聖金口イオアン教訓下/第13講話

第13講話

編集

<<ひとゆるかいおいていかなる尊敬そんけいにてたかめられしや>>


言者げんしゃかみ人間にんげんにあらはしたまへる恩恵おんけい一言いちげんにてあらはせり、いへらく『ひと尊敬そんけいにありてらず』と。これ言者げんしゃ如何いかなる尊敬そんけいふか。かれ聖詠せいえいおいところをきくし、いはく『なんぢかれしん使よりすこしくくだらしめ、かれ光栄こうえい尊敬そんけいとをかうむらす』と、かれ尊敬そんけい説明せつめいし、つゞいていへり、いはく『かれたてなんぢつくりしものつかさとなして、万物ばんぶつその足下あしもとけり、すなはちことごくのひつじうしまたけものてんとりうみうお一切いっさいうみおよものなり』〔聖詠八の六~九〕。じつ最大さいだいなる尊敬そんけいひとことごとくの有形ゆうけい物体ぶったいつかさたることを許與ゆるたまへるにあり、しかのみならず、いまだなんぜんをもなさゞるものにさへ許與ゆるたまへるにあり。けだしかみいまひとつくらざるきに、われかたちり、せてひとつくらんといひ、其後そののちせててふことば説明せつめいせんとほつして『うみうお天空そらとりとをおさめしめん』〔創世記一の廿六〕といふをくはへたり、ひと実体じったいおほいさ三「ロコート」〈六尺〉ぎずして、その体力たいりょくおいてもげんなる動物どうぶつすればかくのごとしょうなり、しかるにかみこれ聡明そうめいなる霊魂たましい賦與ふよし、りょくもつかれ萬物ばんぶつもっともひいづるものとなし、これをもて最大さいだいなる尊敬そんけい標記しるしとなしたまへり。ひと才能さいのうたすけによりて城市まちもうけ、うみり、ひらき、すう芸術げいじゅつ発明はつめいし、たけ動物どうぶつつかさたるものとなれり、されどももっともおもくしてかつもっともおほいなるはおの造成者ぞうせいしゃたるかみさとり、徳行とくこうすすみ、きとからざるとを識別しきべつするにあるなり。ゆる造物ぞうぶつうちあつひとひとかみとうし、ひとひと天啓てんけいをうくるにてきし、おほいおうなるものをさとり、てんぞくするものをまなべり、ひとためなり、てんひとためなり、ほしとはひとためなり、つき運行うんこうと、さい代替だいていと、天候てんこう殊異いろいろ多様さまざまなるはひとためなり、じつ植物しょくぶつおよびかくのごとしゅなる動物どうぶつひとためなり、昼夜ちゅうやひとためなり、使徒しと言者げんしゃとはひとためつかはされ、しん使ひとためにしば〳〵つかはされたり。またおほかぞへんをようするか。すべてをかぞへんことはあたはざるものとす。かみ独生子ひとりのこひととなり、くぎせられてほうむられしはひとためなり、復活ふくかつのちおそるべきしょうのありしはひとためなり、律法りっぽうひとため楽園らくえんひとため洪水こうずいひとためなりき。じつひとため尊敬そんけいもっともおほいなるものはすなはちおんばつとをもつ改善かいぜんしむるにあり。すべぜんおこなはれたる照管しょうかんかぎりなきけんひとためなり、またらい審判しんぱんひと尊敬そんけいためおこなはれん。ゆえ約百イヲフへりいはく『ひと何物なにものたる、なんぢこれに審判しんぱんおこなたまふや』〔イヲフ十四の三これおなじ聖詠者せいえいしゃへんおいていへりいはく『ひと何物なにものたる、なんぢこれおもふや』〔聖詠八の五〕。かみ独生子ひとりのこかぎりなき祉福さいわいもつふたたきたたまはんもひとためなり、けだし一の祉福さいわいかれすで洗礼せんれいしょみつとによりてあたへ、また種々しゅじゅせきたしてわれにこれをさづたまひしも、祉福さいわいはたゞこれをたまはんことをやくたまへり、すなはち天国てんごく永生えいせいこれなり、これわれかれ後嗣あとつぎとなり、かれともおうたらんがためなり。ゆえパウェルはいへり、いはく『われもししのばゞ、かれともおうとなるべし』〔ティモフェイ後二の十二〕。言者げんしゃのすべてをおもひ、人々ひとびとみづかおのれそんをすてゝ、邪悪じゃあくたっとび、みづかおのれ獣欲じゅうよくするをて、かれげんなる動物どうぶつするは當然とうぜんなり。また言者げんしゃはぢ聴衆ちょうしゅうはぢおこさしめんとほつしてしばしばかくごとかくす。されば言者げんしゃ一人いちにんは『かれこえたるうまごとくにゆきめぐり』云々うんぬんエレミヤ五の八〕といへり、しかれども言者げんしゃは『うししゅ驢馬ろばあるじうまやる』云々うんぬんイサイヤ一の三〕といひて、太闢ダウィドよりもさらつよ言顕いひあらはせり、けだし太闢ダウィドかれげんなる動物どうぶつたりといひしかども、言者げんしゃかれちくよりも無智むちになれりといふ、何故なにゆえなれば『ちくしゅるも、イズライリわれらざればなり』〔イサイヤ一の三〕。