<< 暗国、即罪の国の事、及び神は独り我等より罪を除きて、我等を悪王の奴隷たるより救ひ得る事。 >>
一、 悪王――暗国は最初に人を捕へ、暗の権を以て霊魂に衣せしこと、人に衣せる如くなりき、これ人を王となして、すべて王たる衣服を彼にあたへんが為にして、頭より足に至る迄人は王に属するものを悉く身に着用せんが為なり。かくの如く悪王は霊魂の実体にすべて罪を衣せて、すべてこれを汚し、すべてを己の国に捕へ、其の一肢も思慮も才智も身体も其権より自由なるものとして存せしめず、これに暗の衣服をかうむらしめたり。たとへば身体に於て苦しむは其の一部分に非ず、又は其の一肢体にも非ずして、全体すべて苦みにかかる如く、霊魂も悪習と罪の病の為にすべて苦しめり。悪者は人の此の緊要の部分と此の緊要の肢体たる霊魂にすべて其悪を着せたり、即罪を着せたり、さればかくの如くして、身体も苦をうけて、敗壊するものとなれり。
二、 使徒はいへり、『旧き人を脱ぐべし』〔コロサイ三の九〕と。かく言ふ時は、是れ完全の人を想像して、其目は目に相応し、其頭は頭に相応し、其耳は耳に、其手は手に相応して、其足は足に相応する者を示すなり。けだし悪者は霊魂も身体も全人を汚してこれを己に引誘し、人に衣するに汚穢不潔にして神に敵し、神の法に順はざる旧き人を以てする、即罪を以てするは、これ人の欲する如く見ずして、悪しく見、悪しく聞き、其足は悪行に急ぎて、手は不法を作し、心は悪事を思はしめんがためなり。故に我等は旧き人を己より脱がんことを神に祈らん、何となれば独り神は我等より罪を除くを得ればなり。われらを捕へて其国に拘留する者は我等より強し、されど神は我等を此の奴隷たるより救はんとの約束をあたへたまへり。たとへば太陽が光り輝きて微風吹き渡らんに、太陽にも其体と其性とあり、風にも其性と其体とあれども、もし独一の神が風を止めて復た吹かざらしめずんば、誰も風を太陽より分離して区別することあたはざるべし。かくの如く罪も霊魂と混ぜり、しかれども罪にも霊魂にも各々其の特別の性あるなり。
三、 ゆえにもし神は霊魂にも又身体にも居る所の此の悪なる風を熄ましめず、且これを止めずんば霊魂を罪より分離して区別することあたはざるべし。又たとへば人あり、飛ぶ鳥を見て、自ら飛ばんと欲すれども、羽翼を有たずして、飛ぶあたはざるべし、かくの如く人にも潔き者となり、非難すべからざる者となり、汚れざる者となり、悪習を己に有せず、常に神と共に居らんと欲するの望あり、しかれども人に其力はあらざるなり。人は神聖なる空気に、聖神の自由に高く飛ばんを願ふ、しかれども羽翼をうけざらん間は、あたはざるべし。ゆえに聖神の鳩の翼を我等に與へ給はんことを神に祈らん、我等神に飛び去りて安きを得んがためなり、〔聖詠五十四の七〕且悪なる風、即霊魂と身体の諸部に居る所の罪を我が霊魂と身体とより離してこれを我等に断絶せんが為なり。けだし神は独り此をなすことを得べし。言ふあり、『視よや世の罪を負ふ神の羔』〔イオアン一の二十九〕。彼は独り彼を信ずる人々に此憐みを施して、彼等を罪より救ひ給へり、此の言ひ尽されざる救を常に待ち且望みて、不断にこれを尋ぬる者に彼はこれを遂げしむるなり。
四、 たとへば暗黒なる深夜に烈風吹き荒みて、あらゆる植物と種子とを動乱震撼せしむることあらん、かくの如く人も暗黒の夜なる魔鬼の権に落ち、夜間暗中に在りて恐るべく吹き荒める罪の風に動揺震撼せられん、されば人のすべての性は霊魂も思慮も才智も擾乱の中にありて、身体のあらゆる部分は震撼せん。霊魂と身体の一部一肢も自由を得るあらずして、我等に居る罪の為に苦まざること能はざるべし。これと同じく光の日と聖神の神聖なる風のあるありて、彼は神聖なる光の日中に居る霊魂を吹き、これを快活ならしめて、霊魂の全体に透徹し、諸の思念と、凡ての実質と、身体の諸部を涼うし、神聖なる得もいはれざる安息を以て安んぜしめん。使徒はこれをあらはして、次の如くいへり、曰く『夜の子、暗の子にあらずして、汝等は光の子、昼の子なり』と〔フェサロニカ前五の七〕。さればかしこに於ては誘惑の中にありて、旧き人は完全なる人を己より脱して、暗国の衣を服し、即誹謗、不信、無忌憚、虚誇、驕傲、貪利、肉慾の衣を服すべく、同じく亦他の暗国の衣なる不潔汚穢なる弊衣を服せん、かくの如く此処に於ては地に属する旧き人を己より脱し、イイススが暗国の衣を脱せしめたる彼等は、再び新しき天に属するの人なるイイスス ハリストスを衣ん、而して彼等は亦再び目に相応して其目を有し、耳に相応して其耳を有し、頭に相応して其頭を有し、全人潔きものとなりて、天の状を己に被むるを致さん。
五、 ゆえに主が彼等に着せるに得もいはれざる光国の衣を以てし、信、望、愛、喜悦、平安、憐憫、仁慈の衣を以てし、同じく亦凡そ其他の神聖にして快活なる光と、生命と、得もいはれざる安息の衣とを以てするは、これ神は愛たり、喜たり、和平たり、仁慈たり、憐憫たる如く、新しき人も恩寵によりてかくの如き者とならんが為なり。それ暗国と罪とは復活の日に至る迄は霊魂にかくるるありて、罪人の身体も今日霊魂に隠るる所の暗にて蔽はれん、かくの如く光の国と天の状、即ちイイスス ハリストスも今は奥密に諸聖人の霊魂を照して霊魂に主たらん。しかれどもこは人々の目には秘密に見えざるものとして存し、復活の日に至る迄はただ一の心霊の目を以てのみハリストスは実に見らるべくして、身体も今猶人の霊魂に居る所の主の光を以ておほはれ、且頌揚せられん、これ彼の時は身体も今日猶ハリストスの国を己に受け、これに安んじて永遠の光を以て照さるる所の霊魂と共に王たらんがためなり。光栄は彼の洪恩と仁心とに帰す。彼は其諸僕をあはれみ、これを照らして、これを暗国より救ひ、これに其光と其国とをあたへ給はん。彼に光栄と権柄は世々に帰す。アミン。