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黒川真道編
越後史集 天
   国史研究会蔵版

 
 
 
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越後史集自序
 
我が国応仁の乱以後、戦国の世豪傑競ひ起り、群雄四方に割拠し、各旗幟を樹てて、互に雌雄を決したりき。此の時に当りて、最天下に雄飛したりしは、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄との両傑なり。しかも両傑が川中島に於ける五箇度の合戦は、当時、合戦中の大合戦にして、今日に至るまで、犬童馬卒すら尚よく知れる所なるのみならず、その前後千有余年間の合戦において、両家が実験と研究とに由りて得たる兵法の如きは後世兵学家の模範とするところなり。是読史家の最注目すべき所とす。予、頃日越後史集編纂に当り、先づ越後国史中の最大眼目たる上杉氏の事につきて、為景・謙信及び景勝三代の事蹟を知悉せしめむとて、博く群書を捜索して終に本書を成せり。抑本集を三冊となせる所以は、当初上杉憲顕が、貞治の頃入国以後、慶長三年、景勝の会津所替に至るまで、二百三十余年の間、上杉氏は久しく越後を領したりければ、国人の信服せしことも亦極めて厚かりき。されば上杉氏の事蹟にオープンアクセス NDLJP:5就きて記録したるものも亦尠なからねば、管窺武鑑の他は、まづ小冊子の類を蒐輯したるに由れり。然れば其の中には、事蹟の重複したるものも無きにあらねど、洵に止むを得ざるなり。而して又往々兵法に関する記述あり。思ふに是皆原著者が、当時の実状を記せると共に、越後流の兵法を併記して、以て学者参考の資料となせるものなるべし。然るに世人輒もすれば、其の本旨を悟らずして、徒に評論し敷衍したるものとなして、本書の類は、史的の価値なきものなりと、速断するが如きは、実に時世を知らざるの論なり。予は国史叢書編纂の為に、諸国の戦記を調査せるが中に、上杉・武田両家に関する記録は、兵学者の手に成れるもの多く、しかもまた兵法を併せ論じたるもの少なからざるを知れり。按ずるに、是皆越後流兵学者と甲州流兵学者とが、互に学ぶところの法を以て、頡頑したりしが為ならむか。されば本集にも、取捨すべきことあらむは勿論なりといへども、是実に当時の士人が、各流儀を尊重して、相下らざりし本意に基けるものなれば、読者は最用意あるべきものなり。畢竟本集の要は、越後国に於ける我が戦国の世の状況を知り、併せて当時の英傑が、如何なる兵法を用ひたりしかを覗ふにあれば、所謂活眼を以て活事を読まざるべからず。今や本集の成れるにあたりて、窃に感ずる所を述べて以て序文とす。

  大正五年五月 黒川真道 識

 
 
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解題
 
 
上杉三代日記 一巻
 
本書、一名上杉軍記といふ。上杉氏三代、すなはち為景・謙信・景勝の事蹟の大略を記したるものなり。本書、日記と称すれども、大要を記したるものなり。終に上杉家の諸士の略伝を記せり。
 
謙信家記 一巻
 
本書、一名三帥戦略といふ。謙信が諸所に於ける合戦の次第を記したるものなり。此の書、続羣書類従第六百四に収めたれども、未だ出版に至らず。作者宇佐美勝正は上杉氏の家の臣なり。此の書、祖父春村、二本を対照し、校異及び補闕等を記したり。
 
上杉将士書上 一巻
 
本書は、上杉氏の将士の伝記を種々記し、其の他主家の事蹟を書上げたるものなり。奥書オープンアクセス NDLJP:7によれば、慶長二十年三月十三日、寛文九年五月七日と記し、右は両度御尋に付書上げ申候以上とあり。幕府の命によりて、書上げたるものと見えたり。
 
謙信記 一巻
 
本書は、寛文九年、林春斎幕府の命を受け、日本通鑑編輯せられし時、上杉家に史料を求められければ、謙信時代の老臣四五人ありしを集め、記録と引合せ書上げたるものなり。按ずるに、本書も上杉氏よりの書上なれども、此の書上と称するもの種々ありて、大同・小異なれば、何れを元本とすべきか考究すべきものなり。
 
上杉輝虎註進状 一巻
 
本書は、上杉謙信より、川中島合戦の次第を一々詳細に註し、大館伊予守に宛て、足利将軍に註進したる書状なり。或は此の書、後世の作かといへり。猶ほ考究すべきものなり。
 
北越耆談 一巻
 
本書は、寛文元年、上杉家の家臣丸田友輔が、川中島合戦の聞書と、上杉家の古老の談話とを筆記せしものなり。
 
松隣夜話 二巻
 
本書は、山内・扇谷の両上杉氏、権を争ふ其の隙に乗じ、北条氏政関東を并呑せし事柄より、天正五年、上杉謙信兵を越前に出し、宮野城を陥るゝ事蹟を記せり。
 
越国内輪弓箭老師物語 一巻
 
本書は、上杉謙信の父長尾為景の事蹟を記したるものなり。為景、天文七年、越中国仙段野の合戦に討死。それより家臣胎田常陸介謀叛を企つる事等、謙信幼少時代に於ける記事なり。
 
川中島五箇度合戦之次第 一巻
 
本書は、上杉謙信が、天文・永禄年間、信濃国川中島に於て、武田信玄と五箇度の大戦争ありし事を記したるものなり。慶長二十年、上杉家の家臣清野助次郎・井上隼人正両人の書上なり。是亦上杉氏書上の内なり。

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川中島五戦記 一巻
 
本書は、川中島五箇度の戦記なり。古老の伝説を本文の次に加へ、或は兵法を論じたり。
 
川中島合戦評判 一巻
 
本書は、川中島合戦の有様を評論したるものなり。
 
川中島合戦弁論 一巻
 
本書は、川中島合戦の次第を弁論したるものなり。大関定祐の著述にして、寛文十二年の作なり。本書にも上杉氏書上を添へたり。
 
景勝軍法 一巻
 
所謂越後流の軍法にして、直江山城守の作に係るものなり。


  大正五年五月 編者識

 
 
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例言
 

一、本編には、上杉三代日記一巻、謙信家記一巻、上杉将士書上一巻、謙信記一巻、上杉輝虎註進状一巻、北越者談一巻、松隣夜話三巻、越国内輪弓箭老師物語一巻、川中島五箇度合戦次第一巻、川中島五戦記一巻、川中島合戦評判一巻、川中島合戦弁論一巻、景勝軍法一巻とを収む。

一、上杉三代日記、謙信家記、松隣夜話、北越耆談、川中島五戦記、川中島合戦評判、川中島合戦弁論は、共に原本片仮名なるも、本編には悉く平仮名に改めたり。

一、全巻を通じて語格を正し語尾を補ひ、且仮名には漢字を補填し、読み難きか又は読み誤り易き漢字には傍訓を註する等、通読の平易を期するに於て、遺漏なきを力めたり。

一、校讐の際、底本と対照本と字句相異り、而も之を是正し難き場合には、底本字句の左側に縦線を施して、其右側に〔何々イ〕と傍註し、又原本の字句疑はしきものは、同じく其右傍に〔何々カ〕と補記して編者の案文を示し、猶字句の左側に縦線を施したるのみなるは、単オープンアクセス NDLJP:9に編者の懐疑を示すものにして、識者の後考に竢たんと欲するものなり。

一、括弧〔〕を以て包めるは、編者の補記に係るを示し、括弧を用ひざるは、原本の註記を其儘に存せるを明にす。

一、□を箝入せるものは、原本の一字不明なるを示し、   の如きは、不明の文字其の字数に亘れるを明にし、〔何字欠〕とあるは、原本の版木損欠せるか、又は謄写の際、書洩らせる字数を示すものなり。

一、地名・人名等は、各書目毎に、其の多きに従つて一定を計りしと雖、本集全巻を通じては、必ずしも一様ならず。一本荒尾一学・直江兼続とあるを、他本には一角・兼継とあるが如き其一例なり。又原本の特徴と認むべきものは、徒に改竄することなく、稀に其儘に存せるもあり。

 
 
目次
 
 
景勝大坂へ出陣の事上杉謙信景虎諸士系図人信州士、謙信を頼み越後へ引越し候分上杉謙信日記
 
松山城攻山根城攻の事仁田山城攻 東上野の内輝虎公越中発向所々軍の事越中古志郡巣吉山城攻の事輝虎公諸大将批判の事輝虎公諸大将の政道心底勢の分限記さるゝ事越中の神保智略叶はざる事賀州松〔住イ〕の城攻の事輝虎公備定の事輝虎公生死の事信州海野平合戦の事景虎公関東勢催さるゝ事小田原発向の事信州川中島合戦の事信州塩尻合戦の後板垣信形敗軍の事太田三楽犬数寄の事信州笛吹峠合戦の事下総国こうのだい合戦 〈の事ノ二字脱カ〉北条氏康公生死の事武田信玄公生死の事江州姉川合戦の事
 
上杉家将御尋に付書上 慶長二十年寛文九 年
 
 
 
信州川中島合戦聞書上杉家遺老談筆記
 
 
 
 
老師物語聞書付
 
御尋書上候信州川中島五箇度合戦の次第第三第四第五度川中島合戦の次第
 
 
 
川中島合戦弁川中島年月考前の川中島合戦証文弘治二年三月廿五日の夜川中島合戦の証文後の川中島合戦の次第
 
 
目次 
 
 

この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


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