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オープンアクセス NDLJP:65
 
千年の松
 
 
 

近人著書日月孔繁、然其有益於世者、蓋僅々也、会津大河原臣教所著、千載之松四巻、纂集其藩祖土津公徳業之盛、可以為人主亀鑑、哀然具備、是則其有稗益、非近人著書之可_媲也、今侯嘗属吾先考之、未起稿而即世、因復徴予、夫天之生大賢、不世出或出矣、而不其抱負者亦有之、惟土津公以懿親大藩、遂入輔相幕府、得以大展抱負、而其功烈蓋世、噫嘻可盛矣、抑夫会津奥羽之襟喉也、葦名氏已来、以兵力一方之雄鎮、然大抵武断為政、尚請詐功利、而乏乎信義遜譲之風、至公受_封、即施仁政人民、崇文教武備、旧俗一変、信義遜譲之風、蔚然而興、雖河間東平之賢、莫以尚焉、迨猷廟厭代厳廟幼冲承_統、公受顧命、経綸大政、是時距韃嚢遠、侯伯未尽帖服、加以明暦之鉅災、人心危懼、公与諸閣老同心協力、推誠行仁、政令悉諧中正、遂能綏諸侯万民、而置社稷於泰山之安、視之周公輔成王、蓋不多譲焉、夫以治国之才、托孤之徳、其盛如此、而言行之詳オープンアクセス NDLJP:66世或莫之知、豈不大可_惜哉、先是有土津公事実言行等書、臣教又旁採諸書、参以本藩勲旧家乗、遂克成是編、因取吉川惟足奉輓歌意、名千載之松、蓋欲使藩侯知祖先之謨訓功烈、固非敢公諸世也、雖然是編一出、俾世之為人主者、幸得読以審其徳業之盛、而師法之、可以修_身、可以治_国、況為之孫裔者、尤所遵奉焉、則是編之績、豈小補之云哉故予喜而序之、其亦侯錫類之意然也夫、

  弘化乙巳仲夏月                     大学頭林皝謹題

 
凡例
 
一、土津様の御事跡ども、御事実を経とし、御言行録を緯とし、傍諸書を錯綜仕り、耆旧の筆迹・物語等迄、見聞の儘に取集め候て、遂に四巻と相成り候、依之第四の巻に相載せ候、吉川惟足翁見禰山にて、詠歌の文字を取りて、題号と仕り候、たゞ御事実及び御言行録の伝注にもと、志し候迄に候へども、見聞狭く筆力拙く、難心底候、

一、もとより世に公にせんとには無之、又文章に刻意すべき品にも無之候間、記者の辞の外は、多くは其世の筆記、古朴質実なる儘に編録仕り、古色を失はず、其意を害せざらん事を肝要に相心得、みだりに删改を不加、名物称呼の類迄も、其通に仕置き候、

一、御幼稚の時分、穏便にかすかなる御様子にて、御生育被成候事共は、小事にても相記し、御壮年以後の事は、大立ちたる事計を相記し候、

一、公儀の御待遇・御恩賜は、特例なるを挙げて、小事は相省き候、

オープンアクセス NDLJP:67一、顧命を被蒙、御大任に被御座候以来、御忠誠を被竭、夙夜の御啓沃有之事とも、秘して不相知候へども、筆記口碑に相伝へ候儀は、採録仕り候、乍然其全き物は無之、わづかに豹毛一斑を窺ふにひとしかるべく、遺憾の第一に候、

一、国家の御事に昼夜御心を被置、御在邑の御暇だに不進候間、御国務の儀は、多分老臣に為任被置候へども、御事実等に有之善政良法は、其首尾貫通仕り候程に記録仕り候、

一、社倉の遺法を被取、児荒の御防となされ、常平の古典を被挙候て、穀価を平に被成候類を始め、民間の御政道には、仮初の様なる御意の端にも、御仁慈の溢れ出で候儀共有之、煩を不厭、数箇所相載せ候へども、愛を割き候ものも不少候、

一、終編一条々々に相立て候程の事は、年を逐ひて相記し、年月に繋ぎ難きは、其類の次にも載せ置き候、然れども其条下に至り候ては、後年の御事跡迄も引上げ記録致し候類も、不少候、数箇所に載せ候ては、其事の首尾不全、看るにも便ならざる故、如斯相記し候、

一、数種の筆記を参考仕り候へば、一事の間にも彼是齟齬する所も多く有之、其中或は斉東の野語にひとしく、或は記者の謬、顕然なるも不少候、つとめて其正説を取り候へども、毎度弁駁不仕候、

 
 

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