通り総年寄中より御伺済み相成候旨御演舌有㆑之候。然しながら右に付、猥の儀無㆑之様精々申諭すべき旨仰渡され候事。
寅七月八日
【御触やわらげらる】前に言へる如く、御触通りの事は、最初仰出され候節年寄共より上中下の三等に分つて毎町に申渡すべき事なり。其故は御触厳しく候と雖も、何時にても分限相応の文字あらざる事なし。又享保・寛政の御触通りとあれば、其頃の記録を取調べぬれば、何事も明になる事なるに、其の事もなくして衿・袖口迄も絹・紬の類相成らずとて、之迄を取らしむ。之を取らざる者は、公儀より役人見廻り町役人迄も御咎めを蒙れる事なりとて、大に慌て騒ぎて甚だ厳重なる事なりしに、四月中旬に厳しき御触出でて、五月廿日過には絹・紬・繻子の類を商へる事を、呉服屋・古手屋等に許され、間もなく平人綟子砂等の羽織を著する事を許され、纔かに八十日計りにして、七月八日に至り、斯る御触の出づるに至る。【利下げの触寛和せらる】最初に斯の如くならば、諸人慌て散らして不時の散財をなすに至らざる事なるに、何れも公儀よりの仰出されし御触の表をも弁別する事なく、愚痴文盲の至りなりといふべし。又其後に至り、商物・家賃・金銀貨付けの利足、何れも二割下に致すべしと云ふ御触出でて厳しき事なりしが、之も亦間もなく触戻しになりて、一歩半の利足は二割下げに致し、其余は総て相対を以て如何様ともなすべしと云々。島の内にて何某とやらんいへる町人、其町の年寄を頼み之と同伴して、総会所へ出で、総年寄列席の所へ出で「私事祖父已来家屋敷を少々計り持ち候て、かなりにすぎはひ致し来り候処、年々時節柄にて何か不恙に成行き候に付、先年より家質に入れ候て、当時にては誠に細々なる暮し方に候処、此度二割下げ仰出され候に付、身上立行き難く相成り申候。其故は家質にて借入れ候金子何程、右利銀何程、家賃上り高何程の処、その内にて不納何程、年々の普請入用何程【 NDLJP:86】なり、又公役何程、川浚金何程、町役何程、家賃利銀商物等は悉く二割下げに仰付けられしかども、公役・川浚・町役等に於ては、之迄の通なり。斯様の振合に候故、手元より始終金子持ち出候様に相成り申候。其持出し候金子有㆑之候身分に候はゞ、仔細なく候へども、是迄さへ細々に漸々暮し候身分にて、左様の事は力に及び申さず候故、家質方へ家を渡さんと思へ共、之を受取り呉るゝ事なく、外へ売らんとすれども、当時求め呉るゝ人なく、途方に暮れ候故、二割下げの儀は御免蒙り申度く候間、此の段御執成を以て、宜しく仰上げられ下さるべし」と事を分けて願ひし処、総年寄の返答には「公儀より一旦仰出されし御趣意なるに、夫れを今更左様の事を申上ぐる事相成り難く、決して取次ぐ事罷成らず」と、答へしにぞ、「然らば勝手に致されよ、何事によらず総年寄迄願ひの筋は申出でよとの事なる故、申出でたるに、之を取次ぐ事ならずとは其趣意に背きけり、よし〳〵此上は御奉行所へ直訴すべし。若し又御奉行所にても御取上げなくば、家財残らず売払ふとても潰れる身の上なれば、御老中へ直訴すべし」とて、総年寄を散々に恥ぢしめしにぞ、大に赤面して言句もなかりしといふ。其後二三日過ぎて「一歩半の利銀は二割下げ、其余は随意に致すべし」といふ御趣意の御触出でたり。是等も始めに篤と御取調べありし上にて御触出あらば、斯る御触戻しには及ぶまじき事なるに、之も亦諸人種々評する事とはなりぬ。【家建築の取締緩む】又家屋敷の出張駒寄等取払ひ候様厳しき御触にて、速に出張を引込め駒寄を取払ひなどせしに、之も亦火急にするには及ばずとて内意ありしといふ。厳しき御触も又しても〳〵、ぐれ〴〵となす事故、此後如何なる御触仰出さるゝ事ありとも、諸人心服するに至るまじき事ならんと思はる。又当度は右の如く四月已来厳しき御触ありしにぞ、【物見遊山を許す】諸社の神事も至つて淋しく、難波橋辺の涼みにさへ遊山船一艘も出る事なし、至つて静なる事なり。然るに七月中旬に至り、「何故当年は遊山船を出さゞるや、余りに世間行詰りて宜しからず、遠慮には及ばぬ事なり、勝手次第に遊山船を出すべし、鳴物等も苦しからず、随分賑かにせよ」との内意ありしにぞ、之よりして遊山船も出で、三味線・太鼓等にて囃し立て、往来すといふ。之等は質素倹約のお触とは大いに趣意違へりといふべし。如何なる事にや。
【 NDLJP:87】此度質素倹約の御触に付、【縫物職縊死す】中にも縫物職の者一統に大難渋に及びしにぞ、如何ともなし難く、心斎橋筋に一人縊死せし者あり。この者の書遺に、「御改革に付、身上立行き難く是非なく縊死す」趣を書記せしといふ。変死の事故、御検使を引受け家内よりして其の書遺を出せし処、「下として御政事を彼此申す段言語に絶せし不埒なる咎人なり」とて、其書遺をば検使その座にて引破り、「此の者甚だ不埒なれば葬礼等相成らず、死骸は葦島へ早々取捨つべし」と、一応御奉行へ申上ぐる事もなく、其座にて言渡し引取りしといふ。善悪は兎も角も一応此の趣を申上げ、其上にて事を計らふべき事なるに、之等は検使私の計らひにして、上に御奉行なきが如し。如何なる事にや怪しむべし。斯くて変死せし家には、詮方なくて其の死骸をば葦島へ捨てしとなり。【紙屋狂人となる】哀れなりし事なりとて、専らその噂ありし。紙屋の内に、両人も乱心となりて丸裸となり、下帯さへもせずして何処彼処の差別なく走廻る。其中にても東堀にて柳屋又七といへる紙屋は、凡そ千貫目余の損なるにぞ、此度の御趣意にて諸株つぶれ、二割下げ等にて大損せしと公儀を誹謗し、此方江戸に到り士となり「何も角も此度の御趣意を改革し、諸人のためになれる様なる仕法をなすべし」といひ、御城代・町奉行等の事を散々に罵り廻るにぞ、斯様なる事乱心とは雖も、上に聞えなば、いかなる憂目に逢はんも計り難しと、大に恐怖し狂人を取押へ、無理無体に音声を留めさせんとて、家内打寄り水銀をしたゝか飲ませしといふ。不愍の事といふべし。【西町奉行の巡行】西御町奉行には、与力一人・総年寄一人召連れられて、上下七人連にて昼夜の別なく所々方々を見巡らるゝといふ。道頓堀鳳禅寺に立寄り、其辺の年寄共を呼出し、何か相尋ね言渡し等をなし、又新町にては会所に休み、年寄共を呼出し、「此所は廓の事故、外とは違ひ格外の事なり。【廓内に特令をなす】此方斯様に至し、折々見廻る事なれども、決して遠慮するに及ばず、格子先にて酒宴騒ぎ、三味線・鳴物等勝手次第たるべし。何れにも西国筋の客を引受け候事故、途中にて客共遊女同伴にて此方へ行逢ふ事あるとも、決して避け隠るゝに及ばず、随分賑やかにすべし。」と言渡されしといふ。又厩治郎八が咄しには、主従三人連にて新地辺の温飩屋へ立寄り支度せられしに、 〈夜二更過の事なり〉垣外より、「之は御奉行なり、粗末にすべからず」とて、内々心添へ致せしにぞ、【 NDLJP:88】遽に湯をたぎらせ、温飾・蕎麦を加減よく致して出せしにぞ、之を食して其の価を払はせ、立帰られしが、明る日早々温飩屋の主を召出さるゝ故、何事やらんと恐る〳〵御奉行所へ出でし処、「商に出精致す事神妙の事なり」とて、鳥目を三貫文下されしといふ。【奉行巡行に就いての批評】奉行たる人、斯様に軽々しく諸人に知らして其顔を曝し、無上に歩行廻れる者には非ず、不見識の事にて、大に権威を失ふ事なり。夫れ奉行たる者は、泰然として上に座し、夫々の役人を遣ひて非常を戒め、市中の風俗を正さしむる事なり。其の役人共の怠り又は私欲等の事はあるまじくや、又諸人政道を批判する事などもあらんかと、諸人は申すに及ばず、其の役々の者にも深く隠忍びて何かを探れる事はありぬべき事なれども、奉行の忍び歩行なりと諸人に知らしめ、与力・総年寄等に案内させ、昼夜歩行き廻れる事、奉行たる人の所行にあらず、あやしむべき事なり。
【荐に奉行所へ張紙す】七月中旬の頃切りに奉行所へ張紙すといふ、中にも坊主九人袖なき衣を著て座せる姿を書き、其の下にて狐に灸をすゑてゐる処を書記し、御城代青山下野守殿をば阿房山といひて散々に悪口し、町奉行をも誹謗せし書付なりといふ。こは判じ物にて、「くばう袖なし下困窮」といへる事なりといふ。此の事厳しく御詮議にて、四十余人召捕られ、疑を蒙りし者共一統に拷問せられ、其の責によりて大に疲労し、助り難き者数人ありしといふ事なり。悪口を書記せし張紙の中にも、両町奉行よりは御城代の事を記せし事至つて多くありしといふ。世間の評判も散々の事なりし。寛政に白河侯御改革ありし時には、此侯の親下野守といへる人、京都所司代なりしが、何事も事細かにやかましく、遊女町にて三味線其外の鳴物迄を禁ぜられしといふ。其頃京都にて落首を立てゝ、散々に悪口せしといふ。
丹波から山こけざるが出てうせてなり物ぎらひなにを
此他種々落首・悪口等云ひ
【 NDLJP:89】七月十九日晴、二十日卯の下刻より雨、辰の刻止む。午の刻より東風吹き、未の下刻より申の下刻迄雨。今日の風至つて強かりしかば、奸商共忽ち米価を引上ぐる。廿二日曇、巳の刻に至りて晴る。先月土用半ばより冷気にて、東風終日吹きし故、当年も亦不作ならんといひて、米価を動かしたき事ならんと思ひしに、其頃は諸色直段二割下げの御触至つて厳重なる折柄なる故、米価を引上げなば御咎め蒙るべしと思へるにや、平常の如くなる動きもなかりしが、近き頃に至り御趣意も追々に緩みぬる故か、此節余程引上げしが、風も静まり大雨万物を潤すに至り、又々下ぐるに至る。土用半ばより前にも言へる如く、至つて冷気なりしが、土用過ぎより今に至る迄至つ、残暑猛烈なるにぞ、苗も至つて宜しく生立ちぬ。相場する所の奸商共は、土用中数日吹きたる東風至て悪しといひて、利を貪らんとし、百姓は其の東風にて虫を払ひ除き、残暑甚だしく旱続きし故、至つてよき風なりといへり。べき事なり。
【水越と淀織部のと論争の風評】淀織部といへる二千石計りの御旗本、余りに御政事細々致し、下方の者大に困窮に及べる趣、水野越州と殿中に於て大に争論をなし、刃傷に及びしなど種々の風説あり。之も亦虚説なるべけれども、此の人の悪評限りなき事なりし。
【加州の木綿三人磔刑せらる】常三月十八日加州阿波町木綿屋藤右衛門・同藤蔵・手代佐右衛門、右三人の者共公儀を憚らず、異国より交易致し、不届至極に付、加州托ケ崎に於て、磔に仰付けらる。所持の品左の如し。
金百五十万二千両〈小判〉 金廿七万三千両〈分金〉 大判七千九百枚〈此の代金十五万八千両〉 南鐐三百四十万八千七百匁 小玉銀廿万八千貫匁〈此金百九万六千七百両〉 町銀六百八千貫匁〈此の金二万七千両〉 金延棹〈数不㆑知〉 金采幣〈一本〉
総〆九百三十三万二千百両也〈〔頭書〕此一件先年兵庫高田が闕所の節の書付に同じ、是も定て好事の者の言触らせる処の浮妄の説なるべし。〉
勅裁 勧修寺宮
【勧修寺宮に対する勅裁】昨年他国へ密行、殊に実妹幾佐之宮同伴無類之所行、其上諒闇中実父重服中重々不慎不行状に候間、雖㆑可㆑被㆑処㆓厳科㆒、以㆓格別御憐愍㆒、被㆑止㆓親王宣旨・二品位記等㆒、自今戒師海宝僧正生涯之間被㆑預㆑之、於㆓東寺之中㆒厳重に籠居被㆓仰付㆒候事。〈御供致し候人々は、武家へ引渡【 NDLJP:90】しと相成り候事。〉
勧修寺宮昨年十月他国へ密行、実妹幾佐宮同伴、右等之不行状有㆑之候に付、被㆑止㆓親王宣旨・二品位記等㆒、於㆓東寺中㆒籠居被㆓仰付㆒候。幾佐宮には被㆑除㆓伏見家伝系㆒、剃髪之上於㆓瑞龍寺室㆒籠籠被㆓仰付㆒候。〈勧修寺宮御名は済範、光格天皇の御養子也。〉
寅七月十二日
【三宝院宮不行跡の処置】三宝院宮にも女を男に仕立て、密に小性に召仕はれしが、此の事此度顕れしにぞ、御実家鷹司殿の計らひとして、其女を退け、家中にて重なる者を残らず鷹司家と三宝院と入替らせ、厳重に相守らせ、表立たず内分にて事済ませしといふ事なりし。
寄合 水野備前守
名代小出丹宮
【水野美濃守御預け】祖父美濃守不届の品有㆑之候に付、諏訪因幡守へ御預け被㆓仰付㆒。依㆑之其方遠慮被㆓仰付㆒。
右於㆓大岡主膳正宅㆒申渡。御目附平賀三五郎相越す。
備前守祖父隠居 水野美濃 七十七歳
其方事隠居蟄居仰付けられ候已後、聊恐懼の体無㆑之、品々不慎の趣相聞、其上対㆓公儀㆒、不㆑軽恐多き事相量り、種々不埒の儀口外に及候段、重々不届の至に候。依㆑之御詮議被遂、重き御仕置にも可㆑被㆓仰付㆒筈の処、御側近く被㆓召使㆒候者故、格別の御宥恕を以て、諏訪因幡守へ御預け被㆓仰付㆒。
右於㆓評定所㆒初鹿野美濃守・鳥居甲斐守・松平四郎立会、甲斐守申㆓渡之㆒。
六月二十六日
〈深川島田町熊蔵地供十兵衛方同居歌舞伎役者〉海老蔵
【歌舞伎役者の所罰】右の者家作の儀は、長押・
土井大炊頭様御指図、南御町奉行鳥居甲斐守様より、佃島勘十郎地借り金蔵へ仰渡さる。
其方儀、父は先年相果て、母ゆき儀其方を召連れ、太平次方へ嫁に参り困窮の処、其方成長の上心掛け宜しく、万事父母の存意に背かず、家業専らに出精致し候故、追々身上向取直し候へども、聊か奢侈の振舞之なく相慎み、養父病死後も母儀眼病にて盲目に相成り候に付、別て老養を尽し、日々商ひより立戻り候節、好み候食物買調へ参り食べさせ、又は慰にも相成るべき咄等致し聞かせ、此母の機嫌を取繕ひ、同人病死の節も厚く介抱致し、今以て仏参等絶えず致し、其上去る午年以来米価高直の節も、近辺困窮の者へは、度々米銭等施し候へども、名聞を厭ひ夜中窃かに差遣し候儀も之あり、一体性質書類を好み、元来無筆の処追々書覚え、家業の暇には近辺の者共を呼集め、忠孝の道抔講談教諭致し候段、軽き者には奇特の儀に付、右の趣申渡し、褒美として銀三枚取らせ遣す者なり。
【 NDLJP:92】 寸意の高聴に達し尊命を蒙りて
身にあまる風にひれふす川柳 川柳印
尊命の有難きを仰ふぎ、川柳聞の芳誉を社友に告ぐるとて
梅に鳴く鳥も附音ぞ文学び 素行堂印九拝
天保十三年春
右は佃島金蔵と云へる漁師にて、則ち四代目川柳の事なり。此度右御褒美を蒙り候に付、其文を板行に致し、諸所に配り候写なり。
【阿波一揆落著の由の書状の写】阿波国一揆落著の様子城下近在高円寺より黒川屋弥左衛門へ申来り候書状の写
去冬ゟ当春二月下旬迄、百姓一揆数度に及び、既に国中諸所騒乱にも及ぶべきやと、人気大に乱れ候処、三月上旬ゟ追々召捕に相成り、入牢の者仰山に之あり。此節追々落著の者共迄死罪に相成り申候。然る処重喜世村と申す処は、讃岐金比羅迄行程七里之あり候。在所に銀右衛門と申す者、四十七歳にて当三月入牢候。其伜捨松と申す者、当年十歳に相成り候。此者父の入牢の翌日ゟ、金比羅へ三日目三日目に願込め、父の身分安穏を祈り候。既に死罪の噂と聞くより、七里の道を跣にて日参を致し、父の助命を祈り候孝心、幼少の者の精心実に感じ入り、大人も及ばざる孝道故、御吹聴申し候。六月廿五日先づ落著の付候分迄、三人死罪に極り候処、右銀右衛門妻子村の庄屋・五人組等役所へ御招呼にて、即日奉行所より、銀右衛門事一揆頭梁の者故、死罪獄門に被㆓仰付㆒候処、一子捨松幼少の身に孝心の程上聞に達し、此度一命御助け被㆓仰付㆒、牟伎浦ゟ一里半計り北に当り島あり、手場島と号す。人家三四十軒計り之ある処へ、当人妻子共七郡の追立てにて流罪に被㆓仰付㆒、助命に相成り候。之れ全く孝子の実情権現も感応あらせられ候事と、皆々恐入り候。猶ほ孝子へは役所に於て、金子五両拝領、太守様御目通り被㆓仰付㆒、御手自ら菓子一折孝子へ御下し置かせられ、島に於て存命中の拝領、親子三人の者共へ田畑御与へ下され、無年貢にて作り取りに致し、存命中の御養に被㆓仰付㆒上の御仁政、卑夫の小児孝心絶感候。偏に荒増愚毫に御咄申候。次に十八歳に相成り候者、且又棟梁たる者に候故、【 NDLJP:93】同時に獄門被㆓仰付㆒候。既に死罪に至る時、若年なれども妻を帯び候者にて、暇乞抔被㆓仰付㆒候節、後々の家業・金銀の出入万端明かに妻へ申付け、尋常の死を究め、我国民の為に命を殞し候事、重々本望の至りなりと、誠に丈夫の死を致し候由。梟木に掛り候死顔を見、諸人をして落涙限りなからしむる事に有㆑之候。拙生粉骨の世話致し遣り候銀主栄左衛門も、頃日宿下げ町預に相成り候。誠に正道を申披き、先は働遣し候甲斐之あり、入牢を御免に相成り、遠からず本宅へ帰り申すべき様相成り候運にて、拙生銀主を助け、以後の栄を相待ち申す計りに御座候。荒増片付き候はゞ早速上坂、久し振にて雅事御咄し承り、之迄御返金延引の申訳□へ、猶御返済の道を立て申すべき相心得に御座候。余り大延引に相及び、実に顔耳に汗すとは此事に御座候。宜しく御照察奉㆑希候。頓首
右の一揆、入牢の者五百人計り、今に之あり候。
【家賃を減ぜんとす】町々家賃銀引下方の儀、寛政の度再糺の上、其場所々々に応じ、減方申付候上、為㆑出㆑書有㆑之上は、右直段を元に致し、其後無㆑謂高直に相成有㆑之分は、二割以上の割方に不㆑拘、何れにも右直段へ引当減じ申付、其上の儀は銘々引下げ候共、心次第可㆑為㆑致候。若又寛政度以来無㆓高下㆒致㆓連綿㆒候分も有㆑之ば、且又同様引下げ候共心次第致し、此度相改め候帳面、寛政度の振合を以て、町々ゟ取集め可㆓差出㆒候。尤無㆓余儀㆒訳柄有㆑之、家賃銀減じ難き分も有㆑之ば、其段右帳面へ断書為㆓認入㆒差出可㆑申候。尚又糺の上可㆑及㆓沙汰㆒候事。右の通り此方共へ取調向心得方被㆓仰出㆒候間、此趣を以て猶町々取調可㆑被㆓申出㆒候事。
寅七月九日
【似せ金銀売捌の禁止】似せ金銀銭拵候者、并売捌候者雖㆑為㆓御制禁㆒、近来奥羽筋は専ら行ひ候者有㆑之候に付、今度吟味の上夫々被㆑処㆓厳科㆒候。就ては右両国は勿論、国々厳敷可㆑被㆑遂㆓御穿鑿㆒候条、銘々無㆓油断㆒相改、自然疑敷者有㆑之ば、早々其筋へ可㆓申出㆒、品に寄御褒美被㆑下、其者ゟ仇をなさゞる様に被㆓仰付㆒候。若見聞及びながら隠置き、他所ゟ願はるゝに於ては、其所の者迄も罪科に可㆑被㆑行候。右の趣御料は御代官、私領は領主・地頭ゟ浦方村町共、不㆑洩様可㆓触知㆒候。尤触書の趣板札に認め、高札場所へ懸置き【 NDLJP:94】可㆑申者也。
六月
右の趣従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅七月十二日石見遠江 北組 総年寄
〔口達脱カ〕
【芝居興行禁止】国々城下社地等に於て、江戸・京・大坂ゟ旅稼に出候歌舞伎役者共を抱へ、芝居狂言等相催候由。右は其所の風俗を乱し、不㆑可㆑然筋に付、向後決して抱入申間敷候。尤三都狂言座の外、他国稼不㆓相成㆒旨、今般取締方急度申渡候間、得㆓其意㆒、此上右の者共罷越芝居興行等の及㆓対談㆒候はゞ、其所に留置き、最寄奉行所又は御代官所・領主役場等へ早々可㆓申出㆒候。若触面の趣相背くに於は、右に携候者共悉遂㆓穿鑿㆒、遠国に候共一人別に江戸表へ呼出し、吟味の上村役人共始、一同厳敷咎可㆓申付㆒候。右の通御料は御代官、私領は領主・地頭ゟ不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
七月
右の通り従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅七月石見遠江 北組 総年寄
口達
【元方の直下げを行はしむ】諸色直下の儀、格別厚き御世話有㆑之に付ては、元方直段引下げ方の儀、掛合行届き兼ね、無㆑拠直下げ難㆑成訳柄も有㆑之候者、其段可㆓申出㆒旨等の儀、最前町触差出置き候。然る処猶又江戸表ゟ御下知有㆑之、以来中国・四国・西国筋等へ差跨り候分、当表へ引付一同打合遂㆓吟味㆒候筈に付、元方直段引下げ方心得も有㆑之、旁〻右の次第諸家役人へ相達し候に付、町中に於ても其旨を存じ、元方直下げの掛合行届兼候方は、聊無㆓参酌㆒可㆓申出㆒旨、夫々へ申聞可㆑置事。
寅七月
口達
【古貨幣取替の達】今般古金銀引替方の儀に付、身元相応の町人共呼出し、是迄貯置き候古金銀早々引替候様申渡置き候処、追々員数封書差出し候間、兼て御触の通り金銀座、又は引替【 NDLJP:95】所へ持参、定の通り歩合受取りの勝手次第引替候様申渡置き候処、右の外貯置き候者可㆑有㆑之哉に相聞き、追々多人数呼出し候儀可㆑及㆓難儀㆒候間、名主支配銀不㆑洩様申聞け、多少に不㆑拘銘々所持の分員数封書致し申立て、引替の儀指図受け候様可㆑致。尤是迄所持いたし候御咎は勿論、所持有無取調追て御用金等被㆓仰付㆒候儀には曽て無㆑之候間、不㆓危踏㆒様申諭し、速に員数申立候様可㆓申通㆒。若此上心得違致し取隠置き、追て於㆓相知㆒は厳重の可㆑及㆓沙汰㆒間、是又心得違無㆑之様可㆓申通㆒候。但古金銀とのみは軽き者相分り申間敷、当時通用に無㆑之金銀、都て差出候様可㆓申通㆒候。
右の通り此度江戸町奉行所に於て、其筋の者へ申渡し有㆑之間、此旨可㆑存候。尤当表古金銀引替捗取方の儀、先達て以来追々厳重申渡し、殊に近頃は一町限持溜候分、軒別に取調引替有無の儀、月々町役人ゟ断出候程に、猶又厚く相心得、銘々持溜候分は勿論、時々取引先等ゟ受取候古金銀有㆑之者、多少共聊不㆓除置㆒、早々最寄引替所へ差出可㆑申候。若右申渡しを背き取隠置き候儀、外ゟ於㆓相知㆒は、当人は勿論其町役人共迄も、急度可㆓申付㆒候間、夫々心得違無㆑之様可㆑候候。
右の通り三郷町中へ不㆑洩様可㆓申聞㆒候事。
寅七月
(口達脱カ)
【武家々来と騙る者の取締】一、総て武家方家来の由申偽り、町家並芝居・遊所、其外人立の場所等にて、崇高に不法等申掛け候者の儀に付、当口厳重の町触差出有㆑之候に付、町々に於て其通り相心得可㆓取計㆒儀は勿論に候得共、右の外町奉行組並諸組の者の由申偽り、前同様町家或は人立の場所にて、法外の振舞に及び、或は役筋手先抔と唱へ、ねだり事致し候者も有㆑之哉に候処、是又訴出で候者も無㆑之、右は畢竟右訴出で候へば、町内物入も相掛り、或は事六ヶ敷可㆑成と存量り、宥め帰し候儀を専一にいたし候様相聞え、不埒の至に候。向後右体の似せ者は不㆓申及㆒、たとへ実に組の者・役筋手先等に候共、聊掛酌可㆑致筈に無㆑之候に付、最前相触候通り其処に留置き候か、或は捕押へ月番・非番の無㆓差別㆒、最寄町奉行所へ可㆓訴出㆒候条、若内分にて事済候者有㆑之、追て於㆓相知㆒【 NDLJP:96】は、当人は勿論所役人共迄も急度可㆓申付㆒候。
【仙台銀通用禁止】一、仙台銀の儀、松平陸奥守領分銀の通用にて、若し外に於て通用いたし候者可㆓訴出㆒旨、先前ゟ追々御触渡も有㆑之処、其後いつとなく相弛み、右銭取交ぜ通用致し候者も有㆑之哉に相聞え、如何の事に候。以来右銭取扱候者及㆓見聞㆒候はゞ、早々可㆓訴出㆒候。尤両替屋共手元にて選出方の儀は、先年申渡し有㆑之通り相心得、取集め次第月番の町奉行所へ可㆓差出㆒候。但両替屋の外町人共に於ても、仙台銭選出置き候分有㆑之候はゞ、一町口限年寄へ申聞け、右の者より本文同様可㆓差出㆒候。
【錦絵売買の禁止】一、近来錦絵と唱へ、歌舞伎役者・遊女・芸者等の形を一枚摺にいたし候段、風俗に拘り候筋にて、其外合巻と唱へ、絵草紙の類絵物抔格別入組み、重に役者の似顔狂言の趣向等に書綴り、其上表紙・上包等に彩色を相用ひ、無益の儀に手数を尽し、夫々高直に売出候趣相聞え、如何の至に候。以来右様の類開板は勿論、是迄仕入置き候分共決して売買致間敷候。向後似顔狂言の趣向相止み、忠孝・貞節等を取立にいたし、児女勧善の為に相成候様書綴り、絵抔も随分省略致し、無益の手数不㆓相成㆒様急度相改め、表紙・上包等へ彩色相用候儀堅無用に候。尤新板出来候節は、本屋掛り総年寄へ差出し、改受可㆑申候。但扇屋・団扇屋其外小間物屋等商ひ物の内、前同様の絵物有㆑之由相聞え候条、是又売買可㆓差止㆒候。右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅七月廿七日石見遠江 北組 総年寄
口達
【正路の取引すべき旨の達】一、諸色市立を以て売買致し候商売向の内、市金と唱へ通用の銀銭相場に拘はらず、夫々商売限りの相場兼て取極有㆑之。其相場を以て取引致し候分も少からざる由相聞え候。右は古来よりの仕来りにて、新規の儀は無㆑之とは申しながら、紛らはしき仕方、其上此度都て株札並に問屋仲間組合と唱へ候儀停止、素人直売買勝手次第相成り候上は、旁〻以来右商売限りの相場相用ひ候儀差止め、品物相当の直段を以て、正路の取引致すべく候。但右市売屋の内には、仲買共へ売渡し候分に限り、年来の仕来りに泥み、歩引と唱へ、外並よりは直下げ致し遣り候向も有㆑之哉に相聞え候。さ候ては自ら仲買仲間不㆓相解㆒姿に相成候。是又御趣意に差障候に付、以来仲買・素【 NDLJP:97】人の無㆓差別㆒、一様に歩引致し可㆑遣候。
【二割下げの由を符牒せしむ】一、諸色其外共総て二割已上直下げ致し、右引下げ候直段、夫々店先へ張出等致し置き候様、当六月触置き候処、其後元付直段相場等高下有㆑之、追々直段書相改候分も有㆑之ば、其度毎元札は不㆓取捨㆒差置候も、先繰に張重ね、右高下直段見渡し相成候様可㆓取計㆒候。
【厳格に直下げすべきを令す】一、他所より当表へ相廻し〔〈候脱カ〉〕荷物も、前同様元方直下げの掛合に及び候上、其筋筋の商人引受候に付ては荷主等の気配を厭ひ、右の者共馴合ひ、品物相当の直段より態と高直に直組の上、右を元立に致し、直段割下げ候者も有㆑之哉にて、右故直下げと申すは名目迄に相成り、内実直段不㆓引下㆒候に付、町々小売直段に拘り候廉も有㆑之由相聞え、不埒の至に候。諸色元方に掛り候儀に付ては、最前触渡し置き候趣も有㆑之、旁〻右様の儀は曽て無㆑之筈に付、聊元方への不㆑及㆓遠慮㆒、正当の直立を以て、猶又割下げ可㆑致㆓売買㆒候。勿論元方への掛合難㆓行届㆒候はゞ、月番の奉行所へ可㆓申出㆒候。自然と右申渡を背き、不正の取計らひ致し候様子於㆓相知㆒は、急度可㆓申付㆒候。
【町奉行前掛茶屋の規定】一、町奉行所前公事人腰掛茶店の儀、先前ゟ御入用被㆑下㆑之候に付、公事訴訟其外吟味引合等にて罷出で候者より、聊にても茶代等受用致す間敷旨申渡有㆑之通、向後も違失無㆑之様相聞え、例へば公事人共等の心得を以て致㆓心付㆒候者有㆑之ば、堅く相断り決して受け申間敷、且時分に寄り、食事等の儀も成丈け手軽に可㆑致筈の処、心得違の者共手重の品致㆓持参㆒、又は公事出入見舞と唱へ、腰掛或は公事人下宿・郷宿等へ罷出で候儀も難㆓相成㆒儀に候処、心得違尋参り候者も有㆑之候のみならず、場所柄をも不㆑顧酒食に時刻を移し候族も有㆑之趣相聞え、風儀不㆑宜候に付、右等の類及㆓見聞㆒候はゞ、早速名前取調ベ可㆓申立㆒候。総て公事出入引合等にて罷出で候者共、無益の失費相掛け候ては致㆓難儀㆒候に付、右様の儀無㆑之手軽に相済まし候様厚く心得、精々心を付可㆑申候。万一心得違致し、前書の始末押包み追て於㆓相知㆒は、急度可㆑及㆓沙汰㆒間、其旨右茶番並下宿・郷宿渡世の者は勿論、其余の者一同可㆓相心得㆒候。右の通り三郷町中不㆑洩様可㆓申聞㆒事。
【 NDLJP:98】 寅七月
八月三日の御触
【庭石等の費を省かしむ】一、石灯籠・石手水鉢・踏段・庭石等無益の人力費用を掛け造出し、中には莫大の高金に売買致し候品も有㆑之哉に相聞え候。自今右灯籠の儀、金十両以上に当可㆑申品、一切造出し売買致す間敷、手水鉢・踏段・庭石等是又十両以上の品、売買一切可㆑有㆓停止㆒事。
【瀬戸物類の規定】一、瀬戸物類近来専ら新奇を競ひ製造致し、就中石灯籠の形、或は井桁等瀬戸物不似合の品は、以来売買令㆓停止㆒候。其外植木鉢の類通例の器物に候とも、総て奢侈高価の品、決して売買致す間敷き事。
【鉢植売買停止】一、高直の鉢植物売買令停止候段、去年十月相触れ候通り、弥〻堅く相守り、金三両以上の品決して売買致す間敷き事。
右の通り町触申付け候間、国々に於ても新製高価の品等売出し申間敷く候旨、御料は御代官、私料は領主・地頭より不㆑洩様可㆓相触㆒候。
七月
右の趣従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅八月石見遠江 北組 総年寄
右被㆓仰渡㆒の趣、慥に承知仕り候間、依㆑之銘々印形仕る仍て如㆑件。
当六月入津致し候阿蘭陀人より公儀へ差出し候風説書の写
【阿蘭人より差出しの風聞書】一、当年来朝の阿蘭陀船二艘、五月十八日咬吶吧一同出帆仕り、海上無㆓別条㆒、今日御当地着岸仕り候。右二艘の外類船無㆓御座㆒候。
一、去々年御当地帰帆仕り候船、十一月十一日海上無㆓別条㆒、咬吶吧着船仕り候。
一、昨年御当地へ向け、五月廿二日咬吶吧出帆仕り候処、台湾にて大風に遭ひ、帆並端船二艘吹取られ、船具悉く損じ、本船大に動揺仕り候末、水船に相成り、阮水深さ凡五尺程に及び、凡二十万斤の砂糖溶け候程の儀にて、其末取楫の方にては、今三尺程水相増し、浪繰工合悪しく候故覆り候儀を相恐れ、マカヲに乗入れ候上、荷物取揚げ修復相加へ申すべき決心仕候。然る処右修復料に差支へ候に付、右荷物【 NDLJP:99】の内大半雑費売り仕り候。右等の儀にて旬季後に相成り、御当地へ乗渡り候儀出来不㆑申、終には九月廿四日彼地り乗戻り申候。然るに又々洋中にて大風に遭ひ、脇柱等も吹折れ大難渋仕り、漸く十一月六日迄日数四十一日経て、咬吶吧著船仕り候。
一、阿蘭陀国王位を太子に譲り申し候。
一、プロイスー国王死去、太子国王に相成り申し候。
一、ヱゲレス国王の女王と乗車に対し、短筒二挺打掛候者有㆑之。既に危き場合に及び候儀に御座候。
一、ヱゲレス国の女王男子産み申し候。
一、イスパニア国王政事を其娘に譲り申し候。
一、フランス国の所々に於て、徒党を催し候得共、速に静まり申候。然るに其国王等の命にも掛り候儀を牒合候者共追々及㆓露顕㆒申し候。
一、唐国のヱゲレスとの戦争、今以て不㆑穏候。去々子年以来の儀は、追て別段可㆓申上㆒候。
一、昨年来アフハニスタン〈アゲレスの支配東印度の地名〉の国民等、ヱゲレス国より差越し候支配類、対一揆を起し、
一、東印度に有㆑之候阿蘭陀の領地、何れも静謐に御座候。
一、台湾辺にて唐国に通ひ候唐船三艘、並欧羅巴船二艘見掛け申候。右はヱゲレス国船哉に被㆑存候。
一、二番船より新カピタン乗渡り申候。
右の外相変り候風説無㆓御座㆒候。
古かぴたん ゑてゆあるとからんでそん
新同 ひいとるあるべるとひつき
右の通り両かびたん申上候通り、私解仕り参上申上げ候。以上。
寅六月十九日
十八日卯中の刻二艘注進の処、一艘見隠し、一艘六月十九日辰の中刻入津。右一艘十九日卯の上刻本注進有㆑之。同日申の上刻入津。
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