聖詠講話上編/第四十五聖詠講話

第四十五聖詠講話 編集

コレイしょうた
かみわれ避所かくれがなり、能力ちからなり、患難かんなんときにはすみやかなる佑助たすけなり。ゆえうごき、やまうみこころうつるとも、われおそれざらん〔一節至三節〕。

。 言者げんしゃかれ特有とくゆうなる智慧ちえをもて、ここ世事せじより聴衆ちょうしゅうけしめて高尚こうしょうなるぼうみちびくなり。かれいへらく、武器ぶき城壁じょうへき壘柵るいさくざい戦術せんじゅつ巧妙こうみょううまおほきこと、ゆみ甲冑かっちゅう戦友せんゆうむれ分遣隊ぶんけんたい体力たいりょくぐん老練ろうれんわれしめなかれ、これのことはみな蛛網くものすおよ蔭影かげよりも薄弱はくじゃくなるにると。なんぢたれぬ能力ちからかはらざる避難所かくれがたれざるしろ堅牢けんろうなる墻壁しょうへきんとほつせば、かみはしりてかれ能力ちからたのめ。言者げんしゃ吾人われらときとしては遁走にげはしりて征服せいふくされしことをあらはし、またときとしてはかみきょうなること、吾人われら扞禦ふせぎまもることとをしめしてかみわれ避所かくれがなり、能力ちからなり』へるやし。じつ自他じたともこれさんことをようす、すなはときとしてはちかづくべく、またときとしてはとほざかるべきなり。ればパウェルしんことば反抗はんこうするものたいしては、ときとしてはとほざかり、またときとしてはこれたいしててり。ハリストスまたおこなひて吾人われらをしへたり。吾人われらおこなはざるべからず、すなはときじょう注意ちゅうい観察かんさつしてがんせざるべからず、福音ふくいんへるがごとく、誘惑ゆうわくおちいらざるがためまた誘惑ゆうわく吾人われらおよびたるときは、小胆しょうたんならず、凛然りんぜんとしてたんためなり。患難かんなんときにはすみやかなる佑助たすけなり』われ屡々しばしばまえべたるがごとく、いままたはん、なんとなればかみ患難かんなん吾人われらおよぶことをさまたげざるも、その患難かんなんいたときは、くしてえき経験けいけんとを吾人われらしめつゝ吾人われらたすくればなり。じつかみたすくるはかろうじてにあらず、おの豊富ゆたかなる佑助たすけもつ患難かんなんうちおほいなる慰藉いしゃあたふるなり。かみ吾人われら患難かんなん性質せいしつによりてようするがごと佑助たすけにはあらで、すなは患難かんなんよりもはるかにおほいなる佑助たすけあたふ。ゆえうごくとも、われおそれざらん』なんぢかみ如何いかおほいなる佑助たすけあたへ、また如何いか豊富ゆたかあたふるをるか。かれは、吾人われら征服せいふくせられざらん、たふれざらんとはざりき、すなはそうじて、人生じんせいゆうなることをもけざるをあらはしつゝおそれざらん』へり。何故なにゆえなるか。かみ佑助たすけりょうなるにる。ここ言者げんしゃといひ、やまといひ、またうみこころふは、然物ぜんぶつすにあらず、これ名称めいしょうもとふべからざるけん意味いみするなり。こころは、たと吾人われら万物ばんぶつもつかいするところのものとるとも、へられざる混乱こんらんるとも、いまかつらざりしこと遭遇そうぐうすとも、はば、万有ばんゆうたがい相反あひそむくとも、やまうつるとも、万物ばんぶつその根底こんていおいうごきて混乱こんらんすとも、如何いかほどおほいなる混乱こんらんしょうずとも、かかときおいても吾人われらうちかたれざるのみならず、すなはおそれざらん』しかしてこの万有ばんゆう主宰しゅさい吾人われらたすけ、べてたすくることは、吾人われらおそれざる原因げんいんたるなり。吾人われらかかあいおいおそれずして大胆だいたんなるときは、てき吾人われら攻撃こうげきするありとも、反対者はんたいしゃ吾人われらたいして武器ぶきそなふるともごうおそれざらん。其水そのみづさかまくべし、其濤そのなみたつにりてやまふるふべし』〔四節〕。言者げんしゃ万物ばんぶつ混乱こんらんすとも吾人われらおそれざらんとひて、つぎかみ能力ちからきて、その能力ちからかたれずとふ。ゆえかれおそれざらん』へるやただし、しかしてつねにありしがごとく、いまあるい萬有ばんゆうおいて、あるい人々ひとびとあいだしょうずるけんおいかみ能力のうりょくしめすなり。このことば意味いみごとし、すなはかみおのれ能力のうりょくによりて万物ばんぶつ揺㨔ふるい震動うごかし、これ変易へんえきす、かみためにはばんこころままにしてようなり。われ言者げんしゃここ諸敵しょてきうちにてもっと巧妙たくみなるいさましき人々ひとびとむれすうなるおほくの反対者はんたいしゃかいすとおもふなり。しかれどもかれいへらく、かみ能力ちからそのいつ手号しゅごうによりばん成全せいぜんせらるるがごときものなりと。吾人われらかか主宰しゅさいちながら如何いかにしておそるるか。かわながれかみまちじょうしゃせいなる住所すまひたのしましむ』〔五節〕。かみ其中そのうちり、うごかざらん、かみ早朝そうちょうよりこれたすけん』〔六節〕。言者げんしゃかみ全能ぜんのうおよ能力のうりょくきて、かみためにはばんようなることをべ、簡短かんたんなることばもつイウデヤじんあらはされたるじんえがきつゝ、かみイウデヤじん照管しょうかんすることにうつれり。くのごとつよく、くのごと全能ぜんのうに、くのごとおそるべきところもの万有ばんゆう維持いぢし、これぜんし、万物ばんぶつ揺㨔ふるい震動うごかし、萬物ばんぶつ転覆てんぷくし、これ変改へんかいするところかれは、すうぜんもつ吾人われら市邑まち充満じゅうまんせり。かわここ高尚こうしょうなるぜんほう潤沢じゅんたくにして、滔々とうとうながれづることを意味いみす。言者げんしゃあたかごとふがごとし、みづ源泉げんせんよりながれづるがごとく、すべての幸福こうふく吾人われらそそがるるなりと。かわおほくのりゅうわかれてその流域りゅういき湿潤うるほすがごとく、かみ照管しょうかんまたゆたかに流出りゅうしゅつしてばん進達しんたつし、これ充満じゅうまんしつゝ諸方しょほうより吾人われら潤沢うるほすなり。かみ照管しょうかん吾人われら安全あんぜんおよたれざる佑助たすけあたふるのみならず、心霊しんれいじょうよろこびをもしむ。これりて言者げんしゃじょうしゃせいなる住所すまひたのしましむ』ふ。しかしてこのしょおのれ住所ぢゅうしょづくるところそのじんまた少々しょうしょうたらざるなり。


。 かれじょうしゃへるやむなしからず。如何いかなるしょにても包容ほうようすることあたはず、ふべからざるほどたかものは、吾人われら市邑まちおのれ住居すまひづけ、諸方しょほうよりこれしゅす。其中そのうちにあり』てふことば意味いみは、かれしょおいても『よ、われなんぢり』〔マトフェイ福音二十八の二十〕とへると同一どういつなり。かみ諸方しょほうより市邑まち包容ほうようするがゆえに、市邑まちごう患難かんなんけざるのみならず、またごううごかざらん』しかして市邑まちつねもっとすみやかなる佑助たすけくることは、そのうごかざるの原因げんいんたり、すなはこの早朝そうちょうなることばは、ゆうせざる佑助たすけすなはつねじゅんしたるときおよ適当てきとうなるときおいすみやかたすくるところ佑助たすけ意味いみするなり。諸民しょみんさわぎ』訳者やくしゃ諸民しょみんあつまれり』〔アキラ〕となす。諸国しょこくうごけり、じょうしゃひとたびおのれこえいだせばけたり』〔七節〕。ここ言者げんしゃかみ佑助たすけ能力ちからとをえがけり。こころは、さいなるけんにあらず、すなはおうおよ諸民しょみん諸方しょほうより攻撃こうげきして、吾人われらいつ包囲かこみたるときかれただかれよりごう患難かんなんけざるのみならず、攻撃者こうげきしゃちてこれらせりとなり。諸国しょこくうごけり、じょうしゃひとたびおのれこえいだせば』てふ表言いひあらはしは、あたかただ一聲ひとこえをもてしょ征服せいふくしたるがごときを意味いみするなり。この表言いひあらはし感覚的かんかくてきなり、じんてきなり、かみこえさけびとをもってのみならず、いつ手号しゅごうおよどうをもてうちつことをれども、ここ聴衆ちょうしゅう感覚的かんかくてき見解けんかいじょうたかめんことをのぞみつゝ、以前まえ表言いひあらはしよりも高尚こうしょうなる表言いひあらはしもちひしなり。かれかみつねそうさるるもの想像そうぞうし、およこれのことがぐうてきに、体的たいてきに、およ吾人われら適合てきごうしたる意味いみおいべられしことをしめさんとほつしつゝ――なんぢれるがごとく、かみかか何事なにごとにも必要ひつようゆうせざるなり――かれいまただ市邑まち諸民しょみんおよび住所すまひのみならず、かみその実質じっしつをもうごかすことを表言いひあらはしつゝ。ひとたびおのれこえいだせばけたり』附加つけくはへぬ。れど聖書せいしょ数々しばしば人々ひとびとをもづく、例令たとへば『ぜんひとつ言語ことばのみなりき』〔創世記十一の一〕とあるがごとこれなり。萬軍ばんぐんしゅわれともにす、イアコフかみわれまもものなり』〔八節〕。エウレイ(ヘブライ)おいては万軍ばんぐんかはりに『サワオフ』とあり。よ、如何いか言者げんしゃおのれことばを、よりてんに、てん使すう集会しゅうかいてん使ちょう集合しゅうごうすなはこう万軍ばんぐんくるかを。かれいへらく、軍隊ぐんたい諸敵しょてき征服せいふくせらるる人々ひとびとおい何事なにごと吾人われらしめすかと。天国てんごくけるかみ能力ちから想像そうぞうせよ、すなはかみえざる万軍ばんぐん幾何いくばくおのれ権内けんないゆうするかを想像そうぞうすべし。言者げんしゃしょおいて『能力のうりょくそなへ、そのことばおこなものよ』〔聖詠百二の二十(詩篇百三の二十)〕とへるごとく、てん使権力けんりょくしめしつゝかれ万軍ばんぐんづけたるやし。ればかついちてん使くだりて十八万にんころせり〔第四列王記略十九の三十五(列王記下十九の三十五)〕。かみしかつよからば、佑助たすけ吾人われらうえのばすことをほつせざらんや。かれこれあやぶむなかれとひ、これりてわれまもものなり』附加つけくはふ。かみこれくし、またほつたまへばおそるるなかれ。れど吾人われらとうならば如何いかにせん。しかれどもかみ吾人われられつたいしてじんなりき。是故このゆえ『イアコフのかみ附加つけくはへてごとふがごとし、かみつねむかしより、すなははじめよりおこなふと。きたりてしゅしゝことそのおこなひし掃滅ほろぼし(一本にはせきとあり)よ。かれはてにまでたたかひめて、ゆみり、ほこくじき、もつ兵車いくさぐるまけり』〔九節十節〕。訳者やくしゃもつたてけり』となす。言者げんしゃうみやまおよ霊的れいてきしゅかれあらはたまへる佑助たすけとにきてひつゝ、そのおほいなるよろこびしゅたいするおのれあいとによりて、これせんひんしめし、またかみかれためたもちしところしょうほうじつゝ、ふたたせつ観覧かんらんしゃく。言者げんしゃせきひてしょうおよせんひんはざりしやし。じつ此時このときけんぶつつうじゅんじょによりてしょうじたるにあらず、しょうたるにあらず、しょうたるは武器ぶきおよ肉体からだちからによらず、すなはかみ手号しゅごうりてなり、しかしてそのせきしゅみづかかれ先導せんどうしゃたりしことをしめすなり。よわものつよものを、小数しょうすうものすうものを、窘迫きんぱくせらるるもの窘迫きんぱくするもの征服せいふくしたり、しかしてこれのことのがいおこなはれたるがゆえに、かれ奇異きいにして遭遇そうぐうしたること、およぜん延蔓えんまんしたる此事このことただしくせきづけたるなり。


。 これぐうてき意味いみおい現在げんざい応用おうようするものあやまらざりしならん。ハリストスあくとの残酷ざんこくなる戦争せんそう鎮定ちんていして、へいぜんかいひろめたり。イサイヤ此事このことえがきつゝ『くてかれそのつるぎをうちかへてすきとなし、そのやりをうちかへてかまとなし、くにくにむかひてつるぎをあげず、戦闘たたかひのことをふたたまなばざるべし』とへり。ハリストスくだらざりしぜんおいては、人々ひとびとみなそうし、何人なんびとこの業務つとめまぬかれざりき、まちまちたたかひ、到処いたるところ戦闘せんとう騒擾そうじょうきこえき、しかるにいまかい人類じんるいだいぶんへいうちにあり、衆人しゅうじん安全あんぜんにして職業しょくぎょういとなみ、たがやし、うみこうし、ただその小数しょうすう人々ひとびとすべてのもの保護ほごするがため軍職ぐんしょくぶるのみ。しかして吾人われらもしまさすべきことをなし、ばつもつおくうちようならしめば軍人ぐんじんようせざりしならん。言者げんしゃここかみいかりづけ、またかれだいしょうおのれ武器ぶき兵車いくさぐるまとをき、イエゼキイリげしがごとおうじたることをふなり〔イエゼキイリ書三十九の十〕。このじつしきることをこのものいちじるし。なんぢとどまりてわれかみなるをれ、われ諸民しょみんうちあがめられ、じょうあがめられん』〔十一節〕。おもふに、言者げんしゃここ邦人ほうじんぐるものにして、あたかごとふがごとし、しゅ能力のうりょくそのぜんかいあらはしゝ権力けんりょくとをれ、ただなんぢこれため平安へいあんなるものとならざるべからず、強壮きょうそうなるたましいゆうせざるべからずと。とどまりて』てふことばは、なんぢせきみちびかれ、平安へいあんなるこころゆうしつゝ、衆人しゅうじん主宰しゅさい認識にんしきせんがため迷謬まよいて、生活せいかつぜん状態じょうたいよりとほざかり、吾人われら囲繞とりかこめる悪行あくぎょう暗黒あんこくだっすべしとなり。これためにはただせきるのみにてはらず、すなは感謝かんしゃこころをもゆうせざるべからず。イウデヤじんにもまたせきありき、しかそのせきごうかれ救贖きゅうしょくえきするところなかりき。るがためには太陽たいよう光線こうせんのみにてはらず、すなは強壮きょうそうにしてきよらかなるようするがごとく、ここにもまたいつせきのみにてはらざるなり。よ、なにによりて言者げんしゃせきよりえきんとほつするものせきのことをべて、かれ囲繞とりかこめるあく脱却だっきゃくせんことをすすむるを、衆人しゅうじんをしてかみらしめんためなり。とどまりてわれかみにして偶像ぐうぞうにあらず、彫像ちょうぞうにあらざるをれ』とどまれ、われ(神)またなんぢおほくのしょうしめさん。われ諸民しょみんうちあがめられ、じょうあがめられん』てふことばこれしめすなり、すなはわれぎょうもつなんぢおほいなるものたかものあらはされんのなり。かみ本体ほんたいちざるもの、はれざるものにして、おのづかたかし、しかれどもなんぢこれざるがゆえに、われただパレスティナおよイエルサリムおいてのみならず、なんぢ――きょうじんあいだにもぎょうもつこれなんぢしめさん。ればかみワウィロンおいても、エギペトおいても、こうおいても、ぜんかいおいてもしょうせきおこなひつゝ讃揚さんようせらる、かれをして到処いたるところかみることをしめんためなり。萬軍ばんぐんしゅわれともにす、イアコフかみわれまもものなり』〔十二節〕。この何処いづこおいてもおほいなるかみ何処いづこおいてもたかかみは、つねわれともいますなり。ればかかたれぬしゅゆうしつゝ、おそみだるゝなかれ、ねがはくはことごとくのそん光栄こうえいは、いま何時いつ世々よよに、かれはじめなきのちち生命いのちほどこかれしんとにせん。アミン。

参考 編集

第四十五聖詠せいえい
1 伶長れいちょうに「アラモフ」のがくもっうたはしむ。コレイのしょうた

2 かみわれ避所かくれがなり、能力ちからなり、患難かんなんときにはすみやかなる佑助たすけなり、

3 ゆえうごき、やまうみこころうつるとも、われおそれざらん。

4 そのみづさかまくべし、其濤そのなみたつにりてやまふるふべし。

5 かわながれかみまち上者じょうしゃせいなる住所すまひたのしましむ。

6 かみ其中そのうちり、うごかざらん、かみ早朝そうちょうよりこれたすけん。

7 諸民しょみんさわぎ、諸国しょこくうごけり。上者じょうしゃひとたびこえいだせばけたり。

8 萬軍ばんぐんしゅわれともにす、イアコフのかみわれまもものなり。

9 きたりてしゅししことおこなひし掃滅ほろぼしよ、

10 かれはてまでたたかひめて、ゆみり、ほこくじき、もっ兵車いくさぐるまけり。

11 なんぢとどまりて、われかみなるをれ、われ諸民しょみんうちあがめられ、じょうあがめられん。

12 萬軍ばんぐんしゅわれともにす、イアコフのかみわれまもものなり。

光榮讃詞