支那人親しむ可し

支那人親しむ可し

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日清戰爭次第しだいに歩をすゝめて連戰連勝れんせんれんしよう、日本人最後さいご目的もくてきは北京をほふるの一事にして意氣軒昂いきけんかう眼中がんちう既に四百餘州なし敵國てきこくをしていよ城下のちかひを成さしむるは機一髮きいつぱつの其瞬間しゆんかんに至りやうや和議わぎたんを開て其條件でうけん賠償金ばいしやうきん二億テール遼東半島れうとうはんたう臺灣澎湖島はうこたう割讓かつじやうなりと云ふ當時日本人のかんがへにては四百餘州は既に我掌中しやうちうのものなり如何いかなる事を命ずるも彼に於て異議いぎはある可らずかゝ條件でうけんにて媾和かうわとは寛仁大度くわんじんたいど處置しよちにして定めて感泣かんきふすることならんとおもひの外支那人は却て其條件をおもしとして土地とちの割讓は勿論、賠償ばいしやうの金額に就ても大に苦情くじやううつたへながら戰敗國せんぱいこく弱味よわみむを得ずして承服しやうふくしたる次第なりしに其條件でうけんに付き端なく外國の干渉かんてふ惹起ひきおこし其結果けつくわ、日本は遼東半島をもとまゝ還付くわんぷしてむに至れりおもふに支那人のに取ては所謂いはゆる地獄じごくほとけ心地こゝちしてひそかに外國人を泣拜きうはいしたることならん渇者かつしやみづえらぶにいとまあらず半島の割讓かつじやうを兔かれたるは全く外國人と名くる生佛いきぼとけのおかげなりとて只管ひたすらこれを徳としたるは戰敗者のじやうとしてあやしむに足らざれども抑も外國交際ぐわいこくかうさい眞面目しんめんもく自利じりの外に見る可らず明白めいはくの事實にして外交家の伎倆ぎりやうとはたくみ口實かうじつかざりて自利の目的もくてきを達するに過ぎざるのみ彼の外國の日本に對する忠告ちうこくに支那大陸の割讓かつじやうを以て東洋の平和へいわさまたげありと云ふ其理由りいうは兎も角も實際の結果は日本をおさへて支那をせしめたるものに外ならず支那の爲めには難有ありがたき仕合しあはせなれども今の外交上にがうも自から利する所なく單に他を抑揚よくやうし其喜怒きどふて自からよろこぶものある可きや彼等の支那を利せしめたる其目的もくてきは更らに大に支那より利せんとするにりしや甚だ明白めいはくにして必ずしも今日をたず當時既に我輩の明言めいげんして支那人の爲めにしみたる所なりおもふに支那人决してならず自から大體の利害りがいを見るの明はありながら當時の有樣ありさま危急存亡きゝふそんばう後をかへりみるにいとまあらず只眼前のきふまぬかるゝが爲めに外國の干渉かんてふわたりにふねと認めてへず其救助きうじよりたることならんむを得ざる次第なれども時をる儘に三四年昨今の成行なりゆきは果して如何、當年のほとけは忽ち閻魔えんまに變じ其要求ようきう甚だ大にして今日までゆづりたる所を見るに其大小遼東半島と同日どうじつの談に非ず其おもむきは恰も一萬圓の金を借用しやくようして返濟へんさい差支さしつかへ他人に依頼いらいして種々に談判だんぱんの末、その周旋しうせんのおかげにてやうや返金へんきんの急をまぬかれたれども周旋人しうせんにんの爲めに五萬圓の禮金れいきんを取られたるが如しわりはざる談にして今日に至りてはむし遼東半島れうとうはんたうを日本にあたへたるの得策とくさくたりしを認めしことならん近來支那人が外國人のいよおそる可きを感じ日本にしたしむの心を生じたるは實際の事實じゞつにして北京ペキン電報でんぱうに支那の君臣くんしんは一般に日本に依頼いらいするの念をいだくに至りしと云ふが如き此邊の情况じやうきやうはうじたる者に外ならず又我輩の別に接手せつしゆしたる報道はうだうるも彼の張之洞ちやうしだうの如き近來大にさとる所あり此程の便船びんせんにて部下の一人を日本に渡航とかうせしめ其報告はうこくに由り凡そ百五十名の留學生りうがくせいを我國におくり各種の事物じぶつ學習がくしふせしむる筈なりと云へり是種の所報しよはうちようするも以てます支那人近來の傾向けいかうを見るに足る可し抑も日本人决して無慾むよくならず支那に對して大にもとむる所なきに非ざれども其求むる所は土地とちに非ず人民じんみんに非ず只商賣しようばい貿易ばうえきの一事にして其目的もくてきは自から利しかねて他を利せんとするに外ならず而して此目的をたつするにはる可く彼の國人にちかづき相方さうはう情意じやういつうじて互に相親あひしたしむに在るのみ蓋し支那人もやうやく日本人の心事しんじを解し漸く年來の猜忌心さいぎしんりたる者にして彼より進んでしたしまんとするこそ好機會かうきくわいなれば充分じうぶん好意かういを以て彼れにせつし以て其目的もくてきを達す可きのみ日清戰爭の事は今更いまさら云ふ可きに非ざれども古來こらい武士ぶしの言にも勝負しやうぶときうんに由ると云ひかちたりとてほこる可きに非ずけたりとて輕蔑けいべつす可らずして今日に於ては純然じゆんぜんたる和親國わしんこくにして一毫の介意かいゝもある可らざるのみか殊に最近さいきん隣國りんこく平常へいじやう交際かうさい頻繁ひんぱんなる其上に自から利害りがい關係くわんけい密接みつせつなることなればます相近あひちかづき相親あひしたしむ可きのみ或は彼の國人の平生へいぜいを見れば運動うんどう遲緩ちくわんにして活發くわつぱつ氣風きふうくに似たれどもれは其國の大にして自からうごくに便べんならざるが爲めに外ならず一たびうごくときは案外あんぐわいおどろく可きものあらんなれば决して因循姑息いんじゆんこそくを以てもくす可らずいはんやチヤン豚尾漢とんびかんなど他を罵詈ばりするが如きに於てをや假令たと下等社會かとうしやくわいの輩としても大につゝしまざる可らず日本人たるものは官民上下くわんみんじやうかかゝはらず自から支那人にしたしむの利益りえきを認め眞實しんじつその心掛こゝろがけを以て他にせつすること肝要かんえうなりと知る可きものなり

明治31年(1898年)3月22日

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