千年の松/御内々申上候覚書

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御内々申上候覚書
 
一、千とせの松四巻 右は欽文様御在世の時、私儀御用書組頭にて、江戸表に罷在り、貞鑑院様御入輿の御用にて、久々相詰候時分、朝暮御勤学被遊候御様子及承、ふと存付候は、御大祖土津様の御事蹟ども、御孝孫様委敷不知候ては相成間敷の処、近頃御編集の御家世実記は、大部の御書と申、其上御秘書にて、御近習の者御相手にも不相成、御取扱方御不自由成儀将又山崎闇斎の御碑志・御行状を始め、友松勘十郎殿編集の御事実五巻、并儒臣横田三友相記し候御言行録二巻、いづれも世に相顕れ候品にて、既に他家より御所望にて、写被進候儀も有之、南龍君遺事・西山遺事の類同様、世上無隠流布仕候処、真文にして簡に過ぎ、其事の始末不相弁候はでは、不分明の儀共数多相見候、往々は御実記を始め、品々の書共御熟覧被遊候は、可御座候へ共、願くは御事実・御言行録程のものにて、俗文にて相認候品有之、其書まづ御覧も被遊候はゞ、遠きに行は近きよりすと申す如く、其御階梯にも相成候半歟と存付、不及ながら、寸志に書立、若し仮成にも出来候はゞ、各様入御覧、御様子次第、乍恐冥加の為、献呈も仕度願望にて、試に取懸りの儀も御座候、先は御事実・御言行録をたねとして、并保科故民部殿以来の留書・会府成稿の類、或は耆旧の筆蹟物語等も、錯綜経緯仕り、段々筆立仕候、其外御事蹟に渡り候儀、追々見当り候儀も有之、或は旧家の由来書、或は世上流布の雑書をも、取交及吟味、段々書入、三四度迄稿をかへ候へ共、中々成就も不仕、書入付紙等仕候儘に差置候処、御入輿後、江戸表より罷下り、其通差置候内、御役替被仰付、欽文様御逝去被遊候に付、焼捨も可仕候と存罷在候、此後は一向に打忘罷在候処、旧冬中篋中を捜り候儀有之、ふと見出候、一覧仕、相考へ候得ば、今更夢の如くに有之、当時の身振にて立戻り、校訂も出来兼、迚も中将様入御覧候程には、いまだ吟味も積寄不申所、せめて其儘にて認直し、各様御内覧に成とも入置候はゞ、素意も相顕れ、且は博識の者へ、他日存分に添删校訂被仰付、一部の書に可相成時節も、有間敷儀に無之、若し其儀にも此上難有儀と心付、不束至極の下書共取出し、少々取捨删補仕り、相認直し、則入御覧候、依つて下書は散逸不仕様、細に裁裂拾て、最初存立候素意迄書付、巻オープンアクセス NDLJP:151末附録仕、是又一同御内々申上候、以上、

  文政十一年戊子六月       大河原長八

    但六日の夕、月番の老衆北原勘解由厳宅へ罷越差出候事

 

千年の松大尾

 
 

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