通俗正教教話/愛の実行

▲愛のこと

(一)愛の実行 編集

<< しんあいとの関係 >>

問 神様を真実まことしんじたる基督教徒クリスチヤニン如何いかなることをなさねばなりませぬか。

答 それまことあいあらはし、それ適応てきおうするおこないをなさねばなりませぬ、幾何いくら神様をしんじましてもあいあい適合てきごうするようおこないすこしもさなかったならば、その信仰しんこうまったんだ信仰しんこうなんやくにもたないので御座います、聖書せいしょことようもうして御座います。
ハリストス イイススりては……ただあいもつおこなしんえきあり』(ガラテヤ五の六)。
ひとみづかしんありとひておこないなくばなんえきらん、しんかれすくふか……けだしたましひなきからだせるものなるがごとおこないなきしんまたせるものなり』(イアコフ公書二の十四、二十六)。


問 それではあいあいかなおこないばかっても神様にたいする信仰しんこうかったならばうで御座いませう。

答 其時そのときそのおこないまったうそおこないになってまうので御座います。なんとなれば神様をしんじないひとおこない幾何いくらおこないをなしてもつねに『ひとめらるるめ』とか『えきめ』とか『しょうめ)』とか利己りこしゆわるぶんこもってりまするのでまことおこないにならないので御座います、聖書せいしょもうして御座いまするには『しんなければかみよろこばるるあたはず』(エウレイ十一の六)とじつ信仰しんこうがなくしておこなおこないここもうしてりまするとほけつして神様によみせらるるものでは御座いません。


問 それではおこないはぬあいうで御座いませうか。

答 其様そのようおこないはぬようあいまことあいでは御座いません、まことあいりまするなればかならそれおこないあらはるるのはぜんすうで御座います。
しゅイイスス ハリストス人々ひとびとおしへてもうされましたには『いましめたもちてこれまもものすなはわれあいするものなり……ひとわれあいせばことばまもらん』(イオアン十四の二十一、二十三)とせい使徒しとイオアンも『われあいするにことばもつてしあるいしたもつてするすなはちおこないじつとをもつてすべし』(イオアン一公書三の十八)とおしへてりまする、で御座いまするからわたくしどもつねおこないもつぶんあいしょうつることをつとめなければなりませぬ。