土地は併呑す可らず国事は改革す可し
土地は併呑す可らず国事は改革す可し
編集日本國人が
現代訳
編集日本人が武力によって朝鮮にのぞむのは前記の理由によって他意がないといっても、筆者はなお念のために土地を占領することについて一言せざるを得ない。
強弱の両国が相対していやしくも軍隊を動かすときは、その大義がどうかにかかわらず、和戦勝敗がどうかの話ではなく、さまざまな無量の事情のすえ、弱者の地をさいて強者のものに帰すことは、あたかも世界古今の通例としておおうことのできない事実だ。
今、日韓が相対すればその強弱の趨勢はすでに明白であり、人間が通常の視点で見るときは、今日こそ両国の関係は近しいようだが、その関係の枝から枝に生じて種々無量の事情を生み、また面白い大義を作って、その極みにはついに朝鮮国の土地を日本に併合することはあるべきだろうかと、言わない間に人が懐疑するのも決して無理もない。
世間にあるいはすでにこの辺に注目する者もあるだろうといっても、筆者の所見をもってすれば、日本国の政略において万一にもこれはあるべきでないと躊躇なく断言する。
世界中で日本人に限って無欲淡泊なのではなく、また無気力で痴鈍なのではなく、都合のよい国土を見出して占領すべきものがあれば決して辞退する者ではないといっても、朝鮮の国土は併呑しても事実として益はなく、かえって東洋全体の安寧を損なうおそれがあるために、さらに好意をもってこれを取らないだけだ。道義的な議論はおいても、利害上にうったえて併呑を断念する者だ。
その理由はどうかというと、同国は日本、ロシア、中国の三国の間に介在する小弱国であり、三国共に水面下では併呑の意思がないわけではないといっても、もしもその三国中の一国がこれを併合するか、またはこれを三分割して各々その一部を領するときは、強国と強国とが直接に境を接して、その間でたちまち激動することは免れない。すなわち東洋全体の安寧を損なう。なおそのうえ遠くの西洋列強としても、アジアの東辺に弱肉強食の活劇を見てこれを見逃すことはないだろう。
事態が切迫すればどのような大波瀾を生ずるかも予想できないため、今そのようにせずに東辺の平穏を維持することは、朝鮮と名のつく小弱国があってその間に挟まり、国のように、国ではないように、綿のように、紙のようにして、双方の衝突激動を防ぐことしかない。
瀬戸物を重ねるとき必ず合紙を用い、あるいは個々を綿に包んで積み重ねるのは何のためか。実質の堅固な瀬戸物と瀬戸物とが直接に触れると、些細な震動にも激して、その一片が壊れるか、あるいは両方共に壊れることがあるために、紙の柔いものでその激動を防ごうとするためだ。
ならば今朝鮮国が軟弱であることが幸いであり、これを日露中三国の間に挟んで相互の激動を防がせるのは国際関係の上策であり、この点から見ると東洋の平和は朝鮮国の賜物だということもできる。
数年前には我国にも隣国併呑の議論がないわけではなかったが、人文の進歩と共に外交論も共に上達して、利害の所在を明らかにし、今日にいたっては国中に再び神功皇后、豊臣秀吉の旧夢を夢みる者はいない。
これがすなわち筆者が今回の出兵について日本人に土地併呑の意思がないことを保証するゆえんだ。
ならば朝鮮の軟弱さは東洋の利益であり、諸強国のよってもって安全を保つところの合紙なのだが、そうだとはいってもその合紙の軟弱さにもその程度があって、いやしくも一国として土地人民を支配する上には、内政や外交にそれ相応の規律を要することなのに、彼の現状を見れば立国の名あって自立の実なく、政府の形をそなえて施政の機関なく、専制の君主が政治を専らにすることもできずに、輔佐する大臣にも責任がない。
万般の政令が大臣の名をもって行われるのは政府のようだが、その源は宮中から発して深宮の国王はかえってこれを知らないことがある。
王の特命が頻繁に発して大臣を進退するのは主権の盛んのようだが、その王命は王妃と二三の寵臣が密議して一夜の間に作ったものだ。
財政は次第に困窮して官吏の俸給は決まっておらず、その登用は能力で選ばれず、官を売って政費に充てるようなものは一般に同じような手段であり、今は売官法に次ぐ賄賂法をもってして、多く賄賂を用いる者は高い官位を得る風潮となり、相互にその多寡を競争するのは、あたかも政府での地位を競売にかけるのと異ならない。
小官は中官に依頼し、中官は大臣に附托し、その極みに至れば大臣の地位を望み、または既得の地位を確固とするために国王や王妃に私金を献納し、その献金の厚薄にしたがって支配者の意見は異なり、収賄の最も盛んなのは王室だという。
宮中府中は腐敗の中心として後々まで残る害毒を全国に及ぼし、人民を治める地方官は税権や法権を濫用して民の膏血を絞り、まず自らいただいてその余りを中央政府に送り、国庫は常に空いており汚吏の懐中は非常に温かいものがある。
都と地方に散在する幾千万の士大夫は紛れもなく社会の遊民で、専横をほしいままにし常に他人の財産で衣食して憚る所のないその有様は、まさに幾千万の餓えた虎を国中に放つものと異ならない。
およそ一国に政府を立てるゆえんは国民の栄誉、生命、財産を保護し安全とするためのものなのに、朝鮮国の政府はいやしくもその正反対で、政府あるがゆえにかえって安全ではないという。国にして国ではなく、政府にして政府ではない。
ならば筆者は今日すぐに彼等の文明富強を望むのではなく、万般の施設がかつて漸進を期すとはいえ、漸進でも急進でもその国で初めて議論すべき話ならば、とにかくその立国の根本を固くして政治の機関に運転の機を附さないべきではない。
これを例えれば衰弱死に瀕した病人のようだ。何はともあれ、第一の必要は呼吸と飲食の消化、この二つの回復を得た後に様々な摂生法も命ずべきだ。
これがすなわち筆者が彼の国事の改革が急がれるとするゆえんだ。
関連資料
編集- 「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」(『郵便報知新聞』明治8年(1875年)10月7日)
- 「朝鮮の交際を論ず」(『時事新報』明治15年(1882年)3月11日)
- 「朝鮮独立党の処刑」(『時事新報』明治18年(1885年)2月23、26日)
- 「脱亜論」(『時事新報』明治18年(1885年)3月16日)
- 「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」(『時事新報』明治18年(1885年)8月13日)
- 「兵力を用るの必要」(『時事新報』明治27年(1894年)7月4日)
- 「改革の着手は猶予す可らず」(『時事新報』明治27年(1894年)7月6日)
- 「支那人親しむ可し」(『時事新報』明治31年(1898年)3月22日)
- 「支那人失望す可らず」(『時事新報』明治31年(1898年)4月16日)
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