目次

徳川家慶将軍に任ず将軍宣下の規式転任之次第宣旨之次第兼任之次第禁裏より御祝儀仙洞より御祝儀大宮より御祝親王より御祝儀准后より御祝儀転任に付禁裏より御祝儀仙洞より御祝儀大宮より御祝儀親王より御祝儀准后より御祝儀御兼任の披露重て御白書院へ出御宣下に付諸役人徳大寺日野両人拝領物橋本殿拝領物饗応の能禁中へ御隠居の御祝儀将軍宣下に付上様より禁中へ御祝儀同大御所より御祝儀同大納言より御祝儀大御台様御台様より御祝儀同上様より摂家以下女中へ進物同大御所大納言より進物御転任に付上様より禁中へ祝儀御転任に付大御所より禁中へ進物同大納言より進物御兼任に付大納言様より禁中へ御祝儀御兼任に付上様より禁中へ御祝儀同大御所より祝儀大御台御台より禁中へ進物御転任に付関白以下禁中総女中へ進物雀学問の主旨を論ず鳩雀の論を駁す伊川と明道中江藤樹王陽明の学風明徳親民至善城代土井大炊頭大手口遠藤但馬守玉造口固む

 
オープンアクセス NDLJP:210一、徳川家慶将軍に任ず御白書院、公方様・大納言様出御、御束帯。御先立松平和泉守。

  公方様御裾御黒書院御下段より御太刀・御刀。

  大納言様御裾御黒書院御下段より|御太刀・御刀。

御上段御著座。高倉侍従、右出座、於御下段御敷居外御目見、高家披露。御下段上より三畳目まで和泉守差添、罷出於御上段

公方様御装束御衣紋を勤、直に大納言様御衣紋之規式勤之。高倉復座之時、御衣紋之儀相勤難有旨、和泉守言上之、上意有之て退座。

土御門陰陽頭、右出座、於御下段御敷居の内御目見、高家披露。御下段上より三畳目迄和泉守差添罷出、土御門御上段より上り、公方様御身固め勤之、御下段より退く。又御上段へ上り、大納言様御身固め勤之、復座之時、御身固之儀相勤難有旨、和泉守言上之、上意有之て退座。〈但右の内御刀は御後座に持罷在、右相済み候而御刀御側に置之。〉

紀伊大納言殿・尾張大納言殿、右順々被席御礼、和泉守披露。御右之方へ著座、今日は目出度被存旨同人言上之、上意有之て退座。

松平加賀守、右出座御縁頬御目見、和泉守披露。御下段御敷居之内御右之方著座、目出度奉存旨同人言上之。上意有之て退座。松平讚岐守・松平越中守・松平右京大夫・井伊玄蕃頭・酒井雅楽頭・小笠原大膳大夫・酒井左衛門尉・松平下総守・松平隠岐守、右一同出座御縁類御目見、和泉守披露。目出度奉存旨同人言上之。上意有之て退座。松平近江守・松平式部大輔、右一同出座次第同前。松平参河守、右出座、御縁類にて御目見、和泉守披露。御下段御敷居之内御右之方著座、目出度奉存旨同人言上之。上意有之て退座。松平越前守、右出座次第同前。松平阿波守、右出座御縁類御目見、和泉守披露。目出度奉存旨同人言上之。上意有之て退座。松平大和守、右出座次第同前。松平右近将監、右出座次第同前。松平上総介、右出座次第同前。松平左兵衛督、右出座次第同前。松平因幡守、右出座次第同前。松平オープンアクセス NDLJP:211淡路守、右出座次第同前。松平大蔵大輔、右出座次第同前。松平兵部大輔、右出座次第同前。但掃部頭年寄共、伯耆守・備中守、桜之間御床之前より退、御杉戸開有。

一、大広間、公方様・大納言様渡御、御上段御著座。〈御褥無之〉御先立松平和泉守。但掃部頭御中段西之方下より二畳目著座、年寄共伯耆守・備中守は、御下座東の方一畳目より順々著座。松平讚岐守・松平越中守・松平右京大夫・井伊玄蕃頭・酒井雅楽頭・小笠原大膳大夫・酒井左衛門尉・松平下総守・松平隠岐守・松平近江守・松平式部大輔、西の御縁に著座。勅使、徳大寺大納言・日野前大納言、院使、橋本中納言、大宮使、姉小路中納言、准后使、石井弾正大弼、御中段御左の方著座。〈各束帯〉

     将軍宣下之次第

一、告使山科大監物束帯、於庭上御前御昇進、迄二声之、則退去。将軍宣下の規式

一、宣旨覧箱に入、副使三宅刑部少丞御車寄御緑迄持来之、壬生官務に相渡。官務御縁通り覧箱持出之時、高家宮原弾正大弼御縁へ出迎請取之。宣旨備御前上覧之内、御下段へ退罷在、官務は御縁に退罷在。

 征夷大将軍 淳和・弉学両院別当 源氏長者、両宣旨。以上四通

右壱通宛上覧相済みて、其後御納戸構へ納之、寺社奉行へ出座覧箱収之、西之御縁より持出之、御奏者番相渡之、名前不分。請取之砂金二包覧箱に入、南之御縁へ持出之時、官務出向、覧箱請取之戴之退去。

     御転任之次第

一、転任之次第宣旨覧箱に入、副使青木中務少御車寄御縁迄持参之、押小路大外記へ相渡。大外記御縁通り覧箱持出之時、高家武田大膳大夫御縁へ出向請取之。宣旨備御前上覧之内、御下段へ退罷在、大外記は御縁へ退罷在。


     宣旨之次第宣旨之次第

 左大臣 随身・兵杖   以上 二通

右壱通づつ上覧相済みて、其後御納戸構納之。出座覧箱取之、西御縁より持出之  口相渡、 取之。砂金二包覧箱に入、南之縁へ持出之時、大外記出迎覧箱請取、頂戴之。

オープンアクセス NDLJP:212     大納言様御兼任之次第

一、兼任之次第宣旨覧箱に入、副使青木中務少丞御軍寄御縁迄持来之。押小路大外記へ相渡。大外記御縁へ通り覧箱持出之時、高家大沢修理大夫御縁へ出向請取之。宣旨備御前上覧之内、御下段へ退罷在、大外記は御縁に退罷在。上覧相済みて其後御納戸構へ納之。出座覧箱取之西之御縁へ持出、御奏者番へ相渡之。請取之砂金二包覧箱に入、南之御縁へ持出之時、大外記出向、覧箱請取之戴之。畢て勅使・院使・大宮使・准后使退去。大納言様御帳台へ入御、此時御裾〈御小性、〉公方様は直に御著座。

禁裏より御祝儀一、将軍宣下に付、禁裏より被御太刀目録。御前へ徳大寺大納言持参、日野前大納言同列、御祝儀被之、且又先達而御移替之御祝儀をも被進旨述之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納之。〈但御移替に付て、被進御樽肴は御前へ不出〉

仙洞より御祝儀一、将軍宣下に付、仙洞より被御太刀目録、御前へ橋本中納言持参、御祝儀被進旨述之、且又先達て御移替之御祝儀をも被進旨述之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納之。〈但同断〉

大宮より御祝一、儀将軍宣下に付、大宮より被黄金、御前へ姉小路中納言持参、御祝儀被進旨述之。且又先達て御移替之御祝儀をも被進旨述之、黄金〔〈脱アルカ〉〕高家御床に納之。〈但是は御頂戴無之、御訓も無之、御移替に付ての御樽肴は御前へ不出。〉

親王より御祝儀一、将軍宣下に付、親王より被御太刀目録、御前へ日野持参、徳大寺同断、御祝儀被進旨述之、且又先達て御移替之御祝儀をも被進旨述之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納之。〈但御移替に付而の被進御樽肴は御前へ不出。〉

准后より御祝儀一、将軍宣下に付、准后より被黄金、御前へ石井弾正大弼持参、御祝儀被進旨述之、且又先達て御移替の御祝儀をも被進旨述之、黄金高家御床に納之。〈但是は御頂戴無之、御詞も無之、御移替に付ての御樽肴は御前へ不出。〉

転任に付禁裏より御祝儀一、御転任に付、禁裏より被御太刀目録徳徳寺持参、日野同列、御祝儀被進旨述之、且又御兼任に付御祝儀をも被進旨述之、御太刀御頂戴以後、高家御床に納之。 〈但御兼任に付て被進御樽肴は御前へ不出〉


仙洞より御祝儀一、御転任に付、仙洞より被御太刀目録、御前へ橋本持参、御祝儀被進旨述之、オープンアクセス NDLJP:213且又御兼任に付御祝儀をも被進旨述之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納之。 〈但同断〉

大宮より御祝儀一、御転任に付、大宮より被黄金、御前へ姉小路持参、御祝儀被進旨述之、且又御兼任之御祝儀をも被進旨述之。黄金高家御床に納之。〈但是は御項戴無之御詞も無之、御兼任に付いて被進御樽肴は御前へ不出。〉

親王より御祝儀一、御転任に付、親王ゟ被御太刀目録、御前へ日野持参、徳大寺同列。御祝儀被進旨述之、且又御兼任の御祝儀をも被進旨述之、御太刀御頂戴以後、高家御床に納之。〈但御兼任に付いて被進御樽肴は御前へ不出。〉

准后より御祝儀一、御転任に付、准后より被黄金。御前へ石井持参、御祝儀被進旨述之、且又御兼任の御祝儀をも被進旨述之、黄金高家御床へ納之。〈但是は御頂戴無之御詞も無之、御兼任に付いて被進御樽肴は御前へ不出〉

一、公方様御帳台へ入御。此時御裾御小性。

一、大納言様出御、御裾御小性。

一、将軍宣下に付〔四一〇頁より四一一頁に同じ依て畧す〕

一、御兼任に付、禁裏より被御太刀目録、御前へ徳大寺持参、日野同列、御祝儀被進旨述之、且又御転任之御祝儀をも被進旨述之。御太刀御頂戴以後、高家御納戸構へ納之。〈但御転任に付いて被進御樽肴は御前へ不出。〉

一、御兼任に付、仙洞より被御太刀目録、御前へ橋本持参、御祝儀被進旨述之、且又御転任之御祝儀をも被進旨述之、御太刀御頂戴以後、高家御納戸構へ納之。〈但同断。〉

一、御兼任に付、大宮より被黄金、御前へ姉小路持参、御祝儀被進旨述之、且又御転任之御祝儀をも被進旨述之、黄金高家御納戸構へ納之。〈但是は御頂戴無之、御詞も無之、御転任に付いて被進御樽肴は御前へ不出。〉

一、御兼任に付、親王より被御太刀目録、御前へ日野持参、徳大寺同列、御祝儀被進旨述之、且又御転任之御祝儀をも被進旨述之。御太刀御頂戴以後、高家御納戸構へ納之。〈但御転任に付いて被進御樽肴は御前へ不出。〉

御兼任の披露一、御兼任に付、准后より被黄金、御前へ石井持参、御祝儀被進旨述之、且又御オープンアクセス NDLJP:214転任之御祝儀をも被進旨述之。黄金高家御納戸構へ納之。〈但是は御頂戴無〔之脱カ〕御詞も無之、御転任に付いて被進御樽肴は、御前へ不出。〉右過ぎて、公方様出御、御裾は小性。御一同御著座。将軍宣下・御転任・御兼任に付、摂家方使者・親王方使者・御門跡方使者・一条大政所使者、右壱人宛罷出。将軍宣下に付いての御太刀目録、高家披露之則引之。次に勾当内侍、右将軍宣下之御祝儀進物、中奥持出、高家披露進物、中奥引之。

     自分之御礼

徳大寺大納言・日野前大納言・橋本中納言・姉小路中納言・石井弾正大弼。右壱人宛於御中段御礼。将軍宣下に付て御太刀目録、高家披露。御左之方著座。此時掃部頭年寄共出座、和泉守御取合申上之。但御太刀目録何も御奏者番引之。土御門陰陽頭、右於御中段御礼。将軍宣下に付ての御太刀目録高家披露、和泉守御取合申上候。上意有之不著座退去。御太刀目録御奏者番引之。高倉侍従、右将軍宣下に付ての御太刀目録持参、於御下段御礼高家披露、和泉守御取合申上候。退座御太刀目録御奏者番引之。壬生官務、右将軍宣下に付ての御太刀目録持参、於板縁御礼。御奏者番披露、則退去。御太刀目録両番頭之内引之。押小路大外記、右御礼次第同前。相済みて二条左大〔臣カ〕殿、右於御上段御対顔、直に御右之方著座。御太刀目録高家披露則引之。此節掃部頭年寄共御中段へ出座、和泉守御取合申上候。御諚有之退座之節、御中段迄御送り、近衛内大臣殿 右御対顔次第同前。

一、御転任・御兼任之御祝儀進物は御納戸へ納之。

一、二条殿・近衛殿、其外公家衆殿上之間迄退座。

一、表向四品以上之面々、一同御下段へ出座、御目見。此時掃部頭年寄共罷出、何も今日之御祝儀被申上旨和泉守言上之。上意有之、掃部頭年寄共御取合申上之、畢つて順々退去過ぎて御礼、障子老中開之、御敷居際公方様・大納言立御、諸大夫并御役人寄合、布衣以上之分、法印・法眼之医師、狩野晴川院並居御目見、何も御祝儀申上旨和泉守言上之、過ぎて、吉田二位使者・二条殿・近衛殿医師、右於板縁御目見、御奏者番披露、此節摂家・親王・御門跡方使者、二条殿・近衛殿家来、先使山科大監物・副オープンアクセス NDLJP:215使三宅刑部少丞・青木中務少輔両伝奏・家老楽人之総代・御冠師・御鳥帽子師・御末広師等板縁に並居、捧物前に置き、一統平伏御奏者番披露過ぎて入御。襖障子閉之。

重て御白書院へ出御一、重而御白書院御上段、公方様・大納言様御著座。御先立松平和泉守。紀伊大納言殿・尾張大納言殿・水戸宰相殿、右順々出席、御下段右之方へ著座。今日之御祝儀被申上旨、和泉守言上之。上意有之掃部頭年寄共及御取合退去。松平加賀守、右出座、御下段候敷居之内、御右之方著座。今日之御祝儀申上旨和泉守言上之。上意有之掃部頭年寄共及御取合退去。松平讚岐守・松平越中守・松平右京大夫・井伊玄蕃頭・酒井雅楽頭・小笠原大膳大夫・酒井左衛門尉・松平隠岐守、右一統出座、今日之御祝儀申上旨和泉守言上之、上意有之退去。松平近江守・松平式部大輔、右一同出座次第同前。

松平参河守、右出座、直に御下段御敷居之内御右之方著座、今日之御祝儀申上旨和泉守言上之上意有之退去。松平越前守、右出座次第同断、松平阿波守、右出座、今日は御祝儀申上旨 和泉守言上之、上意有之退去。松平大和守・松平右近将監・松平上総介・

松平左兵衛督・松平因幡守・松平淡路守・松平大蔵大輔、右同断。松平兵部大輔、右出座次第同前。畢つて入御。御先立松平和泉守。

御黒書院御上段公方様・大納言様御着座、御勝手の方より徳川右衛門督殿・徳川宮内卿殿・徳川刑部卿殿右順々被出座、和泉守披露。御下段御左之方著座。今日之御祝儀申上旨、同人言上之。上意有之掃部頭年寄共・伯耆守・備中守一同御祝儀申上之。上意有之畢つて入御。

一、殿上之間より掃部頭年寄共・伯耆守・備中守出席、公家衆退出之節、板縁迄送之。

一、御三家出仕之面々退出。

一、伺候之面々束帯・布衣・素袍著之。

一、出人素袍、著之、百人〈御小性組五十人御書院組五十人〉大広間、四之間列座、百人〈大御番〉御書院番所に列座。

一、当番御書院番熨斗目半袴にて蘇鉄間列座。

一、出御以前、禁裏・仙洞・大宮使・親王・准后より、御台様へ将軍宣下御移替・御転任・御オープンアクセス NDLJP:216兼任之為御祝儀進物御目録、於殿上之間に和泉守受取之

一、公方様より御転任・御兼任、大納言様へ将軍宣下・御兼任・御転任に付御太刀目録、摂家・親王・御門跡方より以使者上之、於柳之間和泉守・備中守謁之。

宣下に付諸役人将軍宣下・御転任之節、御裾之役水野越前守。御兼任之節、御裾之役堀田備中守。将軍宣下・御転任之節、宣旨相納役増山河内守。御兼任之節、宣旨相納役堀田摂津守。将軍宣下・御転任・御兼任之節、覧箱之役寺社奉行牧野備前守・同青山因幡守。将軍宣下・御転任之節、宣旨請取役高家宮原弾正大弼・同武田大膳大夫。御兼任之節、宣旨請取之役大沢修理大夫。

    九月七日帰路御暇之節拝領

徳大寺日野両人拝領物将軍宣下に付、銀五百枚・綿三百把、御転任に付、銀五百枚・時服三十。右大将様より将軍宣下に付、銀二百枚、御兼任に付、銀三百枚・綿二百把。大御所様より将軍宣下に付、銀三百枚、御転任・御兼任に付、銀三百枚。大御台様より将軍宣下に付、時服十、御転任・御兼任に付、時服十。御台様より同時服十、同時服十。

 右は徳大寺殿へ。右同断、日野殿へ。

将軍宣下に付、銀三百枚・時服二十、御転任に付、銀三百枚・時服二十。橋本殿拝領物右大将様より将軍宣下に付、銀百枚、御兼任に付、銀二百枚・綿百把。大御所様より将軍宣下に付、銀二百枚、御転任・御兼任に付、銀二百枚。大御台様より同時服六、同時服六。御台様より同時服六、同時ふく六。

 右は橋本殿へ

将軍宣下に付、銀二百枚・時服十、御転任に付、銀二百枚・時服十。右大将様より将軍宣下に付、銀五十枚、御兼任に付、銀百枚・綿百把。大御所様より同銀百枚同銀百枚。大御台様より同時服六、同時服六。御台様より同時服六、同時服六。

 右姉小路殿へ。  右同断、石井殿へ。

将軍宣下に付、銀百枚・時服十、御転任に付、銀百枚、時服十。右大将様より御兼任に付、銀百枚・時服六。将軍宣下に付、銀三十枚。

大御所様より同時服七、同時服七。大御台様より同時服三、同時服五。御台様よりオープンアクセス NDLJP:217同時服三、同時服五。

 右土御門殿へ

将軍宣下に付、銀二百枚・時服十、御転任に付、銀二百枚・時服十。右大将様より御兼任に付、銀百枚・綿百把。(以下脱アルカ)

将軍宣下に付、銀五十枚、 。大御所様より同時服十。同時服十、大御台様より同時服三、同時服五。御台様より同時服三、同時服五。

 右は高倉殿へ

大御所様より銀三百枚、綿二百把、大御台様より時服二十。

 二条殿。右同断、近衛殿。

     御由緒に付

大御所様より大紋綸子五十反・御伽羅一木。大御台様より級子二十巻・御料紙・硯箱。

 近衛殿

将軍宣下に付、銀三十枚・時服三、​地下衆​​壬生官務​​ ​   同断  押小路大外記  銀十枚時服五、山科大監物  同断 三宅刑部少丞。

御転任に付銀十枚・時服二、青木中務少録。

九月四日、御饗応御能。

     御能組

翁 三番叟  仁右衛門       松竹風流  伝右衛門

老松観世太夫開口 彦太郎 九郎右衛門長右衛門 惣右衛門又六郎

     開口饗応の能

夫れ千代迄も長月の、ながき例を梓弓、引くやゆづるのひゞきにて、八嶋の外の浦風も、納る浪の静けさは、目出たかりける時とかや。

末広がり  弥右衛門 八嶋 ​金春太夫​​ 丑之進​​ ​ 半四郎政次郎 覚次郎 いくゐ   弥太夫 東北 ​宝生太夫​​ 源七郎​​ ​ 三太郎五郎次郎 長蔵 鞍馬天狗 ​金剛太夫​​ 権右衛門​​ ​ 三郎右衛門新九郎 与五郎甚作 祝  ​六平太​​ 金五郎​​ ​兵右衛門養治郎 藤三郎安兵衛 養老

オープンアクセス NDLJP:218     御隠居之御祝儀

禁中へ御隠居の御祝儀大御所様より、禁裏へ白羽二重百匹・三種二荷、仙洞へ白羽二重五十匹・三種二荷、大宮へ白羽二重三十匹・二種一荷、親王へ白羽二重五十匹・二種一荷、准后へ白羽二重三十匹・二種一荷。右当春之御祝儀、御所司土井大炊守進献。

     将軍宣下に付

将軍宣下に付上様より禁中へ御祝儀上様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国忠吉代金十五枚〉・白銀千枚・綿五百把、仙洞へ真御太刀代〈肥前国忠国代金 十枚〉・白銀五百枚・綿三百把、大宮へ白銀弐百枚・縮緬五十巻、親王へ作り御太刀・白銀二百枚・縮緬五十巻、准后へ白銀二百枚・縮緬五十巻。

同大御所より御祝儀大御所様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国行広代金 十枚〉・白銀五百枚・綿三百把、仙洞へ真御太刀〈肥前国忠広代金十枚〉・白銀三百枚・綿二百把、大宮へ白銀百枚・縮緬三十巻、親王へ作り御太刀・白銀百枚・縮緬三十巻、准后へ白銀百枚・縮緬三十巻。

同大納言より御祝儀大納言様より、禁裏へ作り御太刀・白銀三百枚・綿二百把、仙洞へ作り御太刀・白銀二百枚・綿百把、大宮へ白銀百枚・縮緬二十巻、親王へ作り御太刀・白銀百枚・縮緬二拾巻、准后へ白銀百枚・縮緬二十巻。

大御台様御台様より御祝儀大御台様・御台様より、禁裏へ白銀五十枚づつ、仙洞へ白銀五十枚づつ、大宮へ白銀三枚づつ、親王へ白銀三十枚づつ、准后へ白銀三十枚づつ。

同上様より摂家以下女中へ進物上様より、御太刀・白銀百枚・時服十、関白殿。御太刀・黄金枚一づつ、両伝奏。白銀五十枚、勾当内侍。白銀五百枚、禁裏総女中。白銀二百枚、仙洞総女中。白銀百枚、大宮総女中。白銀三十枚、親王総女中。白銀百枚、准后総女中。

同大御所大納言より進物大御所様・大納言様より、御太刀・白銀五十枚づつ、関白殿。白銀二十枚づつ、勾当内侍。

大御台様・御台様より、白銀二十枚づつ、関白殿。白銀五枚づつ、勾当内侍。

 右之通り御進献物・被進物・被遣物・被下物有之候間、可支度候。

   八月

     御転任に付

上様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国忠国代金十五枚〉・白銀千枚・綿五百把、仙洞へ作り御太刀・白銀五オープンアクセス NDLJP:219百枚・綿三百把、大宮へ白銀三百枚・綿二百把、御転任に付上様より禁中へ祝儀親王へ作り御太刀・白銀三百枚・綿二百把、准后へ白銀三百枚・綿二百把。

御転任に付大御所より禁中へ進物大御所様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国兼広代金 十枚〉・白銀三百枚・綿二百把、仙洞へ作り御太刀・白銀二百枚・綿百把、大宮へ白銀百枚・綿百把、親王へ作り御太刀・白銀百枚・綿百把、准后へ白銀百枚・綿百把。

同大納言より進物大納言様より、禁裏へ三種・二荷、仙洞へ二種一荷、大宮へ同断、親王へ同断、准后へ同断。

     御兼任に付

御兼任に付大納言様より禁中へ御祝儀大納言様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国忠広代金 十枚〉・白銀五百枚・御絹百匹、仙洞へ作り御太刀・白銀三百枚・御絹五十匹、大宮へ白銀二百枚・御絹三十匹、親王へ作り御太刀・白銀二百枚・御絹三十匹、准后へ白銀二百枚・御絹三拾匹。

御兼任に付上様より禁中へ御祝儀上様より、禁裏へ作り御太刀・白銀三百枚・御絹五十匹、仙洞へ作り御太刀・白銀二百枚・御絹三十匹、大宮へ白銀百枚・御絹二十匹、親王へ作り御太刀・白銀百枚・御絹二十匹、准后へ白銀百枚・御絹二十匹。

同大御所より祝儀大御所様より、禁裏へ作り御太刀・白銀二百枚・御絹三十匹、仙洞へ作り御太刀・白銀百枚・御絹二十匹、大宮へ白銀五十枚・御絹十匹、親王へ作り御太刀・白銀五十枚御絹拾匹、准后へ白銀五十枚・御絹十四。


     御転任・御兼任に付

大御台御台より禁中へ進物大御台様・御台様より、禁裏へ白銀百枚宛、仙洞へ白銀五十枚宛、大宮へ白銀三十枚づつ、親王へ同断、准后へ同断。


     御転任に付

御転任に付関白以下禁中総女中へ進物上様より、御太刀・白銀百枚関白殿、御太刀・黄金一枚宛両伝奏、白銀五十枚勾当内侍、白銀五百枚禁裏総女中、白銀二百枚仙洞総女中、白銀百枚大宮総女中、白銀三十枚親王総女中、白銀百枚准后総女中。

大御所様より御太刀・白銀五十枚関白殿、白銀二十枚勾当内侍。

     御兼任に付

オープンアクセス NDLJP:220大納言様より御太刀・白銀五十枚関白殿、御太刀・黄金一枚づつ両伝奏、白銀二百枚禁裏総女中、白銀百枚仙洞総女中、白銀五十枚大宮総女中、白銀二十枚親王総女中、白銀五十枚准后総女中。

上様より、作り太刀・白銀五枚関白殿、白銀二十枚勾当内侍。大御所様より、作り太刀・白銀三十枚関白殿、白銀十枚勾当内侍。右之通り御進献物・被進物・被下物有之候間可支度候。

  八月

     雀鳩物語烏鷺の話に傚ふ

風清らなる夏の日、庭前の古松の蔭に床机をすゑ凉みとる折から、茂みたる小枝に雀一羽囀りたるに、又山鳩こうと鳴く。己れ公治長にあらね共、耳をすまして聞取るに、雀学問の主旨を論ず雀の言ふやう、「夫れ学問の道は孝を本とし、身を修め家を斉へ、国を治め天下を平にする理を切磋する者と聞くに、去る如月きさらぎ浪華の大変、其張本たる男平生は見台を扣き、孔孟の伝授を講じながら、いかに天魔の業なりとて、言語道断なる有様、中々諸国の騒動にも及び、浪花市中は数百人の難渋、中々口に述べ難し。論語読の論語知らずのやからより、何事も論語よまずこそ心安けれ。学問ほど恐しきものはあらじ。向後こちの息子も四書の素読にて、悪人に仕込んで貰うてはたまらず、学校の講釈も聞く人なく、学者らしき人といへば煙草一服・茶の一杯も出さばこそ、早々箒を立てて、いんだ跡には塩ふらん計り、まだなんぞそこらに失物はないかと。ぞゝ神立てのあしらひ、先々御互さんに書物といふもの習はなんだが身の仕合と、一犬吠ゆれば万犬と、是も文盲なる仁には尤なる事なり。中に物いふ老人が、彼は本筋の学文を習うたぢやない。陽明とて唐土の悪人が拵へた学文ぢやげな。此御仕置が付いたら、御公儀より定めて御制禁も、仰出さるゝであろといふ市中の評判、我等も勧学院の軒先きにて蒙求も少し囀りたる身なれば、斯様にまで味噌・胡椒丸呑には致さず、然しながら山鳩翁には、御若年の頃より三枝の孝道にも礼を尽し給ひ、八幡大神にも御忠信を尽され給ひて、我等風情の糊を食ひ、舌切の刑に処せられたる仲間内などこれ有りたるとは格別の沙汰なり。何分彼奸人いかなる学オープンアクセス NDLJP:221問の間違にて、かく迄に大悪人となりたることや、翁には何と思召されけるぞや」と問ふ。山鳩大に笑ひていふ、「痴なる哉汝の問や。されど汝も我もかゝる大変、烟りに明び鏡炮の変に胸を尽かし、鳩雀の論を駁す汝が極とせる軒友も散々の為体ていたらく、我等が仲間抔の板部屋も暫時に焼落ち、且近来違作年々打続き、稲田の落穂抔もきめ細かに拾ひ歩き、鳴子守の勤め方怠らず、又我等が仲間八幡御堂のまき米する婆様・お乳母などもとんと紙袋を持参せず、仏飯に屋根の上へ散飯する者も信者と雖、此節はとんとせず。汝も我も難渋の折柄口の端の穿鑿、中々左様なるしや六ヶ敷き儀は説くに暇なし。然れども今市中の一かど、孔明顔してゐる仁がやはり汝の言の如く、学問すれば悪しくなるといふ人が多い。昔より叛逆人・悪逆人など大和・唐土共に皆学者上達の仁あり。是は訳有る事なり、中々此度の好賊抔の心底とは違ひなり。又一かどの大和尚が平人に劣りたる所行もあるなり。あながち学者計りが善人にては決してなき道理は、心意の向ふ所一足違ひより大取はづしに成り、是は今一つ目が届かぬ故なり。又商人連中寄合の中へ学問の旨を語れば、今時左様なる無欲の馬鹿ではいけぬといふ。僧仲間にて独り清僧立交れば、偏固の和尚といふが如し。大方宜からぬ事を凡俗はよき事と思ひ、恐ろしからぬ事を平常の人は滅多無上に恐ろしがり、恐るることは恐ろしがらず、平生見る事聞く事皆異風にみゆる故、油に水の入れたる如く成る。伊川と明道此故に学者には郷党にかはりたる事は悪しきというて戒むるは、昔程伊川先生と同明道先生と同道にて、町内の寄合に行かれたり。芸妓を呼びに遣りたる人あり、伊川は立つて直様帰られたり。明道はにこ面白き気色にて、余人と同道にて帰られたり。此処明道先生の一もくが上なりと、学者評判したり。又陽明先生の学派を学べば人が悪しく成るといふ戯者なまけものに、何を聞かせても聞取り難き者なれど、先陽明先生とは明の代の一大儒にて、少しも悪人抔にはあらず。此度の御仕置が追つてあるとも、此学風御停止なるといふ事は決してなき筈なり。日本第一近江聖人と称す中江藤樹といへるは、中江藤樹今以て墓前へ月参する者、近在の男女遠を厭はず尊仰して、常にも参詣致し度しといへば、農作に出づる百姓にても袴を著し教へてくるゝなり。此門人より歴々の学者も出づる中には、道中の馬方・雲助の類迄、我もオープンアクセス NDLJP:222我も是迄かゝる有難き、孔子様の道といふことを聞くものかと涙を流し、向後是迄の博奕ばくち・酒・女抔ふつと止めに致し、門人と成りたる中に名高き熊沢先生といふも出来て、備前侯の師匠となりたり。又石田勘平・手島堵庵など沢山此一流の大学者なり。中にも堵庵先生は呉服屋の丁稚なり。今にても手島の講釈というて其末あり。婆児共にも通ずるやうに説かれたり。然れば此学風御制禁ある事決してなきなり。何某の諸侯の御国に一時法度有りたるは、是も段々様子有る事なり、今はなし。殊更この学問日用世に効あること、挙げて数へ難し。つら此奸賊の生立を見るに、幼年の頃中村順庵といふ人に素読を稽古し、順庵歿後中井学校にて稽古をなし、夫より諸儒たよりて向上の論談を聞き、性質肝癪強き剛情なる人物故、胸量の狭き胸中より、無上に世上の不正なる人物が腹が立ち、折柄ふと王陽明先生の書を一覧してけしからず悦び、良知良能の説発明などをうれしがり、例ば南都にて沢山なる鹿を浪花の市中にて鹿を見て、珍らしがりたるやうに、けしからず此説を振廻したるなり。其頃公辺にも御用ひ強く、剛情にて物を捌きたるが快よき事も有るなり。自負の初発なり。夫れ故大坂は勿論江戸表抔の大儒も、先づ寄らずさはらずして、追従詞計りに気象の強きを賞美してそゝり立つる故、〈〔頭書〕佐藤一斎・頼徳太郎など大に賞めそやし立てたるなり。〉日々我慢増長するこそ恐ろしけれ。門人になりたる人にも、表には厳威も有り方正なる教へ故、且は御公辺向も時めける人故、初は門人になりたる又は権門に諂諛気のある人物は、此男の弟子と名が付けば、世上にも立派に見ゆるやうに思ふものも有り。心ある者は敬して遠ざける故、彼が著述の書に誰々も序文・跋などのなきが証拠なり。贈答の詩文に油計りいひたるを板に出す。是れ其心の見えてあさまし。此男退蟄の間江戸へも参りたり。江戸にても御旗本学問好の人など彼が我儘をそゝり上げたる事も有りたると見ゆ。性得偏執つよき人物故〈〔頭書〕執著強きは陽明先生の大嫌ひものなり〉一旦弟子になると盟文を取りたる由、劒術抔の心得にて学文の教にも盟文を取ると云ふやうなることは、昔より決してなき事なり。夫故門人中にも外の先生にても教を乞へば、大に腹を立てゝ呵責すると承る。王陽明の学風扨々浅増しき性根なり。此事はさしおき、陽明先生の学風といへるものは誰々も知りたる事なオープンアクセス NDLJP:223がら、搔抓み述ぶべし。先づ人々学文の根本とするは大学なり。夫故此先生に大学問と云ふ有り。今三綱領といへるだけをかいつまんで云ふ時は、彼一大切の明徳・親民・至善との三則なり、これ大人の学問なり。凡そ天地を始めとし山川・鳥獣・草木は、有情・非情一切万物に我も人も少しも隔なく生育して、一体なるものにてはなきが故に、天下中も我れ一家の如く我一身の如くと心を定む。我と天地・万物と分隔有る時は学問間違になり、小人の学文なり、此一体の仁といふ。明徳此仁の心即ち霊照不昧の明徳なり、心の本体なり。我人共にうか平生得手勝手の私欲におほはれ、此明徳を暗闇くらやみにする。されど元明徳を持ち生れたる故、何時ともなく光明が出るなり。是を出し拡げ遺ふ時は、道理分明に夜の明けたるやうなり。いかんぞ万物一体の仁といふ証拠なれば、小児の井に臨む時はいかやうの悪人なり共、必ず捕まへ救ふ心出る、此類ひは孟子に委し。併し人と人となれば此心誰々も起る筈といはん、鳥獣の悲鳴を聞いて誰も忍びざる心発る、是我と人と鳥獣と一体なり。然し生有る物なれば一体といはん、草木の枯凋むをみて必ず憐む心有り、然らば草木と我と一体ならずや。然し草木も生育にて養ふものなれば其筈なりといはん。然らば瓦石・器物の類毀損するを見て、無慙なりといふ心発る、是れ瓦石・器物と我と一体ならずや。其外天地・山川・万物何に寄らず、我と一体の仁心にてはなきか、推して知るべし。いかなる小人と雖、此情に変りたる事なし。こゝが天命の性に根ざし、自然と霊照不昧なる場なり。之に分隔ての私自分の得手に引付くる利害にて、我心を攻むる故、一体の仁が亡失するなり。此所が心にほどけさへすれば物事に障りなし。親民親民とは一体の仁が本体となり、親民が用の場なり。人の父も我父と同じく、人の兄も我兄と同じく、其外人々自他の差別なき故睦まじうする。〈〔頭書〕父子・君臣・長幼・夫婦の分ちは自然にて礼あり、拵へ物にてはなし。是にとりはづせば至善に止まるといふものではなし〉すぐに山川・鬼神・草木・鳥獣に至る迄この感通同じことにて、一体の親民・一体の明徳同じ効用なり。この効天下に達する故、明徳を天下に明らかにするといふ。さすれば一家の中睦まじきより国治天下平かなる、是を性を尽すといふ。是は其道理をいひたるなり、よく味ふべし。至善とは明徳・親民の極則にて、至善矢張同じ事なれど、先づ天命我々の性は善なるものオープンアクセス NDLJP:224に違ひはなし。故に明徳といふ本体をいかやうなるものにても所持す。私心にて暗闇くらやみとなる、此私心も我心より発となれ共。是は習染なじみといふものなり。本尊に一つ知る所あり、是が至善といふ、即良知なり、明徳の働なり。其働種々是なるは是と極め、非なるは非と弁へ、其外事々物々に応じて結構な智慧を各〻所持する。是れ良知・良能にて至善共いふ。明徳の光りともいふ。然し止るといふ場がなきと人欲が勝ち、高上に過ぎ、又下卑になる故に、学問せずば権衡・尺度・規矩がなしに我得手勝手になり易き故、こゝが日用の働き場なり。善悪・邪正・理非明白に弁ふ者、自然と備はるが至善とも良知ともいふ。この良知の働、たとへばいかなる変事にても有りたるに、是は此処があしき彼所を此積りにてと工夫して、十分是を救ふ理を極め救ふは朱学の風なり。この王学は先踏込み救ふ。此時自然と持前の良知といふものありて、よき分別が出来るといふ様な手早き工夫なり。夫故王学にては一切万物は心の学問ゆゑ、四書・六経の類ひ皆心の註脚ゆゑ、畢竟心の覚え書なり。時々しらべ見る位なりと迄いひ給へり。猶其余委細は本書を見て工夫すべし。是等の事をこの男の檄文にも、大坂の米をして京都抔へは廻さずといふ、万物一体の仁といふことを知らずといひ、且又豪家の昼夜奢りを戒め貧民は構なき類、此仁徳を取失ふといふ詞は、此通のことなり。一通りの者迄成程と進め込む術なり。されど此男の心術拙き事は、素より法華宗にて日蓮上人録といふものを見て、感心せると見えたり。いかんとなれば、右の陽明先生の語に、前にもいふ如く四書・六経の類は、皆心の註脚と説かれたり。日蓮上人諸経一切は心の手帳の類ひと申さる。畢竟諸経の類は皆方便なりといふ事なり。扨日蓮上人の録の中には天災・地妖の前見を所々に口癖に述べ給ひ、当時王道衰へ公政向を批判せられたり。此事此男の又口癖なり。右録の中に世人の眼を開けとて開目抄といふ有り。此男汝等目を開けといふ詞迄よく似たり。其外手強き言分を押立つる流儀、皆日蓮上人の口真似なり。俗にいふかた法華といふやうな性分なり。此性質に自慢・我慢十分にそゝり立てられたるより、かゝる珍事をも起したるなり。いと浅ましき事にあらずや。古語に、「公平のことを説く方直なる人の、禍にかゝるは昔より多く自負の心より招き致す」と、うオープンアクセス NDLJP:225べなる哉。又善を勧め悪を諫むるは美事ながら、自負の心を抱く時は、かへつて人に薄く思はるといへり。皆学者の謹むべき事なり。仏教にも百魔は心に生ずと、あら恐しの心や。汝もさいふ中に、かへし網が足元に有るを知らずや。我も賢うらしくいへ共、鳥刺の竿眼前にあるを知らず」とて雀も鳩もいづこへか飛去たりとて、昼寐の夢はさめぬ。

     天保八酉年六月江戸表より或家へ申来り候書付の写

近来奸臣権を執り下情上に不通、中下御旗本・御家人及困窮。中にも御蔵米取候者十人の内九人は、公私借財百有余有之、其已下高に准じ、同様何れも取続ぎ成り難く、尤も借金等は各〻心掛次第とは乍申、祖父又は父代ゟ引受候借財口次第に利倍致し、其内臨時・吉凶等にて無拠入用等追々相嵩み、当時に至候ては三季御切米は名のみにて、米金共札差方へ引取り、手元へ這入候金子無之、種々頼入り又は借返し等少々宛致し漸く取続居候。是とても不弁勝にて、極窮の者誠無拠御法を背き、是迄御旗本・御家人家名断絶の者夥敷く、実以歎敷き事に候。却て難渋の百姓・町人共へは度々御救米・銭等過分御手当も有之候得共、武家困窮の者へは少の御趣意も無之、実に日用に取後れ罷在候事に付、無拠武器等質物に差遣し、乍去修復等難行届、当春大坂大変に付ても誠に心配至極に候得共、当用に差後れ候儀に付、万事不心底残念なる儀に存候。扨又去冬村々多分の下免に相成、御蔵米格外下直の相場被仰出候処、上納物等聊も御用捨不相立、諸色至て高直、弥〻以困窮に相成り、乍恐御治世之御時節何様の儀被仰出候共、違背仕候者に無之候得共、万一不何事異変御座候共、次第に困窮相成候ては御奉公も難相勤、是全く奸人等の所行と被存候。最早我々共取続も難成、不遠家名断絶目前に付、面々一統申合せの上、札差共其外有徳の町人致乱妨窮民を救ひ、便宜により奸臣を討ち総て大坂表の例に習ひ、兎も角も可取計候。同士の輩有之候はゞ、市中変事出来次第、其最寄へ早々集会可之候。

   月                    某

  右の趣相認め公儀柳の間とかへ張出候事、凡三度に及び候とかや。

オープンアクセス NDLJP:226右一件江戸より来候者に相尋候処、殿中に張紙せし事は不承候得共、太田運八郎組下何某とやらんいへる者、水野越前守へ其事申立、尤に被聞取、則左之通別紙を以て被仰渡しといふ。

御蔵米取の面々、其身謹慎にても数代の大借にて難儀致し、自然芸術心掛も不行届、武器の嗜も等閑に相成候に付、此度格別の思召を以て永続為御手当、於旅屋町会所利安に御貸付被仰付候。右は御救の御趣意に付、無利息にも可仰出候得共、左候ては一専之事に相成り、永久多人数の御救には難相成候間、利付の積りに被仰出候。尤右払金公儀の御用途に相成候儀には無之、全く御救筋手広に行渡り候為の事に付其旨相心得、大借者は右利安の御貸付借受、札差共の借財返金致し、弥〻質素倹約を専候、勝手向取直し、御救の御趣意相立候様可致候。利金の儀は一ケ年延年七分廿五ヶ年御貸据、二十六ヶ年目葉捐の積り、勿論年限中にても返納皆済相願候へば、利金納め高の多少に割合、元金の内棄損可相成候間、得其意、但し支配の内借受相願候者有之候はゞ、篤と相糺し常の行跡宜敷く質素倹約にても非常の災害数代の大借にて致難儀候事に候はゞ、当人持高借財金高等取調べ、銘々頭支配より御勘定奉行へ可談候。但文武の心掛厚く其業格別秀候者は、大借に無之候とも品に寄り、御貸渡相成候儀も可之候。尤御貸付け元金取極有之事に付、願候旨一時の御貸渡には相成間敷候得共、以来年々御貸渡有之筈に付、其旨可相心得

 右の趣組支配有之面々へ寄々可相達候。

  八月

     大塩平八郎乱妨に付御固左之通

城代土井大炊頭大手口追手口内御固 〈御城代八万石〉・土井大炊頭〈猩々緋采幣〉・与力五十騎・同心百人、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗〈三本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・大筒〈十挺、但し御土手に並有之。〉・長柄〈五十筋、但し抜身の儘なり。〉・弓〈百張〉・鉄炮〈百挺〉・合七百余騎。右之内追手口御門之外〈御城代御家来〉・十騎〈但し北向にて御備有之。〉御同勢二百人。

大御番頭〈七千石〉菅沼織部正〈但し御拝領采幣金葵御紋付有之。〉・与力十騎・同心三十人、同組頭六百石以下、 〈御同人支配〉笠原権太夫・曲淵宗太郎・大岡兵五郎・薙波田八右衛門、同組五十頭〈但し六百石以下二十五騎四組を以て一隊とす。俗に百騎衆といふ。〉見通し道具後、〈一本但し白しやぐま裏総金、是は先陣に立運之後、陣より先陣の居処を能見分候故の目印なり。〉・大馬印〈一本〉・小馬印 〈一本〉吹貫〈二本〉・大纏〈一本、但し台付〉・陣太鼓〈一〉・幟〈三本〉・陣貝〈一つ〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・弓〈二百張〉・鉄炮〈二百挺〉・長柄 〈五十筋〉・大筒〈五挺、但車台付、〉総勢八百余騎。大御番頭〈一万石〉北条遠江守〈但御拝領采幣金、葵御紋付有之。〉与力十騎・同心三十人、同組頭六百石以下、 〈御同人支配〉・浅香伝四郎・内藤主膳・入戸野九右衛門・野中三十郎、大御番衆五十頭〈但六百石以下の御方、俗に百騎衆といふ。〉・大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈二本〉・旗〈二本〉・大纏〈一本〉・陣太鼓〈一〉・陣貝〈一つ〉・幟〈三本〉・持弓〈二張〉・持筒 〈二挺〉・弓〈二百張〉・鉄炮〈二百挺〉・長柄〈五十筋、但抜身にて、〉・大筒〈五挺但車台付、〉・総勢八百余騎。

遠藤但馬守玉造口固む玉造口御固 〈御定番一万石〉遠藤但馬守・与力十騎・同心百人、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗 〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・大筒〈三挺但し車台付〉・長柄〈三十筋、但し抜身の儘〉・弓〈五十張〉・鉄炮〈五十挺〉総勢五百余騎。

オープンアクセス NDLJP:227京橋口内御固 〈御定番一万二千石〉米倉丹後守・与力三十騎・同心百人、

右御役被仰付候得共、当表へ御著無之事。

御城外京橋口 〈一御加番四万石〉土井能登守、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈二本〉・旗〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓 〈二張〉・持筒〈二挺〉・長柄〈三十筋〉・弓〈五十張〉・鉄炮〈五十挺〉総勢五百余騎。

御城内青屋口御固 〈二御加番二万石〉井伊右京亮、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈二本〉・籏〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・弓〈五十張〉・長柄〈三十筋但し抜身にて〉・鉄炮〈三十挺〉総勢五百余騎。

御城内鴈木坂口御固 〈三御加番一万石〉米津伊勢守、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗〈二本〉・幟〈二本〉・大纏 〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・弓〈三十張〉・長柄〈三十筋〉・鉄炮〈三十挺〉総勢三百五十余騎。

同鴈木坂御固 〈四御加番一万石〉小笠原信濃守、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・長柄〈三十筋但抜身〉・弓〈三十張〉・鉄炮〈三十挺〉総勢三百五十余騎。

町御奉行〈二千五百石〉跡部山城守〈但馬上にて槍抜身儘〉・与力三十騎・同心五十人、右与力・同心の内乱妨の者有之に付、組の内不残双方御家来の内、四五人手負有之。

西町御奉行〈二千五百石〉・堀伊賀守〈同断〉・与力三十騎・同心五十人、御船手奉行〈三千二百石〉・本多大膳〈同断にて本町橋御固、〉・興力六騎・水主五十人、御預り大筒〈六挺但し車台付、〉・翌廿日大筒〈二挺、木津川口、〉|・同〈二挺、安二治川口へ〉・同〈二挺天保山へ、〉右之通被

  外御旗本方

御破損材木奉行森佐十郎・鈴木栄助・神原太郎左衛門、御鉄炮奉行石渡彦太夫・御手洗伊右衛門、御弓奉行鈴木治左衛門・上田五兵衛、御具足奉行祖父江孫助、御蔵奉行島田三郎右衛門・比留間兵三郎、御金奉行桑田金一郎、御代官根本善左衛門・池田岩之丞。

  右何れも御銘々御預り場所へ厳重の御固有

大御目附〈二千六百十四石〉中川半右衛門・〈七百石〉犬塚太郎右衛門、但し毎年九月交代、十二月参府にて京都・奈良共御役御勤有之に付、俗に百日目附といふ。

     十九日九つ時駈付、翌廿日守口被固。

高麗橋口御固 松平遠江守殿より番頭七騎〈但し何れも騎馬、〉大纏〈一本〉・長柄〈十本〉・鉄炮〈十挺〉・弓〈十張〉同勢百五十余人。

オープンアクセス NDLJP:228     翌廿日四つ時駈付

農人橋口御固 〈二千石堺御奉行〉曲淵甲妻守〈但騎馬槍抜身〉・与力十騎・同心五十人、大纏〈一本〉・小馬印〈一本〉・馬柄〈廿本〉・弓〈廿張〉・鉄炮〈廿筋〉・早縄〈三百筋〉・小長持〈一棹但手鎖三百入〉同勢二百余人。

     同暮時駈付

平野橋口御固 〈泉州岸和田城主五万三千石〉岡部内膳正〈但し何れも騎馬、〉大纏〈一本〉・鉄炮〈三十挺〉・弓〈三十張〉同勢二百余騎。

     同廿一日早朝駈付、暮時前に御引取。

和州郡山城主 〈十五万石〉松平甲斐守より番頭廿五騎〈但し何れも騎馬〉・大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈五十挺〉・鉄炮 〈五十挺〉・長柄〈三十筋〉同勢三百余人。

     同廿一日早天駈付

丹州亀山城主 〈五万石〉松平紀伊守より番頭七騎、大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈廿張〉・鉄炮〈廿挺〉・長柄〈十筋〉同勢二百余人。

     同廿二日西の宮駅迄被駈付

播州姫路城主 酒井雅楽頭より一番手番頭十騎、大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈三十張〉・鉄炮〈三十挺〉・長柄〈二十筋〉同勢六百余人。

     同廿二日御領分の内加古川へ御出張、

城主より二番手番頭十二騎〈但し騎馬にて、〉大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈三十挺〉・長柄〈三十筋〉・鉄炮〈三十挺〉・同勢七百余人。

     酒井雅楽頭より大坂御出張人数

​一番手​​武具小笠原助之丞​​ ​〈但し三十人小頭、一人具足。〉同久松辰吾〈右同断、〉同大目附根岸源太兵衛〈右同断、〉使番鈴木善之助〈上下廿人具足、〉旗奉行沢津補之助〈右同断、〉中目附小林権太左衛門・中野啓治・川端戸右衛門、賄方小幡源治郎〈上下五人〉・同鈴木銀三郎〈右同断、〉・同高橋岩蔵〈右同断。〉

​二番手​​武具永井弥一郎​​ ​〈上下廿人〉大筒・〈三挺、人足不知、〉旗奉行福島市郎兵衛門〈具足上下三十人〉武具鉄炮針合九郎兵衛 〈但し三十人小頭一人具足、〉武具鉄炮高須与一右衛門〈但三十人小頭一人具足、〉長柄奉行蘆谷卯兵衛〈右同断〉・長柄〈三十筋〉 騎馬 吉田弥右衛門〈上下廿人具足〉 同 内海惣次郎 〈右同断〉 同 間原覚右衛門〈右同断〉 同 岡田出来蔵〈右同断〉 同 井上利右衛門〈右同断〉 同 山口長左衛門〈右同断〉 同 西松又太郎〈右同断〉 同 丹羽新助〈右同断〉 同 赤堀左源太〈右同断〉オープンアクセス NDLJP:229同 金田三十郎〈右同断〉 番頭二人河合孫一郎  同 淵田伊三郎〈右二人上下八十人具足〉 大目附豊田権左衛門〈但し卅人小頭一人具足〉中目附岡部次兵衛〈具足上下五人〉 同 萩原兵作

同 田島藤馬〈右同断〉 太鼓方 大沢善七〈右同断〉 具足方 大山伴平〈右同断〉

大筒〈四挺〉 人足不知

     高須隼人内

騎馬  宇野左馬蔵〈下人廿人〉同 三間定蔵〈右同断〉 家老〈知行三千石役扶持百人〉高須隼人〈家来百五十人下人五十人〉 鉄炮〈廿挺〉〈廿挺〉・槍〈廿筋〉・書役永井振五郎・根淵豊八。

     足軽一党

綱井市太夫・沢瀬清左衛門・佐次米蔵・本田辰蔵・福田運十郎・長谷川郡次・本間兼五郎・大塚秀三郎・戸田惣右衛門・牛込十郎右衛門・戸倉佐源太・岩松鋪三郎・福島新次・高橋伊三郎・堺野源助・柴田九郎助・鈴木小一郎・八森伝五右衛門・村角郡十郎・天野又兵衛、右二十人槍一筋づつ、供人一人宛。

使番河合宗兵衛〈下人二十人、具足〉・医師中根善堂〈家来十五人、〉・鉄炮方下田五郎太夫・三役宗之進・同熊谷平之助・高須伝内・同江原善蔵・豊田精蔵、武具弓布川丈太夫〈但し卅人・小頭一人・足具、〉乗方下堺宗左衛門・田中銀助・三原友七、旗奉行沼田平十郎〈但し人小頭一人、具足。〉賄方砂川金次・小森伊三郎・池谷団五郎、作事方高橋善左衛門〈下人五十人、大五百十人、〉中目附三原友右衛門〈上下五人〉・同秋間繁八〈上下五人〉・同半沢半之丞〈右同断〉・同金井小左衛門〈右同断〉、宿割中村辰蔵・関口万作、総人数二千五百人余、馬百五十匹余、長持五十棹。

     二月廿五日廿六日郡山にて勢揃

山崎表固同勢 足軽十五人・小人目附四人、纏、旗奉行騎馬北条弥右衛門、〈槍具足弓鉄炮、〉足軽十五人・小人目附三人、足軽十人〈槍〉、物頭騎馬広藤京馬、〈具足・股槍三十本・弓〉長頭柄騎馬堀献次郎〈槍具・足・弓〉・足軽十人〈鉄炮〉、弓矢組十人〈鉄炮〉、矢箱・鉄炮箱・弓箱・弓小人目附十人、同同・同・槍具足・数弓・同・同・桑原集、三騎乗方・同・同・同・矢箱・鉄炮箱・弓箱・弓小人目附十人〈弓鉄炮、〉 弓矢持組廿人・兵士十人・纏・飾弓五挺・足軽五人・手替五人武士大将横地段之助〈物持五人・槍自分供五自槍〉鉄炮持組廿人・兵士十人・足軽廿人・数槍十本・槍・槍・弓・矢・使番騎馬・具足・具足・百目筒、池田武記・塚越弥蔵、具足・弓・弓・坊主十人・供廻り・供廻り・供廻り三十人、馬オープンアクセス NDLJP:230廻り兵士槍一筋宛、歩行立。柘植鷹之允供・稲毛丹次郎〈同〉・古木織人同・河野瀬岩馬〈同〉・三好格人〈同〉・兼松半蔵〈同〉・桃井勇記〈同〉・田中虎五郎〈同〉・三好新蔵〈同〉・上田丹作〈同〉・二羽鶯之助〈同〉・高野角馬〈同〉・中条作之進〈同〉・小岸平太夫〈同〉・後藤貫兵衛〈同〉・木俣清五郎〈同〉・樋口文右衛門〈同〉・大谷記八郎〈同〉・宮沢礒五郎〈同〉・佐藤記次郎〈同〉・郷人足三十人、徒目附衆、関帯刀 〈同〉・足軽五人〈銘々人足・〉 〈具足人足〉小人目附十人・武具方衆、大島権兵衛供・足軽五人、徒目附衆横山平助〈同〉・武具方衆手勢三十人、村井滝之丞〈同〉・大小性組十八人、城代組十八人、弓矢・弓矢、〈医師乗物〉吉松宗胆〈供〉〈長刀具足〉〈雨具持町人足〉 百人、大小性組十八人、城代組十八人、用金方人足廿人、割木二十駄、川除方役人、用達〈小荷徒〉馬口十匹、馬沓五百足、掛所手代、人足廿人、草鞋二千五百足、|作事方役人、鍬〈十挺〉・鋤〈十挺〉・郷人足、鎌〈十挺〉・百五十人、五十人笠籠〈廿荷人足〉ぢよれん〈十〉桃灯持唐鍬〈十挺〉小人目附十人、物書五人、目附騎馬丹羽与太夫〈槍・具足・弓〉 代官二人〈何れも平供槍具足〉足軽十人・手代五人・鉄炮郷同心五人、鉄炮郷同心五人、郡代歩行立、作事奉行〈槍具足〉・勘定奉行具足、鉄炮郷同心五人、鉄炮郷同心五人・弓。

    郷人足

白米馬二十疋・米方役人十人・勘定衆十人・賄方役人、人足三十人・小遣役五十人、雑人足三十人、郷人足三十人・町人三十人、

    郷人足

武具方騎馬名和友右衛門〈槍・弓具足〉・徒士目附組頭〈槍・具足〉・小人目附三人・小人目附三人、押二人・納戸方三人

 諸士の銘々自分具足、其外人足に至る迄御貸具足。

以上御城内外備立の次第、并に近国より駆付けし諸侯の人数等、御城同心糟谷助蔵が所持する処の大塩一件を記せる本なりとて、或人の写せるを借り得て、爰に書添へぬ。されども予が始めに記せし如く、大塩が乱妨の節には大狼狽にうろたへしのみにして、決して斯かる厳重の備立を致し得ず。其翌日に至りてうろたへながら、やうとそこに人数配りをして、其様をかしかりし事なりしといふ。こは昔よりいひ伝へぬる、喧嘩過ぎての棒千切にて、抱腹に堪へざることなり。されども公儀への書上げ程能くせざれば相済み難きこと故、跡にていろオープンアクセス NDLJP:231評定をなして、此の如くよき様に書記せしものなり。丹州亀山より駈付けし行粧を記しぬれ共、松井儀太夫を以て御加勢申すべく哉否を、御城代へ伺ひの使者来りし迄の事にて、出来りしにはあらず。青屋口御門番・御加番へ付渡りの大和足軽が、其節の事を咄せるを聞く。御城代・御大番を始め御定番・御加番・御旗本衆に至る迄、只さわとして、御城内を東西南北奔走し狼狽へ廻れるのみにて、市中焼亡の間は毎日々々火の粉も、御城内へは来らざるに、御本丸御殿はいふに及ばず矢倉・塀に至る迄、龍吐水にて昼夜水をかけ通しなりしとて、其あわてうろたへし様を笑ひながら咄しぬるを委しく聞込みぬ。此一件見聞せし毎事に、抱腹に堪へざる事のみにして、言語にも述難し、浅ましき事といふべし。

 
浮世の有様巻之六
 
 
 

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