シリヤの聖イサアク全書/第四十七説教

第47説教 編集

<< しょう意義いぎおよ祈祷きとうこと。 >>

簡短かんたんあらはせるこのしょうごとし、われらは二十四にじゅうよ時間じかんうちひるよる悔改かいかい必要ひつようゆうするを時々ときどき記憶きおくせんをようすることこれなり。悔改かいかいといふことば意味いみたとへばわれらはもの真実しんじつ性質せいしつにより確知かくちするごとく、悔改かいかい既往きおうつみゆるされんため悔悟かいごねんてる祈祷きとうもっかみちかづくよわらざる請願せいがんと、将来しょうらいまもるがため悲哀ひあいとにあり。ゆえわれらのしゅわれらが薄弱はくじゃくためにその支柱しちゅう祈祷きとうおいしめたまへり、いはく『儆醒けいせいせよ祈祷きとうせよ誘惑ゆうわくらざらんがためなり』〔マトフェイ二十六の四十一〕。祈祷きとうせよ、怠慢たいまんなるなかれ、如何いかなるときにも『儆醒けいせいかつ感謝かんしゃせよ』〔コロサイ四の二、三〕、『もとめよ、しからばん、たづねよ、しからばはん、もんたたけよ、しからばなんぢらのためひらかれん、けだしおよもとむるものたづぬるものひ、もんたたものにはひらかれん』〔マトフェイ七の七、八〕。しかしてことにそのことば証定しょうていするがため夜半やはんきたりてぱんもとめたるともたとひもっわれらをだいなる勉励べんれいすすましめたまへり、しゅへりまことに『なんぢらにぐ、かれともなるがゆえきてかれあたへざるも、その切迫せっぱくりて、もとむるごとかれあたへん』〔ルカ十一の八ゆえなんぢ祈祷きとうせよ、怠慢たいまんなるなかれと。ああ勇気ゆうきためはれざる何等なにら奨励しょうれいなるや。施与しよしゃわれらを勉励べんれいしてもとめしむるは、神聖しんせいなるたまものわれらにあたへんがためなり。それかれかれらのため慈恵じけいなるものをば、そのみづからごとく、すべて摂理せつりたまふならば、かれこのことばわれらを勇気ゆうき希望きぼうとにはげますためだいなるちからたさるるなり。けだししゅ背離はいり出来できべきことをする以前いぜんわれらよりうばはずして、徳行とくこうより邪悪じゃあくうつるべきこの変化へんかわれらにはなはちかくしてひとひとせい反対はんたいなるものを自己じこやすきをるにより、不断ふだん祈祷きとう勉励べんれいして奮闘ふんとうすべきをめいたまへり。もしもこの保証ほしょうくにのあるならば、ひと此国このくにたっするや、そのせいこのときただちに要求ようきゅうよりうえにあるべく、そのところ畏懼いくよりうえにあるべく、しかしてかみはその照管しょうかんもっこれげしめて、祈祷きとう奮闘ふんとうすべきことはめいたまはざりしならん。けだし来世らいせいおいては或事あること請願せいがんもっかみ祈祷きとうささげざるべければなり。自由じゆうきょうりてはわれらがせい反対はんたいおそるる畏懼いくもとにありて、変化へんか背離はいりとをけざるべし、なんとなればすべてに完全かんぜんすればなり。此故このゆえしゅめいたまひしは、ただ祈祷きとう自己じこまもるがためのみにあらずして、われらのため常々つねづねおこところのものの機微きびにして思議しぎべからざるがゆえに、いづれのときにも不意ふい屡々しばしば発見はっけんするものの状態じょうたいわれらの知識ちしきもっさとあたはざるによるなり。けだしわれらのはなは堅固けんごにして、ぜん膠着こうちゃくすといへども、しゅ照管しょうかんわれらを誘惑ゆうわくさかいかつとうずる一回いっかいのみにあらざることは、ふくなるパウェルひしごとし、いはくく『黙示もくし至大しだいなるによりてたかぶらざらんために、ひとつとげ肉体にくたいあたへられたり、すなはちサタナ使つかいなり、われたんためたかぶらざんためなり、われ三次みたびしゅこれわれよりはなさんことをもとめたりしかれどもしゅわれへり、われ恩寵おんちょうなんぢれり。けだしわれちからよわうちおこなはる』〔コリンフ後十二の七、九〕。

しゅよ、すでなんぢむねならば、われらの幼稚ようちなるも、なんぢみちびかれてみづから覚醒かくせいせんがために、のすべてのものを要求ようきゅうす、いはんやひとわれおなじくなんぢあいはしめられ、酩酊めいていうちりて、にはまったそそがざるにより引誘いんゆうせられて、ぜんなるもの追随ついずいするにおいてをや、ただにこれのみにあらず、なんぢわれ肉体にくたいしたにて説明せつめいするあたはざる黙示もくし直覚ちょっかくとをあたへ、霊神れいしんじょうつとめかつそのこえかしめて、聖徳せいとくてるなんぢ直覚ちょっかくたまはるにおいてをや、しかれどもこのすべてにかかはらず、ハリストスによりて成全せいぜんせられたるひとは、自己じこ保護ほごするがため不充分ふじゅうぶんなり、なんとなればハリストスこころたるにかかはらず、機微きびにしてちからもっさとあたはざるものあるによる、ゆえしゅよ、よわきと、患難かんなんと、牢獄ろうごくと、械繫かいけい[1]と、窮乏きゅうぼうとにおいよろこぶはこれためなり。これせいによるか、せいによるか、あるいはそのてきによるか、いまはただよわきをよろこんで忍受にんじゅす、すなはち試惑しわくおいよわきを忍受にんじゅす、かみちからわれ宿やどらんためなり。もしこのすべてののちなんぢ住所じゅうしょうち膨張ぼうちょう展開てんかいして、なんぢちかづきてまもられれんため試惑しわくつえ必要ひつようゆうするならば、る、われよりおほなんぢあいせらるるものはあらずして、したがつなんぢわれ衆人しゅうじんよりたかうしたるを。かつなんぢ奇異きいにして光栄こうえいなるちからるを同労者どうろうしゃたる使徒しと一人いちにんにもあたへしごとくにはあたたまはずして、なんぢ選器せんきづけたまへり、〔行実ぎょうじつ九の十五なんとなればなんぢあいほう誠実せいじつまもるによる。のすべてのためこと伝道でんどうぎょうおほい進歩しんぽして将来しょうらい益々ますます拡張かくちょうするがためにも有益ゆうえきなりしならば、なんぢ自由じゆうたまふべかりしを幾分いくぶん理会りかいするなり。しかれどもなんぢこの患難かんなん憂慮ゆうりょなくしてらざらんことをみしたまへり、けだしなんぢ福音ふくいんつたふる事業じぎょうおほい増加ぞうかするは、試惑しわくによりえきて、霊魂れいこんなんぢによりて健全けんぜんまもらるるほどなんぢため重要じょうようなるにはあらざるにる。

おわりに、思慮しりょあるものよ、もしこのすべては試惑しわくだいなるたまものにして、ひと称揚しょうようせられて、パウェルおなじくしんほどは、さら愈々いよいよ畏懼いく戒慎かいしんとに必要ひつようゆうして、その遭遇そうぐうするところ試惑しわくよりえきるならば、たれうばひしものらがてる保証ほしょうくにたっして、〔マトフェイ十一の十二われらとともならずしてはまつたきをけざるために〔エウレイ十一の四十せいなる天使てんしらにもあたへられざる堅固けんごなるものとなりべきものをけ、すべて霊神上れいしんじょうにも肉体上にくたいじょうにも反対はんたいするところのものをけて、まった不変ふへん不易ふえきなるものとならんことをほっするか、試惑しわくかれにそのおもいにもちかづかざらんことをほっするか。しかして此世このよほうことごとくの聖書せいしょあらはされたるごとく、そのごとし、すなはちもし毎日まいにち幾千いくせん打撃だげきつねくるも畏避いひ退怯たいきょうするなかれ、場裡じょうり馳走ちそうするをとどむるなかれ、なんとなればわれらはいつ些細ささいなる機会きかい勝利しょうりうばふて栄冠えいかんくべきによる。

競争きょうそうにして競争きょうそうため道場どうじょうなり。とき角逐かくちくときなり。しかれども角逐かくちくくににも競争きょうそうときにもほうかれざるなり、すなはちおうはその戦士せんしため競争きょうそうふるまで界限かいげんかずしてすべてのひと主宰しゅさいたるおうにわにみちびかるべく、しかして競争きょうそうしたるものは、かちそうするをゆるさざりしもの敗北はいぼくしたるものも、とも彼処かしこおい審査しんさせらるべし。けだし鍛錬たんれんによりてなんようにもたざるひと不断ふだん撃破げきはせられ、うちたれて、いづれのときにも無力むりょくにしてそんすれども、巨人きょじん軍隊ぐんたいよりその軍旗ぐんきにわかうばふときは、その称揚しょうようせらるべくして、かれ奮闘ふんとうつて著名ちょめいになりしものらよりもさら讃美さんびせられ、そのともまさりて栄冠えいかん貴重きちょうなるたまものとをくる機会きかいおほこれあるべし。ゆえ一人いちにん失望しつぼうするなかれ。ただ祈祷きとう等閑とうかんにせざるのみならず、しゅたすけもとむるにおこたらざらん。

われらは此世このよおい肉体にくたいかるるあいだは、たとひてん穹窿きゅうりゅうまでのぼりたりとも、行為こうい労苦ろうくとなくしてり、憂慮ゆうりょなくしてそんするあたはざることをかたおのれ意中いちゅうかん。れぞ〔われゆるせ〕すなはち完全かんぜんにしてこれよりぐるものはにしてかんがえきなり。

われらがかみ光栄こうえいおよ権柄けんぺい及び美麗びれい世々よよにあるべし。「アミン」。

脚注 編集

  1. 投稿者注:罪人の自由を奪うための刑具のこと