シリヤの聖イサアク全書/第二説教

第2説教

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くるもの感謝かんしゃあたふるものをしてさきけたるよりもおほくのたまものあたへしむ。すくなものため感謝かんしゃせざるものおほものおいてもいつわりなり、不真実ふしんじつなり。

んで、そのやまいものかなら療法りょうほうたづねん。おのれやまいぐるもの治療ぢりょうちかづきてその療法りょうほうたやす発見はっけんせん。こころかたくななるによりてかれやまい増加ぞうかす、もし病者びょうしゃ反対はんたいするならば、その苦痛くつう益々大ますますだいならん。いざるつみほかゆるべからざるつみなし。しかしてたまものはただこれため感謝かんしゃすることなきときほか加増かぞうなくしておわらざるなり。愚鈍ぐどんなるものくる部分ぶぶんはその眼中がんちゅうしょうなり。

徳行とくこうおいなんぢより優越ゆうえつなるものつね記憶きおくそんしてわすれざるべし。かれ尺度しゃくどたいしておのれらざるを不断ふだんんがためなり。うれふるもの軽蔑けいべつせられたるもの最苦いとくるしき憂愁ゆうしゅうつねこころそんすべし、なんぢみづかところ微小びしょうにしてろんずるにらざる憂愁ゆうしゅうためにも当然とうぜん感謝かんしゃよろこんでこれ忍耐にんたいするをんがためなり。

打撃だげき衰弱すいじゃく怠慢たいまんときあたり、てきためくるしき疲労ひろうつみおもきとに拘繋抑留こうけいよくりゅうせらるゝもの以前いぜん勉励べんれいときをそのこころおもうかぶべし。なんぢすべしょうなることをさへ如何いかおもんばかりしか、如何いかなる苦行くぎょうをあらはしたりしか、なんぢ進行しんこうさまたげんとほつしたるもの如何いかなる熱心ねっしんもつ抵抗ていこうしたりしか。しかのみならず、なんぢ怠慢たいまんにより、なんぢあらはれたる瑕瑾かきんためなんぢ如何いかなる痛心嘆息つうしんたんそくをなしたりしか、のすべてのさいなんぢ如何いかなる勝利しょうりかんをうけたりしかと、これおもし。けだしすべてかくのごと想出そうしゅつによりなんぢ霊魂れいこん喚起かんきせらるゝは深処ふかみよりするごとくなるべく、ゆるがごとくなる熱心ねっしんるは死者ししゃほうむられたるより復活ふっかつして起上おきあがごとくなるべくして、魔鬼まきつみとに熱心抵抗ねっしんていこうするをもつてその元始げんし秩序ちつじょ立帰たちかえらん。

有力者ゆうりょくしゃおちいりしを記憶きおくして、おのれ善行ぜんこう謙遜けんそんせよ。昔陥むかしおちいりて悔改かいかいしたるものおも墜堕ついだ想起そうきせよ、しかしてこれおなじかれがそののちたまはりたるたかきと尊敬そんけいとを想起そうきせよ、さらばおのれ悔改かいかい勇敢ゆうかんならん。

みづからおのれめよ、さらばなんぢてきなんぢちかづくにより逐払おいはらはれん。みづからおのれせよ、さらばてんなんぢせん。おの内部ないぶしつらんことをつとめよ、さらばてんしつなんとなればかれこれとは同一どういつにしてひとつりつつふたつながらるべければなり。くに階梯かいていなんぢ内部ないぶなんぢ霊中れいちゅう秘蔵ひぞうせらる、つみはなれて自己じこ沈没ちんぼつせよ、しからば彼処かしこのぼるべきみち発見はっけんし、これによりてのぼるをん。

聖書せいしょ来世らいせい如何いかなるもののあるをわれらに説示ときしめさず。しかれども天然てんねん変化至へんかいたりて此世界このせかいよりづるにさきだち、未来みらいたのしみの如何いかなるを此処ここおい感知かんちべきことを便宜べんぎわれおしふるなり。さりながらたとわれ喚起かんきして未来みらい幸福こうふくねがはしめんがために、われしたはしくして且光栄かつこうえいなる愉快ゆかいにして且貴重かつきちょうなるものもつこれ描写びょうしゃすといへども、『いま耳未みみいまかず』云々うんぬんコリンフ前二の九〕とへばこれにより未来みらい幸福こうふくはかべからずして、此処ここ幸福こうふくとはなんおなじきこともあらざるをわれらしむるなり。

心神しんしんたのしみくるもの霊性れいせいほか独立どくりつして存在そんざいするなんものをも利用りようすることあらず。しかれどもべつに『天国てんごくなんぢうちにあり』〔ルカ十七の二十一〕とひ、またなんぢくにきたれ』〔マトフェイ六の十〕といへば、すでわれおのれ内部ないぶ感覚かんかくぞくする実体じったいかんじ、此中このうちこもところたのしみを聘質へいちとしてけたるをしめすなり。けだしたるそのものはかなら聘質へいちおなじきものなるべく、まったきものは部分ぶぶんがっしたるものならざるべからず。ゆえに『かがみりてるがごとし』〔コリンフ前十三の十二〕といふは、独立的にそんするものしめさずといへども、おなじきものをけたるを意味いみするなり。しかして感知かんち聖神せいしん智慧ちえある作用さようなりといへる聖書せいしょ解釈かいしゃくしゃ証明しょうめいは、もししんならば、此感知このかんち亦既またすでまったきものの部分ぶぶんなるなり。

たたかつぜんもの道徳どうとくあいするものにあらず、これしたがつてしょうずる不幸ふこうよろこんでくるもの道徳どうとくあいするものなり。ひと道徳どうとくため患難かんなん忍耐にんたいするはおおいなる行為こういにあらず。五官ごかん誘惑的ゆうわくてき肉痒にくようときあたり、善意ぜんい選択せんたくすがためまどはざるは、おほいなる行為こういなり。

すべて後悔こうかい自由じゆううばはるればよろこびをもしょうぜず、又此またこれししもの恩賞おんしょうたいする権利けんりをもあたへざるなり。

もしなんぢがいなくんばおちいもの庇護ひごすべし、しからばかれにも善心ぜんしんふべく、なんぢ主宰しゅさいあわれみはなんぢをもたすけん。劣弱れつじゃくなるもの傷心しょうしんするものとはことばもつこれかたむべく、なんぢとどだけすべての方法ほうほうもつかためよ、しからば全宰ぜんさいなるみぎなんぢかためん。祈祷きとうろうもっても中心ちゅうしん愛情あいじょうもつても傷心しょうしんするもの親與しんよせよ、しからばなんぢねがいためあわれみのいづみひらかれん。

感動かんどうたさるゝきよ思念しねんこころゆうするかみまえ祈祷きとうもつつねおのれつからすべし、しからばかみなんぢ不潔ふけつ汚穢おかいなる思念しねんよりまもり、かみみちなんぢによりてはづかしめられざるべし。

かみしょみ、その確実かくじつなる理解りかいもつつね黙想もくそう練習れんしゅうせよ、なんぢかんなるにじょうじて、なんぢ視覚しかくいまらざる放蕩ほうとう汚穢おかいもつけがされざらんためなり。

たれざるべしとおもときにも、あるい放蕩ほうとうなる思念しねんもつても、あるいなんぢ誘惑ゆうわくるゝ容顔ようがんるをもつてもおのれこころみるを決行けっこうするなかれ、なんとなれば賢者けんしゃかくごとくしてくらまされ驕傲きょうごうおちいりたればなり。その肉体にくたいつようれいなくして火焔かえんをそのふところかくすなかれ。

青年せいねんにはまなばずして聖物せいぶつ軛下やくかみづからとうすることかたし。昏昧こんまいはじめは、(その徴候ちょうこう心中しんちゅうはじめあらはるゝときかみつとめにおこたると、祈祷きとう怠慢たいまんなるとにおい発見はっけんせらるべし。けだし霊魂れいこんこれよりはなれずば、心霊上しんれいじょう誘惑ゆうわくるべきみちなければなり。しかして霊魂れいこんかみたすけうばはるゝならば、そのてきたやすおちいらん。且霊魂かつれいこん道徳どうとくおこない等閑視とうかんしするものとなるや、かならこれ反対はんたいなるものにいざなはれん。けだし如何いかなる方面ほうめんなりとも、これよりてんずるは、最早反対もはやはんたいなる方面ほうめんはじめなり。道徳どうとくのため、およ霊魂れいこんためところあらば、無益むえきこと掛念けねんするなかれ。おのれよわきを不断ふだんかみ打明うちあかすべし。しからば保護ほごなくしてひとるも、ためいざなはれざるべし。

十字架的実験じゅうじかてきじっけん二様にようあり。せい二様にようなるによりかれ二部にぶわかたるゝなり。そのいつ霊魂れいこん刺激的部分しげきてきぶぶんはたらきによりおこさるゝ肉体にくたいうれい忍耐にんたいするにありて、所謂いはゆる実験じっけんなり。これはんして才智さいち鋭敏えいびんなる活動かつどう神聖しんせいなる黙想もくそうとにあり、おなじまた祈祷きとうもっぱらにするとうにありてかれ霊魂れいこん願望的部分がんぼうてきぶぶんおこなはれ直覚ちょくかくづけらるゝなり。しかして一者いっしゃすなはち実験じっけんなるものは熱心ねっしんちからによりて霊魂れいこんよくぞくする部分ぶぶんきよむべく、次者じしゃ真実しんじつなるあいはたらきにしてすなわ霊魂れいこん聡明そうめいなる部分ぶぶん光照こうしょうする天然てんねん願望がんぼうなり。すべ第一だいいち部分ぶぶんおい完全かんぜん学習がくしゅうすにさきだち、第二だいに部分ぶぶんうつり、そのこころうばはるゝひとのことは、最早もはやその怠慢たいまんはざるべきも『肢体したい』〔コロサイ三の五〕をころさざるがために、いかりかれおよばん、すなはち十字架的じゅうじかてき汚辱おじょく行為こうい忍耐練習にんたいれんしゅうするをもつ意思いしよわきをいやさず、かえっ十字架的じゅうじかてき光栄こうえいのことをそのこころ妄想もうそうするをあえてしたるがためいかりおよばん。古聖こせいのいはゆるその官能かんのうよわきをいやして、静黙せいもくたっするにさきだち、十字架じゅうじかあがるをくわだつるならば、かみいかりおよばんといふは、亦此またこのしめす。いかりまねくべき十字架じゅうじかあがるのこと憂愁ゆうしゅう忍耐にんたいする、すなはち肉体にくたいくぎする第一だいいち部分ぶぶんにあるにはあらずして、ひと直覚ちょくかくらんとするときにあり、されどこは霊魂れいこんいやしたるのちしたがふべき第二だいに部分ぶぶんあり。づべきよくためけがされたるもの虚妄きょもうねんもつたさんといそものとは、憂愁ゆうしゅうもつこころきよめず、肉体にくたい願望がんぼうせいせずして、みみくものと墨汁ぼくじゅうにてしょしたるものとに依頼いらいし、みづからくらまして、暗黒あんこくたさるゝみちかんと驀進ばくしんするがためにそのくちふさがれん。けだし視覚しかく健全けんぜんなるものは、ひかりたされ、恩寵おんちょう嚮導きょうどうおのれにるとも、日夜にちや戦々兢々せんせんきょうきょうとしてそのなみだたさるゝなり、しかしてかれみちようするはなはおそるべきものとその遭遇そうぐうするおそるべき懸崖けんがいと、あざむかれやす幻像げんしょう相混あいこんじてあらはるゝ真理しんり仮装かそうゆえかれ祈祷きとう涕泣ていきゅうとにおいてそのつとめ終日続行しゅうじつぞっこういたらんとす。

或人あるひとふ『かみよりするものは自然しぜんきたる、しかれども、なんぢ感知かんちせざるなり』と。真実しんじつなり、しかれどもただねがはくは場所ばしょ浄潔じょうけつにして、けがさるゝからんことを。もしなんぢこころ眸子ひとみ不潔ふけつならば、太陽たいよう球体きゅうたいあえちゅうするなかれ、おそらくはなんぢしょうなる光線こうせんをもうしなひ、すなはち一片いっぺん信仰しんこう謙遜けんそんこころ信認しんにんなんぢちからじゅんするしょうなる行為こういをもうしなひて、霊物れいぶつ唯一ゆいいつ範囲はんいとうぜられん、すなはちかみほかにありて外域がいいき幽暗ゆうあんしょうする地獄ぢごくおなじきところとうぜらるゝこと、不潔ふけつころもふくして婚姻こんいんきたるをぢざりしものとうぜられしごとくなるをまぬかれざらん。

おもい浄潔じょうけつ労苦ろうくおのれまもるとよりながづべく、思慮しりょあることのひかりおもい浄潔じょうけつよりながでん。これにより才智さいち恩寵おんちょうりみちびかれて、五感ごかんけんゆうせざるものとおしへざるものとまなばざるものとにいたらん。

道徳どうとくすなはちたいにして直覚ちょくかくすなはれいなるをおもふべし、しかしてかれこれとは、五感ごかんぞくすると霊智れいちぞくするふたつ部分ぶぶんよりして、精神せいしんもつ合成ごうせいせらるゝいつ完全かんぜんなるひとす。肉体にくたいとその部分ぶぶん完全かんぜん形作かたちづくらるゝなくんば、霊魂れいこん存在そんざいけてしょうずるあたはざるべし、かくごと霊魂れいこんため第二だいに直覚ちょくかくたつするすなはち黙示もくし精神せいしんたつし、霊的れいてき種子しゅし実質じっしつおのれにくる子宮しきゅうおい形成けいせいせらるべき直覚ちょくかくたつするのことも、道徳どうとく行為こういすなくしてはあたはざるべし、しかしてすなはち天啓てんけいおのれにくるちから認識にんしきするものところなり。

直覚ちょくかくものとその原因げんいんとにかくるゝ神聖しんせいなる奥秘おうひ感知かんちするこれなり。とほざかるとつると、にあるすべてのものよりきよまるのことときは、づ「」といふ名称めいしょう如何いかなる意味いみなると如何いかなる区別くべつにより此名このなるとを理解りかい且認識かつにんしきするに通俗つうぞく意味いみもつてせず、純理じゅんり見解けんかいもつてせんことなんぢ要用ようようなり、しからばなんぢ自己じこ霊魂れいこんいくばくとほざかるとよりこれなにこんぜらるゝとを認識にんしきするをん。「」といふことばわれ計算けいさんする諸慾しょよくみづから包括ほうかつする集合しゅうごう名辞めいじなり。もしひと如何いかなるを覚知かくちせずんば、なん肢体したいもつとほざかり、なん肢体したいもつむすばるゝを認識にんしきするまでいたたっせざるべし、二三にさん肢体したいもつよりだっし、これもつまじはるをけ、ひそかおのれもつてその生活せいかつとほざかれりとおもものおほし、けだしかれはただ部分ぶぶんにてためしたれど、肢体したいもつてはくるを理会りかいせず、睿智えいちもつさとらざるなり。しかしてかれみづからおのれよくをも自覚じかくするあたはずして、すでこれ自覚じかくせざれば、これりょうすることにもいたさざるなり。

理論的りろんてき推究すいきゅうによればとはわかところ諸慾しょよくみづから包括ほうかつする集合しゅうごう名辞めいじ組成そせいをもづく。さればよく総括そうかつしてこれくださんとほつするときは、これといへども、その区別くべつによりこれわかたんとほつするときは、これよくづくるなり。よく連綿れんめんとして継々承々けいけいしょうしょうするながれの部分ぶぶんなり、ゆえによく廃絶はいぜつするところおいてははその連綿れんめんたる継承けいしょうとどめん。よくとはごとし、とみためおよ物体ぶったいあつむるがため熱中ねっちゅうするなり、肉体上にくたいじょう快楽かいらくなり、結婚けっこん熱情ねつじょうこれよりしょう尊貴そんきねがいなり、嫉妬しっとこれよりながる、首領しゅりょうとなりてれいせんとのねがいなり、権勢けんせいたかきに傲然ごうぜんとしてほこるなり、修飾しゅうしょくしてよろこばせんとのねがいなり、人間にんげん名誉めいよもとむるなり、うらみ原因げんいんなり、肉体にくたいためおそるゝこころなり。これよくのそのながれとどむるところおいては、すべく、これよく部分ぶぶん彼処かしこ不足ふそくするほどは、それにしたがひて、はその組織そしきのその部分ぶぶんおいては活動かつどうせずして休止きゅうしするなり、聖者せいしゃのことについ或人あるひとひしごとし、いはかれ生存せいぞんしつつせり、なんとなればにくおいくれども、にくしたがはずしてくればなりと。ゆえになんぢこれうちなん部分ぶぶんもつくるをよ、そのときなん部分ぶぶんもつきてなん部分ぶぶんもつせるをなんぢ認識にんしきせん。如何いかなるものたるを確知かくちするときはのすべての区別くべつによりなにもつむすばれ、なにもつよりだっするを確知かくちせん。りゃくしてこれへばとは肉体的にくたいてき生涯しょうがい肉体にくたい念慮ねんりょをいふ。ひとおのれこれよりうばることにひとよりでたることは認識にんしきせらるゝなり。さればよりとほざかることもふたつ徴候ちょうこうにより認識にんしきせらるべし、すなはち超絶ちょうぜつなる生涯しょうがいおよびその智見ちけん卓越たくえつなるにり、認識にんしきせらるゝなり。これよりしてつい庶物しょぶつたいする概念がいねんなんぢおもいしょうじて、その概念がいねんによりおもい庶物しょぶつうえひるがえらん。さればせいおのれひずして願欲がんよくするものはなになるか、なんぢにあるところ萌芽ほうがほろぼさるゝあたはざるものなるか、あるいはただ偶然ぐうぜんしょうずるものなるか。まった無形体むけいたいなるものを理解りかい認識にんしきするに到達とうたつしたるか、あるいまった有形物体ゆうけいぶったいなるものにうごかされて物体ぶったいなるものは嗜慾的しよくてきなるか。これ相準あいじゅんじてなんぢはその生涯しょうがい尺度しゃくどん。けだしすべておこなところのものに自然しぜんにあらはるゝ行為こうい具体化ぐたいかしたる印象いんしょうこれすなはち道徳どうとくなる。ぜんなる目的もくてきとももつろうせんとする思念しねん熱切ねっせつ集中しゅうちゅうは、もし嗜慾的しよくてきにあらずんば、熱切ねっせつ練習れんしゅうするがために、原因げんいんみづからこれ印象いんしょうより健然けんぜんきたるべくして、これ思念しねんひそかなる印象いんしょう相会あいかいしつつ、かみおけ最良さいりょうなる熱心ねっしんため無益むえきなる記憶きおくつね割断かつだんせらるゝによりよわるなるやいなやをさつすべし。

此章このしょうおいしめしたるこれ僅少きんしょうなる徴候ちょうこうは、もしひと黙想もくそうもっぱらにして遁世生活とんせいせいかつすときはひと光照こうしょうするがため充分じゅうぶんにして、こはおほくのしょふるをん。肉体にくたいためおそれは人々ひとびとおい有力ゆうりょくにして、これにより人々ひとびと名誉めいよなることまた尊敬そんけいすべきことをもすにへざるものとなりおわること屡々しばしばこれあり。しかれども肉体にくたいためおそれに霊魂れいこんためおそれがのぞむときは、肉体上にくたいじょうおそれは心霊上しんれいじょうおそれにたいして無力むりょくなること、あたかろうこれちからおけごとくなるべし。われかみ光栄こうえい世々よよに。「アミン」