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黒川真道編
越後史集 地
   国史研究会蔵版

 
 
 
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解題
 
 
管窺武鑑 九巻
 
本書は、全巻を上中下の三巻とし、更に上巻を上之上・上之中・上之下、中巻を中之上・中之中・中之下、下巻を下之上・下之中・下之下と分巻し、九巻としたるものなり。然して各巻の下に舎諺集と記せり。此の書、また一名上杉記・また謙信記ともいへり。

国書解題に云、

管窺武鑑 写本九巻 夏目定房

上杉謙信及び其臣藤田能登守信吉、永井右近大夫直勝夏目舎人助定吉等の事を記し、併せて武田氏・豊臣氏等の事を録したり。

と見えたり。然れども猶尽さゞるところあれば、更に内容を記すべし。

帝国図書館蔵本によれば、本書自序の左註に、次の文を記されたり。
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元禄癸酉之年借此書於中村氏、摘要省繁謄写之。雖意林庵序之。書首有定房自記、略書其意以題定房名云。 石氏存心斎

と見えたり。これによれば、本書元は意林庵といふ人の序文ありしを、作者定房の自記の文と同意なるを以て除きたりと、石氏存心斎といふ人の記されたるなり。然るにたまたま存心斎本のみ伝写されたれば、意林庵の序文は、世に伝はらずなりたるは、惜むべき事なり。然して存心斎の手に成れる文を以て、定房の名を題して、自序としたるなりといへるなり。これ果して作者の本意なるか、慎むべき事ならん。然してまた本文をも省略したるとなり。

さて本書内容の重なるものは、第一に、上杉謙信の事、同景勝の事を記せり。これ作者の父夏目舎人助定吉が、上杉謙信に仕へ、上州沼田城代となりし由縁ありて、上杉家は、父の主家筋なれば、上杉家の事に関しては、謙信に限らず、景勝までをも、本書中種々詳細に記載するところあり。されば一名上杉記、また謙信記など称するなり。第二は、藤田能登守信吉の事なり。これ作者の縁者にして、最も親しく、殊に能登守は、元北条氏に属せしが、後に徳川氏に属し、関ヶ原の役には軍功を彰はし、家康に重ぜられたりしが、不幸にして元和二年七月卒去す。子無きを以て、家名断絶の悲運に遭へる人なり。是より先き能登守子無きを以て、作者定房が兄の子を養子にせんとせしかど、其の運びに至らずして卒去せしかば、作者に於ても、これを遺憾として記載せるなり。第三は、永井家の事を記されたり。これは作者定房の仕へし主家なればなり。永井家は、永井右近大夫直勝、同信濃守尚政の二代を記載す。作者定房は、信濃守尚政に仕へたるなり。猶右近大夫直勝につきては、碑銘などをも記載して、伝記を詳にせり。第四は、作者夏目氏の事にして、殊に父舎人助定吉の事蹟、また定吉の子息等の次第等、或は夏目氏の親戚関係の人々をも記せり。

本書記載の順序は、以上四箇条の他に、更に筆を起し、順序もなく、上杉景勝の事蹟と藤田氏と夏目氏との関係、或は豊臣秀吉の小田原征伐の事、また小田原征伐後に於ける武州附近のありさま、また秀吉奥州平定後に於ける政治振、或は高麗陣に景勝渡海の事蹟、また景勝の国替の事、また太閤薨去後に於ける石田三成の事蹟、また景勝、石田氏に与するを以て、藤田能登守諫言の事蹟、また関ヶ原合戦が、徳川氏の勝利に帰し、家康藤田能登守とオープンアクセス NDLJP:6景勝とを和宥せし事等、終に父舎人助浪人となりし事の顛末を記し、最後に作者の母が訓誡の和歌を遺しければ、作者はそれに古語を書加へて、彼是参照して、服膺したる事をも記せり。母は蓮珠院妙香といひ、和歌に、正保四年九月十三日と記せり。其の和歌の後に、また小野山人踏雪といへる人、慶安二年に奥書を添へたり。

以上は、本書内容の大慨なり。本書編輯上の体裁としては、順序整理したるものに非ざれども、要するに、父の主家上杉家の事に関しては、記載すること最も多く、されば上杉家の事蹟調査上、要用なる材料多かるべし。次には永井家の事、これは大略したれば、差したる材料とも覚えねども、永井家の事蹟調査の材料となるは勿論なり。次に藤田家また自家の伝記等にして、作者については要用の記録なるべし。其の他本書中合戦等については、軍学上の意見をも記せれば、戦術上の参考となるはいふまでも無かるべし。

作者夏目軍八定房については、伝記詳ならず。たゞ本書の自記によれば、寛永十四年十一歳の時、雄徳山豊蔵房にありて、業を孝仍法師に受け、十五歳にして、始めて永井信濃守尚政に仕へ、然して同家士松山五郎右衛門の嗣子八郎兵衛尉貞申について、武田家の兵法を学びたりとあり。父定吉は、上杉家に仕へ、越後流の兵法を知りたるを以て、其の法を父より受け、両家の兵法を併せ、之を攻究せしが、皆一軌なりと、自得せる趣を記したるところを以て考ふれば、作者夏目氏は、兵学者なること知られたり。其の他の事蹟については、知ることを得ざれば、詳細なる伝を記す能はず。猶博識の君子の教を待つことゝせむ。

  大正五年九月 黒川真道 識

 
 
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例言
 

一、本編には、管窺武鑑九巻を採収す。

一、原本片仮名なるも、本編には悉く平仮名に改めたり。

一、語尾を補ひ語格を正して、読誦の平易を計り、且仮名には漢字を補填し、読み悪き漢字には振仮名を施し、又反読の個所は、之を読下しに改めたり。

一、文字の右側に、〔何々イ〕と傍註したるは、対照本の字句を示し、〔何々カ〕としたるは、当編輯部にての案文を現し、左側に縦線を施したるのみなるは、字句の疑ふべきものにして、識者の後考に竢つものなり。

一、原本の文字不明なるは、□を箝入し、原本の蠧損若しくは魯魚の誤にして、字体明瞭ならざるものは〔〈何字欠〉〕として其字数を示せり。

一、人名・地名は、多きに従つて一定を計りしと雖、能はざりしものは、必らずしも一定ならオープンアクセス NDLJP:8ず。又真似あやかり倒土どうと落ち、転達てだて右之左之ともかくも等の特徴文字は、其儘を保存して改むることなかりき。

 

目次 〈[#「越後史集 地」は「管窺武鑑」全九巻のみで構成されているので目次を「管窺武鑑」に統合する]〉

 
 
 

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