朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す
朝鮮人民ノタメニ其國ノ滅亡ヲ賀ス
編集英人ハ既ニ巨文島ヲ占領シテ海軍ノ根據ヲ作リ露人ハ
現代訳
編集イギリスはすでに巨文島を占領して海軍の根拠地を造り、ロシアはモルレンドルフとしめし合わせて陸上から侵入する用意をし、朝鮮国独立の運命も夕べに迫ったといえる。さてこの国がいよいよ滅亡するものとして考ると、国の王家たる李氏にとっては誠に気の毒であり、またその直接の臣下である貴族や士族にとっても甚だ不利益とはいえ、国民一般の利益を論ずるならば、滅亡こそがむしろ国民の幸福を向上するための方便だといわざるを得ない。
そもそもこの世に生きる人間に最も大切なものは栄誉、生命、私有財産の三つであり、国を建てて政府を作るのはこの三つを保護するためである。人の物を盗む者があれば国が法律で罰し、借りて返さず騙して奪おうとする者があれば法律で裁くのが私有財産の保護である。人を殺し傷つける者があれば刑に処すのが生命の保護である。また栄誉には国内と国外の二種類があり、国内において人間に貴賎、貧富の差はあっても、国民としての権利は同等であるため、爵位や身分などという虚名でみだりに人を軽侮することは許されず、もし犯す者があれば法律で罰せられるか、社会の嘲笑をかうことにより国内での栄誉が保護されるのである。国外の栄誉とは、独立した外交関係を政府に一任し、政府の当局者は諸外国に対して国権を拡張し、小事でも名誉を争うことにより自国民に独立国民たる体面を全うさせ、政府が国民に対する義務を尽くすことで、国外の栄誉を保護するのである。
このようであってこそ国民もその政府の下に従う甲斐もあるが、現在の朝鮮の状況をみれば王室の無法、貴族の跋扈、税法さえ紊乱の極に陥り、民衆に私有財産の権利はなく、政府の法律は不完全であり、罪なくして死刑になるだけでなく、貴族や士族の輩が私欲や私怨によって私的に人間を拘留し、傷つけ、または殺しても、国民は訴える方法がない。またその栄誉の点にいたっては、身分の上下間ではほとんど異人種のようであり、いやしくも士族以上で直接に政府に縁がある者は無制限に権威をほしいままにして、下民は上流の奴隷であるに過ぎない。すでに国民はこのように国内では軽蔑され、なおその国外に対して独立国民としての栄誉はどうかと尋ねられるなら、答えるのも忍びない。
政府は王室のため、また国民のために外国との関係を担当しながら、世界情勢を理解せず、文明の風潮を知らず、どのような外患に遭い、どのような国辱を被ろうとも、全く無感覚であり、憂苦なく力を注ぐのは朝臣らによる政府内の権力や栄華の争いだけである。朋党相分かれてその議論は実にさまざまだが、帰するところの目的は私的な利益だけであり、この人々の内実を評すれば、一身を国のための仕事に捧げるのではなく、国の仕事を弄することで一身の利益のために利用するものといわざるを得ない。中国に属領視されても汚辱を感じず、イギリスに土地を奪われても憂患を知らず、ただそのように無感覚なだけでなく、あるいは国を売っても私的に利益があれば憚らないもののようである。すなわちかの事大党の輩がいちずに中国に従おうとし、また韓圭穆、李祖淵、閔泳穆の一派が私的にロシア政府と内通して物事を運ぼうとしているようなことは、自分のことを考えて国のことを考えないものである。ゆえに朝鮮人の独立した一国民としての外国に対する栄誉は、既に地を払って無に帰したのである。国民が夢の中にいた際に、国はすでに売られたのである。そしてその売国者はどこにいると尋ねられるならば、政府自からそのことをしたのである。
したがって朝鮮の国民は国内において私有財産を守ることができず、生命を安んずることができず、また栄誉を全うすることができず、すなわち政府による国民に対する功徳は一つも得られず、かえって害され、なおその上に外国に向けて独立した一国民としての栄誉をも政府からは保護されていない。実にもって朝鮮国民として生きる甲斐もないことだから、ロシアなりイギリスなりが来て国土を押領するがままに任せて、ロシアやイギリスの国民になる方が幸福である。他国政府に亡ぼされるときは亡国の民でありはなはだ喜べないことだが、前途に望みのない苦界に沈没して終身を国内外の恥辱の中に死ぬよりは、むしろ強大文明国の保護を被りせめて生命と私有財産だけでも安全を得ることは不幸中の幸になるだろう。
身近な証拠を挙げると、このところイギリスが巨文島を占領してその全島を支配し、工事があれば島民を使役し、犯罪人があればこれを罰するなど、全くイギリスの法律を施行するその状況を見れば、巨文島は一区の小亡国であり島民が独立国民たるの栄誉は既に尽き果てたが(これまでも独立の実なくその栄誉もない)、ただこの一事のみを度外視して他の百般の利益がどうかと察すれば、イギリスの工事に役すれば必ず賃銭を払い、その賃銭を貯蓄すれば更に掠奪される心配もなく、人を殺し人に傷つけるのでなければ死刑が行われ幽囚されることもなく、まずもって安心というべきである。もとよりイギリス人とても温良の君子のみではないから、時としては残酷なる処罰もあるだろうし、あるいは疳癪に乗じて人を鞭打つなどのこともあるだろうといっても、これを朝鮮の官吏、貴族などが下民を犬や羊のように蔑視し、その肉体や精神を苦しめ、またその膏血を絞る者に比較すれば同様に議論できるものではない。すでに今日に於て青陽県の管内巨文島の人民700名は、幸せ者だとして羨望されている程だという。悪政の余弊が民心を解体したのであり、仕方のないことである。
ゆえに私は朝鮮の滅亡の時期が遠くないことを察して、一応は政府のために弔意を表するが、その国民のためにはこれを賀したいと思う者である。
関連資料
編集- 「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」(『郵便報知新聞』明治8年(1875年)10月7日)
- 「朝鮮の交際を論ず」(『時事新報』明治15年(1882年)3月11日)
- 「朝鮮独立党の処刑」(『時事新報』明治18年(1885年)2月23、26日)
- 「脱亜論」(『時事新報』明治18年(1885年)3月16日)
- 「兵力を用るの必要」(『時事新報』明治27年(1894年)7月4日)
- 「土地は併呑す可らず国事は改革す可し」(『時事新報』明治27年(1894年)7月5日)
- 「改革の着手は猶予す可らず」(『時事新報』明治27年(1894年)7月6日)
- 「支那人親しむ可し」(『時事新報』明治31年(1898年)3月22日)
- 「支那人失望す可らず」(『時事新報』明治31年(1898年)4月16日)
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