徳川家慶将軍に任ず将軍宣下の規式転任之次第宣旨之次第兼任之次第禁裏より御祝儀仙洞より御祝儀大宮より御祝親王より御祝儀准后より御祝儀転任に付禁裏より御祝儀仙洞より御祝儀大宮より御祝儀親王より御祝儀准后より御祝儀御兼任の披露重て御白書院へ出御宣下に付諸役人徳大寺日野両人拝領物橋本殿拝領物饗応の能禁中へ御隠居の御祝儀将軍宣下に付上様より禁中へ御祝儀同大御所より御祝儀同大納言より御祝儀大御台様御台様より御祝儀同上様より摂家以下女中へ進物同大御所大納言より進物御転任に付上様より禁中へ祝儀御転任に付大御所より禁中へ進物同大納言より進物御兼任に付大納言様より禁中へ御祝儀御兼任に付上様より禁中へ御祝儀同大御所より祝儀大御台御台より禁中へ進物御転任に付関白以下禁中総女中へ進物雀学問の主旨を論ず鳩雀の論を駁す伊川と明道中江藤樹王陽明の学風明徳親民至善城代土井大炊頭大手口遠藤但馬守玉造口固む
公方様御裾御黒書院御下段より御太刀・御刀。
大納言様御裾御黒書院御下段より|御太刀・御刀。
御上段御著座。高倉侍従、右出座、於㆓御下段御敷居外㆒御目見、高家披露。御下段上より三畳目まで和泉守差添、罷㆓出於御上段㆒。
公方様御装束御衣紋を勤、直に大納言様御衣紋之規式勤㆑之。高倉復座之時、御衣紋之儀相勤難㆑有旨、和泉守言㆓上之㆒、上意有㆑之て退座。
土御門陰陽頭、右出座、於㆓御下段御敷居の内㆒御目見、高家披露。御下段上より三畳目迄和泉守差添罷出、土御門御上段より上り、公方様御身固め勤㆑之、御下段より退く。又御上段へ上り、大納言様御身固め勤㆑之、復座之時、御身固之儀相勤難㆑有旨、和泉守言㆓上之㆒、上意有㆑之て退座。〈但右の内御刀は御後座に持罷在、右相済み候而御刀御側に置㆑之。〉
紀伊大納言殿・尾張大納言殿、右順々被㆑出㆑席御礼、和泉守披露。御右之方へ著座、今日は目出度被㆑存旨同人言㆓上之㆒、上意有㆑之て退座。
松平加賀守、右出㆓座御縁頬㆒御目見、和泉守披露。御下段御敷居之内御右之方著座、目出度奉㆑存旨同人言㆓上之㆒。上意有㆑之て退座。松平讚岐守・松平越中守・松平右京大夫・井伊玄蕃頭・酒井雅楽頭・小笠原大膳大夫・酒井左衛門尉・松平下総守・松平隠岐守、右一同出㆓座御縁類㆒御目見、和泉守披露。目出度奉㆑存旨同人言㆓上之㆒。上意有㆑之て退座。松平近江守・松平式部大輔、右一同出座次第同前。松平参河守、右出座、御縁類にて御目見、和泉守披露。御下段御敷居之内御右之方著座、目出度奉㆑存旨同人言㆓上之㆒。上意有㆑之て退座。松平越前守、右出座次第同前。松平阿波守、右出㆓座御縁類㆒御目見、和泉守披露。目出度奉㆑存旨同人言㆓上之㆒。上意有㆑之て退座。松平大和守、右出座次第同前。松平右近将監、右出座次第同前。松平上総介、右出座次第同前。松平左兵衛督、右出座次第同前。松平因幡守、右出座次第同前。松平【 NDLJP:211】淡路守、右出座次第同前。松平大蔵大輔、右出座次第同前。松平兵部大輔、右出座次第同前。但掃部頭年寄共、伯耆守・備中守、桜之間御床之前より退、御杉戸開有。
一、大広間、公方様・大納言様渡御、御上段御著座。〈御褥無㆑之〉御先立松平和泉守。但掃部頭御中段西之方下より二畳目著座、年寄共伯耆守・備中守は、御下座東の方一畳目より順々著座。松平讚岐守・松平越中守・松平右京大夫・井伊玄蕃頭・酒井雅楽頭・小笠原大膳大夫・酒井左衛門尉・松平下総守・松平隠岐守・松平近江守・松平式部大輔、西の御縁に著座。勅使、徳大寺大納言・日野前大納言、院使、橋本中納言、大宮使、姉小路中納言、准后使、石井弾正大弼、御中段御左の方著座。〈各束帯〉
将軍宣下之次第
一、告使山科大監物束帯、於㆓庭上㆒向㆓御前㆒御昇進、迄㆓二声㆒呼㆑之、則退去。【将軍宣下の規式】
一、宣旨覧箱に入、副使三宅刑部少丞御車寄御緑迄持㆓来之㆒、壬生官務に相渡。官務御縁通り覧箱持出之時、高家宮原弾正大弼御縁へ出迎請㆓取之㆒。宣旨備㆓御前㆒上覧之内、御下段へ退罷在、官務は御縁に退罷在。
征夷大将軍 淳和・弉学両院別当 源氏長者、両宣旨。以上四通
右壱通宛上覧相済みて、其後御納戸構へ納㆑之、寺社奉行へ出座覧箱収㆑之、西之御縁より持㆓出之㆒、御奏者番相㆓渡之㆒、名前不㆑分。請㆓取之㆒砂金二包覧箱に入、南之御縁へ持出之時、官務出向、覧箱請㆓取之㆒頂㆓戴之㆒退去。
御転任之次第
一、【転任之次第】宣旨覧箱に入、副使青木中務少御車寄御縁迄持㆓参之㆒、押小路大外記へ相渡。大外記御縁通り覧箱持出之時、高家武田大膳大夫御縁へ出向請㆓取之㆒。宣旨備㆓御前㆒上覧之内、御下段へ退罷在、大外記は御縁へ退罷在。
宣旨之次第【宣旨之次第】
左大臣 随身・兵杖 以上 二通
右壱通づつ上覧相済みて、其後御納戸構納㆑之。出座覧箱取㆑之、西御縁より持㆓出之㆒ 口相渡、 請㆓取之㆒。砂金二包覧箱に入、南之縁へ持出之時、大外記出迎覧箱請取、頂戴之。
【 NDLJP:212】 大納言様御兼任之次第
一、【兼任之次第】宣旨覧箱に入、副使青木中務少丞御軍寄御縁迄持㆓来之㆒。押小路大外記へ相渡。大外記御縁へ通り覧箱持出之時、高家大沢修理大夫御縁へ出向請㆓取之㆒。宣旨備㆓御前㆒上覧之内、御下段へ退罷在、大外記は御縁に退罷在。上覧相済みて其後御納戸構へ納㆑之。出座覧箱取㆑之西之御縁へ持出、御奏者番へ相㆓渡之㆒。請㆓取之㆒砂金二包覧箱に入、南之御縁へ持出之時、大外記出向、覧箱請㆓取之㆒頂㆓戴之㆒。畢て勅使・院使・大宮使・准后使退去。大納言様御帳台へ入御、此時御裾〈御小性、〉公方様は直に御著座。
【禁裏より御祝儀】一、将軍宣下に付、禁裏より被㆑進㆓御太刀目録㆒。御前へ徳大寺大納言持参、日野前大納言同列、御祝儀被㆑進㆑述㆑之、且又先達而御移替之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納㆑之。〈但御移替に付て、被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出〉
【仙洞より御祝儀】一、将軍宣下に付、仙洞より被㆑進㆓御太刀目録㆒、御前へ橋本中納言持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又先達て御移替之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納㆑之。〈但同断〉
【大宮より御祝】一、儀将軍宣下に付、大宮より被㆑進㆓黄金㆒、御前へ姉小路中納言持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之。且又先達て御移替之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之、黄金〔〈脱アルカ〉〕高家御床に納之。〈但是は御頂戴無㆑之、御訓も無㆑之、御移替に付ての御樽肴は御前へ不㆑出。〉
【親王より御祝儀】一、将軍宣下に付、親王より被㆑進㆓御太刀目録㆒、御前へ日野持参、徳大寺同断、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又先達て御移替之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納㆑之。〈但御移替に付而の被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出。〉
【准后より御祝儀】一、将軍宣下に付、准后より被㆑進㆓黄金㆒、御前へ石井弾正大弼持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又先達て御移替の御祝儀をも被㆑進旨述㆑之、黄金高家御床に納㆑之。〈但是は御頂戴無㆑之、御詞も無㆑之、御移替に付ての御樽肴は御前へ不㆑出。〉
【転任に付禁裏より御祝儀】一、御転任に付、禁裏より被㆑進㆓御太刀目録㆒徳徳寺持参、日野同列、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御兼任に付御祝儀をも被㆑進旨述㆑之、御太刀御頂戴以後、高家御床に納㆑之。 〈但御兼任に付て被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出〉
【仙洞より御祝儀】一、御転任に付、仙洞より被㆑進㆓御太刀目録㆒、御前へ橋本持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、【 NDLJP:213】且又御兼任に付御祝儀をも被㆑進旨述㆑之。御太刀御頂戴以後、高家御床に納㆑之。
〈但同断〉
【大宮より御祝儀】一、御転任に付、大宮より被㆑進㆓黄金㆒、御前へ姉小路持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御兼任之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之。黄金高家御床に納㆑之。〈但是は御項戴無㆑之御詞も無㆑之、御兼任に付いて被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出。〉
【親王より御祝儀】一、御転任に付、親王ゟ被㆑進㆓御太刀目録㆒、御前へ日野持参、徳大寺同列。御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御兼任の御祝儀をも被㆑進旨述㆑之、御太刀御頂戴以後、高家御床に納㆑之。〈但御兼任に付いて被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出。〉
【准后より御祝儀】一、御転任に付、准后より被㆑進㆓黄金㆒。御前へ石井持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御兼任の御祝儀をも被㆑進旨述㆑之、黄金高家御床へ納㆑之。〈但是は御頂戴無㆑之御詞も無㆑之、御兼任に付いて被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出〉
一、公方様御帳台へ入御。此時御裾御小性。
一、大納言様出御、御裾御小性。
一、将軍宣下に付〔四一〇頁より四一一頁に同じ依て畧す〕
一、御兼任に付、禁裏より被㆑進㆓御太刀目録㆒、御前へ徳大寺持参、日野同列、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御転任之御祝儀をも被㆑進旨述之。御太刀御頂戴以後、高家御納戸構へ納之。〈但御転任に付いて被㆑進御樽肴は御前へ不出。〉
一、御兼任に付、仙洞より被㆑進㆓御太刀目録㆒、御前へ橋本持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御転任之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之、御太刀御頂戴以後、高家御納戸構へ納㆑之。〈但同断。〉
一、御兼任に付、大宮より被㆑進㆓黄金㆒、御前へ姉小路持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御転任之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之、黄金高家御納戸構へ納之。〈但是は御頂戴無㆑之、御詞も無㆑之、御転任に付いて被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出。〉
一、御兼任に付、親王より被㆑進㆓御太刀目録㆒、御前へ日野持参、徳大寺同列、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御転任之御祝儀をも被㆑進旨述㆑之。御太刀御頂戴以後、高家御納戸構へ納㆑之。〈但御転任に付いて被㆑進御樽肴は御前へ不㆑出。〉
【御兼任の披露】一、御兼任に付、准后より被㆑進㆓黄金㆒、御前へ石井持参、御祝儀被㆑進旨述㆑之、且又御【 NDLJP:214】転任之御祝儀をも被㆑進旨述之。黄金高家御納戸構へ納㆑之。〈但是は御頂戴無〔之脱カ〕御詞も無㆑之、御転任に付いて被㆑進御樽肴は、御前へ不㆑出。〉右過ぎて、公方様出御、御裾は小性。御一同御著座。将軍宣下・御転任・御兼任に付、摂家方使者・親王方使者・御門跡方使者・一条大政所使者、右壱人宛罷出。将軍宣下に付いての御太刀目録、高家披㆓露之㆒則引之。次に勾当内侍、右将軍宣下之御祝儀進物、中奥持出、高家披㆓露進物㆒、中奥引㆑之。
自分之御礼
徳大寺大納言・日野前大納言・橋本中納言・姉小路中納言・石井弾正大弼。右壱人宛於㆓御中段㆒御礼。将軍宣下に付て御太刀目録、高家披露。御左之方著座。此時掃部頭年寄共出座、和泉守御取合申㆓上之㆒。但御太刀目録何も御奏者番引㆑之。土御門陰陽頭、右於㆓御中段㆒御礼。将軍宣下に付ての御太刀目録高家披露、和泉守御取合申上候。上意有㆑之不㆑及㆓著座㆒退去。御太刀目録御奏者番引㆑之。高倉侍従、右将軍宣下に付ての御太刀目録持参、於㆓御下段㆒御礼高家披露、和泉守御取合申上候。退座御太刀目録御奏者番引㆑之。壬生官務、右将軍宣下に付ての御太刀目録持参、於㆓板縁㆒御礼。御奏者番披露、則退去。御太刀目録両番頭之内引㆑之。押小路大外記、右御礼次第同前。相済みて二条左大官〔臣カ〕殿、右於㆓御上段㆒御対顔、直に御右之方著座。御太刀目録高家披露則引㆑之。此節掃部頭年寄共御中段へ出座、和泉守御取合申上候。御諚有㆑之退座之節、御中段迄御送り、近衛内大臣殿 右御対顔次第同前。
一、御転任・御兼任之御祝儀進物は御納戸へ納㆑之。
一、二条殿・近衛殿、其外公家衆殿上之間迄退座。
一、表向四品以上之面々、一同御下段へ出座、御目見。此時掃部頭年寄共罷出、何も今日之御祝儀被㆓申上㆒旨和泉守言㆓上之㆒。上意有㆑之、掃部頭年寄共御取合申㆓上之㆒、畢つて順々退去過ぎて御礼、障子老中開㆑之、御敷居際公方様・大納言立御、諸大夫并御役人寄合、布衣以上之分、法印・法眼之医師、狩野晴川院並居御目見、何も御祝儀申上旨和泉守言㆓上之㆒、過ぎて、吉田二位使者・二条殿・近衛殿医師、右於㆓板縁㆒御目見、御奏者番披露、此節摂家・親王・御門跡方使者、二条殿・近衛殿家来、先使山科大監物・副【 NDLJP:215】使三宅刑部少丞・青木中務少輔両伝奏・家老楽人之総代・御冠師・御鳥帽子師・御末広師等板縁に並居、捧物前に置き、一統平伏御奏者番披露過ぎて入御。襖障子閉㆑之。
【重て御白書院へ出御】一、重而御白書院御上段、公方様・大納言様御著座。御先立松平和泉守。紀伊大納言殿・尾張大納言殿・水戸宰相殿、右順々出席、御下段右之方へ著座。今日之御祝儀被㆓申上㆒旨、和泉守言㆓上之㆒。上意有㆑之掃部頭年寄共及㆓御取合㆒退去。松平加賀守、右出座、御下段候㆓敷居之内㆒、御右之方著座。今日之御祝儀申上旨和泉守言㆓上之㆒。上意有㆑之掃部頭年寄共及㆓御取合㆒退去。松平讚岐守・松平越中守・松平右京大夫・井伊玄蕃頭・酒井雅楽頭・小笠原大膳大夫・酒井左衛門尉・松平隠岐守、右一統出座、今日之御祝儀申上旨和泉守言㆓上之㆒、上意有㆑之退去。松平近江守・松平式部大輔、右一同出座次第同前。
松平参河守、右出座、直に御下段御敷居之内御右之方著座、今日之御祝儀申上旨和泉守言㆓上之㆒上意有㆑之退去。松平越前守、右出座次第同断、松平阿波守、右出座、今日は御祝儀申上旨 和泉守言㆓上之㆒、上意有㆑之退去。松平大和守・松平右近将監・松平上総介・
松平左兵衛督・松平因幡守・松平淡路守・松平大蔵大輔、右同断。松平兵部大輔、右出座次第同前。畢つて入御。御先立松平和泉守。
御黒書院御上段公方様・大納言様御着座、御勝手の方より徳川右衛門督殿・徳川宮内卿殿・徳川刑部卿殿右順々被㆓出座㆒、和泉守披露。御下段御左之方著座。今日之御祝儀申上旨、同人言㆓上之㆒。上意有㆑之掃部頭年寄共・伯耆守・備中守一同御祝儀申㆓上之㆒。上意有㆑之畢つて入御。
一、殿上之間より掃部頭年寄共・伯耆守・備中守出席、公家衆退出之節、板縁迄送㆑之。
一、御三家并出仕之面々退出。
一、伺候之面々束帯・布衣・素袍著㆑之。
一、出人素袍、著之、百人〈御小性組五十人御書院組五十人〉大広間、四之間列座、百人〈大御番〉御書院番所に列座。
一、当番御書院番熨斗目半袴にて蘇鉄間列座。
一、出御以前、禁裏・仙洞・大宮使・親王・准后より、御台様へ将軍宣下御移替・御転任・御【 NDLJP:216】兼任之為㆓御祝儀㆒被㆑進㆓進物御目録㆒、於㆓殿上之間に㆒和泉守受㆓取之㆒。
一、公方様より御転任・御兼任、大納言様へ将軍宣下・御兼任・御転任に付御太刀目録、摂家・親王・御門跡方より以㆓使者㆒被㆑差㆓上之㆒、於㆓柳之間㆒和泉守・備中守謁㆑之。
【宣下に付諸役人】将軍宣下・御転任之節、御裾之役水野越前守。御兼任之節、御裾之役堀田備中守。将軍宣下・御転任之節、宣旨相納役増山河内守。御兼任之節、宣旨相納役堀田摂津守。将軍宣下・御転任・御兼任之節、覧箱之役寺社奉行牧野備前守・同青山因幡守。将軍宣下・御転任之節、宣旨請取役高家宮原弾正大弼・同武田大膳大夫。御兼任之節、宣旨請取之役大沢修理大夫。
九月七日帰路御暇之節拝領
【徳大寺日野両人拝領物】将軍宣下に付、銀五百枚・綿三百把、御転任に付、銀五百枚・時服三十。右大将様より将軍宣下に付、銀二百枚、御兼任に付、銀三百枚・綿二百把。大御所様より将軍宣下に付、銀三百枚、御転任・御兼任に付、銀三百枚。大御台様より将軍宣下に付、時服十、御転任・御兼任に付、時服十。御台様より同時服十、同時服十。
右は徳大寺殿へ。右同断、日野殿へ。
将軍宣下に付、銀三百枚・時服二十、御転任に付、銀三百枚・時服二十。【橋本殿拝領物】右大将様より将軍宣下に付、銀百枚、御兼任に付、銀二百枚・綿百把。大御所様より将軍宣下に付、銀二百枚、御転任・御兼任に付、銀二百枚。大御台様より同時服六、同時服六。御台様より同時服六、同時ふく六。
右は橋本殿へ
将軍宣下に付、銀二百枚・時服十、御転任に付、銀二百枚・時服十。右大将様より将軍宣下に付、銀五十枚、御兼任に付、銀百枚・綿百把。大御所様より同銀百枚同銀百枚。大御台様より同時服六、同時服六。御台様より同時服六、同時服六。
右姉小路殿へ。 右同断、石井殿へ。
将軍宣下に付、銀百枚・時服十、御転任に付、銀百枚、時服十。右大将様より御兼任に付、銀百枚・時服六。将軍宣下に付、銀三十枚。
大御所様より同時服七、同時服七。大御台様より同時服三、同時服五。御台様より【 NDLJP:217】同時服三、同時服五。
右土御門殿へ
将軍宣下に付、銀二百枚・時服十、御転任に付、銀二百枚・時服十。右大将様より御兼任に付、銀百枚・綿百把。(以下脱アルカ)
将軍宣下に付、銀五十枚、 。大御所様より同時服十。同時服十、大御台様より同時服三、同時服五。御台様より同時服三、同時服五。
右は高倉殿へ
大御所様より銀三百枚、綿二百把、大御台様より時服二十。
二条殿。右同断、近衛殿。
御由緒に付
大御所様より大紋綸子五十反・御伽羅一木。大御台様より級子二十巻・御料紙・硯箱。
近衛殿
将軍宣下に付、銀三十枚・時服三、地下衆壬生官務 同断 押小路大外記 銀十枚時服五、山科大監物 同断 三宅刑部少丞。
御転任に付銀十枚・時服二、青木中務少録。
九月四日、御饗応御能。
御能組
翁 三番叟 仁右衛門 松竹風流 伝右衛門
老松観世太夫開口 彦太郎 九郎右衛門長右衛門 惣右衛門又六郎
開口【饗応の能】
夫れ千代迄も長月の、ながき例を梓弓、引くやゆづるのひゞきにて、八嶋の外の浦風も、納る浪の静けさは、目出たかりける時とかや。
末広がり 弥右衛門 八嶋 金春太夫 丑之進 半四郎政次郎 覚次郎 いくゐ 弥太夫 東北 宝生太夫 源七郎 三太郎五郎次郎 長蔵 鞍馬天狗 金剛太夫 権右衛門 三郎右衛門新九郎 与五郎甚作 祝 六平太 金五郎 兵右衛門養治郎 藤三郎安兵衛 養老
【 NDLJP:218】 御隠居之御祝儀
【禁中へ御隠居の御祝儀】大御所様より、禁裏へ白羽二重百匹・三種二荷、仙洞へ白羽二重五十匹・三種二荷、大宮へ白羽二重三十匹・二種一荷、親王へ白羽二重五十匹・二種一荷、准后へ白羽二重三十匹・二種一荷。右当春之御祝儀、御所司土井大炊守進献。
将軍宣下に付
【将軍宣下に付上様より禁中へ御祝儀】上様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国忠吉代金十五枚〉・白銀千枚・綿五百把、仙洞へ真御太刀代〈肥前国忠国代金 十枚〉・白銀五百枚・綿三百把、大宮へ白銀弐百枚・縮緬五十巻、親王へ作り御太刀・白銀二百枚・縮緬五十巻、准后へ白銀二百枚・縮緬五十巻。
【同大御所より御祝儀】大御所様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国行広代金 十枚〉・白銀五百枚・綿三百把、仙洞へ真御太刀〈肥前国忠広代金十枚〉・白銀三百枚・綿二百把、大宮へ白銀百枚・縮緬三十巻、親王へ作り御太刀・白銀百枚・縮緬三十巻、准后へ白銀百枚・縮緬三十巻。
【同大納言より御祝儀】大納言様より、禁裏へ作り御太刀・白銀三百枚・綿二百把、仙洞へ作り御太刀・白銀二百枚・綿百把、大宮へ白銀百枚・縮緬二十巻、親王へ作り御太刀・白銀百枚・縮緬二拾巻、准后へ白銀百枚・縮緬二十巻。
【大御台様御台様より御祝儀】大御台様・御台様より、禁裏へ白銀五十枚づつ、仙洞へ白銀五十枚づつ、大宮へ白銀三枚づつ、親王へ白銀三十枚づつ、准后へ白銀三十枚づつ。
【同上様より摂家以下女中へ進物】上様より、御太刀・白銀百枚・時服十、関白殿。御太刀・黄金枚一づつ、両伝奏。白銀五十枚、勾当内侍。白銀五百枚、禁裏総女中。白銀二百枚、仙洞総女中。白銀百枚、大宮総女中。白銀三十枚、親王総女中。白銀百枚、准后総女中。
【同大御所大納言より進物】大御所様・大納言様より、御太刀・白銀五十枚づつ、関白殿。白銀二十枚づつ、勾当内侍。
大御台様・御台様より、白銀二十枚づつ、関白殿。白銀五枚づつ、勾当内侍。
右之通り御進献物・被㆑進物・被㆑遣物・被㆑下物有㆑之候間、可㆑有㆓支度㆒候。
八月
御転任に付
上様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国忠国代金十五枚〉・白銀千枚・綿五百把、仙洞へ作り御太刀・白銀五【 NDLJP:219】百枚・綿三百把、大宮へ白銀三百枚・綿二百把、【御転任に付上様より禁中へ祝儀】親王へ作り御太刀・白銀三百枚・綿二百把、准后へ白銀三百枚・綿二百把。
【御転任に付大御所より禁中へ進物】大御所様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国兼広代金 十枚〉・白銀三百枚・綿二百把、仙洞へ作り御太刀・白銀二百枚・綿百把、大宮へ白銀百枚・綿百把、親王へ作り御太刀・白銀百枚・綿百把、准后へ白銀百枚・綿百把。
【同大納言より進物】大納言様より、禁裏へ三種・二荷、仙洞へ二種一荷、大宮へ同断、親王へ同断、准后へ同断。
御兼任に付
【御兼任に付大納言様より禁中へ御祝儀】大納言様より、禁裏へ真御太刀〈肥前国忠広代金 十枚〉・白銀五百枚・御絹百匹、仙洞へ作り御太刀・白銀三百枚・御絹五十匹、大宮へ白銀二百枚・御絹三十匹、親王へ作り御太刀・白銀二百枚・御絹三十匹、准后へ白銀二百枚・御絹三拾匹。
【御兼任に付上様より禁中へ御祝儀】上様より、禁裏へ作り御太刀・白銀三百枚・御絹五十匹、仙洞へ作り御太刀・白銀二百枚・御絹三十匹、大宮へ白銀百枚・御絹二十匹、親王へ作り御太刀・白銀百枚・御絹二十匹、准后へ白銀百枚・御絹二十匹。
【同大御所より祝儀】大御所様より、禁裏へ作り御太刀・白銀二百枚・御絹三十匹、仙洞へ作り御太刀・白銀百枚・御絹二十匹、大宮へ白銀五十枚・御絹十匹、親王へ作り御太刀・白銀五十枚御絹拾匹、准后へ白銀五十枚・御絹十四。
御転任・御兼任に付
【大御台御台より禁中へ進物】大御台様・御台様より、禁裏へ白銀百枚宛、仙洞へ白銀五十枚宛、大宮へ白銀三十枚づつ、親王へ同断、准后へ同断。
御転任に付
【御転任に付関白以下禁中総女中へ進物】上様より、御太刀・白銀百枚関白殿、御太刀・黄金一枚宛両伝奏、白銀五十枚勾当内侍、白銀五百枚禁裏総女中、白銀二百枚仙洞総女中、白銀百枚大宮総女中、白銀三十枚親王総女中、白銀百枚准后総女中。
大御所様より御太刀・白銀五十枚関白殿、白銀二十枚勾当内侍。
御兼任に付
【 NDLJP:220】大納言様より御太刀・白銀五十枚関白殿、御太刀・黄金一枚づつ両伝奏、白銀二百枚禁裏総女中、白銀百枚仙洞総女中、白銀五十枚大宮総女中、白銀二十枚親王総女中、白銀五十枚准后総女中。
上様より、作り太刀・白銀五枚関白殿、白銀二十枚勾当内侍。大御所様より、作り太刀・白銀三十枚関白殿、白銀十枚勾当内侍。右之通り御進献物・被㆑進物・被㆑下物有㆑之候間可㆑有㆓支度㆒候。
八月
雀鳩物語烏鷺の話に傚ふ
風清らなる夏の日、庭前の古松の蔭に床机をすゑ凉みとる折から、茂みたる小枝に雀一羽囀りたるに、又山鳩こう〳〵と鳴く。己れ公治長にあらね共、耳をすまして聞取るに、【雀学問の主旨を論ず】雀の言ふやう、「夫れ学問の道は孝を本とし、身を修め家を斉へ、国を治め天下を平にする理を切磋する者と聞くに、去る
天保八酉年六月江戸表より或家へ申来り候書付の写
近来奸臣権を執り下情上に不㆑通、中下御旗本・御家人及㆓困窮㆒。中にも御蔵米取候者十人の内九人は、公私借財百有余有㆑之、其已下高に准じ、同様何れも取続ぎ成り難く、尤も借金等は各〻心掛次第とは乍申、祖父又は父代ゟ引受候借財口次第に利倍致し、其内臨時・吉凶等にて無㆑拠入用等追々相嵩み、当時に至候ては三季御切米は名のみにて、米金共札差方へ引取り、手元へ這入候金子無㆑之、種々頼入り又は借返し等少々宛致し漸く取続居候。是とても不弁勝にて、極窮の者誠無㆑拠御法を背き、是迄御旗本・御家人家名断絶の者夥敷く、実以歎敷き事に候。却て難渋の百姓・町人共へは度々御救米・銭等過分御手当も有㆑之候得共、武家困窮の者へは少の御趣意も無㆑之、実に日用に取後れ罷在候事に付、無㆑拠武器等質物に差遣し、乍㆑去修復等難㆓行届㆒、当春大坂大変に付ても誠に心配至極に候得共、当用に差後れ候儀に付、万事不㆑任㆓心底㆒残念なる儀に存候。扨又去冬村々多分の下免に相成、御蔵米格外下直の相場被㆓仰出㆒候処、上納物等聊も御用捨不㆓相立㆒、諸色至て高直、弥〻以困窮に相成り、乍㆑恐御治世之御時節何様の儀被㆓仰出㆒候共、違背仕候者に無㆑之候得共、万一不㆑依㆓何事㆒異変御座候共、次第に困窮相成候ては御奉公も難㆓相勤㆒、是全く奸人等の所行と被㆑存候。最早我々共取続も難㆑成、不㆑遠家名断絶目前に付、面々一統申合せの上、札差共其外有徳の町人致㆓乱妨㆒窮民を救ひ、便宜により奸臣を討ち総て大坂表の例に習ひ、兎も角も可㆓取計㆒候。同士の輩有㆑之候はゞ、市中変事出来次第、其最寄へ早々集会可㆑有㆑之候。
月 某
右の趣相認め公儀柳の間とかへ張出候事、凡三度に及び候とかや。
【 NDLJP:226】右一件江戸より来候者に相尋候処、殿中に張紙せし事は不㆑承候得共、太田運八郎組下何某とやらんいへる者、水野越前守へ其事申立、尤に被㆓聞取㆒、則左之通別紙を以て被㆓仰渡㆒しといふ。
御蔵米取の面々、其身謹慎にても数代の大借にて難儀致し、自然芸術心掛も不㆓行届㆒、武器の嗜も等閑に相成候に付、此度格別の思召を以て永続為㆓御手当㆒、於㆓旅屋町会所㆒利安に御貸付被㆓仰付㆒候。右は御救の御趣意に付、無利息にも可㆑被㆓仰出㆒候得共、左候ては一専之事に相成り、永久多人数の御救には難㆓相成㆒候間、利付の積りに被㆓仰出㆒候。尤右払金公儀の御用途に相成候儀には無㆑之、全く御救筋手広に行渡り候為の事に付其旨相心得、大借者は右利安の御貸付借受、札差共の借財返金致し、弥〻質素倹約を専候、勝手向取直し、御救の御趣意相立候様可㆑致候。利金の儀は一ケ年延年七分廿五ヶ年御貸据、二十六ヶ年目葉捐の積り、勿論年限中にても返納皆済相願候へば、利金納め高の多少に割合、元金の内棄損可㆓相成㆒候間、得㆓其意㆒、但し支配の内借受相願候者有㆑之候はゞ、篤と相糺し常の行跡宜敷く質素倹約にても非常の災害数代の大借にて致㆓難儀㆒候事に候はゞ、当人持高借財金高等取調べ、銘々頭支配より御勘定奉行へ可㆑被㆑談候。但文武の心掛厚く其業格別秀候者は、大借に無㆑之候とも品に寄り、御貸渡相成候儀も可㆑有㆑之候。尤御貸付け元金取極有㆑之事に付、願候旨一時の御貸渡には相成間敷候得共、以来年々御貸渡有㆑之筈に付、其旨可㆑被㆓相心得㆒候
右の趣組支配有㆑之面々へ寄々可㆑被㆓相達㆒候。
八月
大塩平八郎乱妨に付御固左之通
【城代土井大炊頭大手口】追手口内御固 〈御城代八万石〉・土井大炊頭〈猩々緋采幣〉・与力五十騎・同心百人、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗〈三本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・大筒〈十挺、但し御土手に並有㆑之。〉・長柄〈五十筋、但し抜身の儘なり。〉・弓〈百張〉・鉄炮〈百挺〉・合七百余騎。右之内追手口御門之外〈御城代御家来〉・十騎〈但し北向にて御備有㆑之。〉御同勢二百人。
乾大御番頭〈七千石〉菅沼織部正〈但し御拝領采幣金葵御紋付有㆑之。〉・与力十騎・同心三十人、同組頭六百石以下、 〈御同人支配〉笠原権太夫・曲淵宗太郎・大岡兵五郎・薙波田八右衛門、同組五十頭〈但し六百石以下二十五騎四組を以て一隊とす。俗に百騎衆といふ。〉見通し道具後、〈一本但し白しやぐま裏総金、是は先陣に立運之後、陣より先陣の居処を能見分候故の目印なり。〉・大馬印〈一本〉・小馬印 〈一本〉吹貫〈二本〉・大纏〈一本、但し台付〉・陣太鼓〈一〉・幟〈三本〉・陣貝〈一つ〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・弓〈二百張〉・鉄炮〈二百挺〉・長柄 〈五十筋〉・大筒〈五挺、但車台付、〉総勢八百余騎。大御番頭〈一万石〉北条遠江守〈但御拝領采幣金、葵御紋付有㆑之。〉与力十騎・同心三十人、同組頭六百石以下、 〈御同人支配〉・浅香伝四郎・内藤主膳・入戸野九右衛門・野中三十郎、大御番衆五十頭〈但六百石以下の御方、俗に百騎衆といふ。〉・大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈二本〉・旗〈二本〉・大纏〈一本〉・陣太鼓〈一〉・陣貝〈一つ〉・幟〈三本〉・持弓〈二張〉・持筒 〈二挺〉・弓〈二百張〉・鉄炮〈二百挺〉・長柄〈五十筋、但抜身にて、〉・大筒〈五挺但車台付、〉・総勢八百余騎。
【遠藤但馬守玉造口固む】玉造口御固 〈御定番一万石〉遠藤但馬守・与力十騎・同心百人、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗 〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・大筒〈三挺但し車台付〉・長柄〈三十筋、但し抜身の儘〉・弓〈五十張〉・鉄炮〈五十挺〉総勢五百余騎。
【 NDLJP:227】京橋口内御固 〈御定番一万二千石〉米倉丹後守・与力三十騎・同心百人、
右御役被㆓仰付㆒候得共、当表へ御著無㆑之事。
御城外京橋口 〈一御加番四万石〉土井能登守、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈二本〉・旗〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓 〈二張〉・持筒〈二挺〉・長柄〈三十筋〉・弓〈五十張〉・鉄炮〈五十挺〉総勢五百余騎。
御城内青屋口御固 〈二御加番二万石〉井伊右京亮、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈二本〉・籏〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・弓〈五十張〉・長柄〈三十筋但し抜身にて〉・鉄炮〈三十挺〉総勢五百余騎。
御城内鴈木坂口御固 〈三御加番一万石〉米津伊勢守、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗〈二本〉・幟〈二本〉・大纏 〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・弓〈三十張〉・長柄〈三十筋〉・鉄炮〈三十挺〉総勢三百五十余騎。
同鴈木坂御固 〈四御加番一万石〉小笠原信濃守、大馬印〈一本〉・小馬印〈一本〉・吹貫〈一本〉・旗〈二本〉・幟〈二本〉・大纏〈一本〉・持弓〈二張〉・持筒〈二挺〉・長柄〈三十筋但抜身〉・弓〈三十張〉・鉄炮〈三十挺〉総勢三百五十余騎。
東町御奉行〈二千五百石〉跡部山城守〈但馬上にて槍抜身儘〉・与力三十騎・同心五十人、右与力・同心の内乱妨の者有㆑之に付、組の内不㆑残双方御家来の内、四五人手負有㆑之。
西町御奉行〈二千五百石〉・堀伊賀守〈同断〉・与力三十騎・同心五十人、御船手奉行〈三千二百石〉・本多大膳〈同断にて本町橋御固、〉・興力六騎・水主五十人、御預り大筒〈六挺但し車台付、〉・翌廿日大筒〈二挺、木津川口、〉|・同〈二挺、安二治川口へ〉・同〈二挺天保山へ、〉右之通被㆑備
外御旗本方
御破損材木奉行森佐十郎・鈴木栄助・神原太郎左衛門、御鉄炮奉行石渡彦太夫・御手洗伊右衛門、御弓奉行鈴木治左衛門・上田五兵衛、御具足奉行祖父江孫助、御蔵奉行島田三郎右衛門・比留間兵三郎、御金奉行桑田金一郎、御代官根本善左衛門・池田岩之丞。
右何れも御銘々御預り場所へ厳重の御固有㆑之
大御目附〈二千六百十四石〉中川半右衛門・〈七百石〉犬塚太郎右衛門、但し毎年九月交代、十二月参府にて京都・奈良共御役御勤有之に付、俗に百日目附といふ。
十九日九つ時駈付、翌廿日守口被㆑固。
高麗橋口御固 松平遠江守殿より番頭七騎〈但し何れも騎馬、〉大纏〈一本〉・長柄〈十本〉・鉄炮〈十挺〉・弓〈十張〉同勢百五十余人。
【 NDLJP:228】 翌廿日四つ時駈付
農人橋口御固 〈二千石堺御奉行〉曲淵甲妻守〈但騎馬槍抜身〉・与力十騎・同心五十人、大纏〈一本〉・小馬印〈一本〉・馬柄〈廿本〉・弓〈廿張〉・鉄炮〈廿筋〉・早縄〈三百筋〉・小長持〈一棹但手鎖三百入〉同勢二百余人。
同暮時駈付
平野橋口御固 〈泉州岸和田城主五万三千石〉岡部内膳正〈但し何れも騎馬、〉大纏〈一本〉・鉄炮〈三十挺〉・弓〈三十張〉同勢二百余騎。
同廿一日早朝駈付、暮時前に御引取。
和州郡山城主 〈十五万石〉松平甲斐守より番頭廿五騎〈但し何れも騎馬〉・大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈五十挺〉・鉄炮 〈五十挺〉・長柄〈三十筋〉同勢三百余人。
同廿一日早天駈付
丹州亀山城主 〈五万石〉松平紀伊守より番頭七騎、大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈廿張〉・鉄炮〈廿挺〉・長柄〈十筋〉同勢二百余人。
同廿二日西の宮駅迄被㆓駈付㆒、
播州姫路城主 酒井雅楽頭より一番手番頭十騎、大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈三十張〉・鉄炮〈三十挺〉・長柄〈二十筋〉同勢六百余人。
同廿二日御領分の内加古川へ御出張、
同城主より二番手番頭十二騎〈但し騎馬にて、〉大纏〈一本〉・大馬印〈一本〉・弓〈三十挺〉・長柄〈三十筋〉・鉄炮〈三十挺〉・同勢七百余人。
酒井雅楽頭より大坂御出張人数
一番手武具小笠原助之丞 〈但し三十人小頭、一人具足。〉同久松辰吾〈右同断、〉同大目附根岸源太兵衛〈右同断、〉使番鈴木善之助〈上下廿人具足、〉旗奉行沢津補之助〈右同断、〉中目附小林権太左衛門・中野啓治・川端戸右衛門、賄方小幡源治郎〈上下五人〉・同鈴木銀三郎〈右同断、〉・同高橋岩蔵〈右同断。〉
二番手武具永井弥一郎 〈上下廿人〉大筒・〈三挺、人足不知、〉旗奉行福島市郎兵衛門〈具足上下三十人〉武具鉄炮針合九郎兵衛 〈但し三十人小頭一人具足、〉武具鉄炮高須与一右衛門〈但三十人小頭一人具足、〉長柄奉行蘆谷卯兵衛〈右同断〉・長柄〈三十筋〉 騎馬 吉田弥右衛門〈上下廿人具足〉 同 内海惣次郎 〈右同断〉 同 間原覚右衛門〈右同断〉 同 岡田出来蔵〈右同断〉 同 井上利右衛門〈右同断〉 同 山口長左衛門〈右同断〉 同 西松又太郎〈右同断〉 同 丹羽新助〈右同断〉 同 赤堀左源太〈右同断〉【 NDLJP:229】同 金田三十郎〈右同断〉 番頭二人河合孫一郎 同 淵田伊三郎〈右二人上下八十人具足〉 大目附豊田権左衛門〈但し卅人小頭一人具足〉中目附岡部次兵衛〈具足上下五人〉 同 萩原兵作
同 田島藤馬〈右同断〉 太鼓方 大沢善七〈右同断〉 具足方 大山伴平〈右同断〉
大筒〈四挺〉 人足不知
高須隼人内
騎馬 宇野左馬蔵〈下人廿人〉同 三間定蔵〈右同断〉 家老〈知行三千石役扶持百人〉高須隼人〈家来百五十人下人五十人〉 鉄炮〈廿挺〉弓〈廿挺〉・槍〈廿筋〉・書役永井振五郎・根淵豊八。
足軽一党
綱井市太夫・沢瀬清左衛門・佐次米蔵・本田辰蔵・福田運十郎・長谷川郡次・本間兼五郎・大塚秀三郎・戸田惣右衛門・牛込十郎右衛門・戸倉佐源太・岩松鋪三郎・福島新次・高橋伊三郎・堺野源助・柴田九郎助・鈴木小一郎・八森伝五右衛門・村角郡十郎・天野又兵衛、右二十人槍一筋づつ、供人一人宛。
使番河合宗兵衛〈下人二十人、具足〉・医師中根善堂〈家来十五人、〉・鉄炮方下田五郎太夫・三役宗之進・同熊谷平之助・高須伝内・同江原善蔵・豊田精蔵、武具弓布川丈太夫〈但し卅人・小頭一人・足具、〉乗方下堺宗左衛門・田中銀助・三原友七、旗奉行沼田平十郎〈但し人小頭一人、具足。〉賄方砂川金次・小森伊三郎・池谷団五郎、作事方高橋善左衛門〈下人五十人、大五百十人、〉中目附三原友右衛門〈上下五人〉・同秋間繁八〈上下五人〉・同半沢半之丞〈右同断〉・同金井小左衛門〈右同断〉、宿割中村辰蔵・関口万作、総人数二千五百人余、馬百五十匹余、長持五十棹。
二月廿五日廿六日郡山にて勢揃
山崎表固同勢 足軽十五人・小人目附四人、纏、旗奉行騎馬北条弥右衛門、〈槍具足弓鉄炮、〉足軽十五人・小人目附三人、足軽十人〈槍〉、物頭騎馬広藤京馬、〈具足・股槍三十本・弓〉長頭柄騎馬堀献次郎〈槍具・足・弓〉・足軽十人〈鉄炮〉、弓矢組十人〈鉄炮〉、矢箱・鉄炮箱・弓箱・弓小人目附十人、同同・同・槍具足・数弓・同・同・桑原集、三騎乗方・同・同・同・矢箱・鉄炮箱・弓箱・弓小人目附十人〈弓鉄炮、〉 弓矢持組廿人・兵士十人・纏・飾弓五挺・足軽五人・手替五人武士大将横地段之助〈物持五人・槍自分供五自槍〉鉄炮持組廿人・兵士十人・足軽廿人・数槍十本・槍・槍・弓・矢・使番騎馬・具足・具足・百目筒、池田武記・塚越弥蔵、具足・弓・弓・坊主十人・供廻り・供廻り・供廻り三十人、馬【 NDLJP:230】廻り兵士槍一筋宛、歩行立。柘植鷹之允供・稲毛丹次郎〈同〉・古木織人同・河野瀬岩馬〈同〉・三好格人〈同〉・兼松半蔵〈同〉・桃井勇記〈同〉・田中虎五郎〈同〉・三好新蔵〈同〉・上田丹作〈同〉・二羽鶯之助〈同〉・高野角馬〈同〉・中条作之進〈同〉・小岸平太夫〈同〉・後藤貫兵衛〈同〉・木俣清五郎〈同〉・樋口文右衛門〈同〉・大谷記八郎〈同〉・宮沢礒五郎〈同〉・佐藤記次郎〈同〉・郷人足三十人、徒目附衆、関帯刀 〈同〉・足軽五人〈銘々人足・〉 〈具足人足〉小人目附十人・武具方衆、大島権兵衛供・足軽五人、徒目附衆横山平助〈同〉・武具方衆手勢三十人、村井滝之丞〈同〉・大小性組十八人、城代組十八人、弓矢・弓矢、〈医師乗物〉吉松宗胆〈供〉・〈長刀具足〉・〈雨具持町人足〉 百人、大小性組十八人、城代組十八人、用金方人足廿人、割木二十駄、川除方役人、用達〈小荷徒〉馬口十匹、馬沓五百足、掛所手代、人足廿人、草鞋二千五百足、|作事方役人、鍬〈十挺〉・鋤〈十挺〉・郷人足、鎌〈十挺〉・百五十人、五十人笠籠〈廿荷人足〉ぢよれん〈十〉桃灯持唐鍬〈十挺〉小人目附十人、物書五人、目附騎馬丹羽与太夫〈槍・具足・弓〉 代官二人〈何れも平供槍具足〉足軽十人・手代五人・鉄炮郷同心五人、鉄炮郷同心五人、郡代歩行立、作事奉行〈槍具足〉・勘定奉行具足、鉄炮郷同心五人、鉄炮郷同心五人・弓。
郷人足
白米馬二十疋・米方役人十人・勘定衆十人・賄方役人、人足三十人・小遣役五十人、雑人足三十人、郷人足三十人・町人三十人、
郷人足
武具方騎馬名和友右衛門〈槍・弓具足〉・徒士目附組頭〈槍・具足〉・小人目附三人・小人目附三人、押二人・納戸方三人
諸士の銘々自分具足、其外人足に至る迄御貸具足。
以上御城内外備立の次第、并に近国より駆付けし諸侯の人数等、御城同心糟谷助蔵が所持する処の大塩一件を記せる本なりとて、或人の写せるを借り得て、爰に書添へぬ。されども予が始めに記せし如く、大塩が乱妨の節には大狼狽にうろたへしのみにして、決して斯かる厳重の備立を致し得ず。其翌日に至りてうろたへながら、やう〳〵とそこ〳〵に人数配りをして、其様をかしかりし事なりしといふ。こは昔よりいひ伝へぬる、喧嘩過ぎての棒千切にて、抱腹に堪へざることなり。されども公儀への書上げ程能くせざれば相済み難きこと故、跡にていろ〳〵【 NDLJP:231】評定をなして、此の如くよき様に書記せしものなり。丹州亀山より駈付けし行粧を記しぬれ共、松井儀太夫を以て御加勢申すべく哉否を、御城代へ伺ひの使者来りし迄の事にて、出来りしにはあらず。青屋口御門番・御加番へ付渡りの大和足軽が、其節の事を咄せるを聞く。御城代・御大番を始め御定番・御加番・御旗本衆に至る迄、只さわ〳〵として、御城内を東西南北奔走し狼狽へ廻れるのみにて、市中焼亡の間は毎日々々火の粉も、御城内へは来らざるに、御本丸御殿はいふに及ばず矢倉・塀に至る迄、龍吐水にて昼夜水をかけ通しなりしとて、其あわてうろたへし様を笑ひながら咄しぬるを委しく聞込みぬ。此一件見聞せし毎事に、抱腹に堪へざる事のみにして、言語にも述難し、浅ましき事といふべし。
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