<< 神聖なる書の悔改を奨励する諭言、及び人間の弱きに対して此を陳べられしは人々生活の神より離れて亡ぶるを免れんが為なる事、及び之を転じて罪を犯す縁由と為すべからざる事。 >>
諸神父が其神聖なる書を以て要求する悔改に於るの勇気と、使徒及び豫言者等の書にあらはせる悔改の旨趣とは、我等之を転じて罪を行ひ不可侵なる主の定法を破るが為の助と為すべからず、是れ古より諸聖人の口により悉くの書と立法に於て罪を滅さんが為に神の力を以て定められしなり。けだし彼等は悔改の希望を有せしむる為、我等が感情に絶望の恐れを豫め除かんことに工夫を費せり、故に凡ての人は急ぎて悔改し、敢て罪を犯すを免るべかりしなり。就中神はすべての書にあらゆる方法を以て畏を勧誘して、罪は神の憎む所なるをあらはせり。けだしノイと同時代の族は、如何にして洪水に滅びたるか。人々狂乱してカインの女の美を望みたる淫蕩の為にあらずや、貪銀、偶像、妖術及び戦争は当時にはあらざりき。又ソドムの邑は何故に焚かれたるか、其肢体を欲望と不潔とに委し、あらゆる汚穢不適当の行を以て自由自在に管理したる為にあらずや。一人の淫行の為に神の冢子イズライリの子孫の二萬五千人は瞬間に死を速きしにあらずや。偉人サムソンが母胎の中に在て、神を以て聖別せられしは、ザハリヤの子のイオアンが生前天使の祝福をうけて大なる能力と大なる奇蹟とを賜はりし如くなりしに、神に棄てられしは何故なるか。淫婦と同棲して聖なる肢体を汚したる為にあらずや。神が彼より遠ざかりて彼を其敵に付したるは之が為なりき。然してダウィドは神慮に適ひ、其の徳行の故に、列祖に許約せられしものは其裔より発し、全世界の救の為にハリストスは彼より光り始むるを賜はりし人なりしが、或る婦人の美を目撃して、其霊に矢の落つるや、彼と淫行を遂げたる為に罰せられしにあらずや。之が為に神は其家に戦を起し、ダウィドの多涙を以て悔改を表したるに拘はらず其同胞は彼を逐へり、然るに涙を以て其褥を濕せしにより、神は豫言者を以て彼に告げて言へり、曰く『主は汝の罪を除けり』〔サムイル後書十二の十三〕。
又彼より先なる或者等をも記憶せん、四十年の間神品の職を以て飾られたる義なる老司祭イリイの家に神の怒と死の降りしは何の為か。其二子オフニとフィネッスの不法の為にあらずや。けだし彼自分は罪を犯さずして二子は父の同意なくして罪を犯せり。然れどもこは主の前に罪を犯したる彼等を罰する熱心の父にあるあらずして、主の命令よりも尚更に彼等を愛したるによるものにして、主は其生存の日を悉く無法に送りし彼等にのみ其怒を現はすと人を思はざらしめんが為なり、故に荒唐なる罪の為に其熱心を主に近き者に、司祭に、士師に、君主に、主に神聖とせられて奇蹟を行ふを信任せられし者にあらはすなり。神の立法を犯したる者の現はるるや、神は決して注意なくして舍かざるを此を以て知らしむるなり、イエゼキリの書に記されし如し、言へらく見えざる劔を以てイエルサリムを滅さんことを命じ、其人に告て言へり、我が祭壇の前に立つ者等より始めよ、而して老人をも青年をも遺すなかれと〔イエゼキリ九の六〕。是れ恐れと恭敬とを以て神の前を行き其旨を行ふ者等は神に近くして愛せらるる所以と、剛勇なる行と清潔なる良心とは神の前に聖とせらるる所以とを之を以て證するなり。主の道を辱しむる者は主も辱しめて、彼等を其面前より遠ざけ、其恩寵を彼等より奪ふ。けだしワルタサルに対し判決の俄に出で、手を以て撃つ如くなりしは、何の為か。イエルサリムに於て神前に供へたる不可侵なる供物に手を触れ之を奪掠して、妃妾と共に自から之を食ひし為にあらずや。かくの如く己の肢体を神に献げて更に之を俗事に用ふるを敢てする者等も、見えざる打撃により亡びん。
故に我等は神聖なる書を以て與へらるる勇気を以て悔改を期し、神の言と其警告を軽んぜざるべく、其行の不当を以て神を怒らしめて、神に事ふるが為に一次永遠に聖にしたる肢体を汚さざるべし。けだし視よ、我等も神に聖せらるることイリヤ及びエリセイの如くなるべく、豫言者の子と、他の聖者、及び童貞等の大なる奇跡を行ひ神と相対して談話したる如くなるべく、又すべて彼等の後にありては、例へば貞潔者イオアン、及び聖なるペトル、及び其外新約の福音者又は傳道者等の一隊が己を主に聖として、一は主の口より、他は黙示により主より奥義を受けて、神と人々の間の媒介者となり、全世界に天国を傳へたる如くなるべきによる。