目次
【 NDLJP:346】
巻之八
見しは今、江戸町に寿庵と云はやりくすし有り。此
医師脉を試みては、
煩已前の事、当今のいたみ、以後に有るべき事まで委しくいふに、十に七つ八つは誠に有る故に、寿庵の薬を願ひ用ひていき
薬師かと諸人
信敬す。是誠に不思議也。今は天下の名医江戸に数多ありといへども、脉を取つて寿庵の如く
奇特を云ふ人なしといへば、かたへなる人聞きて、此寿庵おひ立ちより今迄の事を我よく知つたり。此人は文字計を漸く書き覚えたり。もとより医学はなし。されば世々色々の
術治ありて、けぼうがしら、うしろ
仏などと云ふ物を持ちぬれば、
奇特を云ふとかや。又かき
判を見ては其身の一代をかんが
陰陽師とて
吉凶を占する事、唐国にては
邵公節、日本にては
清明、是らの人の道を伝へて
深秘の義有り。此道をよく学びたる博士は何事もたなごころににぎるがごとし。然共末代に至て知る人まれなるべし。扨又名医と聞えしは
天竺にては
耆婆、大唐にては
扁鵲、日本にては
清麿などの流を汲みてくすしと号す。故に人の近付くべきは、いしや、智者、福者と古人もいへり。くすし脉をこゝろ見て
病源を知る仔細有り。されども脉中に
過現未、明らかに顕るゝ事はおぼつかなし。其上くすしは人の
死生を
請おひ給ふ事大事にてあらずや。病者よりも医の心やすかるまじ。安かる人は医たるべからず。病を治せざればいしや人をころす。是に過ぎたる人間の一大事何か世に有るべきぞや。医といつぱ意也とこそ申されしに、医学なき人の薬あたふるは、ばくちうちのさいをなぐるがごとし。
寒熱の二つのおこりまさに知がたし。寒にひえを重ね、ねつに熱を重ねんはあやふき事なれば、医学なき人の薬は中々のまぬにはおとり成るべきか。
薬人を殺さず、いしや人をころすと古人もいへり。
其上、
下医は薬を毒とし、
中医は薬を薬とつかひ、上医は毒を薬に用ふるとかや。智者の作る罪は大にして地獄におちず、愚者の作る罪は小にして、必地獄に
堕つといへるがごとし。然に病をりやうする
良医は脉の
虚実をよくこゝろみて、しかうして
後薬方をあたふるが故に、病いえずといふ事なし。
敗鞁の皮までも用ふる事
医師の
良也といへり。扨又常さまの人も養治をしらではいたづら事成るべし。病は必口より入るとなれば、禁好物合食禁をしらんがため也。たとひどくやくも知つてふくすれば毒にならずと、あるくすしの申されけるとぞ。耳にとどまりていみじくおぼえ侍れ。食は人の命也。よく味ひ調へぬれば大徳とす。故に
世俗にも命は食に有りといへり。良薬は口ににがくしてしかも病に理有り。忠言は耳にさかひてしかもこうを
利せり。医学なき寿庵の薬用ひて益なかるべし。扨又
典薬とは
御門の御医師を名付たり。
当時良医を
施薬院と名付くるいはれ有り。天下に
不肖の者多し。大病を受けて大医の薬を望め共叶はず。其為に上代には天子より
医料とて別に知行を下されて、
薬代なしに彼
無力者に薬をあ
【 NDLJP:347】たへらるゝ所を以て施薬院とは申す也。万民をあはれみ給ふ君の御
慈悲浅からず。今の時代迄其名有りといへども、
題号のしるしなし。不肖者大病不便の次第也。たゞひとへに仏神を祈るより外有るべからず。
聞しは今、杉木宗順と云ふ京の人、江戸へ下り云ける様は、関東は聞きしよりも見ていよ
〳〵下国にて、万いやしかりき。
人形かたくなに言葉なまりて、なでふことなきよろこぼひてなどと、かた言計をいへるにより、理きこえがたし。拾遺に、東にてやしなはれたる人の子は、舌だみてこそ物はいひけれと詠ぜり。扨又
宗碩かたつ
田舎はとはるゝもうしと前句をせられしに、何とかはだみたる声のこたへせんと宗長付くる。宗長は生国関東の人なれば也。都人とふもはづかし、舌だみてうきことわりを何とこたへんとよみしも実にことわりなり。取分べいといひべらと云ふこそをかしけれ。是に付てもわが住みなれし
九重の都さすが
面白境地なり。人王五十代桓武天皇の御宇十三年甲戌十月廿一日に、山城の国をたぎの郡に都を遷されたり。男女のそだちじんじやうに、言葉やさしく有りけりといふ。
関東衆是を聞き、おろかなる都人の云事ぞや、国に入つては俗をとひ、門に入つてはいみ名をとふ。是皆定まれる礼也。しらぬ国に入り其国の言葉をしらずんば、とはぬはひが事也。孔子は生れながら物をしれる智者なり。孔子も
大廟に入つて祭にあづかられたる時に、
事毎にとはれしとかや。舜も大智の聖人にてましませ
共、万に物を人にきかしめ給ふ。知つたる上にもとふが智者の心也。然るに関東の諸侍昔が今に至る迄仁義礼智信を専とし、文武の二道をたしなみ給へり。民百姓に至るまで
筆道を学び、文字にあたらざる詞をばあからさまにも
称へず。此宗順は文字
はんや〔はんにやカ〕に暗ければ、義はんやにくらくして、却つて他をなんぜり。文字は貫道の器也。器なくしてよく此道に達すると云ふ事、あにそれしからんや。されば伊勢物語によろこぼひてと書かれしはよろこびてなり。なでふことなきとはさせることなきといへる事也。べいは可くの字也。言葉の続きにより、べしともべらともいへり。古今集に、秋の夜の月の光の清ければ
暗部の山もこえつべらなりと詠ぜり。そのうへ知つて問ふは礼也とこそ、古人も申されし。ましてやしらずして他を難ずるは、ひが事なりといへり。
見しは今、
世念と云ふ知人常に
後世を願ひ給へり。或時愚老をいさめて云く、其方後生の道を知給はぬ事のうたてさよ。御寺へ参り仏の有難き教を聞き給へ。
能化様のきのふの
御説法に、朱に近付く者は赤く、墨に近付く者は黒くなる。仏道に近づく者はかならず仏になると教へ給ふこそ有がたく思ひはべれ。其方は物を書き常に
双紙をよみ給へるが、其
双紙に無常のことわりは候はずや。我物をば書かざれ
共、
謡舞などの浮世のあだなる事を聞くに付けても、よその事とは思はず、たゞ身のうへと心細く、なみだながれ袖をぬらすといふ。愚老聞きて、誠に有りがたき世念のいさめ成るぞや、或夜のね
【 NDLJP:348】ざめに、世間の移り変れる事ども思ひ出づれば、
往事べうばうとして凡て
〈[#「凡」は底本では「几」]〉夢に似たり。
楽天が詩に、
老眼早く覚めて、常に夜を残すといへるもことわり也。世念我を諫めて、双紙に
無常の
理はなきかと問ひつる事のはづかしさよ。実に
前大僧正慈円の歌に、皆人のしりがほにしてしらぬ哉かならずしぬる習ひありとはと詠ぜり。思へば過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなし。いにしへ見なれし
人達の先立るのうらめしさに、指を折つて数ふるによみ尽しがたし。されば、思ひ出づる一つ二つの涙かはと
宗碩前句をせられしに、指を折つても跡はおぼえずと宗長付給ひしも身にしられたり。つら
〳〵是を案ずるに、
金剛不懐の
経文に、
一切有為の法は
夢幻と説かれたり。夢や夢うつゝや夢とわかぬかないかなる世にかさめんとすらん。是
維摩経に、此身夢のごとしといへる心を
赤染衛門は詠ぜり。万事は夢の中のあだし身なりと打さめて、こよひが早くあけよかし、もとゆひきりてさまをかへ、衣を墨に染なして、世を厭はんと思へども、其夜が明けぬれば、見る事にふれ聞く事にしふぢやくして、旧縁のつなぐ所はなれがたく、六
塵の
妄境現じ、いたづらに
煩悩業をつくり、其中三
悪八
難のよしなき所を見出して、恐れくるしみて日を暮す計也。古き歌に、いく度か身のうき時は人毎に末もとほらぬ世をいとふらんと詠じしもいとはづかし。
天竺の北にあたつて雪山と云ふ川に
寒苦鳥と云ふ鳥あり。此鳥巣をもたずして、よるはこほりに羽を閉られて苦しみ、明けなば巣作らん
〳〵とよすがらなく。夜も明けぬれば出づる日に氷のとくるを悦びて、羽をのべ身をあたゝめてくるしみを忘れ、又日暮るればくるしみを得て一世を送るとなり。さあれば我と此鳥とはすがたはかはれども、心のおろかなる事は只一生にて有りけるぞや。心ひとしき心成けりと云前句に、先の世の深きえにしの生れきてと
心前付け給へるもよそならずと、
過去の
因果をかなしび、さぞな
当来の
生所も同じむくいにてぞ有らんとなげく所に、或禅師の云、
尤寒苦鳥よる鳴く事
治定、扨又此鳥昼になれば今日死をしらず、明日の死をしらぬ身の、何故に栖を作りて
無常の身を
安穏にせんやとなく。是皆
経文なり。
後京極摂政の歌に、あさなあさな雪の
深山になく鳥の声に驚く人のなき哉と詠ぜり。扨又我朝に
仏法僧と云ふ鳥有り。古歌に、わが国はみのりの道の広ければ鳥も
唱ふに
仏法僧かなとよめり。
鳥類さへかくのごとし。
有為無常の有様
朝露におなじ。人間まよふが故に爰を
常住と思ひ、
会をよろこび
離をうれふ、是おろかなり。死をば生の時かなしび、
離をば
会の時うれふべし。まよふときんば
方寸千里の外、さとるときんば十
方世界にあまねし。
流転生死は
愛欲を
根本とせり。新古今に、
有はなくなきは
数そふ世の中にあはれいづれの日までなげかんと、小町は女なれども
生死のことわりをわきまへてかく詠ぜり。
本来無一
物の法に至りてはもとむべき道理もなく、はらふべきぢんあいもなし。大海にしてちりをえらばず、
有情非情同時成道とひつそくして仏意にそむかず、
直指たんでんのりにかなふ。一
処明のとき
万処空たり。三
世了時三
世同なりといへり是を聞くに、誠に
修正甚深なるけうげぞや。
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見しは今、正学坊といふ抖擻の行人、当秋の頃江戸町をめぐりしが、口のうちに火をたきて見する。是を見んとこなたかなたより伊勢御はらひを持出て渡せば、それに火を付て口のうちにてたきしは、みるもあやふく不思議に有りつるなり。扨立行をせんとて、本伝馬町佐久間が家のよこ町にて、水桶をいたゞき家にあがり、けふの八つ時より明日の八つ時まで立つべしといふ。折節其夜大雨大風しきりにしてしやぢくをながし、家をも吹きころばすほどの大風なり。寸善尺魔とて、天魔破旬もかゝる所をこそうかがふものならめと、皆人公ひし処に、又いたづらなる若き者共此行人を見おどさんと、向の家の戸をひらき窓をあけて見ゐたりしに、此行人風にもころばず水桶をいたゞきて立つたり。夜明けて見れば、大きなる御幣をそばに立ておきしが、雨にもぬれず風にもそんせず其儘也。行力つよきにはかゝる不思議ある物かと皆人云ふ。老人云く、我も人も三世諸仏の功徳そなはらざるはなしといへ共、妄想不浄の塵にまじはりて着心をなし、生死のきづなはなれがたし。仏は此塵を払つて前生の智恵をみがけり。ぐわんは是智恵の劔、よく煩悩のきづなをきる。ぎやうは是前生の火、たちまちに生死のさかひをやきうしなふ。などか奇特なからんといへり。
見しは今、能玄法印といひて
宏才なる人有り。此者云ひけるは、それ世界において
胎卵湿化の
四生様様有る中に、人間にますはなし。然間、一切
生類人におそれずと云ふ事なし。故に人はいき物の頂上とす。されば人の身の内よりしらみと云ふ虫わき出で、其虫又人の肉を
食つて一世を送る。是
因果の道理有るが故也。昔
晋の
桓蘊と云ふ貴人有り。
王猛と云ふ者に逢うて
当世の事を語る。猛、虱を
捫り語りたり。然るを
傍若無人と云ふ詞是より始まる。
異名を
半風とす。古句に、
窓前に半風を摂と云々。
演雅の詩に、しらみは湯のわくを聞きてなは
血食すといへり。扨又
蚤人を食うて夏をどる共書けり。是に付て思ひ出せり。
天竺に
獅子と云ふは獣の王也。獅子すでに死すといへども、百
獣猶其
威をおそれて其肉をくふ事あたはず。身の中に虫を生じみづから其肉をくらふ。是を
獅子身中の虫と云ふ。人のみづから其身をそんざすにたとふ。
人王経に委しく見えたり。
人間と
獅子、
形かはるといへ共、
心性の
威徳はことならず。
過去の
因縁しりがたし。然るに今生のえいえうは夢なりと我悟つて無常のことわりを忘れず、
後世の事のみ
明暮心にかけ、其上のみしらみころす事、五
逆第一の
罪業成る故、一代ころす事なしといふ。愚老聞きて、是は如何なる仔細ぞととへば、
能玄いはく、
夫いきとしいける物ながきはみじかきをのみ、大きなるはちひさきをくらふといへども、いづれか人をおそれざるべき。然るにのみしらみ人のしゝむらを
食つて、一生涯をたもつ事おぼつかなき故、
過去因果経をおもん見るに、
昔鬼と人との戦ひ有り。人の心たけきが故、鬼をこと
〳〵くほろぼせり。
夫玉しひは三
魂七
魄とて数おほしと聞えたり。鬼にはこんはくしやくとて三つの玉しひあり。こんはめいどにおもむけば、赤白の二渧はしやばにとゞまる。赤はのみとなり白はしらみと成りて人間の肉を喰ふ。是因果の道理
【 NDLJP:350】なり。扨又のみしらみをころすが故、人また地ごくにて鬼にくらはるゝ。是のみならず、一
切衆生の有さま我人をうしなへば、かれ又我をがいす。経にも一切衆生六道に
輪廻する事車輪のごとしと説れたり。のみしらみをころす人、
生々世々因果遁れがたしといふ。皆人聞きて、
蚤虱の仔細能化のをしへをもいまだ聞かず。然共法印の物語道理至極せり。有難しと云けるに、老人有しが聞きて、愚なる法印の云事ぞや。人間の肉をくらふ虫
蚤虱に限るべからず。□虫と云ひて皮肉の間にあり。しやくしゆ
寸白などと云て色々様々の虫有り。髪に住む虫は黒し。土中に住む虫は土を
食ひ、木に付く虫は木をかみ、かやにつく虫はかやをくらふと云ひければ、法印返答につまり、利口ほどもなく却て赤面し給へり。
聞きしは今、七月の事成に、皆人
連座して地獄よりしやうりやう来れる事をとり
〴〵に沙汰せらるゝ。七月十四日の暮には、地ごくの罪人ども罪ゆるされしやばへ来り、親類えんるゐどものもてなしにあひよろこびあへる事
治定なり。一年招月ながされ給ひての年の七月十四日に、中々に無身なりせば古郷へ帰らんものをけふの暮かたとよみければ、此歌を
御門聞召しおよばれ、不便なりとて罪ゆるされ帰国し給へり。扨又しゆんざうすといへる
名智識、山城の瓜となすびをそのまゝに
手向になすぞ賀茂川の水とよみて、しやうりやうに手向給ひければ、云はるゝこそ道理至極なれ。われも人も見ぬものがたりせしと申されし。
見しは今、江戸
寺町の近所に
円心斎といひてうとく成る人有り。此者云やう、我えせたるあたりに居住し、よるひる鐘太鼓の音しやうみやうの声、聞くも耳かしましや。此円心は銭金の沙汰こそきかまほしけれと、明暮願ひ事するにより、人あだなを付けて金願ひの円心と云慣はす。されば思ひあはする事有り。いかにいひてかおどろかすべきと云前句に、罪有りや
法の声をもいとふらんと兼載付給へるは、未来をよくかんがへ見て、
是等の人のうはさをいへる成るべし。然に
浄土坊主円心にけうげ申されけるは、其方
縦欲にふけり他にほどこす心ざしなし。人ざいををしむ。財宝は菩提のさはり也。仏は
身三、
口四、
意三とて十の
戒しめを立てられたり。爰を或る
能化の歌に、十悪のたちならびたる其中に欲にまされるせいたかはなしといましめ給ひて、人間の金たくはふるを欲心と云ひて第一に嫌はれたり。左伝に象歯あればもつて其身をやく、宝あれば也といへり。富貴の家をば鬼是をねたむ。報命つくる時其福身にしたがふ事なし。福多ければ罪もまたおほきがゆゑに、
来生にはかならず地獄に入る事うたがひなし。昔
天竺に
仏阿難をぐして道を通り給ふに、草村の中に穴有り。其中に金有り。是を仏御らんじて
毒蛇有りとのたまふ。阿難是をさとりて大毒蛇也とうけがひ給ひぬ。或人是を見れば、蛇にあらず金有りければ悦びて是を取る。此事おほやけ聞召されければ、力なく参らする。猶も残りてぞ有らんとて責をかうぶる時にこそ、仏の毒蛇とのたまひしを思ひあはせたれ。金がほしくば後世を願ひ
【 NDLJP:351】給へ。
西方極楽へ
参り給はゞ、望みのまゝの金をえ、永くたのしむべし。小利大損なる事何ごとか是にしかん。故に歌人は、後の世の永き宝と成る物は仏にみがく金なりけりと、よみたりと申されければ、円心聞きておろかなる
御僧のけうげや、此
欲界へ生れたる
凡夫を欲心をはなれよとはひがこと也。三賢十聖の
菩薩さへもつて法欲いまだ尽きざる故、
妙覚の大智あらはれず。春日大明神の御たくせんに、他国よりわが国、他の人よりわが氏子と、神仏さへ欲心はかくの如し。如何にいはんや
薄智底下の人間をや。其上仏は衆生を一子と説き給へば、人間の苦をのがれたのしみを請ふ事は仏の大慈大悲也。然るを人間の福をもとむるを制する事は何の故ぞや。円心よりも浄土坊主こそ欲ふかき人達なれ。それいかにとなれば、十方仏土の中にも、金は西をつかさどると聞きて、四方極楽へ生れこがね仏とならばやと、かねを耳かしましう
叩いて、明暮願ひ給ふ。誠に是こそ
妄念くさき念仏、目にも見えぬ十万億土の願ひ、千中無一万不一生とは爰を善導もいへる成るべし。扨又阿弥陀は六十万億なゆだごふがしやゆじゆんの金色の如来にてましますと聞き、猶其上にもくうでんろうかくこがねを以てこんりふし、
七宝の植木庭の真砂地迄もこがねをしきもてあそび、阿弥陀こそ
縦欲にふけり給へり。かるが
故にといていはく、こがねは後世の
障り、いかなるか是
金色の
如来坊主。答へて、蛇は是鉄をきらふ但尾にけんあり。又問うて云く、夫は蛇身是は仏身。答へて、毒薬変じて薬と成ると申されければ、円心聞きてかうべを傾け、
御法門有難といふ。其時坊主又いはく、其方此年月金をほしと思ひつる
悪業はしゆみよりも高く、善心はみぢん
程のたくはへもせず。然りといへ共、一念善心をおこせば
無量のざいしやうもせうめつし、一度
菩提心をおこせば、三世の諸仏ずゐきし給ふといへば、
御教化いよ
〳〵有難しと、夫より円心
後世を願ひ出、
後生三
昧に身をなせり。物かならず先づ朽ちて後に虫生ずと、
東坡の云へるごとく、はじめは金ねがひの円心と云しが、今は
後世願ひの円心といはれ給ふの有難さよ。
大疑の下に必大悟有りと、
先哲の云置きしも思ひしられたり。扨又
縁なき衆生をば悪より善に引導せよと説けり。又
維摩経に、欲の
鉤をもて引きて仏道に入ると也。誠に悪に強き人は善にもつよしといへるは円心の事なるべしと、皆人
沙汰せり。
見しは今、あきつ洲国々の名所
旧跡其数をしらず多しといへ共、中にも
須磨、
明石、
難波、
住吉ちかの塩がま、松島、小じまの詠こそ猶も面白けれ。定家卿の歌に、春よいかに花鶯の山よりも霞ばかりのしほがまの浦と詠ぜり。又松島やをじまいかにと人とはば其まゝかたることのはもがなと、西行法師よめり。され共江戸海辺の眺望に是をくらぶれば、千分にして余は其一つにもあたはず。然ば江戸の堺地海上まん
〳〵として
碧浪天をひたせり。朝には漁舟けぶりを払つて出で、夕には満舟こゝろようして帰る。其外旅の
波路を分け出づる舟入る舟数をしらず。東坡が詩に、一葉万里の路たゞ一
帆の風にまかすといへるも面白し。へい
〳〵たる野のかたへに
蘆分小舟さをさして、尾花の波にうかぶこそ、
【 NDLJP:352】秋はえならぬ
詠なれ。武蔵野や草葉みながらおく露に末はるかなる月を見る哉と、千載集に見えたり。
玄仍、豊島の
海原見渡して、青海や
続く武蔵野春の草とせられたり。又
兼如江戸の川辺を見て、みるがうちに
蘆辺つのぐむ
干潟哉と云るも又をかし。此河の水上を尋ぬるに、
阿武隈川、おもひ河、
渡瀬川、きぬ川、とね河、此五つの大河
栗橋の上にて落合ひ、一つに成て武蔵と下総のさかひ
角田川をながれて、此江戸湊川へ落つ。のぼればくだる小舟の棹のいとまぞなかりける。扨御城は西にあたり、石垣おびたゞしく、御殿は南向に立給ふ。大木古木ならぶ木の間よりも、高やぐら角やぐらあらはれ、
殿主は雲ゐにそびえ松風はおのづから万歳をよばふかとあやしまる。又郭外には諸大名高広たる
屋形作りむねをならべ、町は軒をならべ
家居ゆたかに烟立ち、民のかまどはにぎはへり。見渡せる
旧跡には、浅草に観音、湯島に天神、神田に大明神、
貝塚に山王権現、桜田山に愛宕、何も
〳〵あらたにましませば、まうでの
袖、昼夜共に貴賤くんじゆをなせり。又
諸宗寺々の古跡には、
増上寺、
吉祥寺、
広徳寺、
弥勒寺、
東光院、
常楽寺、
本願寺、此外寺町と号し、寺院僧坊は東西南北に門をならべ、時々の
鐘鼓おこたらず。
見仏聞法袖を連ねくびすをついで人跡絶えず。是なんてう四百八十寺の
遠景にもすぐれ、大湖三万六千
頃にもこえたり。されば慶宗といふ旅人当所はじめて一見し、江戸の景風おのづから時をえたり。桜田清水又尤奇也。紅楓の山色、士峰の雪、春夏秋冬四つながら猶よろしと書きて、愚老に見せられたり。実に面白き客僧の言葉かな。清水が門に立て夏かと思へば、時しらぬふじの雪を見、桜田に有て
長閑き春かと思へば、紅葉山を詠め、四時かはらぬ眺望委細を是にしるさば、車にのすともあげてかぞふべからず。言語を絶するむさしの江戸の
境地を、心有る人に見せばやとぞ思ひ侍る。
聞きしは今、唐国にて鯨鯢と云魚は長さ数千里あり。波をたゝいて雷をなし、沫をはきて雨霧をなす。舟をものむと也。四足の魚と古記に見えたり。扨又日本に鯨と云魚有り。けい
〴〵のたぐひと知られたり。長さ三十ひろ五十ひろ有り。日本に是に過ぎたる
生類なし。愚老若き
比関東海にて鯨取る事なし。死したる鯨東海へ流れよるを、人集つて肉を切取り、皮をば煎じて油をとる事度々に及ぶ。然ば昔
貞応二年五月鎌倉近辺の浦々へ、名をも知ぬ大魚死て浪に浮び、
三浦崎、
六浦の海辺へ流れよる。鎌倉中にじうまんす。人こぞつて是を買取り、家々に是をせんじて油を取る。異香りよかうに満てり。士女是を
旱魃の
兆と云ふ。此魚の名知らず。
先規になし。是たゞ事ならずと文に記せり。貞応の比まで関東海に鯨有る事を人知らざる也。今は鯨江戸浦まで来て、うしほを空へ吹上ぐるを見れば、海上にやく
塩屋の烟かとうたがはる。是は息をする魚にて、海底に計は居られぬと知られたり。古歌に、うしほ吹く鯨の息と見ゆる哉沖に一村夕立の雲、是はつのゝ浦によめり。江戸浦にては、沖に幾村立雲とこそ詠じ侍らめ。鯨を
銛にてつくに鯨とるといふ。鰹は鉤にてつるなるを鰹とるといふ。是
海士等のそゞろごとゝ思ひしに、
八雲抄に鯨とる鰹とるとよめり。鯨大魚なれ共、伊勢尾張両国にてつく事有
【 NDLJP:353】り。是より東の国の
海士は、つく事を知らず。然に文禄の比ほひ、間瀬助兵衛と云ひて、尾州にて鯨つきの名人相模三浦へ来りたりしが、東海に鯨多有るを見て、願ふに幸哉ともり網を用意し、鯨をつくを見しに、鯨、子を深く思ふ魚也。故に親をばつかずして子をつきとめいかしおく。二つの親子をおのが腹の下にかくし、おのが身を水の上に浮べ、劔にて肉を切りさくをわきまへず親子共に殺さるゝ、哀なりける事共也。心有る人は二目共見ず。
殺生このむ人は慈悲の心なき故世のあはれをも知らず、罪のむくいをもわきまへざるのおろかさよ。そとの浜にうたふと云ふ鳥は、砂のなかに子をうみてかくす。
猟師母鳥のまねをしてうたふとよべば、子はやすかたと鳴きてはひ出づるをとる。其時母空にこなたかなたへつきあるき、鳴く涙血の雨とふりかゝり、身を損ざす。故に
蓑笠を著てとるとかや。古歌に、子を思ふ涙の雨の笠の上にかゝるも
侘しやすかたの鳥とよめり。かく子を悲む鳥類も有りけり。ただつれなきは猟師のこゝろなり。此助兵衛鯨つくを見しより、関東諸浦の海士迄もり網を仕度し、鯨をつく故に、一手に百二百づつ毎年つく。はや二十四五年
此方つきつくし、今は鯨も絶えはて、一年にやう
〳〵四つ五つつくと見えたり。今より後の世鯨たえ果てぬべし。かくのごときの
大殺生、
天竺諸越にも聞き及ばず。一寸の虫に五分の魂有りと俗にいへるなれば、五十ひろ百ひろ有る鯨の魂いかばかりならん。
梵網経に、われ一切万物に随つて生を請ずと云ふ事なし。故に六
道の
衆生は皆是わが父母也。然るを殺し食するは、父母を殺してくらふと説かれたり。一生の身をたすけんとて
多生の苦を思はず、ほしいまゝなる
生死妄業に着し、
流転のさかひをはなれざるは
愚痴の至也。故に非を知つてあらたむるを賢き人といへり。いきとしいける物、命を惜む事大山より重し。仏は十悪罪のはじめに、殺生を出せり。五戒も
殺生戒を第一とす。此殺生の
根源を尋ぬるに、慈悲心なく欲よりおこる。三
毒と云と、ふも
貪欲を第一とせり。鯨殺す人
生死の海にちんりんし、六
道四
生の
業をのがれがたしといへり。
見しは昔、江戸に大火事出来して、慶長六年
霜月二日の四
時也。駿河町かうのじやうと云ふ者の家より火を出し、
折節風に
飛火して、爰彼処よりやけ立つ。烟塵は目鼻口に入て前後をわきまへず。老人女人をさなき者は皆やけ死にたり。去程に
家蔵財宝焼捨皆人から手をふつて、わがつらも人のつらも灰に打よごれ、居所もなく立ち
煩ひ、袖寒くして余の物うさに、命さへあれば
海月も骨にあふとかや。わが恋は海の月をぞ待ちわぶる
海月も骨にあふ世有りやと、古歌を思出て慰み事のみ云ひたりし。能き事もあしき事も六十年には必廻りくると俗にいへば、若き人達は聞覚え置くべき事也といへば、老人云、建久二年辛亥三月三日鎌倉鶴岡の宮においてりんじの祭りおこなはる。頼朝公御社参に依て御
所中へ諸侍参集す。
江間殿越前守、伊豆守、小山左衛門尉、同七郎、三浦介、畠山次郎、和田左衛門尉、伊藤四郎、葛西兵衛尉
以下の
宿老共侍所に候ずる其中に、広田次郎
邦房と云者有。
傍輩共に語て云、明日鎌倉に大なる火災出来、
若宮幕府其外の諸家はとんど一字も其難
免かるべからずらいふ。是は大和守維
【 NDLJP:354】業が
息男也。各此由を聞きて沙汰し給ひけるは、其
家葉をつぎ
内典外典を学し、天下に其名有りと云共
天眼はえがたからんか、更に以て誠しからずと云て、是をおどろかず、却てわらふ人多し。然に明くれば四日丑の刻に至て、小町大路辺に火事出来
折節南風しきりに吹出で飛散し、江間殿、相模守、村上判官代、
比企左衛門尉殿、佐々木三郎昌寛、仁田四郎以下諸侍の屋形一宇も残らず、其よえん若宮の馬場本の
塔婆にうつり、此間に幕府も同じく失火す。若宮の神殿、
廻廊、経所、供僧、宿坊悉以て此災をのがれず。是によつて近国の御家人馳来て
群集す。二品若宮火災にたんそくし給ふ。二品寅の刻に藤九郎甘縄の宅に
入御し給ふ。炎上の事によつて也。およそ
邦房が言葉たなごころをさすがごとしと諸人申しあへり。若宮火災の事、幕下ことにたんそくし給ふ。鶴岡にまゐりわづかに礎石ををがみ御ていきふと云々。然に今江戸には名をうるはかせ多し。それ
陰陽頭は天地和合さうこくさうじやうようしよくをわが物にしる人也。此等の人に近付、常に聞置くべき事也と申されし。扨又江戸の火事其日の事なりしに、下総の国ぎやうとくと云在所有り。此所にて日中に空を見れば、黒烟の中より何共しらず長一丈余りなる生物一つ飛さがる。
行徳の者共肝をけしあらおそろしき物かなとて、家の内へにげ入りしに、海道へ落つるをみれば、七尺の屏風也。爰に善福斎と云江戸の人、此所に有合ひ、此屏風を見て云けるは、是は江戸とほり町に片倉新右衛門と云人の屏風也。絵にはかぶきをどりを書き慥に見しりたりと云ふ。行徳の者共聞きて、実に武蔵の江戸にあたり大火事見えたり。ほくそ飛びてこくうに散乱し、たゞくれなゐの大雪ふるがごとし。火の息はつよきものかな、七尺の六枚屏風はるかの国を隔て、飛事世にも
奇特有りと云。善福江戸へ帰り、屏風下総の行徳へ飛びたる事、
治定我見たりと人毎に語る。聞人まことしからずと云て笑ふ。善福腹をたて、七尺の屏風も火事にはなどか飛ざらんと云て、是をあらそふ。かたへなる人の云く、世に語りつたふる事誠はあいなきにや、おほくは皆きよごん也。され共
権者化人のたゞにあらざる物の伝記共不思議多かるべし。扨又下さまの人の物語は耳おどろく事のみあり。よき人はあやしき事をば語らず。故にまことしき虚言をば語るとも、いつはりがましき誠をば語りて益なしといさめられたり。此詞尤信用すべし。其後われ此びやうぶの事を行徳の里人に聞きつれば誠也と云。然どもきよごんがましき事なれば、当時善福人のあざけりとなる。是鏡なり。縦治定の事なりとも、せんなき事をば語りて益なかるべし。
見しは今、江戸とほり町或人のもとに思ふどち六人さしあつまり、世上の事身の上までも心に残さず語る処に、村岡茂兵衛と云人云けるは、世に貧程つらき物はなし。いかにと云に、去々年りやうがへ町の理助武左衛門両人へさる客の相伴に行きもてなしにあひたり。此両人
福祐たるにより、大きに書院を立てたゝみ屏風美々敷、庭に植木有つて深山を見るがごとし。扨美膳の次第料理のこる所なし。其上茶つぼの口をきり極上をたてられたり。世にあらば誰もかくこそあらまほしけれ。われ果報つたな
【 NDLJP:355】き故願ひてかひなし。然れども人のもてなしにあひて、それを報ぜざれば心にかゝる。愚不肖なれば、住居はわびても苦しからず。第一
椀折敷もたず
万足ざる事のみ多し。其上われ料理かたをしらず。去去年より心計にて打過る事無念口惜といふ。権左衛門といふ人聞て、三年心がかりのいたましさよ。ただ二人也、よび給へ。それがし
椀折敷をばかすべしと云ふ。又一人われ酒作り也。上々の□酒を三升徳利一つ合力すべしといふ。又一人われさかな町に有り。何時なりともあたらしき肴つかはすべしと云ふ。愚老聞て、此程
旦那坊主能茶一袋くれられたり、則其茶を持参すべしといへば、又一人料理をば某にまかせ給へ、縦何なしともしほらしく仕立出すべし。其上われ能きみそを持合せたり。古人云、味噌は百味のおや雑掌に尤第一なりと云々。およそみそといふ事を香といふ、仔細有り。源氏にいはく、香づくしにひぐらしといふ香の名有り。又
公卿殿上人はみそをひぐらしとのたまふ也。雑人中人のことばにみそを虫と云ふ。是はひぐらしといふ名をもて、香といひ虫といふ也。源氏の香づくしの中にひぐらしと云香は、匂ひもすぐれてしみ入りたる香也。物に移りて匂ひもふかし。其心を取てひぐらしと名付たり。日ぐらしは虫の名也。始は蝉也。きぬをぬいて後を日ぐらしといふ也。是によつて、蝉は夏の季也。
日晩は秋の
季也。去程に連歌に、蝉と日ぐらしは同じ物哉。故に折のうちをきらひ、
懐紙をかへて用る。竹林抄に、秋くるからに袖はぬれけりと云ふ前句に、日ぐらしのなけば
空蝉音をたえてと能阿法印付給ひぬ。
殆みそは一切の物に染て匂ひ吉く味ひよき故に香と名付たり。みそはやさしく、源氏物語にもしるされたり。我みそを持参すべしと云ふ。茂兵衛聞きて、あら嬉しや仕度せんと宿に帰り家を見れば、悲しき哉や、おのづから朽ち残りたる門柱わが家いかで立て直すべきと詠る古歌も、身の上と思ひ出で侍りぬ。草屋の片はしを四畳敷、よし垣にしつらひ、壁のくづれを所々ぬり直し、ほごにて腰ばりし、あたりのすゝを払ひ、
天井見苦しとてよしをあみて上をかくし、ぬれえん長さ一間横二尺、青竹にてすのこをかき、ちひさう庭を萩にて垣こめ、草花を植置き、秋の暮つ
方端居して月を詠れば、土かべのぬり残したる窓までももらさずやどる秋のよの月とよみし歌も、哀に思出けり。大かた座敷出来ぬと、両人へ三日以前に来明々十五日の晩御食申べしと、使札をつかはす。両人忝候来十五日の晩必参るべしと返札有り。茂兵衛よろこびこの催し昼夜心がくるに隙なかりけり。はや十五日にも成りければ、五人の友達衆約束たがはず皆みな来り集りて取持給へり。扨料理も出来日も八つ時分也。はや御出候へ、御時分よく候と人を遺す。理介返事に、昨晩も御念入られ御使今朝より御時分待ちかね申たり。只今参るといふ。茂兵衛聞きて理介殿御時分待兼候とは満足也。はや御出成るべし。やれ
〳〵とくしるなべかけよ、なますをあへよ、料理のかげんよかるべし。此理介殿をばりつぎの助とこそ申すべけれとほむる所に、使又云ふやう、武左衛門殿は今朝いづくへか御出で行先もしらず。定めて知人の所にて例の酒宴して酔にまどひ、夜に入帰り給ふべしと、内の者共申す由を云ふ。茂兵衛聞きて肝をけし、こはそも何事ぞ、夫は誠か、昨晩使の返事にも、必明晩参るべしと申つるが、但失
【 NDLJP:356】念したるか、扨もほれ者かな、うつけ者哉。此武左衛門は誠の
不届左衛門也。やれ不届が行衛を早々行きて尋ねよ
〳〵と腹立所へ、理介来りたり。茂兵衛弥心いられ、理介殿は御出也。不届左衛門が行衛をいそぎ行きて尋よ
〳〵と、重々使を立れ共
行方しらず、待つ所に、はや日は七つさがり也。不届左衛門来て云ふやう、今ばんの御食はたと失念し、神田町知人の所へ行きけるに、酒宴の場へふみかゝり、今朝より暮まで数盃たべよひ候へ共、参りたると云。茂兵衛気をそんざし、火をともし膳を出す。不届左衛門は膳に向ひはしを取りたるが柱に打かゝりいねぶり、片箸をばたゝみにおとし、片はしをば膳に散し、時々大いびきかき目をさましては、ひとりくり
言いふ。漸食過ぎ理介云けるは、
万御念入のこる処なき御もてなし故、御食よくたべたり。武左衛門殿は御酒気、御亭主は下戸にてましませば、大盃にて一盞にくださるべしと、汁椀にて一つのみ、はや湯を御出し候へといふ所に、不届左衛門目をさまし、食をばたべず共、酒においては理介におとるべからずと云もあへず打臥し、前後もわきまへず。友だち衆是を見て、茂兵衛殿
腹立理也。人をもてなさんには高きも賤きも心安からず。其上客おそく来る時は誰とても心いられ気をそんざす物也。前車のくつがへるは後車のいましめとかや。われ人わきまふべき事なりといへり。
見しは今、
雲蔵と云若き者、江戸町に有りけるが、神田町の
真行寺と云寺へ行き、住持に逢て云けるは、それがし親こんかきにて身上かたの
如く送りしが、三年
已前に死にわかれ、
家跡職請取りこんやを仕り候が、いやしき
職にて手にのり付、染物に身をよごし、冬は水づかひに手足ひえ、彼是いやなるわざにて心にそまず。させる得もなし。中々あそびたるがましなどと云うて月日を暮らし、今われまづしくなり、親ゆづりの家屋敷けんぞくをも皆売尽し、妻をもさり、たゞひとり身となり、一衣きたる計にてさむく候へば、
古紙衣を一つたまはつて風をふせぎ、御寺の
沙弥に成り候べしと云ふ。老そう聞きて思ひよらざる申事哉。悪弟をたくはふる者は師弟地ごくにだす。よき弟子を養ふ者は、師弟仏果に至る。
禍福は門なし、唯人の招所にあり。其上
紺搔はいやしきしよくにあらず、
目出度仔細あり。こんかきのおこりを語つて聞かせん。是は
奥州信夫といふより始る。彼しのぶと云所に、一人の
侍有り、都へのぼり
大宅の事につかふまつるに依て、いとまを得ず、年月を送る程に、古郷へ下る事かき絶えたり。彼が妻の女遠き都の住居を思ひやり、男を恋ひてひめもすと泣暮し、夜もすがら泣明す。其涙次第にこらへてくれなゐに成りてこぼれける。白き袷小袖にかゝりて
染色になる。又へいしゆのごとし。是を其国の人見移し、賢き者有りてすりと云事に成し、人多く着てんげり。次第にする程に、信夫ずりと云て都へ上る。是を御門へさゝげ奉る。みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくにとよめる歌是也。其後世の人かしこく成り、すりと云よりたよりて紺と云事になし、又紋と云物を
絞り出したり。前はあゐ計にて着る物染しが、後は
染殿というて紅なんどにて染る
【 NDLJP:357】也。あやおりと云ふ事又出来、いしやうの紋を織付たり。然に帝の御衣に
紋を織る仔細あり。正月より十二月に至て三十六重の御衣を織る、一月に三あてにくばつて三十六也。是を十日づつめす也。正月一日より十日迄
召るゝ御衣をば、
子の日の御衣とて小松を織り青色也。
中旬にめす御衣は、若菜の御衣とて
七草を織り、小袖むらさき也。
下旬には霞の衣とて
空色に織り白し。かくのごとく十二月を注るし織る也。扨又后の御衣のこと、月に一つづつ一年に都合十二重也。爰を以て十二
一重と申す也。惣じていしやうに紋を出す事、紺かき綾おり目出度ものなり。然処に、汝人間の一大事家職を
疎そかに思ふが故、今其姿に成り果てたり。けちえんに因果の
理を語りて聞かせん。夫三
世流転二十五
有の有様、山野のけだ物恒河のうろくづ、生としいける物はじめもなくをはりもなく、
生々世々車のめぐるが如く、六
趣四生を出やらず苦みをうくる処に、いかなる
宿善やもよほしけん、今、人と生る事
多生の善因深きに依て也。あふぎても猶余り有りぬべし。提謂経に、人間の
生を受くることたとへをとる時、天の間に針を立おき、天より糸をくだして、大風の吹く時彼針の耳の穴に、糸を入る事は有れども、
人身を受くる事猶かたしと説き給ふ処に、請けがたき人と生れ、まづしうしていけるかひなし。仏は人間を一子の如くあはれみかなしみ思召し、
現世無非楽後生善所とまもりたまへる所に、不如意すれば、仏の御恵みにもはづれたり。
妙楽大師人間に八ヶの大事をあげられたり。一日の大事は
食物、一年の大事は衣服、一
期の大事は
住所、男子の大事は
敵人、
女人の大事は
難産、百姓の大事は
地頭、財宝の大事は盗賊、後生の大事は地獄といへり。汝是ほど目出度住所に有りといへども、身のわきまへを
知ず、いたづらに数日を送る事いふに絶えたり。すべて身上の大事といふは家職なり。それ
座頭は平家を語つて世を送り、大夫は舞をまひてきやうがいをやしなひ、此ぼうずは経をよくよみ、此大寺の主たり。其方おやは家のわざをよくなしたる故富みたり。汝は家のしよくを忘るゝ故に其姿に成りたり。
今生まづしければ
後生又しか也。かるが故に、仏は未来の果をしらんとほつせば、現在の因を見よと説かれたり。むざんや汝生々世々くるしみを請くべしと仰せければ、雲蔵なく
〳〵門外へ
出こつじきして世を送る。左伝に其父薪をさく、其子おひになふ事あたはずといへり。是は子として父の跡をつぐ事あたはざる者をいふ也。此句をもつて父の跡師匠の跡をよく伝ふるを
負荷といへり。生れおとれる子はあはれなりといふ前句に、此世より後の世や猶うからましと
宗養付給ひぬ。皆人
雲蔵乞食を見て、これこそわれ人の子供の鏡なれと云うて、子供せつかんには雲蔵と異名をよぶ。扨又人の子の不届をみても雲蔵とあだなをよぶ。当世のはやりことばなり。是に依てかしこき子供は、雲蔵と名をよばれじとつゝしみをなすと見えたり。
見しは今、知人多し。此等の人江戸はんじやうの町に有て目出度
栄え、
死期に至て若き子供に
家屋敷財宝をさしそへゆづり卒去す。其子供家財を請取といへども、たゞいたづらに年月を送り、五年三年の
【 NDLJP:358】内に財宝皆々つかひつくし、あまつさへ借金有て、家屋敷を売りすてちくてんするも有り、或は人につかはれ、或は乞食するも有り。是如何なれば、今はくわれいの時代なれば世の風俗をことゝし、
分際に過ぎたる振舞なせるが故也。われ是を見て涙をながし、誰が身の向後もかくこそあらめ。論語にいはく之を愛し能く労する事なからんやと云々。これは孔子の語也。子をあいするともをしへよとの義なり。我も人も子をあはれむ計にてをしへもなく、おのが心にまかせそだつる故、仁義孝弟の道をもしらず。身の向後をもわきまへざる故也。右の金言を思ふにつけても、愚息一人有り。幼少なればいさむるとてもかひ有るまじとなげき思ふ余りに、言の葉を一首つらね、是かれと物によそへて百首よみぬ。是人の為にあらず、みづからが心をなぐさむる筆のすさみに書き加へ侍る。愚老卒して後、
若思ひ出でやせんとなり。
おさなきはたゞ何事もうちおきてよみ書のみの手習ひをせよ
わらはべのとはず語りに口きゝて戯れするはにくしうるさし
稚きがやうじつかはず爪きらず髪をもゆはぬさまはつたなし
稚きは立居あるきをしとやかに言葉すくなにやさしかれとよ
善悪のなにはのことも稚きはをしへを聞くぞかしこかりける
いやしきに伴ひぬればおのづから姿ことばもともにいやしし
主親へあふぎはなかみわたすともいだす法あり人にたづねよ
おろかなる身なりと思ひくたすなよ道を学ぶは根気にぞよる
かりそめもそらごとなせばくせとなり誠をいへど偽りになる
道しれるひとりの下でよくまなべ後は数多のかたをこゆべし
心えぬことをばはぢず人にとへしりたりとてもとふは礼なり
我ための一けいあらば心がけあまたの道をおもひばしすな
よき事を心にかけてくせにせよ後思はねどくせはわすれず
友人としたしみありてかたるとも心のおくはいひ残すべし
色かたち見て何かせんその人の言葉を聞きてよしあしをしれ
道をよくまなびいさめを聞くとても後思はねばきかず学ばず
いやしくも道有る人をあがむべし名高きとても無知は賤しし
国に入り門に入るにも礼義ありしらずば入にとひておこなへ
我身をばいやしみことを軽くせよ人をば重くあがむるぞよき
友人の誠有るにはしたひよれいつはりあらば遠ざかるべし
【 NDLJP:359】なす事のなくてあそびを好みなば後乞食のわざをなすべし
やみもせぬ前のりやうぢをゆだんすな油断の敵にかつ薬なし
ゑせ者に逢ふは其日のけがとしりことを咎ずそこを立ちのけ
かたき持曲れる人とたんりよなる人にはかりの道づれもすな
衣装をばよきを好まで見苦しくなくさへあらば大かたにせよ
耳に聞きまなこに見たる色声を腹にあぢはひむねにをさめよ
富るともおごりばしすな栄ゆるはおとろふる世の習ならずや
一日の身のいとなみを安からずおもはゞやすく年をへぬべし
なすわざはよきにもとづき世を送れ死るきは迄身を離れねば
宝をばふかくかくしてみするなよぬすみをするは眼なりけり
神仏ゐますがごとくをがみせば二世の願ひはむなしかるまじ
知るしらず人の憂ひを聞くならばともになげくぞ仁の道なり
人の上しりがほすれど身の程をしらぬ者こそ世にはおほけれ
身の程の振舞するぞ見てもよし過ぐれば人のそしりあるべし
破れをばすこしき時にこしらへよ打おきぬれば大ぞんとなる
ことわらん事をとゞけずうちおけばのち災の有るべしとしれ
人あまたまじはるならば何事も他に任するをよしとしるべし
誠しきうそは語ると見聞くともいつはりげなるまこと語るな
一言に心のうちのしらるればものいひいだすまへをつゝしめ
前の世の契あはれめ君と臣またのちの世もめぐりあはめや
ばくちうち喧嘩を好みきよごんいふ人をば隔て睦ぶべからず
よき友は智者いしや福者老者には近くよりそひ親しみをなせ
よきにつきあしきに付て親子をばおもひ他人は思はぬとしれ
世のなかの人を親子と思ふにぞにくしとひとりすつる者なし
養生をよくするたびにわすれずはわれとくすしで病有るまじ
よき事を内のものにはして見せよ上をまなぶは下のならひぞ
家主は朝とくおきて内そとを見めぐりてのち身のかまへせよ
日くれなば火の用心をいひつけよ下部の者のゆだんがちなる
物ごとに下女は当意をあがなひて後のわざはひ思はぬとしれ
老いたるを敬ひしもをあはれみてかりにも人に無礼ばしすな
【 NDLJP:360】我家へ人きたりなばこゝろよく言葉をかはしむつましくせよ
よき事もあしき事をもかゞみぞと人を見わけて我身をはしれ
わが妻をば常にいさめよともすればねたき心のねざし出るに
身におはぬ福は願ふとかひあらじ世は皆前のむくいとをしれ
いのるともいのらずとても直なる人をば神のまもるとぞきく
ひとりある女のきはと二人居て語るあたりへよらぬことなり
日々に我身の上をのみかへりみて人をおろかに思ひばしすな
しるをしり知らずはしらず有るやうに語る人にぞ睦び易けれ
我業をかろく思ひておこたらばおもきなげきに長く逢ふべし
よき事と思ひて人のなすげいをわがきらひとて誹りばしすな
大きなる事をなすには物ごとのすこしき事は打ちすてゝおけ
つゝしみもなくて言葉をもらす人のちの破をまねく成るべし
我人によくあたりなば人われに其ほどこしをせではおくまじ
世の人にわろくいはれずわれ一期よくさかゆるは孝の第一
一銭をかろく思はでたくはへよちりつもりては山とならずや
よそ事をわろく云ひなす其人は我身の上もいふとしるべし
ともかくも人の諫めを聞くぞよきはかりがたきはわが心なり
ことたらぬ身をななげきそ世に独思ふやうなる人しなければ
なすわざもわろくば品をかへてまし是をかしこき人といふ也
物しらぬ人こそ世には多からめ笑ふはおのれしらぬなりけり
たかからぬ位なげきそわが智恵のひろからざるを深く悲しめ
古郷もあしくばよそへとくかへよ一期のだいじ住処なり
よしあしの人の心は物いはず目に見ぬとても友にしらるゝ
家作りつかひ道具も身のほどにしおきたるこそ心にくけれ
なすわざのいとまのあらば願はくは和歌を学びて心なぐさめ
ふうふ中よきは他人も見て床しへだての有るは聞もいたまし
垣に耳空に眼のありとかやかくすことをばふかくつゝしめ
堪忍の一つによりてさし出づる百のいかりはしづまりぬべし
世のなかに鬼神よりもおそるべき物は道理をしらぬ人なり
物毎に仁義作法の有るなればしらずば人のまじはりなせそ
【 NDLJP:361】善事を人にほどこし身にうくることをじするを義の道としれ
まづしきは願ひすくなし富みぬれば望み多くて身をぞ苦しむ
ひとりして美食このむはつたなしやあまた伴ひ味ひをなせ
かほもちを常によくせよあしければ海道にても人の目にたつ
老いたるを笑ひばしすな年よればかつは好味の有る物ぞかし
上を見て世をなうらみそわれよりも下をあいして心なぐさめ
宵にねてとらにおくれば一日の身のさいはひは多く有るべし
辻路次で人にあふとも見のがさず礼義をなして行き別るべし
我為になす善根はつみと成り他にほどこすは大くどくなり
よき人の中にまじはれためざるにまがる心もすなほ成るべし
思はずもけふ幸に逢ふならばるすわざはひの有るべしとしれ
何事もそのと計にこゝろえず一つによりて百をしるべし
人の物ほしくおもはゞ我物を人ほしがるを思ひあはせよ
養生をつねにこゝろを安くせよよはひのぶるにます薬なし
香花を親に手向はいけるごとつかふまつりてかう〳〵をせよ
げいのうは有りとなし共人はたゞ心ひとつをよくをさむべし
生は死と兼てさとればにはかなる期にいたりても驚きはなし
いたづらに明し暮さじ月花に心をよせて世のあはれしれ
後の世にぢごくの有りと聞なればいけるあひだに用心をせよ
何事も上をおそれて大切に身をつゝしみて一期さかえよ